【ネタ・習作】夢の欠片   作:へきれきか

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第02話 仮初めの兄妹

「何も聞かないんですか?」

 田豊は椅子から立ち、部屋を出て行こうとする男に声をかける。

「さて、何のことでしょうか?」

「からかわないでください。その……兄さんのことです」

 予想通りの話題に、老使用人は僅かに――深い付き合いのある人間にしか分からないくらいの小ささで、微笑んだ。

「伯鉄様が何か?」

「また……」

 いつもと同じはぐらかし方に非難めいた眼差しを向けるが、それは余計に喜ばせるだけ。予想通り低く喉を鳴らしている。

 田豊は、この歳の割に茶目っ気のある老使用人が結構好きで、そしてこういうところがほんのちょっぴり不満であった。

「元皓様は正しいことしかなさいませんから。あなたが良いと思ったのなら、それでいいのでしょう。しかし――」

 老人は居佇まいを直し、

「あなた様は本当に“正しいこと”しかなさいません。私はそれが心配でならないのです」

 真剣な顔で幼い主を見つめる。

 その瞳には若干の非難が混じっていた。それは兄の件についてではない。

(やっぱり長安のことはだめだったかな……)

 田豊の行動はだめというレベルで済まされるものではなかった。実際、河北大和がいなければ死んでいただろう。

「お爺さん……ごめんなさい」

 お爺さんと呼ばれた男は、使用人の身に頭を下げる主に苦笑してしまう。

「私は使用人です。ただ今の件で謝る必要はございません。ただ、あなた様がいなくなると……そうですね」

 表情を和らげ、

「いい歳をして路頭に迷う老いぼれがいることを、覚えておいていただけるとありがたいです」

 そう、締めくくった。

 あれだけ真剣な顔をしておいて、結局真面目に終わらせないのである。

「ふふっ。はい、わかりました」

「それと伯鉄様は悪人ではありませんよ。私は侍御史ではありませんが、見た目よりも長く生きております。人を見る目には自信があるのですよ」

 はぐらかしておきながら、意識していないときにサラリと言う。これが彼のやり方であった。

 それを聞いた主の、困ったような笑っているような顔を満足気に見た彼は、一礼して部屋を辞そうとする。その途中、思い出したかのように振り返り、

「そうでした。あと一つだけ。よろしいでしょうか?」

「なんでしょう?」

 

「元皓様のお仕事に区切りがつきましたら、伯鉄様の歓迎の宴でも開きましょう」

 

「……! はい、そうしましょう!」

 

 やはり田豊は、この老使用人が結構好きなのである。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 備えあれば憂いなし。

 そう、準備をしっかりしていれば、突然何かがあっても心配することはない。当然大和もそういう目的で購入していたのだが、

「まさか本当に活用する時がくるとは……」

 棚から引っぱり出した竹簡を机の上に広げつつ、窓際で日向ぼっこしている小型ソーラーパネルに目を向ける。

 小型といっても広げた携帯電話を横に二つ並べた位の大きさがあるそれは、TVでしきりに災害対策グッズの特集をやっていた頃、秋葉原で購入していたものだった。少し値は張ったが、保護ケース付きを選択しておいたのは正解だったといえる。裸で鞄に入れていたなら事故の衝撃でイカれていたに違いない。

 携帯電話用ソーラー充電器。

(男ってのはどうもこの手の「使いどころが限定される――特に電気系の便利グッズ」とかに弱かったりするらしいけど、自分なんかはその最たる例だろうな)

 実際、彼の家には弁当やら缶コーヒーをUSB電源で保温するやつであるとか、いつ使うのか分からない、正直無くても困らないものが大量に眠っている。改めて考え直すに、そういうものの収集が趣味だったのかもしれない。

 

『無駄遣いはするなとあれほどいっただろ!』

 

 久しく聞いていない父親の怒鳴り声が脳内再生され、大和は思わず苦笑した。

 持ち主が行方不明扱いとなっているであろう今、それらがどうなっているのかは分からないが、親にバレれば確実にお小言はくらうだろう。

 

(まぁ、それもあちらに帰れたらの話か)

 

 パネルに繋がれている携帯の充電ランプが消えているのに気づき、椅子から立ち上がる。

 コードから外して二つ折りになっているそれを開くと、時刻表示と共に友人たちの笑顔が出迎えた。待受は中国は無錫にある三国志テーマパークで去年撮った集合写真。レプリカの銅雀台で思い思いのポーズを決めていた。電波強度を示すアイコンには×印。有りもしない電波を探す行為は電池の消耗を早めるだけなので、オフラインにしてある。

 メニューを開いて画像フォルダを選択。数ある画像データの中から一つを選ぶと、

「…………」

 そこには着慣れないスーツを着た、というよりスーツに着られた男と、その両脇に立つ中年の男女。

 日付は今年の初め。帰郷したとき二十の祝いに撮った写真だった。

 

(親父は写真撮られるの苦手だったなぁ)

 

 ぎこちない笑みを浮かべる父と、柔らかく微笑んでいる母。

 

『これでお前も大人の仲間入りか……』

 

 母の酌を受けながら感慨深げにつぶやいていたのを思い出す。

(二人には何の恩も返せていない。それなのに……)

 二十年間育てた一人息子がいきなり消えて、二人はどう思っただろうか。ひょっとすると、もう二度と二人にも、友人たちにも会えないのではだろうか?

 そう思うと自分がやけに孤独に思われて、どうしようもない思いが笑いという形でこみ上げてくる。笑ってみると今度は泣きたくなった。本当にどうしようもない。

 弱気が大きくなってくるのを抑え、大和は感傷とともに携帯を閉じる。

 たしかに今の彼の状況はキツイものがあった。

 未だ語学能力は難解な書を読むのに十分な水準を満たしておらず、帰還方法についての手がかりも何もつかめていない。

 しかし、そこで弱気になってどうするというのだろう。

(どうも俺はしてもしょうがない心配というか、そういう無駄なことをする傾向があるらしい)

 携帯とソーラー充電器を箪笥にしまい、腕時計を見る。

(まだ、昼まで時間があるな)

 窓からは連日の強烈な日差し。

 どこの誰かが「晴れたらいいな」と言ったせいかは分からないが、あの日から最高の真夏日が続いている。

 

「やれることをコツコツと、か」

 

 汗を拭い、再び机に向かう。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

「入りますよ」

「ん、どうぞ」

 大和は聞こえてきた声に作業を中断し、戸の方へ顔を向ける。

「おかえり。もう、帰ってたのか」

(ってあれ? 今何時だ?)

 時計を見るまでもなかった。

 陽はすでに傾きかけていて、外から聞こえてくる喧騒も大分小さくなっている。

(おいおい、もう夕方かよ。どうりでさっきから字が見にくいわけだ)

「んしょ……まさか、朝からずっとそうしてたんですか?」

 田豊は抱えていた書物の束を机の上に置きつつ、呆れ気味に聞いた。

「昨日十分息抜きしたからね。まぁ、他にやることもないし……それは?」

「これですか? 怪談とか不思議な出来事などを集めた書物ですよ」

「ああ……ありがとう」

 恐らく帰還方法を探すための資料なのだろう。非常にありがたい。非常にありがたいことなのだが、

(明らかに紙のやつが混ざってるよな? このぶっ飛んだ世界でも、紙の本は竹のに比べたらなかなか高価だったはずだが……)

 口元がヒクヒクと動いているのが自分でも感じられる。

「わたしはこういう非現実的な話は信じてないんですけど……でも、そんなことを言ったら兄さんの存在の方が非現実的ですし……。なにか手掛かりとかもあるんじゃないかと思って……」

 存在が非現実的とは何気にヒドい物言いだが、問題はそこではない。

 値段である。

「でも、お高いんでしょう?」

 テレビショッピングのアシスタントよろしく大和は聞いてみる。

 元ネタが分からない妹様は、それには大きな反応を示さず、

「だいじょうぶです。心配いらないですよ。他に何かに使うわけでもないですし」

 朗らかにおっしゃった。

「…………」

(ぜ、全然フォローになってないです……。「交渉が上手くいってものすごく安く買えました」とか「実はオカルト好きな友人から借りてきたんですよ」とかが聞きたかった……。オカルトって言葉は無いんだろうけど)

 そもそもが衣食住を提供してくれているだけで十分ありがたいのだ。

 そう、目の前のこの子は自分とは違って正義感と善意の塊。世話になっていればこうなるだろうことは分かってはいた。

(分かってはいたが……)

 このままでは帰還方法が分かったとしても、「受けた恩が大きすぎて帰れないっす」などという事態になりかねない。

(いや、今の段階ですでに危険水準に達している気も……)

 とにかく早々に職を見つけなければならないだろう。一回り年下の妹のスネをかじっているという不名誉極まりない状況から早く脱却しなくては。

 

「……兄さん?」

 いつの間にか、怪訝な顔をして大和を窺ってきている。

「あ、いや、なんでもない。ありがとう。いやー助かるなー」

「また話を聞いてませんでしたね」

 ジト目だ。

(まずったか?)

「そんなことはないと思うぞ?」

「なんで疑問形……いいですか兄さん。とにかく、わたしたちは兄妹なんですから遠慮なんてしないで下さいっ」

“兄妹”の部分に力を入れて力説する。

 

(そうは言ってもな。実の兄妹というわけでもないし……いや、実の兄妹でもここまで頼りっぱなしなのはどうかと思う)

 

「大体いつも兄さんは――」

 ヒートアップしたお説教は、すでに大和の私生活にその矛先を変えていた。

 それを右から左へ受け流しつつ、懲りずにまた別のことを考える。

 お昼に呼んでくれなかったということは、使用人の人たちは自分のことをよく思っていないのかもしれない。愚兄賢弟ならぬ愚兄賢妹。普通に見たら、出世した妹にたかりにきた出来の悪い兄でしかないのだから。

 

(……考えたら色々と悲しくなってくるな)

 

「って、聞いてますか!?」

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 どうしてそんな展開になったのかよくわからないまま、日頃の生活態度やら何やらこってり絞られたあと、夕餉の時間がやってきた。

 ちなみに大和の目の前に配膳されたご飯は大盛りになっている。昼飯の件は使用人が彼を疎ましく思っているとかではなく、何度呼びかけても上の空で「後で食べるよ」を連発されたのが原因であった。

(……よく言えばそれだけ集中してたってことなんだろうけど)

 軽い自己嫌悪に陥りながらふと前を見ると、美味しそうにご飯を頬張る妹の姿。

 上京して以来、呑みでもなければいつもわびしい一人メシだったが、やっぱり誰かと一緒に食べるというのはいいものである。大和も自然と頬が緩むのを感じた。

 同居当初は「食事中にしゃべるのは行儀がよくない」と言っていた妹だが、今では談笑しながらの食事が田家の日常風景になっている。

 彼女が非番の日でもない限り日中顔を合わすことがない以上、この時間は大事なコミニュケーションの場なのだ。

「兄さん、明日はどうするつもりですか?」

 碗を置いて大和に話しかける。

 翌日の予定の確認も夕食時のお約束の一つである。

「明日は一日お勉強かな。せっかく本も買ってきてくれたし、どんどん読んでみるよ」

「明日はって、毎日じゃないですか……」

「まぁ、確かにそうだけど。別にそこまで呆れなくてもいいだろ? きく……元皓は?」

「…………」

 明らかに不機嫌である。顔に書いてあるのだ。「真名で呼べ」と。

(そうは言ってもなぁ)

「……私はお昼まで御史府で仕事です。でも、その後人と会う予定があるので帰りは遅くなるかも知れないです」

「人と会う?」

 大和がお茶を取ろうとした手を止めて聞くと、むくれ面を消して、

「はい。わたしが長安で官吏の調査をしてたのを覚えていますか?」

「ああ、覚えてるよ」

 

 長安の汚職官吏。

 調査に来た侍御史・田豊を金で黙らせようとするも失敗。不正が暴かれると知ると、あろうことかその暗殺を謀った女。言うなれば大和が骨折する原因を作った人物である。調査で黒と判明して、今は獄中にいるらしい。

 

「取り調べで分かったことなんですが、彼女は五胡の……匈奴と通じていたらしくて」

「それはまたトンデモな話だな」

 物資の輸送ルートやら警備の情報やらを流していたという。反逆罪とかで極刑は免れないだろう。

(しかし、売国行為をする人間まで出てくるとは……自分の知っている後漢とは大分違うけど、やっぱり終わりが近いのかもしれない)

「それで聞き出した情報を元に関係していた匈奴の討伐令が出されまして。その責任者の一人の方が是非お礼を言いたいと」

「お礼を?」

「西平の太守兼都尉の方なんですが、そこでも結構な被害が出ていたみたいで……」

「うん……」

 だとしてもだ。

 悪徳官吏の摘発は侍御史の仕事なのだから、それでわざわざお礼というのはなんだか違和感を感じる。

「あの……兄さん、じ、実はですね……」

 怪訝な顔をしていたのに気づいたのか、田豊は言いにくそうに語り始めた。

 漢王朝における監察・弾劾の官である侍御史。その基本業務は公卿の上奏を受領して、その内容を調べて違反があれば弾劾すること。つまり上奏があって初めて動くのが慣習であり、暗黙のルールなのである。しかし、今回はそれをあえて破り、証拠をつかもうと独自に動いていた。そう、上奏を金で握りつぶしていた官吏を捕らえる為に。

「…………」

 大和はかける声も思いつけず、もじもじと上目を使う少女を呆然と見ていた。

 暗殺されかかるのも当然といえば当然である。「悪いことは悪い」とはっきり言えるのは目の前の少女の美徳だが、綺麗事で世の中が回っているわけではない。稼ぎがない居候の男が言っても説得力はないかもしれないが、それでも……。

 真っ直ぐな妹の将来が心配になる。

(一度話し合った方がいいのかもしれない)

 

「それでその太守様ってのは?」

「は、はい。董仲頴様です。お会いしたことはないんですが……」

 

(董仲頴だって!?)

 

 大和は続けざまに驚かされた。

 

 董仲頴――董卓。

 洛陽で専横を極め、悪逆非道なエピソードに事欠かない稀代の悪漢である。

 大和がサークルの会長や他の先輩から聞かされた話では、「儒教的なタブーを犯した為に後世の歴史家から悪役にされてしまった人」らしいが、にわかの彼にはやはり極悪人のイメージが強い。

「……うーん」

「どうかしましたか……?」

「その、董西平太守様は女性の方なのかい?」

「いえ、それが分からないんです。都にお来しになるのも今回が初めてのようですし」

 一人で会わせてしまって大丈夫だろうか。

(……やはり心配だ。ここは)

「俺も太守様にお会い出来ないかな?」

「え? 兄さんがですか? ……う~ん、少し難しいです。いくら侍御史の兄とはいっても、兄さんは無位無官ですから……」

(まぁ、普通に考えてそうだよな)

「じゃあ、直接会えなくてもいいからお供としてついていくってのはどうかな? 会談中は外でおとなしくしてるから」

「それなら……でもやけに必死ですね。いつもは全然外に出たがらないのに」

 向けてくるのは疑いの眼差し。

 

(信用ないなぁ)

 

「いや、妹を心配するのは兄の務めじゃないか」

 はははと乾いた笑いで誤魔化しながら、この頼りっきりになっている妹に今こそ恩を返そうと思うのだった。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

(最近のわたしは浮かれてます)

 蒸し暑い中、田豊は寝返りをうちながら思う。

 使用人の人たちを入れても一人で使うには広すぎたこの屋敷。以前は寝る場所くらいにしか考えていなかったのに、今では帰るのが楽しみになっている。

 原因は分かっていた。

 ひと月ほど前に出来た兄、河北大和。

 彼女を命の危機から救い、成り行きで兄妹になることになった異世界からの来訪者。

 新しく出来た家族は田豊の生活に色を与えた。

 だらしがなく、抜けていて色々と世話を焼かせ……それでいて時々ハッとするような鋭さ、頭の回転の速さを見せてくれる。

(……考え事で人の話を聞かなくなるのは直してほしいですけど)

 無意識ににやけ笑いが出たのがなんだか恥ずかしくて、枕をギュッと抱く。

 義理堅い人だとも思う。口調こそぞんざいだけれど、それも自分がそうしてくれと頼んだから。普段から気を使っているのはわかっている。それに、

 

(わたしを真名で呼ばないのも、そういうことなんでしょう)

 

『兄妹になるから預けたとはいっても、それは仕方がなかったのでそうしたこと。自分がその名を使うべきではない』

 

(きっと兄さんのことです。そんな風に考えているに違いありません)

 

「預けられた真名を呼ばないのは最大の侮辱にあたります」

 

 そう言ったらどんな顔をするかと想像すると、楽しくてしょうがない。

 ママゴトのような、それでも幼くして家族を失った彼女にとっては、とても楽しい同居生活。

 でも、いつかは帰ってしまうのだろう。それを引き止める気はない。方法を探す手伝いだってするつもりでいる。

「……本当は帰ってほしくないけど」

 顔をうずめた布団から漏れ出た不明瞭な響きは、当人には絶対に言えない本音であった。息苦しさと恥ずかしさで枕を抱いたまま少女は転がる。

(でも、兄さんはいきなり飛ばされてココに来たって言ってた。なら、帰ってしまうのもいきなりってことは……?)

 考えるとなんだか怖くなってくる。部屋の蒸し暑さは相変わらずであるが、先程までの熱はどこかへと消えてしまっていた。

 

 明日の朝起きたらもう、いなくなっているかもしれない。

 明日じゃなくてもいつか、仕事から帰ってきたらすでに戻ってしまった後かもしれない。

 

 じっとしていられなかった。

 寝具から起き上がり、灯りに火を燈して部屋を出る。廊下を抜けて庭に出ると、外は月明かりで灯りなど要らないほどの明るさだった。

 庭の石に誰かが腰掛けている。あれは……。

「兄さん」

 返事がない。

 また考え事でもしているのだろうか。

「兄さんっ」

 近づいてもう一度呼ぶ。

 声が大きくなった本当の原因には、目をつぶることにした。

「ん? ああ、ごめん考え事を……って、まだ寝てなかったのか?」

「ちょっと寝付けなくて」

「ははーん。さてはお化けが怖くて寝れないとかか?」

 何かを誤解したのか、ニタリと笑う。

「怖がってなんてないですっ。それにお化けなんていませんっ」

『怖かったのは本当ですけど、お化けのことじゃないです……』

 それは口に出来なかった。終わりのことを話すと、それが本当になってしまうかもしれない。

「わからないぞ? 俺みたいな非現実的な奴がいるんだ。お化けだっているかもしれん」

 尚も笑いながら意地悪を言う。

「もう、すぐそうやって……」

 なにもわかってない様子にちょっとムッとしてしまう。

 隣に腰を下ろすと、冷たい石の感触が心地いい。

 

 兄がそうするのと同じように顔を上げると、

 

 月はまんまるの満月だった。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

「…………」

「…………」

 兄妹は、ただただ無言で月を眺める。

(まいったな)

 悪戯が見つかったような、バツの悪さを感じていた。

 今日初めて知られてしまったわけであるが、庭でこうして夜空を眺めるのは彼の習慣だったりする。なんといっても月や星の明るさが元の世界と違って綺麗であるし、夜中まで起きる生活をしていた大和には、日の入りとともに就寝へ向かう生活は健康的すぎた。

「……何を考え事してたんですか?」

 何か話そうと考えていると、先を越されてしまう。

「家族のことかな……」

 大和は一瞬迷った後、正直に答えた。ウソをついてもしょうがない。夜空に浮かんでくるのは、幼い頃の思い出。昼間のアレのせいか、ちょっとばかしホームシックになっていたのだ。

 隣を見ると夜空を見上げたままの妹。肩口で切りそろえられた銀髪は、柔らかい光を受けて輝き、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。それは碧い瞳と相まって、おとぎ話のお姫様を連想させた。

「兄さんのお家はどんなだったんですか?」

 顔をこちらに向けて、興味津々という感じで聞いてくる。そこにいたのはお姫様ではなく、世話を焼いてくれるいつもの妹だった。

 大和は見とれていたのが恥ずかしくなって、顔を空へと戻す。

「そうだな。月も星も綺麗だし、ちょうどいい機会だ」

 満天の星々に目を細める。東京ではお目にかかれない光景は、故郷の空を思い出させた。

 

「俺は一人息子で、家族といっても両親しかいないんだけど……二人とも、まぁ、そのなんだ。普通の人だったよ。母は特別美人でもなければ父親も色男って感じじゃあなかったな。……俺の顔を見ればそれは分かるだろ?」

 隣からくすくすと笑い声がする。それにつられながら大和は続けた。

「実家は曾祖父さんの代から爺さんの代の途中まで鉄鋼……鉄を作ったり加工したりして売る仕事をやっててね。会社は河北鉄鋼って名前で、俺の名と字はここからとってる。あっ、会社っていうのは……そうだな、商家と同じに考えてくれていいよ。そんで河北鉄鋼ってのが社練と同じで屋号」

「兄さんは商家の生まれだったんですね」

「そういうことになるかな」

 実家の鉄と油の匂い。

 作業機械のリズムに合わせて形を変えていく材料。

 飛び散る火花。

 みんなの働く姿が蘇ってくる。

(あの兄ちゃんは、よくキャッチボールに付き合ってくれたっけ)

「それで……爺さんの代に大きな戦争があって、戦後に機械部品製造に鞍替えしたんだ。そのとき屋号も河北機械部品って名前に変わって。

 今では主に高速新幹線のブレーキやらパワーショベルとかの油圧機器部品とかをメインに……って意味わからんよな。何て言えばいいのか……簡単に言えば鉄で出来たでっかい絡繰に使う部品を作るってとこかな」

 こんな大雑把な説明で分かってもらえたのかは微妙だが、楽しそうに聞いてくれているのだから問題無いだろう。

「それで、家から少しのとこに鷹宮学園ってのがあって。そこは俺が――」

 

 それから大和は色々なことを話した。

 家族のこと、学校のこと、野球のこと。

 

「――っと。ちょっと話しすぎたな」

 見れば最初に比べ、月がだいぶ動いている。

「もうそろそろ寝ようか」

「はい。わたしもちょっと……眠いです」

 月明かりに照らされた顔は、ちょっとどころか今にも寝てしまいそうなのをどうにか我慢しているように見えた。

 ぐしぐしと目を擦るのが微笑ましい。

 

 田元皓

 

 ここひと月ほど一緒に暮らした相手。

 成り行きで兄妹となり、色々と世話を焼いてくれる妹。

 大和が「異世界に一人放り込まれる」という異常な状況に耐えられたのも、この少女のおかげである。ここでの生活にもだいぶ慣れたし、ひょっとするとこの先も上手く生きていけるかもしれない。

 ただ、そこまでの覚悟があるのかと聞かれればそんなことはなく、帰りたいという想いも未だに強いのも確かである。

 

(でも……なんだか何とかなりそうな気もするな)

 

『それは楽観的にすぎる』と理性は警告を発するが、不思議とそんな気持ちになる。案外肝が座っていたのだろうか? いや、やはりこの子のおかげだろう。

 なら――。

 

「おやすみなさい、兄さん」

「ああ、おやすみ菊音(きくね)

「ふぇ?」

 

 予想通りの反応を示すのは先ほどまで寝ぼけ眼だった妹。

 恥ずかしがっているのが面白いのか、何度も「もう一回」とせがんでくるのに半ばヤケになりつつ応じる。

 他愛ないじゃれ合いに、大和は不安が溶けていくのを感じた。

 

「もう一回お願いします。そうしたら寝ちゃいますから」

「それ何度目だよ……」

 

 洛陽の夜はゆっくりと更けていく。

 

 このときの二人には、先のことなど知る由もなかった。


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