リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
ここで状況を少し整理しよう。
故郷の世界を目指して、旅を続けていたマテリアルたちが、海鳴の町に辿り着いたのが11月15日ごろ。そこから二週間ほど様子を見て、行動を起こし、この世界の八神はやてを誘拐して、シュテルの記憶に細工を施したのが12月2日の夜になる。
この戦闘で、ある事情からマテリアルとして活動できなくなったシュテルが完全に戦線を離脱。過去のトラウマを刺激され、心に大きな傷を負ったレヴィも精神的ダメージが大きすぎて紫天の書の中で眠りにつくことになる。
一方で、アスカは管理局に投降。
過去の戦闘で感じたクロノの言動や、この世界のフェイトやなのはとの出会いによって、ある程度は信頼できるかもしれない。もしかしたら復讐の道を歩むマテリアルたちを止めて、ディアーチェが抱える闇の書の闇の事もどうにか出来るかもしれないと期待を抱く。
そうして事件の重要参考人として、アースラの留置所にいる間、アスカはずっと悩んでいた。
管理局に対して、自分も思うところは確かにある。けれど、怒れるままに復讐を為し遂げてしまって、果たして本当にそれでいいのだろうか、と。
ずっと傍で、家族の復讐のことに対して悩む『なのは』の姿を見つめ続けてきたからこそ、彼女は悩む。
『なのは』はシュテルになった時でさえ、あまりそういう方針に肯定的ではなかった。管理局に対して信用できない、信頼できないという感情を抱いていたのは確かだが。マテリアルとして生まれ変わった友人たちにそういうことをして欲しくないと思っていたのが大きい。
愛する者を奪われた深い悲しみと、行き場のない怒りから。果てしない憎悪を抱いてひたすら復讐の道を歩み続けた不破の家。
もともと武道にあまり向いていない末の娘に、自衛のためにと不破流の一端を叩き込む厳しい父親。家族のことを顧みず、ひたすら復讐の道に専念する姉。優しかったのは、すずかの姉である忍と恋人関係にあった『恭也』くらいのもので、アリサもよくお世話になったことがある。時にはボディガードとして、帰り道を護衛してもらったこともあったから。
だから、不破の家のこと。『なのは』の事を知って。
当時、知り合ったばかりの『アリサ』が、大いに憤慨するのも無理はなかった。彼女はその事で、『不破士郎』に喧嘩腰で立ち向かった事がある。
勿論、そのことを『なのは』は知らない。不破の家に無理を言ってお邪魔した先で、ちょっとおやつが足りないからと不破家から徒歩五分のコンビニであるNOWSONに買い出しに行かせたからだ。何となく事情を察した『恭也』がお手柔らかに頼むと言いながら、妹の荷物持ちとして一緒に離れてくれたのも助かった。
結果は、梨の礫。柳に風だ。
こんな事は間違ってる。もっと『なのは』に家族らしい事とかしてあげてほしい、父親として優しくしてあげてほしい、と。『アリサ』は『すずか』に背中を羽交い絞めにされながら、面と向かって『士郎』に叫んだのに。彼は何の反応もしなかった。
ただ、自分よりも遥かに背丈が低い小娘を、面と向かって見下ろして恐ろしげな表情で睨んだだけ。今思えば、あれは彼なりの無表情で、何も感じないデフォルト状態だったんだなぁと分かるが。当時の『アリサ』はそんなことは知らなかった。無視されているのだと思って、烈火のごとく怒り狂い。普段のお嬢様然とした『アリサ』らしくもなく怒鳴り続けてしまった。
そうしてタイムアップだ。『なのは』たちがおつかいから帰ってきて、不破家の現状は何も変わることもないまま。
ただ、『士郎』に『アリサ』の頭をぽんと撫でられて終了である。その不器用な優しさをもっと『なのは』に向けてあげなさいよと、ぐぬぬぬってうなり続けていたが。結局、『アリサ』が何度言っても不破の家が変わることはなかった。彼にはそんなこと分かりきっていたからだ。自分たちが間違っていることなど。
ただ、本当に大切なものを失ったとき。人は止まれはしないのだと。そんな事を感じさせるだけ。
もしかすると、少しずつ心に響いていて、それが『アリシア』との出会いでさらに感化され。クリスマスの日に少しだけ変わる切っ掛けを作ったのかもしれないが、それも今となっては知る余地もないだろう。
こうして、アスカとなって他のマテリアルたちと共に世界を超えてしまったのだから。
今なら復讐に奔走する不破の気持ちも少しだけ理解できるかもしれない。けれど、それでも……
アスカは思うのだ。何となくこのままではいけない。何か取り返しのつかないことが起こると、アスカの直感が告げている。
本当にディアーチェは闇の書の闇を御しきって、失われた管制人格の力を取り戻し、すべてを終わらせることができるのだろうか?
あの責任感と自責の念が強いであろう優しい娘は、すべてが終わったとして、本当に自分を赦すことができるのだろうか。心配になる。不安になってしまう。
すべてが終わったら、ふとした事で消えてしまいそうで怖いのだ。今はマテリアルの事や、闇の書の事があるから。こんな筈じゃなかった未来を変えたいという想いがあるから、無理をする事が出来ている。けれど、それが無くなってしまったら?
あの子は、自分の幸せのために生きていけるのだろうか。
(難しいものね……)
アースラ艦内の留置所のベッドの上で、膝を抱えて蹲りながら、アスカは思う。
たとえば、闇の書の力を使って管理局のすべてを滅ぼす勢いで復讐を遂げたとする。この世界にいるであろうギル・グレアムとリーゼ姉妹に対して、あの時の絶望をそのまま返して。はやての事も何とかして、元通りの生活を続けてみたりする。
相手が救いのない外道だから、凄惨な方法でやり返して。その後に何もかもを忘れて新しい未来を生きる。果たして、自分たちにそれが出来るのだろうか?
ギル・グレアムのやり方は今でも許せない。友達を巻き込んで全てを凍てつかせたのは、今でも怒りが沸いてくるほどだし、顔を見たら一発ぶん殴ってやりたい。病院の人たちの事を思うともっと腹が立つ。だけど、アスカにとってはその程度の事だ。それだけで済んでいる。
殺してやりたいと思うほどではない。むしろ、そんな事を考えるくらいなら、自分たちがどうすれば幸せに生きられるのかとか。どんな事をすればあの子たちが喜んでくれるのかとか、そういう事を考えるほうがよっぽど建設的で、幸せになれる。
ギル・グレアムの所業に対して思うところは確かにある。
けれど、自分たちのその先に未来があるとはどうしても思えなかった。だから、管理局に投降した。
アスカは自分たちが弱い存在だということを知っている。いくら強大な力を得たとしても、心は九歳の頃の子供のままだ。そんな子供に何ができるというんだろう? 『士郎』の心を変えて、『なのは』の境遇を変えられなかった自分に何ができるんだろう? 親に縋って、『なのは』のことをアスカの家で面倒みようと我儘言って、困らせただけの自分に何ができるというんだろう?
聞けば闇の書が覚醒すれば、ひとつの世界を容易く滅ぼしてしまう大きな力を持つというではないか。そうして何度も何度も悲劇は繰り返されて、多くの国や主が、世界が滅んできたのだと、アスカはクロノから教えられていた。
自分だけじゃ何も出来ないということをアスカは知っている。だから、もっと大きな力が必要だ。
こんな筈じゃなかった未来を変えるには、もっと多くの人の協力を得る必要がある。五人だけで未来を変えようとしても、必ず何処かで行き詰る。現に管理局と対峙したことによって、思うように未来を進めることが出来ていない。向こうが邪魔してきたからと言えば、それまでだが。それでも、今の自分たちの力はその程度なのだ。
バニングスのお屋敷だって、多くの人に支えられているからこそ。上手く回っているのだと、アスカは子供ながらに理解している。社交界を通して会社同士で支えあったり、繋がりを得ることもあった。そうして得た繋がりを通して、有力な情報を得たり。現地で立ち回るための下地や協力を取り付けていったのだ。
アメリカで最大勢力を誇るバニングスが、月村を通して欧州で古くから存在するある一族の力を借り受けたように。
第一、アスカは魔法のことは門外漢だ。『シグナム』の能力を継承して、知識と剣技を受け継いでこそいるが。逆に言えばそれだけで。かつての『ユーノ』みたいに詳しい知識を持っているわけじゃない。
レイジングハートから教えを受けているらしいなのはの方が、いろいろと魔法の事に詳しいんじゃないだろうか。
「ふふ……バカみたいね……」
そこまで考えて、アスカは苦笑するしかなかった。
そっと手を挙げて、自分の顔の前で晒してみる。それを握ったり、開いたりして。
どうしようもなく自分の手が震えてしまうことを理解して、アスカは自虐しながら笑うしかなかった。
怖い……怖い……
管理局は信用できない。信用するためには、近づいてその人となりを、組織の内情を知る必要がある。でも、もしも管理局が信頼に値する組織じゃなかったら? アスカを閉じ込めて内々的に事件を解決させて、すべてが終わってしまっていたら? それ以前にアスカ自身が封じられたり、■されたりして二度とマテリアルの皆と会えない可能性だってあるのに?
"ほんとうにしんようできるの?"
"いちど、■されたくせに、もういちどしんようできるというの? ほんとうにしんじられるの?"
心の何処かで内なる声を聞いたような気がした。まるで、闇の底から囁くような、自分のこえ。
それを頭を激しく振ることで、振り払う。震える手はもう一方の手で抑え込む。
大丈夫。こっちの世界ではなのはが明るく過ごしていて、何よりも真っ直ぐだったあの子が信頼していた。バカみたいに一直線だったけど、あの子の人を見る目は確かだ。なら、アスカもなのはを通して管理局を信用してみたい。
こっちの世界のアリシア……フェイトだって管理局にお世話になっているみたいだし。仕方がなかったとはいえ、一度は過ちを犯してしまった彼女が真っ当に生きられるようにいろいろと便宜を図ってくれたそうじゃないか。
"ギル・グレアムは、『はやて』を援助しながら。いざという時に本性を顕わにして深い氷の奥底に封じ込めたのに?"
"私たちを虚数の底に落とした人間たち。何の罪もない人々を世界の為にというだけで封じた人間たち"
"大を救うために小を切り捨ててしまうのは、組織の常"
"そんな管理局が、本当に私たちを……"
「うるさい!!」
思いっきり拳を振りぬいて、囁くような声を振り払うように裏拳で留置所の壁をぶっ叩いた。
思わず手の甲に血が滲むが痛みはない。それどころか暖かい炎のような光とともに一瞬でアスカの傷が癒えた。それこそ瞬きする間のような一瞬のうちに。
アスカは抑制のマテリアル。受け継いだ特性は無限再生。能力はまさに不死鳥の火と同じもの。
アスカは紫天の書が、ユーリの
文字通り、瞬時に再生してダメージを無かったことにできる。あの凍てつくような氷に負けないようにと授かったアスカを守るための聖なる炎。大切なアスカの
その火が途絶えぬ限り、アスカは決して挫けはしない。
第一、留置所に入れられたのだって、クロノという少年がきちんと説明してくれたではないか。
既にマテリアルが、局員やアースラチームに危害を加えてしまった以上、こうして大人しくしていることが管理局に敵対する意思のない証明になる。それと、同時に同じようにアースラ艦内に捕えている守護騎士から、アスカを護るための処置にもなると。
はやてを奪われた守護騎士の憤りは凄まじい。シグナム、シャマル、ザフィーラなどは比較的落ち着いているが年少のヴィータだけは、局員たちを噛み殺さんばかりの勢いだからだ。はやての身を誘拐したマテリアルの一人であるアスカに出会ったら、何が起きるか。
守護騎士四人が結託してアースラを脱出する可能性もある。
彼らはディアーチェと出会ったことで動揺して、気絶させられたが。彼女たちの正体について確信を持っているわけではない。アスカの尋問の内容も聞かされていないし、そもそも説得に応じて、事件解決の為に協力してくれるのかも、今のところ不明だ。
はやてと出会ったことで、意思の無い人形のような存在から、人間らしい感情を取り戻したそうだが。それとこれとは話が別。
闇の書の完成を目指していた節がある以上、ある意味ではアスカよりも危険な存在として、分散させたうえで厳重監視状態で拘束されている。
そして、個別に尋問と聴取を行っているが、先述したように決してアスカと鉢合わせしないように配慮されていた。
だから、アスカは今、ひとりだ。
狭い室内はとても静かで、息をするのも忘れてしまいそうになる。
そうして浮かび上がるのは不安と孤独と、あの時の恐怖心。
だけど、■の恐怖にも、未来に迷う不安にも怯えはしない。
だから、大丈夫。自分は大丈夫。
心はいつだって繋がっている。
マテリアルと離れて、ひとり孤独の中で不安になる自分を勇気づけて、アスカは思う。思考を続ける。
どうすれば、より良い未来に辿り着けるのか。
そうして考えに没頭するアスカを、叩き起こすような。
「『アーリサ』ちゃんっ! ちょっとお話しよ「うひゃあっ!!」はにゃあ!!?」
「アンタねっ、部屋に入るときはノックくらいしなさいよ!!」
「ごめんなさい~~~~!!!!」
そんな、なのはの声が響いて、ついでにウガ~~~と怒るアスカの声も響き渡って。
『ふたりとも大丈夫かな?』
『さて、ね』
双方の驚き声を聞いたフェイトが、心配そうにアルフを見上げて。アルフもやれやれと肩をすくめるのだった。
◇ ◇ ◇
なのはは配膳台に載せられたトレーをひとつ手に取って、アスカの所まで持っていく。
それを見てアスカも、お昼ご飯の時間かと、今更のことのように気が付いた。どうも留置所に一人でいると時間の感覚を忘れてしまう。呼び出しを受けて、なのはやフェイトのように見知った顔の人に監視付きで護送されて、そこで事情聴取。時間の都合が合えば、食堂でご飯を食べることも許されたが、そうでないときは留置所にこもりっきりだ。
アスカは事件の首謀者の一人で重要参考人という扱いの手前、艦内を自由に歩くことは制限されている。今のところ大人しくしているが、万が一にも艦内で暴れられれば一般の局員には一溜まりもないだろう。
まだ、お互いに出会って数日といったところ。早々信用しきるのは難しい。
それに同じように重要参考人として捕えられている、この世界の守護騎士とも鉢合わせしないように配慮されているようだ。こっちは知り合いで親しげに話すこともある友人同士だが、この世界では守護騎士の大切なはやてと闇の書を奪った張本人の一人なのだから。
出会いがしらに言い争いならまだしも、剣を抜いての争いにでも発展したらという恐れがあるのだろう。
お互いの事情や誤解が解けるまでは、迂闊に会うのは避けた方がいいとクロノ執務官に丁寧に説明された。
それに、こうして、なのはやフェイトが様子を見に来てくれたり、お世話を焼いたりしてくれるだけでもアスカにはありがたい。
やっぱり、違う世界とはいっても、親友と同じ姿をしている存在。それでいて同じくらい親身に接してくれる友達に、アスカが安心感を抱いているのも事実だから。こういう配慮はとても助かる。
レヴィあたりなら、きっと向こうの懐柔策。とか言い出してぷいって拗ねたりするだろうか、そう考えるとちょっと可笑しくなるアスカだった。
「どうしたの、『アリサ』ちゃん?」
「何でもないわ。大丈夫よ」
きっと、あの子たちは裏切り者と叫ぶだろう。自分を糾弾するだろう。
それはとても辛いことだけど、それでもいい。我慢できる。耐えられる。
それよりも未来を失ってしまうことの方が怖い。もう一度、みんなで笑い合いたい。今度こそ本当のクリスマスとか、お正月を楽しめるようになりたい。まだまだしたい事、やりたい事がたくさんあるのだ。
その為だったらどんなに罵られても、嫌われても耐えてみせる。いや、さすがに嫌われたくはないけれど。
でも、マテリアルの誰かが信じられるようにならないと、きっとその世界は閉じてしまうと思うのだ。身内だけで完結してしまって、何もかもが信じられなくなる。そうなれば、あの頃のように無邪気に笑っていた時間が、思い出が戻らなくなってしまう。
子供たちは、信じられる筈の大人たちに裏切られたせいで、世界に対して疑心暗鬼になっている。
なら、まずは勇気を出して自分が最初の一歩になろうと思う。怖くても、震えても、勇気を出して手を伸ばす。
そうして掴んだ先で、あの子たちに「ほら、大丈夫でしょ」って言ってあげて、安心させてあげたい。
これはその為の、第一歩。
だから、勇気を出せ。アスカ・フランメフォーゲル。
大丈夫。この人たちは、この世界の管理局の人間は信じられる。
大丈夫。大丈夫。
「だいじょうぶだよ、『アリサ』ちゃん」
「なのは……」
そんな風に怯えているアスカを、気丈に振る舞うアスカを、なのはは優しく抱きしめた。
「わたしたち、『アリサ』ちゃんを傷つけたりなんかしないよ」
「いろいろ話を聞いて、たくさんたくさん、『アリサ』ちゃん達が傷つけられちゃった事も、ちゃんと教えてくれた」
「だからね。怖いなら、不安なら何度だって抱きしめるよ」
「もしも、『アリサ』ちゃんを傷つけようとする何かがいたら、全力で護ってみせるから」
「だから、心配しないで」
アスカを優しく抱きしめながら、あやすように背中を撫でてくれながら。慰めるように言葉を紡ぐなのはの声を聞いて、その優しさを心に沁み渡らせながら。アスカは委ねるように目を瞑る。不安と恐怖と怯えで、強張っていた
でも、それがなんだか癪に障る。本当は逆の立場。自分が、今度こそなのはを、『なのは』たちを支える番。
あの頃の、魔法の力も何もなくて。不破の事にも、『アリシア』のことにも、何にも出来なくて。悔しくて、傷ついた友達の事を思って夜な夜な泣いていた自分は、もういない。
絶対にみんなの事を助けるんだからと、アスカは決意を新たにして。
「まったく、なのはのくせに生意気」
「にゃあ!!?」
苦笑しながら、なのはのおでこに軽くデコピン一発。
もう、ひどいよ。『アリサ』ちゃん。とおでこを抑えて涙目になる親友の頭をぽんぽんと撫でて、アスカは精一杯の笑顔を浮かべた。
――『アリサ』。大丈夫ですか?
――困っていることがあれば言ってください。
――わたしが全力で『アリサ』を護りますから。
――父や兄には劣るかもしれませんが、一応わたしも不破流を学ぶ末弟ですので。
――『アリサ』よりもずっと力持ちです。
まったく、こうして大切な人の為に、自分の身を挺してでも誰かを護ろうとする姿は、本当に『なのは』にそっくりだ。
頭では違うと分かっていても、ふとした時に重なる部分があって嫌になる。参ってしまう。
そんな事されるとシュテルに会いたくなるし、甘えたくなるじゃないか。本当は自分がシュテルを支えるべきで、家の事とかいろんなことで傷ついたあの子を支えるのは、いつだってアスカの役目なのだ。そうして支えて、次にナハトの優しさで癒してあげて。
そうして、ふとしたときに浮かべてくれるシュテルの微笑みは何よりも大切なものだったから。
だからこそ護ってあげたいと思う。よりよい未来を共に歩みたいと思う。
他のマテリアルにだって、アスカは同じ想いなのだから。
無邪気にはしゃぐレヴィの笑顔が大好きで、義姉として義妹を放っておけなくて。ナハトの優しさにはいつも助けられてばかりで、理不尽に怒りそうになったところを何度も諌めてくれて。
そんな自分たちを見て笑ってくれていたディアーチェの笑顔が、あの優しい『はやて』の笑顔を見るのが何よりも大切だった。護ってあげたかった。たとえ、闇の書の呪いによって足が蝕まれ、半身が麻痺していこうとも。気丈に振る舞って、決して弱みを見せなかったあの子に。もっと楽しい事やいろんなことを教えてあげたかった。
だからこそ、失くしてしまったものを取り戻すために、アスカは戦う。
「ありがとね。なのは」
「はにゃっ!? えへへ~~、どういたしまして」
「でも、アタシの名前はアスカだから」
「あうっ、でも、『アリサ』ちゃんにしか見えな……」
「今のアタシは、何と言おうとアスカなのよ。第一、この世界のアタシや家族に迷惑が掛かんでしょうが」
「ううぅ、『アリサ』ちゃん……じゃなくて、アスカ、ちゃん?」
「よし」
まったく、何度も自分のほんとうのなまえを呼んでくるなのはにも、困ったものだ。
なのはにとって、アスカは違う世界の『アリサ』でしかなくて。ぶっちゃけてしまえば関係のない赤の他人であるはずなのに。過ごした年月も、思い出もアリサとは違う。何にもない別人だって冷静に考えれば分かるでしょうに。
でも、こうして親身にしてくれることが何よりも嬉しかった。そして、もしも自分が違う世界のなのはに会ったとしても、アスカなら同じことをするだろうから。その事に対して強く言えなくて苦笑する。
アスカの見た目は闇を凝縮したような瞳を除けば、アリサそのものだから。まあ、間違えるのも仕方ないといえば仕方ないのだけれど。太陽みたいな金色の髪も、母様からもらった大切なもので。可愛らしい容姿も何もかも、『アリサ』の自慢ひとつだから。
『なのは』みたいに、性格が違っているわけでも。『アリシア』みたいに、明るく無邪気なわけでもない。『すずか』は分からないけれど、『はやて』は見た感じ変わらなかった。そして、こうしてアリサと言い間違えるということは、こっちの自分は性格も、似姿もほぼ一緒なんだろう。
だから、間違えたり、間違えなかったりするのはしょうがない。
アスカも人の事は言えないだろうし。
アスカにとっては、明るくて優しいなのはや、ちょっと引っ込み思案なところもあるけど、小動物みたいに大人しくて可愛らしいフェイトのほうが違和感があったりする。特にフェイト。『アリシア』と同じ性格だったら、本当に手が付けられなくて放っておけない存在だっただろう。目を離すとすぐはしゃぐんだから。
それが、あんなにも大人しそうで。大切にしていた母親からお仕置きという名の虐待を受けていたことなど、話を聞いたときは信じられなかったくらいだ。
あんなにも病気のお母さんの為に、必死になって頑張っていた『アリシア』と同じように。フェイトも頑張っていたというのに。
母を想い続けて行動したフェイトに対する仕打ちがそれなのかと。アスカがプレシアと出会っていたなら『士郎』と同じように詰問していた事だろう。
実際に『アリシア』を義妹として引き取って、面倒を見ていた分。アリサよりも、アスカの方が『アリシア』やフェイトに対する想いが人一倍強いから。何かあったら、きっと放っておけなくなっていたと思う。
まあ、この世界の自分も黙ってないだろうけど。
そんな事を考えながら、アスカは悩むのをやめた。
まずはご飯だ。
「さて、そろそろ食事にしましょうか」
「冷めないうちに食べないといけないし」
「なのはも、一緒に食べてくれる?」
「うん! そういうと思ってクロノ君にお願いして、自分の分も持ってきたの」
「あと、喫茶翠屋のシュークリーム」
「『アリサ』ちゃ、アスカちゃんも食べたことなかったでしょ?」
「美味しいから食べてみて」
「きっと素敵な笑顔になれると思うの」
そうしてアスカは、なのはと隣り合って留置所のベッドに腰掛けながら食事を共にした。
温かいパンとスープなんて落ち着いて食べたのはいつ以来だろう。野菜とお肉が軟らかく煮こまれていて、それを安心して食べることが出来たのはいつ以来だろう。
この世界に来てから、あまりまともな食事をしてこなかったから。こうして温かい料理を食べると、涙が出そうになる。昔、当たり前に食べていたそれを、家族と『アリシア』と一緒に食べていた時の事を思い出してしまう。
当たり前だったそれすらも、失ってしまったことが何よりも悲しくて。
ちょっと泣きそうになってしまったのは秘密だ。
「あむっ、っ~~~~~~!!!!」
そうして食後のデザートに食べたシュークリームが、ものすごく絶品で美味しくて。何よりも筆舌に尽くしがたくて。その包み込むような甘さに、上品な舌を持っているアスカですら唸ってしまう。
なのははあまりの美味しさに悶絶するアスカを見て、自分の事のように嬉しそうだ。えへへ~~って笑っている。
ああ、これは他のマテリアルの皆にも食べさせてあげたいなって思ってしまう。それと同時に、シュテルがこのシュークリームを気兼ねなく食べてくれればいいとも思う。
あの子は、アスカが協力する見返りに高町家で療養中だ。
こんなにも美味しいお母さんの味を、あの子は失ってしまったのだ。せめて、この世界では子供らしく母親と父親に甘えてほしいと思う。
この世界の高町家ならそれができるだろう。なにせ、目の前にいるなのはの育ちの良さとか、性格の良さで人柄が伝わってくるし。何よりも行く当てがなくて迷子になっていたディアーチェたちを保護してくれたお人好しなんだから。
◇ ◇ ◇
それからも、時間の許す限り、なのはとアスカは話をした。
この世界の事。家族の事。ジュエルシードの事。話せることを少しずつ、少しずつ話して、お互いのことを知っていく。
さすがに、アスカも不破家のことをあまり詳しく話すつもりはなかった。あの父や姉の事を、心優しいこのなのはが知ったら、どう思うのか。その事が簡単に想像ついてしまうから。優しいなのはに傷ついて欲しくなくて。あまり言えないでいた。
そういうのは、いつかシュテルの口から教えてもらうべきものだ。自分が言っても、シュテルの苦しみの十分の一も伝わらないだろう。ただ、同情心を煽るだけだ。
だから、伝えたのは不破家と高町家の違いくらい。
母親を亡くしたこと、傷心の父のもとで厳しく育てられたことぐらい。そして、それだけでも、なのはは自分のことのように悲しんで。特に母親が亡くなっていることには、ショックを受けたようで、アスカの腕の中で「おかーさん……」って泣いてしまった。
やっぱり、話すべきじゃなかったかもしれない。けれど、この子は「教えてくれてありがとう、『アリサ』ちゃん」って自分で涙を拭って、心配かけないように健気に笑っていた。それを見てアスカは、この子は自分の力で何度も立ち上がれる強い心を持っているのだと、感心する。
シュテルだったら、『なのは』だったらショックで一日は沈んだままになるだろう。少し一人にしてくださいとか言って、自分で抱え込んでしまうタイプだ。そうして放っておいたら、いつか壊れてしまいそうで。
だから、厳しい父親の代わりにアスカやナハトが受け止めて、ちゃんと泣かせていた。
抱きしめてあげると、よくすすり泣くような子だったから。
そうしてあげないと、あの子はずっと我慢する子だったから。今もそうだから。
でも、もしも、シュテルがなのはのように、強い心を取り戻したら、きっと。
あの子はレヴィやディアーチェの為に。『アリシア』や『はやて』の為に、もう一度自分の意志で立ち上がるんだと思う。
誰かを護るために頑張ろうとする姿も、困っている人を放っておけない姿も、『なのは』は同じだ。
世界が違っても、本質は似た者同士。
こうして、時々震えてしまうアスカの手を握ってくれるような、なのはの優しさだって、『なのは』は備えていた。
人の心の機微に敏くて、静かに寄り添おうとする子だった。
それを思えば自分の心の震えくらいどうってことないのに。
アスカの中で、あの時の凍てつかされる記憶は、今だって消えてくれはしないのだ。
「『アリサ』ちゃん、大丈夫?」
「やっぱり、怖い?」
「そりゃね。そういうものだから。出来れば知ってほしくない感覚だわ」
「まったく、笑えるでしょう?」
「あの子たちを救う道を探るために、こうして管理局の所に降ったのに。今更になって手が震えてる」
「弱い自分が嫌になるわ……『シグナム』もきっと呆れているかしらね……」
比較的、あの時の記憶の影響が薄いアスカでさえ、あの瞬間の出来事は強く脳裏に焼き付いている。
何もかも寒くなって動かなくなる感覚も、何も感じなくなって痛みすらも感じることもなく、意識が急速に薄れてゆく光景は忘れがたいトラウマになってしまっている。
心の底にある恐怖と、沸き立つような勇気の狭間で、揺れ動いているアスカ。
マテリアルに刻まれた■の恐怖。何もかも奪われて、大切なものを失ってしまう恐れ。その時の苦しみと悲しみ。
そういう、怖いという想いはどうしようもない。一日、二日でどうにかなるものじゃない。
「大丈夫だよ」
「クロノ君もリンディさんも協力してくれるって。情調酌量の余地があるし、何よりキミたちは闇の書の、ひいては別世界とはいえ管理局の被害者だ。だから、助けを求めているなら全力で助けるって言ってくれたの」
「だから、大丈夫なの」
「わたしと、みんなで絶対に助けるからね!!」
そんな風に不安になるアスカを励ましてくれるのが、なのはだった。
保護されたシュテルだけじゃなくて、アスカも同じように心の何処かで傷ついていることを察して、こうして様子を見に来てくれる。何度でも、何度でも、話を聞いてくれる。励ましてくれる。
そうして、アスカとお話しして、その想いを受け止めて。
不安なんて吹き飛ばしちゃうような力強くて、優しい笑顔で、アスカの両手を握りしめて。彼女が泣きそうなときには、優しく抱きしめてくれた。
今も、こうしてアスカを抱きしめてくれる。
「それに、『アリサ』ちゃんは、こうして皆の為に立ち上がれる強い子だもん」
「いっぱい傷ついた分、震えちゃうのはしょうがないよ」
「わたしだって、ジュエルシード事件に初めて遭遇した時は、とっても怖かったし」
「誰かに傷つけられるたびに、痛くて怖くて、泣きそうになったけど」
「支えてくれる人がいたから、護りたい人たちがいたから、頑張れたの」
「ユーノくんや、レイジングハートのおかげだから」
「ねっ、レイジングハート」
『All right』
「そのあとに、クロノくんやリンディさんが来てくれて。何度もジュエルシードの事で何度もお世話になって」
「わたしの我儘を聞いてくれて、フェイトちゃんとも魔法を通して想いを分かち合うことが出来たの」
「だから、諦めたりしないで」
「もし、どうしようもなくなったりしたら、わたし達を頼ってくれていいから」
「絶対に助けるから」
「というか、こうして知ってしまった以上。見過ごしたりなんかできません」
「絶対に助けて見せます!!」
「あと、全部解決したらあらためて友達になってほしいの」
「わたしもシュテルちゃんの事とか、レヴィちゃんのこと、もっと知りたいもん」
「ふふっ、まったく。こっちのなのはは、呆れちゃうくらいのお人好しね」
「ふにゃあっ!!?」
まったく、こんな風に献身的に励まされ続けると、悩んでいる自分が馬鹿らしくなると、アスカは思い直す。
そうだ。自分は何の為に管理局に降った? この世界で迷子になってしまって、闇の書の運命に囚われ続けている皆を助けるためだ。
こんな所でくよくよしていられない。
「ありがとう、なのは」
「うん、どういたしまして。『アリサ』ちゃん」
最初の一歩は自分から。
大人たちも、世界も、何もかもを信じられなくなって。
マテリアルにとって本当に信頼できるのが自分たちだけだというのなら。
まずは、アスカが信じてみようと思う。
それが、最初に倒れてしまった自分の使命だと思うから。