リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●プロローグ3 世界はいつだって残酷で優しい

 手にした魔法という力。

 願いの対価に災厄を撒き散らす種を封じる事。

 自分にしかできない事。

 

 その時、わたしは始めて誰かの役に立てる気がした。

 こんな自分でも、人殺しの娘でも、誰かを助けられるんじゃないかって。

 だから、彼の為に頑張った。あの少女の為に頑張ってきた。

 

 でも、結局は自惚れだったんだ。

 だって、わたしは願いを叶える宝石が光り輝いたとき何もできず、救いたかった人も救えないのだから。

 

 わたしは……人殺しの娘……

 業を背負い、血に染まった両手で誰かを救うなど、愚かでしかなかったのだろうか……

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノが迎えに来てから散々、後悔で泣き叫んだ不破なのはは、絶望の底に堕ちてしまいそうだった。アリシアと同じ姿をした少女を、アリシアの妹のような存在を、目の前で救えなかった事実は、なのはの心を確実に蝕んでいたからだ。

 

 そして、立て続けにこんな筈じゃなかった事ばかりが続いていた事も拍車を掛けた。何せ、幸せを掴み取ると信じて疑わなかった未来(みち)を歩んでいたのに、絶望の落し穴で道を踏み外したのだ。プレシアを喪い、大好きなアリシアが傷ついた所に、止めとして救えたはずの少女を喪う。いくら、不破なのはの心が不屈でも、堪えない訳がなかった。あまりにもショックが大きすぎる。

 

 いや、偽りの不屈の心か。

 なのはの心は幼い日に凍り付いている。あの"雨の日"の悪夢が少女の心を凍てつかせた。自分自身が壊れてしまわないよう、心が病んでしまわぬように、なのはは感受性の殆どを自ら棄てるしかなかったのだから。

 

 そんなニセモノの心では、今回の出来事に耐えられる筈もなく、なのはの姿は呆然自失といった有り様だ。時の庭園を脱出して、海鳴の街に帰って来たはずなのに、その過程はぼんやりとして思い出せない。迎えに来たユーノが声を掛けても、どこか上の空。あれから何日たっているのかさえ、思い出せそうになかった。

 

 それでも、なのはの精神が完全に壊れることがなかったのは、心の何処かでアリシアを想っていたから。自分なんかの事よりも、彼女の安否を気になって仕方なかったからだ。アリシアは無事だろうか。あの時、血を吐いていたけれど、体調を悪化させてはいないだろうか。そんな想いばかりが心を過ぎ去っていく。

 

 だから、何処かのベッドの上で休まさせられていた少女は、ふとアリシアの顔が見たくなって這い出るように動きだした。身体と心が別々に分かたれたんじゃないかと錯覚するほど、なのはは上手く動く事が出来なかったが、そんな事はお構いなしだった。

 

「アリシア……アリシアっ……」

 

 今は、無性にアリシアに会いたい。あの子の笑顔を見たい。あの天真爛漫で、太陽みたいな笑顔をもう一度見たい。あの子が笑ってくれるなら、何でもする。そんな気概で彼女は衰弱した身体を酷使した。

 

「あっ、ちょっと、なのは! 無理すんじゃないわよ。大人しくしてなさいってば」

「アリサ……? アリサぁ……!!」

「わっ――」

 

 それを押し留めたのは親友のアリサだった。久しぶりに見た気がする友人の顔に、なのはは途方もない安心感を覚え、アリサにしがみ付いた。時の庭園での事件から、少女は想像を絶する損失感を覚えてもいたのだ。まるで長年、共にあった半身を喪ったのような恐ろしい感覚。不安で不安で仕方がなかった。自分が独りぼっちになるんじゃないかと絶望しそうになる。

 

 結論から言えば、なのははアリシアに依存している状態だった。アリシアだけではない。アリサ、すずか、ユーノ、恭也といった心を赦せる家族や友人たち。なのはにとって大事な人たちに、無意識に心を寄せることで、孤独感に苛まれる自分を慰めていたのだ。

 

 本来であれば親に甘えたい年頃の女の子。そして愛情を渇望している時期でもある。親離れするにはまだ早すぎる。いくら自身を納得させようとも、心の何処かで諦観しようとも、本心が気付かない所で、暖かな温もりや愛情に飢えていたのだ。

 

 そして依存すればするほど、損失した時の傷は凄まじいものとなる。今回は心を寄せていたアリシアが傷つき、同時にアリシアと瓜二つの少女を喪ったことで、なのはは自分の事のように深く傷ついてしまったのだ。アリシアの境遇に共感していた分、冗談ではないくらい死に瀕しそうな精神的ダメージを受けていた。

 

「ッ――よしよし、アンタがどれだけ苦しくて、辛いのかはよく分かるわ。今は、ゆっくり休んでいいのよ」

 

 それが分かっているからこそ、アリサも普段の勝ち気な態度は鳴りを潜め、幼い子供を甘やかせるような優しい声音で囁いた。いつものアリサとは違う母性に満ち溢れた彼女の一面。ぎゅぅっとしがみ付いてくる親友が苦しいくらいに力を込めても、寛容に受け入れる。今のなのはは誰かが支えてやらないと、二度と立ち上がれない位に倒れてしまう。それだけは何としても阻止しなければならなかった。

 

 まだ、春の終わりに過ぎない季節なのだ。梅雨の季節を通り越せば、暑い夏がやってくる。夏休み。海開き。プールでもいい。バーベキューやキャンプ。風物詩の夏祭りだって待っている。楽しい事が沢山あるのだ。世の中、悲しい事ばかりじゃない。この親友と楽しい夏を過ごすためにも、悲しい絶望など張り倒す。大好きな親友が笑って嬉しいのは、アリサとて同じなのだから。

 

「アリサっ、アリシアが、アリシアが……わたし、助けられなくて……目の前で……」

「大丈夫だから、落ち着きなさい? あの子はちゃんと生きてる。いつもみたいに元気だから安心して」

「ほんとっ……?」

「本当よ。アタシがアンタに嘘を吐いた事なんてあったかしら?」

「ううん……アリサなら、信じられる……」

「なら大丈夫。だから、もう少し休んでなさい。今はアタシ達に任せてればいいから」

「うん……」

 

 アリシアの事情は、ホントを言えば少し違う。彼女もまた最愛の人を喪って、ある部分に"変容"きたしているのだが、それをこの少女に告げるのは酷だろう。彼女がもう少し普段の状態に戻らなければ、自責の念で潰れてしまうのは間違いない。

 

 なのははアリサの態度に安堵したのか、徐々に落ち着いていく。そして強張っていた身体の力を抜いて、彼女は毛布の中に包り、静かに寝息を立て始める。

 

 アリサはそんな彼女の寝汗を用意していた濡れタオルで拭いてあげた。人肌よりも少し暖かい湯で濡らしたタオルだ。寝汗を拭いてあげるだけでも寝心地は変わるだろう。慣れない看病ではあるが、それでも、なのはを思いやればいくらでも頑張れる。

 

「なのはがどれだけ頑張ったのか、アタシには良く分かる。アンタの事だから自分を省みずに必死だったんでしょう? 本当なら無茶したことを叱りたいけど……」

 

 アリサはそこで、なのはの頭を撫でた。

 

「今はゆっくりお休み――なのは」

 

◇ ◇ ◇

 

 それから数日後。なのはの眠るベッドの隣には、椅子に腰かけた月村すずかの姿があった。アリサと交代しながら、時には二人一緒になって、なのはを献身的に支えてくれた。そんな二人の存在には感謝してもしきれないと、なのはは思う。

 

 それなりに長い時間を掛けた療養は、心と身体を癒すには充分すぎる。しかも、頼れる親友が任せろと言ってくれたのだ。そのことが何よりも、なのはの心を癒した。自責の念に駆られて、何もかもを背負い込んでいた彼女から重圧を取り除いたのだ。少しは肩の荷が軽くなった気分だった。

 

 おかげで、幼くなっていた精神は少しだが、安寧を取り戻している。心に様々な負の感情がくすぶってはいるが、なのはは比較的に落ち着いていた。

 

「だいぶ落ち着いたみたいだね、なのちゃん」

「……ええ、これもアリサとすずかのおかげです。感謝していますよ」

「――良かったぁ」

 

 すずかは大きく息を吐いた。安堵の溜息である。

 

 なのは自身は知らないだろうが、保護した当初は、それはもう酷い有り様をしていた。瞳に生気はなく、今にも消えてしまいそうな程に儚くて弱々しい存在。普段の冷静でいて隙のない立ち振る舞いは面影すらない。それは死んでしまいそうと表現するのが妥当だろうか。虚ろな表情は、初めて出会った時よりも悪化していた。

 

 すずかは心の底から恐怖した。恐れを抱いてしまった。このままでは大事な人を喪ってしまうという恐怖だ。それが身近にいる親友ともなれば尚更。アリサが止めなければ、夜通し看病を続けていただろう。それこそ自身を省みず、ぶっ倒れるまで続けていたに違いない。

 

 とにかく、なのはの手を握っていなければ不安だった。それはアリシアに対してもだ。手を離したら、掻き消えてしまうんじゃないかと怯えに怯えた。おかげで、看病する側なのに、アリサに心配されてしまったほどだ。

 

 今にして思えばダメダメだなぁと苦笑する、すずかである。看病する側なのに、自らも看病されかける側に為りそうだったとは。

 

「何か、欲しい物とかある? わたし、すぐに用意するよ? それとも、聞きたい事でもある?」

「そうですね……やはり、アリシアの事でしょうか」

 

 なのはは、少しだけ考えるような素振りを見せると、アリシアの事を聞かせて欲しいとせがんだ。今はどんなに弱っていても、それだけしか思い浮かばないから。

 

 だが、すずかは少しだけ困ったような顔をした。それは知らないことを聞かれたというよりは、話すべきかどうか迷っている様子だった。なのはをじっと見つめていた瞳が彷徨うように揺れ動く。彼女は迷っていた。迷っていたが、なのはの瞳に込められた真剣さを見て、意を決した。

 

 どうせ、すぐにでも知る事になるだろうから。

 

「いいけど、ちょっと待ってね……何処から話せばいいのか、整理するから」

「ええ、構いません」

「えっとね、落ち着いて聞いてほしいんだけど……アリシアは、部分的に、記憶を無くしちゃったの……」

「……――えっ?」

 

 なのはがすずかの言っている意味を理解するのに数秒は要した。あまりにも予想外すぎて、まるで背後からバッドで殴られたような気分。そして遅れてやってくる衝撃。

 

 アリシアが血反吐を吐きながら、ジュエルシードを行使し、母の死を目の当たりにするという最悪の結末までは鮮明に覚えている。そこから酷く落ち込み、肉体だって休めなければならない程、消耗しているんだと予測はしていた。海のジュエルシードを封印した時だってそうだったのだから。

 

 だけど、記憶喪失? なんだそれは? 

 

 理解できても受け入れることが出来そうにない。なのはの事を忘れてしまったのか。ユーノの事も、アリサの事も、すずかの事も? これまで出会ってから共に過ごしてきた思い出も? 彼女は全てを忘れてしまっているのか?

 

 なのはは愕然とした様子で、ショックのあまり眩暈すら覚えたが、それを支えたのは他ならぬすずかだった。ベッドの上に横たわる、なのはの身体を支えながら、慌てたように彼女は言葉を取り繕う。

 

「そん、な…………」

「ああ、えっと、落ち着いて、なのちゃん! その、記憶喪失といっても部分的なの! 全部じゃないから、わたし達の事とかちゃんと覚えてるから!」

「ぶぶん、てき……?」

「そう! 部分的!」

 

 言い聞かせるどころか、無理やりにでも理解させようとするほどの勢い。思い浮かんだ言葉をろくに整理もせず、勢いに任せて吐きだす少女。それ程までにすずかが慌てている証拠だった。やっぱり、もう少し時間を置くべきだったと後悔しているのは内緒だ。

 

 そのおかげで、なのはも何とか落ち着きを取り戻す。部分的と言う事は全部忘れていないと言う事だ。でも、一部の記憶を無くしたのは事実なので、衝撃は大きいままだ。自責の念はどんどん強くなって、後悔ばかりが募る。でも、アリシアの状況を理解しなければ始まらない。なのははすずかの声に耳を傾けた。

 

「落ち着いて、聞いてね。なのちゃん」

「……え、ええ、大丈夫です。大丈夫ですから続けてください。すずか」

「うん……」

 

 すずかは言う。最初はアリシアが幼児退行を起こしていた事。う~~、あ~~と無邪気な声をあげて、まるで赤ちゃんみたいな反応を示していた。それから徐々に落ち着きを取り戻し、元通りになったと思った時には、ようやく異変に気が付いた。

 

 口調が変わっていた。そして一部の記憶が欠落していた。彼女は母親の死を認識できなかったのだ。何処か遠い所に単身赴任でもしていると思っている。……真実を伝えるには余りにも酷すぎると、アリサが黙して語らないことを決め、すずかとユーノも深刻な顔で了承した。そんなアリサの判断を誰が責められよう。真実を告げて、アリシアの精神(こころ)が壊れては意味がないのだ。

 

 油断ならないのは肉体面でも同じだった。アリシアは酷く体調を崩しやすくなってもいたからだ。ユーノが献身的に治癒魔法を掛け、外部から魔力の流れを整えてやることで、ようやく正常な状態を維持できるのだが、油断すれば胸を抑えて苦しそうにする。ユーノの話では、リンカーコアに異常をきたしていて、それがアリシアを苦しめているのだという。

 

 軽く魔法で触診した結果、分かったことは。彼女が自身と同質のリンカーコアを複数取り込んで居る事。その数は11にも及ぶ。そして、歪なまでに複雑怪奇に癒着していると言う事だ。複数の魔力の塊が融け合わず、半端な形で融合してしまっている。これでは魔力を引き出す流れが不安定になり、その余波が彼女の身体を蝕んでしまう。

 

 魔法を全力行使して頻繁に吐血するのはその所為だ。あふれ出す膨大な魔力が彼女の身体を傷つけ、生存本能が急速な治癒を施して傷を瞬時に塞ぐ。魔力の流れを血液に例えれば分かりやすいかもしれない。全力で運動すると、血管が破れて出血する。そして休むと血管と血流は元通りになるが、繰り返せば段々と身体がボロボロになっていく。そんなことを繰り返していては彼女の身体が持たない。早死にしてしまう。

 

 治癒は難しいとの事だった。そもそも限りなく同じに近いとはいえ、リンカーコアを複数持っていること事態、異例すぎる。下手な刺激を加えれば、それこそ彼女のリンカーコアが暴走しかねない。簡潔に言えば、魔力を制御できなくなって、死んでしまう。全身に熱を伴い、吐血を繰り返しては、衰弱し、死に至るかもしれない。魔法を、これ以上使わせない位しか手は打てない。ユーノはそう悔しげに判断したそうだ。

 

 話を聞いて、なのはは足元が崩れ落ちたんじゃないかと錯覚するくらい動揺した。アリシアが記憶を失ったこと、魔法を使えない身体になったこと。そして、アリシアが原因不明の持病に陥った理由に心当たりがあったから。悪いことが一気に押し寄せてきて、夢なんじゃないかと思い込みたい位、今の状況が辛い。

 

「どうして……」

「なのちゃん……」

「どうして……こんな事に……」

 

 彼女が何をしたというのだ。アリシアは、ただ病気で苦しんでいた母親を救おうとしただけではないか。これではあまりにも報われない。あまりにも不憫すぎる。もしも神様がいるなら。これが安易にジュエルシードという奇跡に縋った罰だというのなら。なのははその神を喰い殺してやりたい。

 

 それとも人殺しの娘が誰かを救おうとした罰なのか? 穢れた罪人が誰かを救おうとし、誰かを不幸にしたというのか?

 

 だというならば、なのはは己を断罪する。贖罪の業火で身を焼き、己の首を掻き斬る。ありとあらゆる責め苦を味わったって良い。

 

 だから、だから、アリシアのお母さんを返して欲しい。救えなかったもう一人の『アリシア』を返して欲しい。全ての結末を覆して、誰もが望んだ幸せな未来を。こんな残酷な結末を迎える為に皆で頑張って来た訳じゃない。こんな事の為に命を賭けて、災厄を招く宝石を封印してきたわけじゃない!

 

 ……でも、分かっている。本当はなのはも、心の底で理解しているのだ。

 

 起きてしまったことは二度と覆らない、と。

 

「っ……ぁ……」

「なのちゃん!」

 

 眩暈がした。すずかが驚愕に満ちた表情で叫ぶ姿が、辛うじて見えた。視界が暗くなり、意識はテレビの電源を落したようにプツリと途絶える。なのはの意識は再び深淵の奥底に堕ちていった。

 




書き貯めなんて、できる筈もなかった……
二カ月ぶりの更新。目指すのは毎日更新という名の無謀な挑戦。
少しばかり手を抜くゼェ。でも、クライマックスシーンには時間を掛けたい。
つまり、時間が掛かるときはそういうこと。


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