たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第6話

「王よ、一体何をお考えなのですか!?」

 

 市中凱旋から数日後、王城キャメロットの謁見の間に、泡を食ったような叫び声が響き渡った。

 声を張ったのは、資源管理を担う事務官の一人である。彼は膝を着き手にした一枚の羊皮紙を、王宮に並び立つ全員に見えるように翳して見せた。

 勅命書と題されたそこには、王による血印が押されている。内容は、現在空き地となっている王都の一画の、施工指令である。

 王より唐突に告げられたその内容に、誰もが怪訝に眉を潜めていた。謁見の間に並び立つ騎士団は、皆王座に座る王に、訝しむような不審の目を向けている。彼等の意見を代弁するべく、事務官は口火を切る。

 

「王都の工事計画を勝手に乱されては困ります。あの空き地は、ルドレ司祭が新たな教会を建設するとして仮押さえをしていた場所です!」

「そうか? 返してくれと頼んだら、すんなりと承諾してくれたぞ」

「……お、王自ら行かれたので?」

「ああ。強引な願いであったからな。ちゃんと丁寧にお願いさせてもらった」

 

 ここで言う丁寧とは、もちろん鎧をまとい帯剣した戦装束の事である。

 王による恫喝が行われたとは知らない事務官は、狼狽えながらも、更に王を問い詰める。

 

「そ、それで新たに建築するのが……製粉場? こんな物をいきなり作って、誰が従事するというのですか」

「親の無い子供だ。どうせ野垂れ死ぬのであれば、せめて粉ひきにでも活用してやったほうがいいだろう」

「その為に、特注の製粉機までお作りになられるのですか? それに、麦は? 粉を挽く麦はどうされるのです。王も既にご存じの筈。我が国には、悪戯に振りまくほどの備蓄は――」

「あるだろう。我が王城に、それこそ山のように」

 

 王の指摘に、謁見の間はにわかにざわめいた。誰もがぎょっと目を丸くし、王を見据える。あんぐりと開いた口は、言葉は無くとも「とうとう気が触れたか」という内心を良く現していた。

 

「わ、我々騎士団の食料を、民に振りまくというのですか?」

「そうだ。元より民が育てた作物だ。彼等が必要な分を喰う権利は、当然にしてあるべきであろう」

 

 動揺は、次第に大きな溜息へと移っていった。居並ぶ騎士の表情には、失笑と、王に対する失望に緩んでいる。

 事務官はやれやれと言わんばかりに、頭に手を乗せ首を振った。その嘲笑するような仕草に、王が表情を崩さないまま、拳を割れんばかりに握り締める。

 

「騎士団の重要性をお忘れですか。国には未だ賊が現れます。諸外国が付け入る隙を伺い、牙を研いでおります。剣を持つ力が緩めば、立ちどころに国が瓦解しますぞ」

「賊の正体は、国に不満を抱いた民達だ。反乱の芽を摘んだ所で、土が治らねば直ぐに新しい反乱が産まれる。放置しておけば、諸外国を待たずとも国は内側から瓦解するだろう」

「ッ……お気を確かになさってください。貴方は我々を導く存在。いつものように迷い無く采配を振るっていただかなければ、我々は――」

「う――るッせえんだよ!! ケツに付くしか能のねえヒヨコどもが!」

 

 肘掛けを殴りつける凄まじい音が、謁見の間に木霊した。

 しいん、と、恐ろしい静寂がキャメロットを包む。誰もが、自分に浴びせられた罵声を、信じることができずにいた。

 思考も魂も凍り付いた彼等を、王は煮え滾る激情を瞳に宿し、一人一人睨み付ける。

 

「おめでたい野郎共だな。王城に居座り、その濁りきった白痴な目で、この国の何を見ている? どこが完璧な国だと言うか?」

「お、王……?」

「もし、一人……国を憎み、国王を憎む人間が一人、命を賭して復讐しようと決めたなら……この国は崩れ落ちるぞ。民は容易く、不満を剣として、その切っ先を王に向けるだろう」

 

 もし、あの時。敬愛する父上に、息子では無いと一蹴された絶望の最中、王への復讐を誓っていれば。

 モードレッドは自らの怒りで、民衆に充満していた不満を誘爆させるだろう。

 苦しんでいた民は鍬を武器として手に取るだろう。やるせなさに嘆いていた兵士は、叛逆の狼煙を上げるだろう。苦しみは怒りとなって、力となって、誰よりも憎しみを滾らせるモードレッドの下へと集うはずだ。

 王を絶対視し自らの意見を持たない空っぽの臣下達に、暴徒化した民衆を止める術はない。そればかりか『実は前から不満だった』と掌を返す背信者が、この城にどれだけいるか知れない。

 

 あの時、復讐として暴力を選んだなら。

 モードレッドは民の怒りを率い、五日で王座を簒奪する自信があった。

 

 

 完璧な王? 完璧な国? とんでもない。

 民は飢えている。生活の為に捨てられる子供がいる。苦しむ彼等を見て見ぬ振りをして、王は完璧な存在を気取っている。

 

「ッだいたい! マトモな精神してたら、部下の浮気を根に持って国を留守にするかよ普通!? ランスロットのクズ野郎一人のために、何を大隊率いてスタコラ遠征してんだ!? そういうのはブチ切れガウェインを一匹けしかけてゴリラ両成敗させときゃ良いんだよボケが!!」

「お、王!? お気を、お気を確かに!」

「こっちはテメエ等よりよっぽど正気だ! ……やっと目が覚めた。盲信していた今までの自分が馬鹿すぎて呆れてくるぜ!」

 

 王の魂は烈火の如く燃えていた。血液が沸騰したように煮えたぎり、小さな身体の中を暴れるように駆け巡っている。

 苛立ちに肘掛けを再度殴りつけ、立ち上がる。

 その途端、いきなり訪れた目眩に、王はよろめいた。

 倒れるようにして王座にもたれかかり、腰に下げていた剣が激しく打ち鳴らされる。

 人が変わったかのような罵詈雑言に凍り付いていた謁見の間が、再びざわめき立つ。

 

「だ、大丈夫ですか、我が王よ」

「ッただの立ちくらみだ、何でもねえよ」

 

 危うい調子に目元を抑えながら、王は近づこうとする家臣を手で制した。

 重い頭痛を堪えるように顔を手で覆ったまま、王は家臣達に背中を向け、覚束ない足取りで謁見の間を後にする。

 その去り際に、王は一度だけ振り返った。呆けたまま動かない家臣達をドブネズミのように睥睨し、吐き捨てる。

 

「……テメエ等も、この国に何が必要か、自分の頭で考えてみろ。陰口叩く暇があるんなら、直接オレに文句を言え。有効な案であれば、宝物庫にあるもんを何かくれてやる」

「は……は?」

「とにかく、今日は終わりだ……少し、疲れた」

 

 呆然とする家臣達を放置し、王は青いマントを危うげにはためかせ、フラフラと覚束ない足取りで、謁見の間を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の目が無くなると、それまで堪えていた虚脱感が、悪夢のようにモードレッドを襲った。視界が回り、思わず壁に寄りかかる。

 

「っ……」

 

 底なし沼に掴まったように身体が重い。心臓の鼓動がやけに大きく感じ、その痛みに胸を押さえて身体を折る。

 血液が一気に粘度を上げたかのよう。酸素が十分に巡らず、脳が苦しげに悶えている。

 それは病に似て、確実に異なる苦しみだった。

 以前から少しずつ感じていたその兆候は、今や迫り来る気配が足音になって聞こえる程に、その存在を強めてきている。

 

「何を参ってんだ……この程度じゃねえだろ、オレ」

 

 歯噛みし、そう鼓舞するも、苦しみは遠のかない。

 ばく、ばくと心臓が鳴る。一発ごとに、胸を内側から叩かれているようだ。

 壁に着けていた手が腕に変わり、とうとう王は、王城の廊下に身体を凭れかけさせる。

 日が落ちかけた廊下に、人の気配は無い。夕暮れは次第に藍色の夜に支配を明け渡し、王城の楼閣に薄暗い闇を生んでいる。

 その闇が、唐突にぬるりと蠢いた。陰が一層黒を濃くし、渦巻くそれが次第に形を成して、おぞましい気配を纏い始める。

 闇の中、黒いソレはうっすらと人の形を取り、苦悶する背中を指さした。

 

「何をしているの、モードレッド。その格好はどういうつもり?」

「……久しぶりじゃねえか、母上。似合ってるだろ? 子供っぽくごっこ遊びをやってんだ」

 

 脂汗を滲ませながら、モードレッドは不敵に笑う。闇夜から響く魔女の声は、随分と苛立っているようだった。

 

「全く笑えないわ……あなたの役割を忘れたの? 私は、そんなふざけた格好を見るためにあなたを作った訳じゃないのよ」

「そりゃそうだ。役割も何も、今の今まで、お前の事なんて忘れていたんだからな」

 

 鼻を鳴らして、魔女の苛立ちを一笑に伏す。

 作った……産んだでも、育てたでもなく。

 その言葉の一節が脳内で蛇のように纏わり付き、酷く恨めしい気持ちが這い上がってくる。その内心を知ってか、魔女は嘲笑うような声を上げた。

 

「なんて無様で、滑稽なの。王にあれだけの侮辱を受けながら、みっともなく縋り付こうとするなんて。残り僅かな寿命でやることが、王様ごっこ? 全く呆れた! 紛い物とは言え王の血。それがまさかここまで馬鹿だったなんて!」

「っ……」

「力ばかりの低脳のくせに、私の思い通りにもならない! あなたを作る為に、どれだけの準備が必要だったと思うの? 吐き気がするような教育にも必死に耐えてきたのに、こんな形で不意にされるとはね!」

 

 烈火の如き怒りに、心臓が更に激しく高鳴り、痛みになってモードレッドを襲う。

 ギリを歯を食いしばってその苦悶を噛み殺して、モードレッドは闇の中に漂う魔女を睨む。

 

「っ……確かに、王は憎いさ。オレの願いを歯牙にもかけず、直視しようとさえしなかった」

 

 喘ぐ呼吸を自覚しながら、モードレッドは凭れる壁から身体を引き剥がす。ようよう自らの足で地面を押し、醜悪な気配を放つ闇に正面から対峙する。

 

「だが、王はオレの剣は認めてくれたぞ。オレの力を評価し、円卓の座を与えてくれた」

「思い上がるな。私が、王の血を持って、あなたをそうやって育てたからよ」

「オレの力だ! オレの剣だ! 王は騎士としてならオレを見てくれた! 少なくとも、道具として扱うテメエよか余程上等だ!」

 

 モードレッドは腰のクラレントを引き抜き、闇の中に翳した。闇から向けられる侮蔑の眼差しに、獣の如き眼光を返す。

 

「オレは王に憧れた、その魂はオレだけのものだ! オレの剣は王に捧げた、その志だけは本物だ!」

「何を馬鹿な事を。その魂は、私が作った偽物ではないか。その志は、他でもない王に裏切られたばかりじゃないか」

「みっともないと笑うがいいさ。子供っぽいと罵倒すればいいさ。オレは最後まで王に憧れ、王が治めるこの国を愛すと誓ったんだ!」

 

 魔女とはいえ母親に向けて、そう毅然と言い放つ。

 モードレッドは自らを、子供のようと自虐する。父に依存する、情けない騎士だと自嘲する。

 その心は、果たしてどれほどに尊く、輝かしい物か。

 彼女は知らない。癇癪を起こした子供は、組み立てた積み木を壊してしまうものなのだと。

 崩すよりも愛す方が、よほど難しく気高いものだという事に、モードレッドは気付いていない。

 それこそが清らかな魂だと気付かせてくれる人は、彼女の周りには誰もいなかった。

 

「……愚鈍で、哀れで、誰の期待にも応えられない愚図の泥人形が……!」

 

 闇の中から悪辣な言葉を並び立て、魔女はモードレッドを指さした。これ以上なく彼女を傷つける、母からの怒りと侮蔑をこれでもかと籠めて。

 

「その生き方が美しいと思っているのか? 全く愚かしい! 貴様ももう分かっていよう。邪法によって作られた偽物の命は、もう残り僅かだ! 何も成さず、何者にもなれずに散るか! 恥知らずの愚息が!」

「……」

 

 魔女の怨嗟の声は、ただの音でありながら呪いのようにモードレッドの心を痛めつけた。心臓がまた痛みを訴え、彼女を苦しみで苛ませる。

 

「見下げ果てたぞ。もう知らん。貴様は孤独だ。王から裏切られ、母たる私からは見捨てられ、独りでべそを掻きながら死ね! せっかく私が授けた命を、無為に棒に振るがいい!」

 

 最後にそう吐き捨てて、闇は形を崩し、敵意は文字通りに霧散した。後には、暮れゆく夕日に陰を落とす、寂しげな空気だけが漂う。

 一人取り残されて、モードレッドはぎゅっと唇を噛みしめた。

 爪が食い込むほどに拳を握りしめ、叫びたくなる感情を必死に押さえ込む。

 

「大丈夫……大丈夫だ、大丈夫……」

 

 何度も何度も、そう呟く。涙を流す事は、憎き魔女への屈服を意味していたから。

 ただ一人、胸の内の哀しみを、必死に押し殺す。 

 

「オレは正しい。正しい事をしているんだ……きっと分かってくれる。いつかきっと……」

 

 今にも崩れ落ちそうなか細い呟きは、誰もいない楼閣に冷たく響き、誰にも聞かれないままに搔き消える。

 

 

 

 必死に脈打つ心臓の鼓動が、今はただただ、恐ろしかった。

 


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