リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●ママ/お母さん

「アリシア……」

「母さん!」

 

 目を覚まし、視線を彷徨わせたプレシアに、アリシアは駆け寄った。血反吐を吐きだして消耗していたのも忘れたように、横たわる母の元へと一心不乱に。まるで探していた宝物を見つけたように。事実、アリシアにとってプレシアは何物にも代えがたい大切な人なのだから。

 だから、その一言はアリシアの心を打ち砕くのに充分すぎた。

 

「どこなの、アリシア……?」

「………………えっ?」

 

 長い沈黙が舞い降りた。当の本人であるアリシアどころか、二人の傍に向かっていたユーノとなのはでさえ、唖然として押し黙ってしまう程だったのだから。アリシアが受けた衝撃は計り知れない。

 アリシアは必死だった姿も、浮かべかけた笑顔も消えて。愕然としたように、その場で崩れ落ちてしまった。

 

「何も見えない、真っ暗闇だわ……それに、寒い……此処は何処なのかしら……?」

 

 だが、プレシアの呟き続ける声がアリシアを突き動かす。彼女はハッとして、それから唇を痛いくらい噛み締めてから。泣きそうな表情でプレシアの傍にもう一度歩み始めた。

 そして、母親の隣でしゃがみこんで手を握りしめる。プレシアの手は冷たくて、戻りかけていた血の気は再び失ってしまったかのように青白い。アリシアの手を握り返す力も無くて弱々しかった。

 今にも消えてしまいそうな、まさに風前の灯のようだった。

 

「暖かい手、誰かそこに居るの? 悪いけど、何も見えないのよ。何も……」

「母さん。ここだよ。ボクはここに居るよ。母さんは、ひとりじゃないよっ」

 

 アリシアは泣きそうな声でプレシアを励ます。ううん、既に彼女は泣いていた。宝石みたいな赤い瞳から溢れ出る涙が、彼女の頬を伝って流れ落ちていく。

 プレシアの事を励まそうと表情は笑顔を形作り、けれど喉からは嗚咽が漏れ出て、泣き笑いみたいな表情になってしまっている。

 

 そんな、アリシアの表情でさえ、プレシアは見ることが叶わない。瞳は虚ろで、玉座の間を照らす明かりに何の反応も示していなかった。眩しいからと瞼を閉じることもない。偶に瞬きをしては、アリシアの声がする方向に視線を向けているだけで。肝心な焦点はちっとも定まっていない有り様だった。

 

「しっかりして母さん。ボクがきっと治してあげるから……だからっ……」

「その声は……アリシア、なの?」

 

 プレシアの問いにアリシアは言葉に詰まった。

 プレシアの呼んだ名前はきっとアリシアのことではない。別の"アリシア"の事。

 プレシアだけが知っている本当の"アリシア"を呼んでいるんだろう。

 

「…………そう、だよ……母さん。私はここにいるよ」

 

 だから、アリシアは嘘を吐いた。せめて少しでもプレシアが安心できるように。

 でも、嘘を重ねる度に胸の奥が苦しくなって、もっと泣きそうになる。

 本当はアリシアとして見て欲しくない。もう、アリシアでいたくない。そんな悲痛な思いが渦巻いて仕方がない。

 嘘のアリシアを演じれば演じる程、自分が自分じゃなくなるような気がするのだ。自分の存在が消えてなくなるような気がして怖くなる。消えてしまうのは……嫌だった。

 

 ちゃんと、自分のことを見て欲しい。"アリシア"の代わりとしてじゃない自分を。

 記憶の中にある母親の笑顔も、優しさも、自分に向けられたモノじゃない気がした。だって、アリシアは"アリシア"として目覚めてから、ただの一度も母親に優しい微笑みを向けられたことがないのだから。

 本当の"アリシア"のことが嫌いなわけではない。でも、アリシアは本当の"アリシア"の事が羨ましかった。

 あの微笑みも、優しさも、愛情も、全部彼女のモノだ。それらは記憶として知っているアリシアにも、とても暖かく感じられる程のもので。

 いつの間にか、それを切望している自分がいた。自分も、あの笑顔が欲しいと、ずっと望んでいた。

 だから……

 

「……ごめんなさい。お母さん。ボクは"アリシア"じゃない。ボクは……」

 

 アリシアは嘘を吐くのをやめた。もう、苦しいのを我慢することが出来なかった。

 

「そう……薄々、そんな気が、していたわ。私の知っているアリシア、とは……どこか、違うもの。とても似ている誰か、なのね……?」

「うん……」

「顔を、撫でさせて、貰えるかしら……?」

「う、ん……」

 

 アリシアはプレシアの手をそっと自分の頬に導いた。ひんやりとした手の感触が頬に伝わり、支えられたプレシアの手は優しくアリシアの輪郭をなぞっていく。特になのは、アリサ、すずかによって丁寧に整えられてきた金糸の髪は、何度も何度も確かめるように指で梳いてくれた。それが嬉しくて堪らなかった。知らずに微笑んでいる自分がいるのを、アリシアは自覚する。

 

 ようやく、プレシアは自分のことを見てくれて、それがアリシアにはたまらなく嬉しかった。そして、病で苦しみ続ける母の姿が、たまらなく悲しかった。もっとこんな時間が続いて欲しいと思う自分がいる。早く母を苦しめる病を治してあげたい。

 もっと撫でて欲しい。笑って欲しい。褒めて欲しい。一緒にお出かけして欲しい。美味しい手料理を作って欲しい。魔法を教えて欲しい。知らないことを教えて欲しい。添い寝して欲しい。子守唄を歌って欲しい。

 アリシアは切にそう願う。想う。これから過ごしたかった幻想的な未来に想いを馳せる。

 

「とても、良く、似ているわ。私の、アリシアに……顔の形も、肌の感触も、髪の感触も……そうか、プロジェクト・F.A.T.E……完成、していたのね」

「母さん……」

「この、水滴の感触は、涙、かしら……? 貴女、泣いて、いるの……? 何か、悲しい事でも、あった……?」

「っ!? ううん、違うよ……! そう、えっと、これは汗! 時の庭園が熱いから……」

「ふふ、貴女は、嘘が下手ね……」

 

 アリシアの誤魔化しが可笑しかったのか、弱々しく喉を鳴らして笑うプレシア。だけど、そんな呑気そうな彼女とは裏腹に風前の灯のように消えかけていく命の鼓動。

 さっきからプレシアの手を握っているアリシアだが、伝わって来る母親の体温は段々と冷たくなっている。まるで氷のようだと錯覚してしまうくらいに。それは、プレシアの脈が弱まっていると言う事。生命を循環させる心臓が力を失くしているということ。少しずつ、少しずつ、お別れの時間が迫っている残酷な現実。

 それでも、アリシアと喋りつづけているのは、プレシアの精神力がそうさせているからだ。最後の時間を少しでも引き伸ばそうと、無理してでも己の生命力を全て爆発させている。寝たきりのまま生き長らえる時間を削って、彼女はしゃべり続けている。

 それは、自分の命が長くないと悟ったプレシアの、最後ばかりの親心なのかもしれない。母親から娘に送る少しばかりのだけど、とても大きな愛情の欠片。"アリシア"に送る筈だったソレは、確かに目の前のアリシアに注がれていた。

 だけど、もう……プレシアは長くない。アリシアはそれを本能で悟っている。いつも生命維持装置で眠る時とは違う感じ。今度の眠りはきっと長く永遠と続くだろう予感。きっと母が眠ってしまったら、もう、会えない……そして、たぶん何をしても間に合わない……

 アリシアは、そう、悟ってしまった……

 

「何だか……とても、眠いわ……とても、とても……」

「……ょ」

「? どう、した、の……」

「やだよ……死んじゃやだぁ!! もっとお母さんと一緒に居たい! これからっ、一緒に暮らすんだって、ずっと、頑張って来たのに……」

「そうね……私も、アリシアと、貴女と一緒に、過ごしてみたかった……だって、貴女は、アリシアの……私の……」

「お母、さん…………?」

 

 もう、口元に耳を近づけないと聞こえない位の声で呟かれる、プレシアの声。アリシアの頭に弱々しく伸ばされる、もう片方の手。だけど、それ以上の言葉が彼女の口から紡がれることはなかった。

 

 プレシアはゆっくりと瞼を閉じると気を失ったかのようにぐったりとしてしまう。伸ばされていた腕も完全に力を失い、大理石の床に落ちた。そして、アリシアの手を握り返していたプレシアの指が、ゆっくりと離れていく。途端に重くなるプレシアの腕。大地に吸い込まれるように落ちようとするプレシアの身体の一部。

 

「母さん……? お母さん……? お母さんっ……お母さん……!!」

 

 アリシアは何度も何度もプレシアの身体を揺する。彼女の胸元に縋って呼びかける。それでも、プレシアは何の反応も返さなかった。息遣いが、微かに伝わる温もりが、胸から伝わる筈の鼓動が、感じとれない。何も、何も……

 

 冷たすぎるプレシアの身体。動かない母親の肉体。呼びかけに応えない、お母さん。

 

「あっ、あ、あっ……うぁ、あ…………」

 

 アリシアの頭の中でいくつものビジョンが駆け巡っていく。記憶の濁流。自分のものではない誰かの思い出。

 とても楽しかったピクニックの思い出。自分じゃない本当の"アリシア"が作った花冠を、母の頭に飾ってあげると、嬉しそうに微笑み返してくれた。休日に作ってくれたおやつのマフィンは甘いジャムがたくさん詰まっていて、ママ大好きって言うだけで嬉しそうにしてくれた。

 仕事で疲れて帰ってきた時は、おかえりって笑顔で迎えるのが楽しみだった。

 

 どんなに寂しくてもリニスと待っていれば平気だった。

 一生懸命、描いた母親の絵をみせると、まあ、良く出来ているわねって嬉しそうに笑いながら褒めてくれた。

 

 走り回って、転んで、心配されたことがあった。ちょっとしたイタズラをして叱られたこともあった。一緒にベットで眠った日、眠るまでの間、絵本を朗読してくれた。

 お母さんの困った顔、疲れた顔、泣きそうで心配そうな顔、嬉しそうな顔、喜んだ顔。そして大好きな笑顔。

 抱きついて、抱きしめ返された時に伝わる母親の温もり。

 大好きなママ。

 

 それを、たった今、アリシアは失った。

 

 もう、笑わない。もう、笑い掛けてくれない。心配してくれない。悪いことをした時に叱ってくれない。心配してくれない。美味しい料理を作ってくれない。一緒にお出かけして、色んな所に連れて行ってくれない。抱っこしてくれない。一緒に眠ってくれない。傍で見守ってくれないっ……!

 

「うわああああああ、ああああっ! あああああああああっ――!!」

 

 自覚したら涙が溢れて止まらなかった。気が付けば泣き叫んでいて、叫び声をあげる自分の声が良く聞こえないくらい意識が朦朧とした。

 頭の中にある記憶は、本当の記憶じゃない。誰かから借り受けた偽りの記憶。なのに、急にそれが尊いものに感じられて。母親との思い出が自分の記憶のように大切になってしまって。それがまた、プレシアの……を、現実を自覚させる。

 

――ただいま、アリシア。

――あっ、おかえり、ママ~~!

 

 幾度となく繰り返される母親の微笑み。

 いくら母の胸元に顔をうずめて泣き叫んでも、呼びかけに目覚めて再び頭を撫でてくれるなんて言う奇跡は起こらない。

 アリシアは、ただ悲しくて、虚しくて、切なくて、苦しくて、嗚咽が止まらないくらい泣き叫んで、涙が枯れ果ててしまいそうなくらい涙をこぼして。

 それから、アリシアの意識は暗いまどろみの中に落ちて行った。

 

「アリシア……眠っていて、ください。」

 

 泣きそうな、掠れた声で呼びかける、大好きな親友の、なのはの声を聞きながら。




 今回は短め……です。アリシアよりも作者の心に多大なダメージ……きたもので。
 というか、これくらいの文字数でいいんだろうか……←一話一万文字書こうとする弊害。
 それと19話と矛盾が生じ始めているけど、どうしようもないです。はい。一応、フォローできる範囲だけども、ついにやってしまった。

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