リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

75 / 84
復讐者のレクイエム 彼の苦悩。そして……

 イギリスの郊外に存在する田舎町に、立派な邸宅が建っていた。

 

 大理石で造られた表札にはグレアムと掘られていて、この家が誰のものであるかを明確に示している。

 

 しかし、その立派な邸宅の雰囲気は、いささか暗く。整備されていない庭は荒れ果て、植えられた草木のツタが邸宅の壁を覆っていることから、人は住んでいない様に見えるだろう。

 

 だが、彼は……時空管理局の英雄と称えられたギル・グレアムは確かに住んでいた。

 

 この荒れ果てた邸宅のように、心身ともに少しずつ憔悴していきながら、苦悩と後悔の日々を送っていた……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『なんで、何でこんなことするん……?』

 

 見ている者まで悲痛に顔を歪めてしまいそうなほど、うっすらと涙を流し、絶望した表情の少女がグレアムの瞳を、信じられないといった目で見つめてくる。

 

 セピア色に染まる。あの日の光景。そして、少女の問いにグレアムは答えなかった。答えられるはずもなかった。

 

 決して忘れる事の出来ない、いや……忘れる事すら許されない記憶。

 

 罪なき一人の少女を地獄よりも酷い、虚無と絶望の空間へと、二度と出てこられない様に、魔法の使えない虚数空間に叩き込んだ所業。グレアムという男が犯した許されざる罪の日の記憶。

 

 それは、いまだに彼を蝕む悪夢となって、毎日のように夢として出てくる悲劇の記憶だった。

 

 そして、慟哭する少女をエターナルコフィンで病院ごと氷漬けにして、虚数空間に放り込んだ場面で目が覚めた。

 

「グッ……はぁ、はぁ……また、あの夢か……」

 

 荒い息を吐きながら、アリアが用意してくれていた水の入ったコップを手に取り、ゆっくりと飲み干す。グレアムの顔は酷い有様で、頬は痩せこけ、目の下には濃い隈が出来ていて、ひどくやつれていた。

 

 現役であったころの屈強な面影は見る影もなく、痩せこけた身体は、病魔に蝕まれた老人のように見える。

 

 いや、病魔に蝕まれた……呪いに蝕まれた老人か。

 

 死ぬその時まで、永遠に覚めない悪夢という呪いのような病魔に蝕まれた老人だ。

 

 八神はやてという哀れな少女と管理外世界の人々を犠牲に、自らの手で闇の書を封印した時から、彼の苦悩は始まった。

 

 全てが終わったとき、彼の心に残ったものは、言いようのない虚しさと無力感だけだった。

 

 人々の怨讐も、少女の嘆きも、永遠に背負い続ける覚悟を決めてまで封印を実行したのに、この様だ。

 

 長きにわたる闇の書の因縁、多くの犠牲と悲しみを振りまいてきた災害ともいえるロストロギア。それを事実上、永久封印したのだ。それを素直に喜ぶことができれば、どれだけ良かったことか……

 

 結局、良心の叱責に苦しむなどという偽善を彼は抱えてしまったのだ。

 

 そして、そんな事は赦されていい事ではなかった。

 

 誰かに罰せられたいと思ったグレアムは、闇の書を封印する過程で、違法行為を犯した主犯の一人として、封印に関わった局員を庇いながら、素直に自己申告した。

 

 使い魔のリーゼロッテとリーゼアリアも、巻き込みたくはなかった。だが、彼女たちは、父親が罰せられるのに、娘が罰せられないのはおかしいと言って、頑なに意見を変えようとせず、結局は彼女たちも巻き込んでしまった。

 

――これで、私は罰せられる……罪を償うことが出来る……

 

――お父様……

 

――父様……

 

――すまない、アリア、ロッテ。お前たちを巻き込んでしまって。

 

――いいえ、お父様。私達はお父様が決めた道にどこまでもついていきますから。

 

――そうだよ父様! アタシらは父様の使い魔なんだからさ。

 

――すまない、本当にすまない……

 

 自身の罪に巻き込んでしまった愛する娘のような、二人の使い魔に謝りながら、彼は罰せられる時を待った。

 

 しかし、グレアムの期待とは裏腹に、結果は予想していたものと違っていた。

 

 本局は、時空管理局は、彼を稀代の英雄として祭り上げた。

 

 管理世界の人々は、彼を称賛して止まず、グレアムが真実を告げても、一種の熱狂に包まれた人々の声の前にかき消されてしまう。

 

 少女と無関係な人々の犠牲は、災厄を振りまくロストロギアの消滅の為には仕方がなかったこととして、人知れず闇に葬られていった。

 

――さすが、時空管理局の英雄と称えられたグレアム提督ですな。

 

――やはり、貴方こそが真の英雄に相応しいと我々は思っていましたよ。

 

――さあ、人々をロストロギアの脅威から救った英雄として、我々、時空管理局がロストロギアの脅威から人々を守り続ける象徴として、人々の期待に応えてあげてください。

 

 本局の上層部に居座る高官たちの声。

 

――やっぱり、グレアム提督はすごいですね。

 

――私達の平穏を脅かすロストロギアを封印してくれてありがとうございます! グレアム提督!!

 

――あのね、ぼく、おおきくなったら、かんりきょくいんになって、しょうらいは、グレアムていとくみたいな、えいゆうになりたいとおもってます。

 

 管理世界に住む人々の声。

 

――ありがとうございますグレアム提督。闇の書と戦って殉職した息子も報われました。本当にありがとう。

 

――やっと、やっと終わったよ。父さん。母さん。あの日、父さんと母さんを奪っていった闇の書を、グレアム提督が滅ぼしてくれたんだ……こんなに嬉しいことはない――ありがとうグレアム提督。

 

――これで、私達のように、理不尽に家族や友人を奪われる人々が減るのですね……。遺族を代表してお礼を言わせて貰いますわ。ありがとうグレアム提督。

 

 そして、闇の書の災禍や守護騎士の蒐集によって、家族や友人を、故郷を奪われた遺族たちの声。

 

 そのすべてが、グレアムを罰することなく、彼を称え、称賛し、心から礼を言った。

 

 そこに含まれる打算や、憧れはグレアムにとって、どうでも良い事柄だった。

 

 大切なのは、誰もグレアムの罪を責めることがなかった一点に尽きる。

 

 人々の熱気に押されたこともあって、管理世界が、時空管理局が望む英雄としての姿を、グレアムは演じ続けた。

 

 しかし、それは表向きの話で、裏で彼は相当に荒れた。人々の見えぬところで、壁に拳を叩きつけ、何度も頭をぶつけ、望まぬ結果に憤り、嘆き叫んだ。

 

――違う!! 私はこんなことをされるために、英雄になる為に真実を伝えたわけじゃない!!

 

――どうして、誰も犠牲になった少女と無関係な人々の事に目を向けようとしない! 何で目を背けるのだ!! なぜ、私の罪を罰してくれないんだあああぁぁぁっ!!

 

――私が、あの孤独に悲しむ少女を見て、何も思わなかったと思っているのか!! 闇の書の復活を阻止するために、入院するであろう病院に術式を仕掛けて、無関係な人々を巻き込むことを何とも思わない冷血漢だと思うのかッ!!

 

――管理外世界だから関係ない? そんなわけがあってたまるかッ!! あそこは私の故郷の世界なんだぞ!! イギリスと日本! 国は違えど、私だってそこに住む人々を、世界を愛していたんだ!! 

 

――父様! 落ち着いてッ!! そんなに御身体を傷つけちゃだめだよ!!

 

――確かに私は闇の書に私怨を抱いていた。決して善良な気持ちで、管理局員としての使命感で、闇の書を封印しようとした訳ではない。だが、闇の書の悲劇を終わらせようとした想いだけは、本物だった……

 

――それでも、罪なき少女や無関係な人々を巻き込んだことは、赦されることではない、本来ならば罰せられて当然の罪を犯しているというのに……

 

――なのに……どうして、誰も私を罰してはくれんのだ……。嗚呼……頼むから私をそんな目で見ないでくれ、私は決して英雄と称賛される人間ではない。裁かれなければならない人間なのだ……

 

――私を……憧れた目で見ないでくれ……

 

――お父様……

 

 その後、間もなくしてグレアムは逃げるように時空管理局を退職。

 

 故郷のイギリスで隠居生活を始めた。

 

 後悔しても、過去を振り返っても遅いというのに、封印方法に間違いがあったのではないか? 他に方法はなかったのかと模索したり、教会で懺悔を行う日々を送る。

 

 グレアム達も当初は罪なき人々を巻き込むつもりはなかった。最初は、破壊方法や別の封印方法を探し回っていたのだ。

 

 しかし、闇の書の対処するための方法が書かれた資料があるであろう、無限書庫を探索するには人手が足らず、時間も足らなかった。

 

 当時は秘密裏に事を進めていたこともあって、正式に増員を要請することも出来ず、結局は断念することになる。

 

 そして、唯一の確実な封印方法であろう、極大氷結魔法のエターナルコフィンを秘めた魔法の杖。デュランダルを以て封印する事を決定した。

 

 しかし、デュランダルの開発には莫大な予算が掛かるし、何より、先に言ったとおり秘密裏に事を進めていたため、開発する人員と予算を調達するのに時間が掛かった。

 

 封印する無人世界の選定も行わなければならず、守護騎士に妨害されずに、主である八神はやてを闇の書の完成直前に誘拐する方法も計画せねばならなかった為。

 

 気がつけば、あっという間に時間が過ぎ去っていた。

 

 ようやく、封印場所の選定も終わり、緻密(ちみつ)に練り上げた誘拐計画も整ってきたころに、問題が発生する。

 

 闇の書を氷結魔法で封印して、永久氷結世界に運び込んでも、いずれは封印が解かれてしまうという結果が出たのだ。

 

 その頃には闇の書の守護騎士が覚醒していて、もはや、守護騎士が蒐集を行い、闇の書を完成させるまで時間がなかった。

 

 いまさらになって、他の封印方法を模索するわけにもいかず、かといって、いますぐ闇の書を確保してアルカンシェルで吹っ飛ばすわけにもいかない。

 

 覚醒する前に闇の書を見つけられたことは好機であり、千載一隅のチャンスなのだ。この機会を逃せば、生きているうちに覚醒前の闇の書を発見するのは不可能だろう。

 

 関わっている局員の多くが、罪悪感に駆られながらも、検討されていた一つの方法を推進した。闇の書の悲劇に終止符を討つ為に……

 

 それは、儀式魔法を以て虚数空間に続く道を開け、氷結魔法で封印した闇の書を、魔法の使えない虚数空間に封印する方法だった。そうすれば、闇の書が何らかの要因で虚数空間から放り出されない限り、凍結魔法の封印を解かれる可能性は低い。

 

 守護騎士の妨害を受ければ、失敗してしまうであろう儀式魔法を、確実に成功させるために、場所は入院するであろう大学病院が選定される。

 

 氷結封印が解かれる可能性がある。

 

 それは、闇の書の移送中に起きる可能性も含めており、病院が封印場所に選ばれたのは、移送中の事故で暴走して闇の書の犠牲者を出さないため、苦渋に決断された苦肉の策であった。本局事件のような悲劇を繰り返さないためにも必要だった。

 

 闇の書の主と守護騎士を逃がさないよう、病院もろとも結界魔法で閉じ込める。

 

 そこには、大規模氷結封印魔法の被害を減らし、外部の人間に目撃されないようにという理由もあった。

 

 そして、彼らは孤独に苦しむ悲劇の少女と、無関係な病院の人々を巻き込んで封印を実行した。

 

 自業自得とはいえ、後に封印に関わった幾人かの局員が、自責の念に駆られて、管理局を退職する。

 

 酷い者は罪の意識に耐え切れず自殺した者までいた。婚約者を失ったグリーンなどがそうだ。

 

 あるいは、素直に栄光と称賛を受け入れ、英雄と呼ばれた局員もいた。関わった多くの人々の人生を良くも悪くも変えてしまったのだ。

 

 そのことが、グレアムの心をさらに傷つけ、精神を蝕んでいた。

 

◇ ◇ ◇

 

 そもそも、事の始まりは何だったのだろうか?

 

 いいや、決まっている。大切な人をアルカンシェルを使って、グレアムの手で葬った時からだ。

 

 グレアムはベッドから抜け出して、机の上に置いてある写真を手に取った。

 

 写真に写るのは今は亡き、笑顔を浮かべるハラオウン一家。闇の書事件が最悪のケースで終結した悲劇の事件。本局における暴走事件のせいだ。

 

 ハラオウン一家は、この時に全員が亡くなった。グレアムが……殺した。

 

 事件の始まりは、稼働前の闇の書を移送していたときだ。すべてが順調で、強固な封印も安定していて、万に一つも闇の書が暴走する危険など誰もが考えていなかっただろう。見くびっていたのだ。ロストロギアの恐ろしさを。誰もが稼働しなければ安全だと思っていた。

 

 移送艦隊は本局にて補給を受け、それから闇の書を永久氷土の世界に移送。封印したロストロギアを誰も手の届かない無人世界に葬り去る予定だった。

 

 クライドも一時的に艦を降りて、見学に来ていた妻のリンディと息子のクロノと触れあい、笑っていたのをグレアムはよく覚えている。

 

 その時に、異変が起きた。闇の書を移送した艦が乗っ取られ、あろうことか本局まで侵食し始めたのだ。想定外の事態に誰もが狼狽えた。まさか、本局をアルカンシェルで消し去るわけにもいかない。しかし、このままでは次元世界の秩序が崩壊する。

 

 英断を下したのはハラオウン夫妻。二人の上位権限で本局の一部をなりふり構わず、浸食されたブロックごとパージして分離させたのだ。そこには、息子のクロノもいた。彼らは身の安全より、局員としての使命を選んだ。

 

 分離ブロックが本局との連結部分を崩壊させ、次元の流れに乗って漂流する瞬間をグレアムはよく覚えている。

 

 もちろん、グレアムも救出しようとした。他の滞在していた提督も、伝説の三提督もだ。取り残された局員たちを、みすみす無駄死にさせるわけにはいかなかった。

 

 しかし、強固な防壁によって転移魔法を阻まれ、救出は不可能だった。そうこうしているうちに、闇の書は力を急速に蓄え暴走の度合いを増していく。通信から聞こえてくる人々の悲鳴がグレアムの耳に残っている。内部でどんな悲劇が起こっていたのか、今となっても分からない。

 

 最後の通信は、クライドからだった。彼は自分たちに構わず撃ってほしいと願い出た。このままでは、次元世界に大きな被害をもたらす。そのまえにアルカンシェルで闇の書を消滅させてほしいと。声はそこで途切れた。

 

 そして、グレアムは決断したのだ。自らの手でアルカンシェルの引き金を引き、多くの人々を葬り去る事を。

 

 その日の光景も忘れたことはない。今でも鮮明に思い出せる。彼の悪夢の始まりだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「全巡航L級艦のアルカンシェル発射コードを本艦にリンク……私が全ての責任を持って暴走した闇の書を分離ブロックごと消滅させる」

 

「グレアム提督……ッ、了解しました。全艦のアルカンシェル発射コードをリンク。エスティアの発射タイミングと同時に放ちます」

 

(何故だっ! 何故クライドが、リンディが、クロノがこんな目に遭わなければならないッ!! あのブロックに取り残された人たちに、何の罪もないというのに、闇の書はそれすらッ、彼らの未来すら理不尽に奪い去ろうというのかッ!!)

 

「リンク完了。全艦のアルカンシェルのチャージは完了しています…………あとは、提督のご判断に、任せます……」

 

(わ、私は撃てるのか…家族のように、親しいクライドを…娘のように可愛がっているリンディを…初めてできた孫のようなクロノを……そして、故郷に家族がいるであろう局員たちを、無数の未来を、可能性を持った若い局員たちを、その家族を……葬れるのか?)

 

「提督……」

「ッ……分かっている。撃たなければ、ここで彼らを犠牲に闇の書を滅ぼさねば、より多くの犠牲を生み出すという事も分かっているんだ……」

 

 何処か弱々しい声で呟くグレアム提督を誰も責めはしない。誰もが提督の苦悩を、自分の事のように考えていた。アルカンシェルを使って取り残された局員を救出せずに葬り去る。そのことを自分が行うと想像しただけで罪の重さに押しつぶされそうだった。

 

 ただ、他の巡航L級艦に座上する何人かの艦長は既に覚悟を決めており、いつでも撃てるように準備は怠らなかった。事の重要性は誰もが嫌という程に理解していて。ここで暴走した闇の書を滅さなければ最悪、時空管理局本局が崩壊する危険があるからだった。

 

 そうなれば、次元世界は次元犯罪者の暴走を抑えることができなくなるばかりか、自然災害の如く発生するロストロギア事件に対処できなくなり、多くの世界が滅んでしまう。それだけは絶対に避けねばならない。

 

 本当なら今すぐアルカンシェルを放ち、事件を収束させるのが管理局員としての義務。いや、責務だ。だが、グレアム提督の苦悩を理解しているがゆえに、僅かな猶予を与えている。もし、グレアム提督がアルカンシェルを撃てなければ覚悟を決めた艦長の誰かがアルカンシェルを撃つだろう。そうなれば、戸惑っている艦の人間も否応にも撃たざるを得ないのは確実。

 

 あとは、ギル・グレアムという男の決断次第だった。

 

「――ッ、目標、闇の書の暴走に取り込まれた分離ブロック。アルカンシェル発射カウント開始」

 

 やがて、覚悟を決めたのか顔をあげて、分離された本局ブロックの映るモニターを見据えるグレアム提督。彼は冷徹な声で命令を下す。

 

 その瞳には様々な感情が秘められている。闇の書に対するコールタールのようにどす黒い憎しみ。闇の書に巻き込まれた人々に対する憐れみ。大切な人を失う耐えようのない悲しみ。そして、人々を犠牲にすることと、管理局員としての使命の板挟みに絶望する苦悩。

 

 その時から、グレアムは変わった。

 

「了解、しました……アルカンシェル発射カウント開始。10、9、8、7、6、発射コードのロックを解除……」

 

 オペレーターの言葉と同時に、グレアムの手元にある透明な保護カバーに覆われた赤いスイッチが輝きだす。権限を与えられた二人の人間が同時にキーを回す通常の発射方式と対を成す緊急用の単独発射コード。

 

 カウントゼロと共に保護カバーを粉砕する勢いで叩き押せば、アルカンシェルが発射され、闇の書と取り残された多くの人々を葬り去る死のスイッチ。

 

「5、4、3、2、1、提督ッ!」

「アルカンシェルっ!! はっしゃああああぁぁぁッ!!」

 

 そしてグレアム提督は迷いを振り切るように叫んで、発射スイッチを叩き壊す様に拳を振り降ろした。保護カバーが粉砕され、赤いスイッチが押されると同時にエスティアの艦首からチャージされたアルカンシェルが発射される。三つの展開された巨大な環状魔法陣から白銀の光が放射され、分離ブロックを貫いていった。

 

 エスティアだけでなく、他の艦からも発射されたアルカンシェルの輝きは幾条もの流星となって分離ブロックを貫く。その光景は、何も知らぬものが遠くから見れば美しいと呟いてしまうかもしれない。しかし、行われているのは残酷な行為だ。

 

 対象を着弾後の空間歪曲による反応消滅で消し去る禁断の術式兵装。その効果は凄まじく、アルカンシェルの斉射が終わったときには……

 

 その空間には、何も残らず、ただ虚しい空間が広がっているだけ……

 

「ッ……くっ、うっ、うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……」

 

 何も移さなくなったモニターを見てグレアムは頭を抱えて床に崩れ落ちると、事後処理の命令も、上に立つ者は冷静でなければならないという心得も忘れて、血反吐を吐きだすかのように叫び続ける。

 

 その行為を局員たちは誰も注意をしようとはしなかった。いや、声を掛けられなかったという方が正しいか。

 

 全責任を背負い、自らの手で多くの人間を葬り、親しい人を自らの手で、アルカンシェルで消し飛ばした男。ギル・グレアム。

 

 次元世界の人々はこの事件の内容を知って彼をどう思うのだろう? 闇の書の被害から人々を護る為に苦渋の決断をくだした悲劇の英雄? それとも、無慈悲にも巻き込まれた局員を助けようともせず、名声の為に多くの局員を犠牲に闇の書を消し去った偽善者?

 

 だが、グレアムにとって他人の評価などどうでも良いこと。

 

 今、周囲の人間が分かることはグレアムの苦悩はグレアム自身にしか分からないということだけだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 嫌なことを思いだした。グレアムは写真のついたてを伏せると、静かに立ち上がる。

 

 少しだけ夜風にあたりたかったのだ。もう、眠るような気分でもないし、もう一度悪夢を見たくなかった。リーゼ達は身体を労われと叱るだろうが、少しだけ許してほしい。

 

 きっとグレアム自身は永遠に救われる事無く、呪いに苦しみ続けて死ぬのだろうから。

 

 寝室からベランダまでフラフラと歩くグレアム。その時、初めてグレアムは異変に気が付いた。妙だ。静かすぎる。リーゼ姉妹がいるので多少の気配はする筈だが……この感じは戦場の臭いだと、グレアムは経験から判断した。

 

 冷たい、底冷えするような感覚は、家に襲撃者が潜んでいることを意味する。衰えたとはいえ、彼は歴戦の勇士すぐに身構える。

 

(……いや、私にはどうでもいいことか)

 

 しかし、もう生きることに疲れ果てていたグレアムは構えを解いた。

 

「がっ――!!」

 

 その瞬間、上から圧し掛かるような衝撃と共に、グレアムは床に倒れ込んだ。どうやら音もなく忍び寄って、静かにグレアムに飛び掛かったらしい。まるで、暗殺者のような人間。

 

 首筋に押し当てられる冷たく鋭い感触は、恐らく刃物。襲撃者が獲物を静かに引くだけでグレアムは死ぬ。

 

 だが、それでいいのかもしれない。グレアムはそれだけの事をしたと罪を自覚している。裁かれるというのであれば、甘んじて受け入れよう。

 

「妙な技で抵抗しようとしても、助けを呼んでも無駄。獣の臭いがする女二人は一階で気絶している。誰かが来る前に私の刃がお前の命を奪う方が早い」

 

 どうやらロッテとアリアを無力化したらしい。とんでもない手練れだ。声からして女。それも、まだ若い。歳の頃は20から30といったところか。

 

 恐らくグレアムを殺しに来たのは間違いない。さっきから鋭い殺気がグレアムを蝕んでいる。すぐに殺さないのが不思議なくらいだ。

 

「お前がギル・グレアムか?」

「そうだ」

 

 女の憎しみを押し殺したような声に、グレアムは静かに肯定の意を示した。

 

 歯ぎしりする音と共に、女からの殺気がさらに増す。グレアムもかつては、このような憎悪を抱いていたのだろうか?

 

 女が何かを取り出して、グレアムの目線に見せるように置いた。見覚えのある手紙。かつての八神はやてに宛てたもの。

 

 なら、女の正体は、忌まわしい事件となった被害者の遺族か、それに雇われた暗殺者といった所だろう。態度からして前者だろうが。手紙だけを手掛かりに、グレアムの居場所を特定するとは恐るべき執念だ。

 

「……三年だ。私はお前を見つけるまでに三年も掛かった。答えろ!! なのはは、私の妹の不破なのははどうした!? 病院の人々を何処へやった!?」

 

 なのは、不破なのは。グレアムには聞き覚えがある名前。思い出す。封印事件の時に最後まで抵抗してきた少女の姿を。決して諦めずにはやてを救おうと抗った少女を。

 

 なら、この女性は、その家族か。

 

 けれど、グレアムは女の期待に応えられない。絶望しか示すことはできないだろう。あの子は……

 

「死んだよ。私が殺した。病院にいた人間は全て氷漬けにして、異世界に放り込んだ」

「貴様……!! キサマ――よくもっ、ぬけぬけと!!」

「ぐっ……私を殺すのかね。なら、好きにすると言い。殺される覚悟はできている」

 

 女が抑えていたグレアムの喉元を絞めていく。

 

 振り下ろされた鋭い獲物はナイフではない。刀。それも小太刀と呼ばれる物の類。グレアムの肩に激痛が走り、熱さを伴う。

 

 この女性はグレアムを一思いに殺すことはない。恐らく徹底的に痛みつけて、あらん限りに苦痛を与えて殺すのだろう。

 

 それでいいと、グレアムは思った。死ねるのなら、他人の手で殺されるのならそれでいい。どこかで望んでいた結末ではないか。

 

「さあ! 剣を振り下ろしたまえ!! 憎き仇は目の前にいるのだぞ!!」

 

「言われなくても、お前はここで死ぬがいい!! 死んで神隠しのクリスマスの罪を贖えええぇぇぇぇッ!!」

 

 女が振り下ろす獲物の風切り音と共に、グレアムは静かに目を閉じた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 あれから7年。グレアムは今でも生き恥を晒し続けている。女はグレアムを最終的に殺さなかった。既のところで鳴った携帯電話の着信音。それは女の持っていた携帯から鳴り響いていた。

 

 そして、電話の相手と女は散々に口論を繰り広げて、女は泣き叫びながら去って行ったのをよく覚えている。

 

 電話主との会話の内容から、復讐を止められたという事しかグレアムには分からなかったが、とにかく死ぬことはできなかった。

 

 グレアムは異変に気が付いて通報を受け、訪ねてきた警察に女のことをぼかした。家に忍び込んだ強盗に殺されかけて、運よく生き延びれた。そういう事で良いのだ。

 

 女とグレアムは会う事は二度とないだろう。

 

 朝に起きて、使い魔の淹れてくれた紅茶でぼんやりとした頭を覚ましながら、テラスで町の景色を見ていたグレアムは、静かにため息を吐く。

 

 クライド達を失ってから、グレアムは物事を見る視野が狭くなったと思う。あのような若い女性にまで復讐の連鎖に陥れるとは。結局グレアムは世界を救っても、本当に救うべき人は救えなかったということか。

 

 親しい人を奪われて、誰かの大切な人を奪い去って、局員として、そこに住む人々をあらゆる脅威から助けるという理念も忘れて。使命という言い訳を元に復讐を果たした。

 

 これでは、ただの畜生ではないか。

 

 なりふり構わず自殺できれば、どれほど楽だっただろう。けれど、神様というやつは残酷で、みじめなグレアムに生きろとおっしゃるらしい。

 

 もしかすると、生き地獄を味わうことがグレアムに対する罰なのかもしれない。

 

「父様、お腹はすいていませんか?」

「いや、アリア。もう少しあとで構わない。軽めのもので頼むよ」

「ダメだぞ父様。ちゃんと食べなきゃ。ただでさえ、痩せてきてるんだからな」

「はは……すまないね。ロッテ」

 

 甲斐甲斐しく主人の世話をしてくれる。娘でもある二匹の使い魔に、礼を言う。彼女たちにまで業を背負わせたことは、一生における後悔のひとつ。リーゼたちには悪いことをした。

 

 このまま、何もできずにグレアムと言う男は、悪夢にうなされて死んでいくのだろう。共に歩む使い魔も、心に影を落としたまま死んでいく。立ち止まった男の時は永遠に停滞したままなのだろう。

 

 それが、あの日、幼い少女たちを封印した男に対する罰なのだから。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 その少年がフェレットになって病院に辿り着いたとき、助けたかった大切な人は何処にも居らず。助けを求めてくれた紅玉と零れ落ちた黄金の三角形すらも現場に残されていなかった。

 

 物だけが残り、人の姿が何処にもない静かな病院で、彼は愕然としていた。

 

 そして、自身が間に合わずに、彼女たちを助けられなかった事を知る。

 

 心に浮かんでくるのは魔法の事に巻き込んでしまった後悔。助けると約束していながら助けられなかった苦しみ。そして、大切な人を失ってしまった悲しみだった。

 

 彼は何処かの世界で泣き叫ぶような声を上げ続けた。

 

 けれど、声は決して彼女たちに聞こえず。伸ばした少年の手が届くことはない。

 

『遥か昔から次元世界に災厄をもたらし続けてきた闇の書事件が無事に解決して……』

 

『管理局は英雄ギル・グレアム率いる彼らを称えると共に、闇の書によって犠牲になった人々に哀悼の意を……』

 

『そして、管理局は管理世界の人々の秩序と平穏を守るとともに、これからもロストロギアや次元犯罪者の脅威に立ち向かっていくことになるでしょう』

 

 どこかの世界の、どこかの街で声が聞こえる。人々の喧騒に紛れて、街のモニターに映し出されたニュースから闇の書事件の顛末が語られている。年に一度繰り返し聞かされる内容に、ユーノ・スクライアは耳を傾けることもせずに街中を歩いていく。ボロボロの外套で身を隠しながら、次元世界を渡り歩いていく日々を送る。

 

 闇の書事件が終わってから一年目は、事件の詳細を調べるために各地を回った。連日放送されるニュースや情報誌を目で追いながら、各地の伝手まで総動員して事件の詳細を追い続けた。もしかしたら、何処かで生きているかもしれないと期待しながら、事件の被害者の生き残りを、彼女たちを探し続けた。けれど、徒労に 終わった。

 

 そんなユーノに接触してくる人物がいた。

 

 いつかの依頼人。リエルカ・エイジ・ステイツだった。

 

 管理局に押収されていたレイジングハートとバルデッシュを回収していたステイツは、ユーノにそれを手渡してくれた。そしてユーノは主を失ったデバイスたちから事件の詳細を聞いた。彼女たちが虚数空間の奥底に封印されてしまったことを。

 

 呆然とするユーノに、ステイツは言う。

 

「私に協力してくれるなら、手を貸そう」

「管理局は彼女たちを永劫の檻から解き放つことはしないだろう」

「だが、管理局と対極に位置する私たちならば、封じられた彼女たちに手を差し伸べることができる」

「どうするかね」

 

 だから、『ユーノ』は迷わず手を伸ばした。

 

 稀代の次元犯罪者ジェイル・スカリエッティの手を取った。

 

 全てはあの日の約束を果たすために。もう二度と後悔しないために。

 

 そして、大切な人を絶対に助けるために。

 

(待っていて。僕が、僕が必ず迎えに行くから……)

 

 彼は闇の中を渡り歩いていく。かつての、主のデバイス二機と共に……

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。