リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
シュテルははやてを抱えて逃げていた。結界によって薄暗くなった街並みを駆け抜け、記憶の中にある不破の屋敷。すなわち自らの家へと急行する。
襲撃者は突然現れた。はやての新しい友達と親睦を深め合う鍋パーティーを大好きな守護騎士、優しい友達、心を寄せるはやてと共に楽しんでいたのに。守護騎士が慌てた様子で薄暗くなった外の様子を見に行くといった時からおかしくなった。
不安そうな自分たちを安心させるように微笑んだ守護騎士の皆は、心配いらないと言って出かけてしまう。その際、姉としてシュテルの面倒をよく見てくれたヴィータにはやてのことを任され、シュテルも力強く頷く。はやてのことは無性に護りたいから。
やがて、カードゲームや話をしながら気分転換をして守護騎士を待っていた少女たちを襲った存在が現れる。蒼い毛並みが美しい狼だ。
シュテルの大事な友達になったアリサは狼のことを知っていた様子で、驚きを隠せないようだったが、すずかと共にバインドでがらん締めにされてしまった。
狼は念話で大人しくしてほしい。はやてを渡してこちらに戻っておいでと諭してきたが、ヴィータにはやてを任された以上、はいそうですかと従うこともなく。何より大事な友達を傷つけられたとあっては黙っていられない。
シュテルは記憶にある禁じ手を使うことにした。
すなわち不破流武術・体術弐。通称猿落としと呼ばれる蹴り技だ。
相手を蹴り、脚を突き立てたまま反転。すなわち蹴り上げたまま一回転して相手を背中から叩き付けるという、九歳の子供にしてはとんでもない技で狼を叩きのめした。これにはさすがの狼も参ったらしく、というか攻撃される事すら想定外だったようで何の反撃も出来ぬまま受けた衝撃で身悶えしていたをセイは覚えている。
本来なら一回転して頭から叩き付けるという殺人術。相手を確実に即死させるための体術だったのだが、シュテルがそれをしなかったのは命を奪う事を恐れたからだ。記憶の奥底に眠る雨の日の悪夢があるかぎりシュテルはどんなに変わっても一線を越えることはしない。
すずかとアリサは諦めるしかなかった。それだけがシュテルの心残りだ。二人とも初対面なのに記憶を失ったシュテルのことを本当の友達みたいに接してくれて、いっぱい優しくしてくれたのに。でも、シュテルの身体では子供一人を抱えるだけで精一杯だったのだ。不思議な光の拘束輪を外せないというのもあった。
ともかく、シュテルは狼が怯んだ隙に混乱するはやてを連れ出して、こうして海鳴の街を駆け抜けているわけである。
海鳴の外の街は賑やかで活気があった頃はとは別世界に変貌しているのが二人を驚かせた。不気味なまでに人の気配がなく、騒ぎを聞きつけた大人がやってくる様子もなかった。携帯は圏外で通じない。遠くの方でいくつもの光が瞬いたかと思うと大きなビルを崩落させてしまう恐ろしい光景。さらに遠くではいくつもの爆音が響いてきて戦場にでも迷い込んだかのような錯覚を覚えてしまう。
仕方なくシュテルは回り道をして比較的に安全なルートを通ることにした。
「セイちゃん。やっぱり外は危険だよ。大人しく家で待ってた方がいいかもしれない。狼よりはマシや。それに、アリサちゃんとすずかちゃんが心配でたまらない」
「やっ」
「どうしてあかんの?」
「アリサとすずかは心配いらない。あの狼はセイたちを狙ってるから。セイ、ヴィータお姉ちゃんに任されたの。はやてを護ってほしいって。はやてに何かあったらセイは顔向けできなくなる。それにすずかとアリサは絶対に助ける。約束する」
「セイちゃん……」
はやての悲しそうな疑問の声にシュテルは淡々と答えていく。自分と同じくらいの子供一人を抱きかかえて走り続けているというのに、息ひとつ乱れていない。同年代の子供と比べても一際凌駕した体力を持っているようだ。
それに、はやてと出会った頃に比べてシュテルは幾分か饒舌になっている。これは二週間の間に色んな人と接してきた影響だろう。他者とのコミュニケーションと暖かな家庭環境がシュテルの心の成長を促した。
ヴィータに連れられて近所の老人会に顔を出した。柔和なお爺さんやお婆さんにいたく気に入られて、可愛がられたシュテルはゲートボールを教わってのめり込んだ。今では誰かに教わった気がする盆栽と並んでシュテルの趣味のひとつだ。次はぜひともバックスピンを披露してみたい。デパートに来ては色んなアイスクリームの味を買いあさって楽しんだし、ヴィータがおこずかいで買ってくれたのろいうさぎの髪留めはシュテルの宝物だ。
シグナムには師範代をやっている剣道場にこそ連れて言って貰えなかったものの、何処からか手に入れてきた囲碁や将棋といった盤上の遊びをしてもらった。八神一家最強の打ち手であるシャマル。その道に立ち塞がるザフィーラを打倒すべくシグナムと日々切磋琢磨するくらいには仲が良い。相変わらずシュテルのことを少しだけ疑いの目で見ることもあるけれど、何処か厳しかった父の面影を彼女に見た気がしてシュテルはシグナムに懐いていた。
シャマルとは一緒に料理ダメダメ同盟として八神家の皆に恐れられたコンビだ。妙な隠し味を使って独創的な料理を作るシャマルと何故か全力全開で料理を作ろうとして灰燼にしてしまうシュテル。二人は涙を呑んで特訓の日々を送っている。いつか皆を見返してやる為に。もっともお菓子作りは綺麗にできるのでシュテルが一歩リードか?
ザフィーラは寡黙だけど他の守護騎士が蒐集に出掛けていて、はやても病院でいないときに傍に居てくれた。屈強な大男だったザフィーラを見るたびにシュテルの悪夢がよみがえって苦手だったが、献身的な彼の姿に兄の面影を見た気がして、次第に慣れていく。今では狼形態で散歩に出かける彼の背中に乗せて貰って海鳴臨海公園まで行くのがシュテルの楽しみ。恐ろしい雨の日にずっとあやしてくれたから彼のことも大好きだ。
アリサとすずかは初対面の筈だが、妙にシュテルに優しくしてくれて、記憶喪失だという自分を今度は家に招待してくれるらしい。彼女たちはシュテルの記憶にある『アリサ』と『すずか』とは違う気がしたが、大切な友人であることに変わりはない。何せ、シュテルの初めての親友になってくれたのだから。だからこそ助けられなかったのが悔しくて、はやてを優先する事しかできない自分が情けなかった。必ずや助けると心に誓う。
そして、腕の中に抱えた八神はやて。彼女は見ず知らずの自分を救ってくれて、家族の温もりを与えてくれて、シュテルの欲しかったモノをくれた大切な人だ。守護騎士が護ろうとするのも分かる気がする。シュテルも、この子を全力で守ってあげたい。
「ごめんなぁ。わたしが足手まといだったばっかりに。せめてこの足が動かせればいいんだけど」
「ん、はやてが気にする事じゃない。優しくしてくれたはやてを守りたいのはみんな同じ。今はいないけれど、きっとヴィータお姉ちゃんたちも異変を解決しようと頑張ってる。だから、それまではセイがはやてを守る。安心して?」
「ほんまありがとセイちゃん」
「……心がほぅってなった。これが嬉しいってことなのかな」
「あはは、きっとセイちゃんが思うならそうやね。次は苦手だった笑顔ができるといいやね」
「えがお、微笑み、笑う事……こう?」
そう言ってシュテルが浮かべる笑顔は無表情な顔付きで頬が引きつった不気味な笑みだ。表情筋に力を入れすぎて頬がひくつく笑みは、何と言うか怒りを笑顔で隠しきれない人間が浮かべるソレに近い。
「……あはは、今度一緒に練習しようなセイちゃん」
「難しい。でも努力する。うん、頑張る」
――オオオオォォォォォォォ!!
ふと耳に聞こえてきた狼の遠吠えにシュテルは身体をビクつかせる。はやてには聞こえないがシュテルの鍛えられた聴力や警戒心には届くように、絶妙なさじ加減で発された叫び。律儀ながら相手に追いかけるよと伝える意味でもあるし、相手の恐怖を煽って追いつめるための算段でもある。
シュテルは走る速度を少しずつ速めながら、遠吠えから逃げるようにして路地を駆けた。今の街は危険がいっぱいだが人目を避けるように動けば少なくとも、あの狼以外は追ってこないはずだ。
「セイちゃんどうかした? 顔色が悪いよ?」
「何でもない。これから不破の屋敷にいく。そこに家族だけしか知らない隠し部屋があるから。隠れてれば屋敷ごと壊されない限り安全だと思う」
「不破のお屋敷……」
「ん、セイのお家。本当は帰りたくないけどあそこしか頼れる場所がない」
「セイちゃん。もしかして記憶が戻ったの?」
「分からない。これがわたしの記憶なのか、誰かの記憶なのか。でも、はやて達と過ごしてから、ほんの少しだけど自分のこと思い出せた気がする。わたしの住んでた場所、家族のこと、友達のこと。身に染みついた戦い方。今はそれを頼るしかない」
シュテルは決意に満ちた眼差しではやてを見つめると、さらに駆ける速度をあげる。その横顔をはやてが心配そうに見つめていた。
◇ ◇ ◇
ナハトは海鳴臨海公園にたどり着くと連れてきたアリサとすずかをベンチに寝かせて、強力な防護結界を張る。非殺傷とはいえ魔法が飛び交っているのだ。防護服も展開できない二人に流れ弾が直撃したらと思うとぞっとする。目の届く場所に置いておいて巻き込まれないように配慮するのが一番だ。本当なら安全な場所へと。結界の外へと送り出してやればよかったのだが、管理局に人質にされたらと思うと怖くてできない選択だった。管理局もそんな卑劣な真似はしないだろう。けれど、殺された経験のあるナハトは局員を疑ってしまう。当然のことだった。
アリサは深い眠りに付いたかのように動かない。ナハトが夜の一族特有の暗示で強制的に夢の世界に送ったからだ。一族の紅い瞳は純血種であればあるほど強力な暗示を掛けることができる。人の記憶を書き換えることも、負担は掛かるができるだろう。
それでも、同じ存在であるすずかだけは抵抗を示しており、いまだに眠りに付くこともせず意識を保っていた。暗示を掛けようと見つめるナハトと抵抗しようと気を抜けず、瞳を逸らすことも出来ないすずか。両者の力はナハトに軍配が上がるだろう。逃避しながらも一族の力を受け入れたナハト。いまだに一族の力から逃げ続けるすずか。この決定的な差が拮抗する能力を崩した。
「くっ、だめ、意識が……遠のく、はぁはぁ……」
「いい加減に諦めて、暗示を受け入れた方が良いと思うよ? これは悪い夢なんだから。覚めたら元通りになる夢」
「誰が……あなたの言うこと、聞くと思う? アリサちゃんを、はやてちゃんを、セイちゃんを傷つけようとするあなたの、言葉なんて、信じられるもんか……!!」
「はぁ、レヴィちゃんもディアちゃんも、もう一人の自分のこと嫌悪してるけど。わたしもなのかな。随分と嫌われてるみたい。同族嫌悪? そんなに狼の耳と尻尾、忌々しい紅い瞳を持った私自身が嫌いなのかな? わたし?」
「分かって、る……くせに、きかない、で……」
「まあ、そうだよね。私も化け物の自分が嫌いだもの。人間として皆と一緒にいたいもの。でも、もう一人のわたしからすれば私は充分、化け物に見えるってことかな……そろそろ、眠ってね? 私、あなたに構ってあげるほど暇じゃないから」
「っ……ごめ、ん……アリ、サちゃん……」
それだけ言い残すと糸の切れた人形のようにすずかは倒れ伏し、ナハトはその身体を優しく受け止めた。アリサの寝込んでいる隣に彼女を寝かせてやると、その手をそっとアリサの手に置いてやる。こうすれば目覚めた時不安になる事もないだろう。
あとは逃げ出したセイとはやてを追いかけて捕まえるだけだ。
しかし、ナハトは驚きを隠せないでいた。まさか、あのシュテルが本気で自分に体術を振るうとは思っていなかったから。想定外の奇襲によって防ぐことも叶わずまともに猿おとしを喰らってしまうなんて一生の不覚である。記憶を失っても、何処か自分たちのことを本能的に受け入れ、思い出せると勘違いしていたナハトが悪いのだがショックは隠せない。
幸いにも無意識に加減してくれたおかげで致命傷とならずに済んだが、殺人術として振るわれていればナハトの首の骨が折れていた。そうなればしばらく活動停止するのもやむ得なかっただろう。
ナハトは硬くなった筋肉をほぐすかのように準備運動すると、魔法を使わずに最速で追いかける為、狼の姿に変身する。そして大きな遠吠えをひとつ。ある程度、警戒して怯えてくれた方が気配は読みやすいからだ。案の定、懐かしいシュテルの気配に恐怖の臭いが混じった。激しい運動をして掻いた汗の中に、別の臭いが混じったから読みやすい。人が恐れた時に浮かべる冷や汗がでたのだろう。狼の鋭い嗅覚を持つナハトには容易に捉えることができる。
怖い思いをさせて可哀想だが、優先順位はディアーチェを助けることだ。あの日、皆で誓ったこと。そのためにも手段は選ばない。
シュテルの失った記憶はディアーチェが流し込んでやれば元に戻る。荒療治でシュテルに大変な苦痛をもたらすが、どうしてもシュテルの力が必要なのだ。ディアーチェの復活の儀式を護る戦力は多いに越したことはない。何かアクシデントが起きた時もシュテルなら対応できるだろう。
できることなら、そのまま平和なひと時を過ごして貰いたかったが、運命とやらはそれすら許さない。何せ滅びのタイムリミットは止まってなどいないから。シュテルも無関係ではいられないのだ。
「さてと、逃げた子を急いで捕まえなくちゃね」
蒼い狼が海鳴の大地を疾走して駆け抜けた。
◇ ◇ ◇
狙われている。背後から迫りくる獲物を狙う視線。それを感じてシュテルは身震いした。記憶にある不破の修行の時、姉と山籠もりさせられて、山犬が狙ってきた時のような。それと同じ視線だ。耳に聞こえてくるのは硬い爪がコンクリートの大地を蹴る音。断続的に響くそれは凄まじく早い。このままではあっという間に追いつかれてしまう。
狼と人とでは走る速度が圧倒的に違う。
何よりもシュテルは自分と同じくらいの体躯を持った女の子一人を抱えているのだ。どんなに頑張っても、必死に気力を絞り出して限界まで走る速度を上げようとも逃げ切れないのは目に見えていた。
シュテルがどうすればいいのかと考える暇もなく、蒼き狼は家々の塀を飛び越え、屋根を伝い、電信柱やありとあらゆる壁を蹴ってシュテル達の眼前へと回り込んだ。
敵意もなく、獲物を狩るような害意もない瞳でシュテルを見つめてくる狼。ナハト。
まただ、どうしてなのか知らないがナハトはシュテルとはやてに対して穏やかな瞳をする。あれほどシュテルが全力を持って彼女を叩きのめしたというのに。いつもと変わらない調子で接して来るのだ。普通の相手なら怒りを露わにするのだが。
シュテルがナハトの態度に戸惑い、腕の中のはやてを渡すまいとギュッと守るべき少女を抱いて警戒していると、ナハトが口を開いた。
「ねぇ、シュテルちゃん。まだ思い出せないの? 私たちが誰なのか? どうしてはやてちゃんを必要としてるのか?」
「どんな理由があってもはやては渡さない。セイはヴィータお姉ちゃんと約束したの。はやてを守るって。それにアリサやすずかを傷つけるような輩、セイは信用できない」
「じゃあ、この姿なら信用できる?」
「えっ……?」
そう言ってナハトは身体を蒼い光で包み込むと見る見るうちに人型へと変身する。その姿はすずかとまったく同じ。狼の耳と尻尾が生えていなければ瓜二つといっても過言ではない姿だった。
相手の予想外の正体にシュテルは狼狽えて言葉が出ない。どうして狼はすずかと同じ姿をしているのか、自分は知らずの内に友達を傷つけ殺めてしまいそうになっていたのかと混乱する。
そんなシュテルに変わってナハトに話しかけたのは妙に落ち着いたはやてだった。
「なぁ、あなたのことはなんて呼べばいいんかな?」
「『すずか』じゃ紛らわしいからね。私のことはナハトって呼んで」
「じゃあ、ナハトちゃん。どうしてわたし達を狙ってるのか? アリサちゃんとすずかちゃんはどうしてるのか? この街の惨状は何なのか? できれば教えてほしいんやけど、ダメかな?」
「うん、いいよ」
やけにあっさりと了承するナハト。
その裏には正直に答えることで信頼を得ようとする打算があった。別に隠していてもメリットなどひとつもないし、むしろ自分たちマテリアルが置かれている状況を説明すれば、優しいはやてなら救おうと協力してくれるかもしれない。そうすれば、力ずくで身柄を奪うなどという面倒くさいこともしなくて済む。
「まず、アリサちゃんとすずかの身柄だけど安心して良いよ? 今は安全な場所で大人しく眠って貰ってる」
「良かった~~。ほんまに良かったよ――」
初めてできた二人の友人。明らかに自分のせいで巻き込んでしまったと考え、心が不安でいっぱいだったはやて。
安堵させるような優しい表情と声で語りかけたナハトの言葉に、感極まったように大きく息を吐いた。
しかし、混乱していたシュテルは落ち着きを取り戻すと警戒心を剥き出しにしてナハトを睨む。彼女が語る言葉が真実だという保証は何処にもない。騙して油断させようという罠なのかもしれない。そう思うと、いまいち信用できなかった。
ただ、心の奥底がどうしてかずきりと痛む。シュテルにはそれが何なのか分からない。
「……二つ目は、この惨状を起こしたのは私たち。貴女の、はやての身柄を確保するために起こしたの。もちろん、あまり無関係な人は巻き込みたくないから。結界で街を隔離させてもらった。ここは元いた海鳴市とは違う空間だよ。だから、いくら暴れても問題ない」
ナハトはそんなシュテルの心情を察しながらも、話を続けた。管理局の陽動をしていられる時間は限られる。王の膨大な魔力を隠れ蓑にしているとはいえ、ナハトの存在をいつ察知して来るのかも分からない。話は手短に済ませる方が良い。
記憶を失えば築き上げた友情は脆くも崩れ去るのかと、悲しくなる己の心は殺すことで隠した。誘拐に来たのがレヴィじゃなくてよかったと思う。こんな態度でシュテルに接されたら、あの子は泣くことを止められなかっただろう。家族のように、恋人のように仲の良かった二人だから。
「……どうして私のことが必要なの」
悲しそうに面を伏せるナハトに戸惑いながら。はやては問う。何故、こんな大規模な事件を起こしてまで自分の身を必要とするのか。
ナハトは少しの間迷っていたようだが、決心したように顔をあげると正直に答えようとした。はやてのことを必要とするその理由を。
「あのね、私たちと、はやてちゃんのことを……」
「何をもたもたしておるのだ? ナハトよ。そんな悠長なことせずとも有無を言わさず連れ去ってしまわぬか」
「ディアちゃん……?」
「あっ、わた、し……?」
しかし、ナハトの言葉は途中で遮られてしまう。
彼女の傍らに降り立ったディアーチェが強い口調で咎めたのだ。
陽動に当たっている筈の彼女がどうしてここにいるのかと言う疑問でナハトは戸惑い。はやては自分を鋭い視線で睨み付けてくる瓜二つの少女に怯え。シュテルに至っては凍り付いたかのように固まって動けない。
ディアーチェは腕にうずくまるレヴィを抱きかかえていた。レヴィは虚ろな表情をしていて、ごめんなさいと小さな声でうわ言のように呟いている。そんな彼女を労わる様に慰める王。どれだけ水色の少女を大事にしているのか端から見ても分かるほど。愛おしそうに優しい手つきでレヴィの頬を撫でた。
王の背には闇色に輝く六枚の黒翼ではなく、波打つような黒く禍々しく光り輝く翼が生えていて。そこから圧倒的な力が漏れている。魔導師として完全に覚醒していないはやてでも感じられるほどの圧倒的な威圧感。魄翼と呼ばれるユーリから借り受けたチカラ。
「ディアちゃん。管理局との戦いは?」
「烏合の衆を蹴散らすなど造作もない。だが、若い少年の指揮官は優秀なようでな。勝てぬと見てあっさりと部隊を引き下げおった。向かってきたなのは達と守護騎士は気絶させてやったが、加減するのに些か苦労したぞ」
「守護騎士を気絶させたって……あんた、私の家族に何したんか!?」
対して苦労していないかのように言うディアーチェ。
それに喰ってかかるのは、家族を傷つけられたことに対して怒ったはやてだ。友達や家族が助かるならば自分はどうなっても構わなかった。けれど、その逆は許せない。家族や友達に何かされたとあっては黙ってなどいられない。相手が自分によく似たディアーチェだったら尚更。
「黙れ……貴様の発言を赦した覚えはない。何も知らぬ小娘が、守護騎士のあやつらが何をして、どんな気持ちだったのか、知ろうともしない童が!! 一丁前の口を利くでないわっ!!」
「っ……」
それを王は一蹴する。ただでさえ恐ろしげな眼光ではやてを射抜いているというのに。凄みを効かせた憤怒の表情ではっきりと、はやてを見据えたディアーチェの眼差しは身が竦むどころでない。知らずとはやては身体を震わせ、押し黙るしかなかった。
たかだか、数年を生きた少女と。数百年とも知れぬ長い時を闇の中でさまよい続けた王とでは、覚悟の差が違う。
「ディアちゃん……」
「ナハトよ。レヴィを頼む。こやつを抱きかかえてやってくれ」
「……うん。分かった」
自分自身に対して憎悪とも取れる感情を見せたディアーチェに、何か思うことがあったのだろう。ナハトは何か口ずさもうとしたが、出て来た言葉はディアーチェの頼みによって塞がれた。
蒼の狼は水色の少女を優しく抱きうけると、ギュッと身を包む。一人ではないと少しでも感じてほしいから。せめてもの慰めだ。
「さて。"シュテルよ。その娘を大人しくこちらに明け渡せ"」
「ぁ……」
シュテルに優しく手を伸ばしたディアーチェが、尊大な口調で"命令"すると。シュテルは呆けたようにゆっくりと歩み出す。マテリアルはディアーチェにとって命よりも大切な親友だ。だから、あまり使いたくはないが、紫天の書の管制制御を担う王のマテリアルは他のマテリアルに対して介入することができる。
普段通りに意識を保っていれば抵抗できる。けれど、記憶を失いマテリアルとしての自覚を欠いたシュテルに逆らう術はない。
シュテルは、腕の中にいる守ると誓った少女を、いとも簡単に手放した。王は差し出されたはやての身柄を担ぐと、労わる様にシュテルの頭を撫でる。そして、預かったはやてを魔法で強制的に眠らせた。これ以上騒がれると目障りだから。
ディアーチェははやてを担ぎながら深く思慮する。シュテルの処遇について。このまま連れて行ってもよいが、この世界にはシュテルの望んだ光景が全てあった。
優しい父の士郎。愛情をたくさん注いでくれる母の桃子。面倒見が良い兄妹の恭也と美由希。思わずディアーチェが、ずっと此処にいたいと願ってしまうくらいに、暖かな家庭が高町家にはあったのだ。
このまま連れて行って良いのだろうか。むしろ、並行世界とはいえ、優しい家族の元に帰すべきではないのか。シュテルはディアーチェと居てたくさん傷ついた。もう休むべきなのだ。自分を助ける為に無茶をして、そのせいで記憶を無くすくらいに傷ついてしまうなら。こっち側に居ない方が良いだろう。
ディアーチェは顔を俯かせながらも決断する。身勝手で押し付けがましい選択だが、こうするほうがきっと……
王は命令を発する。
「シュテル……っ"高町家に居候せよ。迎えに来るまで我らと関わってはならぬ"」
「ぅ……」
「ディアちゃん、それは!!」
ディアーチェの最後に放った命令は、いわば呪いだった。シュテルの行動の自由を奪う呪い。はやてを探し求めようが、記憶を思い出してマテリアルの元へ戻ろうが、命令が彼女の行動を阻害する。関わろうとすればするほど、彼女を頭痛と吐き気が襲い、戒めるだろう。
ナハトもそれが分かっているのか、咎めるように王に対して声を荒げる。しかしディアーチェの浮かべた表情を見て息を呑むしかなかった。
先程まで王の威厳を保っていた少女は泣いていたのだから。瞳からいくつもの滴が流れ落ちては防護服を、コンクリートの大地を濡らしていく。
「ごめんねシュテル。わたし、なんどもあなたを傷つけた……家族と仲直りする機会も、記憶を失くしたのもわたしの所為。わたしがシュテルから奪ったようなもんや……せっかく、シュテルが欲しかったモノがあるのに、また失わせたりしたら。今度こそ私は耐えられないと思う……」
ディアーチェとしてではなく。『はやて』として語る、少女の懺悔と慟哭。赦しを乞うつもりはないけれど。せめて、一言。分かれる前に謝っておきたかった。
「だから、ここでしばらくお別れな……」
「あっ……や、だ……いかないで、はやて……」
「そんな、不安そうな顔しなくても、大丈夫だから。士郎さんも、桃子さんも良い人や」
「っえ、ぐ……うぇ……はや、て……」
はやて、はやてと呟きながら近寄るシュテル。彼女の呼ぶはやてとは八神はやてなのか、それとも八神『はやて』なのか分からない。
自らディアーチに歩み寄ったことで、さっそく制約が発動したのか。シュテルは吐きだしそうになるのを何度も堪えてはやての名を健気に呼ぶ。
自分の行ったこととはいえ、目も当てられない様子にディアーチェは目を背けると。少しずつ近寄るシュテルから退いた。距離にして五歩分。たったそれだけの距離でも制約の効果でふら付くシュテルには、あまりにも遠すぎた。
「行くぞナハト。もうここには用はない」
「……いいの?」
「構わぬ。それとアスカなのだが、管理局に降るそうだ。前に宣言した何をしようとも咎めず、退きとめはしない。あの言葉を持ち出されてはな。止めようがない」
「アスカちゃんが……?」
「そうだ。敵対する事だけが道ではないと言っていた」
「それが、アスカちゃんの答えなんだね……」
互いに言葉を交えながらもディアーチェとナハトは、シュテルから離れていく。王が命令を解除しないかぎり、シュテルは制約によって苦しみ続ける。なら、いっそのことすぐにでも別れた方が良い。
「――あっ、おーさま……いかないで! おーさま!!」
そんな二人を必死に追いかけるシュテル。躓いて転びそうになって、制約のせいで気持ちが悪くなり、足をもつれさせて盛大に転ぶ。何度も転んで膝をすりむき、手を突いた部分が血を流す。それでも立ち上がって、飛び去る二人を追い縋ろうと走った。
彼女は思い出したのだ。あの日、記憶を失ったときに断ち切れた。心の奥底で繋がる暖かな光の持ち主が誰なのか。ディアーチェが触れることで、その正体を知った。
だから、取り戻そうと追いかける。シュテルの欲しかったモノをくれたはやてを。大好きで堪らない王様を。でも、シュテルが追い付くことは永遠にない。魔法の使い方を忘却した彼女に空を飛ぶ術などないからだ。
(っ……ええい、振り向くなディアーチェ! 置き去りにすると決めた以上、可哀想だと偽善ぶらずに……突き放すの…だ)
(……バイバイ、シュテルちゃん。私はディアちゃんの決めたことに逆らえない。でも、また会おうね)
「おうさまぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少女の慟哭を背に受けながら、紫黒の王と蒼き獣は二人の少女を抱えて何処かへと消えた。