鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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時間を止める拳

 

よそ見に誰もが釣られるなか、最もその餌食となる青木は逆に、パパイヤのよそ見を打破してみせた。ホールが困惑ぎみに盛り上がる様子は、控え室にいる鷹村からもよく分かる。

しかし、鷹村でも分からないことが1つ。

 

「な、なんだぁ!?どうやってあの技(よそ見)を破りやがった、青木のやつは!お前も完全に釣られかけてたじゃねえか!」

 

過去、青木のよそ見に全て引っかかり、まるで回避方法が分からないのだ。そのくせ青木がよそ見を破る。これほど腹立つことが鷹村にあるだろうか。今日という日において、この腹立たしさを上回ることはないと言えよう。

 

「す、すごい…なんであんなことができるんだ…」

 

興奮する鷹村の横、驚きの声を漏らしたのは幕之内 一歩。いまの反応は、よそ見に釣られなかったこと。そして、よそ見破りを理解したことを意味している。

当然、鷹村がこれを聞かない手はない。

 

「一歩ォ!お前、分かったのか!?」

「え、えぇ。分かったというよりは、見てましたので」

「なにィ、見てただとォォォ!」

 

一歩、ここで自分の発言を後悔する。

精神統一に専念するべきだった、と。

ここは切り替えて、早々に話を終わらせるべくことの一部始終を説明する。

 

「えぇっと、その。なんと言いますか、とても単純だけど普通はまずやることがないというか。高度な心理戦を飛び越して人間離れしてるというか………簡単に言うと」

「簡単に言うと?」

 

ごくり。生唾をのむ静寂が過ぎ、こう続けた。

 

「見ていませんでした」

「どっちだバカ野郎!」

 

張り倒される幕之内をよそに、映像の向こうではパパイヤが立ち上がっていた。

 

 

 

 

カウント6つで立ち上がり、試合開始の合図が告げられる。

拍子木が2度、歓声のなかでも響き渡ったところでパパイヤがリングを蹴った。

 

(目はしっかりしてやがる。なのに残り10秒で突っ込んでくるか普通!?)

 

繰り出されるワン・ツーをガードするも、力任せにすぎた。思い切り後退したことで、コーナーを背負ってしまう。そこを狙うのは、必殺の右────。

 

「ストップ、ゴングだパパイヤ!」

 

しかし、ゴングとともに両者の間に割って入るレフェリーにより、右拳が伸びることはなかった。

 

優位な立場から一転、窮地へと追い込まれた状況はゴングによって救われていた。

 

───

 

──

 

 

第3ラウンド、打ち合いは止まるところを知らない。

ガード越しに打ち、数あるパンチの1つがすり抜けては顔を上下左右に弾き飛ばす。ここに変化が加わったと言えるのは、青木の被弾率が上がっていること。

第2ラウンドまでパパイヤと青木の被弾率、8:2程度に済ませていたものが、いまは7:3にまで押され始めていた。

1発だって軽視できる威力ではない。それはお互いに言えることで、単純に耐久値だけでみるのならパパイヤは青木の倍はあるだろう。

 

以前ならコテンと倒れてもおかしくはない手数。なおも力強くリングを踏みしめているのは、これこそ単純な話である。

 

(くそっ、ココナツ・パンチ封じるのに躍起になりすぎて、カエルが打てねぇ……!)

 

お互いが、必殺パンチの被弾無く過ごしているからに他ならない。打たせず、しかし打つことできず。リング中央、打撃と打撃が縄張りの主張を譲らない。

 

(───ぐ、まだ良いパンチ打つじゃねぇか)

 

真っ向勝負は五分と五分。

必殺パンチに頼れないと分かった者が、次の一手に転じるまでそう遠くはない。たとえ、一度は見破られた技を使ってでも。

 

『パパイヤの右アッパーがついに青木のガードを弾いた!このラウンドはじめて無防備になる!』

 

間髪入れず、左ジャブが青木の視界を(かす)ませる。

今度は顎を引いて歯を食いしばったぶん、意識が浮くことはない。それでも、視界が相手を映したときはすでに技を仕掛けられていた。

 

『このモーション、またもパパイヤがよそ見を使う!果たして、次は成功するのか!?』

 

(きた、まぐれかどうかを確認するために)

 

角刈り頭が不意に動きを止める。

その下で、憎たらしいパパイヤの両目が驚愕の色に染まる。交差した視線はこの瞬間、あろうことか全く違うなにかを見ているのだ。対峙する相手以上に注視するなど、いったい何事であろうか…?

 

惹かれないはずがない。

 

(あぁ、釣られちまう。後から見たヤツは、無意識に視線の先を見せられる)

 

知っていても抗うことは難しい。

至近距離で拳を交えるなか、ゆらりと視線を揺らしてリングから外れる。精神を集中して必殺パンチを受けまいと立ち回っているのだ。心を心で掴まれるようなもの。

魅了の一種とすら言える、魔の手を。

 

(ならよォ、身体に全部放り投げちまえばいいんだ)

 

青木は、視野を遮断し、闇のなかに浮き上がる篠田のミットめがけて普段通りに拳を打ち抜く。

 

『つ、釣られない!いやこれは釣りようがない!青木は目を瞑っている!!そのままダブルパンチがパパイヤに突き刺さったぁぁぁぁ!!』

 

二つの赤い直線は顔面へと着弾。

大きく仰け反りながらロープにしがみつき、辛うじてダウンを回避する。

 

『再びよそ見破れる!これこそ、よそ見破りの正体だぁぁ!!』

 

確かな感触を確かめて開くまぶたは、想像となにひとつとして違わない。

これは、練習云々の問題ではない。練習の意表を突く技こそがよそ見であり、本番でなければならないほどのくだらなさがある。篠田すら知らなかった、曲者という孤独ゆえの攻略法だ。

 

「なにィ!目を瞑ったってのか!?真面目にボクシングやれ!」

 

控え室の鷹村、実況の声にキれながら視線は真横へ。

 

「鷹村さん…釣られたあとに目を瞑っても意味ないです」

「…」

 

そうこうしているうちに、第3ラウンドの拍子木が鳴り響く。

 

(だいぶんヘロヘロになってきたな。あと少し粘れば、いける!)

 

外の音もお構いなしに踏み込む。

ジャブは容易く顔面をとらえ、続くアッパーもパパイヤの顔を跳ね上げた。それでも、パパイヤは根気強く右を持ち上げる。

フック気味、というよりは疲れからくる軌道が定まらない右ストレート。脇がしまっていないがゆえに、最高のチャンスとなる。

 

(大振りきたぁ!カウンターできる!)

 

揺れる赤い拳に、左外から側頭部目がけて───。

 

「そこまで!2人ともゴングだ!」

 

またも、ゴングによって不発に終わる。

 

『第3ラウンド終了。国内王者に遅れをとらない青木、これは決着も近いか!?』

 

(ちっ、運が悪かったか)

 

悠々と、青木はコーナーへと戻っていく。

対するパパイヤの顔にも、微笑が含まれていた。

 

 

───

 

──

 

 

 

「……おい、おかしくないか」

「え、なにがですか?」

 

第4ラウンドも中盤に差し掛かり、青木が果敢に攻めるなか。

控え室で鷹村がそう呟く。

 

「パパイヤのやつ、2ラウンド目でよそ見を破られて、3ランウドでまたよそ見した。どうしてだ?」

「どうしてって…。たまたま青木さんが釣られなかったからとか?

目を瞑っているのを知らなかっ……っ!」

 

隣に座る一歩は、自分の言葉を途中で区切り息をのんだ。

知らない、そんなはずがない。なにせ、インターバルを挟んでいるのだから。

 

「そうだ、1分間を挟んだにも関わらずだ。セコンドたちも釣られたか?

んな訳ないよな、なんたってパパイヤのセコンドだ」

「青木さんのよそ見破りを知らないわけじゃない。むしろ、分かっていてパパイヤ選手は2度目のよそ見を実行した?」

「…間違いなく。ならよ、いまリングの上で、現在進行形でなにかを企んでいる最中とみた」

 

一歩は、鷹村の言葉に間髪入れず立ち上がる。

不安がつのるばかり、という表情で。

 

「あ、青木さんに伝えないとっ!」

「待て、そこまでやれとは言ってない。セカンドでもねぇやつは、戦ってる男の背中を信じ続けろ」

 

2度のドロー、日本タイトルまであとわずか。そんな青木を無意識のうちに心配している一歩を、だからこそと鷹村は引き止める。

 

「で、でも!」

「控え室にいる以上、リングに上がるやつを信じることが仕事だ」

 

それに、と付け加える。

 

「こうして気づいただけでも十分なのかもしれん。なんせ、青木のことだ。髪型のせいで、逆に気づくこともあるだろう」

「あれは鷹村さんのせいじゃないですか…」

 

軽く蹴りを入れられる一歩。

画面の向こうでは、ゴングと同時にレフェリーが割って入り、パパイヤの右ストレートが不発に終わる。

その姿を見送り、青木は息を吸い込みながらコーナーへと戻っていった。

 

 

 

 

『第5ラウンドも終わろうというなか、青木が攻める!』

 

作戦通りと言おう。

このラウンドから、パパイヤの拳からは鋭さが欠けていた。ガードにまわり、ときおり牽制するように右を振るうが青木には届かない。

 

(時間を止める、だったな。そりゃ俺を動揺させるためのブラフ!混乱すればするほど、言葉の意味不明さに嵌っちまう)

 

撹乱のときは終わった。

防御は最小限に、攻めて攻めて攻め続ける。打撃音はパパイヤから響くものばかり。

 

(小細工だけが俺じゃねぇ。曲者同士分かるだろ、ピリピリと脳が痺れてるだろ?)

 

曲者同士、青木が狂わせた歯車はみごとにパパイヤのペースを崩していく。

 

(分かるぜ、悉く自分の技が通用しないもどかしさ。お前を見て思い出す、伊賀とやり合ったときのことを)

 

あのとき、なにもかも届かなかった。

積み重ねてきた努力、その場しのぎの技、勝利への執念。なによりも、タイトル挑戦への熱意が欠けていた。

 

伊賀 忍には勝てる見込みがなかった。

 

(そんなやつに勝つために練習してる。これまでの技が通用しないヤツを倒すために、真っ向勝負に屈しちゃなんねぇ!)

 

いまは、分からない。

闘志を燃やす相手はいま、東洋太平洋(OPBF)ライト級1位にまで登りつめ、近々指名試合でタイトルを獲るだろう。

かつて負けた頃よりも強くなっている。そんな相手の姿を知ってなお、戦ってみなければ分からない。

 

(だから全員倒す。絶対にKOだ!もう泥試合でモタモタしてる暇なんざない。

パパイヤ、お前との因縁にケリ着けなきゃそれも始まらん!)

 

ココナッツが装填されたのを見てガードを上げた瞬間、パパイヤの拳が止まる。

なにごとかと意識を集中させたとき、次にクルリと振り向いて背中を見せていた。そして気づく。

 

『第5ラウンド終了!息切れのパパイヤ、たまらずゴングと同時にコーナーへと下がっていく!』

 

(そうか、ゴング鳴ってたのか。ようやく底まで見えたぜ。次のラウンドで終わりだ、パパイヤ)

 

少しの体力を残してコーナーへと戻る。

わずかに上がる視線の先、客席で祈るように見守っていてくれるトミ子が、さらに活力を与えてくれる。

 

(見ていてくれトミ子。もう俺は、情けない姿を見せて心配させたりしねぇ。胸張ってお前のもとに帰るぜ)

 

拳を上げて彼女に応え、考えをまとめ始める。

 

 

───

 

──

 

 

 

篠田と話したことは少ない。

勝負を決めてくること、パパイヤの体力は確かに底を尽きかけていること。自分はまだ余裕があるからと。

端的にやり取りを終えて送り出してくれる。

 

「焦るな。いま勝てなくても、次のラウンドもあるんだ」

「おう!」

 

第6ラウンド開始のゴングが鳴り響く。

 

小細工ごと叩き伏せ、これを最後の段階と見据える青木。

パパイヤほどのパンチャーに打ち勝たなければ、次はないという自覚が一歩先に出る。

 

(体力のある限り、打って打って打ちまくる。カエルはトドメ刺すときだ、その瞬間を見極めろ青木(おれ)!)

 

最短、最小の力で赤い線を走らせる。

対面する髪型が、パパイヤの顔を自分に寄せていく。打たれてヨボヨボになり、辛抱ならないと大げさにスウェーをして。そこにボディストレートが無常にも足を止める。

だが、なおも打ち返してくる。コンビネーションに割り込み、一々スタミナを奪う拳を頬で感じる。打てど削れ、打たれれば息を吐き、相手を底に押し付けようと意地の張り合いへともつれ込む。

 

分かる、これは死んだふりの範疇。まだ反撃する余力があるヤツ(おれ)の顔だ。だから最後の一歩、カエル(必殺)までの工程を温存する。

 

『小さいパンチをまとめていく青木!相手は足元がふらついている、もうすぐ倒れる前兆か!?』

 

ホールの観客がヒートアップしていく。

曲者勝負に終止符を打つ瞬間を前にして、正当なボクシングが功を奏することに興奮を覚えたのだ。

 

熱狂に押されて、徐々に後退していく。伝説の一端として、恥じぬよう前進する。

息が切れかけながら、まだやれると踏ん張る。相手の顔だって間違いなく苦痛に歪んでいるのだ。

 

(上、上、上とくりゃ、下がガラ空きだ食らえッ)

 

もう、パパイヤの体力だって底が見えてもおかしくはないはずだ。そう考えていた直後。放った左ボディが直撃、パパイヤの瞳が揺れ動き、視線が下へと落ちていく。

 

そのときは突如として始まった。

 

『あぁーっ!パパイヤがダウン!この試合2度目、もうヘロヘロという様子!曲者対決が終わるのか!?』

 

(確かに手応えがあった。だが、まだ完全に終わったわけじゃない)

 

肩で息をしながら、右膝をリングに着ける。

顔を上げることすら億劫の様子で、両拳で身体を支えてカウントを拒む。

 

『5カウント、試合が再開します。だが、もう虫の息。果たして嘘か、本当か?青木がその拳で確かめにいく!』

 

(残り1分だが逃すなんてできるか!1回でダメなら2回ダウン奪って試合終了だ)

 

レフェリーが止めてもおかしくはない。

ガードを固めるはずが、デコが丸見えのせいで情けなく見える。あれはもう腕が上がらない証拠、死んだふりなら間抜けもいいところだ。

 

一気に駆け出す。

回復の隙など与えない。ここは冷静に、そして熱く相手を倒しにいく絶好のタイミングである。

 

2つの左拳が突き出される。

どちらも申し分ないキレがあるが、ここに蓄積するダメージの差が出た。

青木の拳のみが顔面に着弾し、パパイヤの拳は右に逸れた。より太くなった左腕は、スタミナ切れにより制御の範疇から逸脱しつつある。それでも止まらないのは、青木が勝負を決めにきているからだ。ここで退けば、間も無く叩き伏せられる。

 

両者が歯を食いしばり、更なる一撃を見舞おうと前へ。

振りぎみのパパイヤに対して、一直線を突く青木の拳が着弾数を重ねていく。パパイヤのジャブが青木の顔面に触れた瞬間、ゆらりと上体が逸れていた。

顎で踏ん張りながら、右ボディがパパイヤにカウンターとして炸裂。にゅるりと動く青木とは正反対、後ろから引っ張られるように仰向けに沈んでいく。

 

『再びダウンンン!!今度は背中からリングに沈んだ!これは決まったか!!?』

 

リングをのそりと転げながら、その手はロープへと伸びている。反対側まで辿り着き、カウント9でレフェリーにしがみつくようにして立ち上がったパパイヤ。まだやれると構えてアピールし、覗き込むレフェリーを負けじと覗き込んだ。

 

「ボックス!」

 

『続行だァ!どう見てもスタミナ切れ、もはや打つ手なし!それでも残り30秒、生き残れるかパパイヤ・ダウチ!』

 

(いける、あと1撃で…!)

 

ガムシャラ、ヤツの状態はその一言で全てを表せる。

それは、ラッシュをかけるこちらだって同じだ。

 

(いけ、打て、もぎ取れっ!)

 

倒す、あと1回という魅力が緊張する心を突き動かす。

痺れる乱打戦、一撃必殺の右を潜り続け、ようやく終着点が見えた。行くしかない、掴むしかない。もう1分だって対面したくないほど精神を使い続けている。

1発で全てが台無しになる世界がここだ。ゆえに、起きる前に全てを終わらせなくてどうするという。

 

そのために練習を積み重ねた。

自信をもって、いまここで振り抜く──!

 

『な、なんだ!?』

 

いつ試合が終わるのか。

凝縮され、一層の注目を浴びるリング上。飛び交う拳がピタリと止む。

 

パパイヤが右を振り抜こうとし、ガードを固めた青木。

しかし、パパイヤの右は打つどころか、だらりと垂れ下がったのだ。必殺のソレが放たれないと理解した直後。

 

(なんで止まるっ、いや動かないのか!

ならこれでサヨナラだ──────)

 

その音は、青木の耳に届いた。

 

コン、と打ち鳴らされる小気味良い報せ。

 

大きく息を吐きながら、パパイヤは振り向く。重い足取りで、自陣へ向けてインターバルに喜びの声を漏らしていた。

 

(っ………、くそ。少し、熱くなりすぎた…)

 

静まり返るホール。

第6ラウンドの終末の音が届く。

青木は、パパイヤに倣い背後のコーナーへと戻っていく。

その背後で、黒い影が行動を開始しているのも知らずに。

 

 

───

 

──

 

 

 

控え室、震える声は幕之内。

 

「な、なんで振り向くんですか……鷹村さん!?」

 

青木が振り向いた同時刻。

その事態に呆気に囚われた幕之内が注目したのは鷹村。彼は″第6ラウンドが終わっていない″にも関わらず、なにかに惹かれるように真横を向いたのだ。

 

意味は、聞かなくても分かっている。

それでも、聞かずにはいられない。

 

「この俺様が振り向いただと!?」

「鷹村さんが釣られたッ…?まさか、あれも…!」

 

鷹村が釣られた、その表現に嵌る意味など1つしかない。

″よそ見″がリング上で実行された、という意味のみ。

 

果たしてそれは、どういうロジックなのか。

残された10秒で考えて把握するなど、至難極まりなく。

 

誰が想像しよう。

時間を止めることが、本当にできるなど。

 

「あ、あぁぁぁぁあ!ダメだ青木さん!いまの音はゴングじゃなくて拍子木ですよ!!」

「アイツ、パパイヤの動きに集中しすぎて周りの音が聞こえてねぇんだ!ガード下げた今、ココナッツ・パンチなんざ食らったら───」

 

篠田の叫び声がホールに轟くも、時すでに遅く。

パパイヤは青木の真横に飛び込み、右腕の装填を終えていた。

 

 

 

──

 

───

 

 

第5ラウンドまで欠かさずに実行してきた(できなかった)″拳″がある。

ラウンド終了時に鳴らされるゴングと同時に、相手に着弾する直前で拳を止めること。乱打戦の最中、パパイヤはこれだけは必ず行ってきた。青木にしっかりと見せ、ガードをさせながらラウンドを終える。己のスタミナが許す限り、5ラウンドの印象をしっかりと焼き付けたのだ。

 

第6ラウンド、2度もダウンしたのはわざとでもあり、本当だ。巧く拳を受け、致命打だけは避けた。そして迎える拍子木、残り10秒を知らせる音はきた。

5回実行してきた(できなかった)拳、これを拍子木が鳴る直前に実行。2度のダウン、目前の勝利という至極の餌で己に集中させる意識を、一気に断ち切った。

 

この10秒間、青木の意識はインターバルへと切り替わる。

リングの上にいながら、リングの外へ。

つまるところ、セコンドの呼びかけに気づくまでの数秒間、青木 勝の時間は停止した。完全無防備な時間を、パパイヤは生みだしてみせた。

 

「ばばっ…!ああぁ青木まだだ!

後ろみろガード固めろォォォォォォ!!!」

 

ジャブですら受けたら危うく、そんな人間が必殺パンチなど受けたあとなど想像するまでもない。

よそ見の究極形態、振り返り。初出しにして、その技はたった1人の男を欺くに足る威力を備えている。2度のダウンを囮とするKOへの執着心を逆手にとった、諸刃の剣。

 

『あ、あぁぁぁぁぁあ!なんという策士、なんという曲者!この男、はじめからこれを狙っていたのかぁぁあ!!??』

 

この術中から逃れるのは、いまの青木には無理である。

 

倒すと決めたことが出来なかった。それは、客席で見守ってくれるトミ子への申し訳なさからきていた。

それは、次のラウンドを戦い抜くための英気を養うためでもあり、ここにおいて。

 

(すまねぇトミ子───)

 

彼女の姿を見て、青木の歩みは止まる。

トミ子が両目を見開き、驚愕と恐怖で塗れる顔を見た瞬間。

 

(な、なぜ…その顔をしているんだ)

 

その表情の意味に困惑する。

トミ子が目を瞑りかけ、顔を覆い、驚愕の表情を見せるとき。それは決まって、青木 勝がボロボロに追い込まれたときだ。

確かに、いまの自分は満足な身体ではない。それでも、トミ子の表情が腑に落ちない。

 

(俺はまだ、ダウンしてない…っ!?)

 

そう思った直後、視界は真下へ向けて急降下していた。

 

それは、奈落へと墜ちるせいか?

 

(違う、まだ──)

 

そう、否。

青木の身体に染み込んだ本能が、その体勢を選んだのだ。

 

(まだ終わってないんだな、トミ子!)

 

勝利の女神は、しっかりと俺の目を見てくれている。

その瞳が、泣かせたくない一心で青木を突き動かす。

 

強風が吹く。

リングの上、青木の遥か頭上を赤い突風が突き抜ける。

 

『あァーッ!!!ココナッツパンチが空振りだぁぁあ!!!!!しゃがみこむ青木、これはっ…!』

 

しゃがみこむ。

試合の最中、行動範囲が限られる姿勢。

何百と打ち続ける青木にしか分からない、絶好のタイミングというものがある。

警戒されれば最後、離れたが届かず。スタミナ切れなら飛ぶことも困難。何度も何度も何度も悔やみ、幾度その拳が届けば良かったかと思いながら。

 

2度と同じ状況で不発に終わるまいと、鍛え上げた足腰が唸る。

 

見上げた先には、渇望するベルトの代わりに、大きく主張する弱点が曝け出されていた。

 

ここに、勝利を求める跳躍は成った。

 

『青木のカエルパンチ炸裂ッ!!飛び上がりのアッパーがヤシの木を激しく揺らしたァーー!!』

 

右拳が前のめりになったパパイヤの顎を弾き飛ばす。

もはやココナッツ・パンチを打てたことが奇跡だった彼には、踏ん張るだけの力は残されていない。揺れる意識は白く、照明との判別すら出来なくなる。

 

『ココナッツここに落下!3回目のダウンとなり、自動的に青木の勝利が確定!!!!!』

 

「しゃあぁぁぁぁ!!!」

「きゃぁぁあああ!!!やったわ久美ちゃん、まちゃる勝った!!!!」

 

静寂が一転、大歓声となりホールが轟く。

勝利の雄叫びを上げ、ここに勝者が決定した。

 

 

6R2分59秒、KO勝利!!

 

東洋太平洋(OPBF)ライト級7位獲得!

 

 

 

 

 

 

 






Q.え、こんなのあり?
A.ボクシングですから。

お楽しみいただけたでしょうか?
木村とはうって変わり、奇妙奇天烈奇策奇怪さを詰め込んだ試合です。
原作の青木は、新必殺技を会得していますね。今回それが出なかったのは、私が鷹村の統一戦以降を読んでいなかったためです。ご了承ください。

ここ最近になって121巻まで読み進めました。
いやぁ、噂には聞いていたのですが、一歩は驚きましたよ。これ、今後どうするのか気になってしまいます。
さて、次回については、その再起戦を3年後に行なっていたら?という分岐において構成を考えました。再起相手のスタイルが想像以上にかけ離れすぎているので、修正をしてから書いていきます!

【更新について】
わたくしごとです。11月に国家資格試験を受けるため、執筆時間を勉強時間に割かなければなりません。
次の更新日は未定として、完成次第投稿します。遅くても10月中に前座第3戦を終わらせるようにします。ちょっと自信ありませんが…笑

どうか気長にお待ちいただければ幸いです!


【次回予告】

『もう一度、いまの言葉を心して言ってみろよ。ロードワークの邪魔をしに来た、その訳を…!』

梅雨が近づく5月の朝6時、ランニングウェアに身を包む二人の男性が対面していた。
荒げた声の主は宮田 一郎。会話を振った人物に向けるそれは、殺意や敵意といった類いのものではない。本人ですら意識せずに出していた、純粋無垢な疑問でしかなく。

恐ろしくタチの悪い、楔であった。

『意味も、言い方も変えない。だから謝りも、撤回もしない。
宮田くん、もう僕を待たないでください』

そう言い放つ幕之内 一歩は、震える両拳を握りしめて宮田の瞳を見ていた。
己の行くべき場所へ、正しく向かうために。

その意味は、はたして…?


前座3戦目。


幕之内 一歩(WBCランキング10位)VSアントニオ・ゲバラ(WBC・WBAランキング8位)

幕之内 一歩の再起戦の相手は、国内チャンピオンから成長した男!!!!
怒涛の熱狂、ここに開幕。
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