散々待ち望んだ夜を迎えて、今更想うことは過去3回の敗北だった。
『メキシコが待ち焦がれた試合が今宵開かれる』
2敗を恥じるばかりで、反省しようにも直すところが分からずにいた。基礎体力、判断力のような差を感じはしても、埋めたところで心の余裕が違う。
だからリカルドの背中に追いつくには、心以外で上回るしかない。そう信じて凶気と駆けた日々が終わったのは、心の底から幸運だったと感謝している。
『無敗神話史上初。それは30戦を超える防衛戦で、ただの1度として執り行われることの無かった王座統一戦。あの統一戦が最初で最後の歴史的瞬間になると思っていた』
足りなかったものはそれだけじゃなかった。
心の器、基礎体力、それだけ?
以前の俺はそれだけしか観てなかった。視野も狭いし足元を見ていないし後ろも振り向かなかった。千堂に負けるまでの俺は息をしていたかさえ定かじゃない。
『僅か1年足らずで2度目の無敗神話史上初を見るとは、この場に居る全ての民衆が思いもしなかったでしょう』
躍動する野生児を見て、俺はアーティットの言葉も読み解けるようになった。時間はかかったけど、ミキストリとは最高に打ち解けられたんだ。
『ゴンザレスは言った。これが最後のリベンジだと』
……だから、俺のように敗北を活かすなら許せる。
勝利を喜んでいたなら俺は3度も上がれなかったよ。
『ミキストリは言った。リカルドの次の試合は俺たちへのリベンジマッチだ‼︎…と』
千堂に負けて、初めて笑ったからこそ許さない。
一方的な贖罪を重ねて、自分の夢も限界も忘れようとしている、過去のままのリカルド・マルチネスを。
『3度目のリベンジャーという、メキシコが諦めていた最凶のボクサーの歴史的開拓に会場の熱気が高まります‼︎』
歓声を受けながら、待ち望んだリングに上がる。
「………会場の隅々まで見える」
広い、ここまでリングが広く感じるとは思わなかった。
「それが心の余裕だ。お前、今まで見たことないくらいにリラックス出来てるぞ」
「そうか。アイツらのおかげだな」
ブラスの声に頷きながら、余裕ある意識で会場中を見渡す。声援してくれるファンは多いが、大半は勝利を願ってはいない。
(言わずとも分かるよ、この空気。
ったく……負け試合と思いやがって)
声が張り裂けるような応援が欲しいわけじゃない。
予想通りすぎる反応を見て笑っていた。
観客席で会場を見渡していた3人は、観客の応援が引退試合だと決めつけた色に不満を抱いていた。
「会場の人たち…あんまり興味なさそうですね」
「ゴンの言った通りやな。入場んときの口上に飽き飽きしとるんやって。どんな前評判も簡単に砕くんがリカルドっちゅー男やけ、どんな紹介も白けるだけやと」
「それにしても、ですよ。ゴンザレスさんは3度目、それも…ボクサー生命を賭けている。ファンとして想うところがないんでしょうかね、みんな」
「選手生命を賭けたボクサーをリカルドは打ち砕いてきたんだ。玉砕覚悟だけが強みの人に期待なんて…しない」
無敗神話が根付いた国の特徴に、幕之内は伊達戦のときの記者会見を思い出した。
“彼には期待しない方がいい”
リカルドが言い放った言葉を、この会場は観客たちが体現している。挑戦者に突きつけられる圧力は計り知れない。
ゴンザレスの勝負は序盤。民衆の評価を裏返すような、当たり前の優勢を奪う必要がある。
「ゴンザレスさんなら大丈夫です。昨日の激励で玉砕覚悟なんて考え吹き飛んでますよ!」
「せや!こっからは応援あるのみ!声出せ!」
外野の火付け役も必要だろう。それを担うのは自分たちだと、3人は立ち上がってゴンザレスの応援団となった。
「ゴンザレスさあああああん‼︎」
「ゴン‼︎負けたらシバくでェ‼︎」
「勝ってくださあああああい‼︎」
3人で百人分の熱意を放つところを見て、ゴンザレスは笑わずにはいられなかった。
(クク……センドーの応援団には苛ついたけどよ、成る程。味方になると凄え気分良くなるな!)
拳を振り上げて感謝を伝える。
3人も拳を挙げて応えたとき、会場が赤く染まった。
『現れるは神。無傷で80戦を生きた神。
現代に生ける伝説、不死の身体を持つボクサー』
暗い空を捻じ曲げる絶対の色。
太陽が昇ることを示すメキシコの赤。
右拳を掲げながら、悠然と降り立つ姿は神そのもの。
『王座戴冠後のK.O率は驚愕の100%‼︎
挑戦者を選別し、至高の1人を求めて今宵も玉座から姿を顕した。冥界を焼き尽くし、メキシコの神は完成する』
闇をも燃やす太陽に民衆は集う。
無敗神話を樹立する姿は地上を照らす太陽だ。
故に民衆は疑わない。今宵、死神が冥界と心中して、太陽が天辺に輝く未来を。
『PFP1位、即ち世界の頂点が堂々とリングイン‼︎』
民衆の歓声が一気に溢れ出る。
神の降臨に場内が沸き上がる。
リカルドを迎えるこの瞬間が、最高潮と言わんばかりに。
「流石の人気だな」
「いつものことだ、興奮するなよ」
「別の意味で気合い入ってっから問題ねー」
リカルド・マルチネスがフェザー級に留まり続ける理由を、アルフレド・ゴンザレスは知っている。直球に失礼な言葉を投げつけることに躊躇はなかった。バカか、とゴンザレスは思った。
「だから負けねえよ。安心しろって」
「逆に心配するぞ、そのテンションは」
ブラスの肩を叩いてから、最後の挨拶をするためにリング中央に向かう。
朝方の空に浮かぶような月光を宿した瞳で、こうして相手を見たのは2度目だ。
“孤高。それがリカルドの強さだった”
千堂に負けたときも、朝焼けを待つときの感覚で伝えた。リカルドの強さの秘訣を見誤るなよ、というメッセージは千堂では半分しか受け取れなかった。
「他人任せの役目を俺たちが壊しに来てやったぜ」
自分で引きちぎれない“
「………私には分からないな」
知らないふりをする神に、ゲンコツを落とす。
そして、一瞬の刻を進めてみせよう。
永遠の孤独を一瞬だけ取り払って、バカバカしい過ちを終わらせる。
無敗神話という、永遠のように長い道を踏破するために。
これはゴンザレスの最後の挑戦だ。
頂点に君臨するリカルドを倒し、次は王者としてリカルドを迎え撃つために、次の神話を築く覚悟を決めてきた。
「戴くぜ、無敗神話」
繰り返す、これはゴンザレスの最後の挑戦だ。
無敗神話を踏破し、アルフレド・ゴンザレスが世界を制覇するための決意である。
「
ゴンザレスは笑い、ミキストリが猛る。
溢れ出る自信は神話を打ち崩せるから。
その予感に触れる者は片手しかいない。
いいや、片手で数えるだけいてくれる。
会場中の緊張感を穿つ瞬間、神話崩壊は始まる。ゴンザレスの勝利を信じる千堂たちは背筋を伸ばして待つ。理性と凶気、磨き上げた肉体が歓喜する、勝利の咆哮を。
行く末を左右する第1ラウンド、ここに開始。