「ジュンさん」
「え?どうしたのよ、治くん。改まって」
「お疲れ様」
「あー......うん、まあね。高校に進学できないなんて事態にならなくて良かったわ」
ジュンはどこか疲れたように笑った。
この世界に帰ってきた感動を噛み締める暇など高校受験という現実を前にしたときないも同然だった。推薦入試期間はとうにすぎた。しかも私立の一般入試も願書の提出日が過ぎていた時点でジュンは最後の望みをかけて前期は公立の高校の一般入試に挑まなければならなかった。第一志望だった高専は帰還できた日がバレンタインデーだった時点で、どうあがいても滑り止めや第二、三志望に進路を定めなければならなかった。どうにもならなかったのである。この時点で私立や公立の後期入試まで視野に入れて頑張るはめになったジュンは合格発表頃にはもえつきてしまった。
そういうわけでジュンは図らずも親友である百恵と同じ公立の高校に進学することになったのだった。
「まあ、工業大学に進学すればやりたいことはできるしね」
「編入しないのか?」
「編入ねえ......しばらく進路のことは考えたくないから頭の片隅にでもおいとくわ。あはは」
はあ。出てくるのはため息ばかりだ。治は同情せざるをえないのである。デジモンの存在が表沙汰にできない時点で、ジュンの行方不明の説明がつかないのだ。
現実世界においてはまだ中学三年生の15歳でしかないジュンは、受験によるストレスで50日間ほど出奔したということになってしまった。授業自体は受験生の三学期のため殆ど自習だったため。成績優秀者だったジュンは登校を免除されていたのでことなきをえた。
久しぶりに学校に登校するなり両親と共に担任と校長に謝り倒したジュンである。病院に担ぎ込まれて緊急入院していたことは知らされていた大人たちは、ジュンがすさまじいストレスをかかえていたのではないかと考えたらしく、逆にまだ諦めるなと気を遣われてしまった。特にパソコン部の顧問は期待をかけすぎてしまった自分の責任ではないかと謝罪されてしまい、ジュンは困ってしまった。
下手に説明したらややこしいことになるため、ジュンはストレスに負けて出奔したことになってしまった。これは一生付きまとう事実となる。いずれデジモンの存在が明かされたらジュンの事情を話せる時がくるが、今はもうどうしようもない。パソコン部の仲間やクラスメイトに気を遣われてしまったり。色々言われたり。不慣れな注目を浴びてしまっているジュンはすっかり気疲れしているようだった。
「噂は75日っていうし、我慢するしかないさ」
「まー、そうなんだけどね......治くんも大概じゃないの」
「ジュンさんと違って行方不明じゃなかったからな、致命傷にはならなかったよ」
バレンタインデーになるまで暗黒の球体を体に持ったままだった治は、時限爆弾をかかえたまま推薦入試に挑んでいた。
「すごい度胸だわ......」
「クロックモンさえいてくれたら、あとはデジヴァイスの結界でなんとかなったしな」
「デジタル時計っていいはって?」
「そうさ。ディーターミナルはさすがにパソコンと見なされてダメだったから、クロックモンには受験会場のネットワークから待機してもらってた」
「よく結界がバレなかったわね」
「規模の操作ができるようゲンナイさんがプログラムを追加してくれたんだ」
「それでもよ」
「試験が始まればこっちのものだったさ。集中すればジュンさんたちのこと考えなくて済んでたからね」
「あはは......」
「お互い進学出来て良かったな」
「ほんとにね」
うんうん、ジュンはうなずいた。
「問題は行方不明事件なのよねー......あー......そのー、遼くんどんな感じ?」
治は静かに笑った。
「あっ......やっぱそっちでも噂になってんのね......」
「そりゃそうさ。同時期に行方不明者になった2人は友達だった。帰って来た日も同じ、しかもバレンタインデーだぞ。僕だって疑うよ」
「そうよねー......、学校も違うのに普通に仲良くしてたもんね、アタシたち。目撃者はたくさんいるかァ......」
「遼が僕とジュンさんのことをあることないこと学校で騒ぎたててたから自業自得なとこあるけどな」
「えっ、なにそれ、初耳なんですけど」
「おかげで僕がエスカレーターを蹴って外部受験したことまで余計な勘ぐりされて同情されまくってるよ。遼は持ち上がりだから居た堪れないだろうな」
「うわあ......大惨事じゃないの」
「僕達を置いていった罰だ。これくらいで済んで感謝してもらいたいくらいだな」
「ほんとその件に関しましてはご迷惑をおかけしました」
「いや、ジュンさんはいいんだよ。悪いのはデーモンなんだから」
「まあ、そうなんですけど......だってすっごいいい笑顔なんだもの。治くん。怖いわよ」
治は目を細めて笑った。
「僕がジュンさんと同じ進路を辿ったら大騒ぎになりそうだな」
「いよいよ三角関係に終止符が!?って感じで周りがわくわくしちゃうパターンじゃないの。百恵あたりが知ったらえらいことになるわね」
「工業大学行くんだろ、ジュンさん?」
「そうよ。まあ、治くんも似たような進路よね」
「もちろん」
「あはは......アタシでもできる未来予知がうかんだわ。たぶん的中率100パーセントの」
ジュンはうんざりとした様子で肩を竦めた。
「仕方ないさ。たっぷりとした情報の水源も、野次馬のところまで下りてくるころには、ぽつんぽつんという滴りみたいなものになってるんだから。好き勝手に想像するしかないんだ」
「まーそうなんだけどね」
ジュンは躊躇いがちに治をみた。
「怒ってるわよね、治くん」
「遼には怒ってるさ」
「アタシにも思うところはあるんでしょ?いつもの治くんだったら、そんな噂話かき消してくれるのに放置してるんだし」
「まあ、否定はしないよ」
「うん、そうよね」
「聞いといて凹むのか、ジュンさん」
「凹まなきゃいけない時期なのよ、やっとこさ受験から解放されたんだから」
「それもそうか」
「悲しみも怒りも洗いざらい吐き出した方がいいのは経験上わかってはいるんだけどどうにもね、時間が経ちすぎちゃって。時間薬の効果が高すぎるわ」
ジュンは浮かない顔だ。
「タイチたちのいたデジタルワールドは時間の流れが違ったからな」
「まさか50日しかたってないとは思わなかったのよ。あっちじゃ4年たってたんだもの」
「ジュンさん的にはもう18歳のつもりが14歳のままだしな。無理もないか」
「まあね」
「まあ、話したくなったら話せばいいさ。誰もまだジュンさんを探すために渡ったいくつもの平行世界について話すつもりはないみたいだし、お互いさまだ」
「うん、そういってくれると嬉しい。気が楽になったわ。ありがとう」
「ただ」
「ただ?」
「サマーメモリーズで本当はなにがあったのか、大輔くんにだけは話した方がいいと思う」
「......やっぱり?」
「ああ。大輔くんはパラレルモンに掴まったとき、どうやらサマーメモリーズでジュンさんがデジタルワールドに連れ去られたあとなにがあったのか見たようだからな」
「............嘘でしょ」
「嘘じゃないさ」
「でも大輔はそんなこと一言も」
「言わないだけで待ってるんだよ。選ばれる前からそうだっただろ。いつも肝心なことは教えてくれないと愚痴りながらも待ってるじゃないか、君の弟は」
「..................」
死刑囚が心の内の泥のような言葉を吐く寸前の顔をしているジュンに治はしばしの沈黙を選んだ。
「まだ」
「まだ言えない?」
「まだダメよ、早すぎるわ。大輔まだ9歳なのに」
「あんな大冒険を僕らと成し遂げたのに?」
「それでもよ」
治は息を吐いた。
「忘れてるのかもしれないが、大輔くんも僕らと一緒に平行世界を渡り歩いたんだぞ、ジュンさん」
「......あっ」
「そう、そうさ。大輔くんは気づいてるはずだ。見たんだから。その目で。たくさんの平行世界の中で君が今の君であるのは僕らの世界だけなんだと」
ジュンは血の気がひいた。
「みんなは平行世界だから、ですんでる。でも大輔くんはサマーメモリーズでジュンさんがデジタルワールドに誘拐されたことが原因だと気づいてる」
そして唾を飲み込んだ。
「どの世界でもパートナーデジモンや出会った時期は同じだったのに、僕らの世界のジュンさんだけが違うんだ」
どの世界でも大輔の6つ年上の姉たる本宮ジュンは、ヴァンデモンのお台場襲撃の際、ヴァンデモンに捕らわれた子供の一人だった。いつもパンク系のファッションをしており、テンションの高い性格。行く先々で大輔の悪口を言っているが、険悪な関係ではない。
ヤマトに片思いしていたが空と付き合っていることを知り失恋。2002年12月26日以降はシュウに惚れる。しかし、ヤマトのファンであることは止めていなかったようで、その後も彼女の携帯電話にはヤマトのストラップがついている。2003年の春にパートナーデジモンが現れている。
それはデジタルワールドの冒険に示された本宮ジュンであり、小学校4年生までの本宮ジュンそのものである。
「話さない方が大輔くんを傷つけてるよ、ジュンさん」
ジュンは小さく首を降った。
「大輔ったらなんでよりによって治くんに話すのよ......」
「僕がいった方がジュンさんが話してくれると思ったみたいだ。それに僕は口が堅いからな」
「まあ、治くんの追及から逃れられる気がしないから当たってるけどね、あーもう」
諦めたようにジュンは笑った。
「どうせ聞いてるんでしょ、大輔」
「もちろん」
治はしれっとポケットから携帯電話を取りだした。受け取ったジュンは耳を押し当てる。
「今どこよ、大輔。出てきなさい、全部教えてあげるから」
しばらくして、今にも泣きそうな顔をしている大輔が茂みの向こうから出てきたのだった。ベンチに座ったジュンは大輔を隣に座らせる。
「じゃあ僕はそろそろ......」
「治さん......」
「えええ、待ってよ大輔。本気?」
「姉ちゃん、絶対どっかで嘘つくからやだ」
「だからごめんて」
「わかった」
「まじすか......うわあ」
「この場に及んで目が泳いでるからな、往生際が悪い。観念させるために僕からいこうか」
「お願いしまーす」
「軽っ......大輔軽いわね、あんた!?いつからそんなに仲良くなったのよ」
「50日もあれば仲良くなるさ」
「ぐっ......それ言われるとなにもいい返せない......」
治はすぐ横のベンチに座った。
「僕たちはいろんな平行世界を回ったのは話したよな」
「ええ、そうね」
「結論からいうと僕が2001年を迎えられたのはこの世界だけだった」
「えっ......なによそれ」
「事実だから仕方ないだろ。あと、ミレニアモンが生まれた世界は賢が一人っ子だとわかった。あとはすべてミレニアモンが介入した世界だった。共通点としては賢がミレニアモンから太一くんや遼をかばって暗黒の球体を埋め込まれてゲンナイさんと連絡がとれない間にミレニアモンから干渉をうけてミレニアモンを生成しようとして大輔くんたちに止められていた。引き金は色々あるが遼の失踪と僕の事故死が同じ時期だったこと。葬式に来た父さんの同僚である及川さんがヴァンデモンに精神を乗っ取られていたことからはじまってる」
治はジュンをみた。
「ジュンさんが可能性の芽をぜんぶ潰してくれたから、僕は今ここにいるんだと確信してる。ミレニアモンはオリジナル世界の自分の意思でミレニアモンを作って時空を超えて遼を助けようとした賢をふたたび作り出そうとしていたんだ。ジュンさんがいなかったら、僕達は太一君たちと繋がれなかった。きっとベンジャミンさんを通して誘導してたミレニアモンの罠にはまっていたはずだった。ベンジャミンさんの不審な行動に気づいてくれたジュンさんのおかげだよ」
ありがとう、の言葉にジュンは困った顔をしている。
「偶然だと思うんだけど......」
「ベンジャミンさんに不審感を抱いていたのはジュンさんじゃないか。
交通事故が偶然じゃない気がするから気をつけろといったのは君だよ」
「そりゃそうだけど......」
「姉ちゃん、そんなこといってたのかよ!」
「そうだよ。ジュンさんがゲンナイさんと一緒にいるよう僕と賢に取り計らったり、交流を頻繁にしてたりしたのは心配だったからさ。君が心配してるようなことじゃない」
「えっ......ちょっと大輔?」
「だって......」
「それはあとにしよう、大輔くん。あらためて聞きたいんだけど、ジュンさん。君のサポートはいつも的確だよな?それは君だけの技術なのか?君の精神がなんからの変化をしてないか?そうじゃないと平行世界の本宮ジュンと全く違う形でパートナーデジモンが現れるわけがないし、はるか未来からわざわざガーゴモンが会いに来るわけがないと思うんだ」
理詰めで大手をさされたジュンは白旗をあげるしかなかった。
「降参よ、降参。わかったわ、話してあげる。アタシの正体について」
「姉ちゃん......」
「まずは謝らなきゃいけないわね、大輔。この世界の本宮ジュンは1999年3月4日のサマーメモリーズの事件で精神的なショックをうけて死にかけたのよ」
「!!」
「デジタルワールドはなんとか植物状態に陥った本宮ジュンを助けようとして、ネットワーク上にある本宮ジュンというパーソナルデータをかき集めて精神データを修復しようとしたの。そこでトラブルが発生したわ」
「もしかして、未来からミレニアモンたちが攻めてきた?」
「やだ、そこまで見たの?」
「ベムモンたちがゲンナイさんたちの前のエージェントたちを......」
「あー、なるほど。そこを見ちゃったのか......。そうよ、混乱に乗じて精神データに異物が混入したのに気づかないまま、デジタルワールドは本宮ジュンを現実世界に戻してゲートを閉じたのよ。ベムモンたちは四聖獣たちに倒されたけど」
「異物って?」
「それがアタシよ。20× × 年を生きてた、アタシ」
治と大輔は目を見合わせた。
「君は一体?」
「未来のオレがもう姉ちゃんは亡くなってるって......」
「あー、そっか。ミレニアモンは未来から侵攻してきたんだっけ?なら当然未来世界にもいったのね、大輔。......そりゃそうよ。本宮ジュンとアタシは同じ時間軸にはいられないわ。魂が同じなんだから」
その言葉に治と大輔はいよいよ沈黙してしまう。
「アタシはね、デジタルワールドのセキュリティシステムの下請けプログラマーをしていたの。そしてベムモンのデジタマがデジ研を驕るミレニアモンによってばらまかれて引き起こされたデジタルクライシスの被害者になるはずが、どうやらアポカリモンの本体に目をつけられたみたいでね」
「やっぱり......」
「やっぱりってことは、聞いてるのね未来の大輔に」
2人はうなずいた。
「あっちだと2027年に暗黒勢力との戦いに終止符が打たれたんだ。そのとき、犠牲も少なからずあった」
「そのひとりが本宮ジュンだったわけね」
「そのとき、暗黒勢力の力をもろに受けたらしい」
「そうなの」
「未来の僕をかばって......」
「あちゃー......アタシとやってること同じじゃないの」
大輔はいよいよジュンにしがみついて離れなくなってしまう。
「あーもう、泣かないでよ大輔。もう全部終わったんだから。ね?」
「無茶いうなよ、ジュンさん。大輔くんからしたら、1995年に本来のジュンさんは大輔くんを庇って死んだんだぞ。しかも君もやることは基本変わらないんだから。甘んじて受けるべきだ」
「いつにもまして辛辣じゃないの、治くん」
「僕だけじゃないんだ。受験が終わった今、みんな我慢してたんだからな。覚悟した方がいい」
「......あはは」
ジュンはため息をつくしかない。
「というわけで、噂を沈静化するつもりは無いからな。遼がどう思ってるのかは知らないが、僕にとっては事実だから」
「............えっ、ちょっと待ってよ治くん。どさくさに紛れてなにいってるの」
治は意味深に笑った。