未確認生物から女の子を守った結果――   作:対魔忍佐々木小次郎

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第一話

 リノリウムに似た感触の通路を駆ける。

 きゅ、きゅっと独特な音が白い壁面に反射し、荒い呼吸音と混じった。

 

「はっ……! はっ……! 早くっ……!!」

「待って、うまく動けな……っ!」

 

 手を引く彼女の足取りは拙く歩き始めの赤ん坊のよう。

 無理やり背負えば、お湯を被ったような高熱が背中を焼く。

 僅かに上がった速度。はち切れそうになる心臓と肺。

 苦しいと悲鳴をあげる身体を無視して、背中の彼女を絶対に落とすまいと腕に力を込めた。

 速く、もっと速く走らなければ──。

 

「追え、絶対に逃がすな!!!」

 

 怒号が背中に突き刺さり複数の足音が打ち鳴らされる。

 心臓がぎゅうっと縮こまると同時、視界に入った細道へ飛び込んだ。

 

 もう追ってきた、まずいまずいまずい! 

 頭の裏側でガンガンと警鐘が盛大に鳴り響く。

 追いつかれるとどうなるか正確に認識しているが故に、もしもを考えると脚が竦んで動けなくなってしまいそうで。

 

「私を……はっ、ぁ、置いて……行って……」

「だから……! そんな事出来るわけないだろ……!?」

 

 彼女の弱々しげな声が、そんな弱音を吹き飛ばす。

 気合いを入れろ。根性を見せろ! 

 お前が諦めれば彼女は死ぬぞ!! 

 

 前に踏み出し続ける脚。酷使し過ぎたせいか引き攣り始めたような気がする筋肉。

 状況を打破するために高速で回転する頭の裏側で、全く別のことを考えた。

 

 ああ、そういえば、どうしてこうなったんだっけ──。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 星の綺麗な夜だった。

 少し冷えた風が肌を撫で、さわさわと草木が身を震わせる。水たまりに映る空はさざめき、散りばめられた星々が唄う。

 

「よっこらしょっと」

 

 簡易椅子に腰をおろしてテキパキと組み立てるのは天体望遠鏡。

 始めは拙くて教えてくれた人に笑われたそれも、今ではだいぶ様になっているのではなかろうか。

 昨日までの雨もカラッと上がり雲ひとつない絶好の観測日和。

 今のご時世、人口的な明かりのない場所はほぼないが、少ない場所ならいくつかある。

 そのうちのひとつ、ウチの近くの裏山に登って星を見るのが趣味のひとつだ。

 

 バイト代を貯めて買った天体望遠鏡を覗き込みながらくりくりと倍率をいじってやれば、ぼやけ滲んでいた星々がその美しさを取り戻す。

 満天の星空を見上げるのもいいけれど、こうやってひとつひとつじっくり見ていくのも趣がある。

 いつもならそうやって星を観測していたが、この日は少し違った。

 

「……んぁ、なんだあれ」

 

 一瞬夜空のキャンパスに瞬いた赤い光。

 気になってそこに焦点を当ててみる。

 何もない。そこには普段と変わらぬ光景が広がっていて──違和感。

 

「ん?」

 

 いつも見えていた星が見えない。

 何故だろう、と疑問に思って、何か大きなもので遮られているからだとすぐに気がつく。

 人工衛星ではない。もっと大きなもの……それか、もっと近いもの。

 はっと顔を上げれば、それは既に肉眼で視認できる程に接近していた。

 

 Q.何故か。この状況を説明せよ。

 

 A.隕石か何かがこっちに墜ちてきてるからです。

 

「うおおおおおおッ!!!?」

 

 それを理解した瞬間、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり宝物の天体望遠鏡を放り捨てて駆け出した。

 

 目測直径1.5メートル。

 時速はわからないけど多分凄く速い。

 

 地表に限りなく近いた状態で1.5メートルだ。直径10メートルの隕石が衝突すれば半径数キロに渡ってクレーターが出来るというのだから、単純にその十分の一と考えても間違いなく巻き込まれる位置関係。

 空中で摩擦熱により爆発しても、地表に衝突しても命の保証はない。

 

「やばいやばいやばいッ!!」

 

 草を踏みつけ、木の根を飛び越え、転げ落ちるように山を下る。

 文字通り命懸けの疾駆。間違いなく人生で一番速く走った。走ったんだが、根本的な速度差はどうしようもなく。

 

 空から飛来したナニカが木々をなぎ倒しながら頭上を通過し裏山に墜落した。

 

「づ──────っ!!」

 

 間近でダイナマイトが爆発したかのような衝撃。遅れて落雷が100発まとめて落ちたかと錯覚するほどの轟音が辺り一帯をビリビリと震わせる。

 木々を根っこから吹き飛ばす破壊の様を薄眼に確認──直後、爆風にあおられて身体が浮き上がった。

 

 身体の中身がひっくり返るような浮遊感。

 ぎゅっと瞑っていた瞼を持ち上げれば、眼下には円形にくり抜かれたような裏山の一部とその中心にある球状のナニカ。

 

 あれ、あの大きさの隕石にしては被害が小さすぎるな……と現実逃避染みた思考が頭をよぎった瞬間、存在を思い出したように重力が身体を引っ張った。

 強烈な嘔吐感に気持ち悪いと思う暇もなく、グシャリ、と耳障りな音を立て潰れる身体。

 一度小さくバウンドしてゴロゴロとクレーターの淵まで転がり、そのままなだらかな斜面を転げ落ちた。

 

 人間にはある一定量の痛みをシャットアウトする機能があるという。

 それは失神だったり、脳が麻痺して痛覚を伝えられなかったり。

 なら、意識はあるけど痛みは感じない自分は後者なのかな、と驚くほど呑気に考えた。

 もしかしたら、幽体離脱というやつだったのかもしれない。

 兎も角、俺は自分の身体がどうしようもなく終わってしまっている事を事実として正確に認識していた。

 

 呆気なかったなあ、と思う。

 死神は気まぐれで、ある日突然目の前に現れる。

()()()()()()()()()()()、本当に死ぬとなると思うこともある。

 

 ──生きたい。

 

 もっと生きたい。

 美味しいものを食べたい。心地よいものに触れたい。綺麗なものだって見たいし、良いにおいも嗅ぎたい。

 漫画の続きもきになるし、友だちとの約束だってある。来月公開の映画も楽しみだし、もっと遊びたかった。

 勉強して、卒業して、就職して働いて、心から大切に思える人と出会っていつかは……結婚もして。

 愛する人に添い遂げて沢山の子どもや孫に囲まれて死ぬ……そんな未来だって想像した。

 やっと手に入れた人並みの人生を、もっともっと、生きたかった。

 

 ──ただ、どうせ死ぬのなら。

 誰かのためにこの命を使って、誰かの笑顔を守って。このために生きてたんだって胸を張れる、そんな死に方をしたかった。

 

 ああ、でも。最期の最期にそんな事を思うのは。

 俺は、本当は──。

 

「────────!」

 

 ……? 

 声、だろうか。

 とても綺麗な音が聞こえた気がした。

 なんだろう、と首を向けようとしてピクリとも動かない首に内心舌打ちをする。

 

「────────!」

 

 草木のざわめきや虫の鳴き声とは明らかに違う音。

 ただ、聞き取れない。何かの目的を持った音の配列だとは思うが記憶の隅にも引っかからない。

 

「────────!」

 

 ああ、くそう、見たい。

 この美しい音色を奏でるのがなんなのか、どうしても知りたい。

 そんな俺の願いが通じたのか、ほんの僅か、ゆっくりと首の筋肉が収縮する。

 そして、微かに視界の端でそれを捉えた。

 

「……ぁ」

 

 こぽり、と血の混じった肉声。

 感嘆と漏れ出た声は囁きよりもなお小さく、もしかしたら気のせいかもしれない。

 でも。

 俺がこの時見た光景はきっと現実だ。

 

 星の光を吸い込んだような淡い金の髪に突き出た二本のツノ。

 剥き出しの肘から先を覆うように細やかな鱗のようなモノが光沢を放ち、臀部からは太めの尻尾がふりふりと揺れる。

 こちらを覗き込む縦に裂けた瞳が戸惑いに震えた気がした。

 月光を纏う全身に儚さを感じた。

 

「────」

 

 その姿に心を奪われた。

 生まれて初めて、こんなにも美しいものを見たとさえ思った。

 

 暗澹とする視界。

 意識が断線し世界に魂が虚ろう。

 

「────────!」

 

 最期にまた聞こえた美しい音色に、ああ、やっぱりと納得して。

 この日この時この場所で、俺はその生涯を終えた──

 

 

 

 

 ──はずだったのだけれど。

 

『ねえ、今日はこれにしない? 牛肉コロッケ』

「無理。予算オーバー」

『なによ、ケチ! いいじゃない、最近はパスタばっかりだったんだし!』

「ほう……? パスタばっかりになったのは何故かお忘れで?」

『うっ。わ、悪かったわよ……ってあれは謝ったじゃない! アンタも楽しんでたんだからおあいこよっ』

「ぐっ。それを言われると弱い」

 

 言いつつ、ミンチ200グラムを買い物カゴの中に入れる。

 最近のパスタ生活のかいあって、実のところ余裕はあったりするのだ。

 歓声を上げる彼女に現金だなあと内心で嘆息しつつ、まあどうせ食べるのは俺だしと苦笑い。

 

『むっ。ちょっと今私の事ちょろいって思ったでしょ』

「思ってねーよ。素直で可愛いなあって思ったよ」

『どーだか。隠し事は出来ないんだから素直に白状なさい』

「あ、今ちょっと嬉しいって思った?」

『思ってないッ! 適当言わないでくれる!?』

「隠し事は出来ないんだから素直になれば?」

『こ、こいつぅー!?』

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼女を半分無視しつつ、会計を済ませてお店を出る。

 眩しさに手を翳せば、元気に紫外線を撒き散らす太陽が今日も容赦なく輝いていた。

 

 ──一年前のあの日、星がよく見える夜の裏山で確かに俺は死んだ。

 突如飛来した隕石のようなナニカ。

 それの衝突による衝撃によって俺の身体は破壊され、一生を終えた筈だった。

 

 だけど、俺はこうして今日も生きている。

 

『あっ。ねえねえ、あのかき氷って前に言ってたやつでしょ? 食べたいっ!』

「あー、だいぶ暑くなってきたからそろそろ食べたくなってくるな」

『そうそう! 去年は食べられなかったしね!』

「でも諦めて。牛肉コロッケを買ってしまったので本当に予算超過です」

『ちぇー、仕方ないか……』

「……かき氷機は持ってるから、もう少ししたら作るか。今度シロップを買いに行こう」

『本当!? やったー! ありがとう!!』

 

 つくづく俺は彼女に甘いなあ、と風にはためく三文字の暖簾を恨めしく見つめた。

 来月も彼女の興味関心を満たすためにお金が消えそうだが、彼女の楽しそうな様子を感じているだけで幸せだと思うあたり、俺もだいぶ毒されているのかもしれない。

 

「ねえ、ママ。あれ……」

「しっ! 見ちゃいけませんっ」

 

 ヒソヒソとした話し声。

 何となく気になってくるりと振り向けば、小学生ぐらいの子どもとその母親らしき人がバツの悪そうに早足に離れていく。

 手を振る子どもに手を振り返して、そのまま指で小さく頰を書いた。

 

「……もしかして声に出てた?」

『出てたわよ。いい加減慣れなさいよ』

 

 彼女に尋ねれば、はんっ、と鼻で笑わんばかりの返事。

 ああ、わかる、これは呆れている感情だ。間違いない。

 

「そうは言っても、この感覚には慣れそうにないな……」

『私からしたらどうして出来ないのか分からないんだけどね』

「そりゃあ、お前の力なんだもの。俺からすれば魚に肺呼吸しろって言ってるようなもんだ」

『言い過ぎ。別に絶対にできない事ってわけじゃないでしょう』

「それぐらい難しいってニュアンスだよ」

 

 太陽を背に再び歩き出す。

 会話は直ぐに取り止めのない話題へ移り、緩やかな時間に身を委ねる昼下がり。

 

 ──前に伸びる影はひとつだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 少しだけ昔の話をしようと思う。

 昔といってもほんの一年前だが、記憶に鮮烈に焼きついた一年前のお話。

 

『目が覚めましたか』

 

 意識を取り戻した俺が最初に感じたのはそんな声……いや、文字だった。

 頭に直接文字を刻み込まれる様な違和感。

 妙な気持ち悪さにお腹のあたりを押さえて、生きている事に驚いた。

 

『聞こえていないはずはないでしょう。返事をしなさい』

「うわあ!?」

 

 意識を圧迫する様な……声に例えるなら、耳元で大きな声を出された感じ。

 突然耳元で声を出されたら普通は驚くし、似たような感覚なのだから当然俺も驚いた。

 

「えっ!? なにっ!? だれ!? ここどこ!? あっ俺の部屋か! なんで!? 何で生きてるの!?」

『落ち着きなさい。いいですか、今から説明するので落ち着いて……』

「気持ち悪ぅ! おえっ、何これ凄く気持ち悪い!!」

『私が気持ち悪いみたいに言うのはやめなさい』

 

 頭に刻み込まれる文字にどこかねめつけるような感情が乗る。

 俺はそれに気がつく余裕はなくて、兎に角お腹の奥から込み上げる気持ち悪さと状況が分からない困惑で精一杯だった。

 だって、裏山で死んだと思ったら生きてて、いつの間にか自分の家にいるんだぜ? しかも、頭の中に誰かがいる。

 気が狂ったのかと思った。これで取り乱さない方がおかしい。

 

『落 ち 着 き な さ い』

 

 うっ。

 このままでは拉致があかないと判断したのか、今までで一番の圧迫感が頭を襲う。

 思わずこみ上げた吐き気に口を片手で覆った。

 

 感情を強制的に一方向に収束される。

 そのおかげかだいぶ冷静になったけれど、代わりに強烈な嘔吐感。

 耐えきれず横隔膜が震えるも、胃の中に何もないのか食道が縮むだけだった。

 

『……先程よりは冷静になったようですね』

「気持ち悪い……」

『時期に慣れます。……貴方にしても、体調をおしてでも知りたい事は多いのでは?』

 

 頭にガツンと文字を刻まれ強制的に理解させられるようなこの感覚は耐え難いが、確かに俺には知りたい事が多すぎた。

 だから、俺は頭の中の誰かの話を聞くことを選んだ。

 

『……では、貴方の身に何が起こったのかを説明します』

 

 ──まずは謝罪を。

 その言葉で口火を切った頭の中の誰かの話は、普通なら到底信じられないようなものだった。

 

 俺と頭の中の誰か──彼女に起こった事を一言で纏めるのなら、不幸な事故という表現がぴったり当てはまる。

 

 地球近辺でエンジントラブルを起こした彼女の小型船は狙い澄ましたように小惑星と衝突。

 そのまま制御不能状態に陥ったまま大気圏に突入し、ほぼ墜落に近い着地をした場所にたまたま俺がいた。

 これがあの夜の全貌。

 俺が隕石だと思ったのは彼女の小型船で、彼女は宇宙人だったのだ。

 

 ……いや、信じられないのは分かる。

 多分俺もいきなりこんな話をされたらノータイムで作り話認定をすると思う。

 でも、紛れもなくそれは真実であり現実だった。

 

 では、宇宙人である彼女はなぜ地球に来たのか。

 

『私はこの星を調査するために来ました』

 

 彼女の星では異星間交流が盛んだという。

 そして、新たに知的生命体が確認された地球の文明レベルや、友好関係になれるかどうかを調べるために派遣されてきたのが彼女。

 また、その際に彼女には絶対に破ってはいけない規則があった。

 

 ──その星の知的生命体を殺してはならない。

 

 もともと友好関係を結ぶためなのだから、当たり前といえば当たり前。

 ただ、不幸が重なり彼女は地球に降り立つ際に俺という地球の知的生命体を殺めてしまった。

 派手な着地をしてしまったためにそう遠くないうちに人が集まるのは必至。

 小型船を移動させなければならないが死体も残れば大きな騒ぎになり、焦った彼女はあるひとつの方法を思いつく。

 

『正確に言えば貴方は死んだのではなく瀕死状態。とは言え、何もしなければ数秒のうちに死んでしまう……。なので、私と融合する事により貴方の命を繋ぎました』

 

 彼女の星の種族は身体を変異させる事ができるという。

 例えば手足を刃物に変えたり。例えば背中から翼を生やしたり。

 その能力の応用で、壊れてしまった俺の身体を彼女の身体でまかなっている。

 一心同体。俺と彼女の状況を簡単に言えばこんなところだろうか。

 

 壊れてしまった俺の身体は彼女が再生してくれるらしい。

 ただ、多種族の組織の再生は難しいらしく、彼女の母星の医療設備があれば簡単にできるが彼女の独力では年単位の時間が必要とのこと。

 それまでは融合し続けなければならない。

 

『貴方からすれば私は疫病神のようなものでしょう。ですが、私は貴方の助力がなければ任務を果たせない。……どうか、協力してほしい』

 

 頭に刻まれる文字とは別に、躊躇いのような感情を感じ取る。

 ついさっきも感じた。これは彼女の感情だろうか。

 融合の影響……もしかしたら、お互いの感情が伝わっているのかもしれない。

 

「分かった。俺でよければ協力する」

 

 特に悩むこともなかった。

 気負いなく答えた俺が信じられなかったのか、困惑に似た感情が伝わってくる。

 

『……本当にいいのですか? 私は貴方を殺して……それに、人間でもないし、得体の知れないものに勝手に身体を』

「まあ、そうだな。話の通りなら貴女が来なければ俺は瀕死にならなかったし、宇宙人にも会わなかったし、こうして奇妙な事になってなっかたのかもしれない」

 

 何事もなく裏山で天体観測をして、何事もなく家に帰って、何事もなく明日を迎える。

 きっと、そんな日常が続いてだろう。

 

 でも、それはたらればの話だ。

 

 もしかしたらあの日裏山を降りる途中で転落して死んだかもしれない。

 もしかしたら帰路の途中で通り魔に殺されるかもしれない。

 もしかしたら寝てそのまま目が覚めないかもしれない。

 

 人は突然死んでしまうもので、それは大抵悲劇的とか、ドラマティックとか、そんな物語のような事もなくてあっさりと死んでいく。

 ──あの時のように。

 

 たまたま今日が死ぬ日だっただけで、別に彼女が来たから死んだわけではないのだと俺は思う。

 なら、たまたま彼女のトラブルが死因だったおかげでこうして生きている俺はきっと最高にツキがあったのだろう。

 まあ、なんというか。要するに、だ。

 

「死ぬしかなかった俺を貴女が助けてくれた。だから、俺は貴女にその恩返しをしたい。……それじゃダメか?」

 

 それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そりゃあ、彼女が人間を皆殺しにしてやるだとか、地球を破壊するために来たー、とかなら全力で拒否するけど、友好関係を築きましょうって事なら拒絶する理由もない。

 死んでいた筈の俺を助けてくれた文字通り命の恩人……命の恩宇宙人だ。なら彼女のために俺は俺のの時間を使おう。

 

『……ありがとう。これからよろしくお願いします』

 

 戸惑いを含んだ感情を感じたが、こうして俺と彼女の奇妙な同居生活が始まった。

 

 

 

 

「……ところでさ」

『なんですか?』

「なんで言葉分かんの?」

『ああ、それはですね、貴方の頭の中からこの世界に必要な知識を拝借したからですよ』

「え゛っ。そ、それって俺の記憶が無くなってたり……?」

『あくまでコピーに過ぎないのでその心配はありません。現に貴方は言語を用いて会話ができているでしょう?』

「確かに……。ち、因みに覗いたのは言語知識だけ?」

『いえ、選り分けには時間がかかるのでまるっと全部。……この星の知的生命体は皆んなああいう趣向を好むのですか?』

「……金輪際頭を勝手に覗くの禁止!」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 買い物から家に戻って、食料品を冷蔵庫に突っ込む。

 冷えた麦茶をコップに注いで一息に喉へ流し込んだ。

 

「ふぅ、荷物持って歩くと流石に暑い」

『かき氷!?』

「食べねーから。シロップないし。氷齧る気か?」

『……あんこはあったわよね? あの棚の奥の方に』

「貴様……っ! 何故それを……!?」

『ふふーん! 私に隠し事が出来るとは思わない事ねっ!』

 

 あれは食パン用に楽しみに取っておいてんだ、絶対いやだからな。

 期待の感情がビシビシと伝わってくるのを無視してテレビを付ける。真面目な顔をしたアナウンサーが取り留めのないニュースを読み上げていた。

 

『ねえねえ、そろそろいい?』

「ん、ああ。夕方になったらご飯作るから変われよ?」

『やった!』

 

 椅子に腰掛けて目を瞑る。

 イメージは睡眠に近い。

 意識を内側に向けて潜っていくと、途中でパチン、と切り替わるような感覚。

 そして、再び目を開ければ。

 

「ふぅ。よーし! 今日中に読破してやるわ!」

『くれぐれもこの前みたいに時間忘れるなよ……?』

「分かってる分かってるぅ! 〜〜♪」

 

 上機嫌にハミングしながら『俺』が向かったのは大きな本棚。

 統一性は全くなく、エッセイから小説までなんでもござれ。その中の漫画が固まっているエリアから迷う事なく数冊の単行本を抜き出した。

 

「続きが気になってたのよね〜」

『あれ、この前買ったやつは?』

「もう読んだわよ? これは同じ作者の過去作! いいストーリー描くのよねえ……」

『ちょっと待て、いつの間に読んだ? 俺の記憶にそれは……ああ!? なんか頭の中に知識があるぅ! ぐあああ、ネタバレがああああ!!?』

「ある人は言ったわ。ネタバレを避けるためには外国語を勉強してでもリアタイを追いかけるしかないと。積み本したのがアンタの敗因よ! ……というかアンタの身体なんだからアンタが読んでるのと一緒よ一緒」

『絶対ちげえ! だってこれ昨日の晩御飯なんだったかなって思い出す感じ!!』

「うるさいわね……集中させてよ」

 

 唇を尖らせる『俺』の五感から意識を逸らして、枯葉が水面に浮かぶように身を委ねる。

 そうすれば、眠っているようで、でも意識はあるという不思議な感覚が俺を包み込む。

 五感を共有しないのならこの状態が一番楽なので、彼女と交代したときは専らこうする事が多い。

 

 俺と彼女は身体を動かす主体を切り替える事ができる。

 詰まる所、今俺の身体を動かしているのは彼女なのだ。

 この意識の切り替えはお互いの合意がなくてはならない……ということもなく、強制的に切り替えることもできる。最初の方に何度か彼女にやられた。

 しかし、逆に俺の方からは成功した試しがない。彼女曰く出来ないことはないらしいが……恐らくはこれも元々彼女の力なので、俺には上手く扱えないという事なのだろう。

 

 にしてもくそう、楽しみにしてたのに回避不能のネタバレとか鬼畜すぎるだろ。いや彼女も楽しみにしてたから後回しにしたのが悪いっちゃ悪いが……。

 引きずっても仕方ない。取り敢えず交代したら読むと決めて、やれることも無いので眠るように……されど、意識の片隅で過去を振り返った。

 一年前……彼女と出会ってから、本当に色々な事があった。

 

 彼女が裏山に隠した小型船の修理をしたり、彼女が地球の食べ物に並々ならぬ関心を持ったり、漫画にハマった彼女のキャラが変わったり。

 ……いやほんと。どこか高貴さを感じさせた振る舞いはもう見る影もなく、今の彼女は漫画から得た知識をフル活用した女性ロールというやつを全力で楽しんでいる。

 たまに違うロールをしたりもするが、なんでツンデレ風味に落ち着いたのかは顔から火が出そうになるので思い出したく無い。

 

 いろんな彼女を感じた。だから、彼女が俺に嘘をついていることも分かっている。

 始めて出会ったあの夜に告げられた、地球と友好関係を結びに来たという彼女の言葉……あれは多分、俺を協力させるための方便だったのだろう。

 彼女は知らないが、俺は寝ている間に彼女が強制的に切り替えて色々と調べていた事を知っている。調べていたのは……言ってしまえば、軍事関係の事が殆どだった。

 ノータッチ、という訳にもいかないのは分かる。だが、二ヶ月もそれのみを深く、より詳しく調べようとするのは流石におかしい。

 小型船の通信設備の修理を何よりも優先していたのもその疑惑に拍車をかけた。

 俺と図書館で調べたりネットで得たほんの些細な地球についての調査結果と、彼女が詳細に調べ上げた地球の軍事力。

 その報告を必要以上に焦る理由は? 

 そもそも、文明レベルの調査をしてその後友好関係を結ぶというのもおかしな話だ。

 本当に友好関係を結びたいのなら彼女ひとりを調査に向かわせるのではなく、国王なりなんなりの委任を受けた公的な使節団が赴くべきなのだから。

 なのにこれではまるで……敵国の内情を探るスパイのようではないか? 

 

 何となく、彼女の星が人類にとって好意的な方針を取っていないことは推測できる。

 なら、人間である俺は彼女に協力するべきではないし、実際あの夜にもしそういった背景があるのならたとえ死んだとしても拒絶した。

 

 でも、俺は彼女を拒んだ事は一度もない。

 ……理由はいくつかある。

 

 ある日を境に直っていないのに通信設備の修理をあまりしなくなった事。

 最初に感じていた心理的な壁がなくなって、心の距離が近づき過ぎた事。

 

 そしてなにより。

 俺は、彼女と過ごす時間を掛け替えのないモノだと思うようになっていたから。

 

 俺たちは互いの感情を手に取るように知る事が出来る。

 嬉しいのも、悲しいのも、楽しいのも、怒っているのも。

 彼女の喜怒哀楽はとても素直で、何を嬉しいと思い、悲しいと思い、楽しいと感じ、怒りを抱くのか、全部知っている。

 その俺が断言しよう。

 彼女は心優しい宇宙人だ。

 

 ……まあ、何というか。

 言ってしまえば、楽しいのだ。

 彼女と過ごす日々はどうしようもなく楽しくて、俺はそれに幸せを感じていた。

 パスタ生活になったり、秘蔵のあんこの場所がバレてたり、漫画のネタバレを食らったりしても。

 彼女と言い合って、取り留めのない話をして、たまにちょっと喧嘩もしたりするけど、すぐに仲直りして。

 そんな日々を愛おしいと、そう思ってしまったのだ。

 

 最も近くて、最も遠い。心は触れ合えるのにその姿を見ることさえできない。

 でも、それでいいと。

 分離するのにはまだ時間がかかると申し訳なさそうに彼女が言ったときも、俺はむしろ嬉しかったぐらいなのだ。

 浅ましい気持ちで、女々しいとは思うけれど、彼女とまだ一緒に居られるのだと喜んだ。

 命を救ってくれたという返しきれない恩もあることだし。

 

 それに。

 

「ひっく、う、うぅ……ずびっ」

 

 漫画を読んで、登場人物たちに感情移入をして、涙を流す。

 人の喜びや悲しみに共感して、自分のことのように喜んで悲しむことのできる彼女が残酷な事を考えているとはどうしても思えなかった。思いたくなかった。

 

 騙されたのならもう騙されたでいい。

 ただ、それならあの日俺の命を助ける必要もなかった筈で。

 それで今日までの彼女が全部嘘だったって事なら、もう仕方ない。

 そう思ってしまったから。

 

 先行きに少しばかりの不安はあれど、これからも……少なくとも、今日明日、来週、来月、来年と彼女と過ごしていける事実に胸が弾む。

 

「……っ!」

 

 物語が佳境に入ったのか、彼女から興奮が伝わってくる。

 ここは時間の感覚が曖昧でよく分からないが、視覚を共有した際の光量から多分もう夕方。

 まあ、もう少しだけ待とうか、なんて思いながら俺は小さく笑った……ようなイメージ。

 今は意識だけの存在だから、そんな感覚。

 

 明日は何をしようか。

 一年前では考えられなかった事に思考を飛ばして、そんな自分がどこか可笑しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変わらぬ明日がまた来ると、俺は無邪気にも信じていた。

 幻想に過ぎないと身を以て知っていたはずなのに、そう信じたかったのだ。

 あの日、俺の人生が狂ったように。

 あの日、彼女と出会ったように。

 運命ともいうべき大きな節目、人生の転換点。

 それはいつだって心構えをする時間すら与えず突然起こるモノ。

 つまり、たまたまそれが今日だった。それだけの話。

 

【緊急速報ですッ!!!】

 

 付けっ放しだったテレビからアナウンサーの荒げた声。

 漫画に夢中な彼女の代わりに耳をそばだてれば。

 

【首都より500メートル先の上空ッ! 沿岸部に謎の……あれは、巨大な……船……でしょうか、巨大な舟が現れましたッ!!!】

 

 巨大船? 

 空を泳ぐ船は確かに圧巻だが、緊急速報にはならない。

 それはありふれた光景だからだ。

 他国が戦争でも仕掛けに来たか? と俺が思ったその時。

 

【あ、あああっ!!! す、スカイツリーが……、歴史重要文化財のスカイツリーが謎の船による攻撃で倒壊ッ! 倒壊してしまいましたッ!?】

 

 特大の驚愕が鯨波のように俺を飲み込む。

 単行本が手から零れ落ちたのかトッ、と乾いた音。

 

「なん、……で……あり得ないッ!! 早すぎる……!!」

 

 目を見開いた『俺』がわなわなと震え、次の瞬間家を飛び出した。

 

「あり得ない……! なんで、まだ一年よ……!?」

『おい! 待て、落ち着けっ!』

 

 流れ込んでくる今まで感じたことのない大きな焦りとぐちゃぐちゃに混ざった感情。

 明らかに普通の精神状態じゃない。

 ひとまず彼女を落ち着かせる事が最優先だと判断した俺が必死に呼びかけるも、気付かないのか脇目も振らず夕焼けに染まる道を駆ける。

 くそ、一体全体何がどうなっているのかは分からないがこうなりゃ強硬手段しかないっ。

 

『落 ち 着 け !!!』

「うっ……!」

 

 強く響かせるように呼びかければ、『俺』が頭に手を抑えて呻く。

 

『……落ち着けってのは無理かもしれないけど、せめて話してくれ。俺とお前は一心同体、二人でひとり……そうだろう?』

「ごめんっ……、でも、時間がないっ!!」

『感じてる。変わってくれ、俺が走る。その間に話してくれればいいから……もう数時間経つ。だいぶきついだろ?』

「……っ、ありがとう、任せた」

 

 存在ごと引っ張り上げられるような感覚。

 パチン、と切り替わる手応えのようなものを感じ、同時に体力の消耗を覚え肺が痛んだ。

 

「……はっ、どこに行けばいい!?」

『小型船までお願いっ!』

「よしきた! 裏山だな!?」

 

 彼女が裏山に隠した小型船まで全力で走って十分と言ったところか。

 今も頭を掻き毟りたくなるような衝動を感じる。こんなにも余裕のない彼女は初めてかもしれない。

 

「それでっ! あの巨大船はなんだ!? どうしてお前はそんなに焦ってる!!」

『……っ、それは……』

 

 彼女の心が躊躇いに揺れる。いや、これは……恐怖? 

 逡巡は刹那、意を決し、曝け出すような悲痛さを伴った。

 

『あれは、私の星の……軍艦。それも、最高戦力の一角をなす二対の大型母艦のひとつッ!』

「はあ!? ちょっと待て、それってまさか……!?」

 

 その言葉が何を意味するのか。

 地球規模で考えれば、他国の軍艦がいきなり首都近辺に出現し、警告無しの砲撃を本土に撃ち込んだ。

 明確な宣戦布告。戦争の引き金。

 それが、宇宙規模で起こったってのか!? 

 

『あのクラスの軍艦が来てるって事はどう少なく見積もっても国力の過半数以上が動員されてるツ! ……地球と戦争する気よッ!!』

「スケールがでか過ぎる! どうなるんだそれ!? 俺たちは勝てるのか!?」

『多分、無理。一度宇宙に押し返すまでは出来ても……私たちと人間じゃ持久力が違い過ぎるの!! それに、地球は星規模の連携が出来ない……っ! すぐにこの星が戦場になる! だから、早く止めないと……!!』

「戦争する気満々なんだろ!? もう撃ち込んでんだぞ!? 止められるのか!!?」

『……ひとつだけ、手はあるわ。可能性は低いけど……でも、このままだと地球が、アンタの生きてる星が侵略されちゃう!!』

 

 眼前に裏山を捉えた。

 そのまま山道を……ええい! 近道だ! 

 強行突破。舗装されていない獣道に突っ込む。

 

『……訊かないの?』

「何をだ!?」

 

 不安に揺蕩う感情。

 鬱蒼と生い茂る木々を手で掻き分けながら声を張り上げる。

 

『なんで……私の星の軍艦が地球に来たのか。私が呼んだんじゃないか……とか。私が……アンタを騙してたんじゃないのか、とか』

 

 それは断罪というに消極的で、非難というには自罰的だった。

 彼女の心が悲鳴を上げて、耳元に囁くように自らの罪を告白しようとしているようだった。

 

 ……訊かないのかだって? はん、んなの決まってらあ! 

 

「訊かねえ! 興味ねえ!!」

『っ! どうしてっ!? だって、私は……!!』

「関係ねえよ!! 今! お前の心が痛いって叫んでんだよ!! 過去に何があろうが! この状況の原因がなんだろうが! 今、お前は苦しいって哭いている!! それで十分だ!!!」

 

 疑った事もあった。嘘をついてると確信もある。

 でも、それでも。

 俺は、彼女の心の清らかさを知っている。

 今、彼女は本気でこの戦争を止めたいと懸命な事を感じている。

 なら、最初にどんな思惑があったかなんて関係ない。

 ともに過ごした俺の心が叫ぶのだ。

 腹の奥底に……ハートに伝わるこの想いだけで彼女を信じられると。

 

「止める方法があるんだろう!? お前ならこの戦争を止められるんだろう!?」

『……っ、ある、けど……でも、頭が真っ白になって飛び出しちゃったけど、アンタも危険に……』

「このまま戦争したらどの道だよッ! それに……さっきも言っただろ? 俺とお前は一心同体だ。融合してるうちは地獄まで付いてきてもらうし、付いていくからな」

『……っ、なにそれ……、バッカじゃないの……っ』

「知らなかったのか?」

『知ってたわよ……っ、バカ。……ありがとう』

 

 返答の代わりに心からの信頼を。

 腕で顔を覆いながら走り続けた先、視界が広がるほんの少し開けた場所がある。

 

 あの夜に彼女が選んだ小型船の隠し場所。

 何度も修理に赴いたのだ。どうすればいいかもわかる。

 視界が開けた瞬間俺は叫んだ。

 

「ステルス解除っ!!」

 

 ジ、ジジジッ、と波に攫われるような電子音とともに空間がぐにゃりと歪む。

 姿を現したのは光学迷彩により隠されていた鉛色の球形に金の紋章が描かれた……彼女の小型船。

 

「……あれ、こっからどうすんの!? てか動いたっけ!?」

『星間飛行は無理だけど首都の軍艦までならギリギリッ!』

 

 その言葉に突き動かされるようにハッチを開けて乗り込む。

 人ひとりが乗っただけで少し窮屈に感じるほどのスペースに、中には多種多様なスイッチやモニターが所狭しと並んでいる。

 ……どれだっけハッチ閉めて飛ぶ操作する奴は!! 多すぎて分かんねえ! 

 

『そことあれとそれとこれっ!!』

「いや分かんねえよ!!」

 

 記憶を頼りに適当にいじった場所がそれだったのか、ハッチが閉まりゴゥン、と重い音が振動を運ぶ。

 いよぉし! 当たった! 結果オーライ!! 

 

 キィィィッ、と金属が高速で振動するような音を立て身体に僅かなGがかかる。

 慌てて体を固定した瞬間、ふわりと浮き上がった小型船は勢いよく空へ飛び出した。

 急激にかかるGに耐えレバー握る。体制制御。ずしりと重いそれを思いっきり力を込めて引く。

 

「首都の母艦でいいんだよな!?」

『ステルス! ステルス忘れてるッ!!』

「ステル……どれだ!?」

『奥の青いの! 右から二番目!』

 

 腕を伸ばして押し込んだ瞬間、船内に乱反射する漣のような電子音。

 中からでは分からないが、恐らくこれで外からは見えないようになったのだろう。

 機動が安定する。首都まで数十分といったところか。

 半ば以上勢いで飛び出してきてしまったため、その間に彼女とこれからの事を話し合おうとしたその時。

 

「うわ!? 今度は何だ!?」

 

 けたたましいアラート。

 焦燥感を煽るように船内が赤く点滅する。

 

『ッ! 前!!』

 

 眼前に設置されたレーダーパネル。

 そこに点滅する光点があった。

 出発の時にはなかったそれに俺の脳が嫌な予測を弾き出す。

 

「……ゲームだとこういう時ってだいたい敵性反応とかだけどさ。これ、セーブポイントだったりする?」

『何言ってんの!? そんなわけじゃないじゃん!? 早く逃げて!!!』

「ステルスどうしたんだよちくしょう!!」

 

 悪態をつきながらもレバーに力を込め、方向を変え──。

 

「──逃げるってどこに?」

 

 方向を変えようとして、呻くように唇から息を吐き出した。

 笑えてくる。どこに逃げろというのだ。

 

 ──俺の目の前には、目測で直径200メートルはあろうかという巨大な円盤が空に鎮座していた。

 

 しかも、ざっと見で五十は下らない数の砲門が此方に狙いを定めてるときたもんだ。

 これ普通に俺の国の空戦空母ぐらいないか? テレビで見る事しかなかったが実物を見ると圧巻の迫力がある。

 

『あの船は……って! 何やってんの!? あれ、あれ! チャージしてる!! 撃ってくるッ!!!』

 

 あまりの光景に現実逃避していた思考が叩き戻される。

 視界が砲門の先端に収斂されていく光を捉えた。

 五十の砲門、その全てに。

 

「まじかああああああああ!?」

『まじよおおおおおおおお!?』

 

 後ろ──無理! 右も左も当たる! 退路がねえ! 

 くそ、でも動かなきゃ蜂の巣だ! 

 

 目的を持った操作ではない。

 とにかく動かないと死ぬ。その一心で全力でレバーを倒した。

 それは、鋭角に下へと小型船切り込ませ、瞬間そのすれすれの空間を光弾が抉り取っていく。

 船体上部を掠ったのかエラーの文字が連続で表示された。

 

「ぐ、おおおお!! 重い……ッ!!」

『……く、やむを得ないわ……私が操縦するッ!!』

「大丈夫なのか!?」

『そんなこと言ってる場合じゃないでしょッ!』

 

 同時、身体の中に意識が吸い込まれ、切り替わる。

 

「もうステルス切れてるから私の船だって分かってるはずなのに……! 目にモノ見せてやる!」

『いけるのかコレ? 無理するなよ!?』

 

 高度を落とし続ける小型船を狙い定め第二射が放たれる。

 確かめるようにレバーを握ったり開いたりを繰り返していた『俺』は一度強く握りしめ──不敵に笑う。

 

「誰に言ってんの? 私のドラテク舐めないでよねッ!!」

 

 退路がない? それなら前に進めばいい。

 そう言わんばかりの急上昇。

 視界を埋め尽くす嵐のような弾幕に自ら突撃する。

 

『ちょおおおお!?』

 

 内心で絶叫する俺の悲鳴。打ち鳴らされるアラートをBGMに弾幕に突っ込んだ小型船は冗談のような鋭いターンの連続で掻い潜っていく。

 五感を共有してどう動かしているか分かるのに何故そう動くのか全くわからない。

 掠った。抉れた。警告表示が氾濫する。修理不完全なエンジンに深刻なダメージ。回転。旋回。

 

 デタラメな機体制御が火を噴く砲塔の悉くをすり抜ける。

 しかし、このまま前に進んだところで──! 

 

『どうすんだ!? ぶつかるぞ!!』

「ぶつけるのよ!!」

『はあ!!?』

 

 信じられない言葉を聞いた。

 しかし、冗談ではないと示すようにさらに加速。

 ぐんぐんと楕円形の巨大船へ迫る。

 

『嘘だろ!? 特攻じゃねえか!!?』

「見てッ! ハッチが開きかけてる! 戦闘船を出す気ね。あそこに突っ込むわよッ!! 小惑星の衝突に耐えたこの船を信じなさいッ!!!」

『あれかッ! ……いや閉じてってねえか!? 無茶苦茶だッ!?』

「いっけえええええぇッ!!!!」

 

 響き渡る『俺』の咆哮。

 夕暮れの空に鏤む光弾の星屑を夜天を駆ける彗星のように引き裂いた小型船が巨大船のハッチの隙間に滑り込む。

 

「きゃああああっ!?」

『うおおおおおっ!?』

 

 轟音を立てて削れる船体。

 洗濯機に入れて掻き回されたようにしっちゃかめっちゃかに揺れる船内。

 鳴り止まぬアラートにもう船内が赤く染まって見えた。

 端まで行って壁か何かに衝突したのか一際大きな衝撃が『俺』を襲い、ようやく止まる。

 

「ごっほ、ごほっ!! ……ほ、ほら、上手くいったでしょ」

『……この惨状を見てそう言えるのは凄いと思うわ。もう飛べないだろコレ』

 

 何処かが焼き切れているのか船内の一部から火花の華が咲く。

 ハッチを開けようとして──開かなかったので、えいやっ! と五回ほど蹴って無理やりこじ開けた。

 蹴って開いちゃうのか……予想よりだいぶ損傷が激しいのかもしれない。

 

 そこは鈍色の大広間だった。

 小型船から出た『俺』が見たのは、ズラリと並ぶ30はあろうかという戦闘船。

 

「ぐ……無茶苦茶してくれる……!! おい!! 武器を取れ!!!」

「ああ……! くそっ、姫様を思い出しちまって胸糞悪くなるぜ……!! どれだけ俺たちの誇りを汚すんだ人間は!!!」

 

 そして、姿形を初めて見る二人の宇宙人。

 二本の腕に二本の脚。頭からつま先までの部位を判別できるほどにベースは人間と共通している。

 頭にはそれぞれ形の違うツノが鎮座しており、見える肌には鱗のようなモノがあったりなかったり。

 手には鋭い爪が見て取れ、骨格からして違いそうなほどゴツゴツと鋭角な形状をしておりとんでもない握力がありそうだった。

 その岩すら砕きそうな手に握られているのは……ん? 腕そのものが剣になってないかあれ? 

 

「貴様、人間だな!? 王家の船に乗っていた……!! 貴様が姫様を……っ!!!」

「やめろ、言葉は通じねえだろぉよ……殺してやる」

 

 明らかな敵意。

 巨大船からの逃走が不可能だった故の突撃。だが、結果として現在戦争をおっ始めようとしている宇宙人の懐に自ら飛び込んだ。

 どうなるかなど火を見るよりも明らか。

 

『……早速囲まれちゃってんじゃねえか! 逃げないと……え? 王家って──』

 

 声が詰まる。予想だにしない言葉。

 王家? 姫? それはどういう──。

 

「──誰にその鋼を向けている」

 

 一歩。

 前に進み出た『俺』から自分の声帯から作り出したとは思えない程の力を持った高い声が響く。

 同時にまるで身体が作り変わるような感覚が全身を侵す。

 ミシリ、と空間が軋みをあげた気がした。

 気持ち悪い。でも、一度何処かでこれを経験したような……。

 

「なっ……!? そ、そのお姿は……!?」

「バカな……!? 夢でも見てるのか……!? それは……王家の力……っ!!」

 

 宇宙人たちの相貌が驚愕に染まる。

 ワナワナと身体は震え、信じられないモノを目の当たりにしたと言った様子だ。

 どういうことだ? 俺が出来るのはあくまで五感の共有なので、客観的に自分を見下ろしたり出来るわけではない。

 何故目の前の宇宙人は『俺』を見て狼狽えているのか……その疑問は数秒と経たず氷解した。

 

「この顔を忘れたのですか。私は惑星ドラグ現星王の娘にして次期王女。もう一度言いましょう。──誰にその鋼を向けている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が言った戦争を止める策。

 端的に言ってしまえば、それは王権の発動だった。

 次期王女……姫としての彼女の権力をフル活用して、また彼女の父親でもある星王に退くように掛け合う。

 戦争とはその全てに何らかの政治的背景が絡んでいると言っても過言ではない。しかも、もう引き金は引いてしまっている以上それでじゃあ撤退するね、となるとは思えなかったのだが、彼女の星は地球で言うところの絶対王政をさらに強くした政治形態らしく、星王の鶴の一声さえあれば必ず撤退するそうだ。

 

(それにお父様は私にめちゃくちゃ甘い)

『見切り発車じゃねえか』

(仕方ないでしょ!? それしか思いつかなかったんだもん!)

『いやさあ……カッコつけて飛び出した目的がパパへのお願いってさあ……』

(うるさい! 必死だったの!!)

 

 感情を読み取る限りでは自分でも自覚はあるようだ。

 ……にしても姫様、か。

 一瞬で言語を習得したり、地球の文化の飲み込みがやけに早かったり……初めて話したときに感じた印象だったり。

 随所に能力の高さというか、教養の高さを感じはした。

 もしかしたら、とは思っていたがまさか本当に……。

 まあ、だからといって俺と彼女の関係が変わるわけでもない。

 俺は俺で、彼女は彼女だ。

 

 それでも、じゃあ何で一国……いや、一星の姫である彼女が地球にひとりで来たのかという疑問が残る。やんごとない身分なら護衛とかが付くもんじゃないのか? 

 

「到着しました。此方になります、姫様」

「ん、ありがとう」

「……あの、姫様。疑うわけではないのですが、その喋り方は……?」

「気にしない気にしない。私は私よ!」

「は、はあ……?」

 

 宇宙人A(失礼だが名前を知らないので内心こう呼称する)に案内されたのは医療室。

 俺たちが飛び込んだ場所から結構近い場所にあった。

 

 あの後、彼女が姫であることを知った宇宙人たちの態度の変わりようは凄かった。

 よくぞご無事でした、とか姫様が生きていらしたなんて……と感涙に咽び泣いたりとか、何故人間と融合を……! と喜んだり怒ったりの百面相。

 発艦場にある通信設備は突入の際にぶっ壊してしまった(最後にぶつかったの壁じゃなくてそれだった。というか壁と挟んで押し潰してた)ので、直接この船の司令室に行って彼女の父親に通信を繋いでもらう事にした。だが、宇宙人たちの話を聞いていた彼女がまず先に医療室に行きたいと言ったので宇宙人Aに医療室に案内してもらい、宇宙人Bは司令室に報告をしに行くこととなった。

 

 別に、怪我をしたとかではない。

 確かに突入は荒っぽかったが、『俺』は無傷だ。

 何故ここに来たか……目的はひとつ。

 

 二人でひとりだった俺と彼女が元の状態に……ひとりとひとりに戻る。

 分離をするときが来たのだ。

 

「んー旧型の方かあ……」

「申し訳ありません、なにぶん新型はまだ数が少なく……」

「ん、まあこれでも十分だし問題ないか。操作の方お願いね」

「はっ! お任せください。……して、融合している人間の方は如何致しましょう。殺しますか?」

「殺さないでね!? 怪我させたら怒るよ!?」

「し、しかし……! 多種族と融合して再生しているという事は姫様のお身体が……!」

「いいから! とにかく危害を加えない事! これは命令ですっ!」

 

 ビシッと指を指して宣言した彼女はそのまま広い部屋をずんずんと歩いて中央まで行き、なにやらパネルを操作して人間三人は余裕で入れそうなカプセルの上部を車のトランクを持ち上げるように開く。

 

『なあ、お前の種族物騒じゃね?』

(好戦的な性格をしている事は否定しないわ。……それにほら、私って星民に愛されてるから)

 

 カプセルの中は温かくも冷たくもない不思議な感触だった。

 宇宙人Aが操作をしたのか、持ち上がっていた上部が閉まり密閉される。

 

『お父さんに頼んで上手くいくと思うか?』

(分からない……でも、やってみる価値はある。その為の手札もあるわ……大丈夫! 私がなんとかする!)

 

 側面から僅かに粘着性のある液体が注がれていく。

 息が出来なくなるのでは、と焦ったが彼女は平然としているので大丈夫なのだろう。

 

『レースゲームが得意なのはさんざん見せられたけど、まさか本物の船の操縦もあんなうまかったなんてな』

(言ったでしょう。私のドラテクは宇宙一だって)

『ああ、知ってる。神懸かりだった。俺も自信あったんだけど、流石に敵わないや』

 

 膝が液体に浸かる。

 ……違う。こんな話をしたいわけじゃない。

 いや、違う、話したい、話したいけど、今は違うんだ。もっと、もっと他にあるだろう? 

 

『お前って姫様だったんだな』

(そうよ。ふふん、驚いたでしょう)

『ああ、驚いた。全然そんな感じなかったし。おてんば娘って感じで』

(ちょっとそれどういう意味よ)

 

 腰が浸かる。

 何やってんだ俺。

 他に話さなきゃいけないこと、訊きたい事が……言いたい事があるだろう。

 なんで、なんでその言葉が出ないんだ。

 

『なあ……』

(ん。なに?)

 

 胸まで液体が満ちてきた。

 顔が浸かったときにどうなるか分からない。

 今、今しかないんだ。

 もしかしたら、彼女と話せる最後の時間かもしれないんだ。

 俺はただの地球のどこにでもいる人間のひとりで、彼女はひとつの星のお姫様。

 俺のために彼女を縛り付けるなんて事は出来ない。分離は絶対にしなければならない。

 いつかこの時がくるのは分かってた。いろんな要因が重なって想定外に早まったけど、いつか来ることは分かってたんだ。

 だから……だから、最後に、これだけは……! 

 

『ありがとう。あの日、お前に出会えて……俺は幸せだった』

 

 ──きっと、彼女は気付いていないだろうけど。

 命を助けてもらって事もあるけど、それだけじゃなくて。

 俺は、彼女に救われていたのだ。

 彼女と過ごす日々は……本当に、俺にとって……掛け替えのないものだった。

 だから、その感謝を。本音を言えば、ずっと一緒にいたい。いたいけど、それは無理だから。だから、例えここでお別れになったとしても。

 俺は──君と過ごした宝物の一年を一生忘れない。

 

(……何それ。バッカじゃないの)

 

 カプセル内に液体が満ち、頭の先まで浸かる。

 急速に遠のいていく意識。

 息が出来るのかどうかも分からない。

 

(私だって……アンタと……)

 

 気を失う寸前、泣きたくなるような優しい心を感じた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……姫様」

「……私が望んだ事です。言葉はいりません。……ですが、ありがとう。その気持ちを私は嬉しく思います」

「……お召し物を。この様なものしかありませんが……」

「構いません。……昔から変わらず助かります、リグ」

 

 治療は数分で終わった。

 宇宙人A──リグがカプセルを開けば、そこには気を失っている人間の男と……リグの記憶より一回りも二回りも小さくなった姫の姿。

 

 ──これは、決して医療装置などではない。

 いや、その言い方には語弊がある。正確には、人間が使う場合には医療装置足り得ない。

 詰まる所、これは惑星ドラグに棲まう彼等の種族特性の再生能力と変質能力を爆発的に高めるためのもの。

 

 ──当然、人間には効果がない。

 

 壊れた男の身体。命を繋ぎ止めるために融合し、男の身体を再生すると姫は説明したが、あれは正確には少し違う。

 

 己の身体を人間の肉体に変質させ切り渡していたのだ。

 

 例えばの話。

 彼等の再生能力を水の入ったコップに例えよう。

 コップが再生限界で水が再生能力とする。

 怪我などをして中身の水が減れば、水を注ぎ足せばまた元の容量にまで戻る。

 何度水が減っても、注ぎ足せばまた戻るのだ。

 

 逆に……水の入ったコップの容量自体を減らしていくのが姫の行った事。

 当然、新たに水を注いでも今まで入っていた量の水は入らない。

 なぜなら、もうその大きさのコップではないのだから。

 

 人間に再生能力はない。

 男を生かすにはそうするしかなかった。

 結果、己の身体の約半分を男に渡した姫は、それに見合うだけのサイズへと己を定義し直した。それだけの話だ。

 

「ところで、私が死んでいるような口ぶりでしたが一体どういうことですか? 確かに連絡は取らなかったとはいえ、王位継承の儀式は本来五年の期間を置くもの……はっきり言って異常自体です」

「はっ! それは……姫様がこうして生きておられますので私も正直混乱しているのですが……」

「構いません。話してください」

「はっ! では……まず姫様が地球に旅立った後──」

 

「なに、説明をする必要はないさ」

 

 ──重い声だった。

 リグの説明を遮るようにして発せられたそれは医療室の入り口……距離にして約20メートル。

 そこに、黒い軍服を着た男が立っている。

 

「艦長っ!?」

 

 貴方は? そう聞こうとした姫をリグの驚愕が遮る。

 

「どうしてここに……ああ、シドムから話を聞いたのですね? ではもうお耳に入れたとは思いますが、実は姫様が……!」

「リグ、待ちなさい」

 

 艦長と呼んだ男に歩み寄ろうとしたリグの指を姫が掴む。

 怪訝な顔で姫を見たリグはもう一度艦長へ視線を戻し、目を見開いた。

 

「艦長……? その……血は……?」

「ああ、これかい?」

 

 指で服をつまみ見せつける様に伸ばしてみせた男は、本当に愉快だと、心からおかしくてたまらないとでも言うように……克明に顔を歪ませた。

 

「エンジン事故で死んだはずの姫の生存を嬉しそうに報告してきた奴がいてね……じゃあ殺さないとなって言うと血相変えて襲ってきたもんだから殺しちゃったよ」

「……え、……は? ……え?」

「おや? 伝わらなかったかな。この血はね、僕に歯向かったバカを殺した時についた返り血さ。僕が怪我したわけじゃないから安心したまえ」

 

 状況が飲み込めなかった。

 刹那、追いついた思考が現実を認識し頭に血を回す。

 

「貴様ァッ!!」

 

 長年の盟友を殺されたと知ったリグが一瞬で臨界点を超える。

 姫の手を振り払い、右腕を瞬時に刀身へと変質させたリグが艦長に急迫。

 種族特有の膂力を用いて繰り出される岩をも切り裂く一閃が閃く──前に。

 

「悲しいね、また部下が減ってしまう」

 

 脚を鎌へと変質させた艦長の蹴りがリグより遥かに速い。

 旋風すら巻き起こす蹴りが豪速で放たれ──。

 

「──ヒュウ、さすが姫様」

「──見ない顔ですね。この規模の艦船の艦長を私が知らないはずがないのですが」

 

 リグを一瞬で追い越し、前に出た姫の刃へと変質した淡い金の髪が艦長の蹴りを受け止めている。

 周囲に散った衝撃がビリビリと空間を震わせた。

 

「色々と貴方には聞きたいことがあります。──素直に喋るか痛い思いをして喋るか。選ばせてあげましょう」

「強がるね。人間に大部分を渡したその身体……能力を使うのすらキツいんだろう? 抵抗しなければ楽に殺してあげますよ、姫様」

「試してみますか? ──リグ! 下がりなさいッ!!」

 

 それが開戦の合図だった。

 鳴り響く轟音の連続。瞬きの間に打ち込まれる蹴りの連打。その数、十。それを唸る淡い金の髪が全てを叩き落とす。

 攻勢を緩めない。大小様々な髪の刃が、それぞれの軌跡を描いて獲物目掛けて驀進する。そのあまりの数になりふり構わず身を翻した艦長の眼前に、地中を突き進んだ髪の槍が串刺しにせんと撃ち出した。

 

「くそっ!! 厄介なモノだな……! 王家の力というやつは……ッ!!」

 

 迫り来る槍を紙一重で回避。

 ドガガガッ! と破砕音を撒き散らして突き出すそれを尻目に艦長が姫へと接近しようとした時。

 

 ミシリ、と空間が哭いた。

 

 世界が軋む。圧倒的な重圧を秘めた『力』の行使。

 どろりと気味の悪い悪寒に突き動かされた艦長が直感的に視線を向けたのは──医療室の入り口、その扉。

 

 一対の閉会式の自動ドア……その周囲2メートル。重量にして占めて250キロ。

 

 それが、抉り取られるようにして空中に浮いている。

 

 断線したコードが火花を散らし、雑に削られた断面の中でパーツが擦りあい、呻きあい、ギチギチと音を鳴らす。

 

「知らないようなので教えてあげましょう。王家の歴史の中で──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 驚く暇すら与えない。

 艦長の戦慄を打ち砕く質量の暴力が空気を殺す圧力をもって襲いかかる。

 

「──なにッ!?」

 

 回避──できない。身体が動かない。

 淡い金の髪がいつの間にか艦長の手脚へ絡みつきその動きを封じていた。

 

「……っのクソ女アアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 意思があるように動く大質量が叩きつけられる。

 轟音とともに爆ぜる広間。

 振動が空間を伝播し衝撃が視界を揺るがす。

 

「……っ、がはっ! はっ……、はぁ……! はぁ……っ!」

 

 断末魔を飲み込んだ力の鳴動が収まるのを待たずに、姫は膝から崩れ落ちた。

 

「ぐっ、あ……っ、はぁ……っ!」

「ひ、姫様っ!?」

 

 ギリギリだった。

 強かった。髪を自由自在に動かすのも、扉を抉り取るのも……能力を使わされた。

 艦長の言う通り、男に身体の大部分を渡してしまった姫は自身の力を……王家の力を使用するだけで身体にとんでもない負担がかかる。

 全力解放など以ての外。その強すぎる力に身体が耐えられないのだ。

 無理を通してでも早期決着に踏み切らなければ、確実に自滅してやられていた。

 血を吐く姫の身を案じたリグが駆け寄るが、姫はそれを手で制した。

 

「何かがおかしい。直ぐにここを離れてお父様がいるであろう母艦へ向かいます」

 

 言い様のない違和感。

 十中八九自分の死が仕組まれていて……それを元に全てが始まっている気がした。

 

 ちらりと未だカプセルの中で眠る男を見た姫は一瞬悩み、連れていくことにした。

 ここに置いていけば確実に命はない。

 ならば、まだ自分とともにいる方が安全かもしれない。

 

 そう結論を出して、姫がくるりと振り向き男の方へ向かおうとした時。

 

「姫様ッ!!」

「──えっ」

 

 ドンッ、と強く突き飛ばされる。

 決死を相貌に刻んだリグを見て──その真横に、脚を振り上げた艦長が、視界に──。

 

 肉を断ち切る水っぽい音。

 遅れて、血の噴水が血霧を撒く。

 

 尻餅をついた。

 ボロボロの身体はそれだけで激痛を訴えるが、姫の意識はそこにはない。

 ただ、目の前でうつ伏せに倒れ血の水たまりを作るリグだけを見ていた。

 

「はあ……、はあ……、やってくれたな……!! よくも……!!」

「あ……、うそ……でしょ……? リグ……?」

「殺したの見えなかったかあ!?」

「ギぅっ!」

 

 満身創痍。全身を赤く染め上げた艦長が姫の頭を踏みつける。

 抵抗に動いた髪は震えながら持ち上がり、地に落ちた。

 

「クソ……! 大臣の野郎騙しやがったな……! 確実に死んでる、万が一生きててもその辺の子どもレベルに力が落ちてるんじゃなかったのかよ……!!」

 

 艦長の身体は崩れかけている。ダメージに再生が追いついていないのだ。

 あと一発。あと一発、今すぐ与えられれば倒せる。

 だが、その一発があまりにも遠い。身体が悲鳴を上げている。

 

「流石に死ぬかと思ったぞクソが……! 殺してやる……!! そこのゴミ兵のように……お前も! あの人間もだっ!!」

「……ぐ、姫……さま……っ」

「ああ!? まだ死んでなかったのかぁ!? ほらよぉ!!」

「ガハッ!!」

「やめなさいっ!! それが……っ自分の部下にする行いですか……!!」

 

 艦長が投げつけたナイフが姫を救おうと動いたリグの身体を深々と抉る。

 悲痛に叫ぶ姫の頭を黙らせるためより強く踏みつけた艦長の顔が狂気に歪む。

 

「知らねえよ……! 僕の部下だ! 僕がどうしようが自由だろうがよお!? 心配しなくしてもお前も! あの人間も仲良く殺してやるよ!」

「やめなさい……! 私以外を殺める必要はないはずです!!」

「殺すなら私だけってかあ!? 嫌だね! 僕は優しいからみんな殺してやるよ! まずはお前からだあ!!」

 

 振り上げられる艦長の脚。

 大釜へと変質したそれは数秒もなく姫の命を狩る死神の鎌。

 

 瞳に致死を映した姫は──心の中で懺悔した。

 ごめんなさいと。

 シドムに。リグに。命を懸けるほどに大切に想ってくれてありがとう、ごめんなさいと。民の命を守る姫のはずなのにごめんなさい、と。

 そして、男に。

 自分のせいでごめんなさいと。

 自分が地球に来たばっかりにごめんなさいと。貴方を殺してしまったばっかりにこんな事に付き合わせてしまってごめんなさいと。

 そして、ありがとうと。

 自分にとっても、貴方は──。

 

 瞼を閉じた姫の眦から涙がひとしずく零れ落ちる。

 そして、次の瞬間──。

 

 ──鋭い金属音が鳴り響く。

 

「何だとッ!?」

 

 驚愕と動揺に濡れる艦長の声。

 同時に、姫は心が焼けるほどの感情を感じた。

 これは、知っている。だって、これは一年もの間ずっとそばに感じていた……。

 

「──っ」

 

 涙に滲む視界。瞬き。

 雫が頰を伝い、僅かに明瞭になる視界。

 

「俺の大切な人を泣かすなよクソ野郎」

 

 そこには、いつも見ていたようで、初めて見る男の子の背中があった。

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