鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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幕之内 一歩の約束

ゆっくりと息を吸い込んだ。

 

肺に溜まる空気は冷たくて、ロードワーク直後のように暖かい身体の体温を下げていく。だが、それで良いと思った。もっと心を落ち着けて、言葉に過ちがないように注意しなければ、僕は一生後悔することになるのだから。

 

見上げた空は星々が輝いている。

僕がボクシングに出会った場所。はじまりの木の下で佇んで、ずっと星空を見て待っている。綺麗で大きくてひたすら長い、ずっと輝いてくれる流れ星を待っている。

 

”僕が勝ったときは…あの日、流してしまった久美さんとの話にケリを着けます”

 

鷹村さんに腕相撲を挑むとき、僕はこう言った。

あのあとも色々と酷いことを言ったけど、結果として鷹村さんはよく笑うようになった。そして、昨日ついに3階級制覇を成し遂げた。僕の起こした行動なんてちっぽけな影響だ。

 

(だから────)

 

思い上がってはいない。

あの人のことだ、どんな状況でもきっと勝っていたに違いない。だけど、悪い意味でお節介なのが鷹村さんなんだ。

 

(鷹村さん達が騒ぎ出す前にケリをつけよう)

 

幕之内 一歩はこの日まで、鷹村に宣言した約束を果たしてこなかった。3階級制覇までスムーズに決定し、自分の復帰に向けた練習、家の手伝いも重なって久美への告白のタイミングがなかったからだ。

今日、漸く夜に時間が空いた。お互いの空き時間を見つけて、少し寒いことを申し訳なく思いながらも久美を呼び出した幕之内。

 

(囃し立てられて僕が行ったら、皆んな付いてきてしまう。あの人たちに見られながら久美さんにプロポーズなんて、男としてダメだ)

 

復帰に必要だと思ったから。

そして多少の危険回避も含めて。

久美と友人関係から脱却するため、幕之内は決意を固めた。

 

(そんな理由を抜きにしても……。なにも持っていない今が、1番僕を見てもらえると思うから)

 

もし、いま見上げた夜空に流れ星が流れて。

 

3回お願い事を強く想ったら、願いは叶うだろうか。

 

もし、いま流れ星が流れなくても。

 

僕の言葉は受け止めてもらえるだろうか。

 

「こんばんは、幕之内さん」

 

その声で自分の名前を呼ばれたら、緊張で握られた拳が自然と解ける。

 

「こ、こんばんは、久美さん!」

 

いや、そうでもなかった。

想像しているような馴染んだ声は出ず。カチコチのロープみたいに張り詰めた返事をしてしまう。

 

「……ふふ」

 

久美さんは口元を手のひらで押さえて笑ってくれる。

そして、緊張の意味を知っているかのように、白い顔に赤みが帯びていくのだった。

 

「珍しいですね、夜に会うことって。

夜に幕之内さんを見る時って、リングの上が殆どだから」

「えぇ、不甲斐ないところばかりですよね。

だから、決めたことがあるんです。それを久美さんに伝えようと思いまして」

 

……とうとう、流れ星は来なかった。

いや、それでよかったかもしれない。

考えを纏めて久美さんと向き合えたから。

 

「僕、身体検査に問題はありませんでした。

これでリングに戻ることが出来ます」

「…………………やっぱり、ですか」

 

全部を言って、あとは成るように任せよう。

 

 

 

 

 

 

「僕、身体検査に問題はありませんでした。

これでリングに戻ることが出来ます」

 

想い人に呼ばれて、宣告されたことは期待とは真逆のセリフだった。

幕之内 一歩が試合から遠ざかってもうすぐ2年。間柴 久美は幕之内が現役を引退するのでは、と淡い期待を(いだ)いていた。

 

私はボクシングを好きになれない。

現在ライト級で活躍する兄、

職場の先輩の彼氏、

そして目の前の想い人。

 

身近に3人もボクサーがいて、ボロボロになるまで苦労している。

殴られて、鮮血が散る。

 

(……………やめて)

 

殴って、だけどすぐ殴り返される。

 

(………こわい)

 

だけど、彼らは止まらない。

意識が無くなるまで、勝ちが決まるまで。

そんなに好きなものを否定する意味くらい分かっている。

 

「…………………やっぱり、ですか」

 

自分で最低な返事だと思っていた。

けど、声音の調整が効かない。感情の調節キーは最最低から変えられなかった。

 

(また、そっちに言っちゃうんですね)

 

身勝手に悲しんで、収集のつかない路を拓いたかもしれない。もし、想い人じゃなく、恋人だったら、私を理由にしてくれたのかな。なんて痛々しい妄想を笑って誤魔化す。

一瞬の静寂。流石の彼も怒っただろうか。恐る恐る視線を上げて、表情を伺う。こちらを見ている瞳は、申し訳なさそうで、そして少しだけ赤い熱を帯びたもの。

 

「けど、このままだと復帰できないんです」

「え、えっと。どうして…」

 

恐れたことは実現しなかった。

だけど、もっと酷い路の前に立っている気がする。

誰かが俯いて、誰かが笑わない世界へ続く路。

 

「母さんを、試合に呼びたくて。母さん、痛いのは見たくないと言って、日本タイトルマッチのときも来てくれませんでした」

 

自分の子供が殴られて喜ぶ親はいない。

当たり前のことを備えた母親に、自分の成長を見てほしいと願う息子。

 

いま、私が恐れているなにかが避けられるとしたら…。

 

「だから、早いうちに観てほしい。僕が打たれないほど強くなるまで、復帰は見送ります」

「…………ぁ」

 

なんて他愛無い話題だろう。

こんな時間が続けばいいのにって思っていた。

私はバカだ、いま寂しいって感じて漸く分かった。

貴方はきっと自分に厳しすぎる路を選ぶ。

否定しよう、避けなきゃいけない。幕之内さんの本音が見え隠れした瞬間を取り逃がしたら、皆んな後悔する。

 

「私も、幕之内さんが打たれる姿、見たくありません」

「っ…………、その………」

 

私なんかの我儘に狼狽えてくれる。

優しい…優しすぎるんです、アナタは。

じゃあ、その優しさを変えてしまおうか。

 

嫌だ、今から言うことはきっと彼を不幸にする。

嘘だ、そんな未来は誰にも分からない。

もう、中途半端は辞めにしましょう。

 

「幕之内さん、私を………。私を理由にしてください」

「────え」

「私、幕之内さんが打たれない姿を見たいです。

勝つことより、無事にリングを降りてくれることの方が大切なんです…」

 

あぁ、言ってしまった。

本当は引退してほしいのに。

 

あぁ、困っている。

試合でダメージを負うな、なんて理解がない人間と思われたかな。

 

きっと、失望されただろう。

勝ちたいから試合をするのに、こんな言葉しか出てこなかった自分が恨めしい。

 

「────参ったな。尻すぼみしてたら、久美さんに先を越されるなんて。こんなんだから、試合でも被弾するんだろうなぁ」

 

それでも笑ってくれていた。

安堵したような、緊張が解けた表情を浮かべて笑っている。

 

「なら、もっと自分に優しくしてください。私や幕之内さんのお母さんにばかり優しくして、自分を疎かにするから打たれちゃうんです」

「き、肝に銘じます」

 

ちょっと強く主張し過ぎたかもしれない。

けど、これくらいで良いんだ。期待した話にはならなかったけど、路を間違えることは避けられたはずだから。

 

 

 

 

 

 

「き、肝に銘じます」

 

久美さんに念を押されて頷いた。

ここまで言われたら、母さんを呼べるくらいに防御テクニックを磨くまでだ。復帰まで時間は残されていない。久美さんの後押しがあれば、限りある時間でより全力を尽くせる。

 

「悔いは残したくないんです。リングの中でも、外でも」

 

沢山の勇気を貰った。

自分に嘘をついて、気持ちを放置しておくのはもう辞めだ。

 

…………よし。

 

「次に負けたら引退します。

そのあと、、ぼ、、僕とお付き合いしてくださいっ!」

「……………………お断りします」

 

ツ────────────────。

 

お、おことわり…されてしまった。

 

ちょうしに、のりすぎた?

 

なんで、だめなんだ。

 

わからない…

 

おわった…

 

「幕之内さんが負ける姿なんて見たくありません。だから、今からじゃダメ、ですか」

 

────────────えっ!?

 

(久美さんの白い顔がボクシンググローブのように真っ赤になっている。これって、いまの言葉っ、夢じゃないのか!?)

 

爆発した脳みそを掻き集めて、幕之内は生き返った声帯で滑舌良く返事をする。

 

「えっ、あっぁ……ほぁ……はい、勿論です!」

「よ、宜しくお願いします」

 

挙動不審なボクサーと、少しだけ強く踏み出せたボクサーの妹。高校生から牛歩だった2人の恋愛は、冷たくて長い握手とともに進展した。

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

まだ慣れない新しい関係に戸惑いながら、2人は帰路に着いていた。いままで離れていた間には一本の架け橋。

 

「き、緊張しすぎですよ。

た、ただ手を繋いだだけなのに」

「そ、そうですよね、アハハッ」

 

どういう感情で笑ったのか。幕之内本人にも分からないほどごちゃ混ぜになった感情で応える。

誰にも見られていないだろう、そう言い聞かせて手を繋いで歩けているのは奇跡かもしれない。加えて、緊張の要因は別にあった。

 

「間柴さんにも報告しなければ……。そう思うと、さらに緊張してきちゃって」

 

間柴 了。

久美の兄であり、幕之内とは試合をしたこともある最凶の要注意人物。このまま行けば漏れなく親戚となるボクサー。

 

「あー…いま、兄には近寄らないほうがいいですよ。

近々、世界前哨戦をすると言ってピリピリしているので」

 

そう言って苦笑いする久美。

予想外の情報に、幕之内は。

 

「え、えええぇぇーーっ!?」

 

夜道で間柴と会ったかの如く叫ばずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

刻は進んで、幕之内 一歩の復帰戦。

リングからは程よく遠い観客席にて。

 

「会長!ぼく、まだまだボクシングできます!」

 

母、幕之内 寛子(ひろこ)は息子が堂々の勝利を収めた瞬間をしっかりと見届けていた。

 

「やった!やりましたね、お義母さん!」

「そうね…喜んでくれてありがとう、久美ちゃん」

 

隣で大はしゃぎする久美。

行動の節々に釣り船に乗る姿を連想しながら、僅か27秒の親孝行は幕を閉じる。

 

「一歩、強くなったよ。お父さん」

 

息子の再スタートを喜び、ゆっくりと拍手を送った。

 

 

 

 

 

 

 









読者の皆さま、閲覧ありがとうございます!
4.29に投稿すると宣言しておきながら投稿出来なかったこと、お詫び申し上げます。
言い訳しますと、69話を丸々書き直していました。別の話で間柴の告知をする予定でしたが、ギリギリのところで久美への告白回が纏まりかけたので変更した次第です。
いつかの後書きで触れていた話を回収しました!

さて、ちょっとだけ独り言です。
原作では間柴が世界前哨戦をやったばかりですよ皆さん!!
リカルドの試合を目前にして間柴入れるのか!とテンションが上がる反面、原作のあとに同じ舞台を準備することが恐れ多いと萎縮してしまいます。
心の声(鷹村の世界戦前座にすれば先に終われたかも)
なんて思ったりしてました。

原作に負けないように書いてみせます!
どうぞ、これからも幣作、そして原作をよろしくお願いします!



【次回予告】

宮田 一郎が世界を獲った日、前座には日本の死神が降臨していた。

「この俺相手に調整試合とはいい度胸だ。
永遠に復帰出来ないくらいギタギタにしてやるぜ」

前哨戦に立ちはだかるのはキューバのオリンピアン。

「日本のボクサーは好きです。貴方たちは諦めないことを教えてくださります。
才能を磨いた拳、努力で築いた土台。私もいつか戦いたいと思い、今日その願いは叶いました」

インファイトを主軸に戦うボクサー、リボルブ。

「同郷の世界戦を祝う者同士、悔いの残らない試合にしましょう」
「甘い。苦痛で泣き喚くそのツラを晒し上げて、メインを観る余裕無くしてやるよ」

かつて苦戦した面影を振り払い、頂点へと進め。



世界前哨戦

WBAライト級2位

リボルブ・ゲイル


VS


WBAライト級7位

間柴 了



2022.11.18(金) 開幕




勝者予想のアンケートが見たいボクサーは?

  • 幕之内 一歩
  • 鷹村 守
  • 青木 勝
  • 木村 タツヤ
  • 板垣 学
  • 宮田 一郎
  • 千堂 武士
  • 間柴 了
  • 今井 京介
  • 星 洋行
  • 伊賀 忍
  • リカルド・マルチネス
  • アルフレド・ゴンザレス
  • ウォーリー
  • ジェイソン・尾妻
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