鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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なんだよ、リカルド

 

 

意識がリングの上に撒き散らされていた。

ここがロープ際な気もするし、コーナーに張り付いてみっともなく泣き縋っているとも思える。或いはリング中央で大の字に寝転がって、はらわたが飛び出しているのかもしれない。

 

ゴンザレスは直前の記憶を失い、忘れたモノを探して肘を立てた。

 

「4────5………!」

「な、にィ」

 

レフェリーがこちらを覗き込みながら、指を立てて数字を叫んでいる。

いま、5の数字を唱えていた。4秒も気を…!?

 

(な、にが起きた……!?俺は、なんで倒れてる!)

 

慌てて身体を起こして、リングに散らばった意識をデタラメに掻き集める。情報収集は終わり。まずは立ち上がるべく、一気に取り込んだ情報からロープ際にいたことを幸いと思い、のたくるようにロープへしがみ付く。

 

6────気づく。だが、懸命に気づかないフリをして、脳天を割るような痛みを振り払って、ゆっくりと姿勢を上げる。

いまは、7…………3度目の挑戦。最後の挑戦。あと3つで終わる、もう次が無くなる、だからなんだ、気づくな。

 

(バカったれ!呼吸が乱れてる!余計なことは考えなくていい!おい、まだ聞こえないのかゴンザレス!?)

 

あぁ、気づいた。凶気の声がやっと繋がった。だが、会話が出来ない。いつものように、声帯を無視したコミュニケーションが出来ない。

 

なぜなら、俺は見上げて、しまった────

 

「……………………立て、ゴンザレス」

 

心の中から、見上げた。

心が、リカルドを格上だと認めてしまった。

 

(なん、だよ……リカルド…)

 

あんまりだろ、俺が記憶に留められないような拳を、こいつはいつでも打てる。なのに、俺はヤツを後退させることもままならない。

WBCの頂きを獲り、好敵手を見つけて、最凶との一体化を極めた。ここまでの経験を積んで、無敗神話の序章を越えたところで、こちらのリソース不足で物語は終幕する。

誰が文句を言う。そんなボクサーはいないだろ。エイジも、センドーもここまでは来れなかった。

誰も、無敗神話を破れないことが証明される。

他でもない、この俺のせいで。

 

(もう、届かない……)(おいゴンザレス!?)

 

理性が沈んでいく音を聞いた。

 

身体から離れていく音を凶気は聞いた。

 

以前に体験した、心が折れる音を聞いた。

 

(くそっ…とにかく立つからな‼︎)

 

理性の主張は認めないと凶気が立ち上がる。この時に気づいたのは、理性が沈んだ身体を動かすことは存外に負担が大きいということ。早く解決しなければ、立ち上がったところで拳を振るうのは難しい。つまり、負ける。

 

「次のラウンドでその夢を粉砕する」

 

死屍累々のボクサーに告げられる死刑宣告。

立ち上がると同時に第9ラウンドは終了した。

 

まだゴンザレスは立っている。だが、誰が見ても戦意がないことは明らかだ。リカルドを前にして心身ともに衰弱したボクサーは大勢いた。彼に救う余地があるとすれば、その誰よりも奮闘したところだろう。

 

なら、誰ならリカルドに勝てるんだ。

 

そんなIF(もしも)を語る民衆は、もう現れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────────────!」

 

 

 

 

 

遠くで声がする。

 

 

 

よく聞こえない。

 

「────────────────!」

 

まあ、いいや…。

 

 

 

ゴングが鳴った。

 

ヤツには届かないけど、

 

 

 

周りが見えないけどさ、

 

 

 

立たなきゃ、終われねえもんな。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

第10ラウンド開始直後、千堂たちの心配を絵に描いたような試合が展開されてしまった。

 

『ああーーー!やはり一方的!守りに徹するゴンザレス、それを粉々に砕きにいくリカルド。勝負を決めにいった!』

 

いいや、これは始めから分かっていたことだ。

千堂や幕之内、板垣だってダウンの1つや2つは覚悟していた。ゴンザレス本人も4度倒れても試合に勝つ気でいたのを知っている。

 

「ミキストリだけで戦っとる。ゴンはどないした!?」

「────まさか、心が折れたんじゃ……」

「あ、あり得ますね…あれだけ接近戦で持ち堪えて、打ち返しもしたのにクリーンヒットが1発もないんです。

どう見たって地力が……」

 

それでも立ち上がったのは、果たしてミキストリだけの意志だろうか。千堂の疑問を知る者は、リングの上にいる。

理性の心が本当に挫けていたら、自ら脅威に近づくはずが無いと、そう千堂は考えている。だから、「早よ戻ってこい」と叱咤した。

 

(こんなバカなッ────!

終わり方があっていいのかよ……!?

俺は嫌だ!戦意喪失なんざ、死んでもゴメンだ!)

 

バイオレンスに立ち向かうミキストリ。

同じ神でも、格の差は一目瞭然だ。

多少の無理が利く身体と、人外規格を簡単に扱える膂力。ここに9ラウンド分の疲労を加味すれば、更に差が開く。

 

(起きろ!リカルドの野郎はまだ表裏・死神(アズール・ミキストリ)を見切ってない!バイオレンスの運動量で抑え込まれただけだ!あとはお前が作戦考えるだけなんだよ!!)

 

理性に声を掛けながら、目の前の理不尽を観察し続ける。

 

隙自体はない。だが、漸く身体が慣れてきた。こうしてガードでやり過ごせているのは確実に成長した証だ。今なら、やっと表裏・死神(アズール・ミキストリ)でリカルドに届くかもしれない。

 

(あああああ、ああぁ、あ────

打ち返す隙がない……!惨めだ屈辱だなんてザマだ…。

1ラウンドの時のお前はどこに行った!最後まで戦うって決めたのは俺たちだろうがあああああ────)

 

ミキストリだけで反撃を試みても、やはり隙間を狙われて手痛い直撃を貰うだけだった。

 

(クソッタレ馬鹿野郎ゴンザレス‼︎

さっさと立てや、身体が重いんだよ‼︎)

 

悪態を吐きながら、リカルドの右肩の動きに合わせてガードを固める。ガードをそのまま殴り飛ばしてきたが、慣れと技術を駆使して芯をずらす。

これで1秒延命した。次の1秒が迫り来る。

センドーとの試合でさえここまでの手数は要求されなかった。野性の直感というものは非常に恐ろしいが、これは野性をも蹂躙するもの。文明圏が100年も先の未来を見せつけられる気分だ。

 

いや、違うか。やっと100年まで差が縮まったんだ。そこを履き違えるとこっちの心が折れちまう。俺たちは確実に、リカルドの世界に近づいている。この拳と、これまでの想いで。

 

そして、近づいたら迎撃されるのは当然のこと。

 

過去の思い出を振り払うが如く、ミキストリの足を止めるために神速のジャブが放たれる。4度から先は数えられなかった。ひと息のうちに最大速度で進路を潰し、ミキストリの足が止まった。

 

「ヤバい、リカルドが右を溜めた!」

「トドメを刺しにきた!」

 

ガードは固めている。だが、それが無駄な抵抗だと千堂たちには分かる。リカルドの右ストレートを1度は防げるだろう。ならば、2度目はどうだ。そう、2度目で終わる。リカルドは、自分の暴力を2度押し付けるだけで勝利する。いまのミキストリの疲弊は、心身ともにそれだけで倒れてしまう程度の強度に落ちた。

 

声を出そうとして、間に合わない。終わりへのプロセスを先に理解してしまって、3人とも声援が遅れてしまった。

 

リカルドの右肩が動く。

この動作はフェイクだ。なぜって、既に拳は打たれている。気づいたところで、何もかもがもう遅い。

 

「あ、当たった!?」

 

衝撃がリングの上で炸裂する。

“1度目”で響き渡る、3人の予想を裏切る音。

 

ミキストリのガードは、役目を果たせなかった。

 

「連れ戻せたらしいな」

 

代わりに、ガードから反撃に転換し、1秒後の生存を獲得したゴンザレスがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈む。ゴンザレスの戦意が沈んでいく。

なにかを恐れて立ち上がったのに、身体は相変わらずリカルドと1メートルとない距離で無謀な戦いに明け暮れているのに、理性だけが遠ざかっていく。

 

(こんなバカなッ────!

終わり方があっていいのかよ……!?

俺は嫌だ!戦意喪失なんざ、死んでもゴメンだ!)

 

ここは酷い世界だ。

現実で死に物狂いで抗っている自分の半身を見ながら、過去2回の敗北を1秒も余すところなく思い出させてくる。それがまた戦意を削って、現実世界に戻る理由を無くしていく。

 

(起きろ!リカルドの野郎はまだ表裏・死神(アズール・ミキストリ)を見切ってない!バイオレンスの運動量で抑え込まれただけだ!あとはお前が作戦考えるだけなんだよ!!)

 

理性には届いた。届いたが……

 

 

────それはやろうとして失敗した。バイオレンスを封じるには、すまない、その後が続かないから無意味だ。

 

 

ゴンザレスの心の声はミキストリに届かない。深く、心の奥底に沈んでいくゴンザレスは、自分の声を届かせるだけの力が残されていない。

考えてもみてほしい。今回は表裏・死神(アズール・ミキストリ)を極めて、リカルドの化学を乗り越えて、10ラウンドまで戦って、そのうえで理性の心が折れたんだ。

最初と2度目、どちらも実力の半分も出せずに敗北した時とは違う。あんな、不完全燃焼で終わった試合と比べられないほど努力をして、好敵手も出来たのにこの有り様だ。

 

 

────もう、出し尽くした。

 

 

(あああああ、ああぁ、あ────

打ち返す隙がない……!惨めだ屈辱だなんてザマだ…。

1ラウンドの時のお前はどこに行った!最後まで戦うって決めたのは俺たちだろうがあああああ────)

 

悲鳴が聞こえる。同居人の声だ。まだ諦めていない。

息絶えた死神を信じて、凶気は血に染まって耐えている。

なんでそこまでするのか。深淵で負けを刷り込まれるゴンザレスは理解出来ない。思考を放棄している。

 

(クソッタレ馬鹿野郎ゴンザレス‼︎

さっさと立てや、身体が重いんだよ‼︎)

 

 

なのに、どうしてミキストリは立っていられる。

 

お前の限界は俺が1番知っているはずなのに…。

 

 

「………見つけたぜ、サボり魔。あの時とは逆の立場だなぁ?戻れんだろうなコレ?」

 

どうして、こんなところ(深淵)まで来るんだよ。

 

「お前っ、試合してんだろ!?」

「慣れに任せて動いてる。半分無意識だぞ、あれ」

「無意識…?」

「俺の声、聞こえてねえの?バイオレンスにも慣れ始めてんだって。あと少しのところまで来てんだよ。

理性のくせして……本当テメェは…!」

 

あの日。センドーとの試合で覚醒した時のように、ミキストリの手が深淵に沈むこの手を掴んでいた。

 

「センドーに勝つ気あんのか貧乏神‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

皮肉にも、ゴンザレスが沈んで辿り着いたこの場所は、ミキストリが一度は沈んだ無意識の海。表裏・死神(アズール・ミキストリ)を生み出せたのも、センドーに勝ちたい一心だった。

あの時、俺は初めて勝利をリカルド以外から欲しいと思った。2度も負けた者同士、変なプライドがあった。意固地になって必死に殴り合っていたが、センドーとやってる時の方が楽しかったなぁ。

 

「……ちょっとばかし力みすぎた。ここから見てるとさ、リカルドも必死なのは分かるのに」

「だろ?向こうだって余裕は無くなってきてる。

絶好のチャンス到来だ。さ、ちょいと隙を作ってくれよ。仕切り直しに2秒、反撃で1分使うぜ!」

 

スパーのあと、リングの上に座り込んで雑談するように笑って、

 

(俺が倒したい相手は────)

 

短い…だけど長かった挫折から抜け出して、目を醒ます。

 

見るべき相手を、試合の中で忘れるところだった。

 

「……そうだ。これは…前哨戦」

 

リカルド・マルチネスの向こう側に、倒すべき漢がいる。

 

リカルドだけに手を伸ばすから当たらないんだ。

その奥にいる、生涯の好敵手を打ち抜くつもりで、気合いを入れて拳を振り抜け────!

 

「っ!?」

 

真横に掻っ攫う右フックがリカルドの視線を揺らす。

 

「あ、当たった!?」

「連れ戻せたらしいな」

 

リカルドらしくもない。余力のある相手に右を溜めるなんて。油断したところに遠慮なく右を捩じ込んでやった。

 

(アルフの目が覚めた…というところか)

 

突然の復活に警戒して距離を置いた。

バイオレンスが顕現して初めての睨み合いだ。

 

(作戦がある)

 

リカルドを止めて生まれた猶予で、起死回生の策を共有する。

 

(────それは作戦じゃねぇ。賭けでもねぇ。

ただの、自殺志願者だぞ…!?!)

 

ミキストリの動揺は、さっき俺を連れ戻したときの威勢からは考えられないものだ。

 

(だからって、ここで死ぬ勇気は無い)

(………くくっ、良い返事だ。行くぞ)

 

恐れなんて今更だ。怖いものは怖い。だが、ソレを越えた先にある僅かな可能性は、俺たちの恐れを上書きする景色だ。

天上世界に登るなら、迷うことは考えるな。

 

「────あぁ、やってやろうぜ」

 

そうやって2人の答えを出して、笑いながら飛び出した。

 

一刻の猶予もない。

起死回生とは言うが、この身体が途中で尽きる可能性の方が大きい。現に、再び動き出したバイオレンスとガードの上から打ち合うだけで臓器が千切れそうなほど痛覚を脳に送ってくる。

 

焼ける、灼ける、肌が、心が、存在が硝化していく。

膝は折れ、一瞬で激情を流し込んで骨を作る。折れた隅から痛みを感じ取って、生存本能が働くよりも先に拳を打ち出して気絶を回避する。反撃を打ち込んで、リカルドに一矢報いるために。

太陽にすら焼かれない灰を積もらせていく。

 

『これがフェザー級の頂点!太陽神と死神が瀬戸際の攻防に命を費やしている!まるで最後のラウンドと言わんばかりの動きに瞬きする暇もありません!』

 

()めつ(すが)めつ互いにリング中央を行き来して、必殺の一撃を繰り出すタイミングを推し測る。

その最中でリカルドは、自身の拳が再び当たらなくなってきていることを確認した。

 

(……まだ、アルフは成長しているのか?)

 

いまの動きに追いつくだけでも筋肉繊維はどんどん千切れているのに、ここに来て一段と強くなっている。無駄な動きが減って、バイオレンスの抜け道を縫うように駆け抜けているのだ。

 

戦況把握を終えたとき、あれほど欲していたであろう一手(ジャブ)が、バイオレンスを掻い潜って頬を掠め取っていった。

 

難業と設定していた領域に、ゴンザレスは既に入り込んでいる。

ならば、とリカルドは顎を引いて歯を噛み締めて前に出る。リカルドの意表を突いた行動は、ゴンザレスの左ジャブを頬で貰いつつ距離を詰めるもの。一瞬戸惑ったところを狙って、左拳がゴンザレスを打ち払う。

 

(この野郎、わざと貰いに来やがった!?)

(仕留めるなら、早めがいい)

 

動きを止めたゴンザレスを見て、右を溜めた。

明らかに勝負を急いでいる。あのリカルドがリスクを冒してまで勝負を仕掛けたのは、伊達 英二のような脅威が眠っていることを予感したからだ。

この心情を、ゴンザレスは見抜いた。

 

(ここ、だ────────!)

 

凶つ神は太陽へと生命を捧げに飛び込んだ。

誰もが目を見開いて、死神の選択を自壊だと息を飲む。既に正常な判断は下せず、憧れを抱いて原子まで焼かれるのだと。勇姿の最期の目撃者として口元を苦々しく噛み締めた。

 

(ガキの頃から、何もない拳を作ってきた)

 

右拳を握りしめて踏み込む。

眼前ではリカルドも右拳を溜めている。

両者が狙うのは右ストレートだ。もう方向転換は利かない、お互いに足を止めている。

 

(負けてたまるかと、この拳で死を負かし続けてきた)

 

絶対に避けることはカウンター。俺の拳だけが空振りすること。

この時点で負けが確定する、俺は耐えられない。

 

次点で空振り、その次に相打ち。

これは次に繋がる一手が出ない可能性が高い。

 

狙うはカウンター。俺の拳だけがリカルドに届くこと。

無敗神話を破るなら、無敗神話の威力も乗せて返すのが手っ取り早い。これが狙える最初のチャンスが来た…!

 

(それが今じゃ……沢山の想いを握り締めている)

 

これまで見上げてきた太陽は、俺たちが墜とすべき目標だった。ここで見るものは空でも、宇宙でもなく、自分が這い上がってきた過程であるべきだ。

今からやる事を成功させるために、過程を思い出せ。

 

右ストレートはミキストリに託された。

カウンターを避けるのはゴンザレスが担う。

 

(だから信じろ、成功する……!)

 

やはり、スリップで躱す算段をつけていた。だが、ミキストリは笑った。避けるよりも先に当ててしまえ!と。

腰を回し右腕を捻り、速度が増す。ただの強引さだけでリカルドの算段を打ち破り、右のカウンターは成功した。

 

リカルドの右ストレートは反則的に速い。見ても避けられないから、身体で覚えた着弾のタイミングの直前に顔をずらす。避けることに集中してカウンターのフォームが崩れては台無しだ。

 

……いま!

 

前振りなく落とした顔面。直線上から外れるのを確認した────はずが、リカルドは当然のように追いついた。

 

「ガッ────────!?」

 

終わるには、十分な威力。

 

リングを最大限に駆け回り、民衆の意識を釘付けにしていた2人が止まる。鏡合わせのように突き出され、顔面に着弾した右拳。

 

一瞬の静寂。

動かないということは、勝敗が決するということ。

次に動いた者の挙動で全てが明かされる。

 

「……………ぐ、そ、が────」

 

ぐらり、揺れて上半身が崩れたのはゴンザレス。

意識が、切断されて。

 

死神は、深淵に────

 

「ゴン!?!」

「ここまできて…」

「ああっ……倒れる!?」

 

深淵に手を伸ばして、冥界の門をこじ開けた。

 

上から照りつける陽光が、門の奥に差し込む。

 

意識が朦朧とする最中で見たものは、千堂や幕之内と過ごした時間。ブラスや板垣と交わした言葉。

そして、ミキストリと努力した日々。

 

(起きてるだろ、ゴンザレス)(…当然‼︎)

 

────瞬間、会場は凶気が支配した。

 

今際の際で踏み留まり、地上に這い出てきた姿は、死神らしからぬもの。

それは雨上がりの高架下に居座る陽光の如く、漢たちの生き様を凝縮した背中だった。

 

(その体勢から打てる、変則的な拳を知ってる)

 

リカルドは読んでいた。この右の打ち合いに臨んだのは、ゴンザレスたちが1度だけ振り絞る延命を断つため。

結局この試合も、最後までリカルドが支配していた。リカルドの冷徹な視線を見て、誰もがそう思った。

 

(ここに右を合わせれば……っ!?)

 

両脚が震えていた。

息苦しさを問い詰めてくる拳に気づけなかった。

自分の右拳の反動が足枷になることを想定していても、体験したことがない。積み重ねてきたダメージと相乗し、ここにきて爆発する。

 

(まさ、か────)

(こちとら慣れてんだよボケッ!!)

 

野性味のある笑顔を撒き散らす死神から、リカルドは目を離せなかった。

意識が吸い込まれた。足が動かないせいで錯覚が起きた。見ていては終わる、なんとか避けなければならない。

 

ウィービング、不可。ダッキング、欠落。スウェー、右に同じ。パリィ、膂力が足りない。ブロッキング、可能。

 

自分が置かれた状況から最善手を叩き出して、両腕を上げて顔を守る。腹が狙われたら、受け止めよう。倒れる前に、受けた衝撃で両脚の痺れが抜ける。だから一手先にゴンザレスを仕留められる。

だが、顔だけは未知数だ。その必殺が1番伸びる場所が顔面になる。威力が最も高いところで無防備に受けてしまえば、いくら頑丈な身体といえども立てる保証はない。

 

倒れかけの身体をそのまま前傾姿勢にして放つ、その必殺の名はスマッシュ。

 

ここまで理解しておいて、リカルドは気づかない。

自分が防戦を強いられる程の窮地はなかったことを。

 

「いけ、ゴン────────!」

 

千堂の雄叫びを背中で受け止めて、ゴンザレスの中でイメージは完成した。次いでモーション、位置取り、相打ちという不恰好な場面から、ここまでよく持ち直せたと自画自賛して。

 

「しッ…あ────────!」

 

好敵手(とも)から倣った渾身の一撃を振り上げた。

 

灰色の汗が落ちていく向こうで、リカルドの盾が初めて意味を成さなくなった。

文字通り、リカルドの両腕が吹き飛んでいく。

自分が何度も実行してきた理不尽な業を、まさか自分で体験するとは夢にしか見なかった。

 

息を呑む。

顔面に迫る景色を目撃した直後、初めて太陽の光は地上から途切れていた。

 

聳立する人物を見上げるのは、これが初めてだ。

 

 

「────なんだよ、リカルド」

 

 

リングに墜ちた太陽神を見下ろす死神。

 

この世に在ってはならない、然して世界中が夢見る瞬間が始まろうとしている。

 

 

「まだ、そこにいんのか?」

 

 

それ即ち、次の神話の序章だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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