鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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9度目の再起戦

 

 

 

後楽園ホールに訪れるボクシングファン、およそ半数が久しぶりの名前に目を瞬きさせ、厳しい感情を湧かせて席に着いていた。

 

第2試合ジュニア・フェザー級10回戦。

9位と記された対戦相手に対して、速水は所属ジムのみ。

当然だった。速水にランクを与えてしまえば、まだ試合をさせるのかとファンたちは怒りに狂って関係各社に無差別電凸をする者が現れるからだ。

 

「伊達ジム…?まさか、あの伊達 英二の?」

「ま、まさか……。音羽ジムを追放されるくらいガタがきてたんだ。元プロがスカウトなんてするかよ」

「そうだぜ。だって噂じゃ、パンチドランカーって話だ」

 

速水の引退後、音羽はジムの取材に「引退勧告した」と答えた。全ての責任が自身にあることを述べて以降、記者たちは様々な憶測を立てては記事にした。

事実と憶測は次第に噂となり、オヒレをつけて広まる。

人の耳から口へ、目から耳、身体から言葉を巡り、無意味な旅の終着駅は当人が受け持つものと人の世は決まっている。

 

「噂話には慣れています。俺は揺れません」

「みたいだな。強がりじゃないのは有り難い」

 

控え室、乗降者のいない駅で速水は伊達の問いに答える。

無人駅ではない。各駅にはこれまでも、そしてここからも1人だけは運転手を見守る駅長がいた。今日から新しくなった駅長は、金メッキを金に勝ると豪語する変人である。

 

「相手は今日10回戦に上げている。

ランク外のお前を選んだのは、タイトル前に慣れとこうってところだろう」

「相手が元タイトル挑戦者なら文句なし…と。

腹を立てるべきですが、いまは安心しています。3年以上も届かなかったランクが、直ぐそこだ」

 

右拳を左手のひらに打ちつける。

念願、今度こそ果たすべく気合いを入れた。

気合い過ぎは不味いと伊達は顔を覗き込むが、余計な心配だと直ぐに確信する。

 

「行きましょう、9度目で速水 龍一は完全復活する」

「ビックマウスは相変わらずだな」

 

伊達の軽口に笑い返して、控え室を背に歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今夜、後楽園ホールに幕之内 一歩の姿はない。

彼は今頃、復帰に向けて準備を進めている。板垣に確認してきたから、余計な力が抜けている。想像よりも身体は思うように動いてくれた。

 

「どうせなら、俺が戴冠する瞬間を見せたいもんな」

 

非歓迎ムードのホールは、速水にとって嵐の前の静けさと同じだ。観客や相手選手の意識が「あの速水が試合になるのか」と気に囚われているうちに、ブランクを埋めて試合を終わらせて見せよう。

 

対戦相手である火鳥乃(ひとりの) 陸の調子を確認する。

いわゆる角刈りが特徴のボクサーで、吊り目と小顔、身長171cmにロングスパンを活かしたアウトボクシングが強みだ。

この半年間で再三確認してきたプロフィールを脳裏に浮かべ終えて、試合前の挨拶に赴いた。

 

「挑戦を受けてくれてありがとう、陸くん」

「周りは、貴方を評価していませんが……」

 

リング中央で色のない顔で佇む陸は、速水の感謝に歯を見せて半歩前に出る。

 

「新人王決勝戦よりも、俺は緊張してますよ……」

「それは光栄だ。期待に添えるよう頑張るよ」

 

餌を見る目でも、獲物を狩る態度でもない。

8連敗している速水を同格、或いは格上と対峙するように畏敬を以って歓迎した。

 

「おいバカヤロウ!迂闊に喋るんじゃねえ!」

「………はい」

 

挨拶もそこそこに、レフェリーの決まり文句を聞き終えるや自らの選手に呆れた言葉を投げるセコンド。

 

「セコンドのやり口が汚いことで有名だ。

あのボクサーも、格上と認めた相手にはラフファイトを仕掛けてくる。インファイトの時には注意しろ」

「えぇ、分かりました」

 

あのセコンドの背中は、逸材を殺す姿だ。

伊達も同意見だろう瞳で彼を睨むが、セコンドの言葉を聞き流す選手を見て大人しくリングを降りていった。

 

本調子の自覚はあるものの、リングの上で試合が始まらないことには真実は分からない。1年と半年間、伊達ジムで過ごした記憶が後押しする。

なにも心配は要らない、と。同感だ、ここで怖気付く理由が速水龍一の辞書にはない。

組み上げ直してきたバックボーンに押されて、最後の昏鐘鳴(こじみ)を聞き届けた。

 

『さあ始まりました、ジュニア・フェザー級10回戦。

ここまで無敗、K.O率50%の陸と相対するのは、まさかの9度目の再起戦に臨むボクサー、速水 龍一です!』

 

挨拶の左拳をリング中央で交わし終えると、リングに舞い戻れた奇跡を確かめるため、速水の左が一直線に相手の顔面へと放たれる。

 

『先に仕掛けたのは速水だ!これはパリィ!』

 

クリーンヒットではない。然し、ブランクのあるボクサーという念頭は陸の頭から既に消えていた。

宙空に残る先制の左拳が余韻を残している。滞空する間が見えなかった左拳を見て、悲しい現実に眉をひそめた。

 

(………これが8連敗か。考えにくいね)

 

続けて飛び、加速する左右は観察の隙を誘い、前に進めば確実に手痛い目を負うと分かる。日本にいては嫌われそうな実力の持ち主だが、陸は……いや、この場にいる観客たちさえもが知っている。

 

速水 龍一がプロのリングに立つには、身体が脆過ぎる。8連敗とは刺し違え、苦し紛れ、信念のない拳でも倒れてしまう速水の脆弱さが招いたもの。

 

(手数で上回る。無理なら足、相打ち……)

 

だから誰もが速水を餌としてきた。速水の嫌になるような実力差を肌で味わい、選手に気を引き締めてもらうための8試合。勝算はまぐれの一発だが、無謀と言うには結果が物語っている。

それでも陸が格上と見ているのは、速水の技術力に純粋な評価をしているからだ。

 

(経験差は身体で埋めていく……)

 

1ラウンドはミドルで勝負をする。

勝利に必要な鍵、速水の必殺であるショットガンを攻略するために。身体を差し出して、最小限のダメージでカウンターを取ってみせようと意気込んで、速水の距離でステップを刻む。

 

『陸が攻める!今度は速水がガードで手一杯か!?』

 

ショットガンから見て分かる手数の多さは、陸のジャブの連打を悉く弾き落としていく。手首を回して、一回転する過程でカウンターのジャブを速水が放つと、首を倒して回避する。

左右のコンビネーションにはステップで軌道から外れて、外から一方的にジャブを打ち込まれた。宙に浮いているような重心移動は、小さな弧を描いては左右の拳を活かした舞いを見せてくる。

 

(貴方の躱し方を見て、学ばせてもらう……)

 

手数には手数、速さには先読み。

陸の理解が及ぶ限り、速水との間にある攻撃力の壁は徐々に崩れていく。人1人分の穴が空いたとき、速水の紙装甲に手が届いて、この試合は歓声に湧き上がることになるはずだ。

 

誰もがそう思っていた。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

『1年半ぶりのカムバック、注目は速水の被弾時だと言われていましたが……こ、ここまで被弾なし。それどころか第5ラウンド、なんと陸からダウンを奪ったぁ!!』

 

誰もが驚くようなパンチはない。ずっとカウンターを重ねて、ダメージの蓄積したところにテンプルを叩いた。徹底的にパンチを防御して、一方的な試合を5ラウンド続けただけ。

 

(俺のパンチだけ、届かない……!

相打ちどころか、ボディにすら当たらん……)

 

攻撃力で負けても、紙装甲だから大丈夫だと誰もが言った。

だが、弱点を補う技術力を身につけてしまえば?

誰もが思って、試合を重ねるごとに無理だ不可能と結論が積み上がり、総論は出た…はずだった。

 

「バカヤロウ!8カウントまで立つんじゃねえ!」

「………」

「立ったら前に出ろ。外じゃお前に勝ち目がない!」

 

机上の空論のように虚しいと流してきた理想に、速水が到達していることを陸は理解した。

 

(頭を狙えば肩で、腹を狙えばカウンターで距離を置かれる。会長は役に立たない……)

 

試合再開とともに陸は突撃を仕掛ける。

このまま行けば負ける。会長の指示は的外れもいいところ。だが、陸は汚い手段を選べるボクサーだから、的外れの指示を捻じ曲げて拳を当てにいくと速水は知っていた。

 

「大方、一撃当たれば勝てると見込んでの指示だろうが……魅せ方でもう負けてるぜ、アンタ」

 

伊達がコーナーで呟くなか、陸の大振りを躱して後退していく速水。3度の大振りで退いた先は、リングの瀬戸際だ。

 

『速水ロープを背負った!今度は速水がピンチだ!』

 

ロープに追い込んだ、と解説は言う。

その実、速水がバックステップで陸をロープ際まで誘い出した、と言うのが正しい。大手を振られては身体ごとぶつかられて、被弾以上の事故に遭いかねない。

追い込んだと見せて直進させた方が、速水としては技術的にも安パイが取れるのだ。

 

かくして、陸は疲労の身体を押して右ストレートを放り投げる。勢いの死んだ拳を避けて、速水が外から回ろうとしたとき。陸は右腕を外に伸ばして、速水の身体にしがみ付いた。

 

(ロープの外からなら……!)

(へぇ、そんなことするのか)

 

足がもつれて、陸の左腕が放り出される。ように見えて、狙いは死角から背後への卑劣な一撃。

 

「あの野郎、狙いはキドニーブロー(背面打ち)か」

 

背面打ち、即ち反則打であるソレは、レフェリーからは見えにくい位置から、偶然を装って腕を引き戻し際に当てにいった。

 

(覚えておくといい)

 

前の陸、後ろのロープに挟まれて、右腕で横への脱出を封じられたなかで、速水の優位な心持ちは揺るがない。

陸の左拳が悪意を持っていると見抜いた速水は、陸の左肩から自分の右拳をなぞらせて、目も向けずに左拳の位置を把握した。そして背面へと迫る瞬間、左拳を真上へと弾き上げる。

陸の左拳は盛大に空振り、更にはロープに腕を巻き付けることになった。

 

(背中を押されるなら、野次よりも激励がいい)

 

陸のラフファイトすら、いまの速水には届かない。

 

「腕をローブに引っ掛けただと!?」

「上手い!これで陸をロープに縫い止めたも同然だ」

 

身体が入れ替わる。

ロープを背負わされた陸は、速水の圧巻の観察力に魅せられて、ロープから抜け出す気力を無くしていた。

 

(静かに見守ってくれる心強さを分かる日が来る)

(打つ前から俺の拳を読んだのか……!?)

 

不敵に微笑み、龍に相応しい威風堂々たる出立ちはまさしく速水 龍一。速水を知る者の期待に応える拳を握り、速水を知らない者の心に焼きつける拳を放つ。

速水 龍一の代名詞、ショットガンがフィナーレを飾る。

 

「そんな……バカな…!?」

「棒立ちかよ。ここはタオル投入だぜ、おっさん」

 

駆け抜ける発砲音の如く観客の胸に留まる。

一瞬の早業、龍の駆け抜けたあとに立っている者はいなかった。

 

崩れ落ちた陸の姿を見て、次にリングの上で生き残った自分の両拳を確認する。

 

「やった………!」

 

かれこれ5年以上、手にすることのなかった白星を掴み取って、レフェリーの宣言を聞き届けた瞬間。

 

「勝ったーーー!」

 

外聞もへったくれもない、心からの歓喜に打ち震えた。

 

『ご、5ラウンド決着!勝者はなんと速水!

圧巻の試合でK.O!アマチュア三冠の天才ここに復活‼︎』

 

「おいおい!?速水あんなに強かったか!?」

「インファイト無しで勝ちやがった!」

「すげぇ!完全復活だぁ!」

 

前前座の試合にも関わらず観客たちは拍手を惜しみなく注ぎ、栄光を掴みに再出発した天才に激励を送り続けた。

 

観客席へと礼を返す速水へと、伊達も拍手をしながら歩み寄る。試合前から信じていた結果だが、それでも安堵の表情を浮かべずにはいられない。

 

「完璧すぎて逆に心配だった。俺だって復帰戦は本調子じゃなかったってのに、反則打をモノともしないのは凄すぎねぇ?」

「伊達さんがラフファイト仕掛ける相手だと教えてくれたからですよ。初見じゃ無理でしたね」

 

伊達の満面の笑みにそう返すと、伊達は更に喜んでオヤジ臭い笑い声を上げた。

 

「くそっ…勝てる試合を落としやがって…」

 

だが、背後で我が選手に悪態を吐くセコンドを見て、直ぐに同業者の顔を連れ戻す。速水も言いたいことはあるが、ここでの出番はないと分かっていた。

 

「お前のボクサーはそうは思ってなかったぜ。

お前は選手の足元すら見えていない。選手の欲しいもの(ことば)を知っていたら、結果は違ったさ」

「はあ?なんであんたが…もごっ!?」

「頭に響く……喋らないで……」

 

なにせ、伊達の指摘に頷いたのは他でもない、その選手自身なのだから。

意識を取り戻して起き上がった陸は、真っ先にセコンドの口をグローブで塞いだ。両者の仲は言うまでもないだろう。速水に一礼して、リングを降りようとする背中に伊達が言葉を投げる。

 

「文句の1つくらい言ったらどうだ。このままじゃ、お前さんの為にならねえぞ?」

「いえ……もう移籍するので……」

「はは、そーかい。頑張れよ」

 

ダメージを引きずる身体で歩み寄り、耳元で囁いたのは離反の言葉。

 

移籍した速水を知るからこそ、新しい世界に行く決断を陸は選べた。

 

手を振って立ち去っていく背中を見送ってから、勝利者インタビューを終えた速水たちは控え室に戻っていった。

 

控え室への道すがら、陸の決断を速水に伝える。

 

「移籍……。上手くいくものでしょうか」

「移籍は悪いことじゃない。あんなふうに潔い……つーか、見切るヤツもいる。反対に、選手のためにと移籍を持ちかけるパターンもな」

「海外じゃ珍しくない話しとは聞きますが、自分が当事者になったら頷くしかありませんね」

「言い方は悪いが、逃げも1つの選択肢だ。選手然り、俺たち指導者も逃がし方を知ってなきゃ、行き着く先は故障になる。追い込むだけのヤツは壊すことしか出来ない。

ま、結局は本人次第よ。

居場所は自力で見つけるしかない」

 

これらもプロの世界の鉄則だ。

引き際を見極めて新しい道を探すこともまた、プロに求められる才能だ。

 

火鳥乃 陸は速水 龍一が移籍した結果を見て、自分も移籍することを決意出来た。速水との試合には負けたが、陸にとっては人生の大きな転換期となることだろう。

 

「やっと日本ランカーまで来れた。

こっからは尚のこと早いぜ。取り残されんなよ」

「その意気込み、俺が選手だってことを忘れそうです」

 

そうして2人、肩を組みながら伊達ジムでの初勝利を大いに喜び合った。

 

笑い合う2人の背中を見た関係者は、しっくり来るものがあると語る。

 

 

 

速水 龍一、9度目の再起戦。

 

5ラウンド1分22秒、K.O勝利。

 

プロ戦績17戦8勝9敗。

 

日本ジュニア・フェザー級9位獲得!

 

 

 







執筆が追いついていないので、ここまでを前半とさせていただきます。
執筆再開は次回予告にて。

ちょっぴり独り言を。
速水の鬱展開を2話書く予定でした。引退勧告、ジム探し、思い出破棄の3つで速水の精神と脳みそ壊そうと思ったんです。
無理でした。速水のキャラを確認しようとアニメ観て原作読むとですね、努力の天才良い…となって、書いてる私の方が気が滅入ったので辞めました。プロット破棄した。
顎がバカになってるのは相変わらずなので、油断したら呆気なく負ける状況なのは変わってませんが…。そこはね、頑張るしかない。頑張れ速水。

今までは想定の3倍くらいに膨れてきた幣作ですけど、速水については2/3程度で復帰に漕ぎ着きました。珍しく!
この調子で後半も完成目指していきます。

あと少しだけお待ちを!

あっ、感想ありがとうございます!
速水の体調の心配や、伊達さん登場で感想頂けてとても舞い上がっております。返信出来なかったのは、執筆に専念していて返信文を考える余裕がありませんでした!
返信来ない、話が0時更新しない時は、こいつ書き溜めしてないな…と察して見守っていただけたら幸いです。





【後半予告】

「タイトルマッチの話が舞い込んできた」
「俺に……もうですか!?」

復帰戦から一週間後、伊達ジムを訪れた速水に届いたのは日本王者からの指名試合。

「こんなボクサーに勝っても箔は付かないぞ」
「彼は…僕の俳優人生を左右する逸材なんだ」

速水 龍一と同じショットガンの使い手、(みずち) 剣哉に招かれて、夢の舞台に最短距離で辿り着いた。

題名(タイトル)は…失墜伝説。龍の財宝を僕だけが戴く」
題名(タイトル)は…昇龍伝説!速水 龍一の最後の試合だ」

待ち焦がれた時間が直ぐそこに。

最後に紡がれる物語は、栄光か。

それとも、俳優の新章開幕か…?



日本ジュニア・フェザー級王者

蛟 剣哉


VS


日本ジュニア・フェザー級9位

速水 龍一



2023.3.3(金) 開幕



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