私は、指揮官が好きだ。
この感情がいったい何時から芽生えたのか、正確にはよく分からない。
最初の出会いは、私の所属する支部に彼が新任指揮官として着任した時、だったと思う。この支部は安全な内地、とは言えないまでも、最前線と言うほどでもない、言ってしまえば程よい安全と治安、そしてそれなりの仕事が約束された、無味無臭な支部だった。
ここには既に何人かの指揮官が存在していたが、今回の人事は彼の経験のためと聞かされた。つまり、この支部で指揮官としての経験をある程度積めば、内地なり前線なりへ異動辞令が下されるのだろう。そのための下積み。私は特に思うところもなく、その説明を受けて「そうなのか」と感じるだけに留まった。
新任指揮官である彼は、戦術人形の私から見ても少々ばかり異様に感じられた。今までの指揮官と言えば、本当にこの人に務まるのだろうかと不安に思うほど若者か、明らかに前線で指揮を振るう辣腕には成り得ないだろうなと思うほどの老齢か、デスクワークがお似合いの、むしろそれ以外出来ないんじゃないかと思えるほどの後ろ向きな者かのいずれかだった。でも彼は、そのどれとも違っていた。
若い、と言えば若いのだろう。短く刈り揃えられた黒髪、程ほどに焼けた肌からは活発さが容易に見て取れたし、一方で幼稚だと一蹴出来る程の幼さは持ち得ていない。肌の下、日々鍛えられているであろう肉体からはデスクワークなどとは凡そ不釣合いな印象を否応なしに受けた。やや釣り目がちの双眸からは、無鉄砲でも猪突猛進でもない、だがはっきりと前に進む意志が感じ取れた。
戦う人だ。そして、戦うためにグリフィンに来た人なのだと、その時の私は結論付けた。
断じて一目惚れなどではないと断言出来るが、じゃあどのタイミングで彼に好意を寄せるようになったのかと問われれば、回答は少し難しい。それくらいには、いつの間にか彼の姿を目で追い、彼の言葉に耳を傾けるようになっていた。
着任の挨拶を受けた翌日、私は彼の指揮下に配属された。
この支部における私の立ち位置というのは、一言で言ってしまえば中堅だ。優秀な電脳を持ち、最適化工程も進んでいる第一部隊や第二部隊には敵いっこないけれど、かといって製造されたての新人やちょっと訓練や実戦を嗜んだ程度の若手に負ける気もしない。
つまり、新人である彼のお世話役としては適任であった訳だ。別に不満はなかったし、私は私の役目を全う出来れば別に所属はどこでもよかったから、その辞令を素直に受け入れた。少しばかり、今までと毛色の違う指揮官がどういう采配を取るのか、興味がなかったといえば嘘にはなるが。
彼の戦闘での采配は、普通だった。良く言えば堅実。悪く言えば面白みがない。無論、戦術人形とは言え命のやり取りの場である戦場で面白みも何もあったもんじゃないだろうとは言えるが、彼は奇策を用いなかった。それが彼の信条によるものなのか、単純な得手不得手の問題なのかは分からないままだったが。
でも、普通で堅実な指揮ではあったけれども、優秀ではあった。敵性戦力の分析と事前調査はしっかりと行っていたし、その戦力に対して理に適った作戦と人員を投入した。私自身負傷することはあっても、敗走することはなかった。それは彼が優れていたとも言えるし、彼の手に負えない程の任務が降りてこなかったとも言えた。
先述した通り、私は彼の指揮下で明確に作戦を失敗したことはないけれど、何度か負傷して帰還したことはある。2体いるダミーを全部喪って、ギリギリの勝利をもぎ取ったこともある。そんな姿を見た今までの指揮官は、おろおろと心配してきたり、次から気を付けるようにと軽く窘められたり、事務的にメンテナンス装置へ優先的に回されたりと、様々ではあったが、彼はそのどれともまた違っていた。
「ポイントβからの移動に少し、もたついてしまったな。お前も義体をもっと上手く制御出来るように訓練しないとな。今思えば俺の指示も遅かったし、まあ、お互い様か」
ある作戦を終えた後、小さくない損傷を負って支部に帰還した私を見ての言葉だった。多分、強いて言えばこの時から始まったのだと思う。
この人は、私たち戦術人形のことを正しく捉えてくれていた。見た目が人間とそっくりで、擬似感情モジュールなんかがあるものだから、誰も彼もその扱いには苦労していたように思えた。過剰に心配をされたり、逆に完全に兵器として一線を引かれていたり、腫れ物に触れるかのように扱われたり、そういうのがなかった。私たちを感情を持った兵器として、でも人間とは違ったものとしてはっきりと認識していた。
その上で彼は、私たちをより高みへと育て、そして自身もより高みに昇ろうとしていた。きっと、私はそれが嬉しかったのだと思う。ただの画一的な兵器としての扱われ方とも、人間もどきとしての扱われ方とも違った、戦術人形としての扱われ方。今思えば、この時に今の感情が芽生えた気がしないでもないが、はっきりとした確証は得られない。こんなことは日常茶飯事であったし、いつどのタイミングで、という明確な区切りはどれだけログを遡っても得られることがなかった。
大体そのくらいの時期から私は、訓練に割く時間が少しずつ多くなっていった。
もっと強くなりたい。もっと動けるようになりたい。もっと自身の価値を証明したい。
もっと、彼の役に立ちたい。
今まで内側にしか向かなかった気持ちが、いつの間にか彼という外側に向くようになっていた。
それからは、まあ、普段通りの日常に少しばかり彩りがついたようにも思う。自分で言うのもなんだけれど、そこまで肥大化した感情ではなかったから、何となしに浮ついたような、それでいて不愉快ではないような面映い心持ちな日々が続いていた。
他の戦術人形に相談したこともある。相談、というよりただ私の電脳が弾き出した言葉の羅列を聞いてもらっただけ、とも言えるけれども。
反応はそれこそ様々だった。「ふーん」と特に興味無さそうにスルーした子も居れば、「私もなのよ」と同意を示してくれた子も居るし、「青春だねえ」と、一定の理解を示しながらも外野を決め込む子も居た。
別に私は彼を独り占めしたかった訳ではないから、嫉妬だとかいう感情は湧かなかった。むしろ、私と同じ気持ちの子も居るんだな、と仲間意識のようなものが芽生えたりもした。
「今度新設される支部への異動が決まった。この支部とも、もうすぐお別れだな」
いつも通りの日々。いつも通りの司令室。いつも通りの朝礼が行われているその場で、突如彼からの報せが降りた。
私も含め、幾ばくかの驚きを抱えた子は多くあったものの、取り乱すような子は居なかった。
最初から分かっていたことだ。彼は経験を積むためにこの支部に配属されただけであって、ここに腰を据える人ではなかった。その時期が、今やってきたというだけ。突然だな、という気持ちはないわけではなかったが、会社からの辞令なんてそんなものだろうと、彼が着任した翌日にいきなり配置換えを告げられた過去を思い出しながら、ぼんやりと考えていた。
ついていきたい、という気持ちはあった。あったけれど、それを面と向かって言えるほどの度胸も、実力も、踏ん切りも、感情も私にはなかった。つかなかった。
彼のことは好いているし、これからも一緒に居たい。それは嘘偽りのない感情だった。だけど私はその我を通すほど我侭じゃなかったし、通せるほどの立場でもない。私はこの支部では中堅どころだ。それは戦力の中心として成立しているほど立派なものではなかったし、逆に言えば、この支部にとって簡単に切って捨てられる程の用無しでもなかった。
「餞別ってわけじゃないだろうが、この支部から数人分、持って行っても構わないと聞いている。無論、戦術人形との同意が大前提だけどな。まあ、俺が行く場所も新設だからある程度動ける初期戦力がないと、どうしようもないってのはお上も分かっているんだろう。今この場で決める必要はないが……」
はい。
いつの間にか、私は発声とともに手を挙げていた。
びっくりした。自分が自分にびっくりした。今掘り返してみても、当時のログにはほとんど何も残っていない。ほぼ空白だった。何を感じ、何を思ってこの行動に及んだのか、その筋道がちっとも残っていなかった。つい先程まで、そこまでの感情はないだとか、実力も度胸もないだとか、それを言える立場でもないだとか、ごちゃごちゃと考えていた履歴が綺麗さっぱり白で上書きされていた。衝動的に、というのは正にこういう事態を指すのだろう。まさか人間ではない、戦術人形である私がそれを実行することになるとは、正しく夢にも思わなかったけれども。
突然の挙手に、場が固まった。当然だろうな、と思う。手を挙げた私自身が固まっていたのだから。挙手の姿勢のまま視線だけを彼に動かすと、彼もその釣り目がちな強気な目をぱちくりとさせて、固まっていた。おお、そんな可愛い一面もあるのか、と、一見強面にも見える彼の表情を興味深く観察し、今でも電脳内の画像記録として大事に保管しているのは、私だけの秘密だ。
「……ふっ。くっくっく。……分かった。じゃあ、一緒に来てくれるか」
そんな沈黙の中、私と視線を合わせた彼が少々の笑いを漏らした後に、言ってくれた。
「イングラム」
はい。
呼びかけられた私はその手を下ろし、今度ははっきりと彼の目を見据えて、答えを返した。
私は、指揮官が好きだ。
この感情がいったい何時から芽生えたのか、正確にはよく分からない。
でも、新しい土地で彼の隣に立ち、新しい仲間とともに戦場に立ち、主戦力としての立場に立つことになった今でも、その気持ちは変わっていない。もし、もしも私の我侭が叶うのであれば、これからもその気持ちが変わらず、そしてこの気持ちを向ける相手がずっと傍に居てくれることを願っている。
私は、指揮官が好きだ。
ヤマもオチもない文章ってたまに書きたくなりません? 私はなる。