リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
夢、マテリアルの見る夢はどんな夢なのだろうか。
少女たちは楽しい夢を見ているのか、懐かしい夢を見ているのか。
少なくとも、レヴィが見ている夢は悪い夢ではないだろう。
「お~い! アルフ~~まってよ~~!」
レヴィは海鳴臨海公園で親友のなのはと一緒に逃げ回るアルフを追っていた。子犬フォームのアルフは可愛くて、逃げ回る姿はすばしっこい。捕まえようとしても捕まらなかった。なのはも笑いながら悔しそうな顔をしている。
「楽しい夢を見てください。永遠の闇から滲み出た絶望に捕らわれ、誰かを憎まされ、苦しむマテリアルL。せめて、一時でも苦しみを忘れていて入られるように……今の私にはそれくらいしか、貴女たちにしてやれません………」
ふと、レヴィの耳に悲しげな少女の声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
こんな楽しい夢で悲しんでいる人なんていないから、いないから………。
ここは、いわば楽園であり、人々の望んだ理想郷なのだ。故に誰も苦しまず、悲しむことなどない。
「なのは! 次は翠屋でシュークリームを食べに行こう!」
「ええ、構いませんよアリシア」
レヴィの提案に親友の『なのは』も静かな口調とは裏腹に嬉しそうな顔で頷いてくれる。
楽しい夢だ。全てを忘れていられる。悪いことなんて何一つない。
きっと翠屋ではレヴィの母さんと『なのは』の母さんが談笑してる。二人の親友『アリサ』と『すずか』が待ってる。最近友達になった『はやて』と五人の家族も来ている。
これは幸せな現実。きっと不幸な未来なんてなかった。
「そうだよね、私たちはずっとずぅぅっと幸せなんだ」
「そうですよ『アリシア』。私たちはずっと幸せです」
ほら、レヴィの親友である『なのは』もそう言ってくれてる。だから、ずっと幸せな現実が………。
(アレ? ボクってアリシアなんて名前だったかな?)
「どうかしましたか? アリシア」
「ううん、何でもないよ『なのは』」
ふと、感じた違和感。しかし、レヴィは気が付く事が出来なかった。余りにも幸せに浸りすぎて、些末な疑問も溶けて消えたのだ。
いや、気付こうと思えば、気付けるくらいの違和感が、この夢の世界には存在している。
たとえば、親友である『高町なのは』の円満な家族関係。死んだはずのアルフが生きて、レヴィの傍で笑っている姿。『八神はやて』の隣で微笑む、レヴィの見知らぬ銀髪の女性。喫茶翠屋の存在と高町の名字。そして、王様が、ディアーチェが初めて自分を名づけてくれた大切な名前を呼ばない親友。忌まわしい"偽物"の名前を呼ぶ親友。
この世界はあまりにも理想過ぎて、逆に違和感を感じてしまう程の世界なのだ。少なくとも、レヴィの知っている世界と照らし合わせれば、これだけの違和感を感じる部分が出てくる。
けれど、気が付くことが出来ないのは、辛い現実を無意識に思い出したくないのかもしれない。自分がマテリアルとして生まれ変わった姿。毛先が蒼い水色の髪に、光を飲み込むような闇を宿した紫色の瞳を持つレヴィ・ザ・スラッシャーではなく、生前アリシア・テスタロッサだった時の、金色の髪に紅い瞳の姿をしている自分を受け入れているのが、その証拠ともいえる。
しかし、喫茶翠屋のある商店街に向かう途中ですれ違った少女をレヴィが見た時。レヴィは初めて違和感を感じることになる。他の夢の部分は違和感を感じないのに、その少女だけは多大な違和感を感じたのだ。誰かの作為すら感じるほどに。
(あれは、『アリサ』……? でも、あれ……なんで、左目が紅色なんだろう? 右目は翡翠のような緑色なのに)
『なのは』と手をつないでニコニコしながら、道路を歩いていた時に、わざとらしくすれ違った少女をレヴィが見た時、無性に気になって仕方がなかった。姿は『アリサ』に似ているのに、瞳の色が微かに違うのが、特徴的だった。少女はレヴィの視線を釘づけにしたまま、入り組んだ住宅街の奥へと消えていく。
「待って!!」
「あ、アリシアっ、どこへ行くのですか!? 迷子になってしまいますよ!!」
消えた少女を慌てて追いかけるレヴィと、いきなり手を放して何処かへ行こうとするレヴィを制止する『なのは』。『なのは』も住宅街へと消えていくレヴィを追いかけようとするが、足が凍りついたように動かなかった。それどころか、身体を動かすことができない。夢の端末としての機能が消失していく。
「どうして……? マテリアルLは私の術中に完璧にはまっていたはず。誰かが、私の作りだした幻想に介入している? いったい誰が?」
『なのは』の口から零れ落ちたのは、別の誰かの声。その声は鈴の音の様に凛としていて、でも、どこか儚げで風が吹けば消えてしまいそうなほどにか弱々しい声だ。
いつの間にか『なのは』の姿も変貌しており、肩まで長い栗色の髪は、腰まで届きそうな長い金色の髪へと形を変え、姿も『なのは』やレヴィより幼げな少女へと変化していた。身長がレヴィよりも頭一つ分低いから余計に幼く見える。
背格好も一度見れば忘れられないようなモノだ。お腹をへそ出しする白いバリアジャケットに紫色の袴のようなズボンと特徴的すぎる。
けれど、そこから放たれるカリスマ。神秘的なオーラは見る者全てを包み込んで魅了してしまいそうほど。部外者に圧倒的な威厳と威圧感を持って、跪かせるようなディアーチェとは正反対の優しい覇気だった。
幼き少女は瞳を伏せると、データの欠片となって朽ちて、夢の世界の空間に溶けていく。見せる対象者がいなくなった世界を構成している意味はないから。周りの道路も、家も、標識から空に浮かぶ雲。果てには清々しい青空までもがデータの欠片となって、何もない空間へと姿をかえる。そこにあるのは、一切の光を宿さない闇の世界ときらめく星のように輝く、数多の人が見ている夢の世界だった。
◇ ◇ ◇
「アリサお嬢様。紅茶を淹れました。じいやが丹精をこめて、手間を惜しまずに淹れた紅茶ですから、味のほうには自信がありますぞ」
「ありがとう、鮫島」
アスカは、バニングス邸の野球ができそうなくらい広い庭園で、色鮮やかに咲き乱れる花や緑の植物で飾られた景色を鑑賞しながらティータイムを楽しんでいた。
アスカをいつも支えてくれている老執事の鮫島に礼を言いながら、白いテーブルの上に置かれた美しい装飾の施されたティーカップを手に取って香りを楽しむ。いきなり、紅茶に口を付けるのは無粋というものだ。まずは、香りを楽しんで、その後、紅茶の美味しさを味わう。
アスカの格好は貴族のお嬢様が着るような、中世ヨーロッパのお姫様を連想させるような豪華なドレスに身を包んでいて。それが何とも様になっている。自らを着飾る装飾品に負けないような美しさと、可愛らしさを備えていた。もっとも、絶世の美女には劣るかもしれない。だって、胸がゲフンッゲフンッ……
アスカは香りに満足した後、静かにカップを口につけて、中に淹れられた紅茶を含むように、静かに飲み干していく。日本茶の様に音を立てて飲むのは上品とは言えない。
(うん、鮫島の淹れた紅茶は美味しいわ。味のほかにも、主人のアタシを思いやってくれているのが良くわかる。人の想いが込められた紅茶とでもいうのかしらね)
静かにティーカップを置きながら、アスカは満足そうに目を閉じて微笑んだ。鮫島もそれを見て、孫娘を優しく見守るような微笑みを浮かべる。何も言わずとも、紅茶の味が及第点だったことは分かるし、主人の笑顔が見れただけで鮫島は満足だった。
アスカも美味しい紅茶と良い香りを楽しめたので、気分が良い。それに従者の笑顔は主人の笑顔でもあるのだ。鮫島が喜ぶとアスカも嬉しかった。しかし、そろそろ茶番も終わりにしなければならない。
「鮫島、悪いのだけど席を外してくれないかしら。ちょっと考え事をしたいのよね」
「左様でございますか。何かあればベルを鳴らして御呼びつけください。すぐに駆けつけますゆえ」
アスカの言葉を疑問に思うこともなく、鮫島は左腕にタオルケットを掛けたまま優雅な礼をして庭園から去ってゆく。優秀な従者というのは主の顔色だけで、何を考えているのか察するような従者だ。今の『アリサ』は誰にも邪魔されずに考え事をしたがっている。疑問はあるし、悩みなら相談に乗りたいと思う鮫島だが、素直に下がるのが執事たる自分の務めだろう。
ちなみに、白い丸テーブルに置かれたハンドベルだが、もちろん鳴らした音を聞きつけて執事やメイドが来るわけではない。鳴らすとベルに組み込まれている発信器が、呼び出しを告げるという優れものなのだ。
ハンドベルを形をして、美しい金属の音色を響かせるのは優雅なシャレというモノである。いつの世も風流(ふりゅう)とは大事なモノなのだ。
アスカは自分でカップに紅茶を注ぐと、ミルクと砂糖を小さじ一杯いれ、ロイヤルミルクティーにする。そして、紅茶の入ったティーカップを持ちながら、椅子に深く座り込んだ。
(なんとも、アタシらしい夢の世界なことで。色々と否定してきた夢の世界は、最終的に自分の安らぐ世界に落ち着くわけか……)
アスカは、自分の強靭な意識で理想の夢の世界を否定してきた。最初に見た誰も死なずに、誰もが笑っているような世界。それこそ、亡くなっている筈の親友の家族が生きている世界を否定した。親友と笑い合いながら、知らない喫茶店で談笑する光景も、幼いアリサに懐いて良く助けてくれた年老いた犬が、若々しい姿でアリサに戯れてくれる世界も。全部否定した。
別に夢の世界で、理想とする世界や、過去の出来事を振り返るのはアスカとしても構わなかった。夢の中くらい最高の幸せを体感するのも悪くないだろう。けれど、この世界はやり過ぎたのだ。
妙なリアリティを伴って、理想的で幸せな夢を見せる世界。現実と錯覚すれば胡蝶の夢と化してしまいそうなチカラがあった。夢が現実となってしまうのだ。
それが恐ろしかったというのもあるが、親しい人の死を否定して未来を捻じ曲げるような世界をアスカが嫌ったのが大きいだろう。幸いにも人の望みを叶える夢だったから良かったが、理想を見せる夢だったらアスカは確実に暴れていた。
アスカは、現実における苦しみや悲しみも含めて世界が好きだった。不幸が大好きという訳ではない。怒り、苦しみ、悲しみといった部分があるからこそ、平和は尊いもので幸福を幸福と認識できるのだ。
いつまでも幸せが続いて、当たり前になってしまえば、人は何が幸福なのか分からなくなるから……
辛い事や苦しいことを乗り越えて掴み取った幸せ。それこそがアスカにとっての本当の幸せだ。現実逃避して夢の世界に逃げ込みたい訳ではない。マテリアルズとなった皆で、アスカや大切な親友たちで、本当の幸せを掴み取ることがアスカの目的でもあるのだから。
だから、こんな夢の世界は否定させてもらうのだ。
(どうやら、夢を見せている何か、或いは誰かはとんでもないお節介でお人よしといった所かしらね)
少なくとも自分の見ている夢を自由自在に書き換えるなんて芸当は、アスカには絶対に出来ない。ならば、何らかの要因が介入しているのは確かだった。それを、アスカは今から探し出そうと思っている。物による影響だったら問題ないが、誰かが作為的に介入しているのならば、一発何か言わないと気が済まないのだ。お節介が過ぎるぞと。
まあ、見せてくる夢の内容が良いモノばかりなので、悪い存在でないことは確かだろう。
「さてと、そろそろ出てきたらどうかしら? 人の事、草陰から覗くのは悪趣味だとアタシは思うけどね」
優雅に紅茶を飲みながら、ふと、思い出したようにアスカは庭園の草陰に鋭い視線を送る。すると、悪気のなさそうな態度を取りながら、一人の少女が姿を現した。
「アンタはレヴィ……? いや、違うわね」
現れた少女の姿を見てアスカが驚いたようにつぶやく。少女の姿は黒のワンピースに、金色の長い髪を黒いリボンでツインテールした姿だった。アスカよりも幼くて四歳くらいの年の頃だが、姿はアリシアと呼ばれていたころのレヴィにそっくりだ。
ただ、わざとらしく変えていないのか、或いは変えることができないのか、左目は緋色、右目は翡翠色の虹彩異色だった。いわゆるオッドアイだ。両目を緋色にすればレヴィに似ていたし、逆に翡翠色にすればアスカに似ているとは、なんとも不思議な少女である。
誰なのかは分からないが、アスカの夢に現れたのならば、良くある夢の世界の住人なのかもしれない。アスカは深く考えずに、そう思うことにした。
「まあ、覗いていたのは、この際どうでもいいし、許してあげるわ。それよりも一緒にティータイムを楽しみましょうよ。美味しいお茶請け……まあ、簡単にいうとお菓子なんだけど、幼いアンタにはそっちの方が良いかしら?」
アスカが年上の優しいお姉さんを演じながら、おいでおいでと手招きすると、小さな少女は素直に頷いて対面の椅子に座る。そして、テーブルに置いてあったクッキーを頬張り始めた。顔に浮かべる笑顔を見れば、クッキーが美味しくて幸せなんだろうか? 見る者を和ませてしまいそうだ。
しばらく、アスカと小さな少女はお茶の時間を楽しんでいた。
◇ ◇ ◇
(それにしても、この女の子は、なんとも夢の世界の住人らしい、不思議な雰囲気ね)
いったい、どれくらいお茶の時間を過ごしていたのかは定かではないが、長い時間が経過しているのは確かだ。アスカの見ている夢の世界には時間の概念が止まっているのか、昼のままで日が沈まないからだ。おそらく、ティータイムを長く続けたいというアスカの願望を反映しているのだろう。
アスカの目の前に座る小さな少女は、皿の上に並べられていたお菓子をすべて頬張ると、今度はバニングス邸や造られた庭園をジッと見つめていた。まるで、アスカの夢の世界を目に焼き付けているかのように。
小さな少女の纏う不可思議な存在感のせいなのか、普段は明るい性格と、いろんな話題に付いていける会話力で相手を惹き込むアスカでも声を掛けられなかった。小さな少女の放つ、何人たりとも無意識に付き従ってしまいそうな神秘的なカリスマ性に、いつの間にか呑まれていたのだ。
ふいに、女の子の視線がアスカの瞳を捉えて離さなかった。アスカも金縛りにあったように、女の子の虹彩異色の瞳を捉えて離さない。
最初に言の葉を紡いだのは、神秘的な女の子のほうだ。
「わたしは、リヴィエっていうの。お姉ちゃんのなまえは?」
「アタシは、アスカ・フランメフォーゲルよ」
「そっか、じゃあアスカは今から鬼ごっこのオニだよ。聖祥の小学校につくまでにリヴィエをつかまえないと、負け犬になっちゃうんだからっ!」
「はい?……」
そう言って庭園を駆け抜けていくリヴィエの姿を見詰めながら、アスカはポカーンと固まるしかなかった。少女の言動や展開が、いきなり過ぎて何が何だか分からない。自分が鬼ごっこの鬼? 捕まえないとどうなる? あの女の子はなんて言った?
それを理解した時、アスカの中にふつふつと湧き上がるのは、並みならぬ闘争心と無邪気に遊びたいという子供心だ。ようするに、あのリヴィエはアスカと遊びたがっている。人の心を逆なでしてまで。だったら、アスカも子供らしく付き合うまでだ。どうせ夢の世界なんだし、時間は有り余っている。少しだけ遊んでから原因を探るのも悪くない。
「上等じゃないの!! アタシを負け犬呼ばわりしたことを後悔させてやるんだから!!」
「えへへ~、こっちだよお姉ちゃ~ん!」
「こら~~、まちなさ~い! リヴィエ~~!!」
無意識にバリアジャケットを展開して、姿形も『アリサ』からアスカへと変わっていくアスカ。彼女はリヴィエを追いかけて、夢の海鳴市を駆け抜けていく。
レヴィも知らず知らずのうちに、リヴィエと同じ存在の少女を追いかけて、聖祥の小学校へと向かっていた。
不思議な少女に導かれて、同じ場所へと向かう二人の少女。いつの間にか二つの夢はひとつに交わり、同じ夢へと変わる。そのことにレヴィも、アスカも、夢を操っていた少女も気が付くことはなかった。
リヴィエの意識に導かれて、三人の少女が出会おうとしていた。
◇ ◇ ◇
「あれれ? アスりんじゃないか。どうしてボクの夢の中にいるの??」
「それはこっちのセリフよ! なんでレヴィがアタシの夢の中にいるわけ?」
不思議な気配がする神秘的な女の子。リヴィエを追いかけていたアスカとレヴィは聖祥大学付属小学校の校門の前で、偶然か何かのように出会っていた。二人が夢の世界の住人ではなく本人と認識できるのは、マテリアルとなった姿と、受け答えがいつも通りの反応だったからだ。夢の住人は反応がどこかぎこちない。誰かが記憶にある人間の皮をかぶって演じているような違和感があるのだ。幸せな夢の前では些末なのだろうが、はっきりと認識すればたやすく気が付くことができる。
「アンタ、リヴィエっていう不思議な女の子を見なかった? 背格好がこれくらいで、金色の髪に見たら忘れないような緋色と翡翠のオッドアイが特徴的なんだけど。あと、髪型がアンタと同じで黒のワンピースを着ていたわね」
アスカが身振り手振りを交えて姿や背格好を説明しながら、追いかけていた女の子を見ていないかレヴィに尋ねる。手が表す身長はアスカの胸のあたりを示したり、要点をまとめて特徴的な部分を分かりやすく伝えていた。
「う~ん? すれ違った人の中に、ボクが覚えている限りでは見てないよ? でも、ボクが追いかけてた少女は金髪で紅(あか)と翠(みどり)の眼に、背格好が聖祥の制服を着たアスカだったんだけど」
「ありゃ? 二人とも自分の夢で同じような女の子を追いかけてたわけ?」
「すごい偶然だね~~」
「アホ。偶然じゃなくて作為的と考える方が自然よ。身近な人間が夢で同じような女の子を追いかけて、しかも、見知った友人の姿をマネる女の子なんて、普通おかしいと思わない?」
「ボク、アホじゃないもん……!!」
「アンタにとって重要な部分はそっちかッ!!」
いつの間にかレヴィとバカみたいな会話のやりとりを繰り広げる二人。夢の世界でも真面目な話を奇想天外な方向へ持っていくレヴィと、それにツッコミを入れるアスカのやり取りは変わらないようだ。
その時、校舎の傍にある茂みからパキリと小枝を踏み抜くような音がした。アスカとレヴィがそちらを振り向くと、二人よりも頭一つ小さい女の子が慌てて学校の中へと逃げていく後ろ姿が見えた。髪は腰まで届かんばかりの金色に、お腹が見える白いジャケットと紫色の袴のようなズボンが特徴的だった。
「今の見たアスりん? あれがリヴィエっていう女の子? 格好がちがうよ?」
「たぶんね。背格好は夢の世界だから、いくらでも変えられるんでしょ。ところでアタシ、リヴィエに鬼ごっこの鬼にされたんだけど。今度はかくれんぼの鬼にされそうね。アンタもやる? かくれんぼ」
「へぇ、おもしろそう! やるやる~~」
「それじゃあ、作戦があるんだけど。ちょっと耳貸しなさい」
こうしてアスカとレヴィは協力して、謎の女の子を追いつめる方法を実行に移す。
◇ ◇ ◇
夢を見せていた少女は驚きと困惑で焦っていた。いつの間にか夢の制御が出来なくなっていて、逆に自分が夢の世界に取り込まれてしまっているのに気が付いた時には遅かった。いや、他にある無数の夢は制御できているのだが、特定の夢の世界を操ることができないのだ。
すなわち、マテリアルズの夢を。
しかも、夢の世界という幻惑を受けていたはずのマテリアルLとマテリアルAは、夢の世界で確固たる自我を取り戻して、あろうことか自分の元へと駆け付けてくる始末。向こうから接触してくることができないように、本体の気配を限りなく薄くしているのにも関わらず、的確に、不気味なほどに正確な位置を追いかけてくるのだ。何かに導かれているかのように。
正直に言えば会ってみたいと、夢を操る少女、ユーリ・エーベルヴァインはそう思う。
『はやて』がディアーチェとして生まれ変わったときから、紫天の書の内部で彼女と共に生きてきたユーリ。長きにわたる眠りから目覚めてから、初めてできた話し相手にして、親友のような存在がディアーチェだった。そんなユーリがディアーチェの語る大切な親友に会いたいと思わないわけがないのだ。
しかし、ユーリはディアーチェの秘密と定められた残酷な運命を知っている。ユーリは隠し事が下手だから、ついボロが出て喋ってしまうかもしれない。そう思うと不安で会う訳にもいかなかったのだ。ディアーチェは他のマテリアルに秘密を隠しておきたいようだから。
だから会わないように、こっそり隠れていた。楽しい夢を見せることで幸せそうな笑顔を浮かべるマテリアルの姿を眺めているだけで十分だったのに、今の状況はいったいどういう事だろうか?
「ここかな~~!? どこかな~~!? 出ておいで~遊びましょ~~!!」
マテリアルL。レヴィがわざとらしく大声で叫びながら、ユーリの隠れている場所に近寄ってくる。教室の清掃用具の入ったロッカーの中という典型的な場所に隠れていたユーリは、レヴィの声にびくびくしながら叫び声をあげてしまわないように、両手で口を押えていた。
もちろんレヴィのわざとらしい大声は作戦のうちだ。大声をあげることで、隠れている相手に無理やり反応させる。緊張感を煽(あお)るのだ。そうすると、鬼役が近付いてきたときに見つかるかもしれないと、精神的プレッシャーを隠れている子に与えることができる。おもわず、物音を立ててしまうような状況を作りだすのがアスカの作戦だった。
(あわわわ……どうすれば良いんでしょうか?)
ユーリの隠れているロッカーがある教室。そこを見回るレヴィの気配を感じ取りながら、かくれんぼに慣れていないユーリはドキドキしてパニックを起こしそうになる。金色の瞳が右往左往して揺れ動く。身体が震えて、背中を冷や汗が流れ落ちる。
(落ち着け、落ち着くんですユーリ。ここでなんとかやり過ごして、次の隠れ場所に移動するんです。そして、彼女たちが探すのを諦めるまで待つんです! ふぁいとです。ユーリ)
夢の世界に取り込まれ、操作ができないのでユーリは彼女たちに見つからないよう隠れるしかない。なんとか、怯える自分の心を励ましながら、頑張ろうとするユーリ。
それをレヴィは爆弾発言でぶち壊した。
「はぁ~~、なんだか、あきてきちゃったなぁ。もう、めんどくさいから教室や辺り一帯を雷刃滅殺極光斬(らいじんめっさつきょっこうざん)で吹っ飛ばしちゃおうかなぁ?」
もちろん、レヴィの言っていることは冗談である。これも、相手にプレッシャーを与えるための言動。されど、隠れているユーリには効果てき面だったようで、慌ててロッカーの中から飛び出してきた。
「それは嫌ですっ! 痛いのは嫌で、あっ……」
「あっ、リヴィエって言う女の子らしき女の子? まあいいか、見~つけた」
自分のやらかした失態に気が付くユーリだが、もう遅い。腰に手を当ててニンマリと笑うレヴィに姿を晒してしまったのだから。こういう時はどうするのかユーリは考えて……
「貴女は何も見てないです~~!!」
「ありゃ、逃げられちゃった」
とりあえず、下手すぎる言い訳をしながら、全速力で廊下へと逃げていくユーリ。
それを、不敵な笑みで見送りながら、レヴィは準備運動を始める。屈伸したり、手足をストレッチしたりして余裕満々のようだ。たぶん、手加減して追いかけても、追いつける自信があるのだろう。
事実、そのとおりである。
「まあ、スピードでボクに敵おうなんて、十万光年早いよっ! レディぃぃ、GO!!」
典型的な時間と距離の間違いをしながら、レヴィは廊下を駆けていく。
追いかける表情はとっても嬉しそうなレヴィ。逃げるユーリは焦ってあわあわしている。
「追いかけて来ないでください~~!!」
「むしろ止まらないと撃っちゃうぞ~~! バキュン! バキュ~ン!」
「ひえええ、ホントに撃ってきました~~!」
レヴィは笑いながら逃げるユーリに向けて、軽く電刃衝を放つ。右手を拳銃の形にして指先から放たれた蒼い弾丸がユーリを掠める。もちろん当てるつもりなんてない。逃げる先を誘導してるのだ。左右の曲がり角を曲がらないよう、片方を電刃衝で塞ぎ。階段を下りないよう牽制する。
ユーリは知らずのうちに屋上へと追いつめられていった。
「あはは~~たっのしい~~!! バキュン! ドッカ~ん! エターナルサンダーソード! 相手は死ぬ!!」
「私は楽しくないです~~! それに殺さないでください、死ねませんけど、痛いんですよ~~!!」
「はい、ゴールね! 捕まえた!!」
「わぷっ!」
レヴィはユーリに屋上へ続く階段へと追いつめて、塞いでいた邪魔な扉を魔法で粉砕する。
逃げるしかないユーリは当然ながら屋上へと駆け抜けるわけだが、待ち構えていたアスカによって抱きとめられてしまった。まあ、ようするに追いかけっこは終わりである。
「いや~~楽しかった~~」
「ご苦労様レヴィ。さて、リヴィエを追いつめたわけだけど……ううん?」
レヴィがとても嬉しそうな顔で笑いながら、満足したように伸びをしていた。アスカは彼女を労いながらも、抱きとめた少女が追いかけている人物と違うことに気が付いた。なんだか妙にふわふわした髪の感触がするのだ。身長もアスカが見たリヴィエより高く、アスカよりも頭一つ分低いくらいだろうか。
逃げようと両手を振り回してもがいているユーリを押さえつけながら、少しだけしゃがんで視線を合わせたアスカの瞳に映るのは、吸い込まれてしまいそうな程に美しい金色の瞳。もっとも、やり過ぎたらしく、その瞳は潤んでいて泣き出しそうだ。ちょっと罪悪感に駆られて良心が痛むアスカだった。
「ひどいです……初対面の人間にあんまりですぅ、えぐっ……でぃあーちぇの親友さんはイジワルです……」
「わ~~! わぁぁ~~!! どうしようっ、ボクが泣かせちゃったのか!? そっ、そうだ、ほ~ら、このアメをお食べ~~、水色のものに悪いものはないんだぞ~~、甘くておいしいぞ~~」
レヴィとしては追いかけっこを楽しみ、脅かすつもりで電刃衝を放っただけで、決して怖がらせたり泣かせたりするつもりはなかった。だから、レヴィにとって見知らぬ女の子が泣き出すのは望むところではない。何とかなだめようと泣き出しそうなユーリに、どこからともなく取り出した水色の棒飴で気を引こうとする。
「ありがとうございます……おいひいれぇす……」
さっきまで虐めていたような相手から素直に棒飴を受け取るユーリ。この性格からして彼女は根が悪い人間ではなく、むしろ、心優しい。優しすぎる少女であるのがわかる。
何とか泣かさずに済んだレヴィは、ほっとした様子で胸をなでおろした。さりげなく自分の分の棒飴を咥えているのが何とも言えない。
「うぅ……なんか人違いだったみたい。いきなり怖がらせてしまって、ごめんなさい」
「ボクも、ごめんよ……」
「あわわ、何だかこっちが悪い気分になりますっ! 頭を上げてください~~」
アスカもレヴィもやり過ぎたことを重く受け止めているのか、しょぼくれた様子でユーリに頭を下げた。どんよりした雰囲気を漂わせながら謝る二人の様子を見て、逆に罪悪感に駆られそうになったユーリは、長い袖に隠れてしまうような小さな手をばたつかせて頭をあげるよう必死に説得するのだった。
「ふふふ、ゆーりをよろしくね。お姉ちゃんたち」
その様子を給水塔の影から隠れて見下ろすように眺めていたリヴィエは、優しげな笑みを浮かべながら空気に溶けて消える。それに気が付いた者はいない。
三人の少女の出会いが何をもたらすのか。物語の運命は大きな転換期を迎えようとしていた。