リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
◎プロローグ
時の庭園と呼ばれた場所にて一つの事件が収束した。
プレシア・テスタロッサがアルハザードに辿り着くために意図的に起こした次元震。
それは、時空管理局と高町なのは、フェイト・テスタロッサによる尽力によって、最悪の事態を引き起こす事なく幕を降ろした。
しかし、ジュエルシードによって引き起こされた次元震は何の被害も及ぼさなかった訳ではない。
その力は一時的とはいえ、時空に亀裂を発生させ、虚数空間の入り口を開けていた。
この時、時空管理局のアースラは次元震の対処に追われて気が付くことが出来なかった。
虚数空間から偶然……いや、意図的に意志を持って現れたロストロギアの存在に。
それは、闇の書と呼ばれる数多の次元世界を滅ぼし、数多の主達を破滅させたロストロギアに酷似していて。唯一、違う点は本の色が鮮やかな紫色に染められていることだろうか。
この魔導書は闇の書と同質の存在だった。
長い年月、それこそ常人ならば気が狂ってしまいそうなほどに、果てしない時間を掛けて虚数空間をさまよって存在。
かつて闇の書と呼ばれ、数多の世界の住人に恐れられた遺失物の成れの果て。
本は静かに浮かび上がると、そのページを開く。
紫色の光が輝き、辺りを眩い光で照らし出すと一人の少女が姿を現す。
少女は肩まで揃えられた毛先が黒い、美しい銀色の髪を持ち。水色に輝く
背には禍々しくも神秘的な雰囲気を持つ、薄い紫が掛かった六翼の漆黒の翼を誇り、少女から放たれるカリスマと相まって自然と
少女はかつて誰からも愛されるような優しい存在だった。
しかし、心優しい性格も、暖かな笑顔を浮かべていた頃の面影も、今の彼女には見る影もない。
その顔に浮かべる表情はどうしようもない悲しみと憎悪に歪んだ顔付きであった。
(ギル・グレアム……)
彼女は心にどうしようもない程の負の感情をため込んでいた。
憎悪は心を焼き尽くす焔となって、彼女に力を与えると同時に、心を少しずつ擦り減らしていく。しだいに悲しみに囚われた瞳は怒りの炎を宿した瞳に変貌する。
現実世界に具現化したことで、彼女は自分自身に何が起きたのか、鮮明に思い出していた。
あの果てしない、無限にも等しい虚数空間の中で。自分自身でさえ忘れてしまいそうな時の牢獄の中で。ずっと、ずっと過ごしてきた少女。
彼女は薄れながらも、忘れなかった憎悪を再び思い出す。
思い浮かぶのは家族として一緒に過ごした大切な存在。
時空管理局に戦いを挑み、果敢に少女を守ろうとして消えてしまった四人の守護騎士達の姿。
そして、哀れにも少女を封印する儀式魔法に巻き込まれた四人の友人達の姿。
(時空管理局……赦せないッッ……!!)
正直に言えば、少女は自らを虚数空間という何もない世界に閉じ込めた存在が憎い。
殺してやりたくて、同じ目に合わせてやりたいと考え、心も思考もグチャグチャに掻き乱される程に彼女は怒り狂い、全てを破壊したい衝動に駆られてしまう。
闇の書の呪いが彼女に目に映るもの全てを殺せ、破壊しろと囁きかけてくる。
けれど、そのたびに浮かぶのは失ってしまった者達との、思い出の日々と優しくて暖かった日常の記憶。
例え、幾百年もの時間を掛けて色褪せてしまっても、一時も忘れる事も無かった大切な記憶。
自分の我が儘を聞き入れて、家族として過ごしてくれた守護騎士と、天涯孤独だった少女に出来た初めての友達。
もう二度と笑い掛けてくれない。優しすぎる……優しすぎた友人達の姿だった。
(……ッ、ぅぅ)
少女と歳が近く、自らの名を呼んで甘え懐いてくれた鉄槌の騎士。
妹が出来たみたいで嬉しくて、ついお姉ちゃんぶって色々と教えてあげたり、一緒に抱き合って眠ったこともあった赤毛の女の子。
彼女が自分を慕ってくれることはもう二度とない。
うっかりお姉さんの湖の騎士。掃除、洗濯と一通りの家事はこなせるのに、料理だけは不器用でいつも失敗してしまう。
けれど少女を優しく包み込んでくれた金髪の女性。母親代わりになってくれた
その優しい温もりを感じる事はもう叶わない。
寡黙だけど、いつも少女を気遣い、気にかけてくれた盾の守護獣。
狼だった彼は人にも獣にも変身できて、犬を飼ってみたかった少女の為に動物の姿でいてくれた。
そして、人に変身していた時は頼れる兄が出来たみたいで嬉しかった。
けれど、何も言わずに傍で見守ってくれた守護獣はもういない。
武人気質で、不器用だけど、いつも物腰丁寧だった烈火の将。
彼女は女性であったが、少女からすれば厳しくて優しいお父さんみたいだった。
強くて格好良くて車椅子から見上げた背中はとっても大きく感じられた騎士達のリーダー。
彼女はまさに少女にとっての父親代わりだった。
そんな父親代わりの頼れる彼女に会うことは、二度と叶わない。
そして、少女にできた初めての友達。
かけがいのない四人の友人たち。
過ごした時間は少なくても、彼女たちが優しいと分かってしまうくらいに優しかった四人の親友の姿。
呪われた己の運命の所為で
ただ、考えるだけで泣きそうになる。
それらを思い出して、少女は暴走する感情を抑え込んだ。抑え込まねばならなかった。
何故ならば、彼女はまだ死ぬわけにはいかないから。
果たさなければならない目的があるから。
だから、暴走する感情をなんとしても抑え込まねばならなかった。
そうしなければ、紫の魔導書の内部に巣食う闇の書の闇に、乱れた心の隙間から食い尽くされて、少女の存在が消えてしまうから。
そうなる前に贖罪を果たさなければ死んでも死にきれないから。
封印される瞬間まで、少女は心のどこかで生きることを諦めていた。
生を渇望しながら、同じくらい死を恐れて、だけど中途半端に生を諦めてしまった。
心を分かち合い、親身になって慰めてくれたあの子が居たというのに。
■■■て、と一言呟けば変わっていたかもしれないのに。
その中途半端な気持ちが、慕っていた守護騎士の皆をどれだけ悲しませていたのか知らず。
あまつさえ、彼女たちが自分を救うために、どれだけ悲壮な決意と微かな希望に縋って、蒐集を行っていたのかも知らなかった。知ろうとしなかった。心のどこかで薄々感づいていながら、目を背けていた。
償わなければ。
巻き込んでしまった彼女達に償って、人生をちゃんと返して、それから謝ろう。
消えるのはその後で良い。
(待っててなぁ、みんな……もうすぐ、わたしが目覚めさせてあげるから……)
少女は転移魔法を発動させると、崩壊していく時の庭園から静かに去った。
次元震の対応に追われていたアースラチームが、それに気が付くことはなかった。
別世界から現れた闇の書だった存在が、後に起こる闇の書事件に関わることで何をもたらすのか、それは誰にも分からない。
しかし、物語の幕は開かれたのだ。