リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●はじめてのともだち

 少女が目を覚ますと見たこともない天井が目に映った。少なくとも少女の住んでいる時の庭園と呼ばれた場所とは、まったく違う構造の天井だと理解できる。古めかしい木造で出来ていているからだ。ぶら下がっている電球も見たことない形をしている。

 咄嗟に起き上がろうとして息を呑む。別に拘束されて動かないとかではなく、純粋に身体が言う事を聞かないのだった。せいぜい指先をピクリと動かせる程度でしかない。

 

 少女は恐怖した。目が覚めれば見知らぬ場所に動かぬ身体。これで恐怖を覚えるなと言う方が無理だ。いつも傍にいてくれた戦斧の相棒はおらず、頼れる家族も周りにはいない。大人しかった心臓の鼓動が激しく脈打って、怯えのあまり身体が小刻みに震える。

 思わず叫び出しそうだった。いや、叫べたのなら叫んでいただろう。けれど、口から零れるのは掠れた声だけで、言葉にすらならない。荒い吐息だけが吐きだされる。

 

「目が覚めましたか、良かった」

 

 その時、隣で誰かが動く気配がした。いや、少女が気が付かなかっただけで初めからそこに居たのかもしれない。

 暗色系のブラウスに白黒のチェック柄をしたスカートを身に付けた女の子。彼女には見覚えがあった。少女と空戦を繰り広げた未熟な取るに足らない白い魔導師の子だ。間違いなかった。白から黒に服装を変じただけなのに、違和感を感じない。むしろ自分と同じ黒こそが本来の姿だと言われても納得してしまいそうな程似合っている。

 

 そして、彼女によって己が身を撃ち抜かれたことは鮮明に覚えていた。知らない人に捕まったら何をされるのか分からない恐怖と相まって、後ずさろうとする少女。だが、起き上がろうとして身体を支える腕は力が入らない。すぐに布団の上で倒れ込んでしまった。

 

「ぁ―――! ぁ、ぁぁ……!?」

「む、無理しちゃ駄目です! 今の貴女は酷く衰弱していて、満足に動ける状態じゃないんです」

 

 慌てた様子で少女の身体を支えながら、元のように布団に寝かしつけた不破なのは。少女に事情を説明しながら、置いてあった手鏡で姿を映しだす。そこには見るに堪えない自分の顔があって少女は絶句してしまう。蒼白い肌に、どす黒いと形容されるような隈。おまけに目は酷く充血している。生気の欠片もない。

 

「っ……」

 

 弱っていることを自覚した途端、正常な感覚が戻ってきた。喉は急激に渇きを訴え、激しい空腹は腹痛と頭痛を訴えだす。眠気と眩暈はとまらず、気を抜けば意識を失ってしまいそうになる。

 少女の訴えを察したのか、なのはは用意されていたコップの水を口に含ませる。すると、少女は乾いた喉を潤すために急激な勢いで飲み干して、咽た。なのはが慌てて背を摩ると徐々にだが落ち着いていく。頃合いを見計らって、もう一度。コップに容れられた水を、今度は落ち着いた様子で飲んでくれた。

 

 とにかく少女には色々なものが不足している。栄養、休息、水分、ちゃんと摂取できていなかったそれらを、身体は急激に求めている。

 

 少女が水を飲み終えると、なのはが見たこともない料理を床に置いてあった盆から持ち上げた。平皿に盛られた料理は一見すると、ミルクに穀物を浸したようなものだ。一口サイズの肉や食べやすいように切られた緑野菜も一緒に煮込まれている。

 

 いわゆるお粥という料理だった。つくりたてなのか、湯気が立ちのぼるお粥からは、食欲をそそるような香りがする。俗に言う空腹は最高のスパイス。それらと相まって少女は料理を貪り喰らいたい衝動に駆られた。まともな食事は久々だったから。

 

 思わず涎を垂らしてしまいそうな程、料理に釘付けになっている少女の様子に、なのはは意地悪するでもなくレンゲでお粥をすくう。熱々のそれを食べやすいように息を吹きかけて冷ますと、少女の口元へ。

 

 差し出された料理を少女は弱々しく顎を開いて、口の中に咥えこんだ。程よい塩加減で味付けされたどろどろの粥は喉の奥へと流れ込んでいく。けれど、柔らかく煮込まれた鶏肉の塊や千切られた白菜を噛みちぎることができず。わずかな粥と共に口から零れ落ちてしまった。

 

 なのはは眉をひそめる。別に少女がはしたなくこぼした事がではない。それはどうでも良かった。問題は少女に柔らかく煮込まれた食べ物を噛みちぎる力がないことだ。そこまで筋肉が弱っているとは想像もつかなかったから。戦闘の時とは大違いすぎて戸惑いを隠せない。それ程までに少女が衰弱しているとは考えも及ばなかった自分が恨めしい。

 

 唖然とする少女の目の前でなのはは料理を口に含む。あ、と驚きの声と次いで恨めしい唸り声が聞こえて来るが気にしない。半ば液状と化した米も、程よい柔らかさの肉も野菜も噛みちぎってすり潰し、何度も何度も噛み締める。そして。

 

「んんっ!?」

 

 少女を背中に腕を回して抱き寄せ、顎を掴んで持ち上げると、無理やり口を開かせて口移しで料理を流し込んだ。少女が驚きで目を見開く。動揺しているのか、せわしなく動く赤い瞳。鼻息は荒く、密着した身体から伝わる鼓動は早鐘を打っていた。熱い血潮がそのまま伝わるかのように体温も熱い。風邪をひいたみたいに熱でも出したかのようだ。

 

 強引な口づけから解放されると、ぷはぁと少女は息を漏らす。咄嗟にかすれた声で抗議の声をあげようとして口で塞がれる。料理を流動食のようになるまで噛み砕いたなのはが、再び口移しで無理やり呑み込ませたのだ。それは皿に盛られた料理が空になるまで続き、終わるころには少女の頭の中が真っ白になっていた。呆けたようにぼーっとしてしまって何も考えられない。

 

「とにかく今はゆっくり休んでください。詳しい事情は後で聞きます」

 

 なのはは、零れてしまった料理をちり紙で拭き取ると、少女の口元も拭ってやる。そして丁寧に少女を布団の中に寝かせてやった。部屋を後にしていくとき、静かに告げて去って行く彼女の頬は微かに赤く染まっていたのかもしれない。

 

 なのはが退出したのを見届けると、強引な献身を受けた少女はハッとし、改めて部屋を見回した。不思議な模様の部屋だ。床は大理石や木造ではなく、藁を丁寧に縫いこんだかのような敷物。堅紙で作られたかのような、廊下に繋がる横開きの扉。反対側には真っ白い紙が一面に張りつけられた窓、だろうか?

 

 それらは畳、襖、障子と呼ばれる日本独特の文化が生み出した家具だった。

 

 見たこともない、初めて見る異国の住まいに少女は感嘆の息を漏らす。この部屋は、なんというか、落ち着く感じがする。決して居心地のいいものではないけれど、とても静かなのだ。

 何だか急激に瞼が重くなったような気がした。渇きを癒し、腹が満たされたことで本格的な眠気が襲ってきたのだろう。ベットとは、また違った布団の心地よい温もりに包まれた少女は、やがて、誰もいなくなった部屋で安堵の溜息を漏らすと、すぅと寝息をたてて微睡の中に沈んでいった。

 

 

 

 少女を刺激しない様に部屋を退出したなのはは溜息を付いた。あの後、少女を砲撃によって撃墜した後は大変としか言いようがなかったから。

 まず、砲撃の負荷によってなのははしばらく魔法が使えない状態になった。手足に微かに痺れ、急激な疲れと眩暈が襲ってきたのだ。それを気合によって捻じ伏せ、ユーノがアリシアを抱きかかえて降りてくると、緊張の連続だった。

 

 ユーノと協力しての蘇生行為。砲撃によって気絶したアリシアは、今にも死にそうなくらい弱っていて、呼吸も微弱でしかなかった。すぐさま仰向けに寝かせて気道を確保。喉を詰まらせないように、なのはは血を吸いだして吐きだし、人工呼吸。ユーノは回復魔法を全力で掛け続けた。その甲斐あって一命を取り留めたが、放って置けば確実に死んでいただろう。

 

 黒の薄い防護服が解かれた少女は患者着のようなワンピースしか身に付けていない状態。身元も証明する持ち物も持たず、靴すら履いていない有り様だった。

 頼みのインテリジェントデバイスであるバルディッシュと呼ばれた戦斧も、自己修復モードに入ったのか一言も喋ることができない状態。

 

 事情を聞くことは後回しにした二人は、急いで少女を連れ帰って休ませることにしたのだ。士郎からの追及も、恭也からの問い掛けもなのはは強引に説き伏せて、今の今まで看病していた。その甲斐あって目を覚ましたが、もう夜の半ば。

 意識を取り戻す兆候があって、病院食を用意していたものの、このまま目を覚まさなかったらどうしようと、内心では冷や汗を掻いていたなのはだった。

 

(はぁ、ひとまず峠を越えたようで何より。ですが……)

 

 溜息を吐きだす。気になるのは、少女の悲痛なあの叫び。

 

――わだじの、があさんを、うばわぜて、たまるがあああぁぁ――――!!

 

 聞き直してみれば分かるのは、私の母親を奪わせてたまるかという言葉。ジュエルシードと母親にどんな関係があるのか、なのはは知らないが、気になって仕方がないのは事実だった。

 

 なのはの母親、桃子はこの世に居ない。愛する娘に向けてくれる筈の笑顔は遺影の向こう。

 

 最初はジュエルシードに関係する不届き者でしかなかったのに、今はあの金色の髪が綺麗な少女のことばかり考えている。母と言う単語に惑わされたばかりに。

 

(やめましょう。考えても仕方のないこと。名も知らぬあの子の体調を回復させることが優先です)

 

 余計な思考を振り払ったなのはは二階にある自分の部屋に向かう。

 そこでは可愛らしいパジャマに着せ替えられたユーノが勉強机の上に置かれたバルディッシュを精査しているところだった。

 

 もちろん彼の着ているパジャマはなのはの御下がりである。薄い桃色の生地に花びらがプリントされた柄が目立つ。いつまでも防護服を展開したままでは疲れるだろうと、なのはが強引に着せ替えた結果だった。正直、恐ろしく似合っていて初見だと女の子に見えるくらいだ。

 

「あっ、なのは、お帰り。どうだった彼女の様子は?」

 

 部屋に入ってきたのがなのはだと分かると、にこやかでいて、心配したような表情のユーノが問いかけてきた。笑顔はなのはに向けられたモノだろう。ユーノは人を安心させるように笑顔を浮かべる癖がある。そしてパジャマについて文句を言わないのは慣れてしまったのか、大人しく諦めた結果なのか。

 

「ようやく目を覚ましたようで一安心です。酷く衰弱していますが、食欲も良好なので問題ないでしょう」

「そっか、こっちはもう少し時間が掛かりそうだよ。セーフティのおかげで、コアに過剰な負荷は掛かってなかったけど、フレームはガタガタだから」

「そうですか」

 

 なのははベットに腰かけると疲れの溜まった肩を解きほぐす。このまま眠りに付きたいところだが、折を見て安静にしている少女に湯浴みをさせなければならない。触診しただけだが、恐ろしく筋肉が固まっていたのだ。痛みに呻いて安眠できなくなる前にマッサージで解してあげるつもりだった。

 

「疲れてるでしょ? 少し仮眠をとるといいよ」

「いえ、ユーノさんが頑張っているのに、私だけ休むわけにはいきません」

「いいから、いいから」

「ですが……」

 

 ふいに、デバイスを修理する作業をしたままユーノが休んでいいと提案してくる。

 なのははそれを辞退した。目の前の少年だって病み上がりにも関わらず、魔法の酷使によって疲労困憊の筈なのだ。自分だけのうのうと休むわけにはいかなかった。

 だけど、頑なとして譲らない少年の押しに、ついになのはは折れるしかない。このまま不毛な言い争いをしても意味はないと、合理を優先する不破の思考が介入した結果。

 

「仕方ありませんね。なら、三十分だけ」

「そのまま、朝まで熟睡しても……」

「一時間」

「遠慮せずに寝ていなよ」

「はぁ、三時間です。やることがありますので、時間が来たら起こしてください」

 

 心地よい眠気に身をゆだねて、なのはは瞼を閉じる。薄れ行く意識の中でユーノが、護ってあげられなくてごめん、と謝っていたような気がした。

 

◇ ◇ ◇

 

「ッ! うっ、うぅ~~!?」

「ええい、大人しくしなさいっ。お湯で身体を洗うだけといっているでしょうが」

「―――!!」

 

 夜も更けた深夜に近い時刻に、眠っていた金髪の少女を叩き起こしたなのはは、強引に風呂場の脱衣所まで彼女を連れ出す。そして、弱々しく抵抗する少女から病院着みたいなワンピースを脱がすと洗濯機の中に放り込んで、自分の着ていた服も脱ぎ捨てた。

 

 生まれたままの姿になった二人。驚くことに少女は下着の類を着ていなかった。なのはは軽く眩暈を覚える。いったいどんな教育を受けたら下着を身に付けないという非常識に染まるのか。或いは、致命的なまでの世間知らずなのか。

 この時ほど、少女と自分の体格が同じくらいで良かったと思う日はない。おかげで貸し与える服も下着も、なのはの物で代用できる。

 

 身を捻って逃げようとして全身に痛みが走ったのか、苦悶の表情を浮かべる少女の腕を引いて、なのはは湯気がたちこもる風呂の中に入り込んだ。

 「う~~っ」と唸る少女を腰かけの上に座らせると、風呂桶に湯をくみ取って、肩の上から流してやる。

 

「あぅ!!」

「あ、熱かったですか?」

 

 びくりと身体を震わせ、悲鳴を漏らした少女に、なのはは湯の温度を確かめてみる。腕を浸して、お湯が噛みつくような熱さでないことを確認すると、ただ単に慣れないことをされて驚いただけだと判断した。

 

 もう一度、少女に湯をかけて、自分の身体も余すことなく汚れを落としたなのはは、シャンプーのボトルを手にした。

 

「今度は頭からお湯をかけますから、目を瞑っていて下さい。ちゃんと大人しくするんですよ?」

「う~~! う~~!」

 

 どうやら少女には風呂に入るという風習がないらしく、湯浴みを新手の虐めか何かと勘違いしているようだ。瞳を潤ませながら、何すんだよぅとでも言わんばかりに視線だけで訴えてくる。

 

 それにしても微笑ましいとなのはは思う。助けた当初は元気がなかったのに、身振り手振りで反抗する程度の体力は戻ったらしい。喉が枯れているようなので喋るに喋れないが、明日になれば流暢に言葉も話せるだろう。

 

 二、三度しつこく、湯が目に染みないように目を瞑れと言い聞かせ、頭から桶の湯をゆっくり流す。くすみ痛んで見るに堪えなかった金糸の髪はそれだけで、だいぶマシになった。

 

 ボトルを一押しして、手のひらにシャンプーを載せて広げるなのは。宝石でも磨くみたいに繊細な手つきで少女の髪に塗りこんでいくと、金糸の一本、一本が艶を取り戻し、光に照らされて美しく輝きだす。枯れた植物の蔓のようになっていたのが嘘のようだ。

 

 気が付けば、思わず息を漏らしてしまうくらいに、静かに呟いていた。

 

「綺麗です」

「……?」

「貴女の髪はとても綺麗ですよ」

「っっっ――!!」

 

 照れたように黙り込んだ少女をよそに、なのはは髪を洗う手をとめない。今日からきちんと髪の手入れを欠かさなければ、少女の持つ金糸の美しさは際立ち、本来の姿を取り戻すだろう。

 湯をかける合図を囁いて、髪に塗りこまれたシャンプーを洗い落としてやる。液体石鹸で身体を洗うのに目を瞑ったままでは辛いだろうから。

 

 今度は身体を洗うためにボディソープのボトルを手にする。しっかりと手の掌に広げて、雪のように真っ白な肌にボディソープを塗り込むと、なのはは少女の身体を揉み解した。硬くなった筋肉を優しく優しく。その度に少女は身じろぎして、くすぐったそうな声を漏らす。

 

 マッサージをこなしながら、身体を洗う作業を続けると、肌は垢ぬけて、本来のきめ細やかさを取り戻していく。それはなのはが羨むほどに洗練されていて、ここまでくると作り物なのかと疑いたくなるほどだ。

 

「んぅっっ」

「ああ、もう、じっとしていてください。手元が狂ってしまいます」

「っ~~~!!」

 

 マッサージが心地よいんだろう。顔を振り向かせた少女の紅い瞳は、別の意味で潤んでいた。

 なのはは気にせずにマッサージに専念する。背骨に沿うように手を滑らせ、背筋の筋肉を手の掌を使って擦る。そして、筋肉の硬い部分を軽くたんたんと叩いたり、揉み解したりを繰り返す。

 

 折を見てはお湯にタオルを浸して絞る。暖かな人肌の温度を保つタオルで少女の身体を余すことなく拭いてやり、身体が冷えてしまわない様に温めた。

 

 そうして何度も同じことを繰り返すうちにマッサージを終える。後は少女を湯船に浸からせて、身体を心行くまで温め、布団に寝かせてやるだけだ。

 

「先に湯船に浸かっていなさい。そのままでは風邪をひいてしまいます」

「…………?」

「どうかしました?」

 

 なのはを見て、一面に張られたお湯を見て、もう一度なのはを見るような仕草を繰り返す少女に、なのはは首を傾げた。少女の瞳に宿るのは微かな怯え、戸惑い。出来ないよとでも言わんばかりに彼女はふるふると首を動かす。

 

 そういえばと思う。風呂に入るのが初めてならば湯に浸るのを戸惑うのも無理はないと。初めて海を見て、水に浸るのを恐れるのと同じ感覚を少女は抱いているのではないか?

 

 少しばかり配慮が足りなかったと、自らの失態を悔やんだなのはは、少女の手を取って先に風呂の湯に身体を沈めていく。身体も髪も洗っていないのに湯船に浸かるのは流儀に反するが、この際は仕方ないと目を瞑ることにした。

 

 少女も恐る恐るといった様子で片足を踏み出す。まずは足の指先を浸してみて慌てて離した。お湯の温度にびっくりしたようだ。だが、徐々に慣れていったのか両足をまで湯に浸かった彼女は、なのはを見て意を決し、肩までお湯の中に身体を沈める。

 

 子供二人分の体積から溢れだしたお湯が、水音を立てながら流れ落ちて、排水溝まで吸い込まれていった。

 

 そんな中で、少女はあまりなのはと顔を合わせようとしない。時折、ちらちらと横目で視線を向けて来るので気にはなっているんだろう。けれど、先まで敵対していた者同士。すぐに打ち解けあうというのは無理があり過ぎる。

 

 だから、なのはの方から歩み寄ることにした。かつてアリサ達がそうしてくれたように、今度はなのはが手を差し伸べる番なのだ。彼女が母親のことで何を抱えているのかは分からない。でも、遠い記憶の人となった自分の母のことがあるからこそ、なのはには彼女を放って置くなんて選択肢がなかったのだ。

 

 どこか共感にも似たものを少女から感じ取ったのもある。彼女の雰囲気は昔のなのはと良く似ている。アリサとすずかに出会う前の自分。全てを拒絶して独りになろうとする自分自身そのもの。だから、彼女のことを助けたい。なのはは心の底からそう思う。

 

 背中から少女の身体を抱き締めると、びくりと身体を震わせたのがよく分かった。それでもなのはは少女を離そうとしない。まるで、子を安心させようとする母のごとく深い慈愛を持って少女を抱きしめ続ける。

 

「怯えなくて、いいんですよ。誰も貴女を、アリシアを傷つけたりしません」

「どう……して……」

「貴女のデバイスが、バルディッシュが教えてくれました。アリシア・テスタロッサ。それが貴女の名前だって。彼はとても良い子ですね。傷ついた自分よりも主人である貴女の身を案じるのですから」

「…………」

「アリシア?」

 

 アリシアと呼ばれた少女は俯いてしまった。何か話題を間違えてしまったのかと焦ったなのはは、しどろもどろになって目を泳がせる。場を持ち直すために話題を変えようとするも、良い案はまったく浮かんでこない。元々彼女は口下手で話すことを得意としていない故に。

 

「えと、ええと、そうだ! 友達になりましょう」

「ともだち――」

「そうです! 友達というのはですね。困った時に手を差し伸べあって助け合うといいますか、その、つまり……貴女と仲良くなりたいってことです! な、なに言ってるのか自分でもさっぱり分からなくなってきました……」

「う、うぅ、ひっぐ、えぐっ」

「ど、どうして泣くんですか!? も、もしかして友達になるのが嫌だったとか……? それとも、私は何か悪いことでもしてしまいましたかっ!?」

「うわ~~~ん!!」

 

 いきなり嗚咽を漏らして泣き始めたアリシアに、なのはは混乱する。彼女が泣いている理由も分からず慌てふためくしかない。

 そんななのはをよそに振り返ったアリシアは、抱きしめてくれた少女に強くしがみ付くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その女の子が髪を洗ってくれたとき、思い出したのは優しかったリニスの笑顔。

 なのはと名乗った女の子が身体を揉み解してくれたとき、思い出したのは大好きなアルフが怪我してくれたときに世話してくれた光景。

 

 わたしを抱きしめてくれたとき、暗く悲しい瞳をした彼女の身体はとても暖かくて、まるでお母さんに抱き締められてるみたいだった。そう思ったら、あれほど怖かった女の子におびえることはなくなった。

 

 そしたら我慢できなくなって、わたしは泣いた。

 

 久しぶりに感じた家族の温もり。なのはっていう女の子がくれた優しさ。

 

 ずっとひとりぼっちで寂しかった! ずっとひとりで不安でたまらなかった! もし、ずっとこのままなんじゃないかと思うと、わたしの心は壊れてしまいそうだった。

 

 そんな時に差し伸べられた手はあまりにも暖かくて。あれほど酷いことをしたのに、優しくしてくれる女の子は心地よい存在で……だから、だから……

 

 わたしは、思わずその手を取ったんだ。

 


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