リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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少し残酷な描写があるので注意。
一応、警告しときます。


〇襲いくる悪夢

 海鳴市にある自宅の道場にて、シュテルは男と戦っていた。

 身体に攻撃をぶつけ合う打撃の音が道場に響き渡り、静かな道場の雰囲気と相まって、大きな音に聞こえる。 

 

 シュテルは心の内に怒りを秘めながらも、冷静に相手の攻撃を素手で往なしていた。

 拳による鳩尾を狙った打突を右手の掌打によって、相手の腕の側面を叩くことで攻撃を逸らし、連撃による顎を狙った掌底打を相手の懐に潜り込むことによって交わす。その際に素早い動きで、相手の急所。わき腹や腋の下に掌底、指突を軽く加わえることも忘れない。

 

 シュテルと相手はすれ違うように距離を取ると、そのまま向き直って、再び油断なく対峙した。

 

 シュテルのほうは、まったくと言ってよいほど息が乱れておらず、むしろ身体がちょうど良いあんばいに温まってきて調子が良い。

 対する相手。無駄のない筋肉、丹精に鍛え抜かれた身体を持つ男性の方は息が上がり、鈍痛に苦しんでいた。顔色も悪く、目の下に濃い隈ができていて、側から見れば死人のようである。

 

「そろそろ、おやめになられてはどうですか"父上"。それにずいぶんと顔色が優れぬようですが?」

 

 馬鹿にしたようにシュテルは言葉を紡ぐ。いや、実際にシュテルは父と呼んだ男を馬鹿にしていた。シュテル自身に言っていた言葉を自ら実践せず、むやみやたらと突っかかってくる男にどうして敬愛など抱くことができようか。いや、できはしない。

 さきほどの攻防もそうだ。シュテルの父親は"白兵戦をする際には、むやみに急所を狙わず浅く何度も何度も同じ個所に攻撃を続けろ"そう常々、シュテルに教えていた。

 それを、この男はどうだ? あからさまに急所を狙った大振りな攻撃。フェイントすら交えない単調な連撃。あまつさえ、すれ違いざまに気づかれぬよう、素早く急所に攻撃を叩き込んですらしない。

 

 この男が、不破士郎が本気になればシュテルを指一本触れさせず、完膚なきまでに叩き潰すなど造作もないというのに……

 

 だが、仕方のない事なのかもしれない。この男はしょせん偽者だ。

 戦ってみて、直に拳を打撃を交わして確信した。

 

「ゼェ…ゼェ…まだだ、『なのは』。お前は甘さを捨てきれていないだろう!? どうした? 早く敵に止めを刺せ! 敵を殺すことが不破流の極意だ。甘さを捨てろ!!」

 

「お言葉ですが父上。不破流の極意とは、敵に気づかれずに相手を抹殺すること。このような格闘遊戯ではないのですが? もう一度、基礎からやり直しては?」

 

「ほざけッ! 未熟者がっ!!」

 

「……話になりませんね」

 

 シュテルの挑発に偽物の士郎は、腰を落として突撃して来る。やはり、狙いはシュテルの急所。愚直なまでに分かりやすい。相手の視線を見れば、どこを狙ってくるのか見極めるのは容易かった。

 

 シュテルは身体を半歩退かせると、利き手の左腕を引いて士郎の攻撃を待ち構え、指を折り曲げて、いつでも掌底を放てるようにする。

 偽物の士郎が狙ったのはシュテルの頭だ。素早く近づく身のこなし、放たれる攻撃速度は常人には見破れないが、幼い頃から親兄妹に地獄のような訓練を叩き込まれたシュテルには遅く見える。

 ましてや、幾度に渡る攻防で苛烈な連撃を続け、すれ違いざまにカウンターで打撃を受け続けた士郎の動きは鈍い。

 決着はすぐに付いた。

 

「かはッ……」

 

「………」

 

 繰り出された士郎のこめかみを狙った拳による一撃。それを小さく屈むことで避けたシュテルは、思いっ切り相手の懐に踏み込んで、心臓に掌底打を打ち込んでいた。左足を震脚で踏み込み練り上げられた力を一点に集中。腰から左腕へと伝わった力を相手に叩き込む。

 

 その破壊力は凄まじく、相手の力を利用してぶつけたことで、士郎の左胸の肋骨を叩き折り、鼓動を停止させるにまで至った。

 

 口から血を吹き出してシュテルに倒れ込む士郎。肺に折れた肋骨が刺さって吐血したのだろう。

 

 衝撃を裏側に徹す、御神流・徹と呼ばれる技だが、未熟故に無駄な破壊力を発揮してしまったようだ。本来ならば心停止させるだけで肋骨を叩き折ったりはしないのだが……少しだけシュテルに罪悪感が湧き上がる。

 シュテルは倒れ込む士郎の身体を受けとめると、優しくいたわるように道場の床に横たえた。たとえ、偽者とはいえ彼は紛れもなくシュテルの父親。理のマテリアルとなって冷静な性格になったとしても、何も感じなかった訳ではない。

 

 心の内から湧き上がってくるのは純粋な怒り。

 悪趣味な夢を見せた存在に対する憎悪にも似た怒りだった。

 

「まったく、胸糞悪い夢を見せられたものです」

 

 シュテルはディアーチェの想いを聞けずに、力になれなかった自分の情けなさを嘆きながら眠りについたはずだった。

 だが、次に目覚めた時。彼女がいたのは自分のの部屋だったのだ。殺風景で、女の子らしいぬいぐるみや、小物といった物が存在せず、勉強する机と寝るためのベット。着替えを入れたタンスやクローゼットだけの寂しい部屋。

 決定的なのは朝の鍛錬の為に、シュテルを叩き起こした父親の存在だ。いつも通りの憔悴しきった顔で、シュテルを鍛錬の為に道場に連れ出した。

 

 シュテルは、そこで気が付いたのである。ここが夢なのではないか? と。

 

 厳格な父親であった不破士郎とはいえ、娘であるシュテルを心配しなかった訳ではない。さりげなく体調を気遣ってくれたし、シュテルが病気で寝込んだときは看病してくれるくらいだ。どこかで娘であるシュテルを大切にしてくれていた。

 

 しかし、この偽物の士郎は心配すらしなかった。普通、娘の事が心配なら何日、何か月かは知らないが行方不明になったシュテルの身を案じてくれるはず。けれども、その兆候すらなかった。

 

 質問してみても「何のことだ? 鍛錬に集中しろ」という始末。

 仕方なく不破流暗殺術の鍛錬を怠っていた勘を取り戻すために付き合ってみれば、この様だ。

 

 まるで、人の神経を逆なでするような言動。極めつけに実の父親を殺させるという悪趣味な演出。

 

 こんなものを見せられ、体感させられては、さすがのシュテルも怒り狂わざるを得ない。

 

 偽物の士郎の身体が光の粒となって霧散していく。続いて道場に入ってきたのは姉の不破美由希。彼女は消えていく不破士郎の姿を見て、次にシュテルに目をやって叫んだ。

 

「『なのは』……っ! どうして、父さんを殺したッ!! お前もあいつ等と同じように私から奪うというのっ!?」

 

「うるさい……」

 

 シュテルを弾劾するようにヒステリックに叫ぶ姉の言葉を聞いて、シュテルから微かな温和の気配が消える。代わりに発せられるのは濃密な殺気。人を殺すための鍛錬を続け、自己防衛とはいえ人を殺めたこともある彼女の殺気は氷のように冷たい。

 絶対零度とも言えるようなうすら寒い死の気配が、道場を包んだ。

 

――これ以上、私のトラウマを刺激しないで……

 

 そんな想いがシュテルの心から浮かび上がるが、口から発せられたのは侮蔑の言葉。実の姉に向けるような言葉ではない。

 

「黙れっ贋者(フェイク)が。お前の言葉など聞きたくもない……」

 

「ひっ……」

 

 妹であるシュテルの蔑むような視線を受けてか、強烈な死の気配に充てられたのか、偽者の美由希は息を呑んで立ち尽くすしかなかった。

 シュテルは、黒い袴と胴着姿からセットアップすると、紅いラインが散りばめられた漆黒のバリアジャケットに身を包んだ。左手には己の相棒たるレイジングハートを模したデバイス。ルシフェリオンハートがいつの間にか握られている。

 それを、躊躇なく偽者の美由希に向ける。朱色の魔力光が杖の先端に収束していき、紅い太陽が形成されると、次の瞬間には破壊の光線が炎を伴って偽者を消し飛ばしていた。

 シュテルは……家族を消した事に今度は何の感慨すらわかなかった。

 

 この世界は夢なのだから。

 なら、この頬を流れる滴はなんだろうか?

 シュテルには分からなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 あれから砲撃によって偽物の美由希を消し去ったシュテルだが、その砲撃によって夢の世界が壊れてしまい、何故か目が覚めるわけでもなく何もない漆黒の世界に身を漂わせていた。

 

 そもそも、自分の人生はどこから狂い始めたのだと、何もない真っ暗闇の空間に身を漂わせながら、シュテルは考える。

 普段なら過去に想いを馳せることなどしないシュテルだが、自分の嫌な過去を鮮明に見せられたとあっては、過去を振り替えざるを得ない。誰だって嫌なモノに蓋をしていても、きっかけがあれば思い出してしまうのだから。

 シュテルは忌まわしい過去の記憶へと手を伸ばし、それを見て彼女の心に陰りが差していく。

 

(そう……私の、世界が狂い始めたのは、お母さんが……)

 

――母である高町桃子がイナクナッタカラ。

 

 ある雨の日、幼い頃の記憶に残る、棺に容れられた白い肌をした母。謝りながら泣き叫ぶ父親。泣きながら歯ぎしりする姉。『なのは』を優しく抱きしめ続ける兄。そして、その様子を無表情で、たぶん、呆けてどこか実感がわかない様子で見ていた『なのは』

 

 その日から、高町家は不破家になった。

 

 しばらくして、父親は運動が不得意な『なのは』に身を護る術を、不破流暗殺術を教え始めた。

 護るための御神流ではなく、殺すための裏御神を。すなわち不破流暗殺術を叩き込んだ理由は分からない。もしかすると、『なのは』を暗殺者にしたてあげ、復讐の道具にしたかったのだろうか?

 その理由は、実の父である不破士郎に聞いてみたいとシュテルは思う。

 

 姉である不破美由希は何処かへと出かけるようになり、あまり家に帰ってこなくなった。

 あれほど仲が良かった『なのは』とは、口も利かなくなり冷たくなった様子は、シュテルの記憶に残っている。

 たまに家に帰ったかと思えば、士郎と何かを話していたようだが、シュテルには詳しくは分からない。ただ、盗み聞いた内容から姉は母の復讐の為にテロ組織を潰しているらしかった。

 

 そこで、『なのは』は実の母が殺されたことを知った。

 

 『なのは』は美由希が嫌いではないが苦手だ。むせかえるようなナニカの濃い匂いは、今思えば血の臭いだったと思う。

 それは、姉が風呂に入っても落ちることはなくて、思わず『なのは』は美由希とすれ違うたびに、顔を背けていた。美由希も『なのは』と顔を合わせようとしなかった。

 ただ、美由希が『なのは』の顔を見るたびに、悲しそうな辛そうな表情をしていたのを、おぼろげながらも覚えている。

 それが、何だったのか結局は分からずじまい……

 

(嗚呼、思い出してみれば、私には嫌な記憶しかありませんね……私の手はすでに赤く血で染まっていて、罪深い。そんな人間が……どうして他人を救えるのでしょうか………)

 

 思い出しても、思い出しても、嫌な記憶、悲しい思い出しか頭に浮かんでこない。いっそのこと消えてしまいたいとシュテルは願う。こんな自分は大嫌いで■を■したシュテルを見れば、きっと蔑むような眼で見つめるだろう。シュテルの後ろめたい過去を弾劾するだろう。

 きっと、数少ない親友のレヴィも、アスカも、ナハトも、ディアーチェも離れていくに違いない。

 

 だんだん、心が枯れていく。なぜかは分からないが、暗い気持ちなってしまう。いっそのこと………

 

(私なんて、ここで消え――)

 

――けれど、それだけではなかったでしょう? 思い出してみて

 

(……?)

 

 不意に、とても優しい声が聞こえてきて、思わずシュテルは辺りを見渡すが、何もない闇が映るだけで誰もいない。

 それでも確かに聞こえた。幻聴などではなく、はっきりと鈴の音のような優しい声。

 

 不思議な声だ。心に染み入るように響いた声は、まるで日の光のように暖かくて、心地よい。

 いつの間にか、シュテルの心から暗い陰りが消え、霞が掛かっていたかのように、思い出せなかった優しい記憶がよみがえる。

 

 唯一、兄である不破恭也だけは変わらず、優しい笑顔で『なのは』と接し続けてくれたのは良く覚えている。

 不破の修行が終わったとき、運動が苦手で修行もまともに身に付かなくて、士郎に怒鳴られ泣いていた『なのは』を慰めてくれたのは、いつも恭也だったのだ。だから、『なのは』は優しい兄である恭也が一番好きでたまらなかった。

 暗殺拳である不破流を加減できるようになったのも、秘密裏に兄から教わったため。そして、不破流とちがって不慣れだが、護るための御神の技を使えるのも、恭也のおかげだ。狂い始めた家族の中で、壊れなかったのも、きっと優しい兄が側にいたから。

 

 それだけじゃない、恭也の婚約者である忍さんは何かと『なのは』に構ってくれて面倒を見てくれた。

 

 『なのは』から見てもとびっきりの美少女でとっても優しい女の子。月村すずかと、アリサ・バニングスは初めての友達になってくれた。

 

 『なのは』はこんな自分でも、友達ができたことを喜んで、思い切って士郎に話したら、父は微笑んで頭をなでてくれた。

 

 冷たい態度を取るようになった姉は、誕生日の日だけはぶっきらぼうながらも、『なのは』を祝ってくれた。どこから買ってきたのか分からない、インドの魔除けやら、由緒ある教会の十字架やら、意味不明なプレゼントばかりで不満だったが、きっとお守り代わりのつもりだったんだろう。

 

 それから魔法と出会って、人を殺す技術しか能のない自分でも、魔法なら誰かの役に立てると思った。ユーノ・スクライアと出会いジュエルシード集めをしたとき、その想いは顕著になった。

 

 他人から見れば誰もが不幸な人生と哀れむかもしれないが、シュテルにとっては少なくとも悪い人生ではなかったし、少なからず良いことだってあった。おかげで、最高の親友と会うことができたのだから。

 

「私としたことが、らしくもなくウジウジと悩んでしまいました」

 

 もはや、シュテルには先程までとは違い、暗い陰りは一切なく。その顔は決意に満ちて、瞳には強い意志を再び灯していた。

 いつの間にか、シュテルは覚めない悪夢に囚われていたらしい。心の弱みに付け込まれ、だんだんと絶望の闇に引きずり込まれていたことを自覚すると、シュテルは己の未熟さを内心で恥じる。

 

――このように自分が無様では、いったい誰が救えるというのでしょうか。己を救えない者に他者を救うことなど出来はしないというのに。

 

 決意に満ちたシュテルは新たな想いをその身に宿す。

 一度目は親友と共に救いたかった人を救えなかった。二度目も結局は間違った道を歩んでしまい、あまつさえシュテルも親友も死んだ。

 ならば、三度目は必ず救いたいと思う。そのためには復讐に燃える二人の親友を救い、ディアーチェの悩みを取り除き、背負わせてしまった親友を殺めてしまったという彼女の罪悪感を共に背負う必要がある。そして、本当の意味でディアーチェを救う。

 だから、アスカの想いを聞けたのは行幸だった。まずは皆で想いを明かして、それからひとつひとつ困難に立ち向かっていけば良いのだ。皆で。

 すべてが、終わったら皆で静かで平和に――

 

「まずは、ここが何処なのか? それを探る必要がありますね。もしかすると、他の皆も悪夢を見ているかもしれませんし。ディアーチェが言っていたのはこのことでしょうか?」

 

 水の中を泳ぐような感覚で、シュテルは考えを巡らせながら、何もない闇の空間を移動する。

 ふと、思うのは先程聞こえた声だ。あの優しくて暖かい声をシュテルは聞いたこともないが、不思議と心の内で受け入れてしまっている自分がいる。見ず知らずの人間は、まず、疑うことが第一のシュテルが、だ。

 

(あのとても優しい声の主には礼を言わなければなりません。あれがなければ私は心が壊れていた)

 

――誰かは分かりませんが、助けてくれて、その、アリガトウ。

 

 呟いたシュテルの恥ずかしげな呟き、聞こえているかは分からないお礼の言葉。

 それを、聞いたシュテルを眺める紅と翡翠のオッドアイを持つ少女は、クスリと微笑むのだった。 

 

◇ ◇ ◇ 

 

 ここはいったい何処なのだろうか?

 いや、景色だけ見れば、間違いなく日本の海鳴市だという事が分かる。それでも、異様に不気味な雰囲気に、ナハトは生まれ変わってから機敏になった体を震わせた。

 明日に備えて、レヴィやアスカと眠りについたはずだから、自分が見ている夢の世界だと思うが、それにしたって妙にリアル。

 

 刺すような寒さを感じる。冬だろうか? 

 

 夢の世界だからなのか人の気配はない。そもそも人が見当たらない。

 青いはずの空は分厚い雲に覆われていて灰色。多少は明るいので夜ではないだろうが、今の時間が何時なのか分からない。

 そもそも、本当に時間が流れているのかも怪しい世界に、ナハトは段々と不安になってくる。

 人前ではお淑やかで清楚なイメージが強いナハトだが、それは人前で過ごすための仮面に過ぎない。本当は臆病で怖がりで、内心ではいつも恐れているのだ。人間という存在を。

 

 ナハトは人とはちょっと違う生き物だ。姿形は限りなく人間なのだが、遺伝子レベルで決定的な違いがある。

 彼女は夜の一族と呼ばれる種族の末裔だった。人と比べて三倍近い寿命を持ち、人間を遥かに凌駕する圧倒的な身体能力に、同じ年ごろの子供と比べて聡明な頭脳を持つのが、その証拠。代わりに生きるために人間の血を必要とするデメリットがあるが、二つのアドバンテージと比べれば些末な問題だった。

 そこだけを見れば、人間という種族を淘汰して夜の一族が世界の覇権を握っただろう。新人類が旧人類を駆逐して支配したように。

 

 夜の一族の致命的な欠点は、人間と比べて繁殖率が異様に低い事だった。一応、発情期と呼ばれる子を宿しやすい時期は訪れるのだが、それを持ってしても人間の繁殖力には敵わない。数で劣る夜の一族は迫害を恐れて、人の世に紛れひっそりと暮らすようになる。

 

 ナハトは個人レベルで人間の事が好きだ。自分たちと何ら変わりのない彼らとの生活は、ナハトが夜の一族であるということを忘れてしまうくらいに楽しかった。

 けれど、種族として人間を見ればナハトは、心底人間の事が恐ろしかった。同じ同族であっても異端と見れば排除し、迫害してしまうのが人間だ。そんな彼らに夜の一族という圧倒的な異端であるナハトの正体がばれれば……最悪、殺されれしまうだろう。そうでなくても、今の生活を捨てて迫害される日々が来るのは目に見えている。

 

 本当は。ナハトは全てを打ち明けても受け入れてくれる人を望んでいた。姉である月村忍は最愛の伴侶たる不破恭也を得たように、ナハトも全てを受け入れてくれる人が欲しいのだ。そうすれば、少しは怯えなくても済む。受け入れてくれる人が一人でもいれば心は楽になるだろう。

 

 だから、アスカがああ言ってくれてナハトは少しだけ希望が持てた。裏世界を知らない普通の女の子であるアスカが、ナハトの正体を受け入れてくれたらそれだけでナハトは絶望せずに生きていられる。だが、もしも嫌われたのならば、ナハトは正気を保てない。

 大げさかもしれないが、それだけナハトにとって迫害されること、嫌われること、恐れられることは死活問題なのだ。

 

 ナハトは恐怖と不安と微かな希望を胸に抱きながら、海鳴市の商店街を歩いている。懐かしい景色。もしも、不気味な雰囲気などなく人で賑わっていたのならば素直に楽しんでいたが、無人の商店街は寂しさを通り越して、恐怖を感じる。

 両手を胸に抱きながら彷徨うように歩いていたナハトだったが、大通りの外れ、路地裏のほうに人の気配を感じて立ち止まる。夜の一族だったとき以上に機敏になった五感でなければ分からないほど、その気配は弱々しいが、誰かいるのは確かだ。

 ナハトは恐る恐るといった様子で、ゆっくりと気配のある方へ進んでいく。感じるのは微かな息遣いと、濃い血の臭いだ。恐らく怪我をしている。

 

「ッ――」

 

 そのことに気が付いた彼女は全力で気配の場所へ向かうと、信じられない人物が路地裏の壁に倒れ込んでいた。

 思わず息を呑み、目を見開くナハト。ナハトと同じ紫の掛かった蒼い長髪に、海のように澄んだ青色の瞳を持つ彼女は……

 

「おねぇ…ちゃん…?」

 

 見間違えるはずもない、彼女はナハトの姉。生前、『月村すずか』だったナハトの大切な姉妹。月村忍その人だったのだから。

 

 忍の格好は酷い有様だった。右足の腱に深い裂傷があって、鋭い刃物で切られたかのように鮮やかだ。これでは歩くことすらままならないだろう。両手や腹、胸といった部分にも大なり小なり切り傷が見られる。呼吸がおかしいのは肋骨を折られたからか、そうなると服の下に隠れて打撲の跡もあるかもしれない。

 右手で押さえられたわき腹からは出血を押さえられずに血があふれ出しており、そこからナハトは火薬の臭いを嗅ぎ取った。恐らく銃創による傷だ。誰かに撃たれたのは確実だった。

 

 ナハトの冷静な部分がこう告げている。"この傷では忍お姉ちゃんは助からない"

 そんなことはないと、ナハトは必死に頭を振って否定した。唯一の肉親なのだ。血を分け合い支え合った家族なのだ。大好きな忍が死ぬことはないと、ナハトは想いこんだ。助かる方法があるはずだと。

 

(そうだっ! この力なら)

 

 そこで、ナハトは閃いた。まるで天啓の如く。そう、ナハトには姉を救う力があるじゃないか、魔法という奇跡を起こしてしまう力が!!

 急いで忍の側に駆け寄って魔法を行使するナハト。治癒魔法はシュテルのほうが得意だが、ナハトも出来ないわけじゃない。親友の四人を助けるために、あの砂漠で一生懸命練習したのだから。きっと練習の成果が現れて姉を救うことができる。

 ナハトの足元に蒼色のベルカ式魔法陣が展開され、特徴的な三角形が回転を始める。

 

 両手を忍のあちこちにある傷口に押し当てると、暖かな蒼色の光が輝いて、傷口を見る見る内に修復していく。そして、怪我が回復していくうちに、忍の顔色もだんだんと良くなっていった。

 

――これなら、お姉ちゃんを救うことができる!!

 

 ナハトは思わず姉を救えたことに喜色の表情を浮かべた。姉を救えたことを証明するかのように忍の虚ろだった瞳に生気が宿った気がする。そして。

 忍はどこかボーっとした様子でナハトを見ていたが、彼女が誰なのか朦朧とする意識の中で理解すると、驚いたように目を見開いた。だが、再び会えた喜びの方が勝ったらしく、すぐに微笑みを浮かべてナハトを"すずか"を弱々しくも力強く抱きしめる。

 

「痛いよ……お姉ちゃん」

 

「バカね……心配したんだから、"すずか"が行方不明になって、ホントに、心配したん、だから」

 

「うん……うんっ!!」

 

 忍は"すずか"に再び出会えたことが嬉しかったのか、怪我の痛みも構わずに涙声で叫びながら背を叩く。

 それをナハトはされるがままにしていた。彼女も泣いていた。もう会えないと思っていた姉に再開することができて、理由は分からないが大怪我した最愛の姉を救うことができたことが嬉しくて泣いた。

 

 思わずここが不気味な海鳴市で、夢の世界であるということを忘れてしまうくらいに、ナハトは嬉しかったのだ。 

 

 それが、ナハトにとって残酷な結末を見せるとも知らずに。忍を助けたことを後悔してしまうくらいの出来事が起こるとも知らずに。

 

 彼女は、ほんの一瞬だけ全てを忘れてしまっていた。

 


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