八極拳発祥伝説   作:宝蔵院 胤舜

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陸 三皇炮捶拳

八極拳発祥伝説

 

〈八極拳開門譚〉

 

 

第一章 真壁雷蔵の段

 

 

【陸】

 

清・雍正二年(1724)春節。

江寧に着いた翌日、朝食を終えた雷蔵と韋は、旧院の街中へと出掛けた。前日の夜に知り合った董凜風は、既に部屋を出ていた。

「何だよ、協力するとか言っておきながら、勝手に行動するのかよ」

韋が欠伸を噛み殺しながら言った。

「まあ、俺達とは目的が違うからな、仕方無いさ」

雷蔵はさも当然といった顔で言うと、ゆっくりと街中を歩き始めた。

夫子廟界隈は、元宵節の余韻も抜けず、朝からお祭り気分の陽気な雰囲気であった。

「昨日の奴らの言い分では、荒らくれ共が勝手に甘鳳池を兄貴分に祀り上げている、という感じだったな」

雷蔵はゆっくりと辺りを見渡しながら言った。歓楽街、しかも花街とあっては、華やかさの皮一枚下は暴力と堕落と退廃と搾取の連鎖である。腕に覚えのある者達にとって、この街は登龍門となるのであろう。

物見遊山も兼ねて街をぶらつきながら行き交う人々に甘鳳池について尋ねてみた所、面白い事が判って来た。

昼近くになり、手近な屋台で割包(クワパオ)と茶で昼食を摂りながら、聞き集めた情報を整理した。

「何だか、随分と印象が分かれる人物だな、甘鳳池というのは」

東坡肉を挟んだ割包を頬張りつつ、韋が言った。

「確かにな。人によっては正反対の人物像だ」

雷蔵は鶏胸肉の割包を頬張っている。

「皆の話を合わせてみると、七割は粗暴で傲慢で自分勝手で徒党を組んで迷惑を掛ける嫌な奴という感じだな」

韋は茶で割包を呑み下しながら言った。

「だが残りの三割は、朗らかで面倒見が良く義侠心に富んだ孤高の好漢だと言っている」

雷蔵はそう言って割包にかぶりついた。

「いくら人の目には色々な見え方があるとはいえ、ここまで正反対の印象を与えるってのは…」

「甘鳳池が、悪玉と善玉の二人いるとしか思えないな」

韋が言いかけた言葉を、雷蔵が引き取って言った。

「だよな」韋は頷いた。「どちらかが本物で、どちらかが偽物って事だろうよ」

「悪い奴の名を騙る必要は無いからな。好漢の方が本物だと信じたいぜ」

雷蔵はそう言って割包の最後のひと口を平らげた。

「さて、これからどうしたもんかな?」

韋は指についたタレを舐めながら言った。

「噂の様子からすると、善玉よりも悪玉の方が頻繁に巷を徘徊しているようだ。とりあえずは悪玉の方から捜すとしよう」

雷蔵は屋台の椅子から立ち上がった。街は、大勢の人々が往来して賑わっている。

「この中から人捜しをするのは、骨が折れそうだなあ」

韋は溜め息混じりに言った。

「まあな」雷蔵も肩をすくめた。「だが、悪玉の方は、商店から金銭を巻き上げたり、道行く人に因縁を吹っ掛けたり、結構街中に出て来ている筈だ。それに、昨日の眉傷みたいなヤクザ者達が崇拝しているなら、俺達がこうやって聞き込みをしていれば、それが善玉でも悪玉でも、甘鳳池の耳に入るだろう」

「上手く行けば、向こうから接触して来るかも知れないか」

「そうなってくれれば手っ取り早いんだがな」

雷蔵と韋は、なるべく声高に甘鳳池の消息を尋ねて回った。花街の娼館や酒場に行き、甘鳳池を捜している事を大仰に説明した。

二人は夕方まで聞き込みに回ったが、大した成果は得られないまま宿へ帰って来た。宿には、既に董が帰って来ており、食堂の奥で食事を採っていた。

「よう、お早いお帰りで」

彼女の横に立って、韋が当てつけるように言った。董はその言葉を無視して食事を続けている。

「何か成果はあったかい?」雷蔵は優しく尋ねた。「俺達は、何だか不思議な結論に達したんだが」

雷蔵の言葉にも、董は何も返さない。雷蔵は構わず続けた。

「皆の話を聞いてみると、甘鳳池は悪党と好漢との二人がいるとしか考えられないんだ」

その言葉に董は反応を示したが、何事も無かったかのように無視を貫いた。

「何だよヘキ、随分あっさりとこっちの手の内を明かしちまうんだな」

韋がからかうように言う。

「何を言ってるんだ昌輝。俺達は、日的はどうあれ、甘鳳池を捜しているという点では同じなんだ。隠す必要など無いじゃないか」

雷蔵はあきれ顔を韋に向けて言った。

董は雷蔵の言葉にかすかに表情を歪めると、椅子から立ち上がった。

「おや、まだ晩飯が残ってるぜ」

韋にそう言われて、董は大きく溜め息をついた。

「あんた達がうるさいから、食欲が無くなったわ」

董は雷蔵達に背を向けたまま、噛み締めた歯の間から声を絞り出した。

「あいつが好漢だなんて、有り得ない。絶対信じない」

そう呟くと、そのまま階上の部屋へ上がって行ってしまった。

「やれやれ、大丈夫かな。かなり心が憎しみで凝り固まってしまっているなぁ」

韋が肩をすくめて言うと、董が座っていた椅子に腰掛けた。椅子にはまだ彼女の温もりが残っていた。

「分かっていて挑発するような言い様をする、お前の気が知れないね」

雷蔵は韋を斜(はす)に見ながら言うと、店の給侍の娘に声を掛けた。

「すまん、ここに二人分飯をくれ。それで、今この卓上に残っている分を、包んで董の部屋に持って行ってやってくれ。酒も一本つけてな」

 

夜が明けると、やはり董は早くから宿を出ていた。

「なあ昌輝、俺、ちょっと閃いた事があるんだ」

朝粥を食べながら、雷蔵が口を開いた。

「何だよヘキ」

「甘鳳池は、善玉にしろ悪玉にしろ、豪の者だ。そんな奴は、酒が欠かせない筈だ。飯屋や酒場だけじゃなく、酒屋にも頻繁に出入りしているんじゃないか、と思ってな」

「ハハッ!」韋は思わず吹き出した。「随分と短絡的な考えだなあ」

「そうか?結構良い所を衝いたと思ったんだがなあ」

「いや、でも案外当を得ているかも知れないな」

「だろ?だから今日は、花街辺りの酒屋を中心に捜してみようぜ」

「お前、良さそうな酒を物色したいだけじゃ無いだろうな?」

韋が疑わしげな目付きで言った。

「勿論だ。美味い酒を探すのは、二の次だ」

雷蔵は明るい笑顔で言った。

二人は花街へ出ると、酒屋を回り始めた。

「ああ、甘のだんななら、ウチの常連だ」

五軒目の、白酒を扱っている酒屋の主人がそう答えた。

「そうか。甘はいつもいつ頃来るんだ?」

韋の問いに、主人は笑った。

「別に決まっちゃいねえよ。酒が切れたら来てくれるのさ。今日も、つい先刻来てたぜ」

「何だと?」

「甘はどっちへ行った?」

韋と雷蔵は思わず身を乗り出した。

「さあな。まあ、いつもは買った酒を、夫子廟で一杯引っ掛けるらしいがな」

「そうかい、ありがとう」

そう言って廟へ向かって走り出そうとした二人に、主人が言った。

「今日は人捜しに縁のある日だな」

「どういう事だい?」

雷蔵は振り向いた。

「ちょっと前に、旅姿の美人も、甘の事を尋ねて来てな。その後を追うみたいに、四人組のごろつきがその女の事を尋ねていったぞ」

「董もここへ辿り着いたんだな」

韋も振り向いた。

「後のごろつきは、偽物の取り巻きかも知れんな」

雷蔵はそう言うと、主人への礼もそこそこに走り出した。

二人が夫子廟の前までやって来ると、折しも四人組のごろつきが、董を取り囲んでいる所だった。

「おい女、お前、甘の兄貴を捜して回ってるそうじゃねえか」

ごろつきの頭目らしき男が居丈高に言った。

「兄貴に何の用だ?」

その弟分のような男も獰猛な態度で言う。

「あんたらの兄貴分は、私の夫の仇なの。知ってるなら、居場所を教えなさい」

董も負けずに言い返した。

「仲々威勢の良い女だが、仇討ちと言われちゃあ、すんなりと会わせる訳にはいかねえな」

「邪魔はしないで」

ごろつきの言葉に、董は構えながら言った。

「あいつ、四人相手にやろうってのか?」

韋は野次馬の人垣の後ろから中を伺い見て言った。

「何でそんな無茶な事を」

雷蔵は言いつつ、人垣を掻き分けて中へ向かっていった。

そんな喧騒の場に、野太い声が響いた。

「おい、俺を呼んだか?」

その場が一瞬静まり返った。声の主は、廟の門の下に立っていた。七尺に近い大男である。

「誰だお前は?」

ごろつきが鋭い目でその男を睨みつけた。

「お前らが俺の名を呼んでいたんだろうが」

その言葉に、董とごろつき達はまじまじと男を見た。

その様子に、ようやく人垣の中心までやって来た雷蔵と韋も異変を感じた。

董は、構えも忘れて男を見ていた。ごろつき達も、不信感を顕わにして男を見た。

「違う…」

董とごろつき達の口から、期せずして同じ言葉が漏れた。

「悪いが、お前が捜している『甘鳳池』ってのは、俺だぜ」

男は、董に向かって胸を張って言った。

「ふざけるな!似ても似つかねえじゃねぇか。兄貴の名を騙るとは、ふざけた奴だ。二度とそんな口を聞けないようにしてやるぜ」

ごろつき達は向きを変え、甘を扇状に囲んだ。甘は、まだ門から出ていない。

甘は、小指で耳を掻きながら一人言のように言った。

「最近、悪ふざけが目に余るからな。一丁揉んでやるか」

甘は一歩足を踏み出した。山が動き出したかのような威圧感に、ごろつき達が思わず引く。

「どうした?ふざけた口を聞けなくするんじゃなかったのか?」

甘は鼻で笑った。甘は両足を肩巾に取り、自然に立っているだけなのだが、巨躯というだけではない圧力がその身の内から膨れ上がっており、迂闊に手が出せない空気を全身に纏わせていた。

思わず顔を見合わせるごろつき達に、甘が吼えた。

「先刻のご託はどうした?掛かって来い!」

その声に頭目と弟分とはビクリとしつつも何とか堪えたが、両脇の二人は体が反応してしまった。二人は間合いの外からほぼ同時に打ち込んで来た。

甘は左側の男を無視して自分の右側に踏み込むと、相手の突きを右手で引き込みつつ左拳で顔面を突き抜いた(※1)。相手は人垣まで吹っ飛んだ。甘はそのまま素早く振り返り左手刀で左側の男の突きを弾き飛ばし(※2)、腕全体での劈手の三連打を放った(※3)。男は地面に叩きつけられて気絶した。その動きは遅滞無く、その技は容赦無く、その威力は強大だった。

「見事な功夫(クンフー)だ」

雷蔵は思わず呟いた。

甘は劈手を打ち終えた形のまま、残った二人に向き直った。二人のごろつきは一瞬腰が引けたが、何とか持ち直した。

「ふざけんなテメエ!」

弟分が動くのに合わせて甘も動いた。弟分の顔面への突きを避ける動きで体を入れ換え、右の突きを弟分の顎に入れた(※4)。頭が縦に揺れ、弟分はばったりと倒れた。

「すげえな。死んだんじゃねえか、あいつ」

思わず韋が口走るほど、その打撃は凄まじかった。

一人残った頭目は、倒れた三人を見て、甘に視線を戻した。その目には後悔の色が浮かんでいた。

「悪いが、今さら逃がしてやろうなんて思わないぜ」

甘は、口角を上げた。

頭目は破れかぶれで突進した。甘はその突きを右腕でいなし、半歩踏み込んで右肘を鳩尾に入れた(※5)。頭目は大きく吹っ飛んだ。

全ての技が「不躱不閃(ふだふせん)」「攻守兼備(こうしゅけんび)」の術理に敵った隙の無いものであった。

甘は息も切らせずに董を見た。董はまだ立ち尽くしたまま動かない。その横へ、雷蔵と韋が立った。

「ねえちゃん、俺はあんたに恨みを買われる覚えはねえぜ」

甘は存外に優しい声で言った。

「甘鳳池殿、俺は真壁雷蔵と申す。訳あってこの者、董の介添えをしている。甘殿は、二年前に河北冀県で燕青拳の使い手と手合わせをしなかったか?」

今だに凍りついている董を庇いつつ、雷蔵が甘に問うた。

「二年前ってのは、康煕帝の六十年だな。俺は、四十四年に黄百家老師の薦めで大嵐山の一念和尚について少林拳を学び、その後冀県の普照について三皇炮捶拳を学んだ。普照老師の元を出たのが五十九年の正月で、それ以来冀県には帰っていない」

甘は、記憶をたぐり寄せるように中空を見上げた。

「やはりそうか」

雷蔵は溜め息混じりに言った。

「じゃあ、誰なの?」

董は小さな声で呟くように言ったが、すぐに叫ぶように吐き捨てた。

「私の夫、于俊熙を殺したのは誰なのよ!」

董は地面に膝を折り、顔を覆ってむせび泣いた。仇と思って追っていた相手が別人だと判り、気が動転したのだろう。

「そうか、あんた、于俊熙の奥さんか。冀県の燕青拳家が倒され、相手が俺の名を騙ったってのは、喬三秀兄者(※6)から聞いてはいたんだ。気の毒になあ」

甘は董の横に膝をついて、慰めるように言った。

「なあ、甘殿。俺は、あんたに教えを乞いに来たんだが、今はこの状況を何とかせねばなるまい。あんたの偽者を見つけ出して、この事態を治めなければならんと思うが、どうだ?」

雷蔵は、甘を正面から見据えて言った。

「そうだな。俺としては、あまり表立って動くのが嫌で、適当に誤魔化して過ごして来たが、そうも言ってはいられないようだな。俺も、俺の偽者捜しに加えさせて貰うよ」

甘はそう言って立ち上がった。

改めて見ると、五尺六寸の雷蔵の頭二つ以上背が高い。

「凄え体だな」

韋が甘を見上げて言った。

「デカいだけの木偶の棒さ」

「木偶にはとても見えないね。相当な手練れと見た」雷蔵は笑って言った。「あんたが付いてくれれば百人力だ。よろしく頼むぜ、甘殿」

雷蔵の言葉に、甘は大きく頷いた。

 

 

20200306

 

 

註 :

 

※1 三皇炮捶拳 上歩右抓虎から左十字捶

※2 三皇炮捶拳 翻身摔掌

※3 三皇炮捶拳 開山炮

※4 三皇炮捶拳 右開弓

※5 三皇炮捶拳 側身掩肘から弓歩頂心肘

※6 喬三秀 甘鳳池の兄弟子で、三皇炮捶拳の伝承者

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