鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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去る者の伝言

ずっと信じて進み続けた。

 

板垣 学のボクシングが未完成である、と。

 

最大まで高めた集中力にいつか見放される、と。

 

板垣の性格を鑑みて。ハンマーナオは未完成では通じないことを教えるために、試合中に集中力を切らせるためだけに足掻き、そして目的を果たしてみせた。板垣の集中力を捻じ伏せる、渾身の敗北を贈ることが出来た。

 

『いま、数秒置いて歓声が轟く!試合に幕を閉じようとしたリングを掻き分けて、王者の一撃が挑戦者を王座から突き放す!

ここに、ハンマーナオの勝利が決定しました!』

 

日本フェザー級タイトル挑戦が終わりを告げる。

それはハンマーナオとしての現役に幕を閉じるということ。憧れの人がいる世界とのお別れを意味する。

 

(もうリングに悔いはない。僕は全てをやりきった)

 

視線を向けた先は幕之内 一歩。

瞳の隅に涙を溜めて拍手を送る姿に、ナオもつられて涙が頬に滲む。

 

 

歓声にお辞儀で応えながら、まだ闘志が冷めることはない。なぜなら、最後の大勝負がまだ残っている。

 

(だから、先輩にも後悔はしてほしくない)

 

堅い決意を胸にリングを降りる。

 

憧れの人から暖かいものを貰い続けてきた。

今日、ハンマーナオは原点を守りにいく。

山田 直道として始まり、ハンマーナオのいまに至れた、愛する世界を守るために。

 

 

 

 

 

 

王者、ハンマーナオの勝利と引退を祝福で包む会場の隅。手摺りにダラリと身を預け、3人分の場所を取るマナーのない男がいた。

 

「あーあー、なっさけないな、板垣のやつ。最後の最後に油断するなんざ三流!タイトルホルダーなんざ夢のまた夢だぜ」

 

無礼な男、鷹村 守は敗れた板垣にため息を掛けて、もう興味を持たないと眠たそうに欠伸をする。

 

「おい、あれ鷹村だろ」

「後輩が負けたってのに酷いな…」

「人のこと言えた口じゃねえだろ…」

 

周囲の観客たちはボクシング好きだ。鷹村のことを知らないはずもなく、後輩とはいえ失礼極まりない態度に呆れ果てていた。とくに、最近は鷹村の強さについて”最強”から離れつつある話題も知っている。膨れ上がる横暴な態度に冷ややかな視線が増えるのだが。

 

「あん、どういう意味だ!」

「やべっ、逃げろ!」

「けっ、雑魚どもはコソコソするのが好きだねぇ」

 

本人はソレに未だ気づいていないらしく、捻れた感情を振りかざし続けていた。

 

有象無象を吐き捨てると会場をあとにする。

後輩の試合が終わり帰宅…とは今夜はいかない。

今度は違う後輩に呼び出され、しかも引退に合わせて会いたいと言われれば鷹村の重い足も動くというもの。

 

 

───

 

──

 

 

 

鷹村が出向いた先は河川敷。

見慣れたランニングコースをゆったり歩いていると、目的の人物が河辺に佇んでいた。

会場で待ち合わせなかった理由は察しがつく。

今夜くらいはワガママを聞いてやろう、という珍しく寛大な心でいたのは奇跡に等しい。

 

「それと比べて、お前は良く這い上がってきたと思うぜ。

板垣相手に良くK.Oしたじゃねえか、ゲロ道」

「ありがとうございます、鷹村さん。

そして、お久しぶりです。いつも試合観てますよ」

 

山田 直道…ハンマーナオが人当たりの良い表情で挨拶をする。

彼にとってこの河川敷は幕之内たちと走った思い出の場所だ。ここからボクサー人生が始まったなら、ここに来て最後を迎えるのは心地の良いものだろう。

鷹村は周りに目を向けることなく、夜空を見上げて返事をする。

 

「ふん、ミドルでやるのは飽きた。そろそろ上がりたいってのに、上のやつも逃げてるらしくて嫌になる。

んで、試合後に俺サマを呼び出すとはどういう要件だ」

「ボクサーを引退するとき、鷹村さんに質問しようと思っていたことがあるんです」

「引退すんのにまだ習い足りないか?

せっかく板垣相手に防衛成功したんだ、あいつの弔いも兼ねてなんでも教えてやるぜ!」

 

けらけらと笑う姿に、ナオはかつて鷹村たちと過ごした練習風景を───

 

「アナタ、誰ですか」

「───あ?」

 

いまの鷹村に重ねることは出来なかった。

ゲロを吐きながら、それでもボクシングをしたいと思える日々。憧れである幕之内が共に駆ける姿はどこにもない。

だから遠慮なく、思ったことを相手にぶつける。

 

「おい、聞き違いかゲロ道。

いま、俺サマを馬鹿にしたのか」

 

雰囲気の殻が吹雪に変わる。

鷹の瞳が獲物を見る目で返事を問う。

 

「こ、こちらのセリフです」

 

それでも足はすくむし声はしぼむ。世界王者だから怯むのではない。ここで言葉1つ間違えた瞬間、修復困難な亀裂に最後の一押しをすることになるのだ。

 

(いまさら弱気になるなっ!

怖いのなんて、百も承知だ!)

 

鷹村を前に気圧される心を奮わせ、それでも立ち向かおうと声を上げた。

 

「せ───」

 

捻り出した声を、閃光も散らす物量がナオの顔面スレスレを横切る。

 

「いま訂正すれば、引退に免じて忘れてやる」

「っ、う」

 

ジャブを振り抜いた鷹村は、もう次はないと目で圧す。

 

隠しもしない爪。

次の瞬間には獲物を八つ裂きにしてしまう。鷹村の拳は、そんな誤った用途に舵を切っていた。

確かに言い方は誤解を生むものだった。怒りを買っても仕方がない。粘度の高い感情をぶつけられる覚悟はある。

 

けれど、心は上手くいかない。

すくんでしまう気持ちに、思わず目を閉じてしまい。目蓋の裏側で、かつての鷹村のジャブを思い出した。

 

(………そうだ、これは間違っている)

 

勢い良く目を開く。

確かに目の前の鷹村は、ジムで共に練習していたときよりも迫力がある。だが、どんなときでも暖かいものを持っていた。いまの冷酷さだけの人間じゃなかった。

幕之内がゴンザレスに敗北したとき。鷹村の言ったセリフをナオはいまも覚えている。

 

”限界が来てるんだよ、一歩の身体は。

──────だからもう、諦めろ”

 

あれは不器用な慰めじゃない。鴨川ジムの結束を砕く、許されざる非道だ。思い出した以上、もう一歩も退くことは出来ない。

 

「世界前哨戦、幕之内先輩が負けたとき、アナタはなんて声をかけましたか」

 

ピクリ、鷹村の眉が動く。

 

「……さあな。お前には関係ないだろうが」

「『あいつは打たれ過ぎた。ガードの下手くそさは天下一だろうな。次、世界で戦えばガラクタになる。

限界が来てるんだよ、一歩の身体は。

──────だからもう、諦めろ』です」

 

あの日、暗くなった控え室の前で鷹村が言い放った言葉。

 

「…だったらどうする。ヤツの限界が見えた試合だ、あれで復帰してみろ。あのままリカルドに挑んで死ぬだけだ」

「だからって、追い討ちをかける必要はどこにもない。先輩を貶したことに意味があったんですか。

僕が知る鷹村さんは、負けたボクサーを……それも、自分の後輩を本心から蔑むような発言はしなかった」

 

鷹村のプレッシャーを前にしながら、手探りで”鷹村 守の声”を拾うために危険地帯の中心へ駆けていく。

幕之内に憧れる人間がいるように。幕之内が鷹村を尊敬していることは良く分かる。鷹村もまた、一歩のことを可愛がっていたのをナオは…直道はよく知っている。

 

「…」

 

だからだろう、鷹村は誘われたことを後悔するように舌打ちをする。

 

「どうして、自分のことを虐めているんですか?」

「………」

「このままだと皆んな、ジムから出ていきます。誰でもない鷹村さんを嫌いになってです!

これが貴方が観てきた景色だって言うんですか?

世界王者になったあの瞬間は嘘だったんですか!?」

 

放たれる言葉を聞く鷹村。

放つごとに表情は消え、目元を暗くしながら直道を見据える。

微動だにしなくなった相手に、手応えを掴めず静かに手が震える直道。

 

彼の不安をよそに、鷹村の脳裏には、ひとときの思い出が流れていた。

 

”この世のモノとは思えない美味さなんだよ”

 

鴨川ジムの窓に座る世界王者。口にした握り飯を思い浮かべて、後輩たちへと自分の想いを表した感謝の言葉。

また、あの頃の自分を思い出して

 

「ちっ」

 

気づけば舌打ちを零し、握り拳を作っていた。

あの頃は綺麗なものが沢山あった。だから気づくこともなく平穏だった。

あのままずっと、とある可能性に思い至らなければ違った未来があったのに。

 

そんな、苦い口元を隠しもしない鷹村を見て、直道は確信を得る。

 

「いまの貴方は脆い。負けたら、もう立てない」

 

次の瞬間、自分は死んでいるだろう、と。

そして、鷹村が最も嫌煙する核心を突く。

 

「──────死ね」

 

敗北の2文字を否定するために、鷹村は咄嗟に…理性が堰き止める間も無く右拳(怒り)を放った。

暴力を振るう限度くらいは弁えているつもりだった。直道の声が、遠慮ない瞳が鷹村の誇りを刺激し、現実に向き合わせた瞬間。本能がいまを拒絶するように、直道の顔面へと右拳を打っていたのだ。

 

「…………テメェ」

 

右拳が減り込んだ場所を見て、鷹村は怒りを飲み込むしかなかった。

直道の左腕がガードを果たし、それでも突き抜ける衝撃で口から血が垂れる。左腕の骨が笑い、視界は呑気に踊る。

 

「この手は、強い。

先輩たちが惹かれるのも、すごく分かる」

 

歯軋りは意識を繋ぎ止めるため。

下唇を噛んだのは一生後悔しないため。

 

「なら、もっとワガママを言う相手がいるでしょう!」

「………っ…」

 

鷹村が突き出した右拳を、ナオの右手が包むように握る。

 

「むやみやたらに噛みついて、本心を偽ったままじゃ前に進めません!

よく見て…誰も鷹村さんを見失っていない!」

 

そのまま、覚束ない右手を離す。

 

「鷹村さんが…鷹村 守だけが独りなんだ!」

 

一歩踏み出して、ゆっくりと拳を作り、鷹村の胸に打った。

 

鷹村は反応できなかった。

止められるはずの、繰り出された右拳が胸に刻まれる。

 

「…」

 

鷹村が共に練習した山田 直道なら当たるはずの無い拳。

 

だがこれは、打つためではなく、伝えるための拳。

世界を獲るよりもずっと前の記憶を、ただ願うだけの拳が呼び起こし…。

 

「皮肉なもんだ。同じいじめられっ子でも、背中を見る視点は違ったか」

 

その言葉に答えは返せない。

だが、逆に証明することもできない。

鷹村が変われる可能性を誰にも否定させない。

 

踵を返した鷹村。

離れていく後ろ姿を直道は見送る。

自分が鷹村に出来ることは全て尽くしたから。

 

「やっぱり、僕だけじゃダメでした…」

 

手応えはある。

あの鷹村 守に言葉が届いた確信がある。

 

「だけど、”明日”なら…鷹村さんの目が見えるようになるかもしれない」

 

言葉よりも饒舌な拳に押されて、ナオも踵を返して歩き出す。

 

 

 

ここから先にある この物語の分岐点(はじめの一歩の分岐点)を綴り、原点から飛び出していこう。

 

 

 

 

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