鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

51 / 127
カウントのないリング

 

 

「そんなことが……」

「様子を見ていた後藤の証言じゃ。練習生はそのまま帰り、板垣は鷹村のあとを追っていきおった。

青木たちを振り解いた鷹村の表情は暗かった。そんな顔で、『俺は負けねえ、ジジイ。だからアイツはもう見るな』と呟いたんじゃよ」

 

ボクシングの熱意に欠けたジムを見渡して、力なく鴨川はことのあらましを説明し終える。

 

間に合わなかった…?

いや、自分がいたとして、なにが出来ただろうか。こうして考えている時点で鷹村さんを止めることは叶わない。ジムに来たのは、鷹村さんが何処を見ているのかを見極めるため。彼を引き戻す言葉は手にしていない。

 

悔しさでぐっと拳を握る。

励ましの言葉も見つけられないまま、鴨川が話題を持ち出した。

 

「知っておるか、タオル投入疑惑を」

「え、えぇ。数日前に出た記事なので目は通しました。ですが、バイソン選手側から抗議の声は出ていません。完全な言いがかりですよ」

「数年前から様子のおかしかった鷹村じゃが、あやつの言葉を聞くにあの記事が最後の一押しと見るべきじゃ。

………これなら、説明もつく」

 

首を傾げた幕之内に説明を続ける。

 

「あのとき、鷹村の負けと判断した。全てを覚悟のうえでタオルを投げた…つもりでいたんじゃ。鷹村が勝ったことで、その覚悟を有耶無耶にしてしまった。

責任を先延ばしにして、ワシは鷹村を虐めていたに過ぎん……」

「そ、それは───」

 

考えすぎ、と言おうとして口を閉じる。

励ましたいからと簡単に否定するものじゃない。会長が感じたままを口にしたのなら、遠からず当たっているものだ。鷹村さんと会長のこれまでの絆を見てきたからこそ断言する。

 

会長がタオル投入に想いを注いだように、鷹村さんも沢山思い悩んでいるはずだ。望んで苦しむなんて、鷹村さんは絶対にしない。

 

「のう小僧……こんなワシの言葉が、あやつに届くと思うか。ワシの手の届かぬところにいる、鷹村に」

「そんなの、当たり前じゃないですか。

会長にしか届けられないものがあります!」

 

嘆く鴨川に、間髪入れず返事をする。

だって鷹村さんは、会長のひと声で動いてきたんだ。

そうだ、いつも鷹村さんは会長のために走ってきた。

鷹村さんが忘れてしまったなら、思い出させるしかない。

 

「会長、ちょっとだけ待っていてください。

鷹村さんは僕が必ず連れて来ます。

僕も、伝えたいことが沢山ありますから」

 

おぼろげな手掛かりを探すことを、幕之内は力強く宣言した。

 

この日の夜、木村 タツヤが引退した。

 

 

 

 

『前を向いているフリをしている』

 

直道の言伝を思い返した幕之内は、鷹村がいま何処を見ているのかを探すことにした。本人に直接聞くわけにもいかないため、鷹村の試合を過去へ辿っていく。

 

辿って、辿って………。

丸一日、鷹村のデビュー戦まで穴が空くほどに観た。

 

「ちょっと、目の下に隈が出来てるじゃない。

やりすぎよ……」

「け、けど成果がなにもなくて」

「ワガママ言わないの、布団は準備したから寝なさい」

 

画面に一日中張り付く我が子を叱る。なんとか話を逸らそうとする幕之内だったが、母親が心配する顔を見てあえなく折れた。

軽く食事を済ませ布団に入る。すると目蓋が重くなり、驚くほど直ぐに眠りへとついた。

 

 

───

 

──

 

 

 

ずっと鷹村さんの試合を観ていたからだろう。

夢を見ていると自覚したとき。

 

”これが出来たら、ボクシングを教えてやるよ”

 

早朝の河川敷で立つ自分と鷹村を認識した。

 

『…葉っぱ、10枚…』

 

ボクシングを始めるため、プロになりたいと鷹村に伝えた日。鷹村が素人には不可能な壁を用意した瞬間から、幕之内の可能性は拓いたのだ。

 

『も、もしですよ…?いま、出来ちゃったりしたら…?』

『どあほ。いじめられっ子のお前に出来るもんか!

けど、そうだな。もし出来たら… 会長(ジジイ)も喜ぶだろうぜ』

 

こんな会話はあり得ない。

当時の幕之内が言えるセリフではない。

現に鷹村のセリフは後半聞き取れなかった。

だが、幕之内は喜んだ。鴨川の名前を出す鷹村が曇りのない笑みを浮かべていたから。……だから、この夢に身を委ねてみようと思った。

 

木を揺らして、落ちてきた世界を───。

 

『で、出来た、出来ました鷹村さん!』

 

嬉しくて顔を上げる。

幕之内の両手に溢れるほど掴まれた葉っぱを見て、鷹村はゆっくりと目を瞑り。

 

『──────』

 

感嘆の言葉を呟いて、感慨深く幕之内の手のひらを見つめる。鷹村からの信じられない称賛を言われた気がしたが、いまの鷹村と乖離しているのかなにも聞こえない。なにを言ったか聞こうとぐっと近づいたとき。鷹村の視線に少しの妬みを感じた。

 

『え、あ───』

 

夢が終わる。

早すぎる幕引きに逆らうことは出来なかった。

 

幕之内は夢にも思うまい。

かつての鷹村が言ったことは幕之内へ向けたものではない。

鴨川が自分を拾ったとき、喜びがあったのならコレなのだろう、と。恩師にしか分からない喜びの共有。

そして、いまの鷹村が向ける嫉妬心への理解だった。

 

そうして、IFは夢ごと霧散した。

 

 

 

 

夢を見た。

確信したのに内容はうろ覚えだ。

ボヤけた内容を忘れないために必死に感想を探して。

 

「…いまの鷹村さん、寂しそう」

 

ぼそり、出てきた言葉。

心があれば、日を経てば変わるものもある。思想、夢、目標、そして人間関係。鷹村の人間関係は出会った頃と比べ、ずっと広く深いものになっている。そのはずなのに、いまの鷹村を見て、ふと”寂しそう”と思った。

 

「どこかに行っちゃうんですか」

 

あり得ない話じゃない。

事実、鷹村との心の距離はぐんと離れている。

 

「そうだ、木村さんは大丈夫かな」

 

とにかく動こうと思ったとき、木村の様子が気になっていた。

凄く嫌な胸騒ぎがして、昼食を急いで掻き込んで家を飛び出した。

 

 

ダダっと走って数十分。

 

 

木村の家に着くと、顔に湿布を貼った青木が出てきた。

 

「青木さんも木村さんの様子が……って、その顔どうしたんですか!?」

「おぉ幕之内か。鷹村に文句言いにジム行って、殴りかかったらこのザマよ。まったく情けねえなぁ」

 

頬を掻きながら言うが、内容はとんでもないことだ。

青木はそれよりも、と言って続ける。

 

「あの人、なにか隠し事してるよ。それを言わず、木村に当たり散らしたんだ。ひとりで抱え込みやがって、くそ…腹が立つ」

「そ、そのことなんですけど…」

 

青木は鷹村の異変に気づいていた。

内容は分からず、話もしてくれないまま爆発した鷹村に。そして、止めることも出来なかった自分自身に怒りを抱いていた。

解決の糸口になればと思い、直道から聞いた話を青木に伝えた。

 

「ゲロ道のやつ最後まで格好良いじゃねえか。そうか、本当にあのゲロ道は成長したんだな」

 

聞き終えると、嬉しそうに笑う。

 

「山田くん、ジムのことを心配してくれてました」

「あぁ、手に取るように思い浮かぶよ。ここまでしてもらっちゃ、ずっと鷹村さんを見てた俺らがうかうかしてられねえ」

 

ばっと暗い顔を吹き飛ばし、青木は木村の家から出てきた経緯を語った。

 

「結局、昨日は木村のやつ顔を見せなくてよ。今日も来てみりゃ、どこかに出かけたってさ。俺は木村を探す。幕之内は休養の片手間、鷹村さんの異変を探ってくれ」

 

そうしてこの場は解散し、幕之内は家に帰った。

 

夕方、青木から電話がきた。

今日、疾景が両国国技館で試合するとのことで、もしかしたら木村が行くかもしれないとのことだった。疾景のことは知らない幕之内だったが、急いで合流して手分けして探すことになった。

 

 

───

 

──

 

 

 

試合はジュニア・フェザー級8回戦まで進んでいた。

木村さんの目当ての試合はもう終わってしまっている。だけど会場の何処かでまだ観ている可能性もあるから、急がなくちゃ…。

 

「やあ、幕之内くん。久しぶりだね」

「速水さん!?」

 

声を掛けられて振り向くと、そこには速水さんが立っていた。顔には湿布を貼っているのに、表情は穏やかで……なんだか懐かしい気分になる。

 

「こらこら、試合中は静かにね。ん〜、今日は君と当たりそうな選手は居なかったけど、誰か知り合いがいるの?」

「すみません…!えっと、僕というよりは木村さん…先輩を探してて」

「木村さんか、俺は観てないね」

 

首を横に振りながら答える。

木村さんを探したい気持ちもあるけれど、速水さんのことも…。

思い出したのは、8連敗中という現実。これか気になって、話を切ることは出来なかった。

 

「ところで、速水さんはどうしてここに?」

「あぁ、ジュニア・フェザー級の試合を観に来たのさ。

いずれ、俺が戦う相手になるからね」

「そ、そうだったんですね!………えぇっと」

 

聞きたかった。

どうして負けが続いているのか。けど、自分から聞くのは失礼だと言葉に出来ずにいると。

 

「君の後輩、板垣くんの試合を観に来てたなら知っているだろう?日本ジュニア・フェザー級王者、(みずち) 剣哉(けんや)を」

 

試合を眺めながら、速水さんが聞いてきた。

勿論知っている。フェザー級タイトルのセミファイナルだったから観た。あのとき、剣哉選手のファイトスタイルが強く印象に残っている。

 

「俳優と兼業の彼はね、とあるボクサーに憧れてボクシング界に飛び込んだのさ」

「もしかして、その人って…」

「速水 龍一。俺に憧れてボクシングを始めた、だって。俺のボクシングが王者を生み出したんだぜ、嬉しい話じゃないか」

 

そう言う横顔は寂しそうで…。

促されるまま、速水さんから背くようにリングに視線を移す。

 

「やっぱり、あれはショットガンだったんですね」

「あぁ、すごい精度だったろ。

……本当に、すごいんだ。流石は俳優だ」

 

そう、印象に残った理由は簡単だ。

自分が知る速水 龍一のスタイルと重なったから。ショットガンという必殺技さえもが。

速水さんはもしかして、彼が王者になって満足しているのだろうか。剣哉さんを褒める横顔が辛そうで…。

 

「……ふ、ふふっ。幕之内くん、気を落としすぎだって!言ったじゃないか、俺は嬉しいって。それは本心だよ」

「あ、あれ?その、剣哉さんも凄いし、速水さんてっきり落ち込んでるのかなって……」

「剣哉さん”も”か、俺も褒めてくれるあたり優しいな。本当に、リングで相対した男とは別人に見えるな」

「えっ…」

「気迫とかの話じゃない。あの日のきみからは、なにがなんでも勝つという意志を感じた。だから今の逃げ腰を見て、なにか悩みがあるって思ってね」

 

軽快に笑って見せた速水さん。

気遣いを返されていることに気づかず、悩みがあることを見抜かれて驚いてしまう。

 

「その、ですね…」

 

隠す必要は無かった。

僕たちの問題だけれど、僕たちのなかで解決できなかったからここまで悪化した。なら、山田くんのような視点を持ってくれる人の意見は有り難い。

 

そう考えてから鷹村さんのことを話し終えたとき。

 

「無敗という誇りがある日、刃となって自分に突き刺さる。この怖さを味わったことがないか?」

 

俯いた速水さんが両手を見ながら問いかけた。

直ぐに反応出来ずにいると。

 

「例えばその刃が形を変えて、敗北以上の斬れ味になったら。幕之内くんは笑って過ごせるかい?」

「……いいえ、凄く辛いです」

 

敗北の傷は自分自身タイムリーな話である。

ゴンザレスさんに負けたが、それ以上に印象深いのは伊達さんに負けたあとのことだ。

 

久美さんが気晴らしにと遊園地に誘ってくれた。とても嬉しかったのに、負けた事実を忘れることは出来なかった。肉体へのダメージを凌ぐ、精神の栄養失調。

 

鷹村さんのタオル投入疑惑が脳裏に過ぎる。

負けたことがないからと、青木さんたちが負けた気持ちを小馬鹿にしていた。

会長が負けを認めたから鷹村さんは荒れている…?なんか違う。

 

「俺もだよ。だって、敗北は自分だけじゃなく、誰かの期待に応えられないってことなんだ。誇り高いほど自分に返ってくる」

「……あっ」

 

そうだ、見落としていた。

負けたことに対してばかり目を向けていた。

 

”喜んでほしかった”、”勝ちたかった”。

 

自分ですらこう思ったのだ。鷹村さんにだって、もっと強く、もっと多くの想いがあってもおかしくない。

きっと、負けたこと以上に悔しいことがあったんだ。

それこそ、ジムから木村さんたちを追い出してまで果たしたいこと。

 

会長への───。

 

「さて、負け続けても諦めない男の話は終わりだ」

「っ…」

 

この人は、本当にすごい。

僕が気づいたことを理解したんだ。そして。

 

(自分のことを話さないっていう強い決意が見える。

……信じよう、きっと僕の力は必要ないんだと)

 

引き止めることを望まない瞳が、暖かく見つめていた。

 

「頑張れ、幕之内 一歩。この速水 龍一を倒した男として、世界に駆け上がる日を待ち望んでいるよ」

「あ、ありがとうございました!」

 

結局、速水さんの連敗に触れることは出来なかった。

 

踵を返した速水は、最後に。

 

「ほら、さっきから興味深そうに聞いている東洋チャンプさん。俺はもう帰りますから、あとはご自由に」

「み、宮田くん!?」

「…」

 

宮田にとっては余計なお世話を。

自分にとっては盗み聞きされたお返しをして会場を去っていった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。