鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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ロード・オブ・スター

 

後楽園ホールの雰囲気は1ラウンド終了直後ですでに、速水のタイトル奪取への期待感で包まれていた。

 

「あまり褒めたやり方じゃねぇが、選手が満足そうだし俺からは注意しねーぜ?」

「ありがとうございます」

 

それは、2つの意味の感謝だった。

1つ、速水が敵に送った塩を良しとしてくれたこと。

もう1つは、敵の本調子でさえ速水 龍一が負けることはない、と信じて笑ってくれたことだ。

 

「速水 龍一の越える最後の壁は、人生で最も高くなきゃね」

 

伊達のエールに見送られて、速水は第2ラウンドの幕を潜り抜けた。

いつものようにオーソドックスで構え、ステップを駆使してミドルレンジでの勝負を仕掛けようとした直後である。あるはずの情景が反転した、ように感じるほど速水への期待感を速水自身が見失っていた。

 

(不思議な体験をしている………!)

 

速水が踏み出した先はリング中央だ。

何度もDVDで観て、何度となく伊達や板垣を相手にシミュレーションを積んできた相手へ向かったはずだ。

第1ラウンド、想定よりも下回る蛟 剣哉はそれでも過去の範疇から見る影のある弱体化をしていた。だが、1分前の彼はもう何処にもいない。

 

(剣哉くん以外に意識できない────)

 

ここは深い渓谷の底ように暗く、朝日を見下ろすほど高い山頂のように見晴らしが良いながらも、1つの過ちで死に至る息苦しさを兼ねている。

まるで、いや…正しく密室の世界。

自分でリング上を密室と言っておきながら、いざ雰囲気を作られると熱い生唾で寒気を誤魔化すくらいに、剣哉が魅せる瞳に圧倒された。

 

速水の動きが停止したのは第2ラウンド2秒間のこと。伊達や幕之内たちが異変に気づいたとき、異変の正体を知っている剣哉はプロの拳を握り、そして開幕、大胆な右ストレートで速水の顔面を攫いにいく。

 

(う─────ぁ───っ!)

 

咄嗟に取ったバックステップに救われた。顔面すれすれを過ぎていく突風を視認して、それの正体に困惑した。

 

(いま、俺は何を突きつけられた!?

ナイフか!矢か?それとも、まさか拳か…!?)

 

冗談ではなく、本当に鋭利なモノに見えたのだ。

剣哉の作る拳が、打つ以外の手段を錯覚させる。未体験の状況に距離を置いた速水が次に見たものは、新しい雰囲気に切り替わった剣哉の顔だった。

 

「これが憧れを追う拳です」

 

九日間も地上を襲う雨雲を切り裂くような、晴れた眼差しを向けながら笑っている。

 

(強さ自体は元に戻っただけ。

中身だ、気持ちを入れ替えやがった)

 

とんでもない、途轍もない、途方もない道に踏み込んでしまったと知る。

 

「あれ、剣哉くんよね………?」

「なんか、雰囲気が違うよね」

「ひっ…怖い…!けど素敵」

 

身を押し潰す圧迫感に付き纏われながらも、速水は迷いなく前進を選択する。雰囲気で気圧されたのなら、心意気で負けるわけにはいかないのだ。

ミドルレンジに入る直前、剣哉の両腕が壁を築いた。速水を圧したボクサーの行動とは思えないものの、罠であろうとも速水が迷うことはない。

 

(どんな壁を築いたってさ)

 

罠を洗い出し、全てを凌駕する必殺。

剣哉の誘いに応えて、速水の拳はミドルレンジで最強の連撃を打ち出した。

 

(俺のショットガンを防ぐのは不可能だ)

 

発射コンマ数秒、剣哉のガードを押し退けんと無数の拳が壁に届き、そして汗水のように地面に落ちていく。届かない拳があとを託し、無数の拳が剣哉を守る壁をすり抜けて着弾を果たした。

余るほどの手数はショットガンを知る剣哉ですら、全てを見切るのは不可能だと再認識させるほどだ。ゆえに剣哉が狙うのは、その打ち終わりである。

 

(ここ、だね────!)

 

ショットガンの切れ目、弾丸の補充する隙間。この技の弱点と言える僅かな隙間に目掛けて、剣哉の左ジャブが打ち込まれた。

 

(それなら知ってんだよ!)

 

全てを見切っていたのは速水だった。

左ジャブをダッキングで躱しながら、右フックで鮮やかな反撃をお見舞いする。

 

『あぁっと速水カウンターを読んでいた!

華麗な切り返しでチャンピオンにカウンターを返品‼︎これには堪らず後ろに吹き飛んでいく‼︎』

 

速水のショットガンに対して、どう対策を取ってくるのか。練習の間、伊達や板垣と思考を重ねた結果がショットガンの打ち終わりを狙うことだった。板垣ほどのセンスでもショットガンの打ち終わりを狙うのは苦労した。これをショットガン使いなら、と考えたとき。剣哉なら可能だと速水は確信していた。

 

(さっきの演技?だかには驚いたが、それで俺の手を止めたつもりじゃないだろう)

 

それも見事なまでに打ち破った。

気色の悪いものを垣間見たいま、速水は少し強引にでも試合を終わらせにいく必要性を感じている。故に、危険を承知でミドルレンジから更なる追撃へと転じようとした。

 

(なら、これはどうですか)

 

ロープに背を預けながら強引に体勢を整えた剣哉が、迫る速水に向けて拳を構える。まるで速水 龍一を身体に宿すようにして、ショットガンの姿勢をそのままに前へと踏み込んだ。

 

「来た!」

「王者のショットガン…!」

 

それはDVDで何度も確認した剣哉の癖。

速水のモーションを参考にした、剣哉流のショットガンの前触れだ。

観客席で見ていた板垣が直ぐに分かったのだ、速水はもっと早くに分かっている。

何度も立ち向かい、最後の最後にはカウンター成功率90%を越えたショットガン破りの左拳。このショットガンに左拳を合わせて、ど真ん中を突き破れば速水の勝利は目前だ。

 

(まただ……これは、なにかまずい!)

 

見慣れた、突破可能な壁を前にして。速水の左拳は突き出されることなく、逆に壁をもう1つの練習の成果であるショルダーブロックに切り替えてしまった。

 

『速水思わずガード‼︎自分の必殺技には手出し出来ないか?それ程の完成度ということなのか!?』

 

身を滅ぼせと捩じ込まれる無数の一撃。

勝負の世界で培われるものではなく、勧善懲悪を生業にする者の重みを速水は一瞬の間に味わうこととなった。

 

(ガードは正解だった。左で破ろうとしたら、怖気のせいで負けていた)

 

凌いだ瞬間にバックステップでミドルから脱出する。

身に覚えのない…受けようのない感情を浴びた身体は、少なくないダメージに筋肉繊維が千切れそうになった。

 

「身体を縦にして被弾面積を抑えて、しかもショルダーで顔へのダメージを更に減らす!速水さんだからこそ出来るガードだ」

「よっし!速水さんのショットガン対策、あれ手伝ったの僕なんですよ!………って、なんでガードを?」

 

板垣の疑問に、幕之内は嫌な予感をいよいよ確信するしかなくなってくる。

 

(その目、その高揚感……)

 

ガードする拳に違和感を覚える。彼の拳はここまで重いだろうか。いいや、あり得ない。火事場の馬鹿力だとしても、ここまで心に効くものではないはずなのだ。

然し、心当たりがある。記憶の奥底、近くて遠い場所にある、苦い伝説の始まりが。

 

「あれは……そうかよ!

あの俳優、とんでもない攻撃を仕掛けてきやがった。分かるか速水。カウンターを躊躇した、その悪辣な雰囲気を」

 

伊達が思わずリングを叩くほどのもの。伊達も知っている雰囲気を、速水は少しだけ先に解を出していた。

 

(────────幕之内だ)

 

新人王準決勝、速水 龍一は幕之内 一歩に敗れた。

その試合の最後に受けた顎へのアッパーが尾を引き、8連敗した。

 

”────また、震えが止まらない”

 

本人も幕之内を責める気なんてことさら無い。あの試合結果には満足しているし、人生で自分を強くしてくれたと感謝すらしている。

 

”……また、朝になってる”

 

それでも、不眠の夜が続き、敗北に怯える日々が幕之内の姿を脚色していく。泥沼と化した8連敗が過去の分岐点、幕之内との試合に悪魔の悪戯を仕掛けてしまった。

 

(新人王のときの幕之内に、見えちまってる…!)

 

それが、速水が怖気で感じ取っていたものの正体。

どうやって身に付けたのか、この男。速水が毎晩眠れず、ダウンに怯えた日々を送る根幹に在る原因である、幕之内 一歩の気勢を纏っている。

 

顎に蘇る一撃、幻覚だ。

側頭部を揺さぶる一撃、あり得ない。

 

蛟 剣哉に幕之内ほどの馬力はない。ない筈なのに、速水の身体は否応にも記憶を蘇せて、再び過去に捉えようとしてくる。

無為に潰してしまった速水たちの手が、速水 龍一の足元に縋り付いてくる。そここら逃げようと、後ろに退がったとき。それは現実の速水がたじろいだ証拠でもあった。

 

(あ、ぁ────)

 

この隙を見逃すほど、剣哉の想いは薄情ではない。

 

「まだ、見てないんだよね」

「………?」

 

いま、夢を語ろう。

皆んなが愛して、俳優と讃える男の夢を。

 

「龍一さんの泣きっ面」

 

もし嫌だと言うのなら諦めてほしい。

ひと時の夢を追った日々は悪酔いしていただけ。

 

「ファンとして、見たいじゃないか」

 

そんな想いから、ミドルレンジに踏み込んだ積年の拳を込めて、左拳を握った。理由はただ1つ。

 

(は、離れろこの偽者が……!!!)

 

速水 龍一が相手を突き放すとき、幕之内にそうしたように、幕之内に通じたショットガンを繰り出す確信があったからだ。

 

「待て!無闇に手を出すな、速水────」

 

伊達の呼びかけに応じる余裕を速水は失っていた。

俳優が本気で演じる速水の恐怖。防衛本能を燻る殺意に、速水は咄嗟にショットガンを放り込んでいたのだ。

 

「ブッ!?アぁ…!?」

 

首を刀で斬ったら噴き出す血のように、速水の顔面を殴打する剣哉の左拳が汗涙を宙空へと舞い上げた。

 

「ショットガン破りの……左ジャブ!?」

 

剣哉のグローブを慌てて凝視した伊達は、血痕など一滴もないことを知る。同時に分かったのは、速水の身体を打つパンチが速水の生命を押し潰さんとすること。

立て続けに、持ち堪えた速水の身体へと放たれる、王者渾身のショットガン。倒れ伏すまでの1秒間、宙空で捕まえたが如く好き放題に左右を叩き込んだ弾数を見て、幕之内らは声がないほどに顔を青ざめていた。

 

『や、破ったアアアアアア‼︎

俳優の左拳が元祖ショットガンを真っ向から打ち破る‼︎場内騒然、そして剣哉ファン大興奮!

これには挑戦者たまらずダウンだアアア‼︎』

 

見届ける憧れの存在を灰色の瞳に焼き付けて、剣哉は左拳を掲げながらコーナーに戻っていく。

 

(これが僕の魔王像。速水 龍一の財宝を戴く姿さ)

 

その拳には、確かに欲していた表情を掴んでいた。

自分の俳優人生で最も重要な、活きた敗北を。

 

「くそっ。速水 龍一に対しての理解度が高い…‼︎

速水の不調を誰よりも理解しているんだ、剣哉は」

 

伊達はあまりの悔しさに口内の肉を噛んで、血の味で冷静さを取り繕う。フィジカルだけならば速水が上をいっていた。だが相手は幕之内のように一発逆転の手を練り、本番で一気に投入するほど速水に熱心だったのだ。

自分も経験がある。速水も同じだ。本当なら無理やり起き上がらせて、屈辱を拳で振り払ってほしい。だが倒れ方がまずい、直でリングにいった。意識はないに等しいだろう。

 

直ぐに助けなければ、速水に謝ることも出来なくなる。

伊達は自分の負けだと宣言するためにタオルを首から取る。迷いなくタオルを投げようとした腕を掴んだのは、

 

「────、っ────し。

ま、だ────だ────────」

 

速水がいつの日か、今井に突き刺した眼差しであった。

 

「速水、お前………くそ、くそっ…!

そうだ、立ってこい!その目してるうちは戦える!だから戻ってこい!!」

 

タオルを握る拳ごとリングに叩きつけて、速水の眼差しから受け取る言葉を伊達は理解してしまった。

まだ戦える、まだやらせてくれ、お願いだから。自分が同じ立場ならそう言う、なんなら恨み辛みも吐き出す。速水はただ純粋に、ボクサーとしての悔いを残したく無いと訴えてきた。

 

音羽から託されたものを、無碍にしようとしている。

それでも伊達は、速水の眼差しから背くことはできなかった。

 

『速水立ちました!あの倒れ方から奇跡の帰還、ここで第2ラウンド終了‼︎

同じ必殺技でも使い手でこうも差が開くのか⁉︎

次のラウンド、挑戦者に逆転の目はあるのか⁉︎』

 

過去から逃げるように、未来を探し求めるように、速水の意識はコーナーから飛び出してきた伊達へと向かっていった。

 

速水に残された時間は、残り3分もない。

 

 

 

 

 

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