鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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板垣 学の慢心は消え去った

 

 

 

1ラウンド55秒。

それは板垣 学が今井 京介から敗北を喫した、プロ2度目の試合時間。

 

1ラウンド2分55秒。

これはハンマーナオが今井 京介を倒すまでに要した激闘の時間だ。

 

2つの試合、この2分間の差は果たしてなんだろうか。

 

「敬いか、負けん気か……。

少なくとも、慢心はあったかなあ」

 

鴨川ジムの地下に設置されたリングで、板垣 学はサークリングを終えてステップを刻み続ける。

思慮と行動に結合はない。練習の終わりに身体をクールダウンさせるために始めた運動で、勝手に身体を動かしていると考えも纏るからだ。

 

「なによりも、アウトボクサー対策を取ってくるのは間違いない。ナオさんのフックを打つ脚の動き、相当に滑らかだった。先輩ほどじゃないにせよ、ダッシュの連続で追い込もうとすれば……」

 

脳裏に過るのはかつて幕之内 一歩が対戦したアウトボクサー 、唐沢 拓三がK.Oされるまでの試合運び。

幕之内対策である腹筋作りはA級ボクサーでも飛び抜けたもの。ボディ打ちに耐え、その上でデンプシー・ロールを破りK.O勝利する。実行せんとする意味を知っている、アウトボクサーの思考とは思えない気の強さ。

ちょっとやそっと…否、世界の舞台に上がっても霞まないであろう精神力を、幕之内は愚直なダッシュだけで唐沢の戦術を土台ごと壊したのだ。

 

「唐沢さんの二の舞だ。走り込んだことは先輩との試合のとき、鷹村さんが見抜いていた。きっと、僕もそれで捕まる」

 

徐々に乱れる輪。

気づけばコーナーに追い詰められ、そして渾身のボディブローによって沈む。

アウトボクサーが戦慄する光景を間近で観た。

あの動きをハンマーナオが可能としたら?

そう考えて、自分の足なら追いつかれないと思い。根拠が自信だけという、敗因の1つであることを知る。

 

「そうでなくとも、ナオさんには”噛ませ犬”としての姿もある。あの技術、牧野さんの比じゃない。集中力を乱されることだってあり得る」

 

総合して、やはり自分はハンマーナオに及ばない。

実力差でいえば寧ろ板垣のほうが上だ。問題はそこではなく、中身の話になる。

目下、やるべきことは決めていた。

 

「集中力、保たせなくちゃなあ…」

 

それは当たり前に必要な要素。ボクサーに関係なく大事に求められるものが、こと板垣にとっては非常に難しい問題となっていた。

京介に負けて以降の2試合、板垣は泥試合の末に判定勝利という納得のいけない結果を残している。板垣のパワーなら仕方なし、という話では終わらない。篠田や幕之内に言われるまでもなく、板垣自身がK.O出来たと思うほどに実力差はあった。

 

だが、分かっていても身が入らない。

京介にリベンジを誓ったものの、どうすれば勝てるのか想像できず。結果、ズルズルと試合にまで影響を及ぼしていたのが復帰戦。

 

「このままじゃ泥試合もできずにやられる。せめてナオさん対策も色々と考えたいところだけど、先輩はまだ療養中だし」

 

復帰戦の勝利を祝ってはくれたけど、自分のなかで喜びは欠片も感じなかった。ジムの練習風景に幕之内が居ないことを挙げるつもりはないが……。

 

「それにしても、いつの間にか殺風景なジムになっちゃって。練習生どころか青木さん達もいないし」

「鷹村はロードワーク中だ。木村と青木はこの前試合で泥試合だったからな」

 

板垣のボヤきに応答したのはコーチの篠田。

青木と木村も受け持つ彼としては、少し前に泥試合で辛くも勝利が続くことに思うところがある。己の実力不足を嘆く様子に、板垣は少しの申し訳なさを感じていた。

 

「あの落ち着かない雰囲気、好きだったのになあ」

 

4人と鴨川がいるだけで賑やかではない時が無かった。

程よい緊張感は集中力を高めるなによりの材料だ。あのなかでこそ、板垣のモチベーションは研ぎ澄まされていたと言っても過言ではない。

 

(こんな、僕とコーチだけだなんて……)

 

懐かしい風景といまを見比べて、ジムを見渡す。

そのときだった。

 

「……あ、分かったかも」

 

唐突に、天啓の如く呟く、その方法は浮かび上がった。

止まった足を見た篠田に、板垣は思いついたことを話し始めた。

 

 

───

 

──

 

 

 

後日。

 

地下のリング周辺に準備された数々の機材。

一息ついた篠田が降りてきた板垣に気づき、汗を拭きながら声をかけた。

 

「頼まれた通り、気を散らすために色んなものを用意した。ざっとこんなもんだが、お気に召したか?」

 

そこには複数のビデオテープとカセット。

試しに流すと、頭が痛くなるような爆音が流れた。地下でなければ即行で警察が来るような、中々に危険なものばかり。

工事現場だったり、人の叫び声であったりと。とにかく気を散らすための騒音が録音されたもの。

 

「うっわ、予想以上です!

鼓膜破けないように注意すれば、丁度いい環境になりそうです」

「本来、集中力は自分に合った最適な環境し下で最大限発揮できるもの。指導者とのコミュニケーションや練習場所も大いに関わってくる。

スポーツマンだけでなくとも、過程のストレス排除がいかに大切かは言うまでもないだろう」

 

例えるのなら季節。

春風が吹くなかと、蒸し暑い夏空の下。どちらが快適で、より練習に集中できるのか?と聞かれて、後者を選ぶ者は少ない。そういった環境のストレスはパフォーマンス向上の妨げになり、トレーニングの意味が薄らいでしまう。

しかし、夏というものも鍛える部分によっては最適にもなる。

 

「それを敢えて壊すんだ。効果が見込めないようなら直ぐにやめるぞ」

「えぇ、分かってます。

ミットも指示も普通の声でお願いします」

 

それこそが集中力、そして根性。

荒れた環境は心を刺激する。夏の暑さは身体の機能に制限をかけ、そのなかで従来通りの練習をすれば効果が上がる。無論、脳による問題があるため難しい話ではあるのだが。

 

板垣が思いついた練習はシンプル。

雑音によって脳が取り込む情報を増やし、情報処理能力を上げる。

 

(これはクラブのほうがマシだな……)

 

普段なら絶対に有り得ない練習風景。

工事現場のど真ん中にいるような錯覚のなから篠田は口を動かしてミット打ちを開始した。

 

板垣の見据える先になにがあるのか、という何年後かに分かるであろうビジョンを想像しながら。密かな楽しみをうちに秘めて、時間は一気に過ぎていった。

 

 

 

 

「ん〜!」

 

板垣家の玄関先。

大きく背伸びをして、晴れ渡る空を見上げて手を伸ばす。

 

「良し、気合い充分。やれることはやった」

 

ぐっと握り、確かな成果を手に支度を済ませる。

 

「鴨川ジムの後輩として、貴方のボクシングを越えさせていただきます」

 

板垣 学、そのコンディションに驕りはない。

練習の成果を全て発揮し、念願の日本王者となるために後楽園ホールへ歩き出した。

 

 

 









今回、この章で最後の勝者予想をアンケートとして設けました。
よければご参加ください!

ハンマーナオVS板垣 学、勝者は?

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