鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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歴史に届く

打ちのめされた身体を起こし、ダメージの具合を悟られないように平然と立ち上がる。

 

(ま、モロバレやろな)

 

拳を振り回すには問題ない。だがダッシュするには踏ん張りがやや足りないだろう。

殴り合いを許してくれるほど甘い相手ではない。いまの拳、ミキストリを越える威力があった。成る程と納得する、あの拳が直撃すれば耐久性に優れたボクサーでも軽々とリングに沈む。

 

(やけど、ゴンとは別種の重みがあるで)

 

構える直前、思い返したのはバイオレンスが現れた瞬間のことだった。

 

油断などしていない。いきなり本性に切り替わるのはゴンザレスで体験済みだ。試合中、ずっとミキストリと重ね合わせながらその時を待っていたのだ。そして、いざ本性が現れたとき、ミキストリの影は呆気なく霧散していった。

 

(伊達はんとの試合観てても気付かへんかった。ゴンと受け比べてよーやっと分かる違いや)

 

バイオレンスと恐れられる顔にはリカルドのみが知る本質がある。

 

ふと、ゴンザレスが試合後に放った言葉を思い出す。

”孤高。それがリカルドの強さだった”

未だに答えは分からない。本人に聞くことはしなかった。

 

(いまからゴンのメッセージ読み解いたる)

 

答えが返ってきたとして。きっと先入観に囚われて動きが鈍ってしまうだろうから。最も難しい謎解きに挑むため、ゆっくりと深呼吸をした。

 

 

 

 

荒れ狂う大空。

快晴か曇天か、もしくは異常気象と言うべき現象。

 

「そ、そんな…」

「なんでもう来たんだ!?」

「1ラウンドからダウンやと!?!?」

 

最強のボクサーによって圧倒的火力を見せつけられた。開幕、盛り上がる応援団たちを黙らせ、初めての事態に地元民すらも驚かせる。

ミキストリ以上とされる存在に、会場の雰囲気は一気にリカルドへと様変わりする。

 

千堂のダウンに動揺するのは応援団だけではない。

 

「柳岡、どうしてリカルドはいきなりファイトスタイル変えたんや!?」

「分からへん。そもそも、リカルドのあの姿なんて伊達はんのときだけや。

せやから眠れる獅子を起こす前にケリ着ける……そう思うとりました」

 

コーナーで見守る柳岡たちもまた、想像を裏切るリカルドの戦法に翻弄されていた。

 

「1ラウンドから来る可能性も考えてはおった。けど、結論は出とる。もう殴り合うしかないって」

 

それでも、ある程度のダメージを負わせることを前提としたもの。まさか1度のクリーンヒットすら与えずにバイオレンスが現れるなどとは思いもしていない。

足腰、脳に少しでも枷を取り付けてようやく拮抗する。それがコーチ陣の見解である。当の本人はいつでも殴り合えると言っていたが。

 

(そのために幕之内とスパーする言うさかい東京に行かした。こっちじゃゴンザレスに依頼してスパー相手になってもろうた。

現状じゃキツく見積もっても選手生命が危ない。情けない話、ワイが出来ることは声を掛けること。そして……)

 

タオルを見て、千堂が全力を出し切ったあとのことに備える。この選択肢がどれだけ歯痒いものか、きっと千堂自身が知っている。

 

柳岡を含め、会場中がリカルドの暴力に震え上がる。たった1人の本気が雰囲気を塗り替え、間もなく一色に染まり上がるとき。

 

「っ〜〜〜〜ふぅ」

 

小さく、それでいて応援団たちが聞き慣れた男の吐息が待ったをかけた。

 

「千堂………」

 

柳岡の心が熱くなるほど千堂は落ち着いていた。

前例のない事態をものともせず、次に訪れる敗北と勝機を見定める態勢でいる。

たったの一息で会場の雰囲気を引き戻した。

 

再開の合図を聞き届け、心地良さそうにリングを踏み荒らして軍神が暖機運転を開始する。本調子にはまだ遠く、しかし実力は既に世界一。まだ上へと昇る天井知らずの威光を喰らうため、絶滅危惧種は静かに己の牙を構えた。

 

(踏ん張り…ダメ。インファイトは論外や。気に食わんが、ゴンの言う通り……)

 

拳を交えるには千堂の出力が足りない。

ガードするなら反撃の機会は早々に訪れない。

千堂が僅か1秒で導き出した答え、それは2人が衝突する瞬間から始まった。

 

リカルドから繰り出される右は大雑把で、普通ならカウンターを合わせてもお釣りがくるばずのもの。然し、彼を知るものはその拳がすぐさま変化することを知っている。だから千堂は両腕を構えた。

 

『なっ!?』

 

カウンターを狙うことなく、射程外まで一気に飛び退く。

千堂らしからぬ敵前逃亡に会場が騒めいた。

 

「せ、千堂さんが退いた!?」

「最善だ。センドーは逃げなさすぎる。殴り合いに拘ってた証拠だろうが、俺たちはボクシングやってるんだ」

 

射程ギリギリを保ち、相手の挙動に即座に対応できるよう軽いステップを取る。消極的、或いは戦意喪失に見える行動をゴンザレスは讃える。

 

「腹空かせた獣がより狡猾になった。勝利するため、最も近い遠回りを受け入れたんだ。狩る側としての自覚は学んだらしい」

 

右利きの選手は基本的に左足を前に出す。

 

「ええぞ、常に左の外に回るんや。

そうすれば向き合うためにワンテンポ遅れる」

 

リカルドもそれに当て嵌まり、バイオレンスの数少ない避難場所を生むことになる。

リカルドの追従と千堂の回避行動は紙一重の攻防となった。3度、頬を、横腹を横切る暴威。僅か4秒程度の時間を生き抜いて、ざわりと肌を掴まれる感覚に襲われる。

 

相手はただの無敗ではない。

ボクシングを知り尽くす男。相手を追い、己の行動を分析し、勝利へ邁進するための取捨選択速度が世界一ということ。

次の回避行動、そして反撃を狙う千堂へと急旋回する。リカルドはアップライト(直立)へと変更し、フットワークに重点を置く。ここで重要なことは、フットワークに寄せても暴威は薄れない点にある。

 

(そこ───!)

 

ポジションを切り替える瞬間、ボディど真ん中に超低空スマッシュが炸裂した。

 

『あぁーっ!外から抉るようなスマッシュ!

急上昇する拳に思わずガードさせられた!!』

 

世界一の判断力を相手にするなら、直感に正確に応えることで差を埋める。ダウンしたときのダメージ回復が間に合った。次はガードを崩すこと。最短かつ凶悪な手段を実行するため両拳を握る。

 

(っし、足の踏ん張りも利くようなっ────)

 

前傾になったとき、眼前で赤い光が現実を弾き飛ばしていた。

 

「ぐッッーーーーーー!?」

 

『強引さでもリカルドが魅せる!

複雑怪奇な化学式に挑戦者押し飛ばされた!』

 

左拳で意識が消えてしまいそうになる。

だからこそ、千堂の闘志はここで噛み締める。世界一を名乗る男といまから殴り合いが出来るのだから。

蹂躙劇と終末論に火がついた。あとは全て灰となる。

 

「────は!」

 

息が弾む。

 

足を止め、リングに存在を知られたが最後、虎の生命は行方を眩ませる。そうなる前に、ここでヤツを噛み殺せと本能が叫ぶ。

ヨダレを垂らす野生児を前にして。リカルドもまた生存本能が全神経を叩き起こしていた。

 

一息で近距離(クロスレンジ)を踏み荒らし、野生を捻じ伏せる理不尽が羽ばたく。

左拳を受け止めたと同時にカウンターを狙う。しかし、千堂の動きを予期したというべきタイミングで拳が先回りした。筋肉の隆起に反応して、視線の移ろいに釘を刺す。

当たっては潜り、潜っては阻止される。思考回数は1秒毎に加速し、千堂の動体視力を上回る暴力装置が次のラウンドの入り口を塗り潰していく。

2人の身長は大して変わらない。だが体格で言えば千堂のほうが大きく、減量後もすぐに体重が戻る千堂がパワー負けするとは思えない。

 

(身を切っても、骨を砕かれても。キミたちは魂を落とさない限り蘇る)

 

思えないと、前評判で上げていたものが嘘のような光景。両者の影が交差し、拳が振るわれるたびに千堂の前進が止まる。踏み込もうとすればダメージの蓄積が増す。

幕之内が苦労し、やっとの思いで後退させた千堂がジリジリと潰されていく。伊達のときのように、幕之内が千堂の威圧に負けてしまったように。

 

打つ、打つ、打つ、打つ、、、、、。

隙間があれば強引に拳を捻じ込んでいく。

隙間がないなら踏み込んで場所を抉じ開ける。

 

(その熱意は私の魂まで燃え上がらせる。

攻めているのに、奇跡を積み上げていくキミたちが実に眩しい)

 

千里を駆けんとする脚力の目前に飛び込んでいく。千堂の拳が繰り出される軌道上を真っ先に通り抜けた。普通の反射神経なら空振るもの。然し、自慢の脚力で拳の軌道をねじ曲げる。

 

「ふ────!」

 

無論、と言った表情で。千堂の拳は肩で逸らされ、振り向きざまに右の一撃を叩き込まれる。

 

「千堂ッ!!!」

 

宙空から振り下ろされた鉄槌。衝撃音が物語るK.Oの鐘。

柳岡は千堂の意識に叫んだ。いまのは貰ってはいけない拳だった、無理に拳の軌道を変えたから身体が固くなっていた。つまり衝撃が逃させないということ。意識のないところに追撃されれば、最悪なら再起不能。

 

判断ミスは許されない。

選手を守るため、首に掛けるタオルを掴み取ったとき。

 

「はっ、(ぬく)いで」

「っ」

 

木漏れ日を浴びて起き上がるように、疲労なくリカルドを見上げる。一瞬、柳岡と交差した視線がその選択肢は早いことを伝えていた。

 

「千堂…!」

 

確かにいまの一撃は効いた。ダウンしたときよりも芯を捉えられた。決してバカに出来ないダメージが身体に溜まっていく。蓄積する毒を抜く時間はない、なら意識を保つ方法を見つければいい。

 

(柳岡はん、そのままタオル握っといてくれ)

 

柳岡とてトレーナー。選手を無事にリングから降ろすことも仕事のうちだ。相手がリカルドともなれば、幕之内以上に神経質になるのも仕方なく。ならば、己の運命を掴んでいてくれれば意識が否応にも負けを拒絶してくれる。

 

(ワイの意識を手放すんやないで!!)

 

改めて覚悟を決めて。退くことをコーナーに置き、脚力に任せて前進した。

 

『センドー迷わず進む!

リカルド(バイオレンス)相手になんて無謀な男だ!?』

 

口角を上げて、無音の咆哮を放つ。

心臓が活動を加速させる。

 

(分かっとるわ───)

 

まだ止まるなと叫んでいる証拠だ。だって空腹が癒えていない。早く血液を寄越せと心臓が訴えかける。獲物を寄越せ、餌を頬張れ、拳を握れ。そして、一撃をぶちかませ。

 

(けど、止まる理由にはならん!)

 

両者同時に踏み込んで、右拳を構えた。だというのに、千堂の右が出し遅れる。着弾するまでにリカルドは打ち終え、ガードする余裕があるだろう。

 

(ふぅ…)

 

力んでいた肩筋が緩む。首の筋肉繊維が緩和する。大きめにヘッドスリップし、常識よりも大きい軌道の右ストレートにサヨナラを告げた。

 

「か、躱した!!」

 

幕之内が驚愕の声を漏らす。

それほど速く、そして巧い回避だった。満点と言える行動はそれでも、千堂の右頬を掠めていった。回避する直前、リカルドが軌道修正をした証拠。もし紙一重を狙っていたのなら、呆気なく千堂はリングに沈んでいただろう。

 

頬が切れ、血が笑みの向こうに消える。

手応えのない右拳の下で(右拳)が大口を開けた。

 

「センドーに当てるために右に修正を入れた。

ワンテンポ遅れたこれなら…!」

 

ゴンザレスが興奮で両拳を握りしめたとき。

千堂の牙が狙いを定める。ここに思考は挟まない、挟んでは逃げられてしまう。既に、打つ場所は決めていた。

 

当たり前のようにガードする腕の感触は、まるで機械のように硬い外殻。

ガードされた。

絶好の機会を取り逃がした。

 

(なあ、それ無限ちゃうやろ)

(恐ろしい直感を持っている)

 

大半の観客がそう思った直後、2人の立っている場所を見て気づく。

 

『こ、コーナーだっ!!

あのリカルドがコーナーを背負わされている!!!!』

 

第1ラウンド、最後の10秒を切った。

誰が予想しただろう。追い詰められたリカルドの姿を。

 

「重要なのはそこじゃねぇっ!」

「あっ…!千堂さんの左が肩で隠れてる!」

 

スイッチという自覚はない。事実、これはスイッチではない。野生の勘が辿り着いた、神話を落とすための必殺。

身体に染み込んだ愛用の拳を見切るのは困難。たった今、コーナーに背中を預けたことにリカルドは驚異を感じている。何十年と忘れていた生命の危機に、ゆっくりと眼光を広げるほどに。

 

(────左っ)

(遅い───!)

 

それでも、軍神の見切りが虎の直感を捉える。

この瞬間、技術が入る隙間は千堂が潰した。いかに速く、最大火力を以って相手を捻じ伏せるか。鍛錬の積み重ねと勝利への執念が差を作り出す。

 

いま、死角から逃げ場のない必殺が放たれた。

 

(間に合わない、か…!)

 

必殺の牙が血肉で空腹を潤していく。

神話の玉座に響き渡る新星到来の音。

伊達ですら届かなかった場所にいま、骨が軋む音を合図に会場中の観客が立ち上がる。

 

「直撃だ!やりやがった!!」

「スマッシュ!あの威力ならチャンピオンでも問答無用で足が止まりますよ!」

 

リングに同化させんとする勢いで左を打ち込んでいる。身を持って体験している幕之内、ゴンザレスもまた歴史の針が進んだことを実感した。

 

(畳み掛けるで!)

 

針が1つ進む。静止する玉座へ向けて右拳を構えた瞬間、特大の空が落ちてきた。

 

「────か、ぇ…………?」

 

滑空する飛来物は地上の生命を轢き、止まることなく遙か後方へと昇っていく。

 

「なっ…!?」

「あれが効かないのか!?」

 

リカルドの赤いグローブは威光が衰えることもなく、試合開始前と変わらずに相手を見据えていた。

 

(重い………。この牙が急所に入れば、私でも顔を歪めていた)

 

3分前の彼と違うところは1つ。バイオレンスに身を委ね、蹂躙と手を繋いでいること。

 

(だが、急所を外す術を知っている。急所以外の直撃では、同階級で私を倒すことは出来ない)

(ヅっ〜〜〜〜、くそっ!)

 

千堂の右が空振り、内側で最強のインファイトが溜息を吐く。1つ、2つ、3つと、獰猛な獣を宥めながら血を浴びて。

 

(グラシアス(ありがとう)、そして────)

 

後退していく獣と視線が合う。まだ拳を、牙を見せる勇敢な漢へ激励を飛ばしながら右を放った。

 

(叶うことなら、また戦いたいと強く思う。

何度も私に挑戦する、ゴンザレス(マチモス)のように)

 

どてん、まるで中身のあるドラム缶を倒したように鈍い音を上げて転がる物体。

 

1ラウンド残り1秒。

駆けつけるレフェリーを他所に、リカルドは自陣へと足を進めた。

 

「そんな……バカな……!起きて、千堂さん!!」

「────センドー……ダメなのか」

 

会場中が沈黙する。

 

千堂のスマッシュをまるで意に返さず、悠然と暴威を奮った。幕之内も、ゴンザレスだって、あのスマッシュに苦しまされるほどの逸品。

伊達ですら与えられなかった直撃が灼かれた。漂う絶望感はこれからリカルドに挑む男たちに向けたもの。幕之内、ゴンザレスにとってあまりにも高く、手の届かない存在だと思わせるのに十分な結末。

 

思わず俯いたとき。

大きく、リングを踏み締める音が耳に届いた。

 

「なんや、葬式みたく黙りおって。

そんな顔見たくて、立っとるワケやないで…」

 

肩で息をしながら、千堂が立っていた。

誰の目にも結果は分かりきっている。柳岡でさえ悔しく涙を流していた。もう、勝ち筋が見えない。この先、無敗神話は塗り変えられないと決めつけて。

千堂 武士というボクサーがそんなもの、易々と受け入れるはずがないということを忘れて。

 

「────立てるのか」

 

勝機があるかは些細な問題。

リングの上には勝ちと負けが存在する。リカルドは無敵に近い存在だということは認めている。だからと負けない保証は誰にも出来ない。

 

「次、そのツラをギタギタにしたる。待っとれ…!」

 

そんなものがあるとしたら。

それこそ獣の餌と成り果てるだろう。

 

 

 

 

 







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