たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第1話

 これは、無数にある"もしも"の一つ。

 幾つもの選択肢が枝分かれする運命の大樹、その一節に過ぎない話。

 正史から外れた、有り得たかもしれないが終ぞ起こりえなかったそのIFは、今より一六〇〇年前。繁栄の粋を極めたブリテン王国、王城キャメロット。その楼閣の一つにて起こる。

 

 

「何故だ……何故認めようとしない! アーサー王!」

 

 怒りと屈辱に声を荒げ、モードレッドは眼前の王を睨み付けた。獰猛に尖った歯を剥き、翡翠色の瞳は溢れる感情に爛々と燃えている。

 激情にわなわなと震える顔。それは目の前で背を向ける王と、生き写しのように瓜二つな、美しく凜々しき顔だった。今この時、彼女は初めて兜を脱ぎ捨て、相貌を王の前に曝け出していた。

 

「この顔を見てみろ! この目の色を見てみろ! 貴方と一緒だ! オレは、貴方の血を分けて産まれた、貴方の子なんだ!」

 

 声を張り上げて、モードレッドはそう主張する。その表情は引きつり、酷く焦燥している。まるで生き急ぐかのように。

 しかし、彼女の必死の主張にも、アーサー王の反応は乏しかった。悠然とした立ち振る舞いを乱さず、静かに首を振る。

 

「それは違う、モードレッド卿。私に子供などは存在しない」

「っ……ああ、そうさ。正統な血じゃない。オレはホムンクルスだ。道具として作られた、不義の泥人形だよ」

 

 憎々しげに吐き捨てると、モードレッドは拳を固く握りしめ、心臓の上に置く。

 

「だが……だがこの魂は、オレだけの物だ! オレは王の剣として、数多の敵を屠った! 王に徒なす物を片っ端から薙ぎ払ってきた!」

「確かにその通りだな、モードレッド卿。卿は円卓の騎士として、ブリテンの力を――」

「円卓の騎士だからじゃない。王の力を受け継いで産まれたからだ! 貴方の息子として、譲り受けた才能がある。オレなら、貴方の王位を引き継ぐことだってできる!」

「……先ほどから、卿は何を言いたい」

 

 王の態度が、一層冷ややかな物に変わった。

 モードレッドは息を飲むも、狼狽をぐっと堪え、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「認めて欲しいだけだ……! 息子であると。どんな形であれ、王の血を引いていると。それだけで、いいんだよ……!」

 

 まるで命乞いをするかのような声音で、モードレッドはそう懇願する。

 ただならぬ形相で願う、その心の内に一体どんな思いを抱いているのかを、王は知らない。

 どんな気持ちで息子を騙り、認知を求めているのか、知る由も無い。

 けれど……彼女の心の内を知った所で、王の行動はやはり変わらなかったのだろう。

 眉一つ動かさず、冷然と、王は彼女の激情を聞き流した。

 

「今の情勢を、貴方も理解しているはずだ、モードレッド卿」

 

 城門前では、ガウェインの先導の下で遠征隊が組まれ、王の到着を待っている。

 不義を働いたランスロットを討つ。その大義の前には、眼前の喚き立てる騎士の駄々など、目を向ける必要のない些事でしかない。

 

「すまないが、今は卿に構っている時間は無い」

 

 それだけを言い残し、踵を返す。

 しばらくの間、モードレッドは何を言われたか理解できず、呆然と目を見開いていた。やがて言葉の意味がじわりと染み込んでいくに連れ、煉獄の如き怒りが燃え盛り、彼女の血を滾らせた。

 わなわなと唇が震える。食い縛った歯の隙間から、焼けるような怨嗟が噴き出す。

 

「ふ、ざけんな……ふざけんな、アーサー王! オレが一体、どんな思いで打ち明けたと思ってる! オレの願いは、テメエが唾棄できる程のちっぽけな事なのかよ! ――答えろアーサー!」

 

 激情の叫びは、キャメロットの楼閣に虚しく響く。王は既に彼女への関心を失っていた。青地のマントをはためかせた背中はみるみる遠ざかっていく。

 モードレッドは喉を震わせ、獣のように吼えた。王の心に届かないと分かっていても、叫ばずにはいられない。溢れ出る激情が、怒りになって噴出する。

 

「ッ何が王だ、何が理想の国だ! 辺境の屑共の言うとおりだ。テメエは人の心を理解しねえ! 人ですらないホムンクルスには、耳を傾ける必要もねえってか!?」

「……」

「失望した、見損なったぞアーサー王! 目に物を見せてやる。オレを蔑ろにしたことを、生涯に至るまで後悔させてやるからなぁぁぁぁ!」

 

 息子は叛逆を誓い、王の背中に吼え立て、そうして相容れられぬ親子は決別した。キャメロットの楼閣には、怒りの矛先を失い立ち尽くす、王に良く似た憤怒の形相だけが取り残された。

 

 

 

 

        ◇

 

 眩い月明かりに、大理石の城壁が艶やかに色めく、銀の夜。

 王城の一室、王家のために誂えられた個室で、王妃グネヴィアはすやすやと安らかな寝息を立てていた。

 

 美しい女性である。雪のように白く滑らかな肌。シーツにたおやかに流れる絹糸のような金髪。絶世という言葉が相応しい美貌は、見る者を物語の中に迷い込んだかのように錯覚させるほど幻想的だ。

 無垢な寝顔は安らかで、まるで少女のような可憐なあどけなさを感じさせる。それでいてふわりと膨らんだ薄紅色の唇はぞっとするほど妖艶で、見る者を釘付けにする、浮世離れした魔性の色香を感じさせた。

 

 深い眠りに就く、人を惑わす絶世の美女。

 その枕元に、忍び寄る暗い影が一つ。

 影は音もなくベッドに膝を乗せると、素早くグネヴィアに跨り、美しい唇を手で覆い隠した。目覚めた彼女が上げた声は、くぐもったうめき声にしかならない。

 

「んぐっ、む……!?」

「静かにしろ。誰かに聞かれたらどうすんだ」

 

 影は人差し指を立て、含み笑いと共に言った。

 狼狽していたグネヴィアの目が暗闇に慣れ、侵入者の相貌が月明かりに浮かび上がる。

 馬乗りに跨るのは、アーサー王その人であった。

 青地の衣装に銀の甲冑をまとい、三つ編みにした金髪を後ろに纏めた、威厳と気品に満ちた出で立ち。

 その中で一点、口元だけが、まるでイタズラを画策する悪餓鬼のように、得意げに吊り上っている。王は唇に指を当てていた手で、グネヴィアの細い首を静かに握りこんだ。

 

「危害を加えるつもりはない。が、声を荒げるなら、躊躇なく縊る。分かったか?」

「……」

「よし」

 

 こくこくと頷くのを認めて、王はグネヴィアの口から手を離す。

 しかしその途端、王妃はいきなり起き上がり、王をひしと固く抱擁した。

 乙女のように目を輝かせ、子供のように溌溂に、がばっと飛びつく。

 

「アーちゃん!」

「うおおっ!?」

 

 今度は王が狼狽する番だった。初めて出会う経験に仰け反るも、グネヴィアは縋り付くように抱擁を強くし、王の珠のように弾む肌に頬を擦り付ける。

 

「ああ、ああ。やっと会いに来てくれたのね、アーちゃん! 嬉しいっ!」

「ちょ、な……あ、あーちゃん?」

「ごめんね、本当に悪気は無かったの。落ち込んでいるランちゃんを慰めてあげたかっただけなの。ちゃんとアーちゃんの事も大好きよ、本当だからっ」

 

 狼狽える王の様子など歯牙にかけず、一息に捲し立てるグネヴィア。少年のような王の身体を、豊満な身体全体で包み込む。

 王妃はしばらく夢中でぎゅううっと抱き締め……それからふと、首を傾げる。

 

「……あら? でもアーちゃん、ランちゃんを追いかけてフランスに行ったんじゃ……?」

「っく、くく……」

 

 グネヴィアの胸元で、王が耐えかねたように笑い声を上げた。

 聞いた事のない響きに、グネヴィアが戸惑いながら抱擁を離す。

 王の凜々しき口は、挑発的な三日月型に吊り上がっていた。

 

「アーちゃん? アーちゃんだと? はは、臣下にはツンとお高く纏まっておいて、正室にはガキみてえに扱われてんのかよ。全く傑作だ」

「アーちゃん……?」

「まあ……この子供女のほわほわ脳じゃ判別できない位には、オレは瓜二つって訳だ。悪い気分じゃあねえ」

 

 開け放たれた窓から風が吹き込み、王の金髪を靡かせる。

 足を肩幅に広げた勇ましき立ち姿。凜々しさよりも獰猛さが勝る翡翠の目。獣の如く牙を剥いた凶暴な笑み。

 月夜に浮かぶその相貌は……まるで最愛の人の姿を形取って現れる夢魔のよう。

 

「……あなた、誰?」

「モードレッド。円卓の騎士が末席にして、王の息子。アーサーの血を引く、正統な王位継承者だ」

 

 そう言い、モードレッドは烈火の如く微笑んだ。月明かりを反射して輝く鎧が、シャンと鋭い音を奏でる。

 刃のように鋭い笑みに、にわかに空寒い心地になりながら、グネヴィアはふるふると首を振った。

 

「そんな筈がないわ。アーちゃんに子供はいないもの」

「お前が知らなかっただけさ。この顔が、この魂が、何よりの証だ……この服と剣、宝物庫から掻っ払ったんだ。サマになってるだろ? 息子だから当然なんだがな」

 

 モードレッドは得意気に笑うと、礼装の裾を摘まみひらりと踊る。

 言葉通り、衣装を揃え髪型を合わせたモードレッドは、まるで王の生き写しのようだった。姿形はそっくりそのまま。狂犬のような表情だけは似ても似つかないが、ふとした一瞬に見せる目の輝きが、玉座から向けられる王のそれに重なって映る。

 

「父上……本物のアーサー王は、尻軽なテメエのケツを拭くために、大陸を駆けずり回ってるよ。キャメロットで動ける円卓の騎士は、今はオレだけだ」

 

 流石のグネヴィアも、モードレッドがただの冗談でここに居る訳でないことに思い至った。正常な思考であれば、王の真似事などという不敬に走る筈もない。寝間着の胸元をぎゅっと握り、真意を問うべくモードレッドに対峙する。

 

「……何をする気?」

「ハッ。決まってる。生き写しの身体。王の血を引く息子としての出生……今なら分かるぜ。オレには天命があった。全ては、この時の為にあったんだ」

 

 

 ざあっと風が吹き、モードレッドの結い上げた金髪を揺らす。

 そうして彼女は、王の風体で胸を張り、力強く宣言した。

 

 

 

 

「すなわち――オレ自身が、アーサー王になるってことだ!」

 

 

 

 

 一縷の疑いも無く、自身に満ち、何より大変に嬉しそうに、そう叫ぶ。

 グネヴィアはその宣言を、十秒掛けてやっと噛み砕き……それから「ほへ?」と、間の抜けた鳴き声をあげた。

 

「グネヴィアが騙されるくらいだ。そこらの家臣じゃ、オレの変装なんて分かりっこねえ! へへっ、似てる自信はあったけれど、我ながら本当に父上そっくりじゃねえか……皆がオレを王と呼ぶ。我が王、我が王ってな……へへ」

 

 その光景を想像してか、僅かに頬を赤らめ、照れくさそうにはにかむモードレッド。

 その可憐さに見惚れそうになったグネヴィアは、頭を振って気を取りなす。

 

「そ、それじゃあ貴方は……」

「そうだ。奴が留守の内に、王座をブン取ってやるのさ! 帰ってきた王の方が偽物と誹られるほど、完膚なきまでにな!」

 

 モードレッドが画策するのは、まさしく王位の簒奪だった。瓜二つの外見を利用して、ブリテンを内側から崩落させようと目論んでいるのだ。

 その悪辣な所行を、分かっているのかいないのか。モードレッドは父そっくりな格好に喜び、子供のようにはしゃいでいる。

 さしものグネヴィアも、黙ってはいられなかった。自らの軽率な博愛が危機を招いたとはいえ、愛しき王が統べる国が崩落するのを、指をくわえて見ている訳にはいかない。

 

「ダメよ。いけないわ。この国がめちゃくちゃになったら、帰ってきたアーちゃんが泣いちゃうわ」

「へんっ、王という者がありながらランスロットに靡いたお前が、何を言っても説得力ないぜ」

「それはそれ、これはこれよっ。私の目が黒い内は、悪戯に国を引っ掻き回すことは決して――」

 

 声を荒げ、グネヴィアはモードレッドの手を取る。

 その瞬間、王妃は驚愕に目を剥き、言葉を失った。

 

 

 ぎゅっと握りしめた、モードレッドの手。

 そこから伝わる事実に、唇が震える。

 

「……あなた」

「浮気性の癖に、どうして察しだけはいいんだ、テメエは」

 

 舌打ち一つ。モードレッドは、先ほどの上機嫌が嘘のように表情を消し、グネヴィアの手を払いのけた。

 

「聞けグネヴィア……オレは、国を転覆させるつもりはない」

 

 打って変わった冷静な目に覗き込まれ、グネヴィアはぐっと息を飲む。

 その目は。固く意志を籠めた言葉は、グネヴィアがよく知る、素晴らしき王と等しく、あるいはそれ以上に重い。

 

「あの王は、オレを認めなかった。ただ息子と呼んで欲しいというオレの願いを、歯牙にも掛けず投げ捨てやがった」

 

 憤慨した。失望した。だから、復讐してやるのさ。

 そう言って、モードレッドは自らの胸に拳を乗せ、不敵に微笑んだ。

 

「より良い治世を築いてやる。より強靱な兵を持ち、盤石の塀を布き、今以上の溢れる富で国民の腹を膨らませてやる……息子のオレならできる。息子だからできるって事を、証明してやるんだ」

 

 正統な息子だと、完膚なきまでに思い知らせてやるのだ。

 才能を見誤ったと後悔させ、詫びを入れさせるのだ。

 それが、モードレッドの選んだ叛逆。より優れた王になることで、彼の過ちを糾弾する、一世一代の意趣返しだ。

 そう宣言し、モードレッドは嗤った。王の生き写しのような顔を、獣の如く獰猛に歪ませて。

 

「止めようなんて思うんじゃねえぞ……元よりテメエの浮気が原因なんだ。黙って手伝ってもらうぜ、我が尻軽な妃サマ」

 

 

 

 

 そうして、モードレッドの孤独な復讐が――

 

 

 

 

 

 ――静かで優しい、国家征服が始まった。

 

 




高潔な騎士でしっかりした矜持を併せ持ち、誰よりも王を信奉し国を愛し、民草の事を慮る懐の深さまで持ち合わせてるかわいいかっこいいかわいいかわいいモードレッドがそもそも叛逆するっておかしいよね? っと。
そんな感じで書いたストーリーです。そう長くないです。よろしくお願いします。

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