鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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恐怖に挑むために

3ラウンド目は互いに静かな立ち上がりを見せる。

意外なのはエレキ。2度のダウンをしたというのに微塵も焦りが表に出ていない。

静かにステップを刻む木村は、これまでを些事とでも言いたげな冷静さに警戒心を強めるほかない。

本人の試合勘というものがあと2年、巻き戻っていれば間違いなく2ラウンドまでの勢いに任せて飛び出していただろう。

 

(さっきと様子が違いすぎる。まさか持ち直したのか…?それとも、青木みたいに虚勢張ってるのか?)

 

誰が言わずとも、組み立ててきた試合を簡単にひっくり返せるカウンターを封じるほかない。緊張感を維持し続け、遅くともあと6分でケリを着ける。

12分間でKOするイメージトレーニングが精一杯で、エレキという男と渡り合うにはそれほど全力を凝縮しなければならない。常にエレキの動きに注目するのは必然であった。

 

(自信を取り戻せ…か。こんな指示は無かった。とても困惑するし、いまだから踏み出す勇気が足りない。

だが、このまま行き着くと負けることはしっかりと分かる)

 

片やエレキの心境も危うげながら、己が折れることへの抵抗が薄らいでいく。玉砕を掲げて踏み出すなど考えておらず、全細胞に上書きする命令は突撃。

グローブで口元を隠しながら、静かに深呼吸を2度、ゆっくりと行う。

 

(いまを変えたい。負けたくない。だから、弱気な私に別れを告げよう)

 

つま先のつかみ具合を親指で確認し、グリーンランプが脳内で点灯した瞬間、一気に飛び出した。

 

(いきなりかよ、止まれ!)

 

ここまで散々苦しめ、ダウンを取ってきたワン・ツーを木村は選ぶ。篠田の持つミットを思い出し、忠実に、距離を確認し拳の握りを最も緩めて放つ。着弾を確信した瞬間に握り締めた拳は、しかし。

 

『エレキ大袈裟にダッキング!荒々しく頭を振り木村のワン・ツーをついに突破ぁ!』

 

(近距離戦は、頭を振り避ける。経験が少なくとも、多くの試合を観て本番に活かすことはできる)

 

不慣れな一面(ダッキング)を見せつつこれを掻い潜る。飛燕で追撃するはずが、頭は飛燕が放たれるとき射程外へと避難しており、木村はガードを上げる。起き上がりに一息も無くワン・ツーを打ち返す。

打ったワン・ツーが木村と違うのは、誰の目にも明らかな差。

 

(速い…けど、アホみたいに軽すぎる!)

 

ジャブは貫通することなく、ストレートに足を止めるだけの威力はない。サンドバッグに試し打ちするような速度極振り。

この試合で先制して打つにはややダメージを抱えているせいもある。ろくに軸足は定まっておらず、後ろ足と腰とが連結してないせいでストレートの凄みすらない。

基本の確認に手間をとるかと思われた直後だった。連結部の見えないボディ、計画性のないアッパーを徐々に織り交ぜていき、懐で細かい作業へと移り始める。

 

(どこに落とした、なにをすればこれまでの努力に報いられる!?)

 

「飛び込んできおった。それも、まるでカウンターを考えておらんフットワークにコンビネーション。無理やりペースを奪いにきた!」

「しかし、冷静さを失っているようには見えません。あくまでも意図的に、リズムを作り直すつもりです!」

 

コンビネーションに意味はなく、パターンなど考えるだけ無駄。それはエレキの瞳を見て分かっていた。その確認のため、ガードをすこしずらしただけで手打ちのようなフックが割り込んでくる。

ヒリッと痛む頬のことはすぐに無視し、受けたときの速さをひたすら脳内で分析する。どう動けばいまのエレキの勢いを止められるか、と。

 

(初見だからって対応できない、じゃあこれから先も話になんねぇ。横ならガード間に合う、直線は右だけ気をつけて潜れ!)

 

エレキの回転力は衰えぬまま、リング全体を見通せるようにステップを刻み、コーナーへ追い詰められることを嫌う。

全速力のフットワークで木村の戦術を打ち崩しにかかった。

だが、ここで止まる道理などない。ワンを被弾し、ツーをガードを挟みながら無理やり突進する。

 

(デタラメに打ち続けられるのも今のうちだ。1分ありゃ目が慣れてくる!)

(このラウンド、考えがまとまるまで絶対に倒れない。ダウンせずにコーナーへと戻り、全力の私を取り戻して次のラウンドに繋げる)

 

それを押し退けるように量産するパンチの連続。

距離を詰め、即座に離れ、細かくパンチを放ち、これまで木村が組み立ててきた試合を一気に崩しにかかる。

 

(速、速く……こいつ、どんどん腰入れてきた。やべぇ、勢いにのせちゃマズい!)

 

グローブに伝わる感覚に、チクリと突き刺さる崩壊の予兆。四散するパンチは次第に、2つ、3つと纏まりを見せはじめる。

 

1分間、好き放題に打ち続けてきたエレキのパターンが変わり始めた瞬間を見逃さなかった。

ここで寸断できなければ、カウンターを装填されてしまう。それこそ最も恐る事態だからこそ、木村はここでエレキの強引な攻めに乗っかることを選んだ。

 

5回の攻防を経て、左右の拳が同時に着弾音を響かせた。

 

『相討ちィィィ!今度は両者にダメージが残っている!』

 

右ボディを歯を食いしばり耐えるエレキ、左フックを顎を引いて堪える木村。

 

(てめっ、んな試合やってこなかっただろうがッ!)

(鍛えてきたボディを易々と貫けると思うなッ!この窮地から脱するための被弾ならもう覚悟している!)

 

よろめきながら、先に立ち直ったのはエレキ。

リングに沈むことを許さないとばかりに、強引に左アッパーを放つ。木村は、ガードした腕によってアッパーを感知することができない。だが幸運にも、アッパーはガードへと放たれる。

ここで不運だったのは、アッパーが意識(視界)の外から放たれたこと。ガード越しに伝わる衝撃は軽くても、意識はわずかに宙を舞う。

 

(や、べ…手を)

 

浮遊する意識のなか、ビックパンチにもならない右を真横に振り放つ。硬く握りしめる拳は、壁のくぼみに指を引っ掛けるように、なにかを押し払う。

突進の最中、左足を上げていたエレキは、外からの不意の一撃に巻き込まれて軸がぶれる。

 

(ぐっ、向こうも大胆になってきた。力はまだある)

(あ、危なかった〜っ!!!!

スウィングじゃなけりゃ距離空かなかった!ナイス俺ェ〜!)

(だが、見えてきた。考えるまでもなく、木村のしていることは単純なことだったんだ)

 

フォームが整うギリギリのところで、エレキは大振り気味の右ロングフックを放つ。同じくフォームを直すよりも先に、右ボディで足を奪おうとする木村。

 

(フックを出さない。これが証拠だ。私のカウンターの威力を殺すため、フォームを崩すためのフック。

だが、フォームを崩して打っているいまは温存している。私を倒すための技なのだろう?)

 

互いにガードを破ることなく、この攻防を経てエレキは後ろに飛び退く。

 

(あと1分で3ラウンドが終わる。

試せることは1つか2つ、フィニッシュのため、判断材料を集めることに集中する)

(ランダムで打ってんのか知らねーが、フェイントが全くない。いまのに慣れちまったら、フェイント混ぜられたとき大惨事だ)

 

呼吸が繰り返される。

1つ吸い込むたびに緊張が増す。1つ吐き出すと距離が縮まる。

 

(この2分のインファイトと、残り時間のインファイトでどういう反応を見せるのか。それ次第で全てを決める)

 

脱力する肩、やや前傾に構える左。合わせ鏡を見ているような感覚が会場を包んだとき。

 

(くる…)

 

片方の身体がガードを固め、前に突撃を開始した。

 

『エレキ再び飛び込んだァー!』

 

これを止めるためワン・ツーをガードに押し込む。勢いが落ちたところで、さらに右ストレートを放った。

拳が止まるのを確認するや、あまりにも手応えのない衝撃に本人が驚いてしまう。

 

不発、とまではいかない。

 

(距離は、どこにいったんだ?)

 

至近距離で睨み合う状態を前にして、木村は無意識にガードを固めた。

 

「細かいステップインで右ストレートを踏ん張った?!」

「次の右ストレートが来る前に、肩から飛び込んで距離を詰める。簡単にやってのけたが、下手をすれば側頭部に直撃してもおかしくはない」

 

2度目のストレートに合わせて距離を詰め、ショルダーブロックを実行していたエレキ。虚を突いたことで守りに回った木村を、至近距離で攻め立てていく。

2つ、次に3つ、そして4つと直線が続く。リズム良くガードを叩く左右のコンビネーション。赤い軌道を微かに残しながら、様子を伺うようにガードに揺さぶりをかける。

 

(……そりゃ、インファイトでペース取れてたんだ。一息ついたからって、変えられるもんじゃないわな)

 

攻めるエレキのそんな姿に、篠田が持っているミットが重なる。

そして、練習中の感覚でジャブを放つ。エレキはこれに反応し、ダッキングでかわした。このとき、あと1つだけ打ち込める拳が、幻影だけではあるが見えていた。

一連の流れを見て、木村は内心で気づく。

 

(まて…こいつ、デタラメじゃない。肌がヒリつくこの感じ…このコンビネーションは…!)

 

イメージと合わなかったエレキとの距離間。されどタイミングは変わらないコンビネーション。

1、2ラウンドとカウンターを封じられ、3ラウンド序盤のデタラメな猛攻。

 

カウンターが狙えないと、狙う姿勢ではないからとインファイトに応じていた。闇雲な突進と思ったところを詰められ、無様にもエレキの壇上に上げられたのだ。

 

(さぁ、いつでもカウンターを打てるように軸足を地に着けた。この違いをもう分かっているだろう、タツヤ!)

(スウェーすればカウンターを炸裂できる位置で、被弾覚悟の攻防っ…)

 

リング上、両者の後退が止まる。

引けば押し飛ばされ、よろければ斬り落とされる。

エレキにとっても、木村にとっても、この至近距離戦を譲らないのには訳がある。

 

エレキは言うまでもない。ヒットアンドアウェイ、アウトボクシングを実行されたが最後。そのラウンドは近寄ることもできず、再びリングに沈むことになる。

木村の場合、カウンターへの恐怖心だ。あと数センチ後ろは爆心地。エレキの放つカウンターがKOを叩き出してきたスポットである。僅かながら腕を畳ませられる懐でなければ威力を殺せない。あとは外に脱出するほかないのだ。

 

(パターンを戻したらガードの隙間を狙い打たれたッ。確定だ、タツヤは私を研究して来ている‼︎)

(外はもう無理だ。意表を突ける1ラウンドだからできた)

 

また仮に、運良く脱出後できたとしよう。

次は、頭をフル回転させてアウトボクシングに徹しなければならず、下手を打てば長期戦になる。そうなれば10ラウンドまで、ひたすらカウンターに追われ続ける恐怖と戦うのだ。

 

(こっからは、練習量がものをいう!)

(よく分かったよ、この身に必要なことが。まだ足りない研鑽を、キミが私に教えてくれた)

 

故に、至近距離から先に逃げた方が必殺の餌食となる。

互いの(したた)かさを知る者同士によって成立する、意地の張り合い。

 

(なんせ、もう1つのカウンター対策にうってつけだからな)

(世界に行くため、最も重要なカウンター封じをここで破ってみせる)

 

緊張が慎重さを呼び、少しでもカウンターを狙われる位置にくれば回避に移る。フェイントに釣られるどころか、フェイントと分かったうえでボディを打ち込む。それでも、エレキの手数だけは抑えることができず、ボディを除く場所は被弾により薄く腫れ上がっていた。

 

解説の声も大人しくなるなか、あっという間の1分が過ぎゴングが鳴る。

 

『第3ラウンド終了ォー!火の出るような打ち合いはエレキが僅かに上をいく!今度は木村が渋い顔をしています』

 

両者、コーナーに戻る背中が語る。

 

たとえ10ラウンドまで至近距離戦が続こうと、次のラウンドで仕留めにいく。

 

 

 

 

 

 

ホール全体が静かに音を揺らす。

3ラウンド終了時点で実力は拮抗している。拮抗にまで盛り返されている、という表現が甘めにみた採点だ。

 

両陣営がコーナーへと戻り、選手に指示を出す。

 

ここで犯したミスが1つ。

 

「エレキ、そろそろ仕留めにいけるか?」

「感謝する。早々にタツヤと視線を合わせることができた。いや、昇りつめた、と言うべきだ。なら、撃ち落とす手段を実行してくるはず」

 

片方は4ラウンドということを思わせない、フィニッシュへ向けた策を練っていること。

 

 

 

「インファイトを続けたいっていう顔だが、やはり体力の問題か?」

「集中力も、10分もてばいい方ですからね。篠田さんのミット打ちのおかげか、もう慣れました。このままいかせてください」

「分かった。だが焦るな、必ず仕掛けてくる。ドラゴンフィッシュブローへの警戒はとくに強いはずだ」

「えぇ、なにを考えているか判断してきます。いける、と確信するまでは、絶対に打ちません」

 

もう片方は幸運にも、相手が狙っている必殺ブローを避け、慎重に歩みを進めていくということ。

 

 

 

 

 

 

頬は赤く、腕には普段よりも多い汗。

腹が赤く、呼吸は前へと向けて進む。

 

己のダメージこそ身を奮い立たせるのだ、と拳を構え視線を交差する。それが、誰もが息をのむ合図。

 

『ゴングと同時に両者飛び出す!なんと再びインファイトだ!』

 

木村はガードを上げ、低姿勢で距離を詰めることでボディ打ちを極力させない。むしろ、積極果敢にボディ打ちでエレキのカウンターに仕事をさせないように立ち回る。

 

ガードの間髪も入れさせず、足を止めるべく右ボディを放つ。

 

(ボディのタイミングは把握した。易々と食らうものか)

 

ボディだけは受けるまい、とグローブを握りしめガードをする。両者が体力を奪われたくないのは明白。

ならばボディ攻めは一転、直線と直線が掠め合う。

 

(フェイントをしつこく混ぜてガードをガチャガチャにさせてやる!

意識を分散させて渾身のボディを入れる。それさえ決まれば、一気に攻め落とす)

(踊らされるな、あの目はボディを狙っている。ボディは鍛え上げたが、それでも弱点と言えてしまう。心の奥底に、崩壊の亀裂がある。この試合の緊張は、それを容易く砕いてしまう)

 

そう思う矢先のこと、エレキの視線は畳んでいる木村の右腕に惹きつけられていた。ストレート、アッパー、フックと脳内で照らし合わせてもどれも違う。

低い姿勢、という点が警戒を強める。左腕はボディ打ちを防ぎ、右はカウンターのタイミングを計りやや前へ伸びる。ならば、ガードが下がりつつあるのだ。

 

(違う、ドラゴンフィッシュブローか!?)

 

顎、頬、側頭部。そのどれもが無防備にさせられるよう誘われていたと結論が出た。

 

身を起こし、牽制の意味も込める右腕を必殺ブローの着弾地点へと備えさせる。次の瞬間、赤い拳は打撃音を響かせた。

 

『左ボディがエレキを捉える!上下の打ち分け、一枚上を行くのは木村だ!!』

 

(ぐ、左ボディッ!)

(しゃあーーーー‼︎)

 

木村が見せた必殺ブローのフェイントに、咄嗟にガードを上げたところにボディを突き刺す。

 

(必殺ブローを囮にしてきた…)

 

続けざま1発、反応が遅れたエレキに左ボディが突き刺さる。

 

(あと一発でボディを貫くつもりだ。あの拳なら、それを可能にするだけの意志を込められるッ)

(ボディ打ち込んで、頭のほうを外に放り出させる)

(なら、狙われたところをショートアッパーのカウンターで打ち上げてくれる)

 

今度は右ボディに構え直し、身体の酸素全てを吐き出させるためにギリギリまで踏み込む。筋肉が反応したのは、右を引いたとき。

木村は小さくスウェーし、強引に飛燕を放った。鼻先を掠める赤いグローブの奥、回り込むフックだけが当たる。

 

(厄介なフックだ。至近距離でもカウンターを狙えば即座に割って入ってくる。ならば、早々に逆手にとらせてもらう)

 

被弾して続けざま、右を構え飛び込む。木村の打つジャブをダッキングたとき、まるで翻るかのごとくフックがエレキの頬を右に弾いた。この作業に木村は右を構える動作を混ぜるのが2回続き、姿勢を上げた。

 

(ジャブをスリップで避けたところで、打ち戻りのジャブはフックへと変化させて対応してくる。大袈裟なダッキングならかわせるだろう、しかしそこも織り込み済みで狙うはず)

(いま、俺に飛燕を出させたか!?)

 

左で遠ざけようとするエレキを、ガード越しに覗きながらいまの動作を考える。これが勝負を仕掛けてくる布石ではないか、と。

 

(………誘いにのってやる。飛燕(フック)の打ち終わり、俺が右を構えるのを見たよな?)

 

1分が過ぎても至近距離が解けることはなく、集中力の限界というものも迫りつつある。

 

(その被弾さえ知っていれば、右ガードを上げてフォームを整える。左はボディ打ちを狙い、右カウンターを誘う)

(期待通り右を、振り抜いてやる。右は、エレキに警戒されてる。逆にこれじゃなきゃ、俺はカウンターに反応できねぇんだ)

 

篠田のミットに基づいた中間距離のイメージを、無理やり至近距離に変換し続ける。いま備えている引き出しを片っ端から開けていき、ほぼ紙一重の差でカウンターを凌いでいる。

 

(出させないなんて不可能に近い。次に放つカウンターを撃ち落として、心ごとへし折って試合を終わらせる)

 

至近距離、咄嗟の思い出しが木村を生きながらえさせている。

これまで経験の少ない距離が、エレキの緊張感に良く働く。

 

(手が震える、余計な緊張で足が止まりそうだ。タイミングを間違えたら最後……。それでも、必ず狙ってくるカウンターを止めなきゃ勝てない)

 

だが、そのときも遠くはないとどこかで知っている。

最終ラウンドまで立つなど、目の前の好敵手を前に不可能。

 

(タツヤの考えには感服する。私1人では、このラウンドで仕留められていた)

(落ち着け、狙っていることを悟られるな…それが無理なら、俺の拳に注意を引き付けろ)

 

乱打戦に持ち込まれて6分が経とうとしている。

木村は、乱打戦の最中でエレキが打ち込んだパンチの種類を全て把握していた。無策に思える3、4ラウンドの攻防からすでに逆転の種を蒔いていると考えるからだ。

 

(この乱打戦のなかで実行しよう、最高のカウンターを。そしてキミのことを胸に、私は世界へと行く!)

(乱打戦に持ち込んだ理由はカウンターだ。選りすぐり、一撃で沈める瞬間を待ち続けている)

 

腕を、足を休めることなくフィニッシュへの順序、最後の仕上げが終わりつつある。

 

(肘の角度が変わった瞬間、右ストレートで打ち抜いてKOだ!)

(備えろ、装填しろ、早まるな、確実に後出しするんだ!)

 

イメージと足腰の連結が両者同時に完了した。

ここに浮かび上がる差が1つ。

どれだけ前から、いまこの瞬間を思い描いて練習を積み重ねてきたか。

 

(どう来る、なにを選ぶ、まだ攻めるか、逃げるのか!?)

(大人しく打ってこいよ、ぶっつけ本番だ来いやぁッ!!)

 

 

カウンタータイプと聞いて、思い出した人物がいる。

 

沢村 竜平。

フェザー級で一歩と激闘を繰り広げ、デンプシーロールを無傷(カウンター)で破ってみせた天才。

そいつがジュニアライト級に上がり、間柴 了とのタイトルマッチが決まったとき、どう攻略するのかを考えた。

 

間柴が、ではない。俺が、沢村をどう倒すのかを、だ。

 

間柴が負ける場合、俺は沢村を攻略してベルトを獲る必要があった。

国内に沢村と並ぶカウンタータイプなんて、あと1人くらいしかいない。だから今後のためにと密かに練習していた、一発勝負の小技。

 

 

『両者が打ちに行った!この緊張感に終止符をうてるか!?』

 

エレキの拳は空振り、木村のジャブがガードを叩く。

姿勢を屈めるエレキはさらに踏み込んでいき、左を後ろへと引いた瞬間、飛燕が飛び出す。

 

『飛燕を防がれた!続けざまに狙う右をエレキが狙っている!』

 

両者が思惑通りに動くなか、木村の様子の変わりに気づいたのは極数人。練習風景を知る者、実際にその技を間近で見た者。

 

「カウンタータイプがリズムを崩される要因の一つ、スイッチ!!」

 

拳に注目する者が大多数のなか、木村の軸足が入れ代わたことに気づける要因は少なすぎる。至近距離はその最たるものであった。

 

左右逆転は、着弾地点を狂わせ、全ての予定調和を乱す。

前へと飛び出す右は、ガードを下げたエレキの意表を突き、カウンターが間に合うはずもない。

 

「不器用だがカウンターに被せやがった!これでエレキのカウンターは────────」

 

これを実行するとき、緊張で震える足を誤魔化すために練習を積んだ。

緊張にのまれないために走って、走って…減量苦を抱えて走って、土台を作り込んだ。

自信を持って拳を振りぬくために何度もイメージをした。

あらゆるコンビネーションから打てるように毎晩遅くまで動いて、1回限りのカウンター崩しは出来上がった。

 

「────あぁ、不発に終わる!」

 

両者の距離が交錯する。互いに前足が懐を捉え続ける。

幻覚を見せられているように、白い光が視界をぐるりと駆け回り、そして。

 

この試合で1番とも言えるカウンターは、延滞などなく骨に衝撃を伝え、筋肉に恐怖を刷り込み、口からマウスピースが吐き出された。

 

 

顔面からリングに沈みゆく、木村 タツヤの口から。

 

 

(────(ぐるじい)ッ、────(くうき)────(どうしで)

────(マットが)なん────(こえが)────(いやだ)?)

 

 

たとえ、確信を持って拳を握ろうと、油断や驕りは許されない。

 

観てきた試合の数々で、一撃のカウンターが勝敗を決するのを知っているのはどちらか。

 

だから、イメージのなかで何度も、こうなったら負けるだろうと。そんなことをつい考えていた自分が、いまここにいる。

 

「あ、ぁぁぁぁ!!!!」

 

どこからか、男性の驚愕の悲鳴がホールに響き渡る。

 

『ダ、ダウン!!!スイッチを使った木村の拳は空を斬り、エレキのカウンターが無残にもボディを打ち抜いているゥゥッ!?』

 

ぱくぱくと動く木村の口から、努力の結晶が砕ける音がした。

 

 

 

 

 




【次回予告】

たった1敗、あと1つの引き分け。
その数字にどれほどの意味があろうと、もう2度と味わってはいけない甘い蜜。

『あぁーッ!これをエレキ難なく防ぐ!そこに待っているのは』

世界に行く男が選んだ通過点にもたらすのは、果たして…。

『か、顔が打ち上げられるッ────!』

7/30、決着。
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