鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

71 / 127
リボルブ・ゲイル

 

1度、透明な音が鳴り響いて意識が醒める。

薄暗がりの倉庫の主人である男は独り、隅に設置した業務机から上半身を起こした。音のした方向に視線を移す。

透明な音の正体は扉に設置した鐘だ。5年前、この倉庫を()()として開いたとき、最初のプロボクサーから贈られたのがこの鐘になる。もう慣れた音のせいで、倉庫の主人は開いたことに疑問を持つのに時間を要した。

 

「………ちっ。鍵を閉め忘れた」

 

机の上に散乱する酒瓶を見ながら舌打ちを1度。

野太く汚い独り言を吐いて、まだ酒が抜けない身体で立ち上がる。目的は1つ、侵入者を捕まえて憂さ晴らしに殴る。その後は裏路地にでも捨てて、また酒で溺れる日に戻るだけの無味な計画を立て終えた。

 

「………4時?んな時間にコソコソと」

 

太く見っともなく堕ちた右腕に巻かれた白の腕時計。正確だけは保証できる針を見て、自分が舐められていることを改めて知る。苛立ちで拳を作り、見通しの悪い倉庫をゆっくりと壁伝いに歩いて侵入者を探す。

いや、直ぐに見つかった。ソレは無警戒にバーベルトレーニング用の椅子に座り、鼻歌を交えて近くの物を手にして遊んでいた。

 

「おい、金目のものは見つかったか」

 

一気に接近して、その後頭部目掛けて容赦無く拳を振り抜いた。後先のことなど考えていない。

いいや、ここで相手を殺めてもいいとさえ男は納得して、本気で殺しにいった。

 

「いま見つけました」

「なっ────」

 

拳が人を殺める事実はすぐに潰える。

朝食に並べたトーストのように暖かい男の手のひらで、シンクの生ごみのように冷たい主人の拳を止めたのだ。

 

「お、お前は…」

「初めまして、ラバル。私はリボルブ。

キューバでオリンピアンをしている凄い人なんです」

 

身長160cmのラバルに対して、リボルブを名乗る侵入者は170cm近くある。立ち上がった侵入者を見上げながら、ゆっくりと後ろに下がった。視界も悪い朝のなかでさえ、リボルブの陽だまりを纏う瞳に目眩を感じて。

 

「もっと凄くなりたくて、”ルイ”さんを育てた貴方を尋ねてきた次第なのですが………。お酒が好きなんですね」

 

その言葉で一気に目が覚める。

床に転がる自堕落な証拠。かつては高級オフィスの事務所よりも輝いて見えた景色はなく────。

再び思い出した過去を振り払うように、吐き捨てる。

 

「帰れ。その金象に泥浴びせてやろうか」

「『殺人拳』が尾を引いているんです?」

 

そして、地面に落としたフリをする言葉を容赦なく拾って返した。

ラバルは言葉を詰まらせる。喉の奥の空洞が心臓の鼓動を反射して、静かに記憶の蓋から光が溢れ始めた。

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

ルイ・ラファエル。

ラバルのもとでボクシングの研鑽を積み、3階級制覇を成したスペイン最強のインファイター。彼は陽射しのような心を持ち、彼の拳は誰よりも強かった。真剣に試合に臨むルイは、試合を穢す行為を最も嫌った。

3階級制覇を達成した2度目の防衛戦。勝ち目が無いと悟った対戦相手は、ラフファイトの限りを出し尽くし、ルイの怒りを買ったのだ。

 

「落ち着けルイ!!

そのまま突っ込めばヤツの思う壺だろう!!」

 

ラバルの静止に反応したのは一瞬。

仲間を侮辱され、師を罵られ、試合を穢した男をボクサーとして見ていない人間には仕方のないことであった。

第10ラウンド、血で血を染めるリング。対戦相手はリングに沈み、そのまま目を覚ますことはなかった。

生き恥を清算した尸を無言で見送るルイの心情を、ラバルは最後まで解き明かすことは出来ず。投げかける言葉が見つからないまま、最悪の試合は幕を閉じた。

 

リング禍。

その恐怖はルイに憧れる少年たちに刻み込まれ、ルイの背中は泥に塗れてしまった。

この試合を最後に、ルイがリングに戻ることはなかった。

 

 

 

 

──

 

───

 

 

 

「地元では”戦うお兄さん”と呼ばれるほど心優しい人物でしたね」

「……なにが言いたい?」

「私は彼の拳を広めたいんです!

あの素晴らしい必殺を────」

 

熱く語るリボルブは、誰かたちが何千回と唱えた褒め文句だ。

聞き飽きている。過食だ、もう喉を通らない。だから吐き捨てるために、拳を握り込んだ。

 

「ッ!?」

「同族で穢しちゃなんねえものが2つある」

 

当然、リボルブには止められる拳だ。

物理的なダメージは最初から求めていない。拳に乗せる怒りさえ伝われば良かったから。

 

「1つ、敗北。負けは戦いの資金石だ。負けを嗤うやつは負けに怯える。そんなやつの芯じゃ人は見向きもしない」

 

リボルブの言葉はラバルの怒りを買うには十分すぎた。

リング禍を生んだ拳は誰よりもボクシングを愛している拳だ。その拳を握らないと決意したボクサーのことを、再び世界に広めようなど信じられるものではない。ルイのことを弄んでいるとしか言いようがなかった。

 

「1つ、決意。男が口にした言葉は堅い。それも……1ヶ月、1つのことで悩み続けた男の言葉なら尚更よ。

ルイは引退した。ルイの影を追うなんざ、ふざけた真似をオイラの前で吐かすんじゃねえ」

 

話は終わった。

元々、会話が成立するとは思っていない。ラバルにはリボルブを指導する気はなく、その意味も見いだせないのだ。

呆気なく後ろを向いて、無言で帰れと伝える男に、リボルブは立ち上がると。

 

「私は、ルイ選手が試合をする最中の横顔が好きです。

彼の後ろに、沢山の想いが重なって見えました。そこに貴方の存在は大きかったはずですよ。なのに……。貴方はここに残り、ルイ・ラファエルを独りで見送ったんですか」

「────…………────…………」

 

惨劇から変わらないジムに居座る男へ、現実への入り口を指し示した。

 

「誰にも追ってほしくないなら、ここを畳めばよかったでしょ?それをしないのは、きっとルイさんを待っているからです!」

「なら、どうした。どうやって亡命したか知らねえヤツを、わざわざ匿う理由になりゃしねえんだ」

違いますよ(ノンノン)

貴方はルイ・ラファエルの復帰を待つ。

私はルイ・ラファエルと試合がしたい。

その繋ぎとして私と世界を獲りましょう!」

 

メチャクチャな本音を笑顔でぶち撒けた。

 

「それが、どんだけ高い壁か分かってんのか」

違う(ノン)。壁は1つにあらず!

世間が築いた壁なんて、私の活気で吹き飛ばします!

楽しんだ人間の壁ほど高いものはありません!」

「…………!」

 

リボルブは笑顔で、破綻も完成も備えた理想を唄う。

この時、ラバルは底知れない深淵を見た。リボルブを形成するポジティプ思考、その背景に付き纏うものを。

詳しい事情は知らない。ラバルにだって言うつもりのないことの1つや2つはある。

 

「………とんだバカがいたもんだ」

 

ただ、目の前にいるボクサーは誰のことも嗤わず、物事の行く末を愛おしむ心を持っている。それだけで、地獄の門を開ける覚悟は決まってしまったのだ。

 

「この世に天国は限りあれど、地獄に枚挙はない。

ここが冥土直通だったとしても、後悔はさせねえぜ」

「えぇ、勿論です!」

 

朝陽の出発とともに、2人の手は固い握手を交わす。

全てを失った漢たちの再起をここに綴る。

 

「黄金の国を築きに行く。着いてこい」

 

ここから3年、9戦を経て世界の頂点まであと1勝のとき。

無限に続く地獄の沙汰へと踏み込んだ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。