鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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数少ない弱点

 

 

凶気を灼き払った最後の左拳。

ゴンザレスが焚き付けた優勢の熱意を、太陽の核爆発のような一瞬の熱量で吹き飛ばしていった。

身が凍えるような一手に震えたブラスは、コーナーに戻ってきたゴンザレスを座らせて肩を叩く。

 

「最後、何をされたか分かったか」

 

冷静に、しかし焦りを隠せない言動。

1ラウンドを軽々と否定する拳を見せつけられて、少なからず焦りに侵食されていた。下手を打てば、当たりどころが悪ければ凶気が暴走する。死に急ぐような事態だけは繰り返してはならないと、ゴンザレスの瞳を覗き込んだ。

 

「無理やり押し戻された。

自分自身を見失わせるための拳だな」

「あ、ああ!そうだ。だが焦るなよ」

「ブラス。今の俺には効かない」

 

漢気良く笑いながら肩を叩くゴンザレスを見て、気負っていたのは自分だと気づく。

理性と凶気、共に心が強くなった。

 

「そして今の俺は、2敗した時と違う。大丈夫だ」

「…その通りだな。お前は最高の挑戦者だよ」

 

理性が返す眼差しを信じて、待つ者としての役割を果たすため、ブラスは不安の消えた心で力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1ラウンドで実力を発揮したゴンザレスはいま、第2ラウンドの幕が上がったリングで寒気を感じていた。

 

『死神の超絶技巧を真正面から迎え撃つ太陽神!

ひと時は味方についた観客ですが、無敗神話に再び取り込まれました。ここから巻き返せるか、それとも過酷な環境に果てるか!?

挑戦者の壁である第2ラウンドが始まりました!』

 

リカルドの様子はなにも変わらない。落ち着いて観察すれば1ラウンドの時よりも力みが無くなっている。神話の心理を見透かすという愚行を犯すような、物理法則を越える気概で観察に集中する。

 

(コーナーから1歩ずつ慎重に出てきやがる。

怖気付いた筈がない……カウンター狙いか?)

 

彼に生半可な心理戦は通じない。リカルドのボクシングは人間が到達する限界点である。対戦相手を観察し、思い描く理想像を前提に試合中に望む、“アインシュタインの理解力”が最たるもの。

 

(理想像を越えたら暴力に切り換えると思ってた。

ダテの想像以上の執着心を捻じ伏せに行った時、センドーの野性に応えたのを見てそう予想していたが)

 

どうやら違うらしい、と。

自分の考えが誤っていると判断した。

自惚れと言われればその通りだ。たかだか第1ラウンドを越えた程度で、リカルドの神判は────

 

(……バカか。アンタの判断に不満持つなんて)

 

神判なぞ知ったことか。

表に浮上しかけたミキストリを抑え込んで、潰されかけた調子を思い出す。第1ラウンドを有利に進めたのは自分だと自覚している。最後の一手こそ勢いを削ぐものだったが、2度目は通じない。

 

(ちょいと勇み足りない俺のせいだろう)

 

誰もが息を飲む睨み合いの途中、

 

『同時に左が出るーーーっ!』

 

観客たちの不意を突くような立ち上がりは然し、リング上の2人には読めて当たり前の行動だった。

ゴンザレスが自分の予想の過ちを修正していたように、リカルドもまたインターバルの1分では解けない疑問があったのだ。お互いに相手の出方を伺うことで確認作業を終えて、全くの同時に動き出しただけのこと。

 

第2ラウンドの開幕はスピード重視の左拳から始まった。同じ左拳でも込めた意味は違う。ゴンザレスは自身の迷いを吹き飛ばすためのモノ。そしてリカルドの方は、

 

「力業だ!強引に当てにいった!」

「先に流れを作りにきおったか。打ち合いなら望むところや!やったれゴン!!」

 

フェザー級の頂点に君臨する腕力を以って、冥府の死神を神話の舞台に迎え入れた。

 

『第2ラウンドはゴンザレスが越えられなかった壁だ!

攻勢に出るリカルドとどう対峙するかに注目が集まる‼︎』

 

2発目を先に打ち込んだのはリカルド。

眼前で受け止めたゴンザレスが押し飛ばされる姿に、暴力が現れたかと驚きと期待に観客が注目する。しかし観客の地元民の反応とは真逆で、千堂はいち早く暴力の姿ではないと理解した。

ただ、あまりにも暴力的な行動に観ている者は息を呑まずにはいられない。3発目、4発目と続けざまにリカルドが放つのは左拳、それも一辺倒。芸がない……と思ったのも束の間、ゴンザレスの身体が前に出ないことに気づく。

 

「なんやゴン!さっきまでの勢いはどないしたぁ!」

 

千堂の怒号を掻き消すリカルドの左拳。

反撃の体勢を整えるゴンザレスがカウンターを合わせようとして、

 

(くそっ〜〜〜〜‼︎)

 

リカルドの左拳が僅かに先に届き、反撃の体勢を無視して強引に左拳を捩じ込んでいく。

 

(予測は出来る……だが反撃は────)

 

左拳、左拳、左拳、、左拳………左拳。

左足を前に置いても、右足を前に出しながらでも、リカルドの左拳がゴンザレスの挙動を見逃すことはしなかった。

反撃の予備動作に、予備動作を利用したフェイントに、リカルドはお構いなく確実に打ち込んでいく。

 

(手数が────!)

 

裏をかくようなフェイントをリカルドはしない。愚直なほどゴンザレスのフェイントに付き合い、真っ向から肉体を穿ち抜く。多くの手数で以って流れを取り戻す…或いはこのままK.Oを描く、それだけのつもりで。

ついにゴンザレスのガードはリカルドの左拳の芯を捉えきれず、冥界を灼き尽くさんとする威光が地上を裂いた。頬を拭うような一撃に歯が揺れて、届きかけた神話の玉座が遠退いた。

 

(こいつ、ムチャクチャしやがって…!

そのボクシングは俺たちを倒すためのモンか!?)

 

ゴンザレスに表裏・死神(アズール・ミキストリ)を許せば不利になる。そのために自分の経験則をフルに使い、飛び出さんとする凶気を沈めにいくのは合理的でリカルドらしい。

烏滸がましいとは思いつつも、ゴンザレスは表裏・死神(アズール・ミキストリ)の対応をリカルドが避けていると判断した。だから分かってしまうのだ、その左拳が打ち抜いている相手が自分たちと別にもう1人いることに。

 

(俺たちに当て嵌まるボクサーだぁ?)(説明つかねえんだよ。空振りだって俺が避けようとした場所だぞ)

 

名前も知らないもう1人のボクサーごと、左拳の一打で焼き払える範囲に入ってしまう事実に悔しがる。その誰かと重ねられるのは心外だが、実力を出せないようでは話にならない。

 

(チッ、しゃらくせェッ!!)(ま、待て…!)

 

呆れるほど縮こまる理性の姿に腹を立てた死神が、勢いを閉じ込めるガードを放り投げて飛び出した。

 

(単純な話だよ、アルフ)

 

落とした盾、代わりに携えた凶気を見据えて。

ジャングルの奥底で対峙するような錯覚を受けたボクサー、ウォーリーを捉えるに至った結論をリカルドは思い出す。

理論の通じないボクサー、即ち“野性”を軸とする異例。千堂とウォーリー、2人との攻防がリカルドにもたらした成長値は10の防衛戦でも補えないほど稀少価値があった。

 

(アルフ(理性)ミキストリ(凶気)視点でボクシングをしているだけさ)

 

無敗神話が未踏という数少ない世界、野性。

リカルドは2人の野性と対峙することで、長年知ることのなかった野性の視点が見えてきていた。予測困難なスタイルで攻めるボクシングは、理性と凶気が混同する今のゴンザレスと似ている。

 

1人は千堂 武士。

 

そして、もう1人は。

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

試合1週間前、リカルドのの過去についてゴンザレスが語っていた頃。

リカルドはジムで最後の調整を行なっていた。

限りなく試合に近い形で、既に5ラウンド目の終盤に差し掛かるとき。捉えた目標に向けて、左右のコンビネーションを絶え間なく打ち込み、同時に降り注ぐカウンターをステップとスウェーで避ける。

 

試合でも見ることのない技巧を駆使するほど、相手の動きはボクシングの理りを呆気なく壊す存在だった。

 

「暴力って名前なのにディフェンスも出来るなんて、やっぱりすごいね!」

 

そうして最後の3分間、リカルドが本気の手応えを確かめ終えたところでブザーが鳴った。

リカルドとのスパーを終えて尚も揚々と笑うのは、WBAジュニア・フェザー級王者のウォーリーだ。

 

「凄いな。リカルドと1週間もスパーをして、尚且つダウンしなかったボクサーは君が初めてだよ、ウォーリー」

「それは光栄だね。実のところ、ウォーリーならダウンを奪えるんじらないかと期待していたが、そう甘くはなかったな」

 

リング上を見ながら話しているのはリカルドのセコンドであるビル。そしてウォーリーのトレーナーであるミゲルだ。

リカルドとのスパーが実現した経緯は、ウォーリーがゴンザレスに試合を断られたあとすぐだった。リカルドに先を越されたウォーリーは、ミゲルに頼んでスパー相手を取り付けていた。

試合を断られた時にゴンザレスにスパー相手を申し出たところ、既に決まっていると断られたことによる腹いせもあるとか。

 

「帰ったらすぐに防衛戦がある。お暇しようか」

 

メキシコに来るまでは膨れ面のウォーリーも、この1週間で更なる天上を知ってご満悦となった。次の挑戦者が気の毒なことになるのは言うまでもない。

 

「次はリングの上で会おうね、リカルド!」

 

笑顔で手を差し出したウォーリーに応えながら、試合の返事については首を横に振る。

 

「まだ返事は出来ない。

待ち侘びた試合なんだ、彼らに集中したくてね」

「ふーん、そうなんだー。だからゴンザレスは僕の挑戦状を無視したのかなー」

「…チョウセンジョウ?」

「そーだよ!ニッポンの風習!心の底から試合をしたい人に送るメッセージのこと!」

 

身支度をしながら話すウォーリーの言葉に興味を示す。

ニッポン、チョウセンジョウ、メッセージ。リカルドにとっては伊達から受け取ったリベンジが当て嵌まる。不意にあの試合を思い出して、力強く拳を握るリカルドを見ながら。

 

(本当はリカルドにも挑戦状を持ってきたけど、いま渡したらゴンザレスの二の舞になっちゃうね)

 

ウォーリーはバッグから取り出そうとした挑戦状を隠すように奥に押し込んで、皺くちゃになる音を誤魔化すように立ち上がる。

 

「それじゃあね。僕も試合があるから帰るよ」

 

荷物を抱えたウォーリーを見送るリカルドは、野性を体験し尽くした感謝を込めて見送る。

 

「グラシアス、ウォーリー」

「うん!グラシアース!」

 

満面の笑みを受け止めて、凶気との予行演習を終えたことを確信したリカルド。まだ自分にも成長の余地があることを実感しつつ、最後の調整のためにジムに戻っていった。

 

 

 

 

──

 

───

 

 

 

リカルドにとっては偶然の産物だが、そのお陰で数える程度の弱点が補完されつつある。

 

『強烈なカウンターが死神に突き刺さる!このラウンドは完全に王者が流れを掴み取った!』

 

凶気を野性と重ねる強引な理論は、無敗神話の頭脳によって奇しくも合致されてしまった。

 

「ゴンザレスさんが後手に回ってる…!」

「対応が早すぎる。ワイはこれで一気にやられた」

 

理性の動きを単調化させることで、リカルドは凶気を炙り出して行動をコントロールしにいっている。

勝利への道筋をいち早く見つける、失敗からの学習能力の高さは正しく世界最高峰だ。

 

(…野性を体験した程度で倒れるなら、君は2度目の試合からなにも変わってはいない)

 

2つが重なる一点目がけて放たれる左ストレート。

躱せるはずの場面を直撃してしまったのは、ゴンザレスとミキストリの理論では解読出来ないリカルドの理論があるせいだった。

 

(君のボクシング(モード・ミキストリ)は自傷の拳となる)

 

絶対の理論、その一端に2人は触れている。

出てくる感想は絶望。自分の過去を否定してくる現実に、身体と心が滅多打ちにされていく。ここで反撃出来なくて、いつ拳を打つというのか。やる事が分かっているのに、目標まで届く拳は出せない。

野性を知っただけで、たった2ラウンドの時間を与えただけで読み解かれるアルフレド・ゴンザレスに、意味は■■。

 

(………これ、は…)

 

ひび割れた心の更に下から、電流のような光が走る。

イメージでしかないソレはまぶたの裏で確かに光る。

 

■■。ない。■■。ある。

ない。■■。ある。■■。

 

「頑張って!」「負けるな!」「あと10秒です!」

 

■■。ここに、言葉は要らない。

俺は、覚悟を決めてリングにいる。

 

(コイツはお前を倒す為に持ってきたんだよ!!)

 

無敗神話に取り込まれつつある凶気を、内側からの雄叫びで目覚めさせる。

 

(………別に暴走してねえよ。潜り込むタイミングを測ってただけだ。成果は無えけど!)

 

ミキストリは我を忘れている訳じゃない。どうしても癖で前に飛び出してしまう。そこだけをリカルドに見抜かれて利用された。俺も焦っていたせいで制御に手間取ったが、センドーたちのお陰で思い出せた。

 

意識が繋がった瞬間、大きく飛び退く。

成果無し、1ラウンドのリカルドのような手は打てない。だからと打たれる訳にもいかない。だから、潔く退いた。

 

第2ラウンド終了のゴングが鳴る。

 

『過去の忌まわしき影を追い越した挑戦者!ですが表情に喜びは一切ありません!孤高の太陽神との距離を見せつけられてしまった‼︎』

 

第2ラウンド踏破を成して無敗神話に近づいた筈だが、更なる聳え立つ壁を目撃したことでゴンザレスの表情には陰りが────

 

(なぁ、作戦を変えるぜ)

 

────陰りを食い散らかした理性がいた。

 

まだ絶望に染まっていない部分がある。一方的に打たれ始めたとき、ゴンザレスの内側は確かに絶望が湧き出ていた。

然し、2人には絶対の骨子がある。千堂たちとの練習だ。絶望に片足が捕まったとき、もう片足は希望で固定されていることに気づいた。

 

(なんだぁ、ビビったか)

(そーだよ。勝ちたいだろ?ビビってやろうぜ)

(……………聞かせろ)

 

コーナーに向けて浮かべる(まが)つ笑みは、凶気が嫌な顔を浮かべるような最短距離を提示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インターバルに入って「成る程」と呟いた千堂。

 

表裏・死神(アズール・ミキストリ)は見切っとらんな」

 

言い切った千堂に対して、板垣が純粋な疑問を投げる。

 

「どうして見切ってないって分かるんですか?

いまのラウンド、リカルドが2人をコントロールしてるようにしか見えませんでしたよ」

 

左ジャブを掻い潜ったのはミキストリだった。

そこを何度もリカルドは狙い打ちしている。アレで見切っていないと言うほうが無理ではないか。

 

「なんや、分からへんか?

幕之内はピンときたみたいやで」

「本当ですか先輩!?」

「狙い打ちだよ。ミキストリに狙いを絞ってパンチを当てに行ってる」

「そこは気付きました。けどそれって、見切られたも同然じゃないですか?」

「片一方をボコればいつか倒れるさかいの。やけど、ゴンの方は打たれてないで」

「ミキストリが出やすいコンビネーションで攻めていた。

あれはわざと受けたんだ。過去と同じ轍を踏ませないよう、狙われるパターンをリカルドに出させた」

「ミキストリは切り札と弱点を兼ねとる。体力のある序盤なら、被害を最小限にしてリカルドの手札を見れる。

どうせミキストリは暴走しとったやろしな!」

 

次の対応を取るために身を削った。功を奏するかは、知り得た情報を握るゴンザレスのみぞ知る。

 

「リカルドを相手に、身体で覚えようとするなんて…」

 

殴り勝つ、絶対の理論を組み立てているであろうコーナーの死神を見ながら、耐久力に乏しい板垣は身震いした。

あの拳は1発だって受けていい代物じゃない。幕之内のボディブローのような貫通力がある。受けの技術で誤魔化す限度はたかが知れているのだ。

 

「考えはあるみたいやし、暫くは見守るしかないな」

「リカルドにはバイオレンスもあります。長引けば不利になる……どうか、それまでに」

 

突破口を見つけて、と。

3人はゴンザレスたちを信じて待つのみだ。

 

 

 

 

 

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