鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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俳優のしがらみ

 

タイトルマッチのリングを踏みしめて、居心地の良さに浸りながら速水は対象に立つ剣哉を見た。

思ったことを表すなら、不快感。周囲の期待にぐしゃぐしゃにされて、自分のやりたい事を妥協して成そうとしている瞳をしている。

 

「始まるぞ、大丈夫か」

「────えぇ。もしかしたら、1ラウンドで終わってしまうかもと思ってしまって」

「なんだって…!?」

 

伊達にそう伝え終わると、試合開始の合図が迫ってきた。

なにに足元を掬われているのかは知らない。それを利用するのは酷だろうか、と自分の倫理観に問う。返事は当然、ぶっ飛ばせだ。

 

────静寂、一瞬。

 

世界の命運を賭けたとでも言うように、2人のボクサーはゴングが鳴り響いた直後からリング中央を軸にして重い脚を上げる。突風にも揺るがないほどに緊張した雰囲気を投げつけ合い、距離を2メートル開けながら相手の調子を確認した。

剣哉は念願の対面を心で噛み締めて、これから自らを縛る情景と恩義への嫌悪感を和らげる。一方で速水は、腫れ物が足裏で暴れているように苛立ちを押し込める王者を観察しながら、2度目のタイトルの圧力に身体を慣らす。

 

時間にして20秒、それぞれの覚悟が心を満たした。観客たちが見えない戦いに痺れをきらそうとする直前、

 

(挑戦者らしく、俺から出ないとね!)

 

心から溢れ出した覚悟を堰き止めるようにして、速水の脚力が前へと飛び込んでいった。

 

剣哉が先制を譲ることはこれまでもあった。

事前に上からの指示でもあったため、待ち構えることには慣れてすらいた。だが、その剣哉が思わず踵を返そうかと思うほど、速水の勢いは始動するエンジンの如く迫力に満ちていた。

 

(ぐわっーーーー!?)

 

剣哉の身体を洪水のなかに浸したように、ロープへと押し流す速水の初手。足元を流れる濁流とは正反対の、腹から頭まで身体の前面を覆うように打ち尽くす必殺のショットガンだ。

第1ラウンドだというのに、剣哉はたったの30秒で血管の血流が止まったような錯覚に襲われる。

第4ラウンドでのK.O、ここに至るまでに手に汗握る攻防を、そして蛟 剣哉が輝ける試合を!という指示を出したマスコミ、そして承諾した社長に剣哉は問いたい。

 

『挑戦者から挨拶のショットガン炸裂‼︎

ガードの上から王者をロープ際に押し込んだ‼︎』

 

後手を選び、ショットガンにカウンターを合わせる準備をした上で、あっさりとロープ際に追いやられた現状を見て、指示を守らせるのか?

 

(────どうせ変えない)

 

大抵のこと…育った家庭環境にさえ滅多に文句を言わない剣哉が、悪態を胸の内に吐き出した。空想に霧散する吐息を裂くようにして、速水の一撃が心身に響く一撃を与えた。

 

『そして一気呵成の速水の先制イイ‼︎

剣哉ファンのブーイングをものともせずに攻める!』

 

次の一撃も、さらに次も速水の左右が鮮やかに剣哉を攻め立てていく。

必死でガードに徹する剣哉を、リングサイドで伊達は哀れんだ。

 

「精神的な不調だな。速水のやつ、恐らくは原因まで見抜いたうえで荒っぽく責めてんだ。

こりゃマジで1ラウンド決着いけるかもしれん」

 

試合開始直前の速水の言葉に合点がいく。相手のセコンド、地原は経営者でしかないのだ。あれは人を呼び込む人間であって、育てる才はない。

そんな地原に対して速水は怒り、剣哉がまだ本腰にならないうちに試合を終わらせてようと攻めに意識を割いている。

 

「剣哉!誰が打たれろと言った!もっとカメラを意識してパンチをかわしていけ!」

 

剣哉の被弾は、1秒ごとに積み重なっていくばかりで、作戦が完全に後手に回ってしまったと分かった。

 

(見て、分からないのか……!

彼の実力と高揚感がいま、僕を上回ってるんだ)

 

初めから敵のように見ていた地原を、開幕の野次のせいでいよいよ敵と認識してしまった。仕事をこなそうとするあまり、力み過ぎてしまう。

 

(人生の幸運と不幸に板挟みされて、気分が最悪に傾くとか…なんのための人生だよ────!)

 

片手ハンマーを手にしてジャンク品を勢いのままに砕くように、剣哉は肩を入れ込んだあとに右拳を振り放つ。平手打ちでもしたのかと思うほどに鋭い風切りを鳴らして、速水の顎に目掛けた拳を、速水は咄嗟に…反射的に肩で受け止めた。

 

『苛立ちに任せるようなスウィング‼︎

速水これを肩でブロックする、そこから!』

 

肩に乗り切った剣哉の体重を少しだけ後方に逸らし、剣哉の身体を紐で引っ張るように引き寄せる。

 

(しまっ)

(貰った!)

 

速水はこの瞬間、剣哉の苛立ちに悲しみを覚えた。彼が招待してくれたタイトルマッチに、彼の周囲の人間の理解が足りないがために、心が荒れて実力の半分も出せていない。

 

だが、と。右拳に伝わる勝利への手応えに、悲しみは呆気なく霧散する。ここに来た以上、不調も実力。全てを戴き、ベルトを巻く夢に1秒でも早く辿り着けるなら文句などあるはずもなかった。

 

『だ、ダウン!?ダウンだ!顔面に大砲を貰った王者、呆気なくリングに倒れ伏したーーー!!!』

 

地原のシナリオが崩されていく。

速水の過ごした8連敗を足元に見た報いを、のっけから受けさせた。

 

「き、貴様ら撮るな!剣哉の醜態を撮ってどうする!」

 

会場中から響き渡る万雷の拍手喝采が、速水の鮮やかな快進撃に注がれるものと理解した会長は怒り狂う。

選手を心配するよりも俳優としての名を気にする姿に、コーナーへ行くように指示されて来た速水が嗤いかけた。

 

「アンタんとこの記者がカメラ構えないからバレバレよ。舐めた指示出しやがって」

「ぐっ────このっ」

 

吠える地原を意識の外に追い出して、速水は立ち上がる俳優を完全に見下した。

 

(こちとらなぁ、人生最後の試合のつもりで来てんだぜ。なのに最初にやる事がクレームだと?最悪の王者だな!)

(社長、貴方の言う通り抑えた過程でこのザマ。

我ながら最悪の言い訳だけど、貴方の指示のせいだ。本気で負けそうで焦ってますよ……)

 

両者が持つ怒りは同じ人間に向けたものだが、清水と下水ほどの質の違いがある。この差がある限り、勝敗の行方は関係者なら簡単に知っていた。

 

(先制を譲った代償が、ここまで重いなんて…!)

 

カウントを越えてリングに戻ってきた剣哉は、この試合が地原のシナリオ通りにならないことは理解していた。インファイトでは相応の傷を負うし、ショットガンの出し合いが勝負を左右するという気構えでいた。

 

(手を止めて考え事とは舐められたもんだぜ。

接近戦だって出来るのを教えてやるよ!)

(や、ヤバいっ)

 

必殺技の応酬なんてレベルの話では済まない。ただ純粋に、ボクサーとしての練度で負けているのだ。

油断した隙を見抜かれて、得意の接近戦で打ち負ける剣哉。大波乱の現実に剣哉のファンは悲鳴と罵声を、剣哉のファンに反感する観客たちは速水の攻勢に盛り上がっていく。

 

幕之内たちもまた、予想外の開幕に驚きを隠せなかった。

 

「速水さん、どんどん近距離を詰めていきますね」

「そりゃ今が攻め時ですから!速水さんなら直ぐに離脱出来るし、反撃来るまでは徹底的に追い込むでしょうね。

これはレフェリーが止めるかも!」

 

板垣は興奮して期待に胸を膨らませるが、幕之内は嫌な予感を振り払えずにいた。

 

「剣哉さんの試合を幾つか観たけど、もっと動きにキレがあった。そこが気がかりなんだ」

「剣哉くんのように、大手スポンサーがつくボクサーは試合の段取りを指示されると聞いたことがある」

「それ、今は手を抜いているってことですか?」

「悪く言うとね。でも、僕にはそうにしか見えない。剣哉くんは手数の多いボクサーだ。見応えのあるボクシングでファンを虜にしていたよ」

「じゃあ今の速水さん、怒ってる…?」

「だから手を抜く間に倒そうってことですね。作戦は大成功だ!」

 

小橋が確信をもって頷くほど、いまの剣哉の態度には問題しかない。

 

「そりゃ、怒りますなぁ」

「そーですよねー?」

 

板垣が頷き返したのは、隣に座る老人だった。親そうにするものだから幕之内と小橋も視線を向ける。そこには、清水寺の懸造(かけづくり)を見上げるような貫禄のある老体が、板垣に話を振っていた。

 

「皆さんは速水くんの応援を?」

「そーなんです!僕たち、皆んな速水さんと面識があって、こちらのお二人なんて試合したことも!」

「ほぉ!それはそれは。私は剣哉くんの応援で来ております」

「へぇ〜、珍しいですね!彼の応援は女性しかいないイメージでしたよ」

「あははは。実は私も彼とは面識がありましてね」

 

俳優と面識がある凄い人なんだな、と幕之内が関心していると、老人は両足の間に立てる杖を握りしめながらリングを見上げた。

 

「彼の持ち味は、なにも活かされておりません…」

「ぁ、そう、なんですね」

 

努力が実らない孫に掛けるような視線を向けて、次に道を踏み外した息子に向ける怒りの眼差しをセコンドへと突き刺した。

迫力に3人共が気圧されるなか、第1ラウンド終了のゴングが鳴り響く。

 

『ここで第1ラウンド終了です!圧倒的な力を見せつけて、王者交代の予感が会場中に伝わりました!』

 

リング上、ロープ際で必死に耐え抜いた剣哉が宛名のない視線をマットに落としている。ファンらが絶句するほどの姿だ、こんなピンチは見たことがないのだろう。

速水はこの雰囲気を作る本人に背を向けながら、

 

「ここはリングだ。漢と漢の真剣勝負が約束された密室だ。それを破るのはボクサー自身さ」

「────────っ」

 

プロボクサーの姿を後輩に伝えた。

お前はこのままで良いのか、と。相手を舐めて、ファンを意気消沈させて、このまま外聞のためだけと言い訳をする。そんなプロボクサーならば、いまの速水を前にして2ラウンドは保たない。

 

「次のラウンドでベルトは戴く」

 

当たり前の現実を見せつけて、堂々と伊達の待つコーナーへと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうです?」

「どうです、じゃない!

どうして負け越してるボクサー相手に倒されてる。わざとダウンしたんじゃないだろうな?」

 

地原は初ダウンから帰ってきた剣哉に混乱の種を投げつける。他責の極みでしか無い悪手に剣哉は苛立ち、地原を諫めようとするチーフセコンドたちを両腕で制する。

 

「自分で出した指示のアテが外れたんです。次の指示をください」

「次だと…」

「4ラウンドK.Oのシナリオを変えようって話!このまま4ラウンドまで手を抜けと?負けますよ」

 

自分を苦しめる世間体という名の重りを指差して、異常な現実だと抗議に目を細めた。

 

「ぐっ────。か、簡単に変えられん。もうマスコミとの打ち合わせもしてるんだぞ」

「それ、僕は参加してませんけどね」

「兎に角、あんなものは記事に出来ない。絵面は最悪だ。打ち合いが無理なら…」

「最初からピンチのようだけど、地原くん」

 

感情で剣哉の見上げる天蓋を埋めたくさんとする地原は、その呼びかけに大樹のミキにでも絡まれたような焦りに狼狽えた。

 

「か、監督────いや、これはな……」

「しゃーしいわ、このボンクラ」

 

年季の籠った叱責が飛び、ロープを越えて老人の杖が地原の頭上に振り下ろされる。その行動は剣哉にとって鼓舞のように思えた。

 

「つ、杖で殴った……!?」

「元気なお爺さんだなぁ」

「板垣くん呑気だね…」

 

慌てて静止に入る係員に抗いながら、老人は地原に不合格と言い放つ。

 

「速水くんとセコンドの熱量を見ろ。勝機を引き込む温度だ、役者が原作を越える理解度だ。

それに比べて…こっちは寒くてしゃーないわ」

「────ぅ…」

「ここは撮影現場じゃない。

蛟 剣哉の顔を見せる相手は、ただひとり」

 

老人はそう言うと、剣哉を指差して笑った。

 

「オーディションはまだ終わってない。

さあ、主演をもぎ取ってみせなさい!」

「──必ず、悪の勝利をお見せします」

 

係員に持ち上げられながら降りる老人を見送る剣哉は、目の前に立ち尽くす地原に一礼をする。そして、翌朝の陽の出を見たような気分で第2ラウンドに臨んでいった。

 

「禍根はその場で解決。これ長生きの鉄則ね」

「は、はい……ためになります」

「お、お爺さん、お名前はもしかして…」

「あははは。名を地原…と申す者です」

 

板垣の問いに答えた老人、地原に笑いながら、板垣だけが一連の行動に合点がいった。セコンドの名前も地原であり、地原プロダクションという大手芸能事務所の二代目社長だ。

 

「お、お父様でいらっしゃいましたか」

「人を見て態度を変えるのは感心せんなぁ!」

 

ニカニカッと笑う老人、地原プロダクション初代社長は板垣の背中を叩き、ようやく試合が始まったことに喜んだ。

 

 

 

 

 

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