リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●片鱗

 新手として現れた二人目の魔導師に黒衣の少女は警戒心を剥き出しにしていた。そして勘付いた。結界を張ったのは白い魔導師の方ではなく、民族衣装の少年の方だと。

 白い魔導師を助ける為に、少年の展開した高等防御と回復の結界。そこから感じ取れる魔力の波長と、辺り一帯を覆う封鎖結界の魔力の波長は同質の物。つまり術者である少年を倒すことができれば、逃げることも可能だということだ。しかし、並大抵のことではないだろう。

 首筋から感じるピリピリとした嫌な感じ。このまま踏み込めば危険だという本能が訴えかける警告。うかつに飛び込んだら容易にやられてしまうと、少女の勘は告げていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

『Please do not strain yourself. Sir』

「大丈夫だよ……バルディッシュ、私はまだやれる……」

 

 休みがてら相手の様子を伺う。もう、こうして空を飛んでいるのも辛いのだ。心配そうに声を掛けてくるバルディッシュ、それに応じる少女の声は弱々しい。

 ユーノと呼ばれた少年が注意深く此方を観察しながら接近してくる。飛翔する速度は大したものでもなく、空戦機動も黒衣の少女が上回るのは容易に想像がつく。なのに、優位なアドバンテージがある筈なのに、嫌な予感はちっとも消えなかった。

 バルディッシュを身構える。展開する魔力の刃はアークセイバー。相手がどのように動いても、全て断ち斬ってやろうと万全の姿勢で挑む。何をするつもりなのか知らないが、少女に接近してくるユーノは無防備。少なくともすぐさま攻撃を仕掛ける気配はない。

 少女にとっては好都合。勘付かれるかもしれないが、バルディッシュに小声で命じて周辺魔力の吸収を促進させる。今の内に身体を休め、少しでも魔力を回復させたい。激しい空戦機動を行わない限り、消耗も抑えられるだろう。辛くても"アレ"を使う訳にはいかない。

 ユーノが多少の距離を取って、同じ高度で止(とど)まった。デバイスを振っても届かない、フォトンランサーを放ってもギリギリで防げるような。そんな距離。

 

「まずは自己紹介と行こうか。僕はユーノ・スクライア。キミの名前は?」

「……」

「どうしてこんな真似をするの?」

「…………」

 

 少女が問い掛けに答えるつもりは一切ない。彼女は頭が良いとも言えないし、嘘が苦手なことは充分承知している。だから、下手なことは言わずにだんまりを決め込むことにしたのだ。だというのに、目の前の少年は不快感も表情に出さず、淡々と喋り続ける。その瞳は少女の一挙一動を見逃すまいと鋭く、まるで観察されているようだ。

 

「まあ、最初から答えなんて期待して無いけどね。じゃなきゃ、なのはを襲ったりせず話し合いに応じただろうから」

「………………」

「ところでキミ、ジュエルシード持ってるよね?」

「っ! なん、で――」

 

 息を呑む。紡がれようとした言葉を慌てて呑み込む。何も漏らさぬように下唇を痛いほどに噛み締める。

 少女は大丈夫と心の内で念じながら、キッとユーノを睨み付けた。相手はかまかけただけで核心には至ってないはず。

 だが、黒衣の少女の態度は願望機の宝石を所持していると肯定しているようなものだ。ユーノにはそれで充分すぎる。そう、戦う理由としては充分すぎるほどに。彼は確信しているような態度で喋り続ける。

 

「あれは危険なモノなんだ。安全の為にも返してくれないかな?」

「誰が渡すもんかっ! 私にはジュエルシードしかないんだから!!」

 

 焦った少女は自分がボロを出していることも気づかない。それほどまでに動揺していた。

 悪いことをしている自覚はあって誰かに叱られることを恐れている。けど、縋(すが)りたい最後の希望を奪われることに怯え、大切なモノを取られまいと激高している自分もいる。いろんな感情がごちゃ混ぜになって混乱してしまう。

 少女が爆発的な加速力で接近して、閃光の鎌で襲い掛かる。しかし、少女の渾身の一撃はユーノの厚い防壁の前に、シールド魔法に阻まれていた。ユーノの表情はいたって冷静で、少しも驚いた様子はない。恐らく前もって奇襲に対する心構えをしていたのだろう。

 

『Please settle down. Sir!』

「はああああぁぁぁぁ!!」

 

 異なる魔力が干渉し合って、光の粒子を撒き散らす。

 焦ってはいけない、頭を冷やして冷静になって欲しいとバルディッシュが必死に呼びかけても、黒衣の少女は止まることを知らない。

 頭に浮かぶのは余命わずかな母の顔。母の残り少ない時間を伸ばすために自ら消えて行った母代りの猫の使い魔。そして、黒衣の少女に負担を掛けない為に眠り続ける、姉妹のような狼の使い魔の、微笑むような寝顔。

 それらが少女を焦らせ駆り立てる。早く事を終えて皆を助けないといけない。願いを叶える宝石に全てを託し、幸せな未来を掴み取る為に。記憶に強く刻み込まれた少女の名を優しく呼びかける母に、もう一度笑ってほしいから。

 彼女は戦い続ける。それしか術を知らないかのように。

 

「チェーン」

 

 静かに呟くユーノの声。

 心臓が強く鼓動を打って、身体が硬直する。肌が鳥肌立つような悪寒。それを振り切るように少女が一旦ユーノから距離を取ると、周辺の空間に展開された魔法陣から鎖が伸びて少女を捉えようとする。危ない。一歩遅れていれば鎖でがらん締めにされていた。

 しかし、それで終わったわけではない。絡みつく相手の魔力を払うようにロールしながら避けると、今までいた場所にリングバインドが発動していた。嫌な感じはまだ消えない。その場を素早く飛び退けば設置型のディレイドバインドが遅れて発動する。

 

 嫌な予感の正体は空間一帯に設置・展開された数々の拘束魔法のだったのだ。あの少年、ユーノは辺り一帯を覆う程の結界を行使できる使い手。恐らく補助や回復に特化した後衛型の魔導師だと少女は推察する。なら、戦闘能力も大したことではない。

 だというのに致命的な一撃を与える隙はまったくなかった。足を止めれば強度の高い拘束魔法が瞬時に絡め取ろうとして来るのだ。かといって移動しながらの攻撃では威力も低く、堅い防御陣の前に無効化される。

 空戦機動の合間にフォトンランサーを撃ちこんでもあっけなく防がれたから証明済みだ。

 

 砲撃魔法はどうしても動きが止まる。だから接近戦しかない。少女を拘束しようとする魔法の合間を縫って奴に近づき、強烈な一閃を繰り出して意識を奪う。それだけで全てが終わる。

 

 緑の鎖が蛇のようにうねりながら、少女を捕らえようと青空を縦横無尽に駆け回る。それも一本や二本ではない。十数はありそうな鎖の数々が、少女を追いつめてくる。素直に追いかけてくる鎖もあれば、行く手を阻もうと鎖の横腹で進路を遮る物。死角を鋭く突いて、絡みつこうとする物まで多種多様だ。

 そのたびに少女は避けた。自慢の加速力とトップスピードで振り切り、見事なマニューバで不意打ちをやり過ごす。身体を丸めて後ろに流れるように急減速。鎖を追い越させたかと思えば、鋭く鮮やかな宙返りで鎖をからぶらせることもある。

 時折、思い出したかのようにリングバインドがいきなり発動して、少女を捕らえようとする。或いは設置型のディレイドバインドが空中機動の一瞬の硬直を狙ったかのように発動する。それらを無理やり振り払う。

 

 ユーノは冷静に対処して来る厄介な相手だった。その場に止まりながら演奏の指揮者のように腕を振るって全ての魔法を操る。その瞳はずっと少女を捉えて離さない。

 足元のミッドチルダ式円形魔法陣はずっと輝いたまま。戦いが始まってから魔法の効力は切れていない。恐るべき持続力だった。

 これだけの魔法を操りながら息切れもせず、集中力も維持した状態。少女程ではないが彼も膨大な魔力を身に秘めているのか、それとも顔に出さないだけで本当は苦しいのか分からない。その顔はずっと冷静さを保っている。焦りを見せる少女とは正反対。

 かなり癪に障るので、嫌がらせにバリアに噛みつく特性を持つアークセイバーで攻撃を仕掛ければ、涼しい顔で飛来する大鎌の光刃を防ぎきる。もちろん挑発ではなく意図してやった攻撃なのに効果は少しもない。

 集中力を乱してやろうと思ったのだ。数えるだけでも鎖型のチェーンバインド、基本形のリングバインド、設置タイプのディレイドバインド、宙に浮かび続けるための足場、フローターフィールド。異なる四つの魔法、それらが常時発動しっぱなしの状態。操作、維持し続けるのは並大抵のことではない。

 恐らくマルチタスクを活用して分割する思考で、異なる魔法を並列操作しているのだろうが。少女を的確に捉える魔法を操る処理速度は尋常ではない。

 一瞬でも気を散らせば、持続する魔法の効果はたちまち霧散してしまうだろう。

 だからそれを狙った一撃だというのに、少しも効力が見られない。無駄な徒労に終わっただけ。

 

「うぁ……」

『Please regain consciousness. Sir!』

「はっ!?」

 

 霞む視界、ぼやける思考。バルディッシュの呼びかけで何とか意識を取り戻す。無意識に迫りくる捕縛魔法の数々を寸での所で回避。

 高速機動によるマニューバの負担は魔法によって軽減されているものの、一切掛からない訳ではない。少女の気力、体力、魔力は限界に近づいていた。

 早く、決着を付けなないとマズイ。短期決戦に持ち込むはずが、思わぬ長期戦に陥っている。次で決めなければ…………

 

 勢い良くしなるチェーンバインド。迫りくるそれらを従えながらも、黒衣の少女は弧を描きながら急上昇する。ユーノに対して遥か頭上を陣取った形だ。ここから重力を味方に付けて一気にトップスピードを得る。そしてすれ違いざまに神速の一撃を叩き込むのだ。

 下手な攻撃が防がれてしまうなら、防御の反応も出来ないほどの攻撃を繰り出せばいい。現状、それしか打破する方法は考えられなかった。

 

「バルディッシュ……」

『……Yes sir! Scythe form. Setup!』

「ありがとね」

 

 いつも寡黙な戦斧。己の掛け替えのない相棒。バルディッシュはたった一言の呟きで察してくれたのか、サイスフォームを展開してくれた。

 自分には勿体ないくらい良い子だと黒衣の少女は思う。これから行おうとする無茶に付き合ってくれるばかりか、支えて貰ってまでいるのだから。

 目指す敵はただ一人。眼下に佇む結界魔導師の少年。最初にして最後の渾身の必殺を叩き込む!

 

「――――でやあああぁぁぁ!!」

 

 自らを奮い立たせる気合の叫びと共に、まるで落雷の如く上空から急襲を仕掛ける黒衣の少女。手にした死神の鎌を振りかぶり、交差する瞬間に痛打を繰り出す為。その一瞬を見極めようと集中する。

 ユーノも気が付いているのかチェーンバインドを中心に少女を迎撃しようと魔法を操作する。しかし、少女の方が上手だった。紙一重という表現が相応しいほどに、迎撃の合間をギリギリですり抜ける。鞭のようにしなる鎖の一撃も背面飛びのように避ける。防護服のマントが破れ、レオタードの背中の部分を擦ったが気にしている暇はない。

 もはや標的は目の前にいるのだ。少女を止めるすべなどなかった。慌てたような素振りで防御しようと、高速で魔法の印を結ぶユーノ。

 遅い、遅すぎる。バルディッシュと少女の必殺の方が速い。

 

――とった!

 

 黒衣の少女が確信を持って一撃必殺の一閃を放とうとした時、それは起きた。

 

「封縛陣」

 

 少年の静かな呟き。

 ユーノが展開する全てのバインド系魔法が消え失せ、フローターフィールドの円形魔法陣が広がったかと思うと、そこから伸びた無数の鎖が少女を足止めしてくる。鎖を身体に絡みつかせながらも繰り出す一閃は、後ろに飛び退いた少年の防護服の胸あたり。その表面を切り裂くだけに終わった。

 いや、まだ終わりじゃない。黒衣の少女は二撃目を繰り出そうとジャケットをパージ。とっさに繰り出された捕縛の術式はそれだけで粉々に砕け散った。すぐに防護服を再構成する。だが、少女に出来た抵抗はそこまで。

 足を止めてしまった時点で勝負はついていたのだ。

 

「広がれ、戒めの鎖」

 

 ユーノの両手から円形の幾学模様が描かれた魔法陣が展開。そこから強固に構築された緑光の鎖が伸びてくる。先のチェーンバインドや封縛陣の比ではない。恐るべき強度を誇るであろう鎖だ。練り込まれた魔力の量も半端ではない。

 それが一瞬にして少女の身体に巻き付いた。拘束を逃れたデバイスを握っていない手で引き千切ろうとしても、ビクともしない。

 

「捕らえて固めろ、封鎖の檻」

 

 さらに拘束を完璧にするべく、少女の周辺に広がっていた鎖が一斉に収束すると、黒衣の少女はがらん締めにされてしまう。

 

「アレスターチェーン!」

 

 最後のキーワード。それでユーノ最強の拘束魔法は此処に完成する。今までより何倍も太く強靭な鎖によって捕らえられた少女の姿は、空中に張りつけにされた罪人のようだ。

 

「ぐ、くっ、こんなもの」

「無駄だよ。高位の違法魔導師や強力な原生生物である竜種を捕獲するために使う、最高位の捕縛魔法だ。滅多なことじゃないかぎり自力で解けない。諦めて降参してくれないかな?」

「誰がっ……!」

「認めなよ。君は――」

 

――負けたんだ

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノの戦いはすごかった。素人のなのはから見てもわかるくらい、魔法の使い方が巧いのだ。的確な状況判断と、取捨選択された最適な魔法によって、相手を圧倒できるほどに。

 ごり押しのように力づくで相手を制するのではなく、確かな技を持って相手に挑み、隙あらば弱点を付く。かわせるものは必要最低限に避け、防げるものはきっちり防ぐ。恐らく格上の相手にだって引けを取らないんじゃないだろうか。 

 暖かな光が降り注ぐ、半透明の緑の膜と幾学模様の魔法陣に包まれたなのはは、遥か上空の戦いを眺めてそう思う。

 

 それに、不謹慎かもしれないがその光景は幻想的なまでに美しくて、一瞬だけ危険な闘いをしているという自覚が薄れるほどに見惚れてしまった。

 ユーノの操るチェーンバインドが淡い緑の軌跡を、空を舞う黒衣の少女が金色の軌跡を、青空のキャンパスに描く光景。まるで儚く散る流星を描いた絵画のようだったから。

 そんな感傷に浸っていたなのはだが、また全身に悪寒のような、嫌な予感を感じて。その傷ついた身体をビクリと跳ねあげた。

 何か、とてつもなく恐ろしい事が起きようとしてるんじゃないか。理由もなくそんな焦燥感に駆られた彼女は、傷の治りきっていない足で立ち上がろうとして転んだ。

 

『マスター、ご自愛を! まだ怪我が痛むのでしょう』

 

 レイジングハートが無茶をしようとするなのはをたしなめる。

 まだ、怪我が治りきっていない。足に残る痺れは彼女の動きを阻害する。普通に歩くことすら儘(まま)ならないはずだ。

 それでもなのはは這ってでも動こうとしていた。徐々に結界の外へ出ようとする。

 

「っっ、レイジングハート、手伝ってくれませんか?」

『マスター?』

「このままでは危険なことが起こるかもしれない。だから、万が一に備えるための、準備を、くっ、うぅ……」

『ですが……』

 

 また立ち上がろうとして転ぶ。そして這ってでも動く。幾度となく繰り返しながら、ようやく結界の外に出た。

 対象が効果範囲外に出たことで役目を失った結界兼、回復魔法は、空間に溶けるよう霧散して消えていく。

 ユーノには申し訳ないが、これも最悪の事態を避けるための非情処置と思って、なのはは割り切ることにした。結界の中で易々と安寧を享受していては何もできないから。

 

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」

 

 手近な木に寄りかかって休む。

 ちょっとした距離を動いただけなのに息は荒く。汗はとどまる事を知らない。身体が異様に熱くて、鉛みたいに重くなったかのよう。

 なのはは自分の不甲斐なさを忌々しく思った。ユーノに手伝わせてほしいと無理に願ったくせに、全然役に立てず、あまつさえ足を引っ張っている状況。なのはとしては絶対に許せないことだ。力及ばずとも、せめて何かの役に立ちたい。

 じゃないと自分は何のために力を得たのか分からなくなる。嫌々ながら不破の技を学んだ努力が無意味になる。そんなのは嫌だ。

 もしかしたら捨てられるかもしれない。父がなのはに不破の技を教えているのは、きっと新しい復讐の道具が欲しいからに違いないのだ。なら役立たずはいらないと捨てるのは道理。彼の性格からして躊躇いはしないだろう。

 ユーノはどうだろう。責任感の強い彼のことだ。やっぱり、なのはを巻き込むわけにはいかないと、危険な目に合わせたくないと姿を消すかもしれない。

 

 そしたら独りぼっちになる。独りぼっちになるのは嫌だ。

 

 自らの恐れる最悪の未来。そこから来る役立たずはいらないという強迫観念。それがなのはを突き動かしていた。

 

『それでマスターはどうなさるおつもりですか?』

 

 レイジングハートの静かな問い掛けに驚いて顔をあげる。いつのまにか心の内に捕らわれていたようだ。

 これではいけないと、なのはは自らを律する。こんな事では上手くいくことも失敗する。

 とりあえず、なのはは思いつく限り、不測の事態に対する対処法を述べる。

 

「なにか、魔法で援護の準備を」

『魔法の使用はお勧めできません。その怪我では空を飛ぶことすら出来ませんよ?』

「なら、射撃魔法で――」

『無理です。ディバインシューターのような射撃魔法では、あの高度まで届きません。第一、あの魔導師の強さなら牽制にすらならないでしょう。それはマスターがよく御存じのはず』

「じゃあどうすればいいんですか……」

『…………』

 

 沈黙が舞い降りた。

 なのはは嫌な予感と不安感に苛まれながら、どうしていのか分からず俯く。

 レイジングハートは考え込んだかのように喋らない。

 そうして十数秒の間に何分にも感じられる程の体感時間が流れた時。

 

『はぁ……仕方ありませんね。怪我した状態でマスターには使わせたくなかったのですが』

「レイジングハート?」

『ひとつだけ方法があります。貴女には多大な負荷を生じるかも知れま――』

「本当ですかっ!? なら、その方法を教えてください!!」

 

 レイジングハートの言葉を遮ってまで問い詰めてくるなのはの姿に、不屈の杖は苦笑を隠せなかった。もし、表情があったのならば呆れていただろう。

 なのはは、それなりの代償を強いるかもしれないとちゃんと聞いているのだろうか? いや、聡明な彼女のことだから聞き逃してはいないだろう。それを無視してまで実行に移すつもりなのだ。

 まだ短い時間しか主と過ごしていないレイジングハートだが、何となく彼女の性格を察していた。

 こうと決めたら、とことんやるまで引き下がらない。頑固で融通の利かない少女。それが不破なのは。

 だったら、倒れてしまわない様に支えるのがデバイスたる己の務めだろう。少なくとも勝手に無茶されるよりはマシだ。

 レイジングハートは静かに告げる。新たな力、状況を打開するための方法を。

 

『砲撃魔法です。マスター』

 

 それは、一人の少女の才能を、魔導師としての才能を開花させる天啓だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「私が、負け、る……?」

 

 身体を鎖締めでがらん締めにされ、巻きついたバインドによって四肢を広げられた黒衣の少女に、無情にもユーノが告げた言葉。それは染み渡る毒のように黒衣の少女の心を蝕んでいくと、彼女は虚ろな表情を浮かべて俯いてしまう。

 ここで負けたらどうなる? ジュエルシードを取り上げられてしまう。そうしたら病に苦しむ母を救うことは出来なくなる。少女の大好きなリニスと同じところに行ってしまうのだ。母親に会えなくなってしまう。自分に微笑んでくれなくなる。アルフと三人で過ごす明るい未来すら訪れなくなる……?

 

「あ、あぁぁ……や、だ…そんなの、嫌だ……」

 

 少女の心臓が激しく鼓動を刻む。身体は小刻みに震えだす。防護服の内側に隠された素肌は冷や汗が止まらない。

 戦意を挫くために告げたユーノの敗北宣言は、皮肉にも少女の心を追いつめるのに、充分すぎた。心を折られれば誰だって、戦うことなど出来はしない。だが、追いつめられた人間は時に思わぬ暴走を引き起こすことがある。目の前の少女がまさにそれだった。

 胸の奥から湧き上がる衝動は激情。怒りとも、悲しみとも、言えるような様々な感情がごちゃ混ぜになった心。それが黒衣の少女を動かす原動力となる。瞳には憤怒の炎を宿し、涙でぐちゃぐちゃになった表情で目の前の少年を睨む。

 

 思わず、ユーノが怯んだ。

 

 封印魔法の行使と、連戦による消耗で、枯渇しかけていた少女の、リンカーコアの魔力は不思議と回復していた。いや、増幅しているといった方が正しいだろうか。何処からともなく湧き上がる、複数にして同質の魔力の塊は、あっという間に少女の許容値を超えて、限界以上に魔力を供給する。

 少女の身体に活力が満ちた。あれほど疲労困憊していたのに、衰弱しきって弱っていたのに、体調は嘘のように優れている。だというのに胸の奥から、喉から、口から湧き上がる熱いモノが何なのか、少女には分からない。

 そんなものどうでも良い事。今は少女から希望を奪おうとするヤツを倒す方が先だ。

 黒衣の少女はゆったりとした動作で、鎖で縛られたまま、左手を動かすと、己を縛り付ける光の鎖を握った。ちょっとづつ力を込め、力を込めすぎて腕が小刻みに震えるくらい握りしめると、少女を縛り付けていた鎖はあっけなく、木っ端微塵に砕け散った。

 

「そんな馬鹿な……素手でバインドを砕くなんて、ありえない」

『………っ!!』

 

 ユーノが驚愕の表情を浮かべて驚いているが関係ない。

 少女のデバイスが何事かを叫んでいるが頭に入って来ない。理解できない。

 

「お前なんか、こふッ――、おま、え、なんが……」

 

 少女が激情のまま叫び声をあげようとして、口元からせり上がった何かを吐きだす。ゴホゴホと何度も咳き込むたびに赤く染まった涎が垂れ、紅染の唾が飛ぶ。思わず口元を手のひらで抑えて、そのまま拭うと。黒いグローブに赤黒い、見慣れた血が付着していた。

 

「っ、もうやめるんだ! そんなに魔力を高ぶらせたら、キミの身体は――」

「うるざい! 黙れ! おまえなんがに、わだじの……」

 

 ユーノの制止を遮って少女は叫ぶ。すると湧き上がる魔力は、突風を起こすまでになり、怒りのまま腕を振るえば、無数の鎖は全て砕け散って霧散した。

 魔力の風はユーノが身構えて顔を腕で覆わなければならない程に激しく、少女の長い金髪、フリルのスカート、黒いマントを激しく、はためかせる。

 両手で握りしめて構えたバルディッシュの柄が、ひび割れているのに気が付かない程、少女は激昂していた。デバイスに供給された過剰な魔力がバルディッシュを傷つける。そして、展開されたサイスフォームの光刃は、馬鹿みたいな出力の魔力量と密度を持って形成されていた。

 バルディッシュ自身が全力で制御しなければ形を維持できない魔力の奔流、気を抜けば、彼はすぐさま壊れてしまうだろう。もはや制止の声をあげることすら出来ない。

 

「わだじの、があさんを、うばわぜて、たまるがあああぁぁ――――!!」

 

 血反吐を吐きながら、泣き叫んだ少女は、先とは比べ物にならない、爆発的な加速力を持ってユーノに突撃する。

 振り上げられた禍々しくも巨大な光刃。迫りくるそれをユーノはシールド魔法で防ごうとして、瞬間、逸らすことに専念する。経験によって養われた勘による咄嗟の変更。しかし、それは無駄な足掻きにしか過ぎなかった。

 

「そんな! ぐわああぁぁ!!?」

 

 ちょっとかすっただけ。たったそれだけのことで幾学模様の防御陣は、紙屑を細切れにするかのように吹き飛んだ。それだけには止まらず、斬撃の余波はいとも簡単に防護服を引き裂いてボロ布に変え、ユーノの素肌が晒された両手両足を傷つけた。

 陶器のように白い肌から血が噴き出す。目の前の少女は非殺傷設定を完全に制御できていないらしく。無意識に一線を超えないようにしているようだ。

 ユーノは意識が飛びそうになるのを、辛うじて堪えた。なのはのようにインテリジェントデバイスのサポートを受けられない彼は、自力で魔法を制御しなければならない。飛行魔法の制御を失えば待っているのは墜落死だ。

 

(いけない。早く止めないと)

 

 むせて血反吐を吐きだすのを押さえようと、必死で口元を押さえている黒衣の少女に、ユーノは恐れよりも焦りを抱く。明確に殺意を向けられた怯えもある。確かに、気を抜けば死に至るかもしれない恐怖もある。現に背から流れ落ちる冷や汗はとまらない。

 だが、少女の目前に迫る死の気配のほうが、ユーノを焦らせる。

 

 黒衣の少女は、彼女は気が付いているのだろうか?

 その尋常でない程に高ぶらせた魔力が、全身からとめどなく溢れだす己の魔力が、自身を死の淵に追いやろうとしていることに。

 現に吐血しているのが良い証拠。それにリンカーコアの酷使は多大な疲労をもたらす筈なのに、先の突撃で限界以上の能力を発揮して尚、一切の気怠さも見せないのだ。少女の感覚が麻痺している可能性は大いにあり得る。

 放って置けば過剰な魔力に蝕まれた少女を、確実に死に至らしめる。そして、目の前で誰かが死ぬなど、ユーノは我慢ならない。たとえそれが自身を脅かす襲撃者であっても。

 

 少女が再び禍々しい歪曲の光刃を振りかぶって愚直なまでに突進してくる。ただ、ひたすら真っ直ぐに向かってくる。近づいて相手を斬り伏せる単純な攻撃だが、速度も威力も馬鹿にならない。

 しかし、先よりも動きが鈍っているようだった。瞳は虚ろで濁っていて、光がなく、叫び声をあげる気力すらもないようだ。

 早く止めなければ。動きを止めて外部から魔力の流れを調節してやるか、強力な一撃で意識を刈り取って魔法の行使をやめさせなければ。

 そして、ユーノに出来るのは前者だけだ。

 

「っ、とまれ、とまってくれ!」

 

 手足から伝わる痛みを無視してユーノは、バインドで少女を拘束しようとする。彼女から放出される膨大な魔力の前に、無意味だと分かっていても、そうせずにはいられない。

 リングバインドが彼女の手足を拘束しようとして砕け散る。チェーンバインドが身体に巻き付こうとしてボロボロに崩れ去る。ユーノとの間に設置されたディレイドバインドは発動することもなく、少女に触れた瞬間、崩壊する。

 

(こうなったら――)

 

 ユーノは覚悟を決めた。その凶刃が振り降ろされる瞬間に差し違えてでも少女に触れ、無理やりにでも魔力の流れを抑え込もうと。この身がどうなるのか予想もつかないが、彼は本気だった。

 そうして決意を固めたユーノが迫りくる少女に掴みかかろうとした時。

 

 光の柱と表現したくなるような桜色の軌跡が、天を貫き雲を断つ勢いで黒衣の少女を呑み込んだ。

 

 


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