それは夏休みのことだった。
「ただいまぁ!」
「あら、おかえり、大輔」
「なあなあ、姉ちゃんは!?」
「ジュン?ジュンなら部屋にいるんじゃない?」
「わかった、ありがと!」
脱ぎっぱなしの靴を放り出した大輔は、ランドセルを自分の部屋に放り込むやいなや、ばたん、と乱暴にドアをしめる。そして、どんどんどん、と真向かいにあるジュンの部屋のドアを叩き始めた。おーい、姉ちゃん、ちょっと!ってジュンを呼ぶ大輔だったが、ジュンの部屋からは返事がない。騒がしい大輔を見かねて、おやつの準備を始めたお母さんが、こーら、とリビングから声をかける。
「大輔、うるさい。静かにしなさい」
「だって姉ちゃんが。なあ、どっか遊びに行った?」
「そんなわけないでしょ、今日も一日うちにいたわよ」
「えー、じゃあなんで返事しないんだよー」
「またパソコンしてるんじゃない?」
「えー、また?」
「百恵ちゃんに頼まれたみたいだしねえ。まあ、いいわ。入っちゃいなさい、大輔。どうせ鍵かけてないわよ」
がちゃ、ってドアノブを回すと、あっさり空いてしまった。思わずお母さんを見た大輔に、ほらね?ってお母さんは笑った。おやつだから、ついでに呼んできて、って言われた大輔は、はあい、って返してドアを開けた。ねえちゃーん、って呼びかけてみるが、パソコンの前にいるジュンは全然気づいていないようだ。
相変わらず、女の子の部屋とは思えない空間が広がっている。まるで物置みたいだった。小学校の頃から使っている勉強机、洋服タンス、カーペット、たくさんの本がおいてあるラック、は隅の方に追いやられている。ジュンがいるのは、部活で使うという名目で集められたパソコンや電子機器が並んでいるところだ。
これがほとんどのスペースをとっているため、まるで物置のようになっているのだ。ノートパソコンにコードを繋ぎ、なにかの機械とつないである机の前に、ジュンは座っていた。ヘッドホンをあて、音漏れしない程度の音量で作業用BGMを流しながら作業をしているジュンである。
音楽を聴きながらの方が作業がはかどるため、ジュンは集中したいことがあると、どこかの動画か無料素材サイトで拾ってきた音楽を流しているのだ。近づいてみると、いくつものウィンドウを並べて、難しい顔をしてキーボードを打ち込んでいた。キーボードには目もくれない。ブラインドタッチである。
相変わらずなにをしているのか、よくわからない。でも、こういう時のジュンが一番生き生きしていることを大輔は知っていた。基本的に、こういう時のジュンは、何があっても反応がない。それだけ自分の世界に入り浸っているのである。
「ねえちゃん、ねえちゃん」
とんとん肩を叩くと、ヘッドホンを当てたままのジュンがこちらを向く。ああ、おかえり、と口パクが笑う。おやつは?って聞くと、口の形で判別したのか、あとで、って言いながら作業に戻ってしまった。とんとん肩を叩くと、なに?ってまたこっちを見る。ちょっと話が、っていうのに、あとで、って言いながら目はディスプレイに泳いでいる。
どうやら作業に集中したいようだ。ヘッドホンを外そうと手を伸ばすと、こーらって笑いながら耳元を防衛されてしまい、埒があかない。お母さんにいっといて、ってヘッドホンをしているせいか、随分と大声な返事をされてしまい、作業に戻ってしまった。
「あーもう、なんだよ。ちゃんとチビモン置いてきたのに」
大輔はためいきである。3年前、太一たちと知り合ったことで、ジュンはデジモンを知っている。だから大輔がチビモンを連れて帰ってきた時、それを隠すのは京や伊織より楽だった。あー、今度はアンタが選ばれし子供なんだ?まあがんばんなさいよ、って肩を叩かれながら笑われただけだ。お風呂に入れたり、夕御飯や朝ごはんを準備したり、それとなくフォローしてくれるのは感謝している。
何があったのか基本的に聞かないスタンスである。どうせアンタはなんにも言わなくてもやってくれるでしょ、ってよくわからない信頼のもと、好き勝手させてくれる居心地の良さは今なお健在だ。そんなジュンからの注意はたったひとつ、ぜえったいにアンタのデジモンをアタシの部屋に入れないでよねってことだけである。デジモンが近くにいるとパソコンが壊れる。
近くにある付属機が壊れる。パソコン部や演劇部で必要なものがブッ壊れたらえらいことになる。光子郎のパソコンのように、デジモンの発する電波に対応していないのだ、と言われた。うそつけ、うそを。3年前からそれをしってるジュンがなんの対処もしないわけがない。現に東京は世界有数の電波障害対策都市になったのだ。
ついでにそういう商品もバカ売れしてはや3年である。結局、チビモン禁止令の理由は謎のままだ。だいしけのねえちゃん、おれのこときらいなのか?って不安そうな顔をするチビモンに、そんなこといってないでしょ、ってほっぺたをフニフニしながら笑ったからデジモン嫌いはない。D3を興味津々で取り上げられてしまったのを見ると、尚更。
光子郎とアメリカのハーバード中学生の研究結果をメールでやり取りしている位には、興味津々だった。いまいちわからない大輔である。まあ、そんなことはどうでもいい。今大事なのはジュンと会話することだ。12年間同じ屋根の下で暮らしてきた大輔は、こういう時の対処法をよく知っている。
大輔はヘッドホンについている音量メモリをスライドさせた。ジュンの体がびくっと震えて、女の子とは遠い悲鳴があがる。ミュートにするつもりだったのに、最大音量にしたのだ。大輔は、ミュートに戻す。たまらずヘッドホンを外したジュンは、耳鳴りがするのか、頭痛がするのか、涙目で耳元を抑えている。声にならない悲鳴を上げてうずくまっているジュンは、なにすんのよおって震えていた。
「姉ちゃんが悪いんだろー」
「だからってこれはないでしょ、アンタねえ。あーもう、耳痛い」
「主電源落とすよりマシだろー」
「やめて、マジでやめて、ブルースクリーンはいやあっ!」
「元気そうじゃん」
「もうなれたわよ、誰かさんのせいでー」
「姉ちゃんが悪いんだろ」
「わかったわよ、もー。なに?」
はあ、ってためいきをついたジュンは、ようやく耳鳴りが収まったのか大輔を見上げる。
「今日さ、ヤマトさんが来てくれたんだ」
「珍しいわね、アンタがそっちの話すんの」
「まあなー」
「へー、よかったじゃない。まあ、最近ようやく落ちついた感じ?え、なに?それだけ?」
「・・・・・やっぱ違うよな」
「なにがよ?ちょっと話が見えないんだけど、大輔?」
うーん、じゃあなんで、ってひとりごとをつぶやきながら考え込み始めてしまった大輔に、ジュンは疑問符を飛ばす。だいすけー?って言われて我に返った大輔は、ちょっと待っててくれよって言いながら部屋を出ていく。そして、何かを持って帰ってきた。
「これ」
差し出されたのは、コンサートのチケットだ。
「京ちゃんから渡されたの?百恵から?」
受け取ったジュンは、あー、って苦笑いした。ヤマトの所属するバンドのチケットだったのだ。
「見にこいって誘われたの?たいへんねえ。せっかくだから光ちゃんといってみたら?」
「ちがうよ」
「え?なにがよ?チケット余ったから配ってんじゃないの?」
「違うって。ヤマトさんから預かったのは、これだけだって」
「じゃあなんでその一枚をアタシに渡すわけ?」
「ヤマトさんに頼まれたんだよ」
「・・・・・・ちょっと待ってよ。この日は演劇部の合宿があるから無理だって、断れって言ったじゃない」
「ヤマトさんと千恵さん、同じクラスなんだよ!百恵さんから、そんなのないって筒抜けだっての!」
「百恵の裏切り者ーっ!」
「え、なに、ヤマトさんとねえちゃん、付き合ってんの?それともヤマトさんの片思い?別れ話になってるとか?いくら誘ってもこないからって頼まれたんだけど」
「ちょっと待ちなさい、大輔。いくらなんでも、話が飛びすぎよ。アタシとヤマトくんが?そんなわけないでしょ」
「うそつけー。じゃあなんで、あのヤマトさんが、絶対だぞって念押すんだよ、わざわざ俺だけ呼び止めて、みんながいなくなったあとで、こっそり渡すんだよ。ぜったい何かあるだろ、ふつう!」
「だから違うって言ってんでしょうが。落ち着けっつーの」
「じゃあ、なんでヤマトさんが姉ちゃんにチケット贈るんだよ」
「あーもう、だからやだったのに!」
はあ、っとジュンは盛大にため息をついた。
ヤマトのバンドがバンドの方向性を知ってもらうため、サンプル音源を収録したデモテープもどきをつくることになったのが始まりだ。パソコンを扱える人間がいないなら、カセットテープでいいはずだ。でもやっぱりカッコ悪いからCDやMDを使いたいらしい。
不幸にもお台場中学校にはパソコン部があり、1年生ながら部長を任された光子郎がいる。パソコンが使える人間がいないか、と頼まれたヤマトは、真っ先に光子郎や京が思い浮かんだが、無理である。そこに目をつけたのが、ヤマトとお近づきになりたい、ミーハー気質の井ノ上家次女である。たまたま同じクラスだった彼女は、こっそり百恵おねえちゃんに相談する。
ヤマトのバンドもチェックしていたアイドル愛好家のお姉ちゃんが食いつかないわけがない。ぐるりと回って、知り合いのバンドが困ってる、という触れ込みで連れてこられたジュンは、ヤマトと鉢合わせしたというわけだ。ここでヤマトと知り合いだとばれてしまったジュンは、井ノ上姉妹からヤマトのバンドに連れてけと圧力をかけられることになる。
一応、頼まれたし、知り合いのよしみで、って引き受けたジュンだったが、うっかりヤマトのバンドメンバーに、デモテープの技術を気に入られてしまったのである。今後とも宜しく、っていわれてしまい、忙しいからと逃げ回っているというわけである。めんどくさいことは相変わらず嫌いなジュンである。
「姉ちゃん、夏フェスとか好きじゃん。ヤマトさんのバンドも手伝えば?」
「やーよ、興味ないもん。R&Bとか古すぎ」
「あーるあんどびー?」
「リズム・アンド・ブルースの略よ。ローリング・ストーンズとかアニマルズとか50年代にアメリカで流行ったジャンルでね、ヤマトくんのやってるバンド、ほんとはそっち方面行きたいんだって。今の子達わかんないでしょ、絶対」
「なんで姉ちゃんしってんの?」
「ハマってるわけじゃないわよ。こういうことするときは、洋楽を聞くって決めてるの。邦楽だと歌詞が気になっちゃって作業になんないでしょ。だから何言ってるのかわかんない洋楽の方がBGMに向いてるってわけ。気に入った曲は知りたくなるでしょ?」
「あー」
「まあ、万太郎さんが貸してくれた漫画の影響もあるんだけど」
「あれ、こわくねー?」
「慣れたら結構面白いわよ、あれ」
「ふーん。でもさ、それ知ってるからやってほしいんじゃ?」
「やっぱそうよねー」
あーもう、どうしよう、と疲れたようにジュンはいう。大輔はどこかほっとしたように、笑った。