リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●八神はやてとの触れ合い

 八神はやて。

 第一印象は良く出来た女の子で、他人の気配りを忘れない優しい子。

 知れば知る程、わたしは彼女の事を似ていると思ったのだ。

 わたしの大事な親友の月村すずかに似ていると。

 

 友達にどんな秘密があっても受け入れて、受けとめてくれるようなおおらかさ。

 足が不自由な環境で苦労しているのに、それを表に出さないひた向きな強さ。

 どこか人との繋がりを求めているのに、それを躊躇っている姿も、とても良く似てる。

 

 きっと傍で過ごしている人間は守ってあげたくなるだろう。

 優しく接してくれる彼女を放って置けないだろう。

 

 なら、はやての遠い親戚と紹介された彼女達もそうなのだろうか?

 シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル。

 彼らは大切な者を護ろうとわたしを警戒しているのか、それともはやてを利用していて、それに勘付いたわたしが邪魔なのか。

 

 みんなを護るためにも見極めないと。

 そう思っていたのに……

 

 ◇ ◇ ◇

 

「「お邪魔しま~~す!!」」

 

 約二名の元気な挨拶が家の廊下に響き、それに隠れるように大人しめな声と無機質で淡々とした声の挨拶が続く。

 

「ほんまにいらっしゃい。なのはちゃん。すずかちゃん。アリシアちゃん。アリサちゃん。どうぞゆっくりしてってなぁ」

 

 それを出迎えるのは幼くも暖かな声。

 車椅子に座る少女、八神はやての声だ。

 

 彼女は世話をしてくれる家族の一員。シャマルと呼ばれている女性の袖を引いて車椅子を動かして貰い、迎え入れる予定の五人の少女に向き直り挨拶をすると、とても嬉しそうな顔で友人たちを招き入れた。

 

 そう友人たちだ。図書館で待ち合わせして、なのはの紹介の元で出会った少女たちはあっという間に打ち解けた。それこそ、本当に初対面と疑問を抱いてしまうくらいに仲良くなったのだ。

 

 これには、はやての親しみ易いおおらかな性格のおかげでもあったし、何よりもアリサという何かと世話を焼きたがるお節介な少女と、アリシアという初対面でも気にせず接していく彼女の活躍があったのが大きいだろう。さすが血が繋がっていないのに、学校で似たもの姉妹と謳われる事はある。もちろん騒がしいという意味で。

 

 そんな中で、なのはだけは浮かない顔をしていた。

 

 シャマルという女性と再び邂逅してから難しい表情をしたり、不安そうな顔を浮かべては誰かしらに、どうしたのと尋ねられて何でもないと返す始末。正直に言えば誰が見ても何かあると疑ってしまうくらい。それくらいには不審だ。

 

 追求しないのは、はやての前でことを荒立てたくないから。なのは以外は初対面なのに、いきなり険悪そうな雰囲気になるのは不味いと考えて、ほぼ全員の思惑が一致しているからだ。

 

 そんならしくない態度も、八神家の廊下から出迎えに現れた家族を見て、ますます大きくなった。なのはの中で疑心はさらに膨れ上がる。

 

 桃色の髪を高く上げて纏めた武人のような女性。燃えるような赤毛をおさげにした女の子。大人を軽々と乗せれそうな体躯をした蒼い毛並みの狼。はやてからそれぞれシグナム、ヴィータ、ザフィーラと紹介される遠い親戚と、そのペット。彼らを目にした瞬間、アリシア達を庇うように前に出ていた。

 

「なのはちゃん、わたしの家族がどないしたんか?」

「……えっ?」

「あっ、もしかしてザフィーラが怖かったん? でも、安心してええよ。ライオンみたいに大きいけど、噛みついたりせえへんから」

 

 恐らく本人も無意識に取った行動なのだろう。はやてにそのことを問われて、ようやく気が付いた様子だった。なのはの身を案じるフォローも恐らく耳に入ってはいまい。

 

「この子の代わりにアタシが謝るわ。ごめんなさい、はやて。この子、ちょっと人見知りの気が強くて、打ち解けないと警戒すんのよ」

「そうなんか? わたしにはすごく親切やったけど」

「はやてはきっと特別なのよ。アリシアみたいに、ね」

 

 そう言ってアリシアの肩を軽く叩くアリサ。

 

 なのはは内心でアリサに感謝しながら、失礼な態度をとってごめんなさいとはやてに謝った。

 

 本当は声に出して謝罪するべきなのだろう。でも、抱き始めた警戒心はそれを許さなかった。自分でもどうして、はやての家族に敵意をむき出しにするのか分からない。でも、心臓が早鐘を打って身体が強張るのだ。こいつらに対して油断してはいけないと、不破として鍛えられたなのはが囁いている。

 

 向こうも警戒しているのか、しばらくなのはを観察するように見つめていたが、ふと武人のような女性が微笑んでかぶりを振った。

 

 どうしたのだろうと、なのはが疑問に思えば答えはすぐに分かった。

 

「ねぇねぇ、はやて。家の中からおいしそうな香りがするんだけど、何か作ってる?」

「おっ、アリシアちゃんは鋭いなぁ。実は皆を歓迎しようと思って野菜カレーを煮込んでたんよ。今夏場やし、ばてたらあかんから」

「おぉ~~、実はボクお腹ペコペコなんだ。ダンスの練習で疲れちゃった」

「ほんならすぐにお昼の用意やな。たくさんあるから、いっぱいおかわりするんやよ」

「やったーっ!」

 

 なのはの警戒をよそに、アリシアとはやては昔からの友人のように仲良くなっていたのだ。それを見たシグナムも思わず微笑んでしまったのだろう。それどころか、なのはに対する注意さえ薄れたようだった。

 

「食べ過ぎないように、程々にしときなさいよ?」

「は~~い!」

 

 おまけにアリサも便乗するように打ち解けていて、自分でも警戒するのが馬鹿らしくなってくる。

 

 それでも抱き始めた怯えや恐れといった感情は、なかなか治まろうとしなかった。だから、自分が此処にいるのは場違いなんじゃないかって不安になる。これでは、せっかく楽しんでもらおうと自宅に招いてくれたはやてに、申し訳が立たない。

 

「大丈夫だよ。不安ならずっと手を握っていてあげるから」

 

 そんななか、なのはを安心させるように、すずかが暖かく手を包んでくれた。握られた彼女の体温を感じてびくりと身体を震わせるほど驚いて、思わず目を白黒させてしまったが、じっと見つめられると不思議と心が落ち着いていく。

 

 赤い。赤い。真っ赤な緋色の瞳がなのはを捉えて離さない。吸い込まれるように瞳から目を逸らせない。ずっと見つめていると不思議と頭の中に霞が掛かってきて、なのはは警戒するのも忘れて呆けてしまう。それくらいに彼女の瞳は魅力的で、美しい宝石のように綺麗だった。

 

 なんだこれは? この囚われるような感覚は? 身を委ねてしまいそうになる感覚はなんだ?

 

「ッ……!!」

 

 ハッとして、なのはは幻惑を振り払うかのように頭を強く振る。不破として心身ともに鍛えられてきた彼女の防衛本能がそうさせる。囚われてはいけない。身を委ねてはいけない。自分は常に強くなければならない。

 

 だいたい、すずかの瞳の色は夜のように深い藍色だ。決して血のように赤い緋色ではない。現になのはを見つめる瞳は綺麗な夜の色をしている。

 

「そっか、ごめんね。考え事をしてたのに邪魔しちゃって」

「いえ……」

 

 今のは何だったのだろうかと、なのはは首を傾げるしかない。あの囚われるような感覚は錯覚ではない、筈だ。

 それとも警戒しすぎて、疑心暗鬼に囚われて、幻覚でも見たのだろうか?

 それこそ、まさかである。

 

「あっ、でも、手は握っていて下さい。その、嫌ではありませんので」

「えっ……?」

「ですから……その、手を、握ってて……」

 

 なのはの言葉にぽかんとした様子のすずかだったが、頭の中で意味を理解すると、嬉しそうに「うん、わかったよ。なのちゃん!」と頷いてぎゅっと手を握ってくれた。

 

 普段から他人を遠ざけて、自分に触れさせないように一定の距離を保つなのはだが、だからといって触れ合うのが嫌いな訳ではない。むしろ親しい人には気を許して、こうして甘える時もある。

 

 それは彼女が愛情に飢えている証拠でもあるし、決して強くなんかなくて、むしろ抱え込んだ不安でいっぱいの女の子であることを少なからず示している証拠でもある。

 

 はやてには悪いが、今はこうしていないと落ち着かない。自分の遠い親戚だと紹介された、似ても似つかない家族たち。そいつらに対する疑いの眼差しが完全に晴れるその時までは。

 

 なのはは自分を落ち着かせるように、胸に手を当てると、小さなため息を吐くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 結論から言うと、なのはの心配は杞憂だった。というか陥落していた。

 

 美味しい料理の前に。

 

 だって、こんなにもカレーが旨いのだから。いつも気まずい家族関係で料理が美味しいと感じられない自分を唸らせる味。肉体を健全に維持する為と無理やりお腹に詰め込む作業とは訳が違う。僅かに顔を綻ばせて食が進むのも無理はなかった。

 

 故に対立を招くのは必然である。

 

「はやて、おかわりをお願いしてもよろしいですか?」

「はいはい、待っててなぁ」

「はやての料理がギガウマで、おかわりするのは分かる。けどな、テメェはいくらなんでも喰いすぎだろ!? ふざけんな、少しは自重しろよ!!」

「そうだぞ、なのは。残りのカレーライスはボクのモノだ」

「あっ、テメェ。抜け駆けは卑怯だぞ」

「あっ、みんな喧嘩したらあかんよ。おかわりは、まだまだあるんやから」

 

 しれっとおかわりを要求するなのはに、ヴィータが噛みついて抗議し、アリシアも参戦するカレー争奪戦。

 

 幸いにもヴィータとは席が反対側だったため、妨害されること無く、隣に座るはやてにおかわりを要求できる。だが、運悪くヴィータと隣同士だったアリシアは互いの頬を引っ張り合って、カレーを渡さんと微笑ましい喧嘩を繰り広げていた。

 

「珍しいわね。なのはが何回もおかわりするなんて」

「そうだよね。いつもはわたし達の用意する高級料理だって遠慮して、あまり食べないのに」

 

 アリサとすずかは本当に不思議そうな顔をして、なのはの顔をじっと見つめていた。それが恥ずかしくて、噂されている少女は顔を俯かせる。既におかわりの回数は三回を超えている。毎日鍛錬を繰り返して活動源を消費しているとはいえ、少々喰いすぎだ。

 

 普段は弁当の時でもあまり食べないのだ。別に小食という訳でもなく、それどころか放って置けば早食いして数分ほどで楽しい食事を終わらせてしまう。彼女を惹きとめる為に多めのおかずを用意して、アリサとすずかのあ~ん合戦で足止めするくらいだ。それくらい食に拘らない。

 

 せっかくの高級料理(下手すれば三大珍味クラスの料理が陳列するときもある)も、あまり食べようとしない。アリサが理由を聞けば、美味しいと思います。でも、あまり味を感じないんです。とのこと。

 

 不破の武術で鍛えられたなのはは健康そのもの。ならば、問題は味覚ではなく、心理的な部分にあると判断するのは容易。なら楽しい、嬉しいと喜びでいっぱいにして美味しい食事を摂らせれば、食の感動を得られる筈。そうした試行錯誤が家庭の事情を知ってから、一年くらいはアリサとすずかで続けられていた。

 

 まさか、これほど簡単に陥落させられるとは驚きである。

 

 二人してカレーライスを口にする。

 確かに美味しい。食だって止まらないくらい良く出来たカレーだろう。少なくとも美食家のお嬢様を納得させられる出来だ。

 でも、三ツ星料理人に匹敵すると聞かれれば、そろって首を振る。

 

「う~ん、何が違うのかしら」

「友達の手料理だからとか?」

「でも、それはアタシ達だってやったことあるわよ」

 

 アリサの答えに、そうだよねと頷くすずか。結果は散々だったけど、苦笑いしながら食べてくれたのが懐かしい。なのはの、あの時の表情は嬉しそうだったと二人は記憶する。微妙な味に顔をしかめたのも事実だけど。

 

「はやて。アンタ、カレーを作るときに何か隠し味でも入れたの?」

「別に何もしとらんよ? ただ、みんなが喜んでくれるように愛情をたくさん込めて作っただけや」

「じゃあ、愛情をこめて作っている筈なのに、皆からいつも敬遠される私の料理は何なんですかぁ!」

「あはは……シャマルは、もうちょい料理の基礎をがんばろ。わたしだって出来るんやから、なぁ?」

「うぅぅ……」

 

 ならば原因はカレーを作った張本人であるはやてにあると、アリサが質問してみても、ありきたりな答えだけで特別なことは何もしていないらしい。それだったら財閥お抱えの料理人も、弁当を作ったアリサ達も込めているのだが。

 

 ちなみにシャマルの料理と聞いて眉を潜めたシグナムと、子供の喧嘩を続けるアリシア、ヴィータの間で、シャマル本人が涙を流して訴えてくるのはご愛嬌である。

 

「なのちゃん。このカレー、何処が美味しかったの?」

「……家庭の味」

「えっ?」

「懐かしい、お母さんの味。わたしも……昔はこうして、家族みんなで楽しく、ご飯を……」

 

 よく、おふくろの味と評されることがあるが、なのはの場合はまさにそれだった。

 

 このみんなで騒ぎながら囲んだ食卓、そして毎日だれかの為に料理を嬉しそうに作るはやての経験、食の喜びを知らなかった守護騎士に料理の美味しさを教えるような優しい味。それらが合わさって、なのはの心を郷愁に打ち震わせた。もう二度と戻らない幼少期の、本人も忘れて久しい過去の光景、その感覚を。

 

「なのちゃん……泣いてるの?」

「あれっ、えっ……?」

 

 気が付けば涙を流していたらしい。驚いた様子のすずかに指摘されて、ようやく気が付いたかのように目元を拭う。手に伝わる涙の感触。泣くことなど在り得ない、在ってはならない。自分に泣く資格はないと否定しつつも、なのはは困惑を隠せなかった。

 

「これは眼にゴミが入っただけで、泣いてるわけじゃ……そうです、わたしは泣いてません」

「そう言う事にしておくから、このハンカチ使いなさい」

「ぐすっ、ありがとうございます。アリサ」

 

 だから、慌てたように否定して、アリサにハンカチを借りた礼を言いながら、誰にも見られないように目元を丁寧に拭うなのは。心を落ち着かせれば、後にはいつもどおりの無表情な少女がいた。それを残念そうに思いながらも、微笑ましそうに見守るアリサとすずかもいた。

 

 焦る必要はない。少しずつ心を取り戻していけばいい。そうすればきっと彼女は素敵な笑顔を毎日見せてくれるようになる。えへへと笑いながら、アリサちゃん。すずかちゃんと元気に挨拶してくれる。そんな子に戻るんだろうから。

 

◇ ◇ ◇

 

 はやては満たされていた。満たされ過ぎて、心から満足を覚えてしまうくらい幸せだった。

 

 微かに残る顔も良く思い出せない両親と幸せに過ごした記憶。そこからずっと独りぼっちだった彼女は、日々を淡々と過ごしながら生活していた。そしてある意味では満たされていたのだ。

 

 父の古い友人と名乗るグレアム叔父さんが財産を管理してくれるおかげで生活費には困らない。少なくないお金で贅沢だってすることも出来るし、好きなものも買えた。それだけの金額をはやては渡されている。

 

 もっとも、欲しい本と必要経費以外はほとんど使っていない。自分一人では到底使いきれない金額に困って、どうしたものかと貯金ばかりしていたが、それで新しい家族を養うことが出来たのだ。感謝すれども、不満はないに等しい。

 

 もちろん寂しいと思ったことも一度や二度ではない。料理を作り、本を読んで気を紛らわせても孤独の寂しさに苛まれる時がある。一人でテレビを見ている時、食事の用意をした時、帰ってきてただいまと言ったとき。どうしても寂しいと感じてしまう。

 

 朝起きて誰もいない家。夜が深くなれば近所の喧騒も消えて無音のような世界になる。近所との付き合いなど無きに等しい。家族も友達もいない。孤独を感じる要素何て探せばいくらでもあった。夜に枕を濡らしたのだって何度も経験した。

 

 でも、慣れてしまえば大したことではない。必然的に彼女は小さな満足で幸福を覚えるようになった。本を読んで居れば周りを気にすることもないくらい物語に集中できる。

 

 彼女は幸せだった。

 

 それが大きな幸せに変化したのは今年の誕生日を迎えてからだ。

 良いこと尽くめが多すぎて夢なんじゃないかって錯覚するほど、色んなことが起きた。

 

 はやてに家族と呼べる人たちが出来た。正確に言えば人ではないらしいが、それでも家族であることに変わりはなかった。

 守護騎士。いつの間にか家の書物に紛れていた闇の書と呼ばれる魔導書。そこから現れた四人の人物達。

 

 シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。はやてを主と呼び慕う彼らに、最初こそ戸惑いと驚きを隠せず初対面で気絶するという醜態を晒した。しかも、彼らは常識というものをほとんど知らなくて、服の着せ方から食事といった日々の生活に必要な事を教えるのに苦労した。

 

 でも、それ以上に喜びの感情が勝っていたのは事実だ。挨拶すればおはようからおやすみまで言葉を返してくれる。日々の話題を会話の種に、話し掛ければ自分で色々と考えて応えてくれる。他人と接するという喜びをはやては知った。

 

 病院に文字通り担ぎ込まれてから帰宅して、みんなで一緒に眠った時、はやては他者の温もりの暖かさを感じて心地よく眠れた。夢にまで見た誰かと川の字になって眠る行為は、寂しさを忘れさせるのには充分すぎた。

 

 或いは一生懸命作った料理を食べてくれて、美味しいと言って貰ったときの感動。一緒に出掛けて色んなことに一喜一憂したり、ショッピングモールで好奇心旺盛に出店を巡ったり。一人では感じられなかった楽しさを感じることが出来た。

 

 そう、毎日が楽しすぎてはやては、さらに大きな満足感を得るようになったのだ。こうなると元の生活に戻りたくないと思うのは当然として、それどころかさらに求めるようになってしまうのは、今まで我慢してきた反動なのだろうか。

 

 学校に通ってみたいと思った。友達と一緒に勉強して、放課後には遊んでみたいと思った。一緒に出掛けたいと思った。修学旅行は? 映画館は? 帰りの食べ歩きやウインドウショッピングは? 祭りに参加して皆で花火を見たら、どれだけ楽しいんだろう。

 

 いろんな出来事を想像しては、あれしてみたい、これしてみたいと、望むようになった。それらを想像して頬を緩めてしまうことも多くなった。

 

 そんな矢先の事だ。今度は家族みんなで祭りに行ってみようとはしゃいで、夏を過ごし始めてから友達と出会ったのは。不破なのはという女の子に出会う事になったのは。

 

 はやては、それをきっかけに四人の友人を得ることが出来た。ここまでくると神さまのくれた贈り物じゃないかって、思ってしまうくらいだ。

 

 故に、彼女は満たされ過ぎていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 食事の後は家での遊びで盛り上がった。はやての足が動かないので当然とも言えるが。

 

 トランプを使ったババ抜き、ジジ抜き、七並べから始まり。仮初の人生を楽しむボードゲームで億万長者を競ったりと遊ぶ遊戯は様々だ。家には話題のテレビゲームなども置かれていたが、アルフとザフィーラを抜けば八人という大人数だったため、皆で遊べるゲームを選択した結果である。

 

 超が付くほどの幸運で目当てのカードを引き当て、ボードゲームで良い目ばかりを出すアリシア。虚言やポーカーフェイスなどの駆け引きで相手を惑わし、自分や身内に有利な状況を作りだすシャマル、アリサ、すずかの三人。守護騎士からの贔屓(ひいき)で最下位だけは免れるはやて。それらに振り回される事無く普通を維持するなのは。そして、全ての煽りを受けいらないカードを引き続けるシグナムや、とんでもない額の借金を背負って不動産に全財産を売り払うヴィータなどなど。

 

 ただの遊びなのに大いに盛り上がって、一喜一憂する子供たちの姿がそこにはあった。

 

 一人の子供を除いて。

 

「みんな、お風呂沸いたけど、どないする~~?」

「見ての通り、今忙しいから後にするわっ!」

「ふっふっふっ、アリサお姉ちゃん。このハンマーで画面外までぶっ飛――ああっ、ハンマーの先端が取れて柄だけにっ」

「へっ、貰ったぜ! このホームランバットで止めだ!」

「ごめんね、ヴィータちゃん。そこ地雷原だから」

「な、いつの間に……」

 

 楽しい時間は過ぎるモノで、既に時刻は夕方を回り始めている。夏場だから、まだまだ外は明るいが、子供は暗くならないうちに帰らなければならない。ましてやアリサとすずかはお嬢様なのだ。門限だって厳しいだろう。

 

 だから、はやては皆が帰る前に、友達と一緒に入るお風呂というものを経験したかったのだが。料理の下ごしらえをしながらリビングを見れば、かの有名な乱闘ゲームで盛り上がっている様子。対戦は中々に白熱している様子だった。

 

 これは声を掛けにくいなぁ、と思いつつもはやて本人の笑顔は絶えなかった。皆がすごく楽しそうにしているのがとても嬉しいのだ。それを眺めているだけでも、とても幸せな気分になれる。あの独りぼっちだった頃と比べて随分賑やかになって、それが嬉しくて堪らない。

 

 アリサ、すずか、ヴィータ、アリシアがテレビの前でちょこんと座ってゲームで盛り上がるなか、ソファの後ろではシグナムが新聞を読みながら、子供達が歓声を上げるたびに様子を覗き見ている。最近では剣道場で子供に鍛錬を施すバイトをしているというし、意外と子供好きなのかもしれない。顔は、随分と穏やかだった。

 

 その隣ではカーペットで横になるザフィーラと仔犬のアルフの毛並みを整えているシャマル。彼女も一喜一憂する子供たちの様子を見ては、クスクスと微笑ましそうに笑う。彼女も昔と比べて随分と感情豊かになった。

 

 そうして、楽しそうな光景を眺めるなかで、一人だけ場違いな雰囲気を醸し出す少女がいた。窓際に座り込んで外の景色ばかりを眺めている少女、不破なのは。

 

 ぼうっとした様子で空を眺めている彼女は、アリサやアリシアがゲームを進めても静かに辞退していた。やや強めにアリサが進めても、哀願するようにアリシアがお願いしても微動だにしない。すずかが言うには、一人で考え事をしているのだという。だから、しばらくそっとしておいてね、とはやては言われた。

 

 しかし、気にならないと言えば嘘になる。

 

 思えば、なのはという少女は出会った時から、哀しい顔ばかりしていた。何と言うか状況を心の底から楽しめていないというか。

 

 確かに笑いもするし、怒ったりもする。人形みたいな表情の裏で、ふと感情を浮かべることは多々あるのだ。でも、それらはすぐに押しこめられてしまう。今日の食卓にしたってそうだ。何かを懐かしむように泣いていたのに、すぐに感情を殺してしまった。

 

 まるで自分にはそうする資格など無いとでも言うように。

 

(よし、決めた)

 

 あの子と一緒にお風呂に入ろう。共に背中を流し合えば、何か本音を明かしてくれるかもしれないし、新たな友情が芽生えるかもしれない。そう安直に思い至った八神はやての行動は、思いのほか早かった。

 

「なのはちゃ~ん。良かったら、わたしと一緒にお風呂入らへんか?」

「わたしと、お風呂ですか? いいえ、遠慮しておきます」

「ありゃ!?」

 

 そして撃沈するのも早かった。はやての思いきった提案は、あろうことか考慮の余地もなく一蹴されてしまう。

 

 もうちょっと譲歩とかしてくれてもええのにぃ……と苦笑いするしかないはやて。しかし、なのははお風呂という単語には反応したらしい。少しだけ首を傾げると何かを考えているようだった。

 

「ですが、そうですね。心身を落ち着かせるために湯浴みという選択肢も悪くありません。申し訳ありませんが一人で湯船に浸からせて頂きます。長湯はしませんのでで御心配なく」

 

 が、よりいっそう一人に為るための口実を手に入れただけだったらしい。シャマルに風呂場の場所を聞きながら、なのはは早足にリビングを去って行った。

 

(しまった。わたしとした事がやってしもううたぁ~~!!)

 

 苦笑いしたまま固まって、はやては心の中で頭を抱えるしかない。まるで千歳一隅のチャンスを逃してしまったような気分だった。

 

『はやてちゃん。はやてちゃん。チャンスです』

『この頭に響く声はシャマルか? チャンスって何がや?』

 

 そこへ差し出された救いの手はシャマルだった。念話ではやてに喋りかける彼女は、ザフィーラ達の横で、妙案を思いついたように得意げな顔をしている。

 

『ここで、はやてちゃんのお世話を頼むんです。実は一番風呂に拘っていて、でも一人ではお風呂に入るのが難しいから手伝って欲しいと』

『そうか、その手があった。でかしたよシャマル!』

 

 一番風呂は、あからさまに怪しい理由だが、それでも半分はある意味で間違っていない。はやての足は不自由だから、誰かの介護がないと風呂に入るのも一苦労なのだ。必然的に面倒見が良さそうなあの子のことだから、見過ごすことなど出来はしないだろう。

 

『しかし、危険ではないだろうか。もしも主の御身に何かあったら、どうする? 我ら守護騎士の内、誰か一人を付けるべきだろう』

 

 ここで異を唱えたのはシグナムだ。それもある意味で間違ってはいない。はやてはまだまだ子供だし、身体も幼い。大人として心配するのは当然の事だった。体格的に大差ないなのはに面倒が見きれるだろうかという不安もある。それにあの少女は……

 

『大丈夫や。これでもわたし、みんなが来る前は一人でお風呂に入っとった。だから心配せんでもええよ?』

『主……』

『主はやて……』

『はやてちゃん……』

『はやて……』

 

 それをはやては明るい声で抑えた。それは気にしてもいない風だったが、あまりにも悲しい言葉。足に障害を背負った少女がずっと一人っきりで過ごし、それに慣れてしまっているという現実。守護騎士一同が揃って主を想い、心を痛めるのも無理はなかった。

 

『そんな声せんといて。今は皆が居てくれるから平気や。それよりもシャマル、悪いけどすぐにでも準備してくれるか? わたし、あの子の事がどうしても気になるんや』

『――ええ、はやてちゃん。でも、何かありましたら、遠慮なく呼んでくださいね。すぐにでも駆けつけますから』

『モチのロンや。お願いなぁ』

 

◇ ◇ ◇

 

(何をやってるんですか、わたしは……)

 

 身に纏う服を脱ぎ捨て、掛け湯で身体を清めたなのはは、ゆっくりと湯船に浸かると身を沈めて落ち込んだ。

 

 素直に友達の家で楽しめない自分、はやての家族を疑っている自身に対する嫌悪感。不破として何時如何なる時も警戒するよう鍛えられた自分と、なのはという女の子として素直になりたい自分の狭間で揺れ動く心。九歳の少女には似つかわしくない苦悩がずっと身を苛んでいた。

 

 おまけに、ジュエルシード事件によってもたらされた非日常は、過去の殺人というトラウマを刺激するには充分で、実際にアリシアをその手で殺しかけた。プレシアを助けられず、アリシアが記憶の一部を忘れなければならない程、心の傷を負わせてしまった。それらに対する自責の念もある。子供が背負うにしてはあまりにも重すぎた。

 

 厳しい鍛錬を施す父の士郎とは微妙な関係が続いているし、あの人は厳格だから怖くて相談できない。自らを護る為に心の殆どを殺したなのはとっては、やっぱり父親だし、心の奥底で何も感じないわけがないのだ。ただ、じっと耐えているだけである。

 

 かといって根底では優しすぎるなのはが、アリサ達に相談できる筈もない。頼れる兄の事も同様。この少女は苦悩を打ち明けて相手に迷惑を掛けるくらいなら、黙っていた方が良いと全部溜め込んでしまうのである。苦しむのは自分だけでいいと、それで自分が壊れてしまっても構わないと思っているのだから。

 

「なのはちゃん? ちょいとええかな? お邪魔するよ?」

「えっ、この声、はやて……? だ、駄目です!」

 

 だが、それを無視してでも彼女の心に押し入ってくる存在がいた。八神はやてである。他の子供たちが空気を読んで、なのはをそっとしている中で、彼女は敢えて深く悲見入ろうというのだから大した胆力である。或いは強引な娘か。

 

 とにかく風呂場の扉を押しあけて入ってきた事実に、なのはは肩まで湯に沈めていた身体をさらに沈め、恥ずかしそうに顔の半分まで隠してしまった。

 

 上目使いで闖入者を見やれば、シャマルに抱えられて綺麗な裸体を晒したはやてがいる。足が動かない彼女の世話役なんだろう。いわゆるお姫様抱っこで風呂の洗い場に入ると、掛け湯ではやての身体を流し始めた。なのはの意志を無視してでも一緒に入ると予想するのは簡単だ。

 

「どういう、つもり、ですか?」

「ごめんなぁ、なのはちゃん。でも、こうして友達とお風呂に入るの夢やったんよ。家族と一緒に入るのは経験したんやけどね」

「ここは百歩譲って、はやてちゃんのお願いを聞いてくれませんか? なのはちゃん」

「そういうことなら、別に……」

「ほんま、おおきになぁ」

 

 礼を言いながらも、はやてはシャマルと向かい合って髪を洗うのをやめない。最初は自分で洗おうと身体を動かしていたはやてだったが、それを抑えてシャマルが恭しく世話をし始める。髪を湯で濡らして、シャンプーを塗りこむように丁寧に丁寧に。まるで貴族かお姫様のような扱いだった。

 

 強引に入ってきた少女をジト目で見ながらも、なのははあることに気が付いて視線を逸らす。はやてはいわゆる女の子座りだったが、上半身を前かがみにするような体勢だったのだ。それは下半身に力が入らず、上半身を上手く支え切れていない証拠で。改めて彼女が足を動かせないのだと認識してしまう瞬間だった。

 

「ふぅ、さっぱりした~~。ありがとなぁシャマル」

「いえいえ、はやてちゃん。これも当然の務めですから。さあ、湯船に身体を付けますよ。万が一の事がないように気を付けてくださいね」

「心配してくれてありがとなぁ」

 

 万が一、というのはお風呂で溺れてしまわないようにという事だろう。誤って湯の中に沈んでしまったら、起き上がるのでさえ苦労するのだ。その先は想像したくもない。

 

 そうならないように誰かと一緒に入るか、溺れないように浴槽の湯を半分程度に留めて一人で浸かっていたんだろう。そう考えるとはやては随分苦労していると憐憫の情を抱かずにはいられない。出自の怪しさは別にして、はやての親戚と名乗る彼女達が居てくれて本当に良かったと思う。

 

 と、そこまで考えてなのはは気が付いた。何かがおかしい。

 

 シャマルは万が一の事がないように気を付けてくださいと言っていた。普通は気を付けます、ではないのか? だってシャマルも一緒に入ってはやてを世話するんだろう? でも、それだと服を着たままの格好をしている彼女の説明が付かない。まさか、はやてと二人っきりという訳ではないだろう?

 

 だが、冗談ですよね、と訴えかけるような、なのはの視線も虚しく、シャマルはにこやかに風呂場を去って行った。それを見送るように笑顔で手を振るはやて。どうやら本当に二人っきりにされるらしい。別にそれが嫌だという訳ではないが、苦手なのは事実だった。なのはの内面は自分で世話しきれるのかという不安が少々に、何を話していいのか分からない不安が大半である。

 

 忘れてはいけないが、完全に心を開かない限り、不破なのはという少女は人見知りするのだ。命がけで封印を共にしたユーノと、アリシアの母を愛する姿に親近感を覚え、仲良くなった例外なだけである。あの時は彼女達を世話しなければという、責任感もあったから。

 

 けれど、今はそういった理由がない。せいぜい少しだけ仲良くなったばかりで普通の人よりは親しい程度。境遇に同情は覚えるものの、なのはから積極的に親しくなろうとするには付き合いが足りない。まだ仲良くなって月日が二日程度というのもある。

 

 なので、ちょっとばかり距離をとるなのはだった。浴槽は不破家とあまり変わらないので、子供一人が距離を取るには充分すぎる大きさがある。さすがにバニングス家や月村家ほど豪華ではないけれど。あれは風呂というより温泉だろうと、なのはが珍しくツッコミを入れるくらいデカかった。

 

「なんか、図書館で会ったときと比べて、偉くよそよそしいんやね。どないしたの?」

「いえ、あの時は困っている貴女を放って置けなかっただけで。それに最初の時も言いましたが、わたしなんかと話してもつまらないだけです」

「そんなことあらへん。なのはちゃんの話、知らないことばっかりでとても面白いんよ? これは、お世辞やのうて、わたしの素直な気持ちや」

「そうですか」

「でな、すずかちゃんとか、アリサちゃんとか、アリシアちゃんとはいっぱい話したんやけど、なのはちゃんとは全然喋れてへんやろ? もっとお話したいんよ」

「え、ええ……」

 

 足が上手く動かないのに、ずいっと迫ってくるはやてに、なのはは困惑する。なのはの態度はそっけなく、あしらっているとさえ勘違いされても仕方がないのに、それでもめげずに急接近して来るのだ。アリサとはまた違った強引さに、どうすればいいのか分からなくなる。

 

 後ろに下がろうにも、浴槽に壁が背中に当たって退路はない。はやてを置いて逃げ出すという選択肢はなく、そもそも頭は混乱しすぎて思考は乱れまくっている。

 

 どうして、はやては自分に興味を持つのだろう? そんな疑問ばかり頭に浮かんでは消えていく。友達として当たり前かもしれない行動が、なのはには分からないのだ。対人経験が不足しているから、仲良くなろうとしていると素直に受け取れない。常に警戒している心が疑心暗鬼に陥れる。

 

 が、そんなの関係ないと言わんばかりに、はやては接してくるので、困惑するのである。それはある意味、未知との遭遇だった。

 

「だから、そんなに遠慮せんで、もっと積極的でもええんよって……なのはちゃん、その傷は……」

「あっ……ッ!!」

 

 ふと、はやてが驚いた様子でなのはの身体を凝視したのに気が付き、慌てて身体を隠そうとするがもう遅い。そもそも腕で身体を抱こうとも、原因は腕にだってある。それでは隠しきれる訳がない。

 

 それは傷というにはあまりにも生々しい痕だった。なのはの身体は打ち身や打撲で出来た痣だらけだったのだ。酷いと一生残りそうな肌の傷跡さえあった。

 

 なのはは堪忍したように肌を隠すのをやめた。ただ痛々しい身体を見られることに抵抗があるのか、身体を背けてしまう。そうすると向かい合ってからでは見えない背中の傷も露わになって、全身傷だらけという驚愕の真実が顕わになってしまった。

 

 たぶん、なのはは意図したわけではないんだろう。それでも背けることを優先したのは、きっと顔を合わせることを良しとしなかったのだと思う。少なくともはやてからすればそう見えた。傷だらけの少女は目に見えて落ち込んでいたから。

 

 思えば、夏場だというのに彼女の格好は薄い長そでだった。少し気になって訪ねてみたが、返ってくるのは日焼けするのが嫌だからという単純な答え。だから、それで納得してしまって気が付かなかった。

 

「一体どないしたん……? もしかして……虐待とかされてるん……?それともアリサちゃん達の知らない所で虐められてるんか……?」

 

 本気で心配してくれてるんだろう。強張ったはやての口からは良くある出来事を漏らしていた。だが、どれも見当違いの予想である。見慣れぬ人が見れば信じられないかもしれないがこれは。

 

「……心配しなくていいですよ。そのどちらも当てはまりません。これは家の鍛錬で付いた傷ですから……大したものではありません」

「えっ……」

 

 これは、不破の厳しい鍛錬によって残った傷跡なのだから。それでも在り得ないような、信じられないと疑うはやての反応は間違いではないだろう。誰が見てもあまりにもやりすぎだと思うくらいに酷過ぎた。

 

 なのはは内心でうんざりするしかない。きっとクラスで問われたように家の事情を尋ねて来るに違いないから。それは彼女にとって苦痛でしかない。あまり居心地のよくない、悪く言えば嫌いな家の事情など話すだけでも嫌な気分に陥る。できれば思い出したくないのだ。

 

「その、触っても痛くないんか?」

「っ……平気です」

 

 だけど、真っ先に出て来たのは身を案じる声で、なのはは驚きを隠せなかった。労わる様になのはの身体を触るはやての手付きは、とても優しさに満ち溢れている。その瞳は見ているだけで包み込まれそうな慈愛に満ちている。

 

「それでも、痛かったやろ? 苦しかったやろ? 我慢なんかしなくたってええんよ」

 

 どうしてこんなにも八神はやては優しい? どうして友達だからというだけで、此処まで優しくなれる?

 

 いや違う、そうじゃないだろう。はやては無意識の内に別の事をしている。優しさだけに止まらず、なのはにとってもとっもに恐れている事をしようとしている。犯してはならない領域に、たやすく踏み込もうとしている。

 

 それは、なのはの心に触れること。

 

 アリサやすずかが、閉ざされたなのはの心を開くことは出来ても、奥底に隠された本心まで至ることが出来なかった。当のなのは自身が、心の内を明かすことを拒絶し続けてきた。それは最大の禁忌なのだ。

 

 何故ならば、本心に触れるという事は、なのはの隠し続けてきた全てを知るに等しいから。秘めた想い何て生易しいものではなく、溜まりに溜まった激情のすべてを受け止めると同義だからだ。

 

 大事な友達に、憎しみ苦しみ悲しみといった悪感情をぶつけてしまう。悪い意味での、なのはの本音を明かすということ。子供が背負うにはあまりにも重すぎ、そして子供にぶつけるにはあまりにも酷すぎる心の闇を、友達に曝け出す。なのははそれを良しとしない。

 

「辛いなら泣いてええんよ? わたしが胸を貸してあげるから」

「ッぅ……」

 

 はやてが包み込むように、なのはの身体を抱き締めてくれる。優しくあやすように背中を撫でてくれる。暖かいと感じるのはお湯のせいだけではないんだろう。

 

 肌と肌の触れ合いで、密着する身体の体温が伝わって来る。暖かな命の鼓動が聞こえて来る。そして暖かな温もりと共に、柔らかな肌の感触が理性を焼き焦がしていく。ともすれば、このまま身を委ねて甘えたい衝動に駆られてしまいそうになる。

 

「何が……やめ、て……離れて、ください……」

「なのはちゃん……?」

 

 だけどそれを赦さないのが不破としての、なのはの歪んだ在り方だった。

 口から漏れかけた。悪態や罵倒を寸で吞込み耐える。抱きしめてくれた少女をゆっくりと突き放す。

 

 背負い続けてきた業や負い目が、なのはに甘えることを断じて許さない。何故ならば自分にそんな資格はないからだ。心の底から愛されたいなどと願ってはいけない。そう彼女は思い込み続けて、戒めとしてきた。

 

 正直に言おう。この時、なのはは殺気立ってすらいた。

 

 それは本人が意図したものではないが、不躾に心に触れようとする輩に対して、反射的に発動した防衛本能のようなモノだった。咄嗟に俯いて視線を逸らさなければならない程に。

 

 きっと今のなのはは士郎と同じように、恐ろしい形相をしているに違いなかった。顔の表情が相手に対する敵意で歪んでいると、感覚が伝えてくるのだ。自分でもはっきりとそれが分かってしまう。

 

 こんな顔、友達に向けるべきじゃない。だからそれを必死で隠そうと深く俯いた。きっとはやてが見たら怯えてしまう、嫌われてしまう。それが怖くて、なのはは溢れ出しそうになる衝動を必死で殺した。例えるなら火の付いた爆弾の導火線が、それ以上進まないように、火傷すら辞さない覚悟で抑え込んでいるに等しい。

 

「大丈夫だから、怯えなくても、怖がらなくてもいいんよ?」

 

 だというのに、はやては容易く触れてきた。拒絶も心の壁もなかったかのように、震えるなのはの手を握りしめたのだ。

 

 その純粋すぎる瞳は、なのはに何をされても赦してしまいそうな程おおらかだった。まるで全てを受け入れてくれるような優しさと暖かさ。それに、もうどうしようもない程に心が揺さぶられてしまって。だから、なのはの我慢も限界を超えてしまうのは。

 

「貴女に何が分かるって言うんですかっ!!」

 

 無理もない話だった。

 

「何も知らない貴女が偉そうに、知った風な口を利かないで下さいっ!」

 

 気が付けば心にもない罵声を怒りのままに浴びせていた。でも、起爆した爆弾が元に戻らないのと同じで、それを抑える術はない。

 

「車椅子で一人っきりで生活するのは確かに大変でしょう……家族が居なくて独りぼっちで寂しかったのも、貴女のような子供には辛い話でしょう……でも、そんな不幸自慢みたいな境遇で、わたしに同情するくらいなら……わたしに触れるんじゃないッ!!」

 

 自分は今何を喋ってるんだろうとなのはは思う。衝動のままに叫んでいる言葉は最低で最悪だ。でも止める事なんてできない。

 

 それは溜まりに溜まったどす黒い感情だ。どうしようもなく抑えられない衝動だ。決壊したダムは溜め込んだ水を吐きだすまで止まらない。

 

「分かる筈がないんです!! だって、貴女は罪を犯したことがないでしょう!? 人として赦されざる行いを犯したことがないでしょう!? そんな貴女にわたしの苦しみを理解できる筈がないっ――!!」

 

 声を荒げて、激しく呼吸するくらい叫んだあと。なのははようやく自分の犯した過ちに気が付き、顔を青褪めさせた。誰も見たことがないくらい怯えて、小動物のように身体を震わせていた。

 

 さっき、自分は何を口走った? 

 そうだ。この少女に対して最低最悪な言葉をぶつけたのだ。しかも、殺気を伴って。

 

 だから、頭の中にある思考も、心の中にある感情もグチャグチャで訳が分からなくて、どうすれば良いのか分からなくなって。

 

 嫌われてしまうと思った。逃げ出したい。今すぐこの家から逃げ出してしまいたい。今のなのはの心はとても脆いのだ。剥がれかかった強がりの仮面を再び纏う気力も、それを維持する力もあまり残っていない。

 

 もしも嫌われたら。もしも、事情を知ったアリサ達に怒られたら。きっと彼女は耐えられないだろう。最悪、心を壊してしまうかもしれない。

 

 そこに普段の強くて、冷静な少女の面影はなかった。唯の、か弱い一人の女の子がいるだけだった。

 

「そりゃあ何もわからんよ? わたしは、なのはちゃんじゃあらへんし、胸の内を全部察するなんてできん。だけど……」

 

 そんな彼女にはやては何も気にした風もなく、普段通りの口調で接していた。それは遠回しに自分は怒っていないという証明。

 

 怒らない? と怯え竦みながらも、俯かせた顔を少しだけあげたなのはの前で、彼女は優しく微笑んで言う。

 

――親身になって聞くぐらいなら、わたしにだって出来る。と

 

「う……あ……」

 

 それは、あまりにも純粋すぎる少女の言葉だった。何も考えず想いのままに紡がれた言葉はあまりにも真っ直ぐすぎて、なのははどうしようもない程、身体を震わせた。

 

 怯えているからではない。それは嗚咽だった。ずっとひた隠しにしていた弱い自分。不破にとって必要とされないなのはの本心。偽りの仮面に隠された本当の姿。

 

「あああぁぁ――! うああああぁぁ――!!」

 

 なのはは、はやての華奢な身体にしがみ付いた。みっともなく、どうしようもない位幼くなった姿を曝け出して、感情に任されるままに泣き叫んだ。

 

 はやてをそれをしっかりと受け止める。足に力が入らず踏ん張れないのならば、しがみ付く彼女にされるがまま押されて、壁を背にして自身を支える。殺気立つなのはが怖くなかったと言えば嘘になるが、守護騎士の過去の行いを聞いている彼女は、それに耐えて受け入れる下地があった。

 

 むしろそんな事よりも、この泣いている少女を受け止めてあげたかった。抱き締めてあげたかった。どうしてそんなに悲しい顔をしているのか。何故、自分は楽しんではいけないとでも云うように遊びに夢中にならないのか。どうして素直に泣こうとしないのか。初めて会った時から、この家に招いて一緒に遊んでからも、ずっと気になっていた。

 

 辛いのなら支えてあげたい。苦しいのなら悩みを聞いてあげたい。本の受け売りだが、悲しい時、辛い時、苦しい時、傍に居て支えてくれるのが友達だから。楽しい時や嬉しい時を一緒に分かち合うのが友達だから。

 

 はやては、初めての友達を。とても親切にしてくれた、この女の子を助けてあげたかったのだ。たとえ自分が嫌われるとしても、絶交されたとしても。そして何も事情を知らなないはやてだからこそ出来る、お節介だった。アリサにも、すずかにも出来なかったことを成し遂げようとしていた。

 

「わたし……ホントは辛くて、痛くて、毎日の鍛錬が嫌だった。ずっと、逃げ出したかったっ……!」

「うん」

「でも、我儘言ったらっ……お父さんに怒られるかもしれないって……お兄ちゃんに、迷惑掛かるかもしれないって……だから……良い子にしなきゃって……だって、そうしないと…………」

 

 きっと家庭が崩壊すると思ったんだろう。少なくとも今の生活はなかったに違いない。恐らくだが、なのはの方針を巡って、心優しい兄と厳格な父は争い合っていただろう。

 

 そんな姿をなのはは見たくなかった。だから、自分が我慢すれば丸く収まると思って、流されるままに鍛錬を続けてきたのだ。それに耐える為に心も殺した。彼女の我慢するという事はそう言う事だから。

 

 だけど、耐えられる筈がないのだ。繰り返される容赦のない鍛錬。毎日付いていく討ち身や擦り傷。どこかぎこちない家庭に、素直に甘えることのできない環境。仕方なしとはいえ人を殺めた過去のトラウマ。それらを抱えて過ごすのは余りにも酷だろう。

 

 むしろ、ここまで良く耐えたと思う。普通であれば誘拐された時点で、文字通り言葉を失ってしまう程のショックを受けてもおかしくない。一歩間違えれば虐待と見なされても仕方がない鍛錬は、少女の心を閉ざすには充分すぎる。不屈の心を秘めたなのはだからこそ我慢し続けられた。

 

 勿論、はやてには、なのはの事情は良く分からない。それでも、この子が苦しんでいると、何か抱え込んでいると察した心優しい少女は、受けとめようと思ったのだ。その心に抱えた闇を、少しだけ肩代わりしようと思っただけ。そして、それで充分だった。

 

「ほんまに辛かったな。寂しかったんよな。だけど、もう大丈夫」

「わたしは……逃げても、いいの……?」

「逃げたい時は逃げてもええよ? そん時は八神総出で匿ってあげる。なのはちゃんが優しい味だって泣いてくれた暖かいご飯も食べさせてあげる」

 

 はやての言葉がとても優しくて。背中を撫でる柔らかな手は暖かく、鍛えられて樫の木のように硬くなった自分の手とは大違いで。

 

 あのあったかいご飯の味や、今までの楽しかった日々を思い出してなのはは。

 

――うわああああ、あああぁぁ、あああっ!!

 

 心の底から泣いた気がした。

 




あれ、『なのは』が泣くのって、もっと後半の、最終決戦時だよね。なんで涙流してるの。最後の一回きり。心を殺していた少女がやっと涙を流して、おおぉってなる予定なのにあれ?

というより、はやてって、ディアーチェの時に『なのは』の過去知らない設定だったよね。なんで、こんな簡単に心に踏み込めるの。しかも過去の一端に触れてるし。どうして?

まさかっ!

これが、所謂キャラが勝手に動くという伝説の……!

作者のプロットは崩壊した。作品に矛盾が生まれた。後付け設定が生まれた。修正は色々と不可能だ。

称号『攻略王はやて』

デデーーン!!

という訳で色々と悪戦苦闘してます。はやてのキャラが難しい。ディアーチェの時は動かしやすいのに、オリジナルはホント……

それと士郎さんがプロットよりも優しくなってるのもヤバい。本当だったら、はやてと関わるなっ。喧嘩に発展。泣き別れの三段コンボ決める予定だったのに。鬱憤溜めてたなのはが、母親の代わりに貴方が○ねば良かったと口にする予定なのに。アリシアとはやてのおかげでお破産ですな。

この二人、まじで不破家を根底から変えやがった……

ほら、修正だぞ。喜べ。書き直せよ。
ぬわあああああああ。

べ、別に更新が遅れたのは某潜水艦アニメのイオナに影響されて浮気してたとかじゃ……決して、別の小説書いてたりとか浸食魚雷。

ジィィィクリンデ・エレミアァァっ!

エレミア! エレミア! エレミア!

あっ、このキャラいいな。新しい設定で練って、リリカルなのは白のエレミアでも書いてみようとか考えてな……設定の下地できた。しかもダクネスと繋がってる……不破・御神流古武術師範代。不破なのは。推して参る!

本当にごめんなさい。次はもうちょっと早い更新を心がけます。


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