鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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化学への試練

 

 

 

リカルドと試合するにあたって、解消されていない問題がある。“試合の反故”だ。

3年前、ゴンザレスは世界前哨戦に勝利している。幕之内を降し、リカルドへの挑戦権を得たゴンザレスは、“いまのキミとは、試合を組まない”とリカルドに返答されて試合を流された。

なぜ、試合を反故にする必要性がリカルドにあったのか。3度目の試合はそこまで神聖なものなのだろうか。

 

(俺は…確信している。

リカルドには3度目の試合をする覚悟が無かったんだ)

 

アーティットから聞いた話から想像するに、あり得ない心を読み取ってしまった。だが間違いなく、リカルドは故意に3度目の試合を……ゴンザレスの引退を遠ざけている。

 

(全部、自分の思う通りにいかねえと気が済まないか?)

 

余計なお世話だ。然し、センドーとの試合がなければ実力を出し切れなかったことも事実。

リカルドの思考を読めない自分に腹が立つ。そして、アーティットが自分に事実を話したあと、この事を言い当てたことを思い出すだけで悔しさが溢れてくる。

去り際にアーティットはこう言った。

 

“アイツ、お前の底力を測れてないぜ。自分では実力を引き出せないから、出来るやつを待つんじゃねえの”

 

それはリカルドのエゴだ、願望でしかなかった。

ただし、その願望が最も重要だから反故にされた。

なら3度目の試合を受けたのは、倒れるため…負けるためにリングに上がったということになるのか?

違う、それはない。俺が保証する。リカルドのやつ、“アーティット以外のボクサー″には罪が許されないことを証明したがっているんだ。

何故かって、それこそ簡単な話だろ。そりゃ…。

 

 

────と、ゴンザレスはここで思考を止める。

 

 

今は第6ラウンド、2分間が経過したところだ。

 

ここまでの状況は拮抗の一言に尽きる。

ゴンザレスとミキストリのスイッチ、表裏・死神(アズール・ミキストリ)に驚異的な早さで慣れ始めたリカルド。

そして表裏・死神(アズール・ミキストリ)を駆使しつつ、リカルドの動きを見切ることに全力を注いだ2人。

 

無敗神話は、一光年の罪を償うために。

最凶の神は、一寸先の夢を掴むために。

 

前半戦を捧げて読み合いに徹して、最短でケリを着けるための材料集めに奔走した。

 

そのお陰でゴンザレスは被弾していないが、ミキストリの感情は被弾したように荒ぶっている。

 

(うざってぇ……。俺以外のヤツを見やがって)

 

ここまで時間を使って見えてきた。

リカルドの野郎、意識を過去に置いている。

全部じゃない。ちょっとだ。砂場の砂を右手で掬い上げたときに残る、小さな砂山くらいの意識だ。

証拠だと?リカルドの理解力に任せて、身体が動くまま3ラウンドもノーダメで捌けたんだ。これで十分だろう。

 

(お前が立ってるリングはどこだ)

 

この拮抗した時間を生かしてやったと言われている気がして、つい苛立ちに揉まれそうになる自我を落ち着かせる。

僅か数秒、第6ラウンドの終わりを聞き届けるまで時間を費やした。

 

(まずは勘違いを叩き直す)

 

勘違いを終わらせて、その後はどうするか。

考えない、もう結論は出してきた。いまはリカルドが最も弱く、本人が意識していない程度の驕りがある。終わらせれば、否応にも知るだろう。リカルドの真の本気を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷ややかに進行してきたリング。

相手の判断ミスを誘い、ミスを起こさないと分かれば隙をこじ開けんと手を出し続けて膠着した18分間。観戦する民衆たちの喉が声を忘れて見守るなか、誰かが熱風の流れを感じ取った。

 

第7ラウンド開始直後から漂う、地の底から湧き出てくる滾り。血染めのソンブレロを羽織る凶気が、笑った。

 

表裏・死神(アズール・ミキストリ)を押し付けるだけでは越えられない壁に手が届く。

同時に、無敗神話が死神を堕とす準備が整ったことを意味する。

 

第2ラウンドの時点で、ゴンザレスはリカルドが表裏・死神(アズール・ミキストリ)を見切る経験を終えていると察知した。元よりウォーリーがスパー相手になっていることは知っていた。だが、理性と凶気のスイッチを見切るには早すぎる。いくらリカルドといえど、ウォーリーを…野性を経験したから順応するのは難しい。

ゴンザレスは日々成長して、刻々と戦術を組み替える知識がある。

ミキストリは理性を見て、2人に合わせたスイッチに変換できる。

 

それを、試合開始直後の2ラウンドで見切り始める?

バカを言うな、2人のコンビネーションは無敗神話といえども前半戦で捕まえられるほど安くはない。

そこを見切れるというのなら、リカルドはゴンザレスの可能性を理解していたということに────

 

(見切れるからこそ、無敗神話なんだろう?)

 

考えが甘かった。ヤツは100を学んで1000を読む漢。

自分を倒せる可能性を常に見据える神なのだ。

 

自分で否定したい事実を受け入れたのは第3ラウンド序盤。

既にリカルドは捉えていた。暴力を使うまでもなく、化学の全力で倒せると確信されていた。

だから6ラウンドを使って考えた。アーティットの言う、自分の底力とやらを。なにを使えばリカルドの予想を上回れるのかを。

 

(…………やっと好きに出来るんだな?)

(あぁ。もう遠慮はなしだ。勝算は4割だ)

 

ゴンザレスの太鼓判を聞いて、ミキストリが長い静寂を切り裂いて今際の際に向かって駆け出した。

 

「ミキストリがテンポを上げた!?」

「2ラウンド目のノリに戻った!」

「やっとかい、待たせおって!」

 

最初で最後の機会になる。絶え間なく攻撃を仕掛けて、一瞬の隙をこじ開けるまでで成功率は5割。そこから一撃を打ち込めば状況は大きく前進する。

 

(先手を譲ろう、アルフ。カウンターで全てを貰う)

 

ミキストリが射程距離に入った。まだリカルドは拳を放たない。半拍だけタイミングをずらしたことを見抜いた。

これはゴンザレスの仕業だ、ミキストリには不可能な芸当というのはこの試合の最中で確信している。だから、これ以上の罠は張れない。

 

吐息が漏れる。

同時に、ミキストリの右肩のモーションを捉えた。

 

(ここ────────)

 

ガンマンの早撃ち(クイックドロウ)よりも速く、精密機械のコピーよりも正確に右ストレートを放つ。

この6ラウンドで収集した情報から繰り出す、回避不可避のカウンター。試合中の相手の打撃箇所を記憶し、最も狙われる場所、そして狙われていない場所を常に把握する“アインシュタインの理解力”。

伊達のハートブレイクショットすらもを見抜いた、リカルドの至高の頭脳を以ってしても、ミキストリが避けることなど読めもしなかった。

 

(はっ!当てるのなんざ重要じゃねえよ)

(ミキストリがショルダーブロック…!?)

 

アッパーカットがリカルドの顎を打ち上げる。

 

『つ……遂に直撃‼︎4ラウンドぶりの重低音がアレナ・メヒコに響き渡る!』

 

リカルドは読み間違えた。避けるのはゴンザレスの役目で、攻撃がミキストリの役目。替わらずに直進するミキストリ、そして黙って見ていたゴンザレスに驚愕した。

面食らったリカルドに続けざま攻撃を仕掛けるのはゴンザレス。慣れてきた…と言うよりも、見切れると思った直後のスイッチだ。自分の自信が足枷となり、ステップイン直後の左右の打ち合いを再び見誤る。

 

(酷え野郎だな‼︎俺が誰か分かんねえのか⁉︎)

(またミキストリかっ‼︎)

 

リカルドを一瞥するミキストリが右フックをお見舞いする。ダッキングしてカウンターを見送ると、重心を半歩先に置いて左フック。バウンドするボールを扱うように左右のフックを使い分けて、都度4度。

 

(大事なのは、コーナー(ここ)でお前をブン殴ることだ)

 

自力で立つことの叶わなかった化学の瀬戸際に、理性と凶気は6ラウンドという最短距離で立ってみせた。

 

『お、追い込んだーーーー‼︎

あのリカルドが!コーナーを背負わされている!センドーに続いて2度目の奇跡を我々は目撃している!!』

 

民衆が騒めき始める。

リカルドを追い込んだ数十秒の攻防に理解が追いつかない。気づけば神が祭壇の供物に捧げられようとしているさまに、ただ目を見張るばかりだ。

彼らの驚きは止まらない。コーナーを背負うリカルドという絶好の機会を前にして、凶気の構えが落ち着いたせいだ。

 

(なぜ止まる)

 

両者の動きが止まった……ように見えるくらいに、時間が緊張感で圧縮される世界で。交差した視線が語り合う。

 

(コーナー背負っても玉座に座ったみてえな顔しやがる)

(私を待つのか?…チャンスを捨てるのか?)

 

瞬きで意志を咀嚼して、自分で理解を深める。

小難しい考えに走ったな、とミキストリは神の思考を読んでから。

 

(神ぶってんじゃねーよ)

 

────と、笑ってみせた。

 

それはミキストリの悪い癖だ。驕りだ。

だが言った。態度で現した。そうしなくては、彼の逸話を打ち砕いたときの嚙み応えを楽しめない。

 

加齢による肉体の衰えがない。

全盛期を永遠に維持するとも言われる“コアトル(不死)の身体”、そして“アインシュタインの理解力”によって世界最難関の壁を築いた。

 

それもこれも、どれもが心を過去に引き留めている。時の流れに逆らって、リカルドの心だけはアーティットを倒した時から動いていない。そんなヤツに…それすら越えられずに足踏みしてきた自分に腹が立ってしょうがない。

 

(どーしようが勝手だが…)

 

吹き飛んでくる最上最高級の左拳を両腕で受け止めながら、ミキストリが怒りで手を染める。ここに来て、リカルドが舐めプしていることに業を煮やした死神が強引に前に出た。

 

(テメェも試されてんの分かってっかア!?)

 

あからさまに変化した怒りの拳を見逃すリカルドでは無い。寧ろ、これを待ち望むための意思表示で放った拳に、即座に捕まった獲物を大歓迎する。

軸をゴンザレスの外側に置き、飛び込むような行動から放つのは右フック。左拳のガードはあるが関係ない。ミキストリのガードは元より手緩いのだ、ガードごと打てば自尊心ごとへし折れる。

鮮やかなステップインからの右フック、反応出来るタイミングじゃないという自信があった。例えゴンザレスに替わろうとも、拳の着弾範囲から逃れる時点で捉えている。

だから、入れ替わったゴンザレスの瞳が諦めていないことに驚きを隠せなかった。

 

「……っ!?」

 

ゴンザレスが上半身を頭半分だけスウェーして躱す。リカルドが想定していた、スイッチしても回避出来ない場所から…ゴンザレスは左脚力で強引に脱出してみせた。

そこから間髪入れず死神が空振った右拳を再び装填、折り畳み、直角に曲げてリカルドの顔面に右拳を叩きつけた。

 

『────────────』

 

刹那、リカルドの聴力は断線する。

解説の声も、民衆の熱気からも隔絶された世界で、無敗神話に踏み込んでくる最凶を見つめていた。

 

(狙ってんのは俺たちもなんだよ)(ざまあみろ!)

 

2人の心の咆哮がコーナーポストを越える瞬間、リカルドの頬は右拳に打ち抜かれていた。

 

「あのリカルドを騙し抜いたのか!?」

「あの踏み込み…練習の成果が出てる!」

「クリーンヒットや!効いとるで!!」

 

中敷きを削り落とす軸脚の力を解放した直後、再び軸脚を前進に転換する。幕之内の突進を越える勢いが、リカルドの読みを大幅に狂わせた!

 

いつ現れるか不明の理性と凶気、表裏・死神(アズール・ミキストリ)がリカルドを圧している。

リカルドを試そうとしたボクサーは星の数ほどいた。だが、実際にリカルドを品評出来たボクサーは1人としていない。自身を越える踏み込みも、反射速度で捉えきれないモーションも未体験だ。

 

「よーやく壁を1つ越えたぜ…!」

 

この刹那の攻防こそ、ゴンザレスが脳内で導き出した最初の答え。

 

崩れ始めた化学に勇み込んで、油断なく追撃を開始する。

無防備を晒したリカルドに3度のコンビネーションを打ち込んだ直後、視線が交差したのを確認する。間髪入れず飛んできたカウンターをゴンザレスが見切り、ダッキングで躱して側面に位置付けた。

リカルドの標準から外れるという離れ業を成して、立ち直ろうと脱出経路を模索する身体に渾身の一撃を次々と打ち込んでいく。

 

『攻める攻める攻める攻める!!!!!

あのリカルドが復帰に時間を要している!

あのゴンザレスが一方的に神を追い詰める!』

 

十数秒の攻防を生き抜いただけで、思わず吐息を1つ挟みたくなる。

リカルドはまだ化学に基づいて行動しているが、既に暴力を出す機会を伺っているのが伝わってくるのだ。

側面から右ストレートを放ち、ガードを崩して左ボディを叩き込むときも、視線はこちらの足元と重心を見ている。

 

こちらが雰囲気に呑まれたとき。

リカルドの見据える隙を踏んだとき。

若しくは、このラウンドが終わったとき。暴力は瞬く間に姿を見せて、冥界の蹂躙を開始する。いま倒しに行くしかない、明確な機会を逃してなるものか。

 

「……せやけど、ここまでしても倒れへんか」

「リカルドがいつまで許すでしょうか……」

「直撃してるんだ。攻め続ければいつか倒れる!」

 

打つたびにダメージは蓄積していく。

手応えはある。だが、顔色は変わらない。リカルドは冷静に自分が打たれる時間を過ごしている。その様子が人間離れしていて、この時だけは神のようだった。

 

ふと思った。

リカルドが疲弊する姿を見たことがない。

 

(んなワケ、あるか。こいつで倒してやる)

 

右拳を握り締める。

 

疲れない人間は存在しない。リカルドは超人的な肉体の持ち主だ。膝を着くような衝撃を当ててしまえば、歴史が変わる。

 

だから、右拳を打ち出した。

リカルドの左フックに合わせて、最高のカウンターを着弾させる。誰もが頷く完璧なタイミングで当たった右拳にダウンを期待する最中、ゴンザレスの顔色が青ざめた。

手応えが……無い。

無いどころか、左フックに力が入っていない!

力が入っているのは両脚だ。

 

(こいつ、後ろに飛びやがった…!)

 

油断はしていなかった。そんなものはない。

だが、想定は出来なかった。あのリカルドが後ろに飛び退くことなど、過去の1度としてなかったからだ。

 

(私を越える…その夢を無謀だとはもう思わない)

 

天上の門が開く、陽光が地上に差す。

天に挑む愚かな漢を照らす。

 

現代化学を築いた人智を蹂躙する神が姿を見せる。

降り立つリングから、民衆は世界が軋む音を聞いた。

 

「……来おった」

「つ、遂に…!」

「バイオレンス!」

 

暴力を知る者たちが震撼する。誰が言わずとも、拳を掲げずとも分かってしまう。人が自然災害に呑まれるように、歴戦の勇姿が神に敗北することは決定した未来だからだ。

 

「歓迎しよう。私の好敵手として」

「よォ、待ちぼうけたぜ────」

 

だが、大切なことを忘れている。

ここに立つ存在は、天と地、隔てられた世界で畏れられる神だということを。

 

ここからが神罰の行方を決める、本当の頂上決戦である。

 

第7ラウンド、暴力降臨────!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






オマケ

『アインシュタインの理解力』
幣作リカルドのオリジナル設定。
原作、伊達英二のハートブレイクショット(一発目)を防いだシーンから生まれた。
俗に言う?初見殺し殺し。

ミキストリが命名した。
「教科書で見た頭の良い人間の名前がコイツだった」


コアトル(不死)の身体』
幣作リカルドのオリジナル設定Ⅱ。
疲れにくい体質。傷の治りが早い。頑丈な身体。気を張れば激痛を無視できる。
ビルですらリカルドが息切れしている場面を見ることは稀。
メキシコのスポーツ記者が言い始めたけど広がっていない。今回の記者会見にも参加している。


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