「────は」
試合が再開するや、間柴の頬が鎌の先端を写すように笑っていた。
顎から全身に駆け回る、聞かん坊な危険信号。
身体のためを想って排出される、失意の報せ。
その全てを上回る闘志と、凶々しい誇り。
身体に気遣われながら、地獄の民たちは熱い声援で死神を奮い立たせる。無茶振りは先刻承知、骨に亀裂があろうとも、勝利を信じて疑わない妹のため、間柴は行動を開始する。
『間柴飛び出したっ!!ダウンのダメージが抜けないのは明らかですが、それでも果敢に立ち向かう‼︎』
(やはり来ますか…)
リボルブは右グローブで口元を隠して、ふくらはぎから発する、光のような一瞬の痛みに歯を食いしばった。
急停止と急発進を瞬時に行い、確実に相手の戦意ごと腹を削り落とすヴァニタス。筋肉繊維への負荷は瞬間的に耐久値の上限を叩く。次に使えば精度が落ちるが故の必殺だ。
あれを受けて立っていられる人間が、果たして世界に片手の数いるのかどうか…。
いまのリボルブの気持ちは、例外に等しいボクサーを最初に引き当てた嬉しさ半分。
妹を悲しませる選択に憤りが半分だ。
(早く降りてください?妹を悲しませるな…。
さあ、ここからは手荒に行きますからね!)
軋んだ身体の音を無視して、漢は前に踏み出した。
先の先…ヴァニタスを極める漢に対して、いまから分析を開始しようとも全容を把握するのは不可能だ。
例え、第3ラウンドから第10ラウンドまで時間を費やそうとも、動きを見切るにはリボルブへの理解が足りなさすぎる。多彩な武芸を取り入れて、ボクシングを弾とした漢だ。接近戦のみに絞れるものの、遠距離戦を降す術は僅か6分で作り上げてしまえる。
重厚な装甲、柔軟な破壊力、そして
いまの間柴が出来ることは、誰が見ても尽きていた。然し、追いつけないと分かっている道を進む必要などどこにもない。
ここで大切なことはたった1つ。
どうやって咎人の首を落とすのか。
(強い……お前は確かに強ぇよ)
たった1つ、リボルブの先の先に対抗できる、間柴にも可能な手がある。
自分が被弾するとき、フェイントは一瞬だけ解かれる。そこを狙うカウンター。言うなれば後の後、後の先にも対応してくるヴァニタスへの、身を削る作戦だ。
(カウンター狙いですか。…出来ますかね?)
リボルブは間柴の狙いに気付きながら、自分の一撃を見舞うことだけに集中する。身体はふらついて、いまにも折れそうなのだ。物理的に打ち勝つ自負があった。
油断なくヴァニタスで距離を詰めて、頭上を通りすぎたフリッカーが戻るよりも先にリボルブは左拳を打ち込む。煩わしいガードを崩すため…と考えていた場所に、腹を守る右腕はない。
危険を察知しても、リボルバーは止まらない。
間柴はガードを挟まず、カウンターではなく相打ちでリボルブを仕留めにいったのだ。
「エ”────ッ───!?」
「グッ〜〜────オオ!」
リボルブの視界が左眼から色を無くす。
右眼は凡ゆる色彩を一斉に溶け合わせて、整合性の取れない現実に誘われた。
『大振りも大振り!
死に際の大鎌発が地上へ到達!身を削る一撃がリボルブを直撃する!間柴の常軌を逸した相打ちに堪らない様子のオリンピアン!』
解説の興奮しきった声もリボルブには届かない。
(どうした?詰めが甘いんじゃねえか?
死神が自ら知性を剥がした。
黄金の国の頂点に登り詰める、漢の恐怖心を利用して。
「いるんだよ、たまに。死に体からK.Oパンチを放つ化け物が」
間柴の常軌を逸脱した戦いにラバルは戦慄する。
死に物狂いでリボルバーを耐えられた。カウンターの反動でリボルブ自身にダメージが返ってきたのだ。苛立ちの1つもするだろう。
強風に煽られる旗のようにはためいて、両者の身体が後方に吹き飛ぶ。
だが、倒れはしない。
声援に支えられて。
強く在りたくて。
自分の身体が命尽きるまで、己の信念が負けることを許さない。
(見えますよ、死神の骨に染み渡る傷)
(聞こえてるよ、テメェらの声は……)
こうして、長い第4ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。
両陣営のセコンドが飛び出して、ボロボロの気高い選手を支えながら最後のインターバルに突入する。
▼
「間柴、良い反撃だった!まだまだ拳は生きてたよ!」
「周りがうるさくて……眠れねえよ。
バカみてえに纏めて、1人のボクサーを信じるなんざ……徒労だとは思わないのかね」
「皆んな好きなのさ、お前が戦う姿をさ。
皆んな知ってるんだ、久美ちゃんを守る背中を」
「────ハ、静かにすんのは苦労しそうだ」
「…………また、掻き消すのか」
「────いいや。
騒ぎ疲れて、喉を枯らしてやる。
そっちの方が…アイツも安心しそうだ」
「………!あぁ、あぁそうだ!!
皆んなに見せてこい、戦う兄の姿を!」
▼
ボクシングが憎かった。
私の家族がボクサーに殺されたからです。
妹も殺された。下らない動機で、幼少期の私は家族という暖かい場所を失ったんです。
ボクシングに復讐するため、ボクシングの世界に飛び込びました。八つ当たりです。私はボクシングを好きな人たちを相手に、最低な行為だと理解しながらボクシングで八つ当たりを続けました。
身体を壊すために、リボルバーは生まれました。
そんな時、彼は現れたんです。
「おいクソガキ!今からボクシングを教えてやるぜ!」
「なんですか、あなた…」
「俺?通りすがりの、優しいお兄さんだ。ちょっぴりボクシング好きのな!」
ルイ・ラファエル。
私をコテンパンにするのかと思ったら、彼は私の拳を全て受けきってみせたんです。
「プロに来い!スペインで、黄金の国を作りたがってるバカがいるんだ。お前の拳、ラバルなら正せるから!」
そうして、笑顔で彼は去っていきました。
オリンピック2連覇して、世界中のボクサーの夢を砕いてきた私は、たった1人のプロボクサーによって暖かい場所に連れ戻されました。
─
──
───
「どうした。意識がここに在らずだぜ」
「少し、昔のことを…。アマチュア時代のことを思い出していました」
「そうか…。少しは変わったか」
「ずっと、あの頃の私を額縁に飾っています。
ちょっとだけ色褪せてました。いまを生きてる証拠ですね」
「そりゃ良かった。お前が巻きに行くベルトなら、褪せることはねえからな」
「…………あぁ、そうでした。
これ、タイトルマッチじゃなかったんだ」
「気が早えよ。…オラ、決めてこい」
「〜ふう。はい、行ってきます」
▼
第5ラウンド、決着の3分間が始まる。
コーナーから出てくる両者の目がそう語る。
『誰の目に見ても決着の刻は近い。
さあこのラウンド、どちらが先に……』
間柴は顎の骨に亀裂が入り、リボルブはバランス感覚が戻りきらない。
かつてのライバルたちの影が重なる相手から、
リボルバーに恐れず立ち向かう死神から、
勝利を手にするために、待ち構える選択肢は除外した。
『な、なんと両者同時に飛び出した!』
リング中央を囲い、間柴のフリッカーがリボルブの射程外から放たれる。
(拳を打つごとに顎が軋む…。激痛で脳がイカれそうだ)
心を
過去よ、早く更けろと拒絶の一撃を────。
(ステップに身を揺さぶられます…。
1つ間違えたら身体が自分に飲み込まれそうです)
黄金の国を造り上げる漢の身体が、死神の園へと急降下を開始する。制御が効くかは不明、ただ墜ちているようにも、意識を持っているようにも見える姿で。
目蓋にかかる前髪が揺れて、フリッカーが前髪を掻き上げる。顎から幾つもの汗が滴を成して、右拳に居場所を教えるように光を反射させていた。
近づく、徐々に。
打つ、勝利を手にするために。
間柴のフリッカーも、リボルブのヴァニタスも刻一刻とキレが落ちていく。目に見えない距離で、汗一滴も見逃せない攻防に身を投じる。
何度打っても、間柴のフリッカーは頬を掠めるところまでしかいけない。
片や、フリッカーの一撃を受けるだけで瓦解するかもしれない身体。あと1歩先、直ぐに身体を入れないのは間柴の容態を確認しているからだ。ここにきて冷静に観察をするさまに会場の緊張感は高まっていく。
間柴もまた、右拳を打つ機会を窺っている。
カウンターを狙い、姿勢が崩れる時を待つ。
ヴァニタスを見抜くもよし、偶然の当たりを引くもよし、あの脅威的な踏み込みが来るなら迎え討ち、そして相手が自滅するなら容赦しない。
右の一撃に両者が覚悟を研ぎ澄ます。
数十秒の時を経て、零が刻まれる。
「………ふふ、ふ」
先に射程圏内に進んだのは、リボルブだった。
右拳で狙うのは身体。明らかに警戒している顎を狙えば、カウンターで沈む危険が高いからだ。
「付き合ってやるよ」
然し、既に準備していた右拳がリボルブの前進を寸断する。
咄嗟にウィービングで躱す。
両者不発のまま、しかし退くことはあり得ない。
ここからは、意地を張る死神と黄金の国を背負う漢の力の示し合い。
相手の土俵で/凶気を越えて、勝利を掴むのだ。
「2人とも足を落とした!」
「ここで決めるつもりだ!」
「どっちも限界だ…本命を当てた方が勝つ」
汗が身体に溢れて、気化した蒸気が光を乱反射する。
荒んだ呼吸音と麗しい唇。視界があちこちに神経を尖らせるなか、2つの拳は同時に相手を崩しにかかった。
『相打ちィ!?同時に相手の顔面を狙い打つ!』
間柴はど真ん中、リボルブは左頬。
右と右が交差し、散らばる光を追って反対の拳に力を込める。
機動力で上を行くリボルブが、5発目のリボルバーを打つ。然し、引き戻す右腕で第1ラウンドの如く弾道を外へと逸らしてみせた。そのまま、間柴の左アッパーは、即座に引き摺り出した
継ぎ接ぎの記憶が拳の形を成して、同じ轍を踏むまいと次から次に拳を打ち出していく。
お互いが絶対に受けてはならない場所を避けて、傷は少しずつ蓄積される。
『怒涛の打ち合い!!急所は守り、それ以外はカウンターを狙いに前へ、前へと突き進む!!
いつ終わるのか、どちらが勝つのかは最早誰にも分からない!』
「すごい、間柴さんが耐えてる!」
「リボルブがダメージ背負ってる証拠ですね」
「くそっ、あんだけ打ってなんで倒れないんだ」
地獄会も、鴨川軍団も、そして目を背けていた久美も。
自然と拳を握り、震える喉を鳴らして見守る。
(────ここです)
先に勝負の天秤を大きく傾けたのは、ヴァニタスで被弾数を抑えているリボルブだった。
間柴が放つフリッカーを躱して、狙いすましてグランデを放り込んだ。
(痛ッーー!)
同時に、左脚から疾る鈍痛。疲労に押された場所がリボルブの体幹をズラす。
それでも、幸運がリボルブを掬い上げた。
『リボルブの反撃がテンプルに突き刺さる!
あぁっ…間柴の身体が崩れ始めた!?』
上に逸れた右拳が間柴の急所に直撃する。
(ギ……キツイ……。足りない…のか。もっと、穿つような地獄が……全てを堕とす、凶気が…)
ついに点滅し始める意識。
勝利に手を伸ばしても、力強い1発で遠くに離されてしまう。会場中が悲鳴に染まっていく。
「お兄ちゃん……負けないで!!」
久美の願いが、間柴にも幸運を掬い取らせた。
(────────当たり前だ‼︎)
この瞬間、木村戦の危機的状況と景色が重なって、思わず頬が緩む。あの巫山戯た男に比べれば、恐怖を感じないリボルブが遥かにマシだった。
「ブ……っ!?」
「リボルブ!?」
左を横に薙ぎ払い、リボルブの側頭部に返礼をする。
やっとの思いで、再び死角から絶好の一撃を当てた。
「帰る場所がある人間に────」
流れる身体を左脚で押し留める。
もう脳に駆け巡る痛みは無視できた。
暖かい場所があるボクサーに負ければ、自分を見失いそうで怖いから。ルイに注目されるために、王座に就く必要があるのだ。
前、左右から切り滑る鎌をリボルブは両腕で受け止める。
「私は…負けるわけには…いかない」
迫る左拳を選んで、一撃を与える代わりに1発を見舞う。威力が違う、耐久力が違う、ならば崩れるのは相手が早い。
決死の覚悟で6発目の
「────ハ」
「────…」
狙い通り、左と左が交差して、必殺の一撃は間柴のボディに突き刺さる。
ただ一点、リボルブの定める理想を、間柴が血の1滴ほど越えたことを除いて。
『間柴耐えた!リボルブの膝が笑っている!』
左脚に力が込められなかった。
先に見抜いたのは間柴だ。ゆえに相打ちを受け入れて。
「リボルブーーー!!」
「行け間柴ーーー!!」
リボルブを見下ろして、右拳に最後の力を込めた。
ここに来て、やっと右脚にしか力が入らないと理解するリボルブ。
(俺が、勝つ………!)
(私が、勝つんだ…!)
間柴 了とリボルブ・ゲイル。
それぞれが想いを乗せた、最後の一撃が轟いた。
間柴の右拳がリボルブの側頭部を駆け抜けて。
「ま…………間柴アアアアアア!」
「いやっ、お兄ちゃん…!」
リボルブの右拳が間柴の顔面を攫う。
勝利から程遠い大地で独り、天上の門が閉じていくのを見ることしかできない。
「な、なんで!?
どうして間柴さんの右が外れたんですか!?」
「右脚だ…。リボルブは右脚で先の先をしやがったんだ。だから間柴の右が外にずれていた…」
「あ、あ………」
勝敗を決したのは、たったの一手。
リボルブのヴァニタスが、足を踏み込んでもフェイントを仕掛けられるように成長したこと。
(おれ、は────)
死に果てた大地のうえで葬送な音を連れて。
(ひとりで、………勝ち、いみ────)
死神から流れる瘴気を吸い込んだ長針は止まる。
”もし、あの拳が伸びきっていたら。
俺は今頃────────────”
あの日、木村 達也が届かなかった拳。
もし届いていたら、と。たった1度だけ想像したIFを、姿も形も違う漢が押し付けていく。
(キミの勇姿を戴きます)
リボルブが拳を掲げる。
絶対に忘れまいと、倒したボクサーの姿を心に焼き付ける。リボルブの青写真には、ほうほうと進む死神の灯りが1つ。再び会うために意思を持ったかの如く、輝かしい記録は残されるのだった。
『立っているのは………ただ1人……』
湯船の上を揺蕩うように惚けた目蓋、いまにも惰眠を貪る手前の口元。
朧げな意識を繋ぎ止めて、勝利の声を聞き届けたのは。
『試合終了────────!
世界挑戦の切符を手にしたのは、リボルブ・ゲイル‼︎』
「リョウに…暖かい讃歌あれ」
間柴 了、栄冠前夜に3敗目を刻まれる。
5ラウンド1分50秒、敗北。