たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第5話

 それからもモードレッドは、寝食を犠牲に王の執政に没頭した。

 あらゆる課題に真剣に向き合い、短時間で濃密に熟考し、最適な判断を下す。その姿勢には、アーサー王と同じに見えて、彼にはない情熱とひたむきさがあった。

 人間味と置き換えてもいいだろう。その熱意に当てられてか、王に意見を仰ごうという者は日増しに増えていった。

 謁見の時間はぐんと伸びた。グネヴィアの治癒を頼りに寝る間も惜しんで国政に励み、モードレッドは文字通り命を削るように王として君臨した。

 その熱意は、少しずつではあるが、傍に付く臣下の心の琴線を震わせていた。

 あの王も、人並みに苦悩する事があるのだな――そういう冗句が家臣の間で囁かれ、ほっと安堵の吐息を漏らされている事を、モードレッドはまだ知らない。

 偽物の王は、少しずつ『彼女なりの王』になろうとしている。

 

 

 

 そんなささやかな変化を感じさせる、王に成り代わってから二週間が過ぎた頃。

 モードレッドは、生まれて初めて、顔面に生卵をぶつけられる不快な感触を知る事になった。

 

 月に一度の、市中凱旋の日であった。国王が王都内を視察する行事であり、ブリテン王都に住む民が、唯一王の姿を拝む機会でもある。

 王として国民から讃えられ、羨望の目と賛美の歓声を一身に浴びる日である。

 王の政務の、花形と言ってもいいだろう。

 実の所、王に扮して以来、モードレッドはこの行事を心の底から楽しみにしていた。

 

「ふっふ~ん……そっこのけ、そっこのけ、我らが王のお通りだー……ってな」

 

 後から思い返して引いてしまうくらい、モードレッドは浮かれていた。わざわざ自らの手で剣や鎧を磨き、いつも以上に気合いを入れて化粧を施し、凜々しい衣装に身を包んだ。

 それも当然。市中凱旋は、モードレッドが初めて王を目にし、王に憧れを抱いた、思い入れある行事だ。

 今でも覚えている。数年前、未だ幼子だったモードレッドは、モルガンに連れられて、王都を巡る王の一向を見に行った。

 やがて越えるべきもの。いずれ貶めるべき憎き敵……そうモルガンから教えられながらも、幼き彼女の瞳に、王はただただ気高く、凛々しく、格好良く映った。

 それと同時に……あそこから見る景色は、沢山の人から受ける歓声は、一体どれほど心地いいだろうと、幼子らしい夢想に浸ったものだった。

 

「アーサー王! 崇高な我らが王!」

「ああ、相変わらず何てお美しい……」

「万歳! 我らがブリテンに、万歳!」

(う……っひょおおおおおおおお……!)

 

 果たしてモードレッドを待っていたのは、子供の頃に夢見たそのままの景色に、それを彩る想像以上の高揚感であった。

 

 

 国民総出の、大歓待である。

 王都は年明けの例祭も足下に及ばぬ程のお祭り騒ぎであった。凱旋の道程は王をひと目見ようという人でごった返している。その全員が輝くばかりの笑顔を浮かべ、王に、そしてこの国を賛美する言葉を叫んでいる。

 視線を向ければ、民は喜び、感激の涙さえ浮かべて見せる。手を上げて応えれば、歓声が割れんばかりに大きくなって返ってくる。

 ビリビリと肌が震える感覚に、むず痒い崇高の視線。心を揺さぶる賛美の言葉。

 

(うひひっ……くひひひっ)

 

 モードレッドの心は、昂ぶりすぎて昇天寸前だ。

 視線がくすぐったい。歓声が心地よく耳を抜け、背筋をぞわぞわとさせる。全身を愛撫されているようなたまらない快感に、唇が持ち上がるのを止められない。

 

(これだよ、これこれ! こういうのだよ! 王ってのはやっぱりこうでなきゃ!)

 

 気を良くして、手を振って民の歓迎に応えてみせる。それだけで「王が笑った! 微笑みを向けてくれたぞ!」と大騒ぎになるのだから、尚のこと気分がいい。

 

(まったく役得だ。今ばかりは、ケツ向けてさっさと出てったクソ親父に感謝だな)

 

 すっかり有頂天になって市中を練り歩く、そんな夢のような時間の、最中だった。

 笑顔で手を振る民衆の中から、ひゅんと卵が投じられた。

 宙を舞った白い塊は、すっかり浮かれていたモードレッドの顔面に直撃。ぱきゃっと軽い音を立てて、中の粘液を顔面にぶちまけさせた。

 

「わぶっ!?」

 

 歓声の声がさっと引き、どよめきの声に変わる。華々しい行進が、一気に凍り付くような緊張感に包まれる。

 

「なにが万歳だ!」

「死んじまえ、バカ王!」

 

 息を飲み押し黙った群衆、そのどこかから高く澄んだ子供の声が響く。たちまち街路は、王に対する侮辱に慄き、騒然となった。

 傍に控えていた近衛騎士の一人が、大慌てで王の下に駆け寄ってくる。顔をすっぽりと覆う兜越しでも、動揺が透けて見えるようだ。

 

「も、申し訳ありません、我が王よ! お、お、お怪我は……!」

「ある訳ねえだろ……卵一つで騒ぎ過ぎだ」

 

 吐き捨てるように応え、袖で顔を拭う。その声音は、先ほどまでの浮かれた調子から一点、ぞっとするほどに冷え切っていた。

 べっとりと付着した粘つく感触に舌打つ、その唇から刃のような犬歯が覗く。

 

「気色悪い……アレ以上の屈辱はねえと思っていたが……なかなかどうして、苛つくじゃねえか」

「ッた、ただちに賊をひっ捕らえます! とにかく、すぐに換えの服を……!」

「いや。それよりも良いやり方がある。ちょっとツラ貸せ」

 

 王の出で立ちすら忘れ、鎧に身を包んだ騎士の肩を鷲掴みにする。

 刃のように冷徹なモードレッドの翡翠の眼は、ごった返す人混みの中、路地の影に消える小さな人影を確実に捉えていた。

 

 

 

     ◇

 

 王が遠征のルートとして選ぶ街路に、ひっそりと開いた脇道。

 高い建造物に挟まれて影になった、洞窟のようなそこをひた走り、家々を仕切る垣根やデコボコした屋根を猫のように渡り、十数分。

 そこに、ボロボロの教会があった。腐って穴だらけになり、すっかり黒ずんだ骨木を軋ませ、路地の隙間に身を押し込めるようにして、ひっそりと蹲っている。

 何十年も前に役目を終え、取り壊す事すらも忘れられた、今にも崩れ落ちそうなその中で、二人の少年がむっつりと頬を膨らませていた。

 二人組の正面には、彼等の姉と思しき少女が、腕を組み仁王立ちで佇んでいる。

 

「謝りなさい」

「誰にだよ」

「姉ちゃんに悪いことはしてないだろ?」

 

 よほど怒られるのが不満なのか、少女の叱責に食い気味で反論する少年達。悪びれた様子の無い彼等に、少女はますますむっと唇を尖らせ、言った。

 

「約束、したでしょ」

「「……」」

「何があっても、人を傷つける事はしないって、二人ともちゃあんと約束したわよね? それを破った。ましてや私達の王様に。とってもいけない事よ。だから、謝りなさい」

 

 年頃の少女に似つかわしくない気丈な、有無を言わせない口調は、しかし少年たちの蓄え続けた不満を爆発させるように作用した。

 

「意味分かんねえ、何で姉ちゃんがアイツの肩を持つんだよ!」

「姉ちゃんだって知ってるだろ。アイツが最悪だって事ぐらい!」

「皆の苦しさに比べれば、卵の一個ぐらいどうってことないじゃないか!」

「やめて。それとこれとは話が別でしょ」

 

 語気を強めて窘めようとするも、少年たちの怒りは収まる様子を見せない。益々苛烈に、少女に食って掛かる。

 

「俺たちをこんな目に合わせて、アイツはへらへら笑ってる! 苛つかない方がどうかしてるだろ!」

「姉ちゃんだって悔しいだろ!? だから、あの野郎に思い知らせてやるんだ!」

「そうだ! 俺たちに酷い事をした罰として、死刑にしてやる!」

「ちょっと、そのくらいで……」

「ああ、そうだな。罪は等しく罰されなければいけない」

 

 姉弟喧嘩に割って入る、酷薄な声。

 あっと思う間もなく、二人の少年は、首元をむんずと掴まれ、中空に持ち上げられた。

 いつの間にか後ろに迫っていた鎧づくめの近衛兵は、兜越しのくぐもった声で笑う。

 

「国は、規律よって守られているんだからな。例えみずぼらしいガキだろうが、王と法は容赦をしないぞ」

「このっ――」

 

 宙に吊り上げられた状態で、少年は勇敢にも騎士に蹴りを放つ。

 しかし、近衛騎士の鎧の中身は、ほとんどが空洞であった。少年の蹴りで兜はあっけなく宙を舞い、その中の美しき相貌を露わにする。

 結い上げた金髪に、宝石の如き翡翠の瞳。凶暴に犬歯を見せて笑うその顔は、しかしまさしくアーサー王その人に違いなかった。呆然としていた少女がはっと息を飲み、顔面を蒼白にさせる。

 

「ちなみに、王への侮辱は、即刻粛正だ。ブリテンの民なら知ってるよな?」

「な……っぐ、うぅ!?」

 

 瞠目する少年達は、自らの首を絞める腕力に苦しげに呻き声を上げる。宙に浮いた足はじたばたとみっともなく藻掻き、すぐに目尻からは珠のような涙が溢れ出てくる。

 絶句していた少女が弾かれたように飛び出し、王の膝に縋り付いた。

 

「お、王様! お止めください! お願いです、お手をお離しください」

「断る。こいつ等は罪人だ。完璧な国に巣くう溝鼠だ。良き国を保つためにも、放置はできない」

 

 涙を流しながらの懇願も、王は意にも介さない。微動だにしないまま、冷徹な目で少女を睥睨する。

 

「っ……何が、完璧な国だよ……!」

 

 振り絞るような悪態に、王は顔を上げた。少年が目に涙を浮かべ、苦しげに喘ぎながら、燃えるような目で王を見下ろしている。

 

「俺達だって、この国に住んでるんだ。父さんも母さんも、この国に守られていた筈だったんだ……!」

「……」

「それに見向きもしないで、俺達を捨てたのは……お前じゃないか……!」

「……何の事だ」

 

 首を掴んでいた手を離し、王は問いかけた。地面に落ちた彼等を、少女が駆け寄って抱き締める。

 死にものぐるいの勇気だったのだろう。少年達は少女に縋り付き、声を殺して泣きじゃくっている。

 改めて見れば、その歳は十にも満たないようであった。着古した衣服はボロボロで煤だらけ。あちこちに空いた穴からは、垢で茶色くなった肌が覗いている。

 それを抱き締める少女もまた、せいぜいがモードレッドより見た目数歳上というぐらい。同じく古ぼけた服を身に纏い、その身に似合わない疲れ切った顔で、少年達を抱き締めている。

 ふと視線を感じ、王は少女達の奥、古びた教会の中に目を向ける。建物の影になった、薄暗く湿気った空気の中に、黒ずんだ影が塊を作っている。

 幼い子供達が蹲り、怯えきった目で王と、少女を見つめていた。十人はいるかもしれない。いずれも、目の前の少年達より更に幼い。腕に抱かれて寝息を立てる幼児の姿まで見える。

 

「孤児か」

 

 鋭い視線を向けられ、少女は一度びくりと身を震わせる。何度か喉を喘がせ、それからようよう言葉を絞り出す。

 

「ッ……はい。行く当てもない子供が集まり、ここで雨風を凌いでいます」

「親はどうした、どこで何をしている」

「死にました。この子達の父親は皆、王城に勤める兵士でした。戦で命を落とし、帰らぬ人に……」

「そうか。しかし母親は? 殉死した者の遺族には、その後を保証する恩賞を与えていた筈だ。なぜここで浮浪者となっている」

 

 王が追求したそれこそが、彼女の心の傷を抉る言葉であった。少女は堪えられなかった涙を頬に伝わせ、少年達をぎゅっと抱き締める。

 

「恩賞は、確かにありました……けれど、仕事を得られない女子供が生きていくには余りに少なく……母親は、自らが生きる為に、この子達を不要なものだと切り捨てました」

「……お前も、そうなのか?」

「十二の時でした。街路の隙間には、人は寄りつきません、赤子だって構わず捨てられます。誰も見向きもしません。子供が捨てられようが、死んでいようが……」

 

 そこで少女は言葉を句切り、王を見上げてきた。か弱く不安げで、それでも何人もの子供を抱えて必死に生きている、責任を抱いた目であった。

 その目が、直接言葉にせずとも、王に問いかけていた。

 この国は本当に完璧かと。私達の惨状を見て尚、民の褒めそやす言葉を聞いて悦に浸るのかと。

 

「そうか……親に、捨てられたのか」

 

 苦虫を噛み潰すような感覚に、猛烈な吐き気が込み上げてくる。

 つい数週間前。モードレッドもまた、親子の繋がりを否定されたばかりだった。否応なしに、目の前の子供達に、自分の姿を重ねてしまう。

 モードレッドは知っている。親から見放される事は、自分の存在そのものを否定されたような、奈落に落ちるが如き絶望なのだ。

 モードレッドは怒りで以てその絶望から這いだし、力と才能で復讐しようとしている。

 彼等はどうだろう。少女の胸に蹲っていた少年は、今は顔を上げ、泣き腫らした目で王を睨み付けている。

 

「……お前のせいだ」

「父さんは格好良かった。母さんも優しかった。それなのに、父さんは戦いから帰ってこなかった。それで母さんもおかしくなっちゃった」

「戦いさえなければ……お前が父さんを、殺したりしなければ……!」

「やめて。この人は悪くない。誰も、悪くないんだから……」

 

 怒りはある。王に牙を剥くだけの、悲痛な怒りが。

 しかしそれをぶつけるだけの力も、才能もない。

 親に見放された赤ん坊は、他の獣の餌食となるか、腐り果て土に還るかしかない。どうしていいか分からないまま、ただ泣き、身を寄せ、深い哀しみに打ちひしがれて、死ぬだけだ。

 その残酷な事実は、ブリテンにおいては決して珍しい事ではないのだろう。子供達の人数や口ぶりからしても、それは明らかだ。

 こんなにも沢山の子供が、親に見捨てられている。

 もし、運命がほんの少し違っていれば。モードレッドもまた、何もできずただ泣いて自分の運命を終えていたのかもしれない。この少年達のように、寄る辺を失い、絶望にくれて……。

 

「……ふざけるな」

 

 自然と、そう口に出していた。少年達が幻聴かと顔を上げる。

 込み上げてくる怒りに、モードレッドはギリと歯を鳴らした。

 認めてはいけない。自分が受けたような屈辱が、怒りが、ありふれたものであることなど。無慈悲な侮蔑に、ただ泣きじゃくって塞ぎ込む以外に無いなど、許されて溜まるものか。

 

「負けたままでいるな。屈辱を受けたまま諦めようとするな。怒りがあるなら、憎いと思うのなら……牙を剥いて立ち上がれ。魂を燃やし、憎き者を焼き尽くせ」

「どうやって、だよ」

「何をやってもだ。思いつく限り食らい付け。剣でも鍬でも構わない。手に持ち、振るえ。虐げられたままの現状を良しとするな」

「そんな事、言われても……」

「加えて言ってやる。お前達が憎むべきは、お前を捨てた母親と、反抗すらできなかった自分の弱さだ。立ち上がる強さを得ろ。怒りを力に変えろ。その力の前には、国も、国王すらも、ただの道具で手段に過ぎない」

 

 まさしく自分が、国王という立場を利用して父上を見返そうとしているように。怒りは不可能を可能にし、常理も飛び越え、限界の壁を越えさせる力がある。

 他でもない国王自身が、自らを『道具』と表現した事に、少年少女は目を丸くする。王はしゃがみ込んで彼等と目線を合わせると、涙で揺れる少年達の目を、それぞれしっかりと覗き込んだ。

 

「名前は何という」

「……レジー」

「アール」

「よし。レジー、アール。もしもお前達が強くなりたくて、剣を手に取りたいと思ったら。遠慮は要らない、王城の門を叩け。門番には、王直々の命だと伝えろ。私からも取り持ってやる」

 

 少年達はまだ、何を言われているか分からず、呆然と王を見上げていた。

 少年達は孤児だ。王への侮辱を働いた、生産性すらない、国を汚すだけの埃だ。掃いて捨てるのが当然の処置で、王が行う当然の事の筈だった。

 呆然とした少年達に代わって、少女が王に問う。

 

「私達を、罰さないのですか?」

「将来への投資だ。熱した鉄ほど硬くなるように、苦しみを知るほど、強い人間に育つ……お前達にも、現状に抗うだけの手段を用意してやろう。どう使うかは貴様次第だがな」

「……どうして、そこまで?」

 

 不可解としか思えない、身に余る庇護に、思わず答えを求めてしまう。

 王はついと顔を上げた。

 古びた教会の、崩れ落ちた屋根から覗く空、その更に遠くを見つめるように目を細める。

 

「……どうにもできないという苦しさを、人より知っているだけさ」

 

 独り言のように呟くその言葉は、余りに寂しげで、遺言のように重たく少女の心を響かせた。

 

 

 

 


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