リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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第四部 闇の欠片編
序章『はやて』の独白とはやての葛藤と


『ぐっ……殺してやるっ。殺してやるっ。殺してやるっ!!』

 

 嫌な夢を見た。大切な親友が、憎しみに染まってしまって、なりふり構わずに相手を殺そうとする夢。本当は誰も殺したくないと。自らの手を赤く染めてしまった事に誰よりも苦悩していた心優しい子だったのに。

 

『なんで、こんなことするん……?』

『お前の罪。それは闇の書に選ばれたお前の存在そのものだ』

 

 『はやて』の問いかけに、どこか諦めたような表情をした老人は何も答えてくれない。ただ、淡々と『はやて』を暗い闇の底に落とそうと手をかざす。

 

 『はやて』は、せめて『なのは』を抱きしめようと手を伸ばす。抱きしめて、どんなに慰めようとも、優しい言葉を掛けようとも、思ったように声が出ない。ただ、『ごめんなさい』とうわ言のように繰り返しているだけ。あの日の出来事が辛くて悲しくて、巻き込んでしまった皆に申し訳なくて。家族を、親友を殺されながら何もできない自分が情けなくて。

 

 巻き込んでしまった事に対する贖罪の言葉を口にしながら、暗い闇の底で『はやて』は謝り続ける。永遠とも思えるような長い時間を独りで過ごし続ける。氷漬けになった親友の■■を抱きながら。

 

 そして、夢を見る。幸せだった頃の夢。『なのは』や『アリシア』の記憶の夢を。そして繰り返される終わらない夜の悪夢を。何度も。何度も。

 

「我は……また、うなされて……」

 

 目を覚ます。寝心地の良いベッドの上で寝かされている自分に気が付き、同時に嫌な汗を掻いていたらしい。ディアーチェは荒い息を吐きながら、胸の辺りを抑えて、寝間着を握りしめた。

 

「我に嘆きと悲しみを抱くことは……許されぬというのに…………罪を贖い続けることが、巻き込んでしまった者たちへのできる、我のせめてもの償い……」

 

 海の音が聞こえる。十二月の忌々しい季節が近くなり、肌寒くなってきた頃。優しい月明かりだけが周囲を照らしてくれるけれど。ディアーチェにとっては誰もいない夜そのものが悪夢に等しい。病室で一人ぼっちだった頃の不安と、何もかも失って闇の中で独り過ごしていた悠久の日々を思い出すから。

 

 不安になって誰かいないのかと手を伸ばす。けれど、いつも傍にいてくれるシュテルもレヴィも傍にいない。どうして……と不安になってしまう。そして、自分が置いてきたのだと気が付いて俯いた。アスカも向こうについた。ナハトには八神はやての世話をさせている。

 

 本当は傍にいて欲しいのに、何を自分勝手なことをと。自問自答して、自分で自分の心を傷つけていく。自己嫌悪に陥っていく。

 

 心配だがシュテルはアスカと共に管理局に置いてきたのだ。

 

 それにレヴィは、過去のトラウマを思い出して一時的に心を閉ざしてしまった。躯体の傷を癒したものの意識が戻らない。封じていた過去の記憶は、彼女の心を相当に傷つけてしまったらしい。今は紫天の書の中で眠っている。

 

 支えてくれる人がいないというのは、こんなにも辛いことなのかと意識してしまう。

 

 そんな彼女の元に、ナハトが部屋の扉を開けて入ってきた。思わず顔を見られたくなくて、布団を深くかぶって背中を向けた。誰よりも優しくて心配性な友達を不安にさせたくない。

 

 けれど、背中におんぶされている八神はやての顔も見えてしまって、ちょっとだけ安心した心は、すぐに同族嫌悪に歪んだ。自分と同じ顔をして、自分と同じようにのうのうと安寧を貪っていたはやてを許せそうにない。自分自身と同じように。

 

「ディアちゃん、起きてたんだ」

 

 はやてを、ディアーチェの眠るベッドにそっと下ろして腰かけさせたナハトは、ディアーチェに優しく声を掛けてくれる。寝たふりで誤魔化せそうにないし、またあの悪夢を見ると思うと寝付けそうにない。

 

 ただ、ナハトの言葉に静かに頷くだけに留めた。

 

「――ごめん、ディアちゃん。全部話しちゃった。わたしたちの事も、何があったのかも」

「……余計なことを」

「うん、ごめんね。でも、毎晩うなされるディアちゃんを放っておけないから。それに力になれる人は多い方がいいと思う」

 

 遠まわしにはやてちゃんは信頼できるからと言われては、ディアーチェも返す言葉などなかった。自分自身と同じような存在だから。『すずか』だったナハトがはやてを信頼するのも当然の帰結と言える。

 

 大方、はやてに自分の悩みや苦しみを話してみたらとでも言うのだろう。確かに、ディアーチェは心配かけまいとマテリアルの誰にも自らの心情を明かそうとはしなかった。シュテルに無理やり促されるまでは、ずっと隠しておくつもりだった。今も不安や悩みを打ち明けられずに、一人で抱え込んでいる。

 

 ナハトは何も言わずに、ただ寄り添ってくれる。自分はそれに甘えている。でも、やっぱり打ち明けられないことはたくさんある。負い目がある。

 

 ナハトはそれを察して、はやてを連れてきたのだろう。はやてになら、自分自身と同じような存在なら。独白くらいなら出来るかもしれないから。

 

 本当は不安を打ち明けたい。でも、話したくない。心配かけたくない。毛布の内側に包まりながら、ディアーチェは不安な自分を隠すように月を見上げて。それから大きくため息を吐いた。二人きりにして欲しいと小声で言う。

 

「ディアちゃん。でも……」

「ナハトちゃん。大丈夫だから。二人っきりにしてあげてほしい」

 

 感情的になった衝動で、ディアーチェがはやてを傷つけて、自分自身も苦しめてしまわないだろうか。そう心配するナハトを安心させるようにはやては微笑んで、頷いた。ここはわたしに任せてほしいと。

 

 ナハトは頷いて、悲しそうに狼の尻尾を揺らした。本当は自分もディアーチェの支えになりたいし、悩みがあるなら聞いてあげたい。何をされても全部、受け止めてあげられる自信がある。けれど、親友はそれを望んでいない。ナハトを頼って重荷を背負わせてしまうことを望んでいない。

 

 ナハトは気遣いのできる子だ。自分を押さえつけることなど造作もない。ディアーチェがそれで少しでも救われるならと、本心を押し殺して頷いた。

 

「何かあったら、いつでも頼ってね。わたしは、ずっと傍にいるから。もう独りになんてさせないから」

 

 去り際にディアーチェに近づいて、耳元でそうささやいてナハトは部屋を出て行った。その事に申し訳なく思いながらも、静かに頷いた。でも、嘘を吐いた。親友を巻き込んでしまうのは、ディアーチェにとって大きなトラウマだから。できれば巻き込みたくない。

 

「……全部、聞いたよ。昔のことも、最後に何があったのかも……」

 

 背中越しに聞こえてくるはやての独白に、お前に何がわかると内心で思う。今でも八神はやて(自分と同じ存在)は許せないし、本当なら突き放してやりたい。けれど、独りはどうしようもなく不安だった。静かな夜の月を、横になって見上げている自分は、どんな顔をしているのだろうかと、ディアーチェはそう思う。

 

 こんなにも自分は心細くて、寂しがり屋だったのかと。誰かに傍にいて欲しかったのかと、そう思ってしまう。自身にそんな資格はないというのに。

 

 静かな夜に、長い沈黙。

 

「……軽蔑したか?」

 

 やがて出てきたのは、そんな言葉だった。同じ『はやて』の声。だけど、どこか彼女よりも薄暗い声で語りかける。

 

「我も……いや……」

 

 ディアーチェは……

 

 ……『はやて』はそこで口調を変えた。言葉を変えた。

 

 随分昔に喋っていたような気がする昔のものに戻した。

 

「あなたもわたしも結局やっていた事は家族ごっこ。闇の書の主として何も知ろうとせず。平和な日々を望んで、それを享受しようとした愚か者。その末路がわたし」

 

「その裏で、家族と慕った守護騎士たちが、わたしを救うために奮闘してくれた。力を振るうことでしか誰かを救えないと嘆いていた友達を、さらに苦しめた」

 

「挙句の果てに無知を晒して、裏切られたと糾弾して、泣き叫んで、自分自身の無力さを嘆きながら何もしようとしなかった。それがわたし。わたしという存在の末路。あなたが辿るかもしれなかった。未来の可能性のひとつなんよ……?」

 

 自分に言い聞かせるように独白する『はやて』の言葉を。もう一人の自分ともいえる少女の声を、はやては黙って聞いていた。ベッドの上で横になって『はやて』と背中合わせになりながら。薄暗い部屋を見つめている自分はどんな顔をしているのだろうかと、はやてはそう思う。

 

 きっと自分のことのように感じて悲しい顔をしているのかもしれない。あまりにも痛々しくて寂しげな『はやて』の声に、心痛ばかりを感じている。

 

「わたしの心が穏やかだったのは、マテリアルとなった皆と共に過ごしていた日々くらいだった。あれは、ちょっとした冒険みたいで楽しかった。夢で見たようなおとぎ話の世界の住人となって、皆で世界を旅をした。よく読んだ本の登場人物と同じようになぁ」

 

「シュテルと、レヴィと。それにアスカにナハト。わたしら五人にユーリも加えて旅をした日々だけは本当に楽しかった」

 

 そう語る少女の声は、本当に安らぎに満ちていた。『はやて』の過ごした永遠にも等しい夜は終わり、それは新しい朝の訪れでもあったのだ。それがたとえ束の間の平穏であったのだとしても、『はやて』にとっては何よりも満たされた日々であったに違いない。

 

 だって『はやて』が友達との思い出を語る口調は、本当に優しげで嬉しそうで。はやてと同じように優しく話すのだ。それを聞いていると、はやても自分のことのように嬉しくなった。夢にまで見た友達との日々は、はやてが思い描いていた日常そのものだったから。

 

「それも、管理局の莫迦どもが追撃してきたせいで唐突に終わってしまったがな。まさか、並行世界とは思わなかった。少しだけ違う歴史に、どこか穏やかなよく似た友達の顔。最初は、なんや出来の悪い夢物語だと思った」

 

 けれど、不意に『はやて』の声は沈んでしまった。帰ってきたマテリアル達を迎えた予期せぬ出来事が、すべてを変えてしまったから。

 

 管理局に目を付けられた時ははどうしようかと焦った。また、封じられて、虚数の果てに落とされるかもしれないと心底恐れた。それを咄嗟に助けてくれたのがマテリアルとなった親友たち。自分の身を挺してまで、地球まで送り出してくれた。

 

 迎えに行くこともできず途方に暮れていたところを、別世界の高町家が助けてくれて。

 

 『はやて』の声は再び嬉しそうになる。そこで過ごした優しい日々は、本当に嬉しかったから。優しい日常を過ごしていると、『はやて』は失ってしまった安寧の日々を思い出してしまって、どうしても頬が緩む。けれど、それとは裏腹に心は悲しくなる。

 

 優しい思い出は、同時に悲しい思い出も蘇らせる切っ掛けでもあったから。

 

「高町の家での日々は、まあ悪くなかった。どうせならシュテルの家にお呼ばれしたかったけどなぁ。『不破家』の家庭環境がどんなに複雑だとしても、わたしにとっては些末事や。この足が動けさえすれば遊びに行ったのにと、今でも思う」

 

「シュテルは、わたしの手料理が好きでな。よく家庭の味だって喜ぶんよ。レヴィとヴィータなんて、とってもはしゃいでて、よくおかずの取り合いをしてた。それを見ていたシュテルはとても優しそうな顔をして。よく笑うんよ。本当に優しそうに」

 

「本人は気づいておらんけど、あの子は幸せそうな家族の情景をみると微かに笑ってくれるんや。それから、とっても寂しそうな顔をする。それも一瞬だけだけど」

 

 『はやて』は語る。嬉しそうな口調で。泣きそうな顔をしながら。背中合わせのはやてに、決して弱みを見せないように語り続ける。心の奥底で、自分に泣く資格なんてないのだと言い聞かせながら。

 

 彼女の口から語られるのは家族や友達との優しくて、楽しい思い出ばかりだった。それは、それは本当に楽しそうに語るのだ。自分の過ごした大切な日々を。

 

「そうそう。レヴィにはよく手を焼かされた。うちの家でお菓子の取り合いをして、ヴィータと喧嘩になってな。アスカが加われば妹を叱る姉の図が完成や。そこにシグナムも加わると、途端に二人とも大人しくなって。喧嘩両成敗で、どっちも怒られおったよ」

 

「だけど、レヴィはどんなにはしゃいでも、好奇心旺盛な猫みたいに悪戯をしても、人の嫌がることは決してしない。レヴィはな、人を笑顔にする天才なんや。あの子が笑ってはしゃぐだけで、見ている皆が微笑ましくなる。シュテルも、よく笑っていたよ」

 

「しかも、意外と気配りでな。当時は、車椅子で生活していたわたしを何かと気にしてくれて、よく助けてもらったりした。代わりに習い事を嫌がったときはよく匿ってあげたりもした。習い事をサボると必ずアスカが怒って追いかけてくるって、だから、助けて~~ってな感じでな」

 

「今思えば姉を困らせる妹みたいな真似をしたかっただけなのかもなぁ。あの子の根底には、姉妹に対する憧憬があったから」

 

「それから、ヒーローごっこは特に好きで、戦隊物のポーズとかよく好んでやってたんよ? 自分が真ん中なってポーズを取るものだと思ってたけど、意外なことにヴィータを真ん中にしていてな。赤はリーダーの色だからって。あの子はイエローの役をよくやってた」

 

「シグナムがピンクで、シャマルがグリーン。そしてザフィーラがブルー。五人そろってヴォルケンジャーズって名乗って、専用のポーズまで考えてな。あれは傑作だった。それに、ヒーローごっこの一環で、よく困っている人を助けたりとか茶飯事だった」

 

「困っている人を放っておけないんよ。根は友達想いの優しい子やから。それで近所の爺様、婆様方には大人気で、人助けはえらく好評だった。孫ができたみたいだって、レヴィとヴィータはよく好かれてたなぁ」

 

 そこまで語ってから、『はやて』は不意に悲しそうな声をした。

 

「わたしは、どちらかといえば助けられるほうだった。ヴォルケンリッターやシュテルたちと会うまでは独りぼっちだった。誰も助けてはくれない日々に。その事に疑問を持ったこともあったし、世界はこんなにも寂しいものなんかと、ひとり枕を濡らしたりもしたなぁ」

 

「………もう一人のわたしにも、きっと覚えはあると思う」

 

 悲しそうに告げる『はやて』に、はやては何と答えていいか迷ってしまう。それは闇の書の主となって、足の麻痺が徐々に進んでいった時から。はやてを蝕んでいった呪いだ。独りぼっちの寂しさを感じながら。けれど、何も感じなくなっていくような孤独の日々。

 

 はやてにも、それが痛いほどの分かってしまう。思わず寂しさに、胸を握りしめてしまうくらいに。

 

 『はやて』の独白は続く。

 

「家事も、料理も、洗濯も全部自分ひとり。特に食事はテレビを付けていても、寂しさが増すばかりだった。むしろ、テレビの音がいっそう空しくて。会話をする相手もいなくて、両親を亡くしたばかりの頃は泣いてばかりだった。料理の味もあんまりしなくてな」

 

 覚えてる? そんな『はやて』の言葉に、はやての胸の内に、一人だったころの思い出がよみがえる。自分も、きっと同じだったから。

 

「懐かしいなぁ」

 

「ご飯食べて、洗濯と掃除を終わらせて。ベッドの中に潜り込んで、一日が終わるのを待つような、そんな何もない生活を過ごす日々」

 

「このままひとり寂しく死んでいくのだと。そう思いながらも、何処で誰かと一緒に暮らすことを望んでた。或いは学校に通って友達ができるのかもと思ったりもした。もっとも、そんな明日は、足の麻痺が進行したせいで完全に断たれたけど」

 

 たぶん、そこからがグレアムの仕込だったのかもしれない。近所の人どころか、はやて自身ですら疑問に思っていなかったのだ。一人で過ごすことに慣れてしまった少女は、助けを呼ぶこともしなかった。達観していた。諦めていた。

 

「そのことで随分苦労したし。悲しいことばかりで、理不尽な世界に対して怒りを抱く暇もなかった。泣いてばかりだった。寂しさと苦しさで、何度も何度も自分の部屋で泣いて、泣いて、泣き続けた。誰かに慰めてほしくて、けれど誰も慰めてくれなかった」

 

「それから退屈が辛くなった。学校には通えなかったから。でも、通信教育しか受けられないことに何の疑問も持たなかった。しかも、当時はグレアムの奴の世話になっているのだから、我慢しなければと思ったなぁ。遺産の管理をちゃんとしてもらっているのだからと。ずっと我慢してた」

 

「だから、わたしは本を読んだ。書き手によって世界が変わるから、飽きることなんてない。ジャンル問わずにいろいろ読んだりもした。本を読んでいるときは、自分が登場人物のひとりになった気分で、自分ならどうしたとか。自分ならこうしたいとか。そんな想像ばかりをずっとしてた。そうしていれば寂しさを紛らわせることができるから」

 

 『はやて』の話を聞いて、はやても自分と同じだと思う。同じような寂しさで泣いて、初めての事で苦労の連続で。自分が孤独でいることに何の疑問も抱かなかった。ただ、寂しさだけがあった。だから、同じように本の世界に逃げて、寂しさを紛らわせようとした。孤独に苛まれる自身の環境から少しでも目を背けようとした。

 

 ひとりぼっちは辛いから。とても、寂しいから。

 

「だから、ヴォルケンリッターの皆が家族になったときは本当に嬉しかった。『なのは』ちゃん達が友達になってくれて、一緒にいろんな事をしたり、出かけたりするのも楽しかった。友達と家族みんなで過した日々は本当に忘れられないくらいの、思い出で……」

 

「本当に幸せだったのに、どうして……」

 

 嗚呼。

 

 本当に、本当に些細な違いだったのだろう。もうひとりの『はやて』と、はやてを取り巻く環境の違いは。

 

 そう、たったひとつだけボタンをかけ間違えた。そしてほんの些細な違いが、『はやて』に決定的な悲劇をもたらしてしまった。

 

 だから、はやてには、悲劇の当事者じゃない自分には、もうひとりの自分である『はやて』の話を聞くことくらいしかできなかった。なんて言葉を掛けていいのか分からなかった。それほどまでに違う世界から現れた自分の言葉は重かった。

 

「ごめん……ごめんな……!!」

「あっ……」

 

 気が付けば謝っていた。背中から『はやて』を抱きしめてすがりつくようにしていた。どうして自分でも謝っているのか分からない。けれど、そうしなけれないけないような気がした。そうしないと、今にも『はやて』が消えてしまいそうだった。何処かに行ってしまいそうだった。

 

「ごめん、なさい……」

「くっ……謝るな。うっとうしい。貴様の泣き声を聞くと、弱かった頃の自分を思い出して腹が立つ……」

 

 いつの間にか、『はやて』はディアーチェの口調に戻っていた。強くて尊大で、皆を自信満々に導こうとした王様の声。だけど、本当は弱くて寂しがり屋で。心身共に酷く傷ついてしまった少女の成れの果て。強く在ろうとした『はやて』の理想。

 

 でも、泣きながら謝るはやての向こう側で、ディアーチェもきっと静かに泣いていた。それは、暖かな日常。失ってしまった過去の原風景。最後に悲劇が訪れてしまう物語を思い出してしまったからだ。それを思い出すと、心の支えになるけれど、とても悲しい気持ちになるから。

 

 あの暖かな日々は、まだ戻らないけれど。

 

 ただ、変わらない月の光だけが優しく二人を照らしている。

 

 そうして、二人して静かに泣き続けた。

 

 しばらくして。はやてが泣き止んだ頃を見計らって、ディアーチェは話を続けた。そこに弱かった少女の面影はない。すっかり強がりの仮面を被ってしまったようだった。或いは、これ以上別世界の自分自身に情けない姿を見せたくなかったのかもしれない。

 

「……幸せな頃の夢を見たとしても、結局待っているのは同じ結末。同じ悲劇。同じ末路よ。そう、あの日の悪夢は決して消えはせぬ。未来永劫続く呪いとなって、我を蝕み続ける。それが、惰眠を貪り、闇の書の呪いと戦おうとしなった我に対する罰なのだから」

 

「虚数の底に落とされて幾百年。あるいは幾千年。それは永遠のように長かったかもしれぬ。それ以前のことは、もう覚えておらぬ。あまりにも時間が経ちすぎて、幼い頃の思い出は遠すぎるようになってしまった」

 

「もう、家族の顔など思い出せぬ。父と母の顔は曖昧で、鮮明に思い出せるのはそれこそ、かつての守護騎士とマテリアルとなった四人の友人たちだけ。それから永劫の時を共に過ごしたユーリの顔くらいか」

 

「お前はまだ、家族の顔を覚えておるのか?」

 

 ディアーチェの言葉にはやては頷いた。

 

「うん、覚えてる。大事な、大事な家族の思い出だから」

 

 もしも、ここがはやての家なら。幼いころの自分の写真があって。そこに両親の姿も見ることができるのだが。残念ながら身を隠すために今は月村家の別荘にいる。ここには思い出の写真などどこにもなかった。

 

 せめて、出会った場所がはやての家だったら、懐かしい写真くらいは見せてあげることができたのに。

 

 再び背中越しとなったはやての答えに、ディアーチェは静かに頷いて「そうか」とだけ返した。

 

 しばらく部屋に沈黙が訪れる。月の淡い輝きだけが、静かな夜に二人を照らしている。冬を思わせる寒い夜。あの日を思い出すから、ディアーチェは今もクリスマスの季節が嫌いだった。楽しみだった筈の季節は、思い出したくもない悲劇に変わって……自分のせいで取り返しの付かないことになって……今も、ディアーチェを……

 

 何でもないと、ディアーチェは首を振る。弱くて、今も忌々しく寄り添おうとしてくる自分に、内心を悟らせたくない。

 

 こんな悲しい気持ちになるのは、自分一人で充分だ。

 

 もうすぐ、他のマテリアル達にも、彼女たちだけでも、あの幸せだった日々の日常を返してあげられる。

 

 欲しかった闇の書は自らの手の中に。自分のせいでいなくなってしまった管制人格と共に、今度こそ闇の書の悲劇を終わらせる。そうして、最後には……

 

 だから、立ち上がってはやてから離れるように、部屋に備え付けられた窓から夜空を見上げた。遠くの街では華やかな海鳴市のビルの街並みが見える。相変わらず綺麗な月と星空さえも。

 

 そうして心を落ち着かせるようにして、自分に触れ合おうとしたはやてを自ら遠ざけた。その頬は静かに流れ落ちた涙で濡れていた。

 

 はやても、ディアーチェが立ち上がったので、上体だけを起こして彼女を見つめる。相変わらず動かない足はいうことを利かない。そう思うと、自由に足を動かせるディアーチェを少しだけ羨ましいと思うのも無理はなかった。

 

 悔しい。はやてはそう思う。自由に足が動けば。皆のように魔法が使えれば。自分にも力があれば。こんなにも泣いているこの子たちを助けられるかもしれないのに。自分にも何かできるかもしれないのに。何もできない自分自身が悔しくてたまらない。

 

 はやては、見上げるようにしてディアーチェを見つめた。ディアーチェはそんな彼女に振り向いて見下ろした。闇を凝縮したような水色の瞳の奥で、彼女は何を思うんだろう。はやては何をしてあげられるんだろう。ただ、この悲しい王様のすることを黙って見ている事しかできないのだろうか?

 

 そうして時間だけが過ぎて行って、その間にもディアーチェは月を見たり、自分自身の手を握ったり開いたりして、何か考える様子を崩さない。いや、その手に、いつの間にか十字杖のエルシニアクロイツが握られている。

 

 彼女はエルシニアクロイツを震えるほどに握りしめる。それ程までに力を込めている。もっと拳を握れば血が滲みそうなほどに。

 

 そうして、ゆっくりとダブルベッドの傍らにあった椅子に座り込んで、何かを抑え込むように十字杖を抱きかかえた。その表情に、鋭い視線に浮かんでいるのは果てしない怒り、そして何度も思い返される悲しみ。それをはやてに悟らせないよう俯いて隠そうとしている。

 

 悪夢を見ても見なくても、何度も何度も繰り返してしまうあの日の光景と。自らを蝕み続ける自責の念。果てしない後悔。もう戻らない日々へのどうしようもない切なさだ。いろんな気持ちが彼女の中でぐちゃぐちゃになっている。

 

 そうして、深く深く息を吐き出して、怒りの感情を吐き出すと。心が震えて泣き出しそうになってしまう自らの感情すらも蓋をして、ディアーチェははやてに話しかけた。

 

「お前と話して、いろいろと考えたのだが……」

「うん」

「やはり、憎んでないとい言えば嘘になる」

「……うん」

「―――ギル・グレアムが、リーゼ姉妹が、時空管理局の者どもが憎い。憎くてたまらない」

 

 憎しみを捨てきれないディアーチェの顔は無表情だ。闇色に染まった瞳だけが、感情を表すかのように揺れていて。杖を握る手から力が抜けることはない。

 

「だが、それ以上に救いたい者たちがいる。せめて、友だけは救ってやりたいと思う。未来を返してやりたいのだ。シュテルも、レヴィも、アスカも、ナハトも。我の大切な友達で親友だ。できるなら自由にしてやりたい。あやつらには何の罪もない。闇の書の罪は、最後の主である我が背負うべきものだから」

 

 静かに語るディアーチェの言葉は重い。少しだけ胸に秘めた想いを吐き出したところで、それが軽くなるわけでもない。

 

「眠るたびに夢を見続けてきた……あの日の悪夢ばかりを…………」

 

「今でも鮮明に蘇るのだ。目の前で家族同然の守護騎士が、為す術もなくひとり、ひとり、なぶり殺される光景を。『アリシア』が怒りと悲しみの慟哭を叫びながら、涙を流して戦い挑んで、散っていた光景を。優しかった『なのは』が心に絶望を抱きながら、憎悪の感情をあらわにしたときの光景を。最後まで抗って、瞳にあらゆる感情を宿しながら、呪詛を呟き続ける。心を壊してしまった『なのは』ちゃんの末路を」

 

「『アリサ』も、『すずか』も、あんなに幸せそうに笑っていたのにな……どうしてと、今でもそう思う…………」

 

 はやての顔を見ながら、語り続けるディアーチェの視線を、はやては泣きそうになりながらも決して逸らさない。

 

 ディアーチェは、何もなせずに誘拐され、されるがままになっていた自分とは違う。そこには自分の意志で何かをなそうとする少女がいた。そして、絶望しても、未来を諦めかけていても、失くしてしまった時間を友達の為に取り戻そうとする少女がいた。

 

 そんな彼女にはやては何をしてあげられるのだろう?

 

「ッ……!!」

 

 そう、疑問に思っているうちに、ふとディアーチェが自身の胸を押さえた。思わず大丈夫かと叫んでしまいそうになったはやての口元を、咄嗟に抑え込んで黙らせる。ナハトに聞かれて心配でもされたら堪らない。まだ、自身の不調を知られるわけにはいかなと思ったのだろう。

 

「しんぱい、するな……ちょっと、いきぐるしいだけ……だから、ナハトには、言うな」

 

 事が終わるまで、誰にも知られたくない。知られるわけにはいかない。

 

 あの日、病院で。マテリアル達との旅の中で。助けてほしいと願った言葉に嘘はない。けれど、それ以上にディアーチェの中で償わなければならない、救われる資格がないという。強迫観念にも似た想いが積み重なっているのも事実だ。

 

 それが、彼女から素直さを奪ってしまった。罪の意識が、その重さがディアーチェの心を邪魔して蓋をしてしまっている。

 

 そして時間がないのも事実だった。

 

(……二つの闇の書が共鳴し合って、制御できなくなった力が暴走し始めておるのか。急がねばならん。やはり、ナハトヴァールの力を行使した影響が出ておる。我の、我の時間もあまりないのかもしれん)

 

 ディアーチェの中に潜んでいる闇の書の闇は消えたわけではない。封じられていたそれは、ディアーチェの時間が動き出すと同時に活動を再開している。それを失われし管制人格が残した力で抑え込んでいるに過ぎない。

 

 もしも、闇の書の闇が完全にディアーチェを飲み込んでしまえばどうなるか。かつての■■の書の管制人格以上に暴走し、それ以上の破壊をまき散らすかもしれない。何よりも、ディアーチェの秘められた憎しみと悲しみが大きすぎる。それを解放するかのように力を振るえば、世界はきっと壊れてしまう。

 

 彼女の髪が白く染まるほどの魔力質は、名前すら与えてやれなかった管制人格がくれたもの。その祝福が続く限り、ディアーチェは闇の書の闇を抑えていられるだろう。そして、それが無くなった時がきっとタイムリミットなのだ。

 

 だから、そうなってしまう前に……

 

 紫天の書は、闇より移り変わり、暁の空へと織りなすための魔道書だという。ユーリいわく、何者かが闇の書を終わらせるために生み出した古代ベルカのアーティファクトらしく。これを使って闇の書の闇を終わらせる事ができるらしい。

 

 だが、それには闇の書の闇の中にある深淵。その奥深くの中枢に触れる必要がある。それは、かつて闇の書に取り込まれた意識や自分自身の過去の悪夢と向き合うことに等しい。繰り返された破壊と転生の中で蓄積され、滅びの瞬間に抱いた歴代の主たちの絶望と無念の記憶。巻き込まれ死にたくないと願った者たちの記憶。その全てと向き合うには時間が必要だった。けれど、残された時間も少なく、タイムリミットが刻一刻と迫っている。

 

 覚悟がいる。何物にも負けない覚悟が。全てを貫き通す意志が。

 

 幸いにもようやく儀式の時間は整った。あとはそれを発動させたうえで、闇の書の闇と向き合えばいい。邪魔してくるであろう管理局の人間どもを抑える手段も用意してある。それは、皮肉にもかつての彼らの記憶を使ったもの。あまり使いたくない類の力ではあるが、闇の書を活性化させれば勝手に発動してしまうので、仕方がない。

 

 闇の書が記憶した人物たちが、闇の欠片となって再現される現象が起きてしまう。

 

 その間に自らの闇と向き合わねばならない。

 

(我にできるのか? 弱々しくて、情けなくも泣いてばかりいた我に……)

 

 ディアーチェは自問自答する。

 

(いや、今の我には力がある。あの時とは違う。家族たる守護騎士はおらぬが、代わりにマテリアルとなった友も、ユーリもいる。傍にいなくとも我の心を支えてくれておる。今度こそ繰り返させはせぬ。我が、我こそが闇の書の悲劇を本当の意味で終わらせるっ!!)

 

 助けてなんて言葉は言えない。巻き込んでしまって、多くの人の人生を終わらせてしまった自分自身にその資格はない。これは、ディアーチェ自身が何とかしなけれないけないことだと。彼女は決意を固めていく。

 

(管理局の狗どもの力など必要ない。我が、我こそがこの終わらない夜を終わらせる義務があるのだから!!)

 

 ディアーチェの決意は揺るがない。

 

「王様……」

 そんな中で、はやては心配するように彼女を見つめている。心の中に本当にこのままでいいのかと疑問を抱きながら。

 

 けれど……

 

「えっ……?」

 

 それも、次の瞬間には霧散した。

 

「な、ぜ……?」

 

 ディアーチェが本当に信じられないといった風に、目を見開いて後ろを振り返ろうとする。けれど、動くことができない。その胸を小さな腕が刺し貫いている。正しくは、湖の騎士シャマルが魔力を蒐集する時と同じように、ディアーチェのリンカーコアに干渉しているといった風が正しいだろう。

 

 けれど、どちらも同じことで。

 

 彼女がディアーチェを傷つけているという事実は変わらなくて。

 

「違、う……」

「…………ごめ、ん」

「ごめん、なさい……」

 

 驚くはやてと、ディアーチェの後ろに、いつの間にかナハトが居た。その腕でディアーチェを刺し貫きながら、彼女のリンカーコアを掴み取っていた。

 

 そして……

 

 その腕に絡まった闇色の蛇が、デイアーチェをさらなる闇に染め上げて……

 

「まさ、か……ナハトヴァー、ル……?」

「やめ……」

「あっ、あああぁぁぁっ!!」

 

「ディアーチェ!! 『すずか』ちゃん、お願いや!! やめて!!」

 

 目の前ではやてが何かを叫んでいる。意識が闇に呑みこまれていく。深い闇底に誘われるように、ディアーチェを眠りの中へと落としていってしまう。

 

(拙、い…意識が、とぎれる……)

 

 だから、咄嗟にはやてに手を伸ばす。エルシニアクロイツを握っていない、もう一つの手をはやてに向けて。

 

「ディアーチェ!! 『すずか』ちゃ………!!」

 

 転送魔法で儀式を行うはずだった場所に飛ばす。はやての姿が消え、何か言おうとしていた声も途切れた。

 

 転送先は海鳴大学病院の敷地内。ディアーチェを知るものなら、誰もがそこへ近づかないだろうという盲点を突いた場所。そして、闇の書の防衛プログラムであるナハトヴァールの影響を受けて、暴走してしまうであろう自分が、本能的に避けるであろう場所に。

 

 それからゆっくりと、前に進んで刺し貫くように干渉してくるナハトの魔の手から逃れる。まだ、向こうも本調子じゃないらしい。なら、ディアーチェにも抵抗できる余地がある。

 

 手元に現れるのは浮かび上がる紫天の書、それと同じように向こうにも、こちらの世界の闇の書が浮かび上がる。

 

――憎め、憎め、憎め。

 

 声が聞こえる。暗く淀んだ『はやて』自身の声で語りかけてくる。

 

 いつも、いつも、いつも。

 

 忘れたころに、思い出したかのように限って、こいつは語りかけてくるのだ。『はやて』の声で、闇の書の闇そのものとなったナハトヴァールの意思が、あの日の己の罪を忘れさせないとでもいうように語りかけてくる。

 

 それに、追い詰められたディアーチェは、自らを奮い立たせるように勝気な笑みを浮かべる。

 

「はっ……笑わせてくれる。それで手中に収めたつもりか」

 

 元より忘れるつもりなど、微塵もない。あの日の記憶も、絶望も、ディアーチェだけのものだ。ディアーチェだけが抱えるべきものだ。他の誰にも背負わせてたまるものか。

 

 それから、ディアーチェは目の前の、意識を乗っ取られて、この光景を無意識に夢の様に見ているであろうナハトに向けて。

 

 静かに涙を流して、虚ろな表情でゆっくりと近づいてくるナハトを見つめて。

 

「ごめんな『すずか』ちゃん。また、巻き込んでしまって……」

「今、助けるからな……」

 

 そんな、彼女に自愛の表情を浮かべながら、ディアーチェは受け入れるようにナハトに手を伸ばし。そうして、友達を傷つけてしまった罪悪感で泣いている少女を抱きしめて。強く強く、決して離さないようにしながら。

 

 "デアボリックエミッション"

 

 全てを夜の闇に呑みこむ魔法の呪文を唱えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ここがそうなのかい?」

 

 腕組みしながら、リーゼロッテは目の前の人物に語りかけた。

 

 彼の持つ高度な認識阻害の術式を施されたロッテは、事の発端となった建物。海鳴大学病院の前に居る。

 

「…………」

 

 そして、ロッテの言葉に何も言わずに、その建物を見上げていた青年は何も答えない。協力はするが、あまり馴れ合うつもりもない。そんな態度だった。

 

「相変わらず、愛想がない奴だね……」

 

 まあ、理由も分かるし、頭では理解しているつもりだ。

 

 "まだ"、実行していないとはいえ、自分たちは青年の大切な人たちを、この世界に住む多くの住人たちを。闇の書を封じるという大義の下に氷の世界に閉ざして、虚数の底に陥れた張本人なのだから。

 

 たとえ別世界の人間であっても、その恨み辛みが薄れることは有りはしまい。

 

「ふう」

 

 やれやれといった風に、ロッテは首を振ると、大きくため息を吐いた。

 

 元よりそこまで大規模な封印をする予定はない。こっちの世界はせいぜい八神はやて、ひとりを闇の書もろとも封印する程度だ。

 

 もっとも、それすらも彼にとっては許せないことなんだろう。だから、先んじてこっちの世界に来てまで、こうして裏で動いている。機が訪れるのを待っている。

 

 ここを訪れたのも、マテリアル達の仕込みを確認するためだ。青年と手を組んだ彼らグレアムの一派は、マテリアルの所在を把握しながらも、あえて泳がせている。彼の持っている切り札は、あくまで不測の事態に備える為のもの。

 

 もしも、彼女たちが暴走してしまったときに切られる最後の切り札。

 

 ある感染症を発症した人物の術式を解析して作られた、それの改良品すらも彼は待ちだしてきているのだから。

 

「ん……これは転移反応!!」

 

 不意に何かを感じたロッテが、素早く身構えて反応がした方向を向いた。

 いつでも瞬時に動けるように構えるあたり、伊達に教導隊の教官には付いていない。

 

「ディアーチェ、『すずか』ちゃん!! あっ……」

 

 果たして、そこに現れたのは、ここに居るはずのない少女そのもので。急に雪の降り積もる敷地に降り立った少女は、何とか立ち上がろうとして、でも足が動かない自分にはがゆい思いをしているようだった。

 

「八神、なんで……」

 

 そして、驚くロッテをよそに、青年はゆっくりとはやてに近寄っていく。

 

「えっと、あなたは……」

 

 そして、いかにも不審者ですといった、見慣れない風貌をしている彼を見上げて。咄嗟に動こうとして、それでも動けずにいるはやてに近寄って。彼ははやての傍に寄り添うと、そっと手を伸ばした。

 

 まるで、不安に思っている子供を安心させるように、ゆっくりと頬に触れて、視線をはやてに合わせてくれる。

 

 白いケープみたいなコートの内側には、SF映画で見たような強化外骨格が施された身体つきで。だけど、はやてを見つめる表情はどこか優しげで。

 

「助けて……」

「みんなを、助けてください!!」

 

 だから、そっと差し伸べられた、その手に助けを求めるように。

 

 はやては彼の手を握りしめた。

 

 




これが闇の欠片編の始まり。

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