鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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ジショウ最強

 

 

「もう日本タイトルには挑みません」

「板垣…なぜだ」

 

鴨川ボクシングジムの事務所。

今後の方針を話すために呼び出した板垣の開口一番だった。

 

「タイトル挑戦に回数制限なんてないんだよ!?」

「もうタイトルマッチは簡単に組めないと思います」

 

口惜しそうに、大人の事情を見ながら言う。

 

「言いたいことは分かる。あの試合、少なくとも東太平洋(OPBF)タイトルマッチに匹敵する激闘じゃった。

いまの日本フェザー級ランカーに貴様ほどの実力者はおらん。敬遠され、タイトル挑戦を先延ばしにされるのがオチじゃろう」

「……くっ」

 

篠田も分かっていた。

次、板垣がフェザー級でタイトルマッチを組めば必ず勝つ。王座は直ぐそこにあるのだ。少なくとも、2度も失敗していなければ。

板垣には東洋ランクがあり、国内に留まるなら戦場を変えろという圧力は増していく。目の前にあるのに手に出来ないタイトル。篠田自身悔しい気持ちはあるが、それ以上に悔しさを呑み込んだのは板垣だ。ならば納得するしかないだろう。

 

「ならばこれからどうする。

なにか、展望は考えてきたのじゃろ」

「京介は最短であと半年後にはOPBFタイトルに挑戦出来ると言っていました」

 

ピシリ、空気に亀裂が走るのを篠田は察知した。

 

今井 京介の次の狙い…相手は宮田 一郎。

 

(やめてくれ板垣ッ‼︎ここでその話題はまずい…)

 

宮田 一郎。

かつて鴨川ジムに所属し、幕之内との試合を望み鴨川ジムを出て行った。そして、東洋で拳を交えるはずだった舞台を、彼自身の都合で断り、鴨川に二度と試合を組まないと怒りを買った。

誰でもない幕之内の期待を裏切った彼の話題は、鴨川にとって禁忌に等しい。

 

「格上と戦いたい。これが、僕が強くなる方法です」

 

板垣は日本タイトルを諦める覚悟として示した目標だ。遠回しに、日本タイトルを取っても強くなれないと言う。驕っているように見えて、真っ直ぐに鴨川を見据える板垣。

 

滝のような汗を流す篠田。

鴨川も意味に気づいている。

雷が落ちる、そう思った直後。

 

「………そうか」

 

板垣の理由を受け取った鴨川は深く、ゆっくりと頷く。

 

「ワシはなにも言わん。決めるのは篠田くんじゃ」

「は、はい……!」

 

厳かに告げる鴨川へ、背筋を伸ばして返事をするのがやっとだった。

 

 

 

 

板垣たちが事務所にいるとき、青木と木村はジムのベンチに腰掛けていた。

彼らの顔は優れない。

青木は気力が削がれている。ここ最近、試合でK.Oを出せず、泥試合の末に勝利しているせいだ。

 

一方で木村は心身ともに消耗していた。

試合結果が奮わない。減量苦を抱えながらの試合は直近、引き分けで終わっている。相手が特別に強かったわけではない。間柴や沢村、ましてや青木の実力にも届かない。本来なら余裕で勝てる試合で勝利を逃した。

その事実から立ち直れず、試合後の体調が戻ることなく過ごしている。

 

「まさか、ゲロ道が板垣をK.Oするとはな」

 

乾いた木村の喉が掠れた声を出す。

昨日に行われた元後輩の試合を2人も観戦していた。

 

「本当に驚いたぜ。あのゲロ道がなぁ…」

 

俯く木村の声に応える。

疲れが抜けない彼を気遣い、短く相槌を打った。

 

「そりゃ、引退もするよ。あいつの顔、すっげぇやり切ったって言ってる」

「あぁ、先輩として嬉しい限りだ」

 

遠い場所を見ながら、引退するボクサーの表情を思い出す。思い残しのない、清々しい横顔が鮮明に過ぎる。

あの表情を見て、我がままにも羨ましいと思う。次に祝福して、最後に出てきたのは自分のことだ。はたして、あと1度でもタイトルマッチに挑戦出来るのか、と。

何度も思ったことを肯定する材料を探して、ついに見つけたものを取り出した。

 

「…………なぁ、これ」

 

木村が出したのは発売したばかりのボクシング雑誌。付箋が貼られたページを青木はめくると、デカデカと一面を飾る1人のボクサーがいた。

 

「知ってるか、いまのジュニア・ライトに現れた新星」

 

”圧巻の全日本新人王獲得‼︎その左に神を見た⁉︎”

 

選手の名は柳洞(りゅうどう) 疾景(とかげ)

セコンドの名前を知ると、青木は生唾を飲んでしまう。

 

「こ、こいつ!沢村 竜平!?この沢村って、あの?」

「あぁ、そうだ。いつの間にかトレーナーになってやがった。…疾景ってのがよ、あの時の間柴よりも強いんだ」

 

記事に目を通し終えると青木の表情が曇る。

”国内ランカーで最も美しいワンツー”、”既に世界が広がっている!”。疾景を褒める文があちらこちらに並ぶ。なかでも気になったもの、それは。

 

”神話の左、竜の右”だった。

 

「…また厄介なモンを持ってやがるな。

けどよ、まだランカー10位に入っただけだ。木村が先にタイトル取っちまえばいいんだよ!

それにもし戦うとしても、間柴の左だって攻略してみせたんだ。今度だってお前ならなんとかできるって!」

「………今回は間柴とは訳が違う。潜れば右が待っている。もう、どうすりゃいいか分かんねぇんだ」

 

ベルトに手を伸ばしたい一心で木村が見つけたもの。

それはジュニア・ライト級の日本ランカーが絶望するような記事。木村が見る限り、疾景に勝てるボクサーは国内にいない。駆け上がるようにベルトを巻くだろう。

 

「分かってる、さっさとベルト巻いて引退すりゃいい。そうすりゃ、今の俺じゃ勝てやしねぇヤツと戦うこともない」

 

それが出来ない。

もう、今の自分に駆け上がる気力がない。

試合をするたびに泥を被り、遠ざかるベルト。3センチメートルの差で済まなくなったのだ。

 

「………こんなこと言うやつに、チャンスなんざ来るわけないのによ」

 

肩を落とす木村の横顔に覇気はない。

それは青木も似たようなもので、木村の心象が痛いほど理解できる。だからこそ現状を変えたいと思うのだが、思って出来るほど簡単にはいかない。

 

いま欲しいもの。

青木が伊賀 忍への再戦を望む手前、言葉にはしない。

しないが、木村は探していたのだ。

いまから逃げる理由……引退の口実を。

 

「おい」

 

密かに求める引退の理由は直後に現れた。

 

「鷹村さん、おつかれっす」

「どーしたんすか、元気ないですね」

 

2人の前に立っていた鷹村。

挨拶をするが、彼の機嫌が最悪なことに気づくのに遅れた。

 

「舐めてんのか、テメェ」

「ぐあっ!?」

 

一瞬のうちに木村は胸ぐらを掴まれて、身体を持ち上げられていた。

 

「弱音吐く暇があったら練習しろ。

そんな覚悟でここに来てんじゃねえ、邪魔だ」

 

亀裂が入る。

堅い信頼で出来上がった繋がりに、ずっと潜んでいた亀裂が表面に浮かび上がった。

 

「ま、待ってくださいよ鷹村さん!

木村はちょっとナイーブになってるだけです!そんなことしたら余計…」

「だからどうした。独りで片付けるならまだ良い。だが、テメェだけの感情で周りの気分が滅入ったらどう責任取るつもりだ」

 

木村を乱雑に放り投げながらジム内の温度を下げる鷹村。

彼の圧力は直ぐにでも手を出すと言わんばかりだが、そんなものを気にできるほど青木は冷静じゃない。

 

「それでも、言葉くらいは選べよ!

自分の言葉の重さくらい分かるでしょう!?」

 

ジムに来てまで見せる姿ではないことを青木も分かっているが、蹴落とすよりも一発背中を蹴ったほうが早いし、それが鷹村だ。

ここまで尊敬し、背中を追い続けた男の言葉なら。向けた意味に応じて色は濃ゆく、木村を呑み込んでいく。いまの鷹村は木村を蹴り起こすのではなく、蹴り落とす態度でいる。

 

それは分かっていたから、早く連れ出せば良かった。

 

「真心込めて慰めりゃあ、次の試合は絶対に勝てるのか」

「うっ…」

「ここまでで夢の1つも出来ただろ。追いかけられなきゃここで捨てろ。夢が叶わない奴の末路(けじめ)だ」

 

言い返す言葉に詰まる。

青木は、伊賀への再戦も、日本タイトルの獲得も諦めたわけではない。望んでいるが、ここまでの戦績に信憑性がまるでなかった。木村も同じことで項垂れたまま声を出さない。

 

「どいつもこいつも……俺サマの邪魔ばっかしやがって。

ちんたら歩いて、先に行くヤツの重荷になってんじゃねえよ。勝てないんなら退け、さっさとここから降りろ!」

 

言い返そうとした。

喉の奥から出てくるものは情けなさ。

悔しいが鷹村の言葉は正しくもある。

 

(正しいけどよ、これでいいのか…木村)

 

沈黙し続ける木村に視線を向けたとき。

ジムの扉が開き、鴨川たちがやってくる。

 

「騒がしいぞ貴様ら!騒いどる暇があるなら練習を…」

 

鴨川の怒声を聞いて、木村は勢いよく立ち上がるとジムを出て行った。

 

「あ、おい木村!待てって!」

 

困惑する篠田を他所に、青木は鷹村にひと睨みする。

 

「なにしてんだよ、アンタ。

そんなに俺たちを追い出したいのか?」

 

青木が問いかける。

答えるまでもないと態度で示す鷹村を背にして、青木は篠田の制止を聞かずに木村の後を追った。

 

「ど、どういうことなんだ!?」

「ほっとけ。これがあいつらの選択だ」

 

すっかり寂れた拳を握り、鷹村は独りリングに上がった。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

 

「俺…引退します」

 

木村 タツヤは事務所で鴨川、篠田、八木にそう告げて、篠田の説得を聞く暇もなく立ち去っていった。

 

 

 

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