リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
私はいつも間に合わないことばかりでした。
「ごほっ……ごほっ、ぐ……」
「『プレシア』!!」
「私は、まだ……倒れる、訳には……」
愛するマスターの異変に気が付いたとき。彼女の身体は、病によって酷く侵されていることを知りました。どうにか、伝手を使って何とか手を尽くしたけれど、『プレシア』は過去の記憶を混濁するようになってしまって。
「『リニス』……私のことは、もういい……」
「『プレシア』、でも……」
「それよりも、あの子の面倒を見て頂戴、もうすぐ、もうすぐ目覚めるはずよ……」
「せめてあの子だけでも、調整を完璧に……手を、施して……」
「私は……あの子達から託された……大切な、やくそくを……」
「『プレシア』! しっかりして下さい」
「『プレシア』! 『プレシア』!!」
私は今にも消えてしまいそうな『プレシア』の命を繋げるために、治療ポッドによる延命を施すしかありませんでした。本当なら病院に入院してほしかったのだけど。それだけはしてはならないと。あの子たちをひとりにする訳にはいかないと。そう哀願されて。結局、彼女を時の庭園に眠らせたまま、容体を見守ることしかできない。
「なっ……これは……」
それから、私は時の庭園の禁止区画に入って、そこで行われていた『プレシア』の研究と……
「おねぇさん? だぁれ……?」
彼女の研究成果である。彼女の失われた娘に。
目を覚ました『アリシア』に出会ったんです。
「『リニス』。これはなんていうの?」
「これはですね――」
私に与えられた役割は、新しく生まれてくる娘のお世話と教育係。
それが意識を失う前の『プレシア』の最後の望みでした。
『プレシア』に代わって、この子が生きていけるだけの教育を施し、当面の生活の面倒を見ること。そして万が一の事があった時のために、魔導師としての力を鍛えること。幸いにも『アリシア』には魔導師としての才能があって、教えたことをすぐに自分のものにしてしまいます。
けれど、『アリシア』の実力が伸びていくのと同時に、私の使い魔としての能力が段々と衰えていきました。供給される魔力が少なくなり、自分の姿と命を維持できなくなっていきました。私に残された時間はあまりにも少なくて。
「『リニス』。どうしたの?」
「――いいえ、『アリシア』。何でもありませんよ」
だから、私が消えてしまう前に、『プレシア』の病を治して、『アリシア』も立派に育て上げないといけません。本当はずっと一緒にいてあげたいけれど、私が生きている限り愛する『
恐らく持って数年が限界。それ以上は持たない。私も、マスターも。
そうなる前に、私が何とかしないと。
この親子が……本当の意味で、出会ってもいない親子が、明るい未来を歩んでいけるように。
そして最後に真実を伝えたい。『アリシア』には、私も知らない本当のなまえがあって。貴女は『アリシア』の代わりじゃなくて、本当の妹として生まれてきたのだと。過去の記憶を見てしまっているプレシアの為に『アリシア』を演じる必要はないのだと。
貴女は貴女らしく生きていいのだと。
『プレシア』がきっと素敵ななまえを貴女に付けてくれる筈だから。
「『リニス』! 『リニス』!!」
「『アリシア』どうしました……っ、その子は?」
「森で怪我してたのを見つけたの。でも、ボクじゃ治してあげられなくて。だから、お願い。『リニス』、この子を助けてあげて」
「分かりました。私も全力を尽くしましょう」
それから、私たちの暮らしているアルトセイムに、新しい家族が生まれて。
「あははははっ―――」
「お~い、『アルフ』。待ってようっ!! 置いてかないで~~~!!」
「あんまり遠くに行ったらダメですからね~~~!!」
暮らしも少しずつ華やかになっていって。
「闇を断ち切る閃光の刃。『バルディッシュ』――どうか、あの子の力に」
『Yes.Sir』
私はそれを見守りながら、刻一刻と迫るその時に備えている。
「『プレシア』。どうか元気になってくださいね」
「私は消えてしまってもいい。でも、どうか貴女だけは、あの子と一緒に幸せになってください」
『プレシア』の治療と延命を続けながら、彼女の病を完治させる方法を独自に探しました。『プレシア』の行っていた研究が世間に知られれば、彼女も『アリシア』もどうなるか分からない。あまり人に頼るわけにはいきませんでした。
「『プレシア』はいったい何をしようとしていたのでしょう?」
私は『プレシア』の行っていた研究を調べながら、彼女は何をしたかったのか学ぼうとしました。過去に魔導炉の事故で娘を失ってしまった彼女が何をしようとしたのか。何にすがっていたのかを。
それからプロジェクトFのことやアルハザードのこと。祈願型デバイスや、死者蘇生。そして、願いを叶えるロストロギア。彼女が目をつけていたジュエルシードの存在を知りました。
「……これしか、ないのでしょうね」
もう、あまり時間がありません。わたしが生きていられるうちに、使い魔として存在できるうちに、二人のことを何とかしなければいけません。
「あっ、『リニス』。何処か行くの?」
「ええ。『アリシア』。私はちょっと出掛けてきます。すぐに帰ってきますから、『アルフ』と良い子で待っていてくださいね」
「うん! いい子で待ってる。だから、早く帰ってきてね」
「ええ。約束です。必ず、必ず帰ってきます。だから……」
私は『アリシア』と、傍にいた『アルフ』を抱きしめます。
私の愛する可愛い教え子たち。
どうか、まだ幼いこの子たちに幸せの未来が訪れますように。
だから、神様。私に時間をください。『プレシア』の病を治す方法を見つけて、この子たちの所に無事に帰ってこれるように。私に時間をください。
そのあとはどうなっても構いませんから。だから、どうか……
この親子の未来が、明るく照らし出される。そんな道筋を掴み取る。その時まで。
『プレシア』。『アリシア』。『アルフ』。どうか待っていて。
わたしが……必ず……
ジュエルシードさえあれば、きっと……
◇ ◇ ◇
向こうの世界の小さな『アルフ』を見送ったあと。フェイトとアルフは再び結界に封鎖された街並みを飛んでいた。闇の欠片の反応は徐々に増大しており、いつ各地で実体化してもおかしくない状況だ。
小さな欠片の反応をバルディッシュのシーリングモードを使って封印しているが、それでもきりがない。同じように各地を飛び回っているなのはとユーノのペアも苦労しているだろう。その分、自分がもっと頑張らないと、フェイトはそう内心で決意していた。
その心の裏には、もしかしたら『アルフ』のようにテスタロッサと関わりのある人物が、闇の欠片として再生されるかもしれないという懸念があって。だからこそ、自分が対処しなければならないという使命感にも似た気持ちが溢れてきていた。
あの子の、『アリシア』に関わることなら。せめて、自分が受けてめてあげたいと、そう思うのだ。その記憶の欠片が悲しみに満ちて、今も苦しんでいるというなら尚更に。
自分が見送ってあげないといけない。悲しい夢を見ているなら、それを終わらせてあげたい。
そして、もしも叶うのなら。
家族として、その想いを……
『フェイトちゃん。聞こえる!?』
「なのは? どうかしたの?」
その時、頭の中になのはの声が聞こえてきて、空を駆けていたフェイトとアルフは空中で静止した。
なのはからの念話だ。どうやら何かあったらしい。
『今、『リニス』さんって人とお話してたんだけど、記憶が混乱してたみたいで』
「『リニス』が――!?」
『落ち着かせようと思ったんだけど、私もユーノ君もバインドでぐるぐる巻きにされちゃって、その間に逃げられちゃったの』
「ッ――二人とも怪我はない!? 大丈夫?」
フェイトは焦った声を出しながら、なのはとユーノの事を心配した。たとえ、向こうの世界の違う『リニス』だとしても、フェイトにとって身内だという事に変わりはない。そんな姉や母親代わりのように慕っている人が、大切な人を傷つけたのだと思うと、フェイトの胸は張り裂けそうなほど苦しくなってしまう。
『わたしたちは大丈夫だから。だから、お願い。フェイトちゃん。『リニス』さんを止めてあげて』
『帰る場所が分からなくなっちゃって。それでも帰らなきゃ、帰らなきゃって、泣きそうな顔で。今でも『アリシア』ちゃんの事を心配しながら迷子になっちゃってるの。だから、だから……!』
なのはの泣きそうな声が聞こえる。それがあまり関わりのない人であっても、その人が泣いているのなら放っておけなくて。自分のことのように悲しんでくれて。何度でも手を差し伸べてくれる。真っ直ぐで優しくて。フェイトの初めての友達。なまえを呼んでくれたあの日から。大切な親友になった女の子。
そんな子がフェイトに泣きながらお願いしている。向こうの世界のフェイトの家族のことを、自分のことのように心配してくれて涙を流してくれている。その事がとても申し訳なくて、とても心が痛くて。だけど……その思いやりが、すごく嬉しくて。
「なのは……分かった」
「それから、『リニス』の為に泣いてくれて――」
「ありがとう」
だから、『リニス』を想ってくれたその涙に、フェイトは真っ直ぐに感謝の気持ちを伝える。
「これから、私たちで『リニス』を追いかけるね」
『うん、気を付けてね。それから『リニス』さんの反応データは、レイジングハートからフェイトちゃんのバルディッシュの中に送っておくから』
「ありがとう。なのはも気を付けて」
『大丈夫。こっちはこっちで何とかするから。頼りになるユーノくんもいるから。だから、フェイトちゃんも気を付けて』
「分かった」
念話による通信を切る。それから俯いていたフェイトは顔をあげて、まっすぐに空の向こうを見つめた。その夜空の向こうに、別世界の『リニス』がいる。見つめるフェイトの紅い瞳は何を思っているのだろうか。もしかしたら心の中で迷っているのかもしれない。
それでも向こうの世界の小さな『アルフ』や『アリシア』たちの事を想いながら。フェイトは今だけは前を向くことを決める。
アルフはそんな優しいご主人様の事を心配そうに見つめていて。そんなアルフにフェイトは心配かけないように優しく微笑んで頷いた。
「行こう。アルフ。向こうの世界の『リニス』を助けないと」
「うん……フェイト。あんまり無理しないどくれよ」
「大丈夫。わたしは平気だよ」
「だって、アルフも友達もいてくれるから。もう、ひとりじゃないから」
「だから、大丈夫」
そうしてフェイトとアルフは黒いマントを風にはためかせて、星空に照らされた暗い夜空を飛んでいく。向かう先はリニスのいるであろう場所。その出会いがフェイト達に何をもたらすのか、今は誰もわからない。
◇ ◇ ◇
帰らなきゃ……
帰らないと……
あの子が、『アリシア』が待ってる。
きっと、『アルフ』と一緒におなかを空かせてるだろうから。
早く……帰らないと……
だから、まだ……消えるわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
「……っ、見つけた」
なのはから教わった反応を追いかけて空を飛んでいたフェイトは、見覚えのある『リニス』の後ろ姿を見つけて、空中で静止した。アルフも同じように『リニス』を見つけて、少しだけ懐かしそうな嬉しそうな顔をする。
たとえ、別世界の存在だとしても、もう会えないはずの慕っていた家族の姿。それを見て思わず懐かしさに心を震わせてしまうのも無理はない話だった。
けれど、その顔は次第に悲しそうな顔になってしまう。
「フェイト……」
「うん、『リニス』。ボロボロだ……何があったんだろう」
さ迷い歩くように住宅街の路地を歩いている『リニス』の姿は、普段とは違うものだった。自身の猫の耳を晒すのが嫌で、それを隠すために大事にしていた帽子を被っていなかった。服装もところどころ解れてたり、破けたりしている。
まるで、戦闘を繰り返して治療もせずにそのままでいるような。そんな感じだった。もしかしたらなのはと戦ったのだろうか。
何にしても、このまま放っておくわけにはいかない。フェイトはアルフを伴って急速に高度を下げ、『リニス』の前を遮るように住宅街の路地の上に立ちふさがる。
「『リニス』。久しぶり……なのかな?」
「あなたは……『アリシア』……? それに『アルフ』、なのですか……?」
急に立ちふさがった相手を警戒して、デバイス代わりのワンドを構える『リニス』。けれど、どこか見覚えのあるフェイトの姿を見て立ち止まったままになる。その顔は驚きと困惑に満ちている様子だった。
フェイトはリニスの声を聴いて、少しだけ悲しそうな顔をして、困ったような表情を浮かべる。分かっていた事だが、『リニス』はフェイトの事を認識できていない。彼女にとってフェイトの姿をした存在は、『アリシア』なのだから。その事に少しだけ寂しさを覚えるフェイトだった。
それでも、何とか力になってあげたいと。そう思う。
どうすればいいのか分からないけれど。
でも、『リニス』の事を助ける方法がちゃんとあるはずだ。
「一緒に行こう。『リニス』」
「『リニス』が何処に向かおうとしているのか分からないけど、でも……」
「わたしは『リニス』の力になりたいから」
だから紅い瞳を涙で潤ませながら、フェイトは優しく微笑んで『リニス』に手を差し伸べた。
でも、それは迷っている人たちには。闇の欠片にとっては関係ないことで。
『リニス』は訝しげにフェイトを見つめて、それから
彼女は、フェイトとアルフが駆け付けた理由を、自分を捕まえるためだと判断する。そうじゃなければ駆けつけるのが早すぎるし、自分を助けようとするのなんて都合が良すぎて信じられない。きっとさっき立ちはだかった優秀な魔導師の女の子。その仲間だろうとそう考えていた。
自分の知っている『アリシア』と違って成長した姿だし、フェイトを見て感じられる些細な違和感が決定打となっていた。『アリシア』と比べると雰囲気が大人しすぎる。何よりも、『リニス』の中では、『アリシア』はまだ幼いままなのだ。
「貴女は……『アリシア』じゃありませんね」
「よく似た別人。もしかしたら、あなたもあの子たちの姉妹のうちのひとりなのでしょうか……?」
「でも、わたしを捕まえようというなら容赦はしません。お願いですから、そこをどいてくださいっ!!」
だから、差しのべられたフェイトの手を振り払うように、彼女は抵抗する。その身に残された時間は、もう残り少ないから。
「ッ……フェイト!!」
そして、フェイトの危機を咄嗟に察知したアルフも動き出す。大好きな彼女を護るために。そして『リニス』にフェイトを傷付けさせない為に。
構えた『リニス』の足に力を込めてからの踏み込み。恐ろしい速度で突っ込んでワンドを振り下ろしてくるリニスの攻撃をアルフが防ぐ。咄嗟にフェイトの前に躍り出て、
フェイト達は知らないことだが、闇の欠片となった記憶は負の感情に囚われやすい。
『リニス』の場合は焦燥感。もとより消える寸前だった頃の記憶の欠片だからか。彼女は普段の冷静さを欠いている。それこそ落ち着いて話し合うことができないくらいに。今も自分が消えて無くなりそうな感覚と、不安が『リニス』を蝕んでいる。
「アルフ!」
「大丈夫っ……リニスとほんとは戦いたくなんてない。でも、フェイトを傷つけようとすらなら、アタシはフェイトを守るために戦う……!!」
「アルフ……でも、邪魔をするなら貴女でも、私はっ!!」
フェイトの叫び。アルフの決意。『リニス』の困惑。
それでも使い魔の二人は止まることはない。
アルフと『リニス』は、お互いに拳とワンドで殴り合う。展開した障壁がひび割れるほどの、重い一撃一撃を繰り出し合う。
「うっ……」
先に引き下がったのは『リニス』だった。アルフの一撃を相殺しきれなかったのか、『リニス』は自分から後ろに飛ぶようにして下がった。その表情は疲れ切っていて、見ていられないほど体はふらついている。けれど、瞳に込められた意志の強さは微塵も揺らいでいない。
まるで、追い詰められた獣のように鋭い視線でフェイトとアルフを睨む。そして、何かに突き動かされるように抵抗することをやめない。
「っ……くっ、シルバークラッシュ」
「ランサーっ!!」
「スマッシャーっ!!」
「サンダースマッシャーっ!!」
そして、砂塵の中から空高く跳躍して、『リニス』は空中から砲撃魔法を放つ。フェイトを背にして待ち構えていたアルフも、迎撃するように砲撃魔法を放つ。『リニス』を消滅させてしまわないように手加減した一撃で。対する『リニス』は立ちふさがる相手を排除しようと精一杯の全力で。
「きゃあああああっ!」
果たして吹き飛ばされたのは『リニス』のほうだった。
「『リニス』!」
「っ、アクティブガード!!」
『リニス』が咄嗟に受け身をとって怪我を最小限にし、アルフとフェイトが落下する衝撃を弱めてくれたおかげで怪我はない。
少し相対しただけで分かる戦力差。手加減されている『リニス』に勝ち目はない。
「はぁ……はぁ……」
それでも彼女は立ち上がる。
年老いて弱った猫のように動きは鈍い。息は上がり、荒い息を吐きながら呼吸を繰り返す。気を抜けば今にも倒れてしまいそうだった。それなのに気迫だけでアルフの動きに追従しようとしてくる。
自身が逃げても追いつめられると分かっているから。二人を倒してでも前に進もうと立ち向かってくる。
そんな痛々しい『リニス』の姿を見て、フェイトは動くことができないでいる。彼女にバルディッシュの刃を振り下ろしたら、今にも消えてしまいそうで怖かったから。
「はああぁぁぁっ」
「『リニス』。もう、やめようっ!」
だから、説得しようと声を叫ぶのだけど。
「やめませんっ! わたしは、わたしは――」
悲しい想いに囚われている『リニス』には届かなくて。
そうして『リニス』の想いが、共振するようにフェイトに流れ込んできた。
――帰らないと……わたしは帰らないといけないんです。
――あの子が待ってる。
――『アリシア』と『アルフ』が、今も病気に苦しむ『プレシア』が待ってる。
――わたしはあの子たちを幸せにしないといけないんです。だから、だから……
――帰らなきゃ……帰らないと……
――わたしは、あの子と約束したのだから!!
――必ず帰るんだってっ!!
「『リニス』……」
ボロボロになりながら戦い続ける『リニス』。その悲痛な叫びと、心に流れ込んでくる想いにフェイトの心が揺れ動く。
辛くて、悲しくて、苦しくて。何度も泣き叫びながら、それでも帰るんだって決意しているのに。『リニス』は帰ることができないのだ。彼女にとっての帰る場所は、この世界には存在していないから。
それを思うと、フェイトは溢れる涙が止まらなくて、胸が苦しくなる。
たとえ、真実を告げたとしても『リニス』はきっと信じないだろう。そして、止まることも出来ない。
相対しているからこそ分かる。闇の欠片という悲しい記憶に囚われた存在の本質が。
きっと、彼女たちはその存在が消える最後の瞬間まで彷徨い続けるのだろう。
(わたしは……っ)
それが分かっているのに、フェイトの手は震えてしまう。『リニス』の想いが、気持ちが流れ込んできている。相手が過去の記憶を再生している偽物なんだと頭では分かっていても、迷ってしまう。
たとえ相手が闇の書の力によって生まれた記憶の欠片でも。それでも愛していた人だから。育ててくれた人だから。母さんと同じくらい大好きだから。
刃なんて、本当は向けたくない。泣いているのなら、なのはのように手を差し伸べてあげたい。だけど、リニスはそれを拒絶する。
そんなフェイトの代わりにアルフが『リニス』の前に立ちふさがる。何度も振るわれる攻撃を、ワンドから迸る閃光の刃を、その拳で、腕で受け止める。時には障壁を張って、高速で飛んできた
主を守るのが使い魔の役目で使命だ。アルフにとってフェイトは大好きで、大切なご主人様だから。ずっと一緒にいて、傍にいて護ってあげたい女の子だから。だから、たとえ相手が『リニス』だったとしても何度でも立ち塞がる。立ち向かう。その悲しい記憶に。悲しい想いに。
アルフが出来ることは、気が済むまでその悲しみを受け止めるだけ。フェイトの決心が付くまで、アルフが何度でも『リニス』の
(『リニス』……もう、やめとくれよ……)
(アタシだって本当は……)
だけど、ぶつかり合うたびに、アルフの心も少しずつ傷ついていく。目の前で愛する人が泣き叫びながら、ワンドを振るうたびに。それを受け止めるたびに心が苦しくなる。
どうすれば終わるのか分からない。でも、フェイトのことは守らなきゃいけない。ここは絶対に退けない。
そうしてぶつかり合う二人の使い魔を前に、ふとフェイトを優しい風が包み込んだような気がした。
――あははははっ―――
――お~い、『アルフ』。待ってようっ!! 置いてかないで~~~!!
――あんまり遠くに行ったらダメですからね~~~!!」
(えっ……)
(これは……)
再びリニスの記憶が流れ込んでくる。それは奇しくも、かつてのフェイトが過ごしていたアルトセイムとよく似た風景で。笑い合っている三人の、思い出の景色を前に心が温かくなる。アルトセイムの草原の匂いが、吹き込んでくる暖かい風が、フェイトを包み込んでいく。
帰りたい。帰らないと。帰らなくては。約束を果たさないと。
だって、だってそうしないと……あの子たちが寂しい思いをしてしまうから。愛する
「うっ……ひぐっ、『アリシア』……『アルフ』……ごめん、なさい……」
いつの間にか『リニス』は抵抗をやめていた。
「やくそくを……まもれなくて……」
「ごめん、なさい……」
子供のように泣きじゃくりながら膝を突く。もう碌に抵抗できる力も、魔力も残っていなくて。放っておけば消えてしまいそうなほどに弱っていて。
何よりも自分を姉や母親のように慕ってくれた『アリシア』や『アルフ』に良く似た子たちを、傷つけ続けるなんて、もう出来なくて。
そんな『リニス』の頬を、涙を拭うようにフェイトは手を添えた。唖然としたように『リニス』は顔を上げる。
悲しい顔をして泣いているフェイトがいた。その紅い瞳から涙をたくさん流して、『リニス』を想って泣いている。
「『リニス』……」
そうして、フェイトに『リニス』の最後の想いが伝わってくる。
それは、どこか遠い場所の最後の記憶。
ひとりぼっちで消えゆく彼女の悲しい想い。
――そんな……こんな、ところで……きえる……?
――まだ、わたしは……こんな……嫌です……
――消えたくない……消えたくない……
――せめて、あの子たちに……会うまでは……
――帰らなきゃ……帰らないと……
――あの子たちと……やくそく、したんだ……
――わたしは…………
――ああ、
――…………………
ひとりぼっちで、誰にも看取られず。
消える最後の瞬間まで大切な家族ののことを思い続けていた。その、気持ちを。
フェイトは胸の中で受け止めた。
(ああ、リニスはあの場所に帰りたいんだ。家族みんなが幸せだったあの頃に)
彼女はもう終わってしまった記憶の欠片。過去に存在した親しい人が、悪い夢を見て今も、さ迷ってしまっている存在。そんな悲しい夢を見ている人たちを、封印魔法で終わらせてあげることがフェイトの役目。それは、相手を思いやれる優しいフェイトにとって、とても辛いことで。それが親しい人なら尚更で。
本当はもっとお話ししたいこともあるし、できる事なら一緒に居たい。
それでも、迷って苦しんでいるのなら、送ってあげないといけない。
たとえ、どんなに辛い別れになるとしても。
『リニス』はもう終わっている存在だから。安心して眠っていられる場所に送ってあげないといけない。じゃないと悪い夢をみたまま永遠に迷子になってしまうだろうから。
「フェイト」
「うん、もう大丈夫だよ」
「ありがとう、アルフ」
そうして、力尽きて崩れ落ちてしまった『リニス』を、フェイトは抱きしめた。
「リニス。もういいんだよ。もう、迷う必要なんてないの」
「だから、一緒に帰ろう?」
「もう、迷わないように、わたしが導いてあげるから」
泣き崩れる『リニス』の背中に、フェイトは手を回して受け止めて。そして優しく慰める。
「バルディッシュ……」
『YesSir』
そして抱きしめたまま、足元に光り輝く円形の魔方陣を展開した。
「終わらせてあげよう……『リニス』の悪い夢を」
「今度はちゃんと、帰れるように……」
「時の庭園で待っている『アリシア』と『アルフ』の所に、『母さん』の所に。今度こそちゃんと帰れるように……」
「『テスタロッサ』の、家族みんなで。幸せに暮らして、いつまでも笑っていられるように」
「ちゃんと、この手で送ってあげよう」
「だから、わたしに力を貸してっ」
『GetSet』
主に応えるバルディッシュの声とともに、変形したデバイスから光が溢れていく。フェイトを中心にして金色の円形魔方陣が広がっていく。唱える呪文は静かな優しい声で告げられて。だけど少しの寂しさと悲しみを含んだ声で
「アルカス・クルタス・エイギアス――」
「疾風なりし天神、今、導きのもと――」
「迷える『リニス』の、悲しい夢を……」
「どうか、終わらせてあげて」
そうして告げるフェイトの声とともに、泣いている『リニス』は優しい閃光に包まれていった。
◇ ◇ ◇
『アリシア』にとてもよく似た。だけど、とても優しくて静かな女の子に導かれて。
私は光に包まれていく。
――リニス、おそい~~。
声が聞こえる。可愛らしく甘えてくる幼い『アルフ』の声が。
――待ってたよリニス。おかえり!!
それから、いつも笑ってわたしを励ましてくれる。優しい『アリシア』の姿が見える。私をおかえりって迎えてくれる。
――あのね、あのね、向こうで母さんも待ってるの。だから、一緒に行こう?
そうして、二人に手を引かれて、光に満ちたアルトセイムの草原を歩いていく。そこに、見慣れた時の庭園の庭に座っている愛する
――ああ、『アルフ』。『アリシア』。それに『プレシア』。
――帰るのが遅くなって、ごめんなさい。
――ううん、いいの。
――だって、ちゃんと帰ってきてくれたもん。
だから、私はようやく待ち望んでいた光景を前に、思わず涙と嬉しさが堪えきれなくて。
強く、その言葉を叫んだ。
―――――ああっ、ただいま!!
―――――おかえりなさい。『リニス』
◇ ◇ ◇
足元に広がる
そこに『リニス』の姿はない。フェイトとバルデイッシュの魔法で暖かな光の世界に送られた彼女は、もういない。
「リニス……」
フェイトは今はいない育ての親代わりだったリニスを想う。目を閉じれば、瞼の奥に浮かんでくるのは優しい思い出の日々。アルフと一緒に魔法のことや、勉強のこと。次元世界の常識を教えられながら、日々を過ごしていた頃の思い出を振り返る。
大好きな母さんに振り向いてほしくて、一生懸命、一生懸命、日々を過ごしていた。フェイトの記憶。プレシアに与えられたアリシアの記憶じゃない。フェイトだけの思い出。そんなフェイトにいつも優しくしてくれたリニスとの日々。
それを思い出すと、何故か涙が止まらなくなってしまう。
たとえ、違う世界の『リニス』だったとしても、共通する思い出は確かにあって。だからこそ親しい人との別れはこんなにも辛くて。涙があふれてあふれて止まらなくなる。心が痛くて、どうしようもないほど悲しくなる。
「リニス……!」
拭っても、拭っても、その涙が止まることはなくて。
「フェイト」
「ごめん……ごめんね、アルフ……今だけは、泣かせて……」
「大丈夫だよ」
「アタシはずっと、フェイトに傍にいるから」
「うん……」
そんなフェイトを、アルフはいつまでも優しく抱きしめていた。
◇ ◇ ◇
「フェイト。大丈夫かい?」
「うん、もう大丈夫だから」
「行こう、アルフ。彷徨う闇の欠片の悲しい夢を終わらせてあげないと」
やがて、落ち着いたのか。自分の心に整理をつけたフェイトは、顔を上げると。静かな表情に再び決意を宿らせた。
悲しんでいる暇はない。泣きたいなら、また後で泣けばいい。そう、自分に言い聞かせて。遠い世界で起きてしまった悲しい事件を、本当の意味で終わらせるために。フェイトとアルフは再び立ち上がる。
クロノも、なのは達も戦っている。自分が立ち止ってなんかいられない。
『フェイト。聞こえるかしら?』
そんな二人に念話で通信を送ってきたのはアスカだった。確かクロノ達と協力してディアーチェが潜んでいる結界の中心に向かっていた筈。何かあったのだろうかと、フェイトは小さく首を傾げる。
「どうしたの、アスカ?」
『実は、フェイトに会って欲しい人がいるのよ』
「会ってほしい人……?」
そうして、フェイトはアスカの言葉に驚くことになる。
『向こうの世界の『プレシア・テスタロッサ』』
『その闇の欠片よ……』