リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

27 / 84
〇紫天に吼えよ! 我が鼓動!

 ディアーチェは結界の張られた海鳴市の上空で待機していた。満天の星空はなんとも美しいと感じさせるくらいに綺麗で、この二週間ちょいは飽きずに空を見上げていたものだ。失ったからこそ、美しいと思える日本の景色だった。

 膨大な魔力を、いや、桁違いに圧倒的で畏怖すら覚えてしまいそうな魔力。それを恐れもせずに急速に向かってくる気配は四つ。さらに、周囲を感知してみれば無数の魔力反応。複数の魔導師がいる気配だ。

 向かってくる四つの気配は、ディアーチェが良く知る家族のものだ。もっとも、家族だったというべきか。彼女たちは『はやて』の守護騎士ではなく、はやての守護騎士なのだから。主を救うためとはいえ、蒐集しようとしている相手の化け物みたいな魔力は肌で感じている筈なのだ。なのに向かってくるという事は、それだけ彼らの決意が固いということ。

 周囲を囲んだ無数の魔力の気配は時空管理局の魔導師たち。闇の書とそれに酷似した紫天の書を一網打尽にしようと包囲網を敷いている。その戦力ときたら、前にシュテル達を囲んだときの数倍といった所か。指揮官はクロノ・ハラオウン。フェイトやユーノとやらも来ているのだろう。

 あたりまえか。これだけの大規模な結界魔法、気が付かなければおかしい。何より、ディアーチェはわざと圧倒的な魔力を見せびらかすように、漏らしていた。この結界は入るのは容易いが、出るのは難しい。管理局も、守護騎士も入り乱れて混乱すれば、それだけディアーチェの目的も達成しやすくなる。

 クロノ達が海鳴市近辺に引っ越すことや、彼らがアースラチームという管理局の精鋭であることは、なのはとの秘密の共有で聞かせて貰っていて、概ね戦力は把握できている。ビデオメールのやり取りを見て、質問したのがきっかけだったが、幸いであった。

 おかげで、ディアーチェ達は未来知識を元に先手を打つことができたというわけだ。11月15日から拾われて、12月2日までの約二週間。一時の休息と安寧を謳歌しつつも、着々と布石を打ち、作戦を練った。

 シュテルが交渉によって引き出した情報。並行世界という結論。違う世界の過去。限りなく同一人物に近い人たち。ここは並行世界、しかも自分たちが封印されるひと月前の過去というわけだ。

 ならディアーチェ達が未来を変えたいと、想いを抱くのは当然の帰結であった。故に愛する者であっても敵に回すことを選択する。全ては悪夢のクリスマス・イブを、悲劇を回避して、闇の書のもたらす滅びから逃れるための行動。

 ディアーチェにとって、なのはや高町家と過ごした日々は甘美であったし、これから敵対するであろう守護騎士も、違う世界とはいえ大切な人には変わりない。

 チクリと胸を刺すような痛みを振り払う。高町家の、なのはとの優しい日々の思い出。自分の心に彩りを与えてくれたヴォルケンリッターの皆との記憶。それらにディアーチェは鍵を掛けて封印する。最高の結末を迎える為に『はやて』を殺し、紫天の王になる。残虐で無慈悲な暴君に変貌する。

 想いを馳せるように閉じていた瞳を開き、口元を釣り上げた王は、傲慢な態度で現れた四人の騎士を迎え入れた。

 

「ようこそ、哀れな子烏に魅入られた盲目の騎士たち」

 

「てめぇか。この馬鹿みたいにデカい魔力の持ちぬ……? はやて? どうして、こんなとこに」

 

「ヴィータちゃん、油断しちゃダメ……はやて、ちゃん……? うそ……?」

 

「……戯けめが。現を抜かしたまま消し飛べぇ!!」

 

 期待していた誤算。八神はやてと瓜二つの姿に、ヴォルケンリッターの二人は動揺している。それは、一瞬の出来事だが戦闘においては致命的な隙となる。何よりも、ディアーチェは奇襲する腹積もりだったから、尚のこと好都合。

 足元に回転する黒紫のベルカ式魔法陣が広がる。右手に手にした十字杖エルシニアクロイツを素早く回転させながら、紫天の書から魔力と術式を急速に引き出し、握りとめた杖を縦に振り降ろす。

 

「アロンダイト!!」

 

「なっ、くっ……」

 

 紫の魔力で構成された砲撃が、呆けたように固まるヴィータとシャマルを襲う。流石は歴戦の戦士にして一騎当千と謳われたヴォルケンリッター。ヴィータは砲撃を咄嗟に防御しようとシールドを展開する。しかし、それだけでは、防げない。

 ディアーチェの使う魔法のほとんどが、広域殲滅型。砲撃においても例外はなく。アロンダイトは着弾すると爆風が相手を呑み込み、防護服を削る。蓄積されたダメージはいずれ、相手に致命傷を与えるだろう。

 が、そう上手くいかないもので、ディアーチェは「チィ」と舌打ちしつつ、距離をとった。爆発の煙から現れたのはヴィータよりも一回り大きなシールドを展開したザフィーラ。彼の背後にいるヴィータとシャマルを庇うように展開された防御陣は、爆風を見事に遮っていた。

 

「ハァァアアアア!! 紫電――」

 

「なにぃ? ッ!!」

 

「一閃!!」

 

 守護獣の勇士に歓喜しつつも、厄介な防御だと、撃ち抜くにはちと、手間が掛かる、どうするか。そう思考するディアーチェの上空から烈火の剣を振り上げて、襲い来るシグナム。容赦のない奇襲。

 燃え盛る炎の剣をプロテクションで受けとめるも、勢いを殺しきれず光の輝く防御膜ごと叩き切られた。ディアーチェの防護服の肩口を抉られ、左手に握る紫天の書を離してしまう。幸いにも書は自らの意思で、ディアーチェの傍に浮かんでいるが、危ない所であった。

 非殺傷設定なのか肉を削いだり、傷を焼かれてなどいない。それでも魔力打撃はじわりと残るような激痛をもたらす。感じたことのない痛みに顔を歪めるも、歯を喰いしばって耐えたディアーチェ。自動治癒で傷口を修復していく。

 このような痛み、マテリアルとなった親友たちが受けた痛みと比べれば、屁でもない。

 

「まだだ!」

 

「ちぃ、寄るな下郎めが!!」

 

 振り切った体勢から、すぐさま二撃目をたたき込もうとするシグナム。それよりも早くディアーチェは己の杖から爆砕効果を付与した、人を呑み込んでしまいそうな光球を発生させて、シグナムを牽制する。

 一端退いた烈火の将だが、そこは近接戦の玄人というべきか。巧みなステップのような空中機動で、右に左にとディアーチェの照準を錯乱しつつ、最短距離でクロスレンジへと踏み込んでくる。

 そうはさせまいと、手の空いた左手にリンカーコアから魔力を集めて、発射台を生成したディアーチェ。作りだされたスフィアから無数の光の粒を雨霰のように解き放つ。エルシニアダガーと呼ばれる広域射撃魔法。誘導性能はお粗末だが、連射が効いて使いやすい。

 

「小手先の技など通じん、ハァッ!!」

 

「ひっ……」

 

 だが、シグナムは小さな魔力弾の嵐を物ともせずに突っ切ってくる。恐るべき胆力と覚悟だ。闘志に燃える彼女の瞳は眼前の敵を見据えたまま、出せる最速の踏込でもって、王の懐に潜り込もうとする。

 シグナムの魔力光で光り輝く騎士甲冑。あらゆる部分を被弾してはいるが、貫通はしていない。なんという堅牢な鎧だろう。急所に被弾する攻撃は左腕の籠手で弾き、受けとめて防いでいく。この防御魔法、ディアーチェは知っている。

 パンツァーガイスト。幻影装甲とよばれる強化されたフィールド系防御魔法。全身に魔力光を固めて、纏う騎士甲冑の防御力を瞬間的にあげる効果を持つ。反面、消耗も激しいし、全身に纏えば攻撃などできなくなるが、シグナムの技量なら問題ない。

 堅牢さは、防御に秀でたザフィーラのシールド並みだ。データによれば、過去に砲撃魔法をも防ぎ切ったらしい。

 ならば、エルシニアダガーのような射撃魔法など、文字通り歯が立たないだろう。ぶち抜くにはシュテルのブラストファイアーかディアーチェのアロンダイト。或いはレヴィの極光斬のような高出力の攻撃魔法が必要だ。

 しかし、こうも接近されては、砲撃を放つ余裕などない。迫りくる騎士の右手に握られたレヴァンティンからカートリッジが装填され、魔力薬莢が排出される。魔剣の刀身、そこに唸る蛇のように火が覆い、火竜の咆哮のような炎が唸る叫びをあげた。

 紫電一閃。近接戦における爆発的な攻撃速度と、瞬間的な破壊力を誇る技を防ぐ方法は、あまりない。少なくともシグナムの気迫に押されたディアーチェには無理だ。王は、圧倒的な力を秘めているとはいえ、実戦経験がないに等しい。どうしても、身が竦むときがある。

 何もかも傷つけても、求める未来を掴み取ると覚悟していても、怖いものは怖い。ディアーチェは傲慢な王様の皮を被った、臆病な小娘に過ぎないのだ。

 

"ディアーチェ!!"

 

「なんだとっ、本がひとりでに、それにこの本は闇の書に似ているッ……!!」

 

 だから、紫天の書は自らの意思でページを開いて、シグナムの剣閃を受けとめた。紫天の書の内部に潜むユーリの意思を反映している。未来を変えたいというディアーチェの想いを聞き届けた紫天の盟主は座して待つことをやめたのだ。自分に出来る限りのことをして王を支える。

 見えない障壁のようなもので剣撃を防がれ、引き離そうにも何か強大な力で握られたかのようにがっちりと固定されて動かないレヴァンティン。自らの愛剣を手放すことも出来ず、さらには闇の書と酷似した紫天の書を前にしてシグナムは冷静さを失っていた。

 そこに、追い打ちを掛けるように紫天の書は濃い紫の色に輝くと、環状の拘束魔法を四発。すさまじい勢いで飛ばす。その飛来速度はまさに疾風のごとく。フェイトやレヴィの速度をもってしても避けるのは困難だと思えるほどだ。そんな勢いのある魔法を、近距離で放たれてはシグナムと言えども避けることは不可能。

 シグナムの四肢に紫に輝くバインドが巻きつき、彼女を十字架に貼り付けにするかのような姿勢に拘束する。あっという間の出来事であり、他のヴォルケンリッターが援護に駆け付ける暇すらなかった。

 

"ディアーチェ今です!!"

 

「っすまぬ、ユーリ。そして、烈火の将よ、うぬに恨みなどはないが、ここで沈んでくれ。インフェルノ!!」

 

 ユーリが作り出してくれた絶好の機会。ディアーチェは感情を振り払うかのようにエルシニアクロイツ、十字杖を振り降ろすと天から無数の隕石のような魔力弾が降り注いでいく。秘められた一発、一発の威力はとんでもなく高く。シグナムと言えども直撃すれば立ち上がれまい。

 

「ぐっ、私としたことが……!!」

 

「いま助けます、シグナム」

 

「次から、次へと、アロン――」

 

「くそ……させねぇ、テートリヒシュラーク!!」

 

「ぬぅっ!」

 

 どうしようもなく、万事休すかと思われたシグナムの窮地を救ったのは湖の騎士シャマルだ。旅の鏡でシグナムの隣に転移すると、四肢を拘束するバインドの術式に干渉して破壊。間一髪のところでシグナムを抱えて安全圏まで、再び旅の鏡で転移する。

 千歳一隅の機会を潰されてはならないとディアーチェも転移して隙だらけなシャマルごと二人の騎士を砲撃魔法で潰そうとするが、飛来してきた鉄球によって邪魔され、防ぐためにシールドを展開するしかない。忌々しげに鉄球の飛んできた方向を見やれば、ヴィータが迷いを秘めた瞳でディアーチェを見つめていた。

 ここにきて事態はこう着状態となった。さすがはヴォルケンリッターだとディアーチェは称賛するしかない。一人一人の一騎当千と謳われた技量も凄まじいが、何よりも個々の連携が抜群で、致命的な隙をフォローするのが巧い。戦い慣れている。

 一見すると互角か、有利に戦えているように見えるディアーチェ。だが、ロストロギアと謳われる馬鹿魔力で圧倒しているからにすぎず、隙を見せればシグナムの紫電一閃を受けた時のように、一撃で落とされる可能性もある。油断はできない。

 

 いや、ディアーチェが本気をだせばあっという間に決着はつく。だが、それは加減のできない恐ろしいチカラだ。間違いなく魔法生命体の守護騎士を一度殺してしまうだろう。目的を果たす為なら、最初から本気を出せと思うかもしれないが、相手は家族なのだ。

 たとえ、この世界の八神はやての家族だとしても、姿がよく似た別人だとしても、家族を誰よりも大切にしていたディアーチェに守護騎士を殺すという選択ができるはずもない。残酷な王になると決意しても、心のどこかで躊躇してしまうのは仕方ないのかもしれない。

 

 そして、それは圧倒的な存在感と威圧感を放っている王と対峙したヴォルケンリッターも同じことだった。突如として張られた結界。現れた強大な魔力の発生源。主と、鍋パーティーをしているアリサ、すずかという二人の御友人を護るべく。あわよくば巨大な魔力を蒐集しようと駆け付けたが、眼前に立ちふさがる相手は主はやてと瓜二つの少女なのだ。

 ヴィータ、シャマルは言わずもなが。仲間を助けるためとはいえ切り込んだシグナム。普段は冷静なザフィーラでさえも内心、困惑の色を隠せていない。魔力の波動もどこか似ていて、威圧的な姿の裏に隠れた、時折見せる悲しげな表情がどうしても、主はやてとだぶってしまう。

 

「……貴女は、何者なのだ?」

 

 代表してシグナムが、一歩前に進み出てディアーチェに問いかける。レヴァンティンは構えられておらず、いますぐ斬りかかるという意思は見せない。しかし、納刀はせず、いつでも攻撃に対処できるようにしていた。

 ディアーチェは感極まったように瞳を潤わせると、片手で顔を覆う。やっぱりどんなに決意しても、自分は弱い小娘らしい。涙を見られたくなくて顔を覆ったが、何とも情けない王だ。

 ちょっと話しかけられただけで、この様とは。でも、それほどまでに守護騎士に声を掛けられたこと、話したことは嬉しい。何百年ぶりに声を聞いたであろうか? もう、彼女達とすごした記憶なんて遥か遠い昔のことなので、だいぶ薄れてしまっていて、よく思い出せない。

 それでも、ここは心を鬼にしなければならない。拾うべきものと捨てるべきものを見誤ってはならない。重要なのは巻き込んでしまった友達を助け、ついでに自身もはやても救われることなのだ。一時の感傷に惑わされてはいけない。

 十二月二十四日までに何とかしなければ、滅びの運命が訪れてしまうから。管理局だってディアーチェの魔力を嗅ぎつけて、捕縛しようとしているのだ。迷えば最悪の未来に転がり落ちてしまうかもしれない。

 

「頭が高いぞ下郎! 王の御前だ、跪けぃ! と申したいところであるが、あいにくと時間がなくてな。うぬらの持つ闇の書は、我ら紫天に集いし欠片が頂いていく!」

 

 だから、己の感情を振り払った王は、差し伸べられた話し合いの機会を自ら断つ。

 

◇ ◇ ◇

 

「なんで、うぬというやつは無理やり風呂に押しかけてくるのだ!? 我はひとりでゆっくりと湯に浸かりたいと言ったであろうが!!」

 

「えへへ、だって、ゆかりちゃん寂しそうにしてたから放って置けなくて」

 

「ぬぅ……」

 

 それなりに大きな浴場。湯気が立ち上る暖かな湯。それに、浸かろうとするディアーチェは入る前に掛け湯をしようとしていたのだが、突如として乱入してきたなのはに演技するのも忘れて、王さま口調で抗議する。

 対するなのはは、そんな彼女の豹変ともいえるような言葉遣いに身を竦めることもなく、堂々と本心を口にする。あまりに素直でまっすぐな想いをぶつけられては、さすがのディアーチェも言い返すことができない。どうも、ディアーチェはこの少女が苦手だ。

 まだ、羞恥というモノをしらない高町なのはは幼い裸を晒したまま、座り込んでいるディアーチェに近づくと掛け湯の続きをした。ディアーチェの手から桶を奪い取って、優しく湯を身体に浴びせていく。

 次に、桶に溜めた湯の中にボディタオルを浸すと、それをボトルから取り出したボディソープを使って泡ただせた。充分に泡が立ったのを見計らったなのはは、タオルを使って丁寧にディアーチェの身体を洗っていく。

 

「ちょっ、待て……! 誰が身体を洗って良いと許したのだ。それぐらい我は自分でできる……」

 

「いいから、洗わせて。ほら、暴れたりしないの」

 

「うるさい。こ、こんなこと恥ずかし……ひゃん! どこ、洗っておるのだ……くすぐったい。あぁ、そこだめっだって言っておるのにぃ……」

 

 本当にこの娘は御神流の才能がないのかと疑問に思わせるくらい、鮮やかに押さえつけられたディアーチェは隅々まで身体を拭かれていく。タオルの柔らかな感触が、敏感な肌を伝っていき、そのたびに妙なくすぐったさがディアーチェの全身を駆け巡るのだ。

 自分で洗っている時はこんなことないのに、他人に身体を洗われるという恥ずかしいシチュエーションのせいなのか、どうにも感じてしまう。拙いと、このままでは理性が吹っ飛ぶと恐れたディアーチェは、なんとか脱出しようともがいた。

 

「もう、暴れたりするのが悪いんだよ。手元が狂っちゃうんだってば。どうして抵抗するのかな」

 

「阿呆が!! こんなことされたら、誰だって抵抗するわ!!」

 

「ええっ!? アリサちゃんとか、すずかちゃんは一緒に洗いっこするとき平気だよ!?」

 

「うぬらと、我をいっしょにするでない。ええい、貸せ!!」

 

「ふぇ、ふぇえええええ!?」

 

 なのはの手からボディタオルを奪い取ったディアーチェは、先ほどのお返しとばかりになのはの身体を洗っていく。

 思わぬ反撃にたじろいだなのはは、入れ替わるように立ち位置を変えられ、ディアーチェに馬乗りにされる。されるがままに身体を洗われ、泡だらけになってしまった。

 

「えへへ~~、ゆかりちゃんと洗いっこだぁ~~」

 

「ぐぬぬぬ、おかしい。嫌がらせをしている筈なのに、何故(なにゆえ)嬉しそうなのだ? この妙に漂う敗北感、なんたる屈辱っ……」

 

 無理やりに身体を押さえつけられ、がむしゃらにボディタオルで拭かれているのに、なのははとても嬉しそうだ。これでは恥ずかしがっていたディアーチェが馬鹿らしいではないか。もはや、一緒に風呂に入ることに疑問が無くなってしまうからくらい、王は呆れてしまった。

 まとわりついた泡を流すために、組み敷いていたなのはを解放すると、一緒に浴びるようにして肩から湯を掛けあう。冬場はとても寒く、冷え切った身体に暖かな湯が染みて心地いい。

 そのまま、風呂場に張られた湯に浸かるなのはとディアーチェ。

 

「はぁ~~、いい湯。あったかい」

 

「くはぁ~~!! この快感! 誰の手も借りずに一人で風呂に入れるのは、こんなにも素晴らしいのだな、ふははは!!」

 

「ゆかりちゃん……おやじくさいの」

 

「ほっとけっ!!」

 

 極楽、極楽、風呂場の縁に両手をのせ、枕代わりにして顎をのせる二人。のほほ~んとした何とも言えない穏やかな雰囲気を醸し出していた。

 

「はぁ……」

 

「ん? なのはよ。どうかしたのか?」

 

「あっ、ううん。なんでもないよ」

 

 なのははお風呂効果によって、話しづらい部分に踏み込む為。ディアーチェの入浴する頃合いを見計らって乱入したのだが、意志が強い彼女にしては珍しく決断できずにいた。ここ数日間で、ディアーチェの様子がおかしく、心配になってどうしたのかと聞いてみたい。けれど、そうしたら彼女が何処かとても遠い所に行ってしまうような気がして踏み込めないのだ。

 写真。ディアーチェは決して見せようとしないので、覗きこむのを遠慮していた。それを、見るようになってからディアーチェは不安げで、寂しそうで、心配でたまらないといった様子を時折のぞかせる様になる。士郎や桃子が気を利かせて、楽しい話題で雨のような彼女の心を紛らわせても、消えることはない表情。

 

 それほどまでに深刻なのだろうか? だから、なのはは力になってあげたいと想いを抱くが、嫌な予感がして踏み込めない。

 

「それじゃあ、次は髪を手入れしてあげる!!」

 

「くっ、どうしてもやるというのかっ!?」

 

「とーぜんだよ。大丈夫、アリサちゃんにしこまれたから、洗髪は得意なの」

 

 結局、その日も話しかけることはできず、なのはは問題を先送りにしてしまう。

 それが、間違いだったのだろうか?

 

◇ ◇ ◇

 

 朦朧とする意識。冷たい夜風が頬を撫でる。

 なのははかすむ視界で景色を見て、ぼんやりとした思考で状況を整理する。

 目につくのは、なのはの勉強机やゆかりと名乗る居候の女の子と一緒に寝ていたベット。風で舞い踊る部屋のカーテン。

 手にはレイジングハートが強く握りしめられていて、頼りになる相棒が呼びかける様に強く発光していた。着込んでいるのは、お気に入りのパジャマ。

 思い出す。何があったのかを、どうして自分の部屋らしきところで倒れ伏しているのかを。確か、あれは。

 

――ねぇ、ゆかりちゃん。さいきんどうかし……

 

――すまぬ、なのは。お前と過ごした日々、高町家の世話になる日常は決して嫌いではなかった。とても、居心地が良くて、いつまでもこうしていたいと思うくらいに……

 

――えっ?

 

――だが、いつまでもこうしてはおれぬ。いずれ誰にとっても不幸な結末を迎えてしまう。

 

 ゆかりが何かを言っているのか、なのはには分からなかった。いや、分かりたくなかった。まるで別れみたいな台詞。どこかへ去ってしまううじゃないかと思わせるような口ぶり。

 手を伸ばす。彼女が消えてしまわないように、その手を掴み取ろうとする。だけど。

 

――なのは、ここで眠っていておくれ。今日までの事は夢。泡沫の夢だ。なに、目覚めたらいつもどおりの日常が待っておる。安心するがいい。

 

――違うよ、いつもどおりじゃない。そこにはゆかりちゃんが……!!

 

――マスター!!

 

――ッ!

 

――さらばだ。高町なのは。

 

 ゆかりから伸ばされた手が、なのはの胸に押し当てられた瞬間。胸に鋭い痛みが走り、意識が遠のいていく。この痛みをなのはは知っていた。魔力ダメージによるものだ。全身が弛緩していき、力が抜けていく。

 ゆかりちゃんがいないよ。あなたがいない日常なんて、いつもの日と違う。そう言おうとした言葉は喉から出かかって、声にされる事無く消えていく。

 霞んでいく視界のなかで、ゆかりは悲しげな顔でなのはを見下ろしていて、うっすらと頬から一筋の涙を流していた。半年前まで泣きそうな瞳をしていたフェイトと同じ瞳。ううん、それ以上に深い悲しみを秘めているんだと、なのはは理解する。

 嗚呼、いままで浮かべていた笑顔はきっと嘘で、本当なんだと。無理していたんだろう。何か辛いことを我慢していたんだろう。もっと早く気が付いて踏み込んであげればよかったのだ。失ってしまいたくないと躊躇した結果が、この様か。

 部屋の窓から夜空へと、背に黒い六枚の翼を広げて飛び去って行く親友の姿に震える腕を伸ばすことしかできず、そこでなのはの意識は途絶えた。

 

 困った時は人に相談すればいいと学校では教わった。なら、相談する人がいなければ? 相談する勇気がなくて、他人を巻き込みたくないと恐れている子はどうすればいい?

 待っているだけではだめなのだ。なのはの両親も、兄妹も、なのは自身でさえもゆかりの心に踏み込もうとしなかった。それは彼女を思いやってのこと。向こうから悩みを話してくれるまで、時間を掛けて心の傷を癒し、辛いこと嫌なことを忘れさせようとする配慮。

 それがいけなかった。きっと彼女は誰も巻き込まず、一人で解決しようとする。現に何かをしようとしていて、なのはを巻き込むまいと気絶させたのがその証拠。

 相談もできずに一人で全部抱え込んで、思い悩むというのなら、光に気が付くように、こちちから手を差し伸べよう。手を差し伸べても無駄だというのなら、無理やりにでも捕まえて、たまった鬱憤を吐きださせる。きっとそれくらいしないと、ゆかりを助けるなんて到底無理な話。

 

 まったく、自分らしくないとなのはは朦朧とする意識を振り払いながら思った。フェイトを助けた時のようにぶつかり合って、いっぱいお話して、それから想いを分かち合わなければ、泣いている子を助けるなんてできないのに。

 ふら付きながらも立ち上がると、全身をくまなく動かしていく。受けた魔力ダメージによって、どれくらい身体が動かせないのか確認する為。少々手足がしびれて、気怠さも感じるが一戦やらかすには問題ないと判断。

 

「レイジングハート。さっきは咄嗟に護ってくれてありがと。おかげで寝過ごさなくて済んだの」

 

『マスターを危険から守るのは当然のことです。本当なら安静にしていてほしいのですが、言っても聞かないんでしょう?』

 

「うん、家出した駄々っ子さんを捕まえて、叱ってあげないといけないの。気付いてあげられなかった私も悪いけど、あまりの身勝手さにちょっとカチンと来たかなって。それで……」

 

『皆まで言わずとも分かっています。全力でサポートしますから思う存分やってください』

 

 まったく、このインテリジェントデバイスは自分にはもったいないくらいできた子だ。いままで散々無茶をしてきて、その度にレイジングハートは付き合ってくれた。常に共にあって支えてくれる。それが嬉しくて笑ってしまうのも無理はない。

 なら、なのはにできることは全力で期待に応えること。わがまま言った分、自分の意思を貫き通し目的をやり遂げることだ。不屈の心と共に。

 屈伸、手足のストレッチ、首回し、準備運動を欠かさず行い戦闘に備えたなのはは告げる。自分自身を変える魔法の言葉を。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

 

 瞬間、なのはの部屋を桃色の爆光が包んだ。着ていたパジャマは粒子となって還元され、黒いインナーが素肌を包んでいく。その上に私立聖祥小学校の制服を模した防護服が構成されていき、解かれていた髪はフェイトの黒いリボンによって、いつものツインテールに纏められた。

 紅き宝玉は姿を変え、主の力を最大限に発揮する杖となる。

 それを、バトンのように左手で回転させたなのはは、最後に感触を確かめるように、二度、三度、杖を振るう。絶好調とは言い難いが、悪くはない感じだ。

 瞳を閉じて意識を集中させ、追いかけるべき存在の魔力を感じる。周囲の状況を探っていき、海鳴がどのような状況に陥っているのか把握していく。

 ここから、そう遠くないところで感じる巨大な魔力。自分など矮小で取るに足らないと思えるほどの、ロストロギアだと間違えてしまうくらいの存在の波動を感じる。傍に異なる四つの魔力。少なくとも五人の魔導師がいるのだろうか。

 その巨大な魔力はゆかりから微弱に感じていた魔力に似ている。恐らく、というか確実にゆかりはそこにいる。

 展開されている結界は誰のものか知らないが、都合がいい。思う存分、魔法の力を振るえるから。

 ゆかりは、まだ、追いかければ間に合う位置にいる。

 

「行こう、レイジングハート」

 

『Flier Fin』

 

 なのはの履いた白い靴から桃色の天使の羽根が形成され、彼女の身体を宙に浮かす。そのまま窓から飛び出すと、なかなかの加速度で戦闘の中心域に向かう。フェイト程ではないが、なのはの飛行も充分に速い。

 表情は引き締まり、鋭い視線は先を見据えたまま動かない。けれど、なのはは知らない。真っ直ぐに突き進む己に立ちふさがる存在がいることに。

 

◇ ◇ ◇

 

「来たわね。良い子はお寝んねしてればいいのに、どうして厄介事に首を突っ込むのかしら?」

 

『不退転、不屈、絶対意志』

 

「そうね。そういう子だったわ。あの子はやると決めたら退かないんだから。シュテルと同じでほんとにバカ。まあ、そこが良い所でもあるんでしょうけど」

 

 紅火丸と喋りながら、アスカはビルの屋上からフェンスの上に腰かけて、海鳴市を一望できる場所にいた。

 見渡す限りの夜景は美しいが、結界のせいで活気がなく、見ていてつまらない。退屈しのぎにもならなくて暇をしていた所だ。もっとも、できれば暇のままでいたかったのも本音である。アスカが動かなければならない時は、嫌な役目をしないといけないから。

 アスカの視線の先にあるのは、なのはの武家屋敷のような家がある場所だ。先程、そこから桃色の光が煌めいたのを遠目からでも確認できた。発生した魔力はアスカよりも大きく、それだけ強力な魔導師という事だ。

 懐かしいシュテルに似た魔力波動が、徐々に接近していることを感じ取って、アスカも動き出す。フェンスから飛び降り屋上のタイルに突き刺していた紅火丸を引き抜くと躊躇いもなくビルから飛び降りた。

 アスカの役目は高町なのはの足止め。二週間とはいえ、一緒に過ごした少女が相手ではディアーチェも本気で戦えない。情が移ってしまったのだ。だから、アスカはそれを見越して自ら足止め役を買って出た。

 レヴィでも、ナハトでも、きっとなのは相手に戦うのは辛いだろう。それに、彼女たちにしかできない役割がある。この戦いの本命はそっちなのだ。だから、必然的にアスカにお鉢が回ってくるのも致し方ない。

 高町なのははイレギュラーに成り得る存在。絶対的な存在である王を打ち倒す可能性がある。ならば、どんな手を使ってでもディアーチェ元にたどり着かせてはならない。そう、たとえばアリサ・バニングスのように振る舞って、戸惑い油断させるのも、厭わない。

 だが、全力で戦ってみたいというのも事実。せっかく魔法という同じ土俵に立てたのだから競い合ってみたいという想いもあった。色々と好都合。ずっと引きこもっていて話せなかったのだ。この世界の親友と話してみたいとも思う。

 ようは足止めできればいい。戦いにしろ。話し合いにしろ。その場に釘づけることができればアスカの勝ちだ。

 

 背から燃え盛るように炎の翼が噴き出して、落ち行くアスカの身体を浮かび上がらせた。

 

「ちょっと挨拶しに行くわよ、紅火丸」

 

『承知』

 

 火の鳥は夜空を舞う。不屈の星を阻むために。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。