リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●海遊び

 夏の思い出作りから始まった海遊びは水掛けから始まり、遂には海で泳ぐところまで発展した。

 

 恭也が泳げないアリシアを背中にしがみ付かせて、彼女の代わりに泳ぐ。揺らめく波の心地よさは彼女の身体を包み、アリシアを大いに喜ばせた。その隣に随伴するように泳いでいたなのはも、微笑ましそうにアリシアを見つめていた。

 

 それを遠目から眺めていた守護騎士たちも妙案を思いついたとばかりに相談する。主はやてが嬉しそうにしながらも、友達が泳ぐ姿に憧れていた事を察していた。だから、如何にかして、この少女にも泳ぐ感覚を体験させてあげたいと悩んでいたのである。

 

 結論としては名犬と化したザッフィことザフィーラに泳いでもらう事だった。狼の彼の背にしがみ付いて貰い、動かない足をシャマルのバインドで固定する。水の中なら魔法の光も目立たないという判断。そこに認識疎外の魔法を掛ければ問題は解決する。そして、補助を専門とするシャマルなら、その程度の魔法は魔法陣を展開せずとも行使できる。

 

 はやての後ろには同じ背丈のヴィータに騎乗してもらい、万が一がないように支える役割を。ついでにヴィータも楽しめて一石二鳥だ。すずかも随伴して泳ぐので万が一の備えは万全である。最悪、旅の鏡で転移させれば問題ない。

 

「いっけ~~、ザフィーラ! 目の前にいるアイツを追い越せ!」

「こら、ヴィータ。あんまり、はしゃいじゃあかんよ?苦労を掛けてごめんなぁザフィーラ」

『いえ、主はやて。これも御身の為ならば苦ではありません。それに幼子二人を背に乗せてへばる程、軟ではないのでご安心を』

 

 はやては背中の後ろで腕を付きだして、GOサインを出すヴィータを嗜めつつ、労わる様に股座に挟んだザフィーラの背を撫でた。

 

「そか。でも、無理したらあかんよ? 疲れたらいつでも言うてくれて構わへん」

『御意に』

「それと、ほんまにありがとな。わたし、海で泳げるなんて思っても見なかった。だから、ありがとうザフィーラ。願いを叶えてくれてありがとう」

 

 蒼い毛並みが水を吸って身体が重いだろうに。この守護獣は苦も無く主の願いを叶えようと頑張ってくれている。その事に感謝しながらも、はやてはありがとうの言葉を何度も守護獣に伝える。

 

 それくらい嬉しかったのだ。走ることも、泳ぐことも出来ぬ身体では叶わぬ願い。それを叶えてくれたのだから感謝してもしきれない。感無量とはまさにこの事を云うのだろう。気を抜けば喜びの涙が溢れてしまいそうだった。

 

「げっ、まずいよ恭也号。後ろから赤毛のチビが追いかけてきた」

「俺は乗り物じゃないんだがな――」

 

 その様子を前方に泳いでいた恭也、その背中にしがみ付くアリシアが気が付いて。慌てたように恭也を急かした。何が何でもヴィータに追いつかれるのは嫌なようだ。彼女達の背後では、誰がチビだゴラァ! と怒りの叫び声まで聞こえる始末。向こうも何だかんだで張り合っているらしい。

 

 恭也は乗り物扱いされたことに苦笑いを隠さなかったが。愛しい妹の友人であり、もう一人の妹みたいな存在に急かされては。応えぬわけにも行かぬというもの。ゆっくりと泳ぐ平泳ぎのスタイルから、素早く泳ぐためのクロールにフォームチェンジを行う。

 

「しかし、ここで負けては不破家の名が廃るというものだっ!」

「きゃっ! きゃっ! はやい、はやい! いいぞ負けるな恭也号!」

「ぬおおおぉぉぉっ!」

 

 大喜びのアリシアを背にしたまま、良く分からない闘争心に火が付いた彼は、あっという間に遠ざかって行った。その場に唖然として立ち泳ぎする不破なのはを残しながら。

 

 その横を通り過ぎていくのは名犬ザッフィーに騎乗したはやてとヴィータである。ザフィーラは人間を遥かに凌駕する膂力で、子供二人を背に乗せても軽快な動きを損なっていない。余裕綽々とはよく言った物だ。いっけーっと大はしゃぎするヴィータの声と、明るく笑いながらザフィーラにしがみ付くはやての声だけを残して、恭也を追いかけて行った。残されたのは随伴して泳いでいた月村すずか。

 

「すずか、兄上が妙なテンションで先に行ってしまいました」

「こっちも手綱を握るヴィータちゃんが全力を出すものだから、置いて行かれちゃった」

 

 残された付添い係の二人は、困った顔で笑い合いながら、ゆっくりと海を泳いで先を行く二人を追いかけた。

 

 楽しい遊びはまだ続く。

 

 

 

「は~い、みんな! 海は楽しんだかしら?」

「おうよっ! てか、忍が手の持ってる黒と緑の縞々はなんだ?」

「よくぞ、聞いてくれましたヴィータちゃん」

「わたしそれ知ってる。スイカ割りやな!!」

「私の説明が取られたっ!?」

 

 泳ぎ終わった後は保護者組が一生懸命作った休憩用のパラソルの下でゆっくりと休みながらお昼ご飯。その後に忍がワゴン車のカーゴから冷やしておいたスイカを準備。急遽スイカ割り大会が開催される事になって。特にそういった行事を本で読んだり、テレビで見たりしていたはやては、憧れのスイカ割りを前に瞳をキラキラと輝かせていた。

 

 割ったスイカが砂で汚れて食べれなくなってしまわないよう、砂浜の上にレジャーシートを敷いて準備完了。いつの間にやら用意していたスイカ割り用の木刀を子供たちは手渡され、いくつかのチームに分かれて身内の催しを始める。

 

「おっしっ、ヴィータ真っ直ぐや。真っ直ぐ行って手にした木刀を叩き下ろすって……左に逸れとるよ~~?」

「でも、はやて。前がみえないよ」

「あわわっ、左なの!? アリサ、なのはっ! どこっ!? ボクは何処に向かえばいいの!?」

「それは隣のはやての指示だから。落ち着きなさい! とにかくアタシの声だけを聴いてれば……」

 

 そしてそう言った催しごとが大好きで、積極的に自主参加をしたいと手を挙げたのはもちろん。ヴィータとアリシアの二人である。しかし、人間らしさを獲得したばかりで、初めてスイカ割りを体験するヴィータは悪戦苦闘。

 何処かアホの子で、行動に天然が抜けきらないアリシアは、目隠しされた状態で周囲から聞こえる指示を鵜のみにし過ぎて四苦八苦。

 二人ともあらぬところに木刀を振り降ろしたり、ずっこけたり、その場でぐるぐると犬のように回ったりしていた。

 

 勿論、初めてとはいえ二人はそんな無様を晒すほど間抜けではない。そこには悪戯心を多分に含む悪意があるのだ。

 

「は~い、ヴィータちゃん。そこを真っ直ぐ行って左です。進んだら後ろに二歩下がって三歩前進。そこでアリシアちゃんが」

「あのな~~シャマル。それじゃあヴィータは指示が分からへんよ? もっと簡潔に言わんと」

 

 素朴な疑問のように問いかけるはやてに対して、シャマルは小さな声で告げる。日頃、振り回されている意趣返しです、と。そして、何も場を混乱に導いているのはシャマルだけでなく、悪乗りした忍が欺瞞情報をばら撒き。それをお姉ちゃんっ!と複雑そうに叫びながら、善意の掛け声を掛けるすずかである。しかし、それがさらなる混乱を招いているなど本人は霞も知らない。

 

 すずかの場合、本人が意図したわけではないのだが、間違った情報を正そうと掛け声を掛けるたび、ヴィータとアリシアの二人が更なる混乱の坩堝に叩き落とされるのである。純粋に友達や家族の言葉を信じる二人だからこそ、全ての言葉を鵜のみにして命令通りに色んな行動を実行に移す。

 

「あはははっ、なんや、これ。状況がカオスやっ!」

「はやて。そうは言っても、あたしは誰の指示に従えばいいのかわかんねぇんだよ!?」

「ヴィータちゃん。右ですよ~~?」

「その声、シャマルか? よし、右。右だな」

「いえいえ、左ですよ~~?」

「どっちだよ!?」

 

 まさに混沌とした状況が広がっていて、通りかかる他の海水浴客の目を引いていた。

 

「……本当にやるのですか」

「ああ、構わんぞ不破。恭也殿ほどの御仁。こんな形とはいえ手合せしてみたかったのだ」

「勝負を挑まれた以上。不破として逃げるわけにはいかんな」

「ご厚誼に感謝する」

 

 所変わって奇想天外な勝負を行おうとしていたのはシグナムと恭也の二人。恭也を優れた武人であると見抜いたシグナムが手合せを願い、忍の提案で平和的な競い合いが催されたそれは、名付けるのならスイカ斬りであろう。レジャーシートの上で思い思いに木刀を構える良い大人二人をよそに、なのははどうしてこうなったのかと呆れの表情すら隠さない。

 

 それもその筈、スイカをぶん投げる役割はなのはなのである。人の頭ほどもあるスイカを放り投げて、恭也かシグナムのどちらがより早くスイカを叩き切れるのか。これはそんな勝負だ。通りかかる野次馬が好奇の視線を向けて来るし、恥ずかしいったらありゃしないのである。

 

 想像してみて欲しい。海に泳ぎに来たら水着姿の大人が木刀を構えて真剣な表情をしている。しかも、目隠しをしてスイカ割りを行う様子はない。小さな女の子が抱えたスイカをじっと見つめて動かないのだ。これだけでも相当目立つだろう。

 

「行きますよ。準備は」

「私はいつでも」

「ああ、遠慮なく……来いっ!」

 

 だから、早く終わらせようと恥ずかしそうに目を伏せたなのはは、思いっ切りスイカを放り投げて。宙に舞った大きな緑と黒の縞々を二つの剣線がぶった切るのはほぼ同時だった。あまりにも鮮やかすぎる切断面に周囲の観客が思わず拍手をしたのは言うまでもない。

 

 勿論、遊んだあとにスイカは美味しくいただきました。

 

 その後もバーベキューに使う高級な肉と安物の肉を賭けるという名目でいろんな催しが行われた。

 

「うおおおお! 松○牛はあたしのもんだ!!」

「へっへ~ん、スピード勝負なら負けないもんねっ!」

「そこで名犬ザッフィーの出番や!」

「「なぬっ!?」」

 

 ビーチフラッグ勝負でヴィータが張り切る中、アリシアが他を出し抜いてぶっちぎりの一位かと思いきや。はやての代走として参加した名犬ザッフィーがダークホースの如く全てを抜き去って行ったり。

 

「いいのかな? このチーム分けで大丈夫なのかな……?」

「いいんじゃないですか? 公正なくじ引きで決まったチームですし」

「でも……」

 

 ビーチバレー大会で、学校では組ませてはならないと暗黙の了解だったすずか、なのはペアが編成され。他のチームがバレー初心者の最中、大人げなく全てのチームを総当たりで叩き潰し。

 

「どうせアタシは除け者よ……」

「そんなアリサちゃんに通りかかった助っ人の登場や!」

「………よろしく頼む」

「どちら様!?」

 

 バレーにおける二人一組のペアでアリサが運悪くチームを組めず、はやてと一緒に観戦しようと思ったら。急遽通りかかった褐色で筋肉マッチョな寡黙の男性がチームを組んでくれたりと。一夏の海を過ごす時間は面白おかしく過ぎていったのだった。

 

 

 

 はやては夕日に照らされた砂浜に座り込みながら、一生懸命に手を動かしていた。

 

 背後ではバーベキューで余った肉を焼く食いしん坊さん達が「それはあたしの肉だ」とか「いいや、ボクが育てた肉だもんね」とか言い争う声が聞こえてきて、思わず微笑みを隠せなくなる。あれだけ騒いで遊んだのに元気なことだ。

 

 あれだけの肉や野菜を食べ、はやてが頼み込んで直々に作らせてもらった焼きそばも食したというのに、あの子供二人はまだ食べるらしい。育ち盛りで食欲旺盛なのは嬉しいが、食べ過ぎてお腹を壊さないか心配である。

 

「よいしょっと、こんな感じでええやろか」

「何をしているのですか、はやて?」

「うおわっ!? な、なのはちゃん……あんまり驚かさんといて」

 

 はやては背後から急に声を掛けられ、肩に手を置かれる感触で、猫の様に飛び上がりそうになった。慌てて顔を振り向かせれば、そこには不思議そうな表情をした不破なのはの姿。

 

 びっくりした。驚きを通り越して驚愕にも等しい衝撃だった。まるで夜中にトイレに行こうとして、暗い廊下で幽霊にでも出くわしたかのような衝撃。なのはの気配はまったく無いに等しいので、近付かれた事も分からなかった。

 

「あ、その、一人で座っていたので気になったのです。驚かせてしまったのなら、ごめんなさい」

「こ、こっちこそごめんなぁ。勝手に驚いたりなんかして」

 

 非常に申し訳なさそうな顔をして謝るなのはと、あはは~と苦笑いを浮かべながら謝るはやて。

 

 そうして互いを気遣った後で、改めてなのはは視線をはやての手元に向けた。そこに在ったのは砂で塗り固められた作りかけの城。手を伸ばせる範囲に水の入ったバケツが置いてあり、どうやら砂遊びをしていたのだと覗えた。

 

 どうしてこんな事をと、不思議に思って聞いてみれば、はやては恥ずかしそうに頬を掻きながら応えてくれた。指に付いた泥が頬を汚すのも構わない。

 

「憧れやったんよ。こういうの。テレビに映る砂浜で、家族に囲まれながら砂遊びをする子供みたいに。わたしもそんな風に遊んでみたかったんや」

 

 はにかんで恥ずかしそうに笑う少女を見ながら、なのはは胸が痛むのを押さえられなかった。守護騎士が居候するまで、はやてはずっと独りぼっちで暮らしていたという。まだまだ甘えたい年頃だろうに。傍に親もいらず、物心ついた時から孤独に過ごすという時間はどれほどの寂しさに苛まれるのだろうか。

 

 何処か距離感があるとはいえ、なのはには家族もいる。それに自分を支えてくれる親友もいる。

 

 だから、はやてがどれほどの寂しさを感じていたのか、なのはには想像もつかない。季節が巡る度に夏や冬の風物詩の情景を、テレビでしか知ることが出来なかった彼女の境遇も分からない。

 

「じゃあ、一緒に作りませんか」

「ほんまに? 手伝ってくれるん?」

「ええ、一人よりも二人の方が立派なお城を作れるでしょうから」

 

 ただ、自分に出来ることはこうして彼女と一緒に過ごすことだけだ。

 一緒に遊んで、一緒にお喋りして、一緒に思い出を分かち合う。それがどれだけ素晴らしい事であるのか、なのはは知っているのだから。

 

「何よ、アンタ達。随分と面白そうなことしてるじゃない」

「ボクもまっぜろ~~♪」

「わぁ、砂のお城だね。じゃあ、わたしはちょっとした小道具持ってくるね」

 

 そうしていると砂浜で何やらやっている二人を不思議に思ったのか、アリサ達が近づいてきた。

 

 彼女達は、はやてがやっていることを知るや否や進んで輪に加わり、おもしろそうに城の外観を整えていく。

 

 なのはとはやてが砂の外観を塗り固め、アリサが外観を整えていき、細かな装飾はすずかが施すと、アリシアは砂の周りを掘って水路を作っていた。

 

「ほう、これは立派な城ですね。主はやて」

「じゃあ、私たちは敵襲対策に外壁でも作りましょうか?」

「それじゃあ立派な城壁を建ててやろうぜ」

 

 子供たちが集まると見守っていた大人達も気になるものだ。

 守護騎士たちは小さな主が砂で作っているものを知ると、こぞって外堀制作に熱を入れ始めた。城の大きさに反して随分と立派な城壁を作り出していく保護者チーム。

 

 想定している敵は大海原が繰り出す波。少しでも城が長持ちするようにと、全てを呑み込む大海に備えた防壁である。

 

 それを忍と恭也は微笑ましそうに見守り、自分たちで残りの片付けを率先して行う。

 

「できたでぇ!」

「「「おおぉぉぉぉ~~~」」」

「我ながらイイ仕事をしましたね」

 

 そうして出来上がった城は子供が作るにしては随分と立派なものだった。特に機械工学を専門とする忍の妹。手先が器用なすずかが城の門や、外観の模様を細かく掘ったことによってそれなりのリアリティが生まれている。

 

 水路に注がれた水は限りなく透明で、夕日に照らされるとキラキラと輝いていた。時間があれば離塔も作れたのだが、もうそろそろ帰る頃合い。夕日が完全に沈むまで残る時間もわずかだ。

 

 それでも、湧き上がる達成感に、腕に付いた泥に構わず額を拭ってしまうなのはが居るくらいだから。どれほど子供たちが砂遊びに労力を惜しんだのか覗えそうな程だ。

 

 うん、それを超える労力を注いで、明らかに過剰とも言える城壁を築いた背後の存在は見ないことにする。まるでどこぞの長城のようだ。

 

「ほら、はやて。離れて見ると、夕日に照らされた海と相まって綺麗ですよ」

「うん。なのはちゃんの言うとおりやね。ほんまに素敵――」

 

 なのはが気を使い、鍛え上げられた身体で苦も無くはやてをおんぶすると、動けない彼女を城から離した。

 

 遠目から見える景色は確かに綺麗だ。昼間とは違う蒼い海の姿も。灼熱に砂浜を照りつけた太陽の姿も。茜色に染まった空までが随分と違う。夕焼け何て見慣れた景色の筈なのに、はやてにはその光景が特別なものに見えて仕方がなかった。

 

 口から零れるのは感嘆の溜息。自由に動く両手は祈るように組み合わされ、いかに彼女が感激しているのか分かる。

 

 楽しかった。そう、今日は本当に楽しかったのだ。

 傍に居てくれる家族が出来て。生まれて初めて友達が出来て。そんな家族や友達と一緒に海にお出かけすることが出来た。

 

 それはいつまでも遊んでいたくなるくらい。本当に楽しかったのだ。

 

「あっ、城壁が……」

 

 だけど、そんな楽しさも終わりが来るのだと告げるように。無慈悲にも差し迫る波の一撃が、哀れにも城壁を脆く崩した。波に呑まれた痕には何も残らず、濡れた砂浜と崩れ落ちた砂の山があるだけだ。

 

 それを見て、はやてが寂しそうに笑う。笑って小さく呟いてしまう。

 

「わたしも、いつかこんな風に崩れ去ってしまうんやろか……」

 

 想いを馳せるのは自分の足のこと。日に日に動かなくなっていく自らの下半身。徐々に強くなっていく胸の発作。幼い頃から少しずつ少女を蝕んできた原因不明の病。それは彼女の心を不安にさせるのは充分で。波に崩れる城壁が考えないようにしていた事柄を思い起こしてしまった。

 

「何言ってるんですか。これから始まるんでしょう?」

 

 だから、傍に居たなのははそれを紛らわせるように笑った。楽しい事も、嬉しい事も、これから始まるんだと優しく告げる少女の瞳は、希望に満ち溢れている。

 

 心優しい少年と約束したことがある。二人の親友に支えられて過ごす日々がある。大好きな少女と共に日々を過ごせる喜びがある。

 

 そして自分を支えてくれた腕の中の少女が、八神はやてが新たに加わる。楽しい日々を彩る大切な存在として。

 

「今度、夏の終わりに祭があります。一緒に行きましょう。わたしも本格的に参加するのは久しぶりなので、楽しみなんです」

「祭か~~。家から花火を見るくらいしか縁があらへんかったなぁ」

「間近で見ればもっと綺麗ですよ。色んな屋台もたくさんあります」

 

 そっと、はやての手を握り、嬉しそうに祭の事を語るなのはの顔は優しい微笑みが浮かんでいた。

 

 ちょっとだけ頬に朱が差している気もするが、気のせいだろう。

 

 夕日に照らされてそんな風に見えるだけだと、はやては思う事にした。恥ずかしがってるなんて指摘するほど意地悪じゃない。

 

 でも、嬉しい。こうして自分のことを誘ってくれる友達がいること。傍で支えてくれる家族がいること。それを改めて自覚すると胸がいっぱいになるほど満たされる。きっと自分は幸せなんだろうと、はやても嬉しそうに笑った。太陽みたいな眩しい笑顔だった。

 

「じゃあ、誘ってもらってもええやろか?」

「ええ、もちろんですよ。はやて」

 

 互いに指切りして約束を交わす少女たち。

 

 その後、乗ってきた車から、一眼レフのカメラを取り出した忍が、八神家と子供達を交えて記念写真を撮影した。

 

 夕日を背に、砂の城を中心にして寄り集まった全員が何処か嬉しそうに笑っていたという。

 

 残された写真は、そんな思い出の一枚となった。


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