もし分かりにくいなら教えてください。
事前補足:『』←解説のセリフ
刻は199x年10月、場所は後楽園ホール。
すっかりと陽は落ちたが、ホールには眠る気配のない興奮が灯っている。
鷹村 守が防衛戦をやるたびに感情は燃え上がり、階級を上げるごとに世界が拓けていく。これほど人々の注目を浴びる者はおらず、ゆえに常に全盛期を突き進んでいく。
『タイトルマッチまでの四試合。そのどれもが注目のカード、期待を高めてくれる人選です。
さぁ皆さんお待ちかね!歴史に残る1ページへ向けて、最初の対戦カードが始まります!』
解説の声に続いて待ちくたびれた観客らが声を張り上げる。
すでに入場を終えた二人の選手がリング中央で対面していた。
『入場を終えた両雄がリング中央で睨み合う。一歩も惹かないその姿勢は、絶対にお前を倒すというメッセージか!?』
ジュニアライト級2位、木村 タツヤ。
同級
「鷹村さんが待ちくたびれてる。前座らしくさっさとケリ着けようぜ、エレキ」
「…タツヤ」
半年前、鷹村によって頭頂部にイナズママークを入れられ散々な目にあった木村。その影もいまはなく、向き合っている表情から万全の状態であることが確認できる。
『2度の引き分けは因縁となり、3度リングで相対した。今宵求めるものは勝利、それ以外は眼中にないと言わんばかりに火花を散らしている!』
闘志を燃やす男が二人、望む勝利は一つ。
「両者リングサイドへ!」
互いに背を向け離れる間も、ひたすら欲に忠実な牙を研ぎ澄ます。背中越しに伝わるほど二人に緊張は無く、正面を向けば噛み殺すのではと観ている方が声を潜めた。
異様なプレッシャーが会場に広がり、静寂な間が訪れたとき。幾つもの勝利と敗北を産み出してきた、ボクサーの拳を解き放つ鐘の音が打ち鳴らされる。
『さぁゴングが鳴る!鷹村の4階級制覇に勢いをつけることができるか、木村 タツヤ!』
試合開始の合図もまた、両者にとって取るに足らない礼儀でしかない。勝ちに拘り、焦らされ続けた男が二人もリングの上にいるのだ。最早、客席や解説の声など届くはずもない。
リングの上には拳が4つ。
相手を殴る拳が2つ、そして──────
「お前が行けると判断したんだ。開幕から主導権獲ってこい!」
トレーナーの集大成、己のプライドに応えるための拳が2つ。
(あぁ、絶対にここは譲らねぇよ)
リング上で細かく鳴り響くステップに迷いはなく、全くの同時に射程圏に踏み込んだ。
開幕、初撃に選んだのはジャブ。
放たれる左拳二つは、様子見などカケラもない。試合の流れを
(────!!!)
リング中央、二つの左拳が小気味良い破裂音を掻き鳴らす。聞くに3つの差し合いは、ほぼ同時に放たれるも牽制で終わる。間合いを確認した両者は半歩下がる。
後の先、流れを掴むための一手は決まらず。速さに自信のある左を準備しているぞ、と互いにメッセージのやり取りを終える。
ここで両者に共通する感想がある。左手に伝わる感触が、想定外の成長を遂げていると確信を得たことだ。
エレキはその場で構え直し、次に来たる一撃を撃ち落とす準備を整えた。
「そうか、
控え室、鷹村が呟いた視線の先。
木村は、その慎重な姿勢を見て、小さくジグザグにステップを刻み前進する。2歩目でその意図を察するや、エレキは視界の奥に映るリングサイドへと視線を移した。
(コーナーに追い込む気か)
後ろを見るまでもない。あと2歩下がればコーナーを背負わされてしまう。足を止めようというのが木村の作戦だと判断。即座にその場を離れ、位置を入れ替え、逆にコーナーに追い込むため前に出た。
(ちょっとお話でもしようぜ。改めて自己紹介するからよ、
脇を通り抜けようとするエレキにジャブを放つ。ダッキングで躱し潜り込むや、右腕を引きボディの姿勢を見せた。その引きが最高潮に達したのを確認、木村は強引に右ストレートを打ち下ろした。
堪える体勢どころか、カウンターを合わせてくると思わなかったエレキは左腕を上げ、急いで姿勢を上昇させる。空振りを狙うその行為は、しかし肩を押されるかたちで押し戻されていた。
視線の先、息を呑んだのはエレキ。体勢を整える間も無く、木村の追撃の右ストレート。
左足でリングを圧しスウェーで躱すが、その差は紙一重。あと半歩踏み込んで入れば、意識は砂嵐に飲み込まれていただろう。そして、後退はここで止まる。背筋に伝わる冷んやりとした温度は、あまりにも危機感のない死地。
エレキが瞬く間にコーナーに追い詰められた。
『木村が開幕に飛ばし、エレキをコーナーへと追いやる!いつもの木村とは違うペースに我々だけでなく、エレキも困惑を隠しきれません!』
(もう少し振り大きけりゃ届いてたか。あの体勢からスウェー間に合うのかよ、つま先の踏ん張りが強ェ)
(あのジャブは私を懐に潜り込ませるためのもの。完全に振り抜いていなかった。やはり、カウンターを警戒しているか…)
数瞬の思考から木村の行動を把握する。両足でリングを踏みしめる直前、木村はまだ立ち直れていないエレキの足を確認していた。
(まずは、強引にこの場を切り抜けさせてもらおう)
(だが、自慢の足は浮いちまってるぜ!)
エレキはカウンター、もしくはフックでコーナーを出るつもりでいる。荒くとも、粗くなければ瞬く間に突き放せる。木村に対してはそうまでしてでも、開幕を譲ってやる気がないのだ。
間髪いれず木村はジャブを放ち、あくまでも様子を見ないことをアピールする。ガードした下から覗く瞳は、ひたすら両肩の動きに注視している。
そして、一瞬後に来るであろうと予測、カウンターを放つために左を構えたとき。エレキは、怯むことなく踏み込む木村を見て、次に己の足元に視線を移した。
(足がまだ着いていないッ!?)
(気づかれたが打て!打てる!)
出遅れたのはエレキ。
そのつもりで右ストレートを放っている木村。
誤差コンマ何秒の決断と実行は、一切の無駄なく、カウンターの隙すら与えなかった。
『ワン・ツーがこれまた鋭い。ガードを固めたエレキ、木村のワン・ツーに渋い表情を見せている。得意のフットワークを活かすことができない!』
しかし、互いに疲労を抱えていない。カウンターを狙った左をとっさに引っ込めることで、不安定ながら木村のストレートを防いだ。
代わりに、再びコーナーに押し上げられてしまう。
(ま、そう簡単に行かないってことね)
(視野が狭すぎる。自身のことすら把握できていないなんて、笑い事ではないぞ…)
木村は右を打つつもりでモーションを見せ続ける。
エレキの判断力が著しく低下していると分かり、フェイントを織り交ぜてガードを揺さぶる。
顔面、ボディストレートと打つ間にフェイントとジャブを挟む。この単調なサイクルをコーナーで2巡ほど凌いだエレキは、しかし反撃に移ることが許されなかった。
(腰をつかませさせてたまるかってんだ。地に足着かないまま体力を削り落としてやる)
(ぐっ、前屈みになる瞬間をストレートで押し戻される。カウンターのための
ダメだ、ガードだ。脱出の機を待つしかない)
放たれ続けるコンビネーションを、心の中でカウントを打ちタイミングを計る。いつても飛び出せるよう、すぐさま立場を逆転させるために。息を潜め、エレキは会心の隙を誘い続ける。
(クソっ、ガードが思ったより上手え。場数踏んでるだけあるぜ。このままじゃ、俺の腕がバテて逆転されちまう。
チキショウ、怖いけど予定繰り上げて狙うか…?やれるか、俺)
ジャブを放ちながら、左足は真正面に踏み込んだ。
木村がこの試合で初めて見せる体勢は、右ストレートから続けざまに放つ右ボディ。腕を引き寄せる直前で腰を落とし、エレキの上がったガードが間に合うまいと放つ。
(ボディ…!私の右ストレートの方が速い、ここで脱出する!)
(もらったッ!)
ボディを狙う体勢へと移行する一瞬を、エレキは見逃さなかった。慣れ親しんだフォーム、常に想定し続ける一閃は準備を整える。
『ボディを狙う木村に合わせて、エレキがすかさず左足を構え直した!木村完全に狙われているー!』
開始僅か1分、すでに心の奥底が仕留めろと言わんばかりに沸き立っている。急かすな、とは吐き捨てられない。もう終わらせなければ、次の一瞬にはこちらが倒されているだろうと予感する。
故に、フィニッシュブローのごとき右ストレートを打ち抜いた。
(こ、いつ!)
目を細めたくなる打撃音。
エレキの右拳が打ち鳴らした先に、赤い拳が一つ。そして、その奥で光る瞳が動き出す。
『き、木村打たない!左を引っ込めてエレキの
打ち終わり、それも当てるためのものを防がれた。その隙は、このラウンドにおいて命取りとなる。
前のめりに生き急ぐ様を木村は待ち構えていた。
ゼロ秒後、もう一つの拳は飛び出す。
右ストレートはエレキの左ガードを打ち砕く。再び装填される右拳を見つめながら、瞳は左腕が弾かれたことをようやく認識していた。
電流が流れたかのように痺れる左腕、眼前で放たれる右ストレート。このとき出来る抵抗といえば、顎を引き歯をくいしばることくらいだった。
直後、エレキの顔面がコーナーへと叩きつけられ、鈍い音をホールに響かせていた。
『二発目の右ストレートが決まる!オープニングヒットを木村が大胆に決めたぁ!!』
ホールが歓声に湧き上がる中、次に轟く打撃音は左ボディ。
ゆらり、ガードが下がった隙を逃さず、右ボディが炸裂した。
かつて放たれた痛恨の一撃と似た衝撃に、エレキの意識は最悪の形で浮き上がる。
(ボディ、だとォ!?
私が打ち込まれたのは右ストレートだった…気を、失っていたのか!?)
(気づいたか、だが腕に力は入らないはずだ)
鍛え上げたボディに鈍く伝わる恐怖。無意識下で打たれたことで、本能が拒絶する。打つな、離れろ、つき飛ばせ、と。
(ありったけを持っていかれる……1ラウンドで、背筋が凍る思いなどしたことがない)
(次は10秒眠ってもらうぜ。そのための練習をしてきたんだ)
砕けかけの腰で、死に物狂いに眼前のボディに左を突き出す。
(少しでも、判定勝ちに持ち込もうと考えていた私の失敗だ)
力を込めていない拳など、誰が恐れるものか。
恐怖から逃れるために出した左は逆手に取られ、ワン・ツー、右ボディのカウンターとなり体力を削られる。
(あの拳は、恐ろしい。過去2試合のドローなど、参考にもならない。
どう猛な闘志を、宿している──)
視界は回り、視野は青に塗れ、身体の機能は麻痺する。
抗いようのない壁に押し付けられる、屈辱の瞬間が異国の王者に訪れた。
『左右の連打、そしてボディが鋭く打ち込まれた!!!
これにエレキたまらずダウンンン!!!!
いきなり勝負が決まるのか!?』
レフェリーが駆け寄る。しゃがみ込み、リングにうつ伏せに転がる相手を覗き込む。
(どうだ、カウントなんざ必要ない!終わらせろレフェリー!)
コーナーに着いた木村の念はしかし、レフェリーのカウントにより断たれる。
「先制、練習の成果が現れましたね!」
「正直、ここまでとは思いませんでした。早くても2ラウンドだろうと…木村は私の予想を軽く越えてくれました」
「うむ、じゃがあやつも、ここで頬を緩めてはおらん。相手が立ってくると分かっておる」
リングを左拳で叩きながら、大きく息を吸い込むように口を開け、エレキは勢い良く起き上がった。
ここまでのカウントは7。
『た、立ち上がった!雄叫びとともに飛び起きるエレキ!!審判が近づき様子を確認する。
……両手を交差する、試合続行だ!』
(このカウントでコーナーから這いずり出た。こうしなければ、私は奈落に落とされていた…。このダウンは、私にとっては運が良かった)
(ヤロウ、いまのカウントで立ち直ったか)
再開と同時にリング中央に飛び出す両者。
(…凌ぐ、だけで終わるつもりはない。駆け寄ってこい、勝負を決めにこいタツヤ)
(なら、
コーナーを背負わないために飛び出したこと、そして足を使わずに構える様子を木村は確認する。いま相手が出来る最大の抵抗というのを、過去の経験から知っているのだ。
木村は徹底したアウトボクシングで、手負いの相手の状態確認をするに留まっていた。
(どうだ、カウンター狙えるか?まだ踏み込めそうだが、いまは1ラウンドってのを念頭に入れなきゃな)
(足が動かないからこそ、走ってきたところにカウンターを狙いたかった)
ジャブ、ストレート、ボディがガードすれすれを通り抜け、着々と疲労を負わせていく。
逸る気持ちもあるが、真正面から見続けることで抑制できていた。
(いまほどアウトボクシングをやられて苛立つことはないぞ)
カウンターを狙うエレキにとっては、前傾姿勢になっていることが仇となってしまった。
1分30秒、黙々と体力を削る作業が行われる。開幕のもう攻とは180度違う絵面に、別人なのかと疑いたくなる。
残り10秒を伝える拍子木が2度打ち鳴らされても、その手を緩める気は微塵もなく。
木村が慎重に、確実な勝利のみを求めていることの裏返しの時間はすぐに過ぎた。
「そこまで、ゴングだ!」
1ラウンド終了の合図。レフェリーが割って入り、両者が自陣へと戻っていく。
静かに歩く木村とは対照的に、大きく肩を揺らして歩くエレキ。
『第1ラウンドが終わりました。恐ろしく冷静に相手を攻める木村、被弾がゼロという驚きは、次のラウンドへの期待に変わっています!』
「ここ最近の木村は別人じゃねーか!」
「対戦相手、フィリピンじゃ相当強いって有名なのに木村やべぇぞ!」
「いける、いけるよ!KO勝ちで繋げーっ!」
▼
「篠田さん、まずは開幕もらってきましたよ」
「よくやった木村。ダウンを取って熱くならなかったのは流石だ。あの様子、まだまだ万全のカウンターを打てるようだからな」
「えぇ、それはビデオで見たから分かります。ここ数十試合、ダウン後のカウンターで沈めたケースばっかりだ」
篠田がフィリピンで掻き集めたエレキの試合。その全てを脳裏に刻み、ひたすらイメージトレーニングに直結する。実に半年、エレキを倒すまでの過程を考えて動いて試して、この試合に臨んだ。
「カウンターのタイミングを計ってやがる。打つたび冷や冷やもんですよ」
「あぁ、もうコーナーを背負わせるのは厳しいだろう。だから練習を思い出すんだ、私のミットとエレキとの誤差を埋めてこい!」
「うす、必ずものにしてきます!」
最後の試合を迎えるために、目先の壁に全力で立ち向かう。
ボクサー生命を終えるその時は、まだ先であると確信している。その時間も僅かであると理解している。残り少ないボクサー人生、その時間に手を抜くなど出来るはずがない。
だからこそ、木村 タツヤの調整にぬかりはない。
【次回予告】※諸事情により7/16予告内容変更
カウンターを受けず、ひたすらに前進せよ。
(このままではダメだ、狂ったペースを取り戻すには、守りに徹するなど愚の極み‼︎)
しかし、油断してはならない。
エレキとて、ボクサーとして生き抜いてきたキャリアがある。
(ゴングやダウンで仕切り直すことは不可能。被弾の隙間にこそ活路を見出す)
7.17(水)更新予定。