たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第8話

 

 

 

それから、三週間が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎧を身に纏った騎士の一行が、荒野に行列を作っている。乾いた空気に、蹄の音と鎧の擦れる耳障りな雑音が重なって虚しく響く。

 酷く憔悴した、疲れ切った行進だった。誰もが鬱屈と顔を俯かせ、一言も発さない。一人の例外なく鎧には無数の傷を帯わせ、中には拭うのを忘れた血がべっとりと付着しているものもいる。

 

「ああ、くそ……もううんざりだ」

「不毛だ。何を得たというんだ。俺達は、何のために……」

 

 声として聞こえるのは、そんな疲れ切った悪態と、怒りを蓄えた静かな罵声だけ。幽霊のように進む彼等は、およそ希望という希望を全て取り払われていた。

 向かう先はあの世かとまで思ってしまう、その行進が、見事勝利を勝ち取り王都に帰還するアーサー王一行だと、誰が信じる事ができるだろうか。

 余りに長く続いたランスロットとの戦は、互いの兵を削り合う泥沼の消耗戦となり……結局、根を上げたランスロットからの和平の提案により終結することになった。

 

 ランスロットの不忠を正すという、遠征の目的そのものは、果たされたことになる。

 しかし、元々の原因と言えば、一人の人間の浮気に端を発する出来事である。

 要するに、ただの痴情の縺れで長く辛い激戦に晒され、多くの騎士の命が落ちたのだ。「ふざけるな」という声は、至極真っ当な意見である。

 得るもののない遠征は、三ヶ月を数えた。

 騎士達の不満は、他でもない、アーサー王とそれに付き従う円卓の騎士達に向けられる。彼等もまた酷く憔悴し、表情に影を作っていた。背後から浴びせられる視線は重く、血液が鉛になったかのようだ。

 

「……」

「大丈夫か、ガウェイン卿」

 

 深く俯いていたガウェインが、その声にはっと顔を上げる。いつの間にかアーサー王が彼に併走し、顔をこちらに向けていた。

 

「な、何も問題ありません。我が王よ」

「そうか」

 

 慌てて返した言葉に、王は淡々と頷いた。それから後ろを振り返り、後に続く幽鬼のような行進を見つめる。

 

「……王都に帰り着けば、彼等には休みを取らせよう。ガウェイン卿も、少し剣を置くといい」

「……はい」

 

 王の進言に、ガウェインはただ頷く。

 まだ戦えるという、虚栄を作る事さえできない。

 此度の遠征は、彼等としてもいたたまれない戦いであった。家族も同然の同士と、殺し合いを演じたのである。精神は消耗し、やりきれない思いが黒々とした暗雲となって頭を埋めている。

 和平を望んだランスロットは、今は鎖に繋がれ、隊列の後部に連れられている。不満を抱いた騎士達に殺されてしまわないよう、ベディヴィエールを初めとした円卓の面々が周囲を警護している。

 今後の処遇をどうするかは未定だ。どうすればいいか分からないというのが、本音である。

 

 国も、民も、疲弊しきっていた。円卓の騎士は瓦解し、結束は崩れ去った。民は悪戯に翻弄され、不満を募らせている。

 かつて栄華を誇っていたブリテンの面影は、もはや微塵も感じられない。

 

「……ガウェイン卿」

「はっ」

 

 木枯らしにかき消されるほどの小声で名前を呼ばれ、ガウェインは王に並び立ち、驚きに目を見張る。

 王は唇をぎゅっと噛みしめ、苦渋に打ちひしがれていた。人並み外れた完全な王らしき様相は、ここにきて初めて崩れていた。

 

「答えてくれ……私は、何を間違えた。どうすればよかった?」

「……」

「良き国であった筈だ。良き王でいられた筈だ。なのに国は崩れ、卿らの目は陰を宿している……私は、その陰をこそ取り払おうとした。民を導く光であろうとした……その志は、間違いではなかったはずだ。では一体、何が足りなかった?」

 

 それは、ガウェインが知る限り初めての、王の弱音だった。

 王は初めて、己に迷いを抱き、行く先を見失っていた。

 その様子に、驚きと一抹の虚しさを感じ……それをぐっと噛みしめ、ガウェインは口を開く。

 

「誤りは一つもありません。貴方はまさしく光でした……けれどその光は、余りに眩すぎたのです。太陽を見つめれば目が焼けるように、導くべき民は貴方を畏れてしまった。貴方は、慕うには完璧に過ぎたのです」

 

 そう言ってガウェインは王から顔を逸らした。今の王の顔を、それ以上直視する事は憚られた。

 しばらくの間、蹄の音と、騎士達の溜息だけが響く。

 長い間を空けて、王は静かに頷いた。

 

「太陽の騎士から、まさか眩いなどという言葉が飛び出すとはな」

「申し訳ありません。出過ぎた言葉を……」

「いや、そう思わせる事も、私の悪い所なのだろう……すまなかったな」

 

 最後にぽつりと呟かれた謝罪に、ガウェインはぐっと喉を詰まらせる。

 ここまで参り、弱気になっている王は初めてだった。

 だが王は、初めて自分の過ちに気づき、後悔をしていた。当たり前に、人間らしく。

 

「ガウェイン卿……私は、やり直せるだろうか」

「……ええ。貴方は、自らの過ちに向き合う強さも持たれている。昨日と変わらず、昨日よりも益々、素晴らしい王であられます」

 

 ガウェインは自らの愚かさを悔いる。

 ずっと傍にいて、共に戦い続けたのに。ここまで追い詰められてやっと、目の前の少年のような王が、一人の人間であることを知った。

 王ならば大丈夫と根拠もなく信じ、疑う事をしなかった。その愚かさも、今のこの惨状を招いたに違いない。

 ガウェインはそう悔やみ――頭を振って、塞ぎかけていた心をこじ開ける。

 

これからだ。

 彼は今、自分の悔い、省みようとしている。国はこれからも続き、王は更に成長しようとしている。

 ならば自分のやるべき事は、王を支える騎士として、彼の隣にいる事だ。より一層、寄り添える男として。

 そうして彼は、気落ちした王の心を救うべく、太陽の騎士に相応しい晴れやかな笑みを浮かべてみせる。

 

「さあ、顔を上げてください、我が王よ。もうすぐ王都です。結果だけ見れば、ランスロットを取り戻した大勝利なのです。大手を振って門を潜りましょう」

「ああ……そう、だな」

「三ヶ月も不在だったのです。民は不安でたまらない事でしょう。どうか王の御心で、安心させてあげてください」

 

 ガウェインに鼓舞されて気を持ち直し、ようよう王は顔を上げる。

 眼前に、待ち望んだ王都の城壁が見えた。亡霊のようだった騎士達の顔にも、ほうと安堵の吐息が漏れる。

 門の前で一行の帰還を告げると、重たい音を立てて門が開かれていく。その音に隠すように、王は一度、大きく息を吐き出した。

 

 不満の多い王かもしれない。完璧に見えて、まだ至らないところも多くあったのだろう。

 けれど、依然として自分は、この国の王である。

 せめて民の前では、彼等が尊敬し、憧れられるような姿であろう。

 そう心に誓い、王都の門を潜る。

 荒野ばかりを眺めていた視界が賑やかな街並みを捉え、人の営みを肌で感じる。

 故郷の空気が温かな風になって、荒んだ心をわっと包み込む。

 

 

 

 

 

「……」

 

 その場にいた誰もが、怪訝に眉を潜めた有り得ない表情を、王に向けた。

 

「あれ。お、王?」

「アーサー王がおられるぞ……」

「どういうことだ。いつの間に、王都の外に出られていたのだ……?」

 

 歓迎の声は一つもなく、どよめきばかりが王都に広がっていく。きょとんと丸くした目は、全て先頭の王に向けて注がれている。

 奇妙な違和感に、ガウェインが不審げに眉を潜め、大きく声を張った。

 

「長らくの王都防衛、ご苦労であった! 安心せよ。たった今、アーサー王がご帰還なさられた!」

 

 ガウェインの声に発破をかけられたように、ぽつぽつと拍手が上がる。それでも数はまばらで、民の混乱はますます深く、彼等の首を傾げさせる。

 未だかつて無い、異様な戸惑いだった。

 

「……これは一体、どうしたのでしょう?」

 

 いたたまれない雰囲気に、ガウェインが思わずそう口にする。

 その時、狼狽えるばかりでいた民衆の中から、一人の年若い少女が飛び出てきた。彼女は王を認めると、ほうと安堵の吐息を吐き出し、すぐ近くまで歩み寄ってくる。

 

「王様! 無事でいらしたのね!」

 

 思いがけず友人に出くわしたかのような、無遠慮な弾んだ声。ガウェインがやや狼狽えながら馬から降り、駆け寄る少女を腕で押さえる。

 

「レディ。失礼ですが、貴方の振る舞いは王への無礼に当たります。謁見はまず、このガウェインを通して――」

「何よ、無礼はそっちでしょう? 忙しいのは皆承知だけれど、約束をすっぽかすなんてひどいわ!」

「……は?」

「王城に籠もって姿を見せず、みんな心配していたのよ。遠征隊を迎えに行っていたなら、ひとこと言ってくださればいいのに、全くあなたも人が悪いわ!」

 

 誉れ高き王の眼前だと言うのに、少女はまるで気にした素振りもなく、ぷりぷり怒ってみせる。けれど膨らんだ頬にはうっすら朱が差していて、王と会えた事に喜んでいるようでもある。

 敬愛でも、賛美でもない、子供に見せるような安堵の表情。意味不明なそれに、ガウェインの思考は容易く混乱の渦を巻き起こす。目眩を起こしそうになりながら、少女に問う。

 

「ええと、その……約束とは?」

「子供達に会いに来てくれると、約束してくださったでしょう? 特製のクッキーを焼いて待ってたのに、みんなしょんぼりして、宥めるのが大変だったんだから! もう二週間も前だから、今更気にしてないけれどね」

「に、二週間?」

 

 思わず王を振り返る。王もまた訳も分からないと眉を潜め、首を振るばかりだ。

 二週間前に王は騎士団を率い戦いを繰り広げていた事など、もはや論じるまでもない。

 彼等に漂う違和感に気が付き、少女も浮かれていた表情をかき消す。

 その場にいる誰もが、訳も分からず首を傾げ、沈黙が場に充満する。

 

「ちょっと……どいて、どいてちょうだい!」

 

 切羽詰まった女性の声が、いたたまれない空気に割り込んできた。声の主は群衆を掻き分け、躓いて一行の前に倒れ込む。

 倒れた拍子に、顔を覆っていた外套が捲れ、中の美貌が露わになる。

 彼女の顔は、現実味を喪失させる程美しく艶やかで、騎士達がいま最も憎み忌避するものだった。その美貌を認めた瞬間、ガウェインが烈火の如き怒りを宿し、腰の剣に手を掛ける。

 

「グネヴィア……! なぜここにいる。王城にて幽閉されていたのではないのか!?」

「ああ……っ帰ってきてくれたのね、アーサー王!」

 

 ガウェインの激昂は、グネヴィアの目には全く映っていないようだった。彼女はアーサー王だけを映した瞳を、感極まって激しく揺らしている。

 その異様な迫力に気圧される間に、グネヴィアは王に駆け寄り、彼女の足に縋り付いた。

 

「良かった、良かったぁぁ……! 奇跡よ。本当に、間に合ってくれるなんて!」

「何の事だ。説明しろ、グネヴィア。私の王都で、何が起こっている?」

 

 王の質問を、グネヴィアはぶんぶんと激しく首を振って拒絶した。

 必死の形相で、王の服を引っ掴む。その目からは大粒の涙が止め処なくこぼれ落ち、王の足を濡らした。

 

「キャメロットに向かって! お願いよっ、もう時間が無いの! あの子が……あの子が! 必死に生きて、貴方の帰りを待っているのよ!」

「……ッ」

「会ってあげて、救ってあげて! 貴方の子供よ。あの子の心を満たしてあげられるのは、貴方だけなの!」

 

 言葉の意味に気づけたのは、王ただ一人。グネヴィアの必死の懇願に、心の琴線が激しく揺れるのを感じる。

 

「――ガウェイン、後は任せた。皆を頼む」

「は……え?」

 

 絶句するガウェインに言い終わる頃には、王はグネヴィアを自分の後ろに乗せ、馬の腹を蹴っていた。馬は直ぐさま速度を上げ、王都を風のように疾走する。

 後にはただ、ブリテンの民達が、一様に目を点にして固まるばかりの光景が残された。

 

 

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