リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●ライバル登場?

 海鳴の外れに存在する高台に建てられた神社。

 その境内で一人の小柄な女性が倒れているのを発見した少女は、素早く近寄ると頬や首筋に触れて温もりを確かめた。どうやら無事に生きているようだ。少女は安堵するかのように息を吐く。

 

 少女の格好は、この辺では見られない異質なもの。滑らかな黒の生地で作られた、肌に吸い付くようなレオタード。黒の滑らかなストッキング。各部を固定する赤いベルト。薄いフリルのようなスカート。両手に装着された甲に金の三角形を持つグローブ。現代では廃れた背に纏うマント。まるでどこかの舞台の衣装のようだ。

 

 一言で言い表すのならば際どい格好とでもいうのだろう。

 

 そんな中で、異様に目立つのは右手で抱えられた黒の戦斧。柄と斧の接合部分に金の宝玉が収まった少女に似つかわしくない武器。それらと相まって少女の存在感はひとたび目にすれば、忘れられないインパクトを誇る。

 

 しかし、同性でも可愛らしいと魅了してしまうほどの、人形のような彼女の姿は精彩に欠けている。綺麗に輝くはずのツインテールに纏められた金糸の髪は痛んでいて、何日も手入れされていないのが伺えたし、袖のない衣装から露出した腕は同年代の子と比べると痩せ細っていた。目元の隈も酷く、少女は明らかに憔悴しているようだ。

 

 それでも赤い瞳に宿る強烈な意志は少しも衰える事無く、戦斧を握る右手は強い力が込められている。まさに彼女は気合と根性で。意志の力で立っている状況だった。

 そんな今にも消えてしまいそうな儚さと、あらゆる痛みに耐える強さを持ち合わせた少女が見つめるのは、石畳で舗装された道端に散らばる壊れたリード。そこから森に向かって大きな獣の足跡が続いていた。

 どうやら狙う獲物は逃げたか、隠れ潜んでいるらしい。気絶した女性を襲わなかったのは幸いと言うべきか。

 

 少しだけ女性を一瞥すると少女は獣の足跡を追って森に進んでいく。そこに一切に迷いも恐れも感じさせない。

 

「見つけた。二個目のジュエルシード。手早く狩り取るよ、バルディッシュ」

『Yes sir』

 

 やがて、少女は戦斧を展開すると金色の魔力で大鎌の刃を生成する。そして、グッと両足を踏み込むと勢いよく森の中に飛び込んで行った。怪物と化した獣が潜む、魔の森の中に。

 

「待ってて母さん。すぐに私が助けてあげるから」

 

 少女の独白は誰に聞かれることもなく、体感する風の流れにかき消された。

 

 獣の足跡は徐々に途絶えていくが問題はない。残されたもう一つの痕跡。魔力の残り香とでもいうべきものを辿れば充分に追跡は可能だ。

 

 そして、地面を草が覆っていない、木々に囲まれた平地にたどり着いた時。少女の本能とでも呼ぶべき警戒心が最大限の唸りをあげて危機を訴える。

 首筋のあたりがざわつく異様な感覚。それを感じた瞬間、少女は背後を振り向きざまにバルディッシュと呼んだ戦斧を横薙ぎにする。

 手応えは確かにあった。獲物を打ち付けた感触が手に伝わる。

 が、相手である異形の狼は、バルディッシュから伸びる光刃に触れる事無く、柄の部分に噛みつくことで受けとめていた。背後からの強襲に失敗したと理解して咄嗟に反応した結果なんだろう。

 一撃で相手を沈められなかったことに苛立ちを感じて、少女は小さく舌打ちしつつも、喰いついた獣を引き剥がすべく、生成した発射台から槍の弾丸を装填。狙いを定めてぶっ放そうとする直前で、願望石に取り込まれた狼は、口から柄を離して素早く森の中に退いていく。

 

「意外と賢い?」

『…………』

 

 可愛げがなくなり、知性の欠片もなさそうな獣の意外な行動に少女は首を傾げる。

 攻める時は攻め、退く時は退く。恐らく襲撃と撤退を繰り返すことで此方を消耗させ、弱った所を見せた瞬間に本命の一撃を繰り出すつもりなんだろう。

 バルディッシュは訴えかけるように、コアを明滅させる。元々寡黙で喋らない彼なりに、どこか爪の甘い主を心配しているのだ。

 

「うん、分かってるよバルディッシュ」

『…………』

「心配しなくても二度目はないから」

 

 二度も同じ手はくわないという少女に対し、バルディッシュはさっきよりも激しくコアを明滅させる。

 主の妹であり、姉でもある狼の使い魔が、供給される魔力不足で休眠している以上、自分がしっかり支えねばと思うのは当然のこと。

 彼の生みの親でもあるリニスと呼ばれた少女の教育係にも、しっかり世話を言いつけられている。だから、彼女を支えるのは己の命題とも言えた。

 もっとも、少女の方は、らしくない相棒の様子に微苦笑するしかない。もはや、この戦闘は終わったも同然なのだ。少女に同じ手は二度も通用しない。既に対策は済んでいた。

 

 再び先と同じ要領で飛び掛かってくる異形の狼。飼い犬だった彼は強くなろうと願い、大柄な体躯に成長し、柔らかかったであろう毛並みは硬い剛毛となる。鋭い牙や鋭利な爪は恐ろしく、白目のような眼光と相まって禍々しい姿だ。穏やかだったであろう性格は見る影もない。願望石の歪んだ解釈が狼の凶暴性を増幅させていた。

 狼の中では、今度こそ必殺の一撃を見舞うつもりだった。愚かにも相手は油断していて気を抜いている様子。先よりも素早い一撃で少女の命を刈り取ろうとする。だが、それは永遠に叶う事はない。狼の身体が空中に縫いとめられていたから。

 光り輝く帯で構成され、不可思議な文様が刻まれた輪っか。異形と化した狼の四肢を拘束するそれは、いわゆるバインドと呼ばれる捕縛魔法。少女がデバイスと話している間に設置した"対策"だ。少女に同じ手は二度も通用しない。

 

――グルルルゥ! グガァ!!

 

 口から涎をまき散らしながら、もがき暴れることで拘束を振りほどこうとする狼。力が足りないのなら、さらに与えようと願いを叶えるべく発動するジュエルシード。

 それとは対照的に気だるげで、ゆったりとした動作で狼に振り向く少女だが、デバイスは既に狼に向けられていて、彼女の魔法が発動する方が圧倒的に速かった。

 光刃を霧散させて戦斧を折りたたんだバルディッシュの先端に、柄の部分に、少女を通して紫電が迸る。母から受け継いだ雷光を統べる才能から為す一撃。その最大の威力を発揮する魔法のひとつ。

 

「願いを叶えるジュエルシード。我が轟雷を受けて眠れ!」

『Thunder Smasher』

 

 サンダースマッシャー。バルディッシュの先端から放たれた破壊力の高い砲撃魔法は、拘束された狼の身体を呑み込んで、そのままジュエルシードを封印してしまうには充分すぎる程であった。

 

◇ ◇ ◇

 

 昼休みの時間もなく、明日の休日に改めて詳しい事情を説明する。

 そうアリサとすずかに約束したなのはは、彼女達と別れた放課後の帰り道で、いつものルートを変更して別の場所に急いでいた。途中で念話によるユーノの連絡と魔力のざわめきを胸の奥で二回も感じたからだ。

 

 ジュエルシードが発動した後に海鳴りの街で誰かが魔法を行使しているとは、ユーノの談。だとすれば件の魔導師かもしれないと、なのはは焦る気持ちを抑えつつも現場に急行している。

 誰かがジュエルシードの被害に遭って、それを奪おうとしている奴がいる。そう考えると焦燥感に駆られるのも仕方ないのかもしれない。

 ユーノも家を抜け出して駆け付けているそうだ。この世界で魔法を堂々と使うには結界が必要で、結界魔導師と呼ばれる彼の出番らしい。

 何よりも件の魔導師が結界も張らずに魔法を使うものだから、隠蔽と捕縛の意味も兼ねて急いで構築せねばならないと、彼の焦った声がなのはの頭に残っている。

 本来であれば安静にしなければならない筈のユーノだが、そういった理由なら仕方がないとなのはは渋々頷くしかない。外出の言い訳は後で考えればいい。

 

 やがてたどり着いたのは、延々と続く階段で上り下りに苦労すると有名な、小高い丘に建てられた神社だ。この先の境内が発生現場らしい。

 なのはは休みもせずに、一段飛ばしで階段を駆け上ると同時に、胸元で揺れる待機状態のレイジングハートを握りしめて呟く。魔法少女として覚醒するための起動パスワードを。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。レイジングハート、セットアップです」

『all right』

『stand by ready.set up』

 

 瞬間、少女の身体は爆光に包まれて変身を終えていた。背負っていたランドセルは消え去り、右手には魔導の杖たるレイジングハートを握りしめる。身を包むのは白い衣の防護服。

 彼女の魔法少女としての姿がそこにはあった。

 

 いつもより軽くなった身体に驚きつつも、階段を三段飛ばしで駆け上がる。どうも変身すると身体能力が向上するらしかった。これは都合のいいことだ。不破として鍛えられた彼女の身体能力を遺憾なく発揮できるから。鍛錬によって蓄積した身体中に残る鈍痛を感じなくなったのも嬉しい誤算。

 油断なく杖を構えて境内に突入。ジュエルシードの怪物か、謎の魔導師どちらが出ても対応できるように警戒を怠らない。

 

「これは……」

『仔犬、ですね。それに倒れている女性は飼い主でしょうか? 命に別状はないようです』

 

 境内に居たのはどちらでもない第三者の姿だった。優しく寝かされた女性の傍に仔犬が居て、しきりに飼い主を起こそうと頬を舐めている。

 どうやら出遅れたらしい。見たところジュエルシードモンスターもいないようだし、恐らくもう一人の魔導師が封印して持ち去ったのだろう。

 なのはは少しだけ肩の力を抜いて、一応辺りを見回す。目立った異常はないが、しいていうなら森の中から焦げくさい臭いが漂ってくる事だろうか。

 

「逃げられた……?」

『なのは、聞こえる?』

『ユーノさん? 聞こえていますよ。どうかしましたか?』

『サーチャーに反応があるんだ。結界を張るから人目を気にせず周辺を探索してみてほしい。ジュエルシードが落ちてるかもしれない』

『了解です』

『僕もすぐにいく。魔力消費を抑える為にフェレットの姿だけど気にしないで』

 

 ユーノからの念話と共に、水の波が身体を通り抜けていく感覚が広がっていく。恐らくこれが結界を展開した感覚だろう。

 証拠に先程まで目の前にいた小柄な女性と仔犬の姿は影も形もない。周囲から生き物の気配が消えて、街の喧騒も聞こえてこなくなる。

 感じられる魔力の壁のような存在は、ざっと神社の周辺一帯くらいだろうか。それが結界の範囲だと容易に想像がつく。

 なのはは、まず焦げくさい臭いが何なのかを調べるべく森の中を目指して進んでいく。途中、似ているのに大きさの合わない獣の足跡を見つけたが、一瞥するだけで興味すら持たない。怪しくはあるが、警戒心が湧いてこないのだ。

 それよりも、微かだが人の気配がしていて、そちらの方に警戒心を向けていた。

 結界とは指定した対象を除外する魔法らしい。なら、そいつは指定した対象。ジュエルシードを持っていると言う事になる。まさかと思うが、件の魔導師?

 なのはは用心深く、周囲の様子を観察しながら森の中を歩いていく。五感を研ぎ澄ませ、身体は自然体に。いつ襲われても対応できるように。ガチガチに緊張していてはいざという時、竦んで動けなくなるから緊張感は適度に保つ。

 

 やがて、森の中で日が差し込んだ開けた場所にたどり着いた時、なのはは思わず立ち止まった。

 ある方向に向けて草木が薙ぎ払われ、折れた樹木の表面が焼け焦げている惨状に驚いたからではない。

 殺気、それも獣のように鋭くて冷たい感覚。うなじ、首筋、背筋にかけて通り過ぎた悪寒。なのはは己の直感に従って、その場を飛びのいた。瞬間、大地に突き刺さるのは上から降り注いだ無数の黄金の槍。立ち尽くしていたら串刺しになっていただろう。

 

「はあああぁぁぁっ!!」

 

 だが、なのはが感じた殺気は上からではない。森や茂みで覆われた奥地からだ。視線の先に見据えるのは黒い衣装を身に纏う子供。金色を風に揺らめかせながら、裂帛の気合と共に恐るべき速さで駆けてくるのと、両手で掴んだレイジングハートの柄を構えるのは同時。

 互いにかち合う、黒の戦斧と魔導の杖。襲撃者の振り降ろす一撃を受けとめたなのはは、地面を引きずりながら押されるのを踏ん張って耐えた。デバイスは主人同士の力が拮抗しているのか、震えが伝わって小刻みに揺れる。

 むしろ、なのはの方が押し返しているのかもしれない。大地に足を付けたままのなのはと、宙に浮いたままの少女では込められる力に差が出る。相手が見るからに痩せ衰え、疲れ切っているのもあるだろう。

 もっとも相手はそんなこと微塵も感じさせないような気迫を帯びていた。まるで追いつめられた獣のようで、、なのはは戸惑いを隠せない。黒衣の少女が襲ってくる理由も分からないから余計に。

 

「貴女は誰ですかっ!? どうしてこんなことをっ、くっ!」

 

 なのはの問い掛けにも応じる気配すらなく、彼女は問答無用と言わんばかりに、後方倒立回転とびの要領で顎先を蹴りあげてきた。

 咄嗟に上半身を後ろに捻ることで、紙一重で避けることに成功したが、その隙に黒衣の少女は天高く舞い上がっていく。反撃で杖による痛撃を繰り出そうとしたなのはは、たたらを踏んでしまった。空に逃げられてはどうしようもない。

 ならば撃ち落とすまで。咄嗟にレイジングハートを構えると、相棒である彼女は制止の声をあげた。

 

「どうしましたレイジングハート? 今忙しいのですが」

『マスター。この距離で撃っても当たる確率はゼロに等しいです。ですから追いかけましょう?』

「えっ……?」

 

 唖然とした様子で、ぽかんと口を開けてしまうなのは。レイジングハートは今なんて言った? 追いかける? つまりそれは、なのはに空を飛べという事だろうか?

 人が自らの力で空を飛ぶことは不可能。だからこそ、人類は飛行機やヘリコプターを造ることで鳥のような自由に飛べる翼の代わりにした。そんな個人の力で出来ないことをレイジングハートはやろうと勧める。常識外れも良い所だ。

 

「いや、でも、空なんて……」

「大丈夫ですよマスター、私が支えます。忘れたのですか? 私は祈願型デバイス。貴女の願いを魔法の力で叶えることができます」

 

 空を飛ぶという未知の領域に困惑して、怯えるなのは。

 でも、彼女を励ますレイジングハートの暖かくて優しい声が、なのはの胸に染み渡り、徐々に落ち着かせていく。

 そうだ。何を怯える必要がある。今の私には魔法という力がある。何よりも、現に黒衣の少女は平然と空を自由に駆けているのだ。あの子に出来て、私に出来ない筈がない。そんな考えがなのはの心を占めていく。

 

「そうですねレイジングハート。私にも、やればできますよね?」

『ええ、もちろんです。貴女は最初の時だって魔法を上手く使えたじゃないですか。ですから、いつも通り強く願えばいいのです。空を、自由に飛びたいと』

「――はい!」

 

 両足に力を込める。頭の中で考え、心の中で願う。空を飛びたい、あの子を追いかける力が欲しいと。どこか戸惑いを含んだ想いは、レイジングハートの力となって、ひとつの魔法を具現化させる。

 

『Flier fin.』

 

 学校のような上履きを連想させる、金の金具が装飾された純白の靴。防護服を展開した時に履いているなのはの靴は、その踵の部分から一対の翼を生やしていた。桃色に光り輝く綺麗な天使の羽。それが両の足から展開されている。

 新たな魔法に驚きつつも、思い切って飛び上がってみると、なのはの身体は徐々に空へと浮かんでいく。自分が飛んでいるという驚きの光景。だが、ちゃんと空を飛べているという事実は、段々と強い自信に変わり、レイジングハートに更なる力を与えて魔法の効果も高まる。

 ふふ、という微かな笑みを浮かべながら地上を眺めたなのはは、少しずつ上昇速度を加速させながら上を振り向いて固まった。

 一目見ただけでは数え切れないほどの無数の金色の槍が、なのは目掛けて飛来していたからだ。

 

「うっ、避け、でも、空でどうやって……」

『Wide area Protection』

 

 まだ飛行する感覚に馴染んでいないなのはは、どうすれば良いのか分からず、咄嗟に両腕で顔を庇う。

 そんな彼女をサポートするかのように、レイジングハートは広域防御の障壁を展開すると、向かってくる槍の群れを全て弾き落とした。支えるといった手前、主人を全力で助けるのがデバイスの務めだ。

 

「あ、ありがとうレイジングハート」

『いいえ、気になさらず。空を飛ぶコツはイメージです。身体を思うように動かすのではなく、どのように飛びたいのか頭の中で思い浮かべると上手に飛べますよ』

「はい、やってみます!」

 

 レイジングハートのアドバイス通りに空を飛ぶ。するとどうだろう。なのはは水を得た魚のように、空という空間に適応していく。まだまだ粗削りな部分はあるが、素人にしては見事な回避機動で、はるか上空に待ち構える黒衣の少女との距離を詰めて行った。

 時折向かってくる金色の槍。フォトンランサーによる迎撃も防御から、回避に変わって、段々と最小限の動きで、かわすようになった。

 伊達にユーノが魔法に関して天才と評したわけではない。彼女の適応力は群を抜いているのだ。慣れてしまえば新しい魔法を造作もなく使いこなす。

 

「っ、はぁはぁ……」

 

 それを黒衣の少女は苦しげに呻きながら、忌々しそうに見つめていた。ジュエルシードを封印した際に魔力を消耗したせいで、いつもより術式のキレが鈍いのだ。

 封印魔法というのは膨大な魔力を使う。対象を無理やり押さえつけるに等しい行為だからだ。その影響がここに来て顕著に表れていた。

 

 本来であれば先の奇襲で決着を付けるつもりだった。一撃の名のもとに意識を刈り取って結界を解除することで逃走する手筈が、予想外の抵抗で上手くいかない。

 魔法の使い方はデバイスにフォローされてばかりの素人の癖に、こと近接白兵戦において白い魔導師の子は侮れない実力を持っていた。

 奇襲に対する咄嗟の判断力。死角からの蹴り上げによる不意打ちを避ける勘の良さ。反撃に転じた時の見事な棒術の構え。どれをとっても自分では格闘戦において、相手の子に及ばないだろう。

 そう感じたからこその遠距離攻撃。砲撃魔法は消耗が激しい。だから、十八番であるフォトンランサーで上空から一方的に攻撃することを選択。弱った所を強襲して今度こそ意識を奪う予定だったのに。あろうことか、相手は空の領域にまで手を出すに至っていた。

 

 これでは遠距離攻撃の独壇場から仕切り直されてしまう。

 

 どうして世界は理不尽な事ばかりなんだと、黒衣の少女は歯噛みする。もう、時間はあまり残されていたいというのに。ここで捕まれば一途の望みすら絶たれてしまう。それだけは絶対に避けねばならない。必ず勝利を掴み、この場を逃げる。そして、ジュエルシードを手にして願いを叶えて貰うのだ。

 その為にも負けるわけにはいかない!

 

「バルディッシュ……!」

『Scythe form Setup.』

 

 唯一の安全かつ完全な勝利への道筋。それは白い魔導師の子に空戦機動を挑むこと。

 黒衣の少女がもっとも得意とする魔法分野。特に速度の面において誰にも負けない自信がある。魔法の師であり、姉であるリニスも褒めてくれた。

 向かってくる女の子は確かに、"飛ぶことに関しては素晴らしい"と言えるだろう。黒衣の少女も初めてにしては上出来だと、素直に褒め称えたいくらいだ。自分でも最初は上手くいかなかったのだから。

 でも、それだけだ。移動するには便利だろうが、完全な空中戦についてくるには技術や経験が不足している。空戦は圧倒的な機動性についてこれる動体視力。全方位、何処からでも飛んでくるかもしれない攻撃を避ける勘の良さ。何よりも場数を熟さなければならない。人は生まれてから空を飛ぶことなど出来ないからだ。魔導師として覚醒して、空を飛ぶ感覚を掴むまで慣れを必要とする。

 あの子には、それが欠けている。だからこそ付け入る隙も多い。戦斧から金色に輝く光刃を展開した少女は、大きくデバイスを振るう。

 

「アークセイバー!!」

『Arc Saber.』

 

 すると先端から分離した光刃は、大きな円形を描くように回転して飛んでいく。襲い掛かる相手はもちろん白い魔導師の子。

 再度、黒の戦斧から光の鎌を展開した黒衣の少女は、デバイスを振りかぶるように、腰のあたりで構えると。新たな攻撃に驚いているなのは目掛けて突っ込んだ。

 

 黒衣の少女が繰り出してきた新たな攻撃。一見すると先に放ってきたフォトンランサーよりも弾速が遅く、ゆっくりとした動作で向かってくる巨大な円月輪のような刃。

 なのはは嫌な予感がして大げさな程の回避機動を取った。攻撃との軸線をずらすように真横に逸れたのだ。せっかく縮めていた距離が開けてしまうかもしれないが、油断から大怪我するよりはマシだ。なのはの勘は良く当たるのだから。

 しかし、光の刃は射線から逸れたなのはを追いかけるように、徐々に軌道修正を行ってくる。厄介なことに追尾誘導タイプらしい。

 

「っ、レイジングハート。シールドを!」

『分かりました。マスター』

 

 こうなったら埒が明かないと、仕方なく防御を選択した彼女は、念には念を込めてプロテクションよりも堅いシールドの防御魔法を展開する。相手の魔法が、どの程度の攻撃力を持っているのか分からないからだ。

 左手で杖を握りしめながら、開いた右の掌から生成される桃色の幾学模様が描かれた円形の盾。一方向からしか防げないが、防御魔法の中でも性能は一番高い。砲撃すら防げる可能性を秘めている。

 

 そして二つの魔法はぶつかり合う。迫りくる光刃とシールドが干渉し合い、二つの術式に込められた魔力が勢いよく減っていく。

 アークセイバーと呼ばれた魔法の攻撃力はそうでもなかったが、何処までも厄介な性質を秘めていたらしい。シールドに喰らいついて離れないのだ。防御を抜ける程ではないが、かといってシールドを消すわけにもいかない。魔法の効力が消えるまで待つしかない。

 

――ギリッ

 

 なのはは相手の意図を見ぬいて歯噛みした。成程と思う。足止めには最適の魔法だと。

 ならば、次に行われるのは本命の一撃だ。砲撃か、近接戦による一撃か。なのはは警戒して杖を構える。しかし、黒衣の少女がいるであろう上空には、既に姿がなかった。ならば後ろかと振り向いてみても相手の姿がない。

 

(逃げられた? そんなはずは)

 

 先の攻撃が足止めだったのならば、逃げる可能性も少なくないが、そんな事はないのだ。ユーノとレイジングハートが魔法について講師してくれた時。結界魔法のことを教わったのだが、並大抵の攻撃では破れないらしい。打ち破るには足を止めて魔力を溜めなければならない程の攻撃魔法が必要となる。

 そんなことをすれば、魔法に素人のなのはでもすぐに気が付く。だから、相手は攻撃するか身を潜めるかの選択しかない訳だが、今更隠れるメリットが考えられない。必然的に相手の考えは攻撃するしかないと判断できる。

 

『マスター!!』

 

 そこまで一瞬のうちに高速思考したなのはの意識を、レイジングハートの叫び声が呼び戻した。

 途端に感じるのは悪寒にも似たぞくりとするような感覚。先程まで感じていた嫌な予感は消えていなかった。なのはの勘はアークセイバーによる攻撃を警告していたのではない。ならば何を?

 冷や汗を掻きながら、下を見下ろす。戦斧の大鎌を振りかぶりながら迫りくる黒衣の死神。風に揺れる金色の髪、なのはを捉えて離さない紅い瞳、人形のような綺麗な顔立ち。なのは以上に無表情な彼女からは、何も感情を読み取ることができない。

 全ての情景がスローモーションで見えた。ゆっくりと迫りくる黒衣の少女に反して、繰り出される斬撃は早く見える。それほどまでに攻撃速度に優れた一撃なんだろう。

 なのはが捉える攻撃の狙う先は足。スカートに覆い隠されていない部分。足首よりも上にあるアキレス腱のあたり。

 光の筋がなのはの足を両断するかのように走った。光刃が肌を、筋肉を、骨をすり抜けて切り払っているというのに、不思議と痛みは感じない。

 下から迫りくる黒衣の少女が、身体を横に一回転させながら斬撃を放ち、上空へと離脱するまでの、遥か一瞬の出来事。

 それが終わった時。なのはは苦悶の声と共に熱い吐息を吐きだした。

 

「ぐあっ、くぅぅっ!」

 

 今まで感じたこともない痛みに叫び出しそうになるのを、歯を喰いしばって必死で堪える。無駄な酸素を吐きだすわけにはいかない。

 どうやら体感時間が元に戻ると同時に、痛覚を初めとした五感が正常に戻ったらしい。足が痺れているのに、痛みは感じるという訳の分からない感覚。鋭い痛みと、焼けつくような痛みが同時に襲い来る激痛。同い年の子供なら泣き叫んでもおかしくない。

 それでも、なのはは上空からの追撃を掛けようとする黒衣の少女に対して身構えて。異変に気が付いた。高度が段々と下がっているのだ。おまけに飛行制御が上手くできない。なのはは飛ぶことができなくなっていた。

 

(これ、は、いったい……?)

 

 なのはが黒衣の少女が行った攻撃を知ったら、舌を巻くかもしれれない。それ程までに的確な一撃だったのだから。

 人は上からの襲撃にもっとも弱い。普段、道を歩いていて真上から物が落ちてきたら対応できずに頭に直撃する。何せ死角なのだから。それでも、警戒していればある程度の対処は出来るだろう。すくなくとも地上においてはそうだ。

 ならばもっとも恐ろしいのは真下からの奇襲。少なくとも地を歩く人々にとって、地面から攻撃されるなど、考えもつかないようなことだろう。

 だが、なのはがいたのは空という空間だ。全方位から攻撃を受ける可能性を秘めた場所。空に不慣れな少女は、当然。真下に対する警戒心など持つべくもない。しかも、相手は遥か上空に居たのだ。反対方向に対する警戒など微塵もなかった。

 黒衣の少女はそれを見越して、意識の外の死角を突いた。空を飛び始めた初心者が警戒を怠ると知っていて。アークセイバーの攻撃を目暗ましに、なのはの足元に高速移動で回り込んだ。

 そして、狙ったのはもっとも防御が薄い足首あたりの部分。防護服で覆われていない、素肌を晒していたウィークポイント。しかし、これはついでに過ぎなかった。なかには見た目に反して全方位を防護している魔導師もいるからだ。

 本命は飛行制御を奪う事だった。足首に展開された桃色の輝く光の翼を奪う事。電気の属性を帯びた斬撃で切り払い、痺れさせると同時に痛みも与えることで集中力を奪う。ついでに術式に供給される魔力も遮断する。

 案の定、なのははフライヤーフィンの制御ができなくなり、落下していた。

 

『……っ!』

 

 レイジングハートも必死に術式を制御して、せめて落下するのを止めようとするのだが、いかんせん状況は悪い。一切喋ろうとしない彼女の態度がそれを示していた。

 なのはも、痛む足を押さえながら、何とかしようと魔力の供給を多くしてみたりするのだが、一向に状況は好転しない。

 せめて主の怪我を最小限に留めようと、レイジングハートはフローターフィールドをセット。三段重ねで使用することで、落下するなのはの身体を受けとめる。そうすれば最悪の事態にならずに済む。

 

「これで終わりだよ!」

 

 もっとも、黒衣の少女も黙って状況を見ている訳ではない。止めの一撃を繰り出すために、戦斧を大きく振りかぶって突撃する。すれ違いざまに斬ることで意識を奪うつもりなのだろう。

 

「くっ……」

 

 せめてもの抵抗。ディバインシューターを生成しては向かってくる黒衣の少女に狙いを定めてぶっ放す。制御も甘く、がむしゃらな誘導魔法。当然、当たる筈もなくちょっとした足止め程度にしかなっていない。

 一発向かって来ようが、二、三発向かって来ようが大した脅威にもならず、黒衣の少女は的確に迎撃を掻い潜ると、なのは目掛けて確実に距離を縮めて来ていた。

 やられる! そう覚悟してなのはが目を瞑った時。

 

「ごめん、なのは。駆け付けるのが遅くなった」

 

 ふんわりと、なのはの身体は抱えられていた。瞼を開けば目の前には申し訳なさそうなユーノの顔。

 どうやら落下するなのはを受けとめてくれたらしい。いわゆるお姫様抱っこという体勢なのだが、今は恥ずかしさよりも安堵の方が勝る。ユーノが助けに来てくれたことが素直に嬉しかった。そして、あまり役に立てずに足手まといになった自分が悔しかった。

 

「ユーノさん。わたし……」

「いいんだ。今はゆっくり休んで」

 

 不甲斐ない自分に苦悩するなのはに優しく微笑んだユーノは、彼女を手近な地面の上に降ろすと、しゃがみ込んで素早く印を結び魔法を唱える。防御と回復の結界魔法。ラウンドガーダー・エクステンド。淡い緑の幾学模様と半透明の膜に包まれたなのはは、暖かな光の感触に目を細めた。足首のあたりから響く痛みが徐々に引いていく。とても心地よくて安らぎを感じてしまう光。

 

「防御と回復の結界魔法。ここから出ちゃダメだよ。効果が切れてしまうからね」

「はい。ユーノさんは? まさか……」

 

 なのはが狼狽える様子を見せる。それも無理はない。目の前の少年は戦う決意をしていたから。

 これまでの経緯を聞いても、ユーノは戦闘行為を苦手とする。でなければジュエルシードの暴走体に後れを取ったりしないはずだ。

 はっきり言って、黒衣の少女はなのはよりも強い。実際に戦ったからこそ、なのはには分かる。魔導師として戦う以上、今の自分では万に一つも勝ち目はない。だからこそユーノを戦わせるわけにはいかないと焦る。こんなこと言いたくはないが、ユーノがやられてしまう所を、なのはは見たくない。

 

 だが、それは杞憂なこと。なのははひとつ勘違いをしていた。

 

「なのははそこで休んでて」

 

 確かにユーノ・スクライアは戦闘能力が低い。けれども決して弱いという訳ではないのだ。ユーノは攻撃魔法に適性がないだけで、他の魔法はハイレベルと言っていい程に高い。

 相手を倒すと言う事に限定しなければ、魔法の技術は指折りの実力者である。伊達に若干9歳で発掘責任者を任されていない。

 遺跡の発掘や遺失物の探索を行う過程で、違法魔導師や原生生物と争いになる事も少なくない。ユーノはその度に、困難を乗り越えて経験を積んできた。相手を確実に捕縛することで間接的に無力化する。封印・捕獲のエキスパートなのだ。

 

「後は僕がやる」

 

 不安がるなのはを安心させるような力強い声。その宣言と共に上空を睨み付けるように見据えるユーノ。彼の視線の先には強烈な敵意を抱いた少女の姿があった。

 


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