たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第4話

 

 

 報告書の通り、謀反の現場はちっぽけな砦だった。

 限界まで兵を駐在させても、五十人がせいぜいだろう。王都から国境僻地の間にある、どうあっても要所とは言えない区画だ。

 そこで反旗を翻した兵士は、たったの十人。城壁を血で濡らす必要も無く、砦の奪還はものの十数分で終了した。

 履いて捨てられる程の、あっけない戦いだった。

 

「……つまらん」

 

 小声でそう吐き捨て、王は今まさに襲い掛かる反逆者の首を、振り上げた剣ごと跳ね飛ばした。安物の兜で覆われた頭部が、踏み荒らされた土の上で弾み、血糊の線を引く。

 

(王に反旗を翻すというから、どれだけ気骨のある奴かと期待していたら……雑兵も雑兵。蟻の群れの方がまだ潰しがいがあるぜ)

 

 血で滴る銀色のクラレントを担ぎ、王に扮したモードレッドは、心の中で深々と嘆息した。

 モードレッドとして剣を振るう時にも、こういう事があった。気が触れたか己の矮小さが嫌になったか、時折こうして、分不相応に謀反を企てる馬鹿が出てくる。

 そういう奴ほど、剣はド下手で、度胸も据わっておらず、みっともなく生き恥を晒す。斬っても全く気持ちよくない。辟易とさせられるばかりだ。

 クラレントを振り、べっとりと付着した血を払う。そうして、城内を検めていた兵士の一人を呼び止める。

 

「もう終わりか?」

「はい、砦は奪還し、民の安全も確認できております」

「そうか……敵に生き残りはいるか」

「主犯と思しき一人を、鎖につないでおります……あの、光栄でした。王の戦いを、まさかこのような場所で見ることが出来るとは……」

「世辞はいらない。その男の場所まで案内してくれ」

 

 兵士に先導されるまま砦を回れば、身動きを封じられた兵士が、城壁にもたれて項垂れていた。

 痩せこけた壮年の男だった。髪も髭も黒いが顔に刻まれた皺が深く、年齢以上に老けて見える。放っておいても、冬が来れば病に倒れて朽ち果ててしまうのではと思えた。

 老兵は歩み寄る王に驚きの目を向け――それから厭世的に、喉を絞るような笑い声を上げた。

 

「一体これは何の冗談だ? まさかこんな小さな砦に、王自ら裁きに下るとはな……王都の快適な暮らしに飽きて、刺激欲しさに殺しに来たと見える」

 

 嘯く老兵。その文句に苛立ちながらも、表面上は努めて冷静に、王は老兵の前に立つ。

 

「お前に問おう。何故我がブリテンに剣を向けた」

「何故か……だと?」

 

 その瞬間、命を諦めるばかりだった老兵の目に、怒りの炎が宿った。身体を縛る鎖がジャラと重たい音を立てる。

 

「決まっている。民のためだ。無慈悲な王に殺される位なら、せめて一糸報いて死んでやろうと、我らは剣を取ったのだ」

 

 老兵の目に爛々と宿る光は――モードレッドの抱くそれに勝ることはなくとも――彼女の心によく似た、恩讐の炎であった。

 その目に僅かに狼狽しながら、王は首を振って彼の言葉を否定する。

 

「それは違う。私は民を殺そうなどとは――」

「っく、は……くははっ。やはり我らが王は甘い。視野の狭い蒙昧だ。こんなガキが王とは、ブリテンも先は長くはあるまい」

 

 反射的に右手がクラレントへと動いていた。喧しい顎を削ごうとした手を、剣の柄に乗せた所でぐっと堪える。

 殺戮の本能を理性で押さえ込む。その様子に何を思ったか、老兵は蕩々と語り始める。

 

「……ここにあるのは畑ばかり。辺境みたいに外敵の恐れもなければ、王の遠征に同行する事もない。する事と言えば、一帯の農家から課税を徴収する位さ……理不尽極まりない、途方もない量の税をな」

 

 そうして老兵は、ついと首を動かした。つられて見れば、砦に閉じ込められていた農民達が、王都の兵士に先導され、砦から解放されている所だった。

 誰も、外傷の一つも貰っていない。縛られていたような痕跡もない。むしろ深刻なのは骨と皮ばかりになるほどの飢餓であり、それはここ数日の問題でないのは明らかだった。

 

「子供がいつも腹を空かして泣いている。夏の日差しに当てられ、麦畑の中で人が死ぬ。ちょっとした風邪が大人を戻らない眠りに落とす。それなのに彼等は、汗水流して育てた作物を、口にすることを許されない。王都への徴税、俺達が全て奪い去るからだ。国が簒奪し、殺しているのと同じだ」

 

 もう沢山だ。そう呟いて、老兵は力なく首を振る。

 そうして彼は王を見上げた。皮肉と侮蔑の折り交じった、冷たく淀んだ目で。

 

「その美しく健康な顔は、ここの民には嫌味にしか映るまいよ。王都はさぞかし華やかだろう。数多の富と食物で溢れかえっているのだろう。城壁の外、同じ国土で飢えて死ぬ者がいるなど、想像すらできまい……っ」

「……」

「なあ、誉れ高き王よ! 小さな叛逆を摘み取る精力がありながら、どうして飢えた娘子の一人を救えない! 財を奪って作り上げた温床に踏ん反り返る王が、どうして人の心など分かろうものか!」

「っ……王よ、もういいでしょう。この男の不忠は余りにも――」

「待て」

 

 傍らに控えていた兵が剣を抜いて歩み寄るのを、他ならない王が押し止めた。

 驚く兵に向き直り、老兵を指し示す。

 

「首は跳ねない。此奴は王都の地下牢にて幽閉する」

「しかし……!」

「二度は言わない。分かったなら、馬の用意をしろ。明日には王都に帰還する」

 

 王の言葉に逆らえる者などいない。兵達は戸惑いつつも王の言葉に従い、方々に散会していく。

 後には王と、未だに状況を掴めきれない老兵が残される。

 王は更に一歩詰め寄ると、屈んで老兵の目を覗き込んだ。大っぴらに膝を広げ、そこにだらしなく腕を乗せた粗暴な姿勢に、老兵が困惑する。

 

「お、王……?」

「人の心が分からない……そう、貴様は言ったな」

 

 低く沈んだ声で、王が凄む。そこに先ほどの理知的な姿はない。

 獰猛でありながら、どこか鬱屈とした、飢えた獣のような瞳。

 その瞳の内側には、爛々と燃える炎がある。先程老兵が王に向けたものよりも、遥かに暗く鬱屈とした炎が。

 

「貴様は私に背いた罪人だ。日の光を浴びせる事はさせない……だが、一人書記を付けてやろう」

「……」

「この国に何が足りぬか、何を行うべきか、思う全てを記せ。他に人が必要なら遣わせる……心が分からぬ王とのたまうなら、貴様が民の心とやらを見せてみるがいい」

 

 そう言い捨てて、王は立ち上がり、背を向けた。

 老兵は最後まで、自分が見た物を信じられないといった風に、去りゆく王の背中を呆然と見つめていた。

 

 

 

 そうして砦の後始末を済ませ、馬に乗り込み王都に帰還する、その道中。

 先頭を走りながら、王は隣を併走する家臣を呼んだ。

 

「貴様は知っていたか?」

「と、いうと?」

「辺境の民が飢えていること、徴税が民に深刻な圧迫を与えていることだ。ここ数ヶ月の話ではあるまい」

「は、いえ……報告するまでもないと、思っておりましたので」

「何故だ」

「こ、これらは我々で解決するべき、些事であります……王の行いに間違いはありません故」

 

 他ならぬ王の詰問に、肝を潰して家臣が応える。

 萎縮したその様子に、『人の心が分からない』という糾弾の言葉が重なって響く。

 モードレッドは、酷い苛立ちに内心で舌打ちをした。

 民の反抗は、今に始まった事ではない。どれだけブリテンが豊かになろうとも、必ず一定数の不満が噴出し、反乱という形で現れる。前線に立ち斬り伏せてきたモードレッドは、それをよく知っている。

 『王は完璧すぎる』『人の心が分からない』――反逆者はいつもそのような言葉を口走り、モードレッドの剣の錆と化した。

 完璧な王に対して何を……と、当時から苛ついていたものの、自分が王に扮した今では、その怒りはますます強く、腸を煮え着かせる。

 

「虚勢は下らん。色を塗って誤魔化した腐った果実ほど醜悪な物はない。次からは、嘘偽りなく私に話を通せ。あるがままを、全てだ。いいな?」

「っ……仰せのままに、我が王」

 

 苛つくからこそ、放っておく訳にはいかない。それに、一方でこれはまたとないチャンスでもある。

 あの完璧な王でさえ、反乱を完全に無くす事は出来なかった。王への不満を払拭することは出来なかった。

 であれば、その悪しき粒を根絶やしにできれば。反乱の無い、誰もが真に平穏を享受できる国にできれば。

 その功績はアーサー王を越えた王の資質を裏付ける、何よりの証拠となるだろう。

 

(やってやろうじゃねえか。より優れた王に似合う、より優れた国にしてやる。父上が漏らしていた穴を埋めて、完膚なきまでに完璧にしてやるよ)

 

 モードレッドは翡翠の瞳で、眼前の荒野……その向こうにある王都を見る。

 遙か遠くにある王都に憎らしき父上の姿を重ね、モードレッドはその背中に追い縋るべく、馬を蹴り速度を上げた。

 

 

 

 

 


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