鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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鴨川軍団、再始動

鴨川ボクシングジムの屋上でひとり、鴨川は晴れ渡る空を見上げながら深呼吸をした。吐いた息には緊張感が混ざり、その原因である幕之内たちとの昨晩の会話を思い出していた。

 

『こんな夜遅くになにをしとる!?』

『す、すみません!えっと、机を貸してほしくって』

 

青木、板垣と来た幕之内の話を聞いてみれば、鷹村との会話に必要なものだと言うではないか。鴨川は、ただの話し合いじゃないとすぐに分かった。どうするべきか逡巡したのち、幕之内の瞳を見て信じることにした。

 

『無茶はするなよ。五体満足ならそれで良いんじゃ』

『はい!しっかりと伝えてきます!』

 

そうして、荷車に机を乗せていった。

あれから連絡はない。どう転んだのか知れない時間がもどかしく、こうして誰か来ないかと屋上で待っていたのだ。今朝からジムに来て、ずっとウロウロしているが一向に現れない。待ち遠しいが、これ以上は仕方ないと立ち止まる。

 

「上手くやれたじゃろうか…」

「なに黄昏てんだ、そんな歳じゃねえだろ」

 

ため息混じりに呟いた瞬間、鷹村が呆れ声で話しかけてきた。口から心臓が飛び出た鴨川は、動揺を飲み込んで振り向く。

 

「ワシをショック死させる気か!?」

「テメェの心臓がンなことで止まるかよ!」

「き、貴様いつ来おった?空から飛んできたわけじゃあるまいな」

「昨日からだよ。ちょいと用事が済んで、そんままシャワー浴びてビデオ観てたら身体動かしたくなってな。地下で軽くシャドウして、リングの上で寝た」

「あ、呆れたやつじゃ…体調管理もクソもない!」

 

照れ隠しから本気で怒り始めた鴨川をなだめ、鷹村は要件を伝える。

 

「……ま、ここじゃなんだ。締まりがねえからよ、事務所に行こうぜ」

 

背中で伝える雰囲気が、騒動の終幕を語っていた。

小さく頷いて、珍しく神妙な鷹村の後ろをついていく。

 

事務所に入り、鴨川が椅子に腰掛けてから鷹村が口にしたこと。

 

会長(じじい)、WBAのベルトを返上してくれ」

 

ニカッと笑いながら言われて、思わず安堵しそうになる意識を引き締めて。

 

「理由を聞こう」

 

この日、人知れず。

 

「認める、あんたのボクサーでも負けるときがある。

オレだって完璧な人間じゃなかった。以上!」

 

鴨川は1つの敗北を胸に刻んだ。

誰あろう鷹村の宣言である。彼が認めたのなら鴨川に異論はない。憑物が剥がれた顔に言えることといえば。

 

「まだ遅くはない。防衛戦と突き放した後輩の面倒、同時進行じゃ」

「おう、朝飯前だ!」

 

鷹村の背を押すこと。

そしてこの時、鴨川もまた、考えを改める刻が来たのだと思った。

 

「そうそう、ミドル級じゃがな。次で最後の防衛戦となる。階級を上げて直ぐにタイトルマッチが待っておるから、気を引き締めていけ」

「おっ、やっと来たか。これでまた減量が楽になるな」

「そのめでたい日のセミファイナルじゃが───」

 

めでたい日の前座として選ぶと決めた名前を聞いて、鷹村は再びニカッと笑うのだった。

 

 

 

 

これは、鷹村との腕相撲を終えた翌朝の出来事。

 

宮田 一郎が普段通りのロードワークをこなしているとき、前方で道を塞ぐ人物に出会う。

 

「おはよう宮田くん!」

「………昨日の今日だな、幕之内。どうやら、鷹村さんのほうは上手くいったらしいが」

 

憎みようのない、しかし腹立たしい笑みで手を振る幕之内。

昨日、幕之内が言ったセリフが脳裏を過った。身勝手な自分に宛てられた挑戦状のことを…。あれから淡い期待が心のなかを漂っていて、自然と足を止めていた。

 

「えっとね、まだ分からないのが正直なところなんだ。だけど、しっかりと目を見て話して、ここから変わるって思ったよ。

そのお礼をしたくて来たんだ」

「そうか……。良い報告が聞けてよかった」

 

ひと段落ついた鴨川ジムの騒動を聞いて、宮田自身も安心していた。精神の不安定さは試合に大きく響く。不安要素が解消され、3階級制覇も遠くないと期待した。

幕之内が持ってきた話題は期待したものとは違った。自分から言うことは過ちだと知っているため、つい口を滑らせないうちに立ち去ろうとして。

 

「あ、待って!もう1つね、話があるんだ……」

「なんだ、さっさと言ってくれ」

 

まだ引き留めようとする幕之内。

ざわり、心の奥底で巻き上がる感情が、ぶっきらぼうに聞き返す。宮田は直感で悟ったのだ、幕之内が言い出す内容を。それでも、立ち去れと言う反応に従えないのは、やはり身勝手な自分がいるからだ。

 

「宮田くん、鷹村さんと同じで減量、大変なんだよね」

「───なぜ」

 

ジムの関係者しか知らないその情報を、綺麗に射抜かれて心臓が跳ねる。顔を見ると、申し訳なさそうに幕之内が見てくる。

驚けばいいのか、謝ればいいのか自分でも分からなくなる。混乱を通り越して、膝が笑いそうになるのを堪えるので精一杯だった。

 

「最近の試合を観て思ったんだ。ちょっとだけ、苦しそうだなって。鷹村さんのビデオを観てて同じものを感じたんだ」

「───気のせいだ」

「…違うよ。最近、体重が落ちにくくなったんだよね」

「───っ」

「……待っててくれてるん、だよね。僕が、そこに行くのを。勘違いでもいい、だから言うね」

 

手を伸ばして止めようとしたときには、もう遅かった。

 

「宮田くん、フェザー級で試合はもうやっちゃダメだ」

 

言い放たれた意味を直ぐに理解した。

けど、受け入れるわけにはいかない。

 

「もう一度、いまの言葉を心して言ってみろよ。

ロードワークの邪魔をしに来た、その訳を…!」

 

荒げた声。それは、殺意や敵意といった類いのものではない。本人ですら意識せずに出していた、純粋無垢な疑問でしかなかった。

”待っててね”

そう言ったのに、フェザー級を離れろと言う。なら、やはり試合は出来ないじゃないか。声にならない叫びを眼差しで伝える。

 

「意味も、言い方も変えない。だから謝りも、撤回もしない。

宮田くん、もう僕を待たないでください」

「呆れたぜ。怒りを通り越して落胆するばかりだ、幕之内。お前に言われなくてもいずれライト級(うえ)に行く」

 

暗に減量苦を抱えていることを告白するも、本人は気づくどころかボロボロと仮面が剥がれていた。

 

「今はその準備をしている。分かったらさっさと帰れ」

「これからのために必要なこと、なんだ…」

「俺にお前の驕りっぷりを見せることが?」

 

どの口が言うのか。

だがそうでもしなければ、僅かな可能性に賭けてフェザー級に留まってきた理由に押し潰される。

未練がましい姿を見られても実現したいもの。それを、本人に否定されては、もう…。

 

「驕り……。うん、本当にそうだと思う」 

「なにが言いたい」

 

返事をしながら、見ている場所は遥か昔。

 

鴨川ボクシングジムの地下、リングで繰り広げたスパーリング。自分には手も足も出なかった素人に、宮田は確かに負けた。技術力もへったくれもない、執念だけで放った一撃。

あれが無ければ、ここまで成長しなかったと確信する出会い。プロの場で会うと約束して、手繰り寄せた縁を断ち切った両手。

 

(……あの日、俺はただ1度の機会を捨てた。自分で言ったことじゃないか、これは当然の結末なんだ………)

 

なぜ、練習を続けるのか。

なぜ、ボクシングを続けるのか。

 

聞くことも辛くなった。

精神の磨耗が限界に達する。

まともに視線を合わせられなくなる。

それでも幕之内の声を聞くのは義務だ。

責任を果たそうと顔を上げて。

 

「僕は、必ず宮田くんを…。宮田 一郎からK.O勝利する。それが僕の目標で、ボクシングが大好きな理由なんだ。

だから絶対に逃げない、どんな壁も乗り越えてみせる!」

 

幕之内が宣言したのは、最初の頃と変わらない夢。

 

「これまでの全部に、もう裏切らない!

だから宮田くん、後から追いかけるよ!」

 

幕之内の張る声に、宮田は大きく息を吸い込んで空を見上げる。

 

「なんだ、やっぱお前…バカ、だな」

 

宮田 一郎はかつて、この河川敷で土下座をした。

幕之内との試合を流した謝罪をして、この場を立ち去ったというのに。この男は関係ないと踏み込んできた。土下座とは正反対の行動力に、ただ感謝するしかない。

 

「羽は、もう無くなった…」

 

踵を翻した。

次は違えない。

命に代えてでも、幕之内とのリングに上がる。

 

過ちを繰り返さないと誓い、右拳を挙げる。人差し指を天へと向けて、言葉に出来ない感謝を込める。世界へと駆け上がり、舞台を整えるために。

 

3ヶ月後、宮田 一郎の最後の東洋太平洋(OPBF)フェザー級タイトル防衛戦が決定した。

 

 

 

 

「達也、青木くんが来てるぞ…」

「いまは、話したくない。帰ってもらってくれ」

 

木村は自室で父にそう伝えた。

ジムに引退宣言してから数日。毎日訪ねてくる青木には申し訳なさを感じながらも、いま顔を見るわけにはいかない。見てしまえば戻りたくなる。ボクシングに関われば、皆んなの足を引っ張って、また鷹村に追い出されるから。

 

「………あぁ、だってのに」

 

どこか安心すらしていた。

青木から見れば鷹村の行動に怒り心頭になるだろう。

鷹村からすれば木村は邪魔で仕方ないだろう。

 

けど、この安心がどうしてかは直ぐに思い至った。

 

間柴とのタイトルマッチ以降、本気で試合が出来なかった。負けたことなんて1度や2度じゃない。違うことはハッキリしていた、負けた相手の強さだ。贅沢にも、心のどこかで幕之内や鷹村のような死闘を望んでいたんだと気づいた。

 

木村 達也から木村 タツヤとして復帰したとき。

死闘だけを望む都合の良いボクサーが出来上がった。

 

……なら、柳洞 疾景がいるじゃないか。

自分で自分に問いかける。なんて答えるかと自分で考えて、「減量したくない」などと吐かした。

 

もう木村 タツヤには死闘すら望まない。

その自覚だけで引退するには十分だった。

 

 

───

 

──

 

 

 

ボクサーとして失格と気付いて、ただ無気力に日々を過ごした。

 

ある日を境に、今度は鷹村が家に訪ねてきた。

全て無視。部屋の前に来ようものなら窓から逃げ出した。帰ると鍵が壊されていた。修理するのは勿論自分だ。

 

そんな日を3ヶ月は過ごした頃。

家に帰ると1本のDVDが机の上に置いてあった。

 

「んだよ、これ。気色悪いな…」

 

鷹村の行動に首を傾げながらも、不思議と手がDVDをセットしていた。そして、身構えながら再生ボタンを押して───。

 

「ヅ!?」

 

流れた映像は途中からだった。

 

顔面が腫れながら、ひたすらボディ攻撃に徹する自分。接近を嫌い、ガードを下げて狼狽る間柴。汗が飛び散り、血が口元を流れながら果敢に攻め続ける背中。

勝利への執着、ベルトへの貪欲な姿勢。自分から暫く見ない、強敵への畏怖と吹っ切れ具合。

 

「誰だ、お前…」

 

馬鹿なセリフを呟く。

解説が言っているじゃないか、木村 達也と。

 

…自分だと再認識して、吸い込まれるように映像にかじりつく。

気づけば、2時間。同じ試合、同じシーンを何度も。自分が間柴にボロボロにされる姿を見続けていた。このあと、負けた木村 達也は引退した。河川敷の土手で、夕日を眺めながら…。

 

「お前、そんな顔してたんだな…」

 

無意識のうちに拳を握っていた。

達也からタツヤに改名して、達也を裏切って…。

俺は、達也に恥を塗りたくるために復帰したっていうのか?

 

「…違う!」

 

窓の外は朱くなっており、何時間も映像を観ていたんだと知る。なら、急がないと。自分の過ちをこれ以上見逃してしまえば、もう涙さえ流せなくなる。

 

木村 タツヤは決意を胸に部屋を飛び出した。

 

 

Next Champion編、ベストバウト(前半)はどれ?

  • 今井 京介VSハンマーナオ
  • アルフレド・ゴンザレスVS千堂 武士
  • ハンマーナオVS板垣 学
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