鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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過去と現在、そして自分自身

第1ラウンド終了のゴングから、インターバルの1分間。板垣の意識はしっかりと篠田の言葉を聞き入れていた。

表情は引き締まっている。しかし…。

 

「なあ、板垣のやつ集中してんのか?」

「さっきは凄かったけどよ、いまはあんましだな」

「1ラウンドK.O記録破って気が抜けたか?」

 

観客たちからは先程の集中力が途切れたのだと思うほど、集中している状態には見えない。集中状態とは一点に注がれるもの。そういったイメージは決して間違っていない。

 

「よーし」

 

呑気、しかし板垣らしい呟き。

ぴょん、なんて音を立てて再始動する姿に疑惑は強まる。

 

それが、板垣にとっては有り難くもあった。

観客の声すらも聞き届けられるほど、自分の脳は処理能力があるということの証明だ。あらゆる雑音が板垣の集中力を高める鍵となる。

 

(次は逃がさない)

 

漂白する面。

全てを取り込む聴覚。

いま、板垣 学の思考は景色と重なる。

自らを、他者を、そして王者を置き去りにして、なによりも情報収集を最優先に脳が働く。

 

そして、無意識下で脳に働きかける。

”放せ”と。

その正体は───。

 

『またも開幕飛び出した!先程よりも速いッ‼︎』

 

第1ラウンド開幕と同じく、先手を奪いに脚が風を鳴らす。現実味を噛み殺し、王座の襲名に手を伸ばすのに1秒しかかからず。

深い視線を押し潰すように、王者は右腕で顔を隠し、姿勢を低くして強襲に備えていた。

 

『しかし王者、これを当然警戒していた!

さあ、どうする挑戦者!?』

 

振り向きながら、その影を見ることもなくナオは左ボディを隠すように放っていた。不意を突く唯一の機会だと狙ったそれは、やはり空振りに終わる。左の外から鞭のように放たれるジャブによって失敗を言い渡された。

 

第2ラウンド、開幕とともに行われる攻防を手にしたのは板垣。そして、追撃は再び幕を開ける。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

「ハァ、ハァ……く、ッ!」

 

疾走する拳、弾かれる頭。

空振る音と打撃音が重なり、リング上でぐしゃりと軋む足音がダメージの蓄積を轟かせる。

 

第”3”ラウンド終盤、ナオは板垣に触れること出来ず。

 

(当たらない…!

時間の見え方が明らかに1段階違っている!)

 

レフェリーストップが入るギリギリのところで踏ん張り、ボディ打ちをする。全てが躱され、カウンターを浴びる羽目となるがある程度は割り切っていた。

その考えも2ラウンド半ばまでのこと。再びインファイター殺しに移ったとき、即座にダウンへと逃げたはいいものの、そこから先はより板垣の集中力を高めることとなったのだ。

 

「3ラウンド序盤のダウンは流石に終わったと思いましたが、なんとか持ち堪えていますね」

「ハンマーナオの起こす行動全部、見たうえで封じ込めてる。本当に、板垣くんはすごいよ……」

 

2度のダウンを奪われながら、首の皮一枚を繋ぐ攻防に2人は胸のうちが熱くなる。どちらにも勝ってほしい。だが、それを口に出すことは絶対にしない。ことの行く末を見守ることだけが、彼らと戦った者のできる礼儀なのだ。

 

「板垣、強えぞ!」

「チャンピオン触れも出来てねえ!」

「どっちが挑戦者か分かんねえぞ…!?」

 

観客たちも口々に言う。

反論も出来ないほど、2人の差は歴然。

 

(まずい…本当に、これ以上は耐えられないっ)

 

ガードを固め、数発のパンチから身を守ったところでゴングが鳴る。漸く、呼吸を忘れるほど長い第3ラウンドは終わりを告げた。

もうこれ以上の試合継続は困難。誰が言わずとも、次のラウンドで勝負が決まることは明白な総意だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンマーナオ。

またの名を、山田 直道。

 

(僕が彼のことを知ったのは、先輩とハンマーナオの試合のとき。先輩から聞いた容姿と、実際に見た姿が違いすぎて驚いた)

 

板垣が鴨川ボクシングジムへ入門するより前。

山田 直道は練習生として、幕之内たちの練習メニューを共に熟した数少ない人間だ。残念ながら軽々とではなく、あだ名の”ゲロ道”の通り、ゲロを吐きながらではあるが。

 

(反則を使うけど、巧すぎて戦慄したのを覚えてる。僕が実行できるのか自信がないくらい、ハンマーナオのボクシングは荒くて、完成されたものだった)

 

そんな話を聞いていた手前、幕之内が負けるとは毛ほども思っていなかった。だからこそ、反則をしてでも勝とうとする姿に怒りと、そして別の感情をボクサーとして持っていた。

あの貪欲さを、当時の板垣は本当に理解していなかったのだ。

 

(あの試合のあと、僕はデビュー戦で負けた。牧野さんにバッティングとエルボーでダウンを取られて、プロの厳しさを痛感した。あのとき、既に僕はハンマーナオのことを侮蔑とは違う目で見ていたんだと思う)

 

理解したとき、板垣は地面に這いつくばっていた。

泥を飲まされる錯覚を思い出したのは、雑音のなかでミット打ちをしているとき。バカみたいに騒がしい世界が、牧野に反則勝ちをされて抗議した直後の観客と重なったのだ。あの時ばかりは口のなかに砂利を放り込まれたような、苛立ちに似たものを感じたが…。

それ以上に、ハンマーナオと似た世界だなと思った。噛ませ犬などと呼ばれて試合に臨む彼の心境は、きっとこの悔しさの数十倍なんだと。

 

「京介に勝てるやつは日本ランカーにいない。そう思って、負けてからも時間があると思っていた自分がいます」

「板垣…………」

 

コーナーで、篠田にそう言う。

 

ボクシングの厳しさを漸く知るのは、プロの世界に飛び込んでからだ。場所が違うだけで、ハンマーナオも想像を絶する道を辿って夢を掴み取った。

 

(そんなボクサーは、完成された泥まみれのスタイルを捨てて京介に勝ったんだ。僕がやり遂げたいK.O勝ちを奪ってみせた。

悔しくて、羨ましくて…最後に尊敬が残った)

 

幕之内 一歩の後輩。そんな生温い共通点だけではない。

2人にとって、プロの世界に踏み入れてからの苦痛は図らずとも似たものとなっていた。そこから、夢を掴み取るまでもが…。

 

「間違っていた……。もう、1試合たりとも無駄な時間は過ごせません。ジムの先達者に腑抜けた顔は見せられない。胸を張って、僕のボクシングで倒します!」

「あぁ、しっかりと見せてこい。

悔いも不安も残さないような、新しい板垣 学を全部出しきるんだ!」

 

力強く背中を押されて、応えるように勢いよく立ち上がる。

 

想いと現実を行き来して、最後のインターバルが終わりを告げた。

 

(この試合で引退する貴方に、僕の全霊の感謝とお礼を伝えなきゃいけない)

 

板垣 学が尊敬する、もう1人の先輩へ報告する。

共にボクシングをしてくれることで、自分の新しい路を見つけられたことを。

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