リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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〇尊くて愛しい日常

 一日の始まりにして朝の清々しい光景。空は快晴で、日差しも暖かな良い天気。

 ある家庭の食卓に日本の代表的な料理の数々が並べられていく。

 炊き立ての白いご飯。猫舌の人には少々熱い味噌汁、具はワカメと豆腐。焼き鮭の漂う香りが食欲をそそり、それ以外にも納豆や海苔、黄色と緑色の野菜の炒め。ベーコンと一緒に焼いた目玉焼き。かつお風味の梅干し、と事欠かない品々の数。

 もっとも、毎日と言っていいほどの頻度で、古武術の鍛錬を続ける高町の家庭においては、少々控えめかもしれない。師匠である父親に、一番上の兄と姉は多大なカロリーを消費しているのか、食欲旺盛。育ちざかりの子供並みに食べるのだ

 世話になりっぱなし、というのもアレなので、なのはと一緒に起きたディアーチェ。桃子にお願いして、料理が得意だからと手伝わせてもらったが、あまりの品数に驚きを隠せなかった程。

 けれど、下ごしらえどころか、なのはと同い年の女の子にしては、上手で華麗な包丁さばき。炒め物に使うフライパンの手馴れた扱い方。といった風に主婦顔負けの料理技術を見せたディアーチェには、桃子も驚かされているのだが。

 てっきり、箱入りの家出した娘だと思っていたから、料理は素人なのだと思い込んでいた。

 思いもよらぬ同居人の技術に、ちょっと翠屋に弟子入りを誘おうかなと、思っちゃったりする桃子さんである。隣で野菜の下ごしらえをする、なのはが瞳をキラキラと輝かせながら、凄いねゆかりちゃん、と褒めて、頬を真っ赤に染めたディアーチェが可愛らしかった。

 実に惜しい。実力といい、性格といい、面白いリアクションの三拍子が揃った逸材。ぜひともスカウトしたいが、他人の子ゆえに、踏み込めないのであった。

 

――いただきま~~す!!

 

「ぃ、いただ、き、ます……」

 

 とっても明るくて、元気いっぱいの。古き良き日本の食事前の習わし。

 それを唱和する高町一家に合わせられず、完全に出遅れたディアーチェ。にこやかにほほ笑む一家に見守られて、恥ずかしげに呟くと、士郎と桃子は満足げに頷いた。

 歳が近いからと、隣の席に座るなのはが、えへへと微笑んでいるものだから、なおさら羞恥心が湧き上がる。まるで、自分ができの悪い妹のようだと、ディアーチェは感じてしまう。服も、なのはのおさがりを着せられているから、なおさらだ。今の彼女は蜜柑色の長そでに、オレンジ色のスカート姿である。

 ちなみに、テーブルの両端を桃子と士郎が座り。美由希と恭也が隣り合わせ。その反対側になのはとディアーチェが隣り合わせという組み合わせだ。

 

(妹か……)

 

――はやてぇ~~!!

 

 思い起こすのは、家族となった守護騎士。一番小さなヴィータという女の子。箸を上手に使えなくて、芋の煮つけを串刺しにして食べていたのが、懐かしい。

 行儀が悪くて、口に食べ物をいれながら喋ることもあった。咎めつつも根気よく教えてあげて、ヴィータは箸の扱い方が上手になって、ちょっとした姉の気分を感じた時もあった。

 そうして、ぽや~と呆けている間に。

 

「ゆかりちゃん、はい、お醤油なの」

 

「お姉ちゃんが、鮭の切り身を細かくほぐしてあげよう」

 

「野菜もきちんと食べた方が良い。貴重なビタミンやミネラルが豊富だ」

 

「はっはっはっ! いつにも増して賑やかでいいなぁ。桃子さん」

 

「ええ、士郎さん。ゆかりさんのお友達を招いたら、もっと素敵になるわよ」

 

「そりゃ、楽しみだ! クリスマスは月村家やバニングス家を交えてパーティーも悪くないな! もちろん、なのはやゆかりちゃんの友達も招いてな」

 

「……はっ、えっ? なんじゃこりゃ~~!!」

 

 ディアーチェのおかずを載せるお皿は大変なことになっていたのだった。

 美由希が丁寧に鮭の切り身を箸で細かくして、皿に乗せていく。恭也も黄色、緑色野菜を食べやすいようにカットして載せる。なのはは目玉焼きに垂らす醤油を隣に置き、士郎と桃子も会話しながら、さりげなくおかずをディアーチェにお裾分けしていく。

 気が付けば、溢れんばかりのおかずが、皿に載っていた。ついでに、ご飯のてっぺんに艶の良い梅干しが君臨していて、シュール。

 正直、食べきれそうにない……美味しそうではあるが。

 

"いいなぁ~~おいしそう……王様だけずるい! ずるいぃ~~!! 味覚きょ~ゆ~してよ!!"

 

"ちょっと、汚いわね! よだれ垂らすんじゃないわよ!!"

 

"はい、レヴィちゃん。お口を拭ってあげる"

 

"おいしそ~です。お腹が空きましたです。わたしも食べたいのです!!"

 

"ユーリ、アンタもかい!!"

 

"ほらほら、アスカちゃんも落ち着いて、ね?"

 

 さらに、頭ん中で騒がしい声が響いて、ディアーチェの気が滅入っていく。

 諸事情とはいえ、アスカ、ナハトは、アリサ・バニングスと月村すずかの同位体。この世界に、限りなく近い同一人物が存在している以上は、迂闊に外に出れない。紫天の書で休み、もとい、還元されている。

 レヴィも髪の色と瞳の色が違う点を除けば、フェイト・テスタロッサそのものだ。何処に知り合いという関係者のつながりがあるのか、分からない以上は、外出禁止。一番暴走して手が付けられないのはレヴィ。恐らく天然なところも相まって本人すら何したいのか分からないはずだ。

 三人ともユーリの側で、夢の海鳴市を思い思いに過ごしている。ユーリの側にいれば、闇の書の闇に悪夢を見せられることもないし、安全と言えよう。

 

 ディアーチェを通して、視覚、味覚、聴覚といった五感を共有することで、外の世界を観測している欠片の少女たち。役二名がエサにつられたらしく、五月蠅くて煩わしい。

 それは、起床してから時間が経ったとはいえ、起き抜け状態のディアーチェには辛いものがあって、つい。

 

「うぬら! 五月蠅いわ!! 少しは静かにせんかぁ!! ……ぁ」

 

 叫んでしまった。

 慌てて両手で口をつぐむが、時すでに遅し。高町家の面々は驚いたように固まり、楽しい食卓に静寂が訪れてしまう。

 気まずい。非常に気まずい。こうなれば、渾身の一発ギャグを……思いつくわけがない。何とか微笑みを浮かべて、取り繕うとするディアーチェは、しかし、引きつったような笑みと、苦しい言い訳しか出てこなかった。

 

「あ、あははは~~。頭のなかに声が響いてきたもので、ついかっとなって……ほんまにごめんなぁ~~。気にせんといてな?」

 

 ああ、それは爆弾発言だ。

 普通なら、頭のおかしい人か、不思議系の電波少女とでも勘違いされそうな言動。

 だが、ディアーチェの隣には高町なのはがいるのだ。彼女は魔法と関わったことで、頭のなかに声が響く"念話"という話術を知っている。

 だから、ディアーチェを魔法の関係者と疑い。ついでに念話を試みようとするのも無理はないものだった。

 

『ゆかりちゃん、聞こえる?』

 

「ッ……!」

 

『あ、その様子だと聞こえてるんだね。へぇ~~、ゆかりちゃんも魔導師さんだったんだ。あのね、なのはも……』

 

 まずい、このままでは、いらぬことまで詮索される。

 冷や汗を流して焦るディアーチェの窮地を救ったのは、以外にも桃子さんだった。

 

「あらあら、そうなのね。きっと今朝見た夢を思い出したのかしら? でも、居候して間もないのに、図々しかったわね。ごめんなさい」

 

「あっ、いえ。そんなことありません。わたしとしても、お世話になりっぱなしなのに、迷惑かけてばかりで。おまけに、寝床や服、食事まで用意していただいて、ほんまに恐縮です」

 

「そう言ってもらえると助かるわ。さあ、気を取り直して、冷めないうちに食べちゃいましょう」

 

 このときほど、ディアーチェが桃子さんに感謝した時はなく。同時にこう思う。

 桃子さん、まじぱない。肝っ玉母ちゃんや、と。

 

 箸を右手に持ち、ご飯の盛られた茶碗を左手に持つ。

 ご飯を箸でつまんで、梅干しの身を口にいれる。暖かさと懐かしい味を噛み締める。美味しい。桃子さんが料理上手というのもあるが、久しい家族の団欒(だんらん)。なにより、優しい家庭風景が、闇に塗れた王を感傷に浸らせる。

 惜しい。実に口惜しい。シュテルの求めたモノ。手に容れたかった風景。心底に望んでやまない場所が此処にあるというのに、当の本人がいないとは。

 

"うぇぇ~~。ごはんがおいしい、けど、すっぱい~~!! 変な味~~! 何これ~~!?"

 

"ぶっ! 梅干しよ。梅干し。日本の誇る伝統的な干し物ね。納豆と梅干しは外国人が苦戦する食事だし、レヴィには辛いかしら?"

 

"アスカちゃんも一応、外国人だよね?"

 

"アタシ、日本生まれの、日本育ち。外国人の皮を被った日本人!!"

 

"これ、わたし好きかもしれません"

 

"ユーリは渋いの好きなの? ボク、だめぇぇぇ。嫌いじゃないけど、苦手ぇぇぇ。味覚きょ~ゆ~解除ぉぉぉ~~"

 

 ディアーチェの脳内と心の内は相変わらず賑やかだった。外も内も賑やかすぎるぐらいだ。

 レヴィのぐったりして、机にうっぷつする光景が浮かんできて、王は笑みを隠せない。怒鳴ったり、照れたり、笑ったりと、ディアーチェが百面相で、表情がコロコロ変わる。そう聞いていて、理解している、士郎や恭也、美由希。その様子を微笑ましそうに眺めていた。

 あと、なのはがこっそり嫌いなものを、兄の皿に移そうとして、桃子さんにメッ! されたりと、おもしろおかしさに事欠かない食事風景。

 僅かではあるが、ディアーチェは不安や恐怖から解放されたような気がした。絶対の死の運命に立ち向かう少女は、少しだが、心が楽になった。

 この世界に希望はある。自分を救う方法も王は知っている。もうひとりの自分も"ついで"に救われるだろう。

 だからこそ、失った仲間の行方を急いで取り戻そうと、密かに決意しているディアーチェであった。

 

 余談だが、デザートに差し出されたシュークリームを、味覚共有で感じたレヴィ。彼女の意識が昇天しかけたことを記しておく。

 

◇ ◇ ◇

 

「はい、これでおしまい。今日もばっちり可愛らしく決まってるわよ」

 

「えへへ、ありがとうお母さん」

 

「忘れ物はないかしら?」

 

「うん! ハンカチ、ティッシュ、それに宿題もちゃんと持ってます」

 

 玄関で母親に制服のよれがないか、自分で忘れ物がないかチェックしていた高町なのはは、履いた靴のつま先をトントンと床にぶつけると、見送りに来ていたディアーチェに向きなおって微笑んだ。

 

「ゆかりちゃん」

 

「うっ……なんだ。その、どうかしたの、か?」

 

 向けられた柔和な微笑みに思わず気後れするディアーチェ。

 別に妙な気迫にたじろいで恐れたとか、なのはが苦手で避けてしまうのではなく。ただ、どうしても彼女をシュテルと比べてしまって、別人だと分かっていても、あまりにも違いすぎる性格や雰囲気のギャップを感じてしまう。

 ようするに、ディアーチェは高町なのはという存在に惹かれていたのだ。そりゃあ、添い寝してもらって、普段着を着せられて可愛い、似合ってると褒められ、家族以上の親密さで接してもらえれば、疑心暗鬼でもない限り心を許してしまう。

 しかも、なまじ親友の姿に似ているものだから、余計に性質が悪い。冷静沈着な親友との違いが、王を戸惑わせる。だから、自分と関わるのは危険だからと邪険に扱うことができず、彼女に対して非情になれないのは、致命的だった。誰にとっても不幸な結果に為ると分かっていてもだ。

 優しすぎる夢のような一時は、いずれ終わってしまうと理解している。闇の浸食という身体を蝕む呪いが進行している以上、いつまでも世話になる事は出来ないのだから。

 

「行ってくるね。良い子にしてるんだよ」

 

「はうっ! なっ、あっ、うわぁ!!」

 

『帰ったきたら、魔法の事について、お話しようね? なのはとゆかりちゃんの秘密だから、気持ちを分かち合いたいんだ』

 

『ちょう、ちょう待っ、あう、あううぅぅ~~!!』

 

 だというのに、この娘ときたらディアーチェの心情も知ってか知らずか、苛烈なまでに急接近して来る。王の口から飛び出た声は上擦っていた。

 朝の行ってきますのキスとか、おはようの挨拶みたいに。軽いスキンシップのような感じで、ディアーチェに抱きつくものだから、王の混乱は頂点に達していて。シュテルとなのはの違いに、どう接すればいいのか分からない。

 いつもは、どこか一線を引いている親友が、ある日、態度を急変させて心身に踏み込んでくるような状況。もう、ディアーチェの心臓はドキドキしっぱなしで、身体も緊張して固まっている。

 片想いする高嶺の花。相手は自分に無関心だったのに、いきなり好意を寄せてきて。恋い焦がれる感情を何処にぶつければいいのか分からず、放心してしまうような感覚。フリーズするとも言う。

 ディアーチェを抱き寄せるなのはの体温が温かい。首筋に掛かる吐息が妙にくすぐったく感じる。心臓の鼓動が煩いくらいに聞こえて、頭がボーっとする。

 

 『はやて』だった時の対人経験は皆無に近いのだ。まともに人とコミュニケ―ジョンできた経験は、守護騎士と過ごした半年と友達と過ごした数週間の日々だけ。このような、スキンシップなんて知らない。

 『アリサ』から親愛の証としてほっぺにちゅ~された暁には、顔を真っ赤に染めて硬直したくらいである。

 ましてや、体感時間に換算して約数百年もの間、闇のなかで孤独に過ごしていた少女なのだ。いきなり"抱っこ"なんてされれば、どうなるのか?

 

「きゅ~~……」

 

 答えは、緊張しすぎて気絶するという結果だった。

 いきなり身体の力が抜けたディアーチェを、なのはが慌てて支え、桃子さんは冷静に手馴れた手つきで、横から支える。

 

「ふにゃ!? うわわ、ゆかりちゃん! ゆかりちゃん! しっかりするの!?」

 

「ふふふ、ゆかりちゃんには、ちょっと刺激が強すぎたみたいね。なのは。介抱は母さんに任せて、学校に行きなさい。もうそろそろ、バスが来る時間だわ」

 

「うぅ~~……悪いことしたの……ごめんね、ゆかりちゃん。お母さん、行ってきます!」

 

「行ってらっしゃい。気を付けるのよ?」

 

「は~~い!!」

 

 元気よく外に飛び出していく娘を見送りながら、桃子はディアーチェの身体を軽々と持ち上げた。

 目が覚めるまで面倒を見てあげたいが、あいにくと、桃子も士郎も喫茶翠屋を営業しなければならない。すぐにでも出発する必要があった。

 美由希は高校に通っていて時間がないし、恭也も大学に出席して単位を取得しないといけないので、家には誰もいなくなってしまう。

 少し心配ではあるが、書き置きを残して脱走しないように釘を刺すことにした。わずかとはいえ、ディアーチェと接してきた桃子は彼女が義理堅い性格で、他人に心配かけることを良しとしない女の子であると感じたが故に。

 一階の空いている和室。そこに布団を敷いて、うんうんと唸る少女を寝かせると、毛布掛けてやる。桃子は実の子のように、愛おしげにディアーチェを撫でると静かに微笑むのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 額に冷たくて心地よい感触がして、ディアーチェはゆっくりと目を覚ました。なんというか、濡れたタオルで拭われたような肌触りを感じたのだ。

 

「うぅ、ん……?」

 

「あっ、気が付いた?」

 

 そして、寝込んでいた自分を覗き込んでいた少女がいることに気が付いた。よく見知っている少女の顔立ち、特徴的な紫を帯びた蒼い髪に、大切にしているヘアバンド。何より髪の毛から覗いている蒼の獣耳。狼の耳を持ったような女の子なんて一人しか知らない。

 紫天の書に還元されて、大人しくしていたはずのナハト・ヴィルヘルミナが、にっこりとほほ笑みながらディアーチェの眠る布団の隣で鎮座している。

 手にはタオルが握られていて、水が入っているであろう桶に浸して冷たくすると、千切れるくらいにねじり込んで絞っていた。

 

「…………『すずか』ちゃん?」

 

「残念、ナハトでした。ちゃんと偽名で呼ばなきゃダメだよディアちゃん?」

 

「って、そういう問題ではないわ!! 何故(なにゆえ)勝手に実体化しておるのだ!? 万が一見られでもしたらどうすんねん!?」

 

「あうッ! うぅ、ひどいよディアちゃん」

 

 いる筈のない存在。姿を隠さなければならない親友の姿に、ディアーチェは慌てて起き上がりツッコミのチョップをナハトにぶちかます。涙目になりながらナハトは両手で痛む額を押さえた。

 海鳴市において不破家もとい高町家に関係性の深かった『アリサ』と『すずか』。それに、正体をばらしてしまったレヴィは迂闊に姿を晒すことができず、潜伏している間は書の中に還元、収納することで身を隠す手はずだった。

 なのに、ディアーチェの許可なく勝手に具現化しているとは、どういう了見なのだろうか。事と次第によっては書の中に強制送還するつもりで、ディアーチェはナハトに問うように睨み付ける。

 ナハトは、痛がる振りをしていたが、仕える王様の、友達の真剣な表情に、ん~~と唸って考える仕草をすると、軽くディアーチェの胸を手で押す。

 

「な、に……?」

 

 それだけで、上半身を起こしていたディアーチェの身体は布団の上に倒れ込んでしまった。まるで糸の切れた人形のようにあっけなく。

 唖然とするディアーチェをよそに、どこか納得したような様子でナハトは頷くと、再び手にした濡れタオルをディアーチェの額に乗せる。

 

「やっぱりね。ディアちゃん、慣れない環境で疲れてるみたい。正体がばれないように頑張って、なのちゃんとシュテルちゃんの違いに戸惑って、変に緊張して安らげてないのかな? それとも、私達に言えないような秘密を抱えて、背負いすぎてるのかな?」

 

「ッ…………」

 

「どっちにしても、休息が必要なのは確かだよね? だから、看病の為に私が選ばれたんだよ? "気配りができて、思いやりがあるアンタが適任よ"って、アスカちゃんに後押しされて表にでてきた」

 

 そういう訳だから、おとなしくしててね。そう言ってナハトは、食べやすいようにカットされた林檎の載った皿を手に取り、掛けてあったラップを丁寧に外した。

 高町桃子が、起きたディアーチェの為にと用意していた林檎。それを、タオル一式を拝借する際に見つけたナハトが、持ってきていた物だ。

 小さなフォークで林檎の欠片を串刺しにすると、それをディアーチェの口元へと運んでいく。俗に言うあーんだった。

 

「なっ、なななななっ!! ど、どういうつもりだ!?」

 

「何って、わたしがディアちゃんに林檎を食べさせようとしてるんだよ?」

 

「み、見れば分かるわ! 何故(なにゆえ)あ~んなのだ!? 普通に献上品として差しだせばいいであろうが!?」

 

「うん。わたしがしたいだけ。それとも、恥ずかしいのかな? なのちゃんに抱っこされたみたいに、恥ずかしさのあまり気絶しちゃうから? わたしが、咀嚼して口移しで食べさせたら、どんな反応するのかなぁ」

 

「なぁ!?」

 

 さらっとすごいことを口にするナハトは、この際、どうでもよかった。問題なのは、最初の発言だ。

 アレを見られていたというのか! ディアーチェ一生の不覚にして、黒歴史に認定したいほどのハプニングを!? その瞬間、ぬわ~~~と苦悶の悶え声を上げながら、ディアーチェは頭を抱える。

 書の中に閉じ込めて不自由させてるからと、せめてもの償いに五感を共有したのが仇になった。絶対にからかいのネタにされるのは目に見えていて、ディアーチェはがっくりと項垂れるしかない。

 そんな彼女の様子に微笑みながら、ナハトはディアーチェの背中を片手で支えるように起こすと、もう一度、フォークを持った手を口元に差し出した。

 恥ずかしさのあまりに、駄々っ子のように、いやいやと口を開こうとしない王様。ナハトは慈愛に満ちた表情で、じっと見つめたまま動こうとしない。完全な根競べだ。

 やがて、観念したのか、ディアーチェは大人しく差し出された林檎を口にした。ゆっくりと静かに、甘い果実を噛み締めて呑み込んでいく。

 

「良い子だね。ディアちゃん」

 

「こ、こども扱いするでない……」

 

「ふふ、良い子、良い子」

 

「うぅ――」

 

 支えていた手を離して、ディアーチェの頭を撫で始めたナハト。

 それに抗議しつつも逆らうことができず、されるがままに撫でられ、差し出された林檎を食べていくディアーチェ。何よりも悪い気分はしなかった。

 やがて、お腹がいっぱいになって眠くなったのか、心を許せる親しい友が側にいて安心しきったのか、ナハトに見守られながら、ディアーチェは安らかな表情で眠りについた。

 

◇ ◇ ◇

 

 高町家の立派な武家屋敷ともいえる家の前に、ひとりの男が立っていた。

 全身を隠すかのようにロングコートを着こなし、腰まである長い髪を一つに束ねた彼は、黒ずくめと言ってもいい格好だった。

 着ている服、履いている靴、手にした皮の手袋、髪の色から瞳の色まで黒、黒、黒。そんな中で肌は青白いのだから余計に不気味である。

 男はコートのポケットからひとつの茶色の封筒をとりだして、そっと郵便受けにいれると、静かに何処へと去っていく。まるで、何事もなかったかのように。誰もいなかったかのように。

 周囲を偶然歩いていた人々は、彼を気にもしない。それどころか気が付いていない様子だった。

 

「……ISシルバーカーテンは正常に稼働しているが、些か身体の不具合が酷いな。世界を渡った代償か……」

 

 男の呟きは誰に聞かれることもなく、静かに街中へと姿を消す。ただ、首に付けた紅い宝玉のペンダント、右手の甲に備えられた金色の三角形をしたアクセサリーが心配するかのように、明滅する。

 男はそれに、心配するなとでも言わんばかりに、アクセサリーを撫でることで答えるのだった。

 


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