鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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狩場の技術

メキシコの夜を異質な風が撫でる。

勝利に飢えた獣と、星屑を待つ神が立つ舞台。

地元の観客は多くが雰囲気の差異に気づかない。この試合を動かす欲望、執着する腐心を嗅ぎ分ける者は少ない。

 

「80戦に迫る試合で、リカルドに手が届いた者は両手で足りる。ましてや、真面(まとも)に打ち合えたボクサーはエイジ・ダテただ1人」

 

最もリカルドを知るボクサー、ゴンザレスが絶望的な歴史を謳う。見たことのない雰囲気を知る者の1人だ。

 

「千堂さんも承知のうえで挑戦状を叩きつけています。応援団の期待に応えてくれますよ!」

 

千堂の今生のライバル、幕之内はゴンザレスに力強く言い放つ。濃縮される緊迫に心臓が動かされながらも、千堂と一緒に戦うつもりで見守っている。

言いたいことは分かっている。だがゴンザレスは頷かない。WBAフェザー級ランカーの質は他団体と比べて異様に高い。リカルドを倒すためだけに集まったボクサーたちだ。戦場を移せば世界王者になれる器ばかり。それを逃げだと言い、現役をリカルドに捧げるボクサーを一蹴するのが彼なのだから。

 

「どう出る、(お前)は」

 

かつて自分もその1人であった。

固着したプライドを捨て、WBC世界王者に君臨し、そして泥水を啜った。ゆえにこそ、リカルドに拘らない千堂に熱い期待を込めて呟く。

 

ゴングが鳴り、運命の岐路に立った。

リカルドは1度も奇襲を仕掛けたことがない。逆に、奇襲を許した例もない。誰にも揺るがない凍てついた目で観察し、一息のうちに試合を自陣へ傾ける。理想のセオリーで、ゆえに難しい基礎を遂行してきた男へ。

 

「おっしゃ行くで!!」

 

一気呵成の掛け声とともに、コーナーを飛び出した。

 

『なんと異国のティグレが突っ込んでいく!!』

 

解説の昂る声とは裏腹に、リカルドを知る観客はため息を吐いた。

またか、と。

80戦無敗の男を倒すため、少なくないボクサーが先手必勝を狙った。長期戦は圧倒的不利、ましてや打ち合いで勝ることが不可能と知っているからこその襲撃。苦肉の先制を狙った者が1ラウンドを過ごした記録はない。ゆえに、すぐさま終わる試合だと地元民は決めつけた。

 

警戒心全開のリカルド。

気負うことを知らない男に勢いが通じるはずもなく。リング中央に到達した千堂にカウンターを装填し、ゆっくりと前に出て行ったとき。

 

『………は?』

 

踏み出した右足をリング中央に押し込み、ため息を吐く会場を黙らせる。解説も、地元民も、あまつさえ千堂の応援団すらもが目を見開いた。奇襲狙いと思われたボクサーがリング中央で停止したのだから。

 

「なんや千堂、どういうつもりや!?」

「お、怖気付いたわけやあらへんやろな?」

「そんなわけあるかい!作戦や、きっと…!」

 

戸惑う観客。奇襲ではなく、気をてらうつもりなら落胆するばかりだと地元民は思った。だが、決してパフォーマンスではない。観客たちの理解を求めるなど千堂は思っていない。

 

「どないした?まさか、おんどれもゴンみたく理詰め倒さな本性見せへんつもりかいな。

別にいいよ?ワイの拳食ろうて待ったは聞かへんけど」

 

ただ知りたいのだ。

幕之内を敗った男、伊達 英二が届かなかった暴力(バイオレンス)を。

 

譲ろうと言ったのだ、無敗神話の後攻(カウンター)と引き換えに先制攻撃(パーフェクトゲーム)を。

 

「く、はは。とことん血気盛んだな」

「相手はリカルド選手ですよ!?」

 

初めての出来事に笑うゴンザレス。

あまりの無謀さに顔面蒼白の幕之内。

 

「あれは初めてのパターンだ。リカルドを煽るやつはいたが、いざ試合になれば先制を取らざるを得なかった。

開始5秒で予想が出来なくなったぞ」

 

失望や期待、選手に向ける凡ゆる感情が混乱を巻き起こすなか、リカルドが静かに動いたことで2度目の静寂が訪れた。

もう定石は吹き飛んだ。なにが起こるか分からない戦場を見守るなか。

眼光を溶かした背景から、神域の左拳が虎を射抜いていた。

 

『せ、先制はリカルド──なっ!?』

 

左拳に感触はない。なぜなら、千堂は左下に躱(ダッキング)しながら右フックを振りかざしていたのだ。だがリカルドのスウェーにより右は空ぶっていた。

初手、リカルドの左にカウンターを合わせに行った。紛うことなき神業であると興奮する幕之内に。

 

「違う、先制は千堂だ」

「ど、どういうことですか」

 

僅差の事実を伝えるゴンザレス。

 

千堂(ヤロー)、リカルドが本性見せるつもりないから殴りに行った。いまのカウンターは偶々(たまたま)そう見えただけ。

リカルドは先制にジャブ(カウンター)を打ち込んだ」

「っ………」

 

リカルドがカウンターを狙った衝撃に震えてリングに視線を向ける。

 

右フックは大振りだ。

超一流のスウェーはガラ空きの横腹を生み出す。火花のように疾く踏み込み、呆れるほどの隙に左拳を差し込む。

 

「ぬ、ぉぉ…!」

 

右腕に突き立つ左拳。

左脚を外へ捻り、空ぶった右腕を内側に畳むことで直撃を回避した。剛腕で守ったにも関わらず貫通する威力に目を見開いたとき、顔面へのカバーが遅れたことを理解する。

 

反対側から駆ける拳が下から千堂の顎を打ち上げていた。

 

「ガヴッ!?」

 

『あぁっ、やっぱり先制は我らが軍神!』

 

(───いや、浅い)

 

手応えに納得のいかないリカルドは、前に崩れるように見えた姿勢からスウェーをしていたと分析する。続けて、打ち込んだ腕を身体に引き寄せて来たる反撃に備えた。

右頬があった場所に食らいつく牙。ガードした腕越しに、挑戦者のバックフックに称賛を送る。

 

(拳の力だけでも骨に届くとは)

 

『は、反撃ィ!?なんてやつだ、奇抜な姿勢で軍神を押しとどめやがったぞ!』

 

骨に染みる振動はリカルドといえど無視できない。大砲を惜しめば喉元を千切られると視線を戻し、2メートル先の獣の追撃に備えたのは右拳。

遠ざかるはずの身体が急停止した瞬間、全方位へと意識を割く。被弾を反撃に繋げるため、頬の痛みごと千堂はリングを蹴り出す。

駆ける、というよりは仕留める勢い。技術を捻じ伏せる拳を握り、視線が交差したことで命運が分かれた。瞬間速度だけで分析すれば、幕之内のデンプシーを止める時よりも格段に上をいく脚で低空スマッシュを放った。

 

肉体の一寸先を横切る拳骨。

側頭部を狙う神判はしかし、咄嗟に首を寝かしたことで直撃せず。

 

(ゴンザレス、君は生涯の友を見つけたようだ)

(っぶな!不意突いた筈やのにカウンターしてきおった!)

 

冷や汗を流したことを軍神は見逃さない。

 

(しもうたっ…)

 

即座に身体を起こすが、一挙手遅かった。眼前まで踏み込んだ神体は、最大限の威力でボディブローを打ち込んだ。

 

「ヅッ〜〜〜‼︎」

 

左脇腹から湧き上がる衝撃。

ぬかるみに片足を突っ込んだ不快感で脳が痺れる。

泥中の思考で迫り来る左フックに対処出来ない。

 

『無慈悲!ここから王者の連打が始まるぞ!』

 

食いしばって耐えても次が来る。

反撃できないよう意図的に姿勢を崩された。次に備えるため重心を起こそうとして、視界は上に向くどころか客席に飛び出していく。

 

「先制を失敗すれば負ける。攻めんでも負ける」

 

柳岡はリカルドに臨む千堂の背を押した。

ロープに押し込まれ、早くも作戦が崩れかかるボクサーの背中に問いただす。

 

(やっこ)さんがやる気出す前に噛み殺す。

散々練習した、最凶の男も倒した。あとは勝つだけや」

 

師弟共に適当な一撃では満足しない。

討つ者は世界最強。古今東西に知れ渡る神話を砕く準備を整えた。力を以って、拳を野性で握り、全力で捻じ伏せるのみ。

勝つとはなにか。暴力の押し付けだけではない。獲物を喰む笑顔(そしゃく)があってこそ。

 

踏み込む王者にオーソドックスで対峙する。

ジャブで迎え打つが呆気なくかわされた。きめ細かい回転で左右、フックを打ち込むと見事な直撃を見舞われる。

ジャブが戻る頃には外側に回ったリカルドの追撃が続く。常に動きながら連打するところに反撃は難しい。なにせジャブ1つで背筋がぞわりと凍る。やむなくガードを固めた。

 

(力には力で……ええ拳や。けど、)

 

顔と左半身を守る形となり、ガードに連打が叩き込まれる。時折、ジャブで態勢を崩しにいくがカウンターを合わせられる始末。

盛り上がる地元民、悲鳴を上げる応援団。

7度目、身体がロープに食い込んだとき。右脚を踏み締め、牙で噛み締めんとガードを解いた。

僅かな挙動だが、空いた右脇腹を見つけるのに時間は要らない。なぜなら、このときを待っていたのだから。

 

「ね、狙われた!」

 

幕之内も息が詰まる。

千堂の右ストレートを躱し、ボディブローを突き刺す瞬間に拳を握り込んでいた。

 

(化けの皮はまだ脱いどらんなぁ?)

 

ダッキングで懐に入るリカルドを見てから、千堂は右腕をさらに引き絞った。

 

「っ!」

 

あまりにも甘美な腹帯にリカルドは待ったをかける。

頭上を通り過ぎるはずの突風が起こらない。

セオリーを掻き消す野生の類だと直感した。

 

(右の打ち下ろし(チョッピングライト)───!)

 

直感と理解が繋がった瞬間。

身体を叩き起こしながら右腕をガードに回して。

 

(潰したらぁ!)

 

拳骨(ゲンコツ)落とし。

桁外れた握力から打ち落とされる右拳は繰り出された。

 

『………す、げぇ』

 

リングに煙で描かれる二本の直線。

描き終えた痕に漂う熱気が会場の温度を上げる。

ゴンザレスを倒した男は自分たちの想像を遥かに越えた存在だと、リカルドを飛ばした場面を見て理解したのだ。

 

オープニングヒットは軍神が獲った。

だが、無敗神話を相手にして炸裂した一撃が語る。主導権を握っているのは両者。どちらも流れを手放していない。

 

(いまのも当たらんか。ちゃんと隠した隙見つけても疑問持ちよる。せせこましいが、これが世界一…!)

 

ガードの隙間から荘厳と覗く瞳。

右ストレートを学ばせるために構え、それを先読みすると見越して拳骨落としに切り替えた。一連の動作を見抜く観察眼、思考に直結する運動能力。

規格外の存在に、千堂は云々と語るよりも真っ先にロープから飛び出した。

 

「王者が立て直すより先に仕掛けるつもりだ!」

「リカルドは反撃しない。脚を使ってアウトボクシングに移る。間に合うかギリギリだな」

 

息を呑む会場を追い越して、間に合わせてみせると脚が伝える。

千堂の武器。それは野生の勘であり、勝負どころで無茶振りに応えられる強靭な肉体にある。ゆえに間に合う。間に合わせる理不尽な強さがあるのだ。

 

「ウラァ──────!」

 

立て直すか、押し通すか。

際どい勝負を制したのは千堂の右拳。

 

「…っ」

 

リカルドの眉が微動する。

左腕でガードした。ガードは間に合った。だがこの試合で初めて、受け流すことなく直撃した虎のひと噛みに、自分の破壊力と遜色ないことを痛感させられたのだ。

体勢を立て直すとき、次の選択を確信してガードを固める。逃す意志はなかった、このまま懐で次なる機会を待つのだと知る。

ボディブローを受け止め、タイミングを測って身体を入れ替える。振り向きざまに大砲を見舞う。何度も繰り返し、何人もリングに沈んだ手順だった。

 

2度目、肉を千切りたいと牙が猛る。

 

3度目、いつ噛み殺すかを待っている。

 

4度目、(ティグレ)の視線が飢えに釣られて肉に捕われる。

 

5度目、口を開いた瞬間に視界から抜け出して。

 

「ぬ……!」

 

5度目、抜け出したリカルドを急旋回して捉えた。

誰の目にもビシリと駆け抜ける音が見えたとき。リカルドの身体はロープを張りつめ、そしてリングに戻る前に虎が駆けた。再び懐で肉を千切らんとするが、ガードで防いだ。

そしてリカルドは気付いた。千堂の思惑がボディ狙いではないことに。

 

(ガードさせて腕を削り落としたるわ)

 

自分の破壊力と同等だからこそ、まさかガードを捩じ伏せにくるとは思わなかった。強力なボディブローで下下と攻め、ガードを下げてから上を狙う。フェイントを含めた下積みだと早合点したことを恥じた。

違う、逆でもない。ガードは粉砕し、打ち合えと催促する。これは狩る者の矜持、これが虎の最強証明論。

千堂の仕掛けを技術だと思う観客は殆どいない。

数名が気づく。リカルドの予測を一瞬でも欺いたこと、それが千堂 武士の技術戦。軍神を陥す切り札である。

 

(これが狩場の技術か)

 

理解が全ての点を繋げた。

あと10秒も叩かれればこじ開けられるガード。千堂はチャンスを棒に振るつもりはない。このままガードを破壊して決着しようと、リカルドの無敗が招いた驕りでしかないのだから。

 

(おんどれの様子見に付き合うほど暇やないで!)

 

6度目、ボディブローに合わせてロープに身を沈める。

観客たちがざわつき始めた。大地をひっくり返すような地響きが6度も続けば、軍神の威力に匹敵するものと理解してしまう。

 

リカルドに油断や慢心はない。

誰よりも本人がそれを許さない。

 

(だが───)

 

4度目まで様子を見ていたこと。

5度目で見事に捕まったこと。

 

(潜在能力を見抜けなかったのは事実)

 

目蓋を閉じて脳内で逡巡する。

アウェイに招いておきながらの非礼、いますぐに謝罪を。

 

『ま、まずいんじゃないか!?

ティグレの牙がリカルドの守りを壊そうとしている!』

 

千堂の牙が肉を喰らわんと駆け出す。

 

あと一打がリカルドのガードを捉えたなら。

無敗神話を揺るがすことがあり得るかもしれない。観客たちは、いつか想像したIFの未来(さき)を千堂の拳に見た。

 

隙間なく左拳が装填されたとき。

 

千堂の視界に広がるリカルドは遠退き、一瞬後、リカルドの全体像を惚けたように眺めていた。

 

「う、ウソだろ…!?」

 

ボディブローは空の皿を凝視し、ティグレの空腹に食糧が着地することはなかった。

空腹から視界に切り替える。目の前には右拳を戻し終え、けたたましく原動機を鳴らす漢がいた。

 

(なんや、ワイは踏み込んどったはず………!?

む、足にキとる?カウンターもらったんか!?)

 

身体の異常に数秒遅れて気づく。

 

『強引な右ストレートでティグレを突き放す!

っていうより、これは…まさか!?』

 

そして、襲来する理不尽への対応が遅れた。

 

先ほどの千堂をなぞるように、怯んだ隙にリカルドは荒々しく熱気を撒き散らして右ストレートを放った。咄嗟に左へダッキングした千堂を追う薙ぎ払い。崩れ、姿勢を立て直すのに一秒。千堂が戦線復帰するまでにリカルドの強引なワン・ツーが炸裂する。ロープに叩きつけられながら、脳みそが危険信号を全身に発信する。

体勢を立て直す暇はないが反撃しなければ敗北寸前で相手はリカルド・マルチネスだ生半可な威力は自らを破滅させるだけでリズムを逆手に動かなければリングに戻ることすら叶わない下手を打てば約束をなにもかも破ることに──────

 

「──────────────────」

 

身体が崩れ落ちる。息を潜める。いや、呼吸は忘れる。読まれては面倒だから、己の勘にまかせてコンマ数秒以内に来たる反撃に身を委ねた。

 

────リカルドが踏み込む。

 

───トドメを刺すために。

 

──-足が着地する直前、前のめりに右拳を放った。

 

前触れもなく打った右拳、リズムを取れないほどめちゃくちゃなタイミングで。軍神の身体は野生の狩りを上回り、外から無慈悲の左拳を打ち込んだ。

 

会場中から光が消える。

 

観客席から音が止んだ。

 

リングから微かな呼吸。

 

「せ、千堂っーーーーーーー!

起きろ、お前メキシコにホラ吹きに来たんか!?」

 

真空を切り裂く柳岡の発声。

リングを叩きつける衝撃に、ゆっくりと千堂は反応して起き上がる。

 

「はーーっ、ぁーーー……!」

 

10カウント経つ前にポージングを決めながら状況を飲み込む。

 

眼前で鎮座する軍神の本性。

最凶が待ち焦がれる世界がすぐそこにある。

 

「ほんま…………偉そうなツラ、似合うやんけ」

 

暴力(バイオレンス)が降り立つ。

絶滅危惧種の最期の望みに応える。

 

「君たちには敬意を表さずにはいられない」

 

無敗神話史上初の出来事は統一戦のみに留まらず。

 

第1ラウンド残り1分、観戦する者全てが息を呑んだ。

 

歴史上最強の統一戦が決着へと加速していく。

 

 

 

 

 







絶望、襲来────
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