鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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3分間の壁

 

 

 

4度の被弾。

実行に移した手順は、ナオの右ストレートが打ち終わる直前から始まった。

左アッパーを打ち出される右腕の下から放ち、あたかも死角から打たれたように見せる。続けざま、右ストレートを首捻り(スリッピング・アウェイ)で躱しつつ、左右のフックを右腕の下から返す。最後に離れ際、ナオの後退を追うように右ボディを打ち込んだ。

上体を大きく逸らさないため力は逃げず、腰を回すため次の機動を即座に実行できる。僅か数センチの体重移動で成し遂げた反撃。

 

(くそ…盲点を突かれたとしか思えない。

なにをされたのか半分も分からなかった)

 

突き立てられた刃の種類は判別できず。

容赦なく仕留めにいった。それでも板垣を沈めるには足りず、集中力を深める手伝いをしていた。

好機から突き放され、敗北に心を掴まれる。僅か1秒程度の間に裏返してきた天才の開花に、しっかりと正面から瞳を交わして確認する。

 

(……安心した。板垣くんの全力、開始1分で引き出せたぞ。不完全燃焼なままリングを降りても、負けきれないだろうから)

 

板垣の瞳が輝いて見えるのは、ナオがいま、限りなく勝利から遠ざかった証拠。

だが、この逆境を不思議と心地良くすら感じていた。

何故なら、これこそがナオが踏み親しんだ舞台だからに他ならない。

 

(いまのキミを倒して僕の置き土産にする)

 

滾り始めた無冠の天才へ、恐れることなく踏み込んでいく。

対して構え、迎え撃つようにステップで距離を測る挑戦者の脚が、王者の意思に呼応するように駆け出した。

 

中央に差し掛かる手前、ナオの脚が次を踏む直前で。狙いを定める存在が左拳を放ったことに気づく。だが、反応を許されることなく、左の揺さぶりからフックがガードをすり抜けて頬を打つ。

脚が着いた瞬間、回してフックを返すが時すでに遅く。打ち終わりには反対側に現れ、さらに左右の連打を顔に受けていた。

 

(どう避けたのか見えなかった。

いや、こうなるのは分かっていたこと────)

 

目標を視界に入れるべく見開いたとき、ナオが目にしたものは虚無となったリングのなか。

 

「え……」

 

いま、確かに視線を交差していた挑戦者を見失い、目元から気色が引いていく。瞳を動かすより、聴覚に頼るべきだと本能が感じとる。

両腕を頭部のガードに回し、リング上の音に集中させた矢先。

 

(聞こえない…はずが、ないのにっ)

 

無音の世界で、さらに大きく目を見開く。

盛り上がる歓声を隠れ蓑とし、技で王者を出し抜く際に湧く驚嘆に足音を重ねる。常人の域を越え、集中力は周り全てを巻き込んで試合の骨子となっていた。こんな芸当、攻略法などを考えるほうがバカバカしくて仕方ない。気づくきっかけすら無いのだから。

 

ナオの直感がただならぬ技を感じとる。驚愕が多くを占める心情のなか、完全に相手を見失った王者。足音すら消えたリングで混乱に戸惑う次の瞬間、視線が強引に右へと誘導された。

 

「がっ!?」

 

続けて身体に奔る衝撃の数々。

ガードをどこに置いても、必ずどこかに生まれる隙間に拳が打ち込まれていく。視線を向ければそこに影はなく。気配を感じ、その身を捉えようと顔を動かした瞬間、今度は顎を真上へ反らされる。

対峙する、ボクシングだけでなくともスポーツなら至極当然の前提を、ナオは許されずにいた。

踏み込んでリズムを崩そうとした。板垣は容易く躱し、視線の外から視界を揺らす。フルスウィングで身体を巻き込もうとして、手応えのないままに下から一撃をもらう。

 

なにがどうなっているのか、速いか接近戦を挑まれているのかの判別がつかない。

相手を見ることが出来ないナオには、正確にパンチを打つことが叶わず。姿勢を正す瞬間に芯を揺らされる連打に、力強くパンチを打つことが出来ない。

 

「恐ろしいことを実行するな。腹隠して攻撃力を下げるくらいなら、相手が攻撃できないようにすれば良い、か」

「カウンターというよりはパリィに近い。ハンマーナオのシフトウェイトを見て、即座にポジショニングしてパンチを当てにいってる。

あれじゃ反撃しても勢いを止められない」

 

熱気を起こす観客を他所に、京介と幕之内はインファイターが成す術を奪われるさまに生唾を飲んだ。

ウィービングを駆使し、きめ細かく拳を集める。理論を組んだとして、可能にできる技術が人間にあるのか怪しい仕業を目撃する気持ちが一般人に分かるはずもない。

とくに京介は、いつの日か三度相対する筈の相手だ。いまはナオの無事よりも、驚異的な技術を目に焼き付ける作業に意識が移っていく。いつの日か、超越した天才を倒すための試金石とするために。

 

(油断すればひと噛みで終わる、集中ッ)

 

誰もが圧巻の試合運びに興奮するなか、板垣は極限の集中力の片隅でそう思考を働かせた。

 

第1ラウンド、決着間際と言わんばかりの気迫で王者を攻めていく。勝利への最善を最短でぶつけ、最強の座を手にするために。

 

(確実にそこにいる……なのにっ!)

 

秒を刻むごとに蓄積するダメージ。

打ってもその影を捉えることは難しく。

しかし、守りに転じれば沼の底に沈むばかりの自分を感じる。

 

(手数が増えていく。打てばカウンター、守ればガードの隙間を狙われる。ダメだ、まともにボクシングができないから返しようがないっ…)

 

序盤の様子見を切り上げたのは板垣にとって大正解だった。

あのまま、突拍子のない行動に2度と騙されるものか。などと意気込んで情報分析を続行していれば、多くとも第1ラウンドで確実に敗北を喫していた。ハンマーナオのボクシングを封じるいま、最も敗北から遠く、勝利に限りなく近い状況となった。

 

だからと、いまのままで倒されない保障は1つとてない。

 

(ッ、────!?)

 

ガラ空きの腹を掠める渾身の一撃。

体勢を崩されながら、大振り気味に放り投げた拳。ナオの必死の抵抗はボクサー生命を繋ぎ止め、板垣の手数を減らしていた。

 

『圧倒!聞いてください、この大歓声!

王者を一方的に攻め立てる挑戦者に期待が集まる!』

 

傍から観れば疾風怒濤と言わんばかりのワンマン試合。

一気に攻める板垣にとっては集中力を惜しみなく注ぐ、精神の消耗との戦い。

 

(もう倒れるかもしれない。

まだ始まったばかりかもしれない。

だからこそ、常に全力勝負だ!)

 

日本ランカーにいることが不思議なほどの強さ。

たまに現れるのだ、日本ランカーにして東洋、若しくは世界ランカーに匹敵する強さのボクサーが。

 

(元日本チャンプ、期待の新人…色んなタイプの格上と戦ってきた。けど、このタイプはどれにも当てはまらない。

こんなに柔軟な動き、どうすれば捕まえられる…?)

 

板垣の反撃で身体がボールのように飛び、その先で踏ん張ろうとしたところを更に追撃されながら。

いつか見た、ウォーリーと幕之内の試合に似た異次元な攻め方に我武者羅に対応しようと足掻く。

 

そのとき、空振りに付随するカウンターのモーションを確認した。

 

(ぐ、ォォォッ)

 

踵をぐっと回して、回避を取ろうと足掻いて間もなく。

カウンターが一閃、ナオの顔を捉えていた。

空へ打ち上げるように、ナオの身体がリングのうえで対空時間を与えられる。放り出された身体をどうこうすることが出来ない。それほどまでにバランス感覚は天地を返されていた。

 

1秒後、バタリと音を立てて王者が地に転がる。

 

『ダウンンンンッ!!踏み留まったところに無情のカウンター!これは効いた、狙い澄ました一撃!!

またも1ラウンドK.Oとなるのか!?』

 

連続K.Oを見たいと詰めかけた観客たちが喉を鳴らす。

王者が仰向けのまま深呼吸する姿を見ながら、幕之内は納得の表情をしていた。

 

「確かに、効いたうえでのダウンだけど勢いが先行しすぎているよ」

「ダメージを溜めたというよりは、揺さぶりすぎて転けたほうが正しいです。このラウンドギリギリまでダメージを溜めたうえでなら、まだ決着もいけたでしょう。しかし、決め手じゃなかった」

 

2人の意見は正しい。

板垣のデタラメなインファイター封じは、ダウンしてしまえば解除できる。ナオは状況に飲み込まれず、残り時間を分かったうえでダウンを選んだ。

 

ハンマーナオが相手でなければ、或いは第1ラウンドK.Oを狙えた。

 

(勝ち筋が薄いのは……いつものことだ)

 

カウント9、立ち上がったナオは冷静に構える。

再開が言い渡され、板垣は浮かれる様子もなくナオを観察する。

 

(分かっちゃいたけど、本当に効くパンチだけは守られてた。ガードの技術が京介と戦ったときよりも上がってる)

 

手に残る感触のなかに手応えのあるものは少ない。本当に倒したのなら、もっと心の底から湧き上がるものがある。それがない時点で、巧く抜け出されたと板垣は見ていた。

ここで第1ラウンド終了のゴングが鳴る。

 

『挑戦者、日本タイトル第1ラウンドを圧倒!

しかし惜しかった、あと少しで第1ラウンド連続K.O記録更新成らず!だが第1ラウンドを越えたことは王座獲得への大きな前進となるでしょう!』

 

ダウンを奪い、奪われながら両者は第1ラウンドと変わらない心境で自陣に戻っていく。

 

(ま、先ずはこんなもんですか)

(けど、勝つ方法はゼロじゃない)

 

以前、勝利路線を突き進む2人。

観客たちの賑わいを他所に、リングのなかは想像以上に肌が焼けつくような雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

 

コーナーに戻ってきたナオが座り、八戸は激励の言葉をかける。

 

「あそこでダウンしたのは正解やった。あと10秒打たれてたらレフェリーストップされても可笑しくはなかった」

 

あまりにも一方的とレフェリーが判断すれば、試合を終了される。それをダウンによって回避したことで、レフェリーが飛び込むことを止めていた。

 

「ほぼ勘でしたけどね。流石に、あそこまでされると対応が追いつきませんでした」

「あぁ、フィジカルにスタイルが合致しちょる。けんど、あんなにフリーなボクサー、もう心当たりはついとるんやなかか?」

「ウォーリーくんに似ています。スタイルも、成長途中というところも。だからこそ、僕は諦めるわけにはいきません」

 

呼吸を整えて、泥臭い幕之内の試合を思い出す。

あの試合と違うところは、まだ板垣の本領が未完成に過ぎること。いまのままでも驚異だが、遥か高みにいけてはいないと感じていた。

 

この日のために自分を磨いた。

板垣の試合を何度も観た。彼が負けた最初の試合も、強くなった牧野を倒すために”誰”を参考にしたのかも分かっていた。その糧を胸に抱き立ち上がる。

 

「僕に出来ることを全て出し切ります」

 

ウォーリーに諦めず喰らいついた憧れのボクサーのように、ナオもまた決死の覚悟を持ってコーナーから立ち上がって行った。

 

 

 







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